05
ハムサ
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BENDING MACHINE -
ハムサの少年時代は、誰もが将来に関して見込みなしと評するものだった。彼には素行の悪さにおいて同列である十人前後の仲間がいた。ハムサはここに加わると名前と顔をなくして、他の誰とも見分けが付かなかった。
ある日、ハムサたちはだらだらと歩いていて通り雨に見舞われた。彼らは口々に粘った不満の言葉を吐くと、近くにあった廃ビルへとぞろぞろ踏み込んでいった。十一月の街の隅っこ、人も車も滅多に通らない交差点の一角、テナントも軒並み力尽きたそのビルの中は、死んだ床の上を死んだ光に照らされた埃が、死してなお昇天すべきか堕落すべきか迷っている魂のようにゆらゆらと上下しているだけだった。その挙動はどこかしら、ハムサたちに似ていた。
色という色が褪せ、音という音が錆び、重さという重さが雨降る外へと溶け出していってしまったような部屋の連なりを、ハムサたちは足をずりずり引き摺って歩いて行った。道があれば突き当たりまで、先延ばしが出来ればどん詰まりまで、なんの展望もなく歩き続けるのが彼らの常だ。彼らは吸い寄せられるように、あるいは押し出されるようにしてしか歩かない。彼らは自分たちは歯向かっているのだと思っていたが、実際には単に逆らえないでいるのである。
そうして彼らが辿り付いた所の、まさに突き当たりのどん詰まりに、その機械はあった。先頭の者が足を止めると、その背中に一人がぶつかり、そのまた背中に一人がぶつかり、彼らは誰にともなく悪態を吐きながら横一列に並び変わると、その機械に目を凝らした。それは奇妙な自動販売機だった。
販売機自体のなにが奇妙という訳ではない。毛むくじゃらの足が二本生えていた訳でもなく、やたらと臭い訳でもない。コーラや果汁ジュースやコーヒーの並んでいる中に一つだけ、ラベルの全くない缶があったのだ。
値段は「10000000000000000000000」とある。
ハムサ達は顔を見合わせると、おもむろに部屋の中央へと移動した。そのまま輪になってポケットから袋を取り出し、中の液体が揮発したものを吸うしかなかった。彼らはとにかく気が合ったので、そういった物質が切れると揃って同じ幻覚を見てしまうことは少なくなかったのである。
しかし果たして、十分に物質を摂取した彼らが再び確認したものは、やはり奇妙な自動販売機なのだった。コーラや果汁ジュースやコーヒーの並んでいる中に一つだけラベルの全くない缶があり、値段が「10000000000000000000000」とある。ハムサ達はやはり輪になってポケットから袋を取り出し、中の液体が揮発したものを吸うしかなかった。見つけたものが確かに奇妙に存在しているのだと分かった所で、対処がなければどうしようもなかった。
彼らは「10000000000000000000000」がどれほどのものか予想さえ付かず、したがってこの奇妙を解消することなど殆ど不可能であろうことには何となく予想が付いたのだった。彼らには知識が無かったが、勘があった。知識は0から増えるものであり、勘は100から減るものだが、彼らはその意味で、彼らの愛する粉のように真っ白だった。
それからその廃ビルは、なんとはなしにハムサ達の溜まり場の一つとなった。晴れの日となく雨の日となく、彼らは販売機を横目に見ながら物質を摂取するようになった。
ある日、ハムサの仲間の一人が、とつぜん叫び声を上げて液体の袋を床へと叩きつけた。床に染みが広がり、鼻を突く強い匂いが立ち込めた。ハムサ達が驚いて見ているうちに彼はがくがくと震え出し、引き千切れるような声を上げて壁際の販売機の前まで走って行ったかと思うと、やおら財布から全財産の「100」三つを掌に出し、立て続けに販売機の投入口へと注ぎ込んだのである。
「何をする!」そういった意味の声を上げながらハムサ達は駆け寄り、彼を販売機から引き剥がした。オケラになったその男はしばらく暴れ、やがて床に突っ伏して泣きながら喚いた。
欲しくなったんだ!
堪らなく欲しくなったんだ!
なにが欲しくなったのか、とハムサ達は尋ねたが、彼は明瞭な答を見出せないらしかった。欲しくなったんだ、欲しくなったんだ、子供のように地団太を踏み、ひたすら泣き続けた。涙は床の染みに吸い込まれ、先程ともまた違った嫌な匂いを醸した。
なにが欲しくなったのか。ハムサ達は彼に訊いたのだが、本当は皆それが分かっていた。我々は欲しいのだ。途轍もなく欲しいのだ。我々は――到底手に入らぬことの容易に理解できる、その条件の高さでさえ想像の付かない、限りある人生を限りある長さの腕で生きている自分たちにとってこの世に存在しないのにも同然であるそれが――欲しくて仕方がないのだ。
欲しい。彼らは強く思いながら、自動販売機を振り返った。投入金額の表示窓には「100」の文字が、彼らを誘うように嘲るように、宥めるように灯っていた。
ハムサ達にはっきりとした異変が起こった。彼らは金を手に入れると、自然と奇妙な自動販売機のある廃ビルへと足を向けるようになった。彼らは酒にも煙草にも、そして親しんだ粉や液体にも金を使わなくなった。このとき彼らは、人の持ち得る限りだった自身らの勘を、少なくとも最少単位の一程度において失ってしまったと言わなければならない。それでも、常人――詳しく書けば「正」常人ということだが――のそれより遥かに豊かだったことには違いはないのだが。
彼らは必要に際しては一人や二人といった単位に分散して行動するようになった。議論が求められる場合には連絡して一同に会し、決着が着けばまた解散して各々の案件に掛かった。一つの計画が片付くと彼らは移動し、あるいは他のチームに加わり、役割を分担し、他の組織に属し、または提携し、時には乗っ取り、場合に寄っては手持ちの一部を食べさせて膨らませ回収し、集められる限りの金を貪るように集めた。
彼らは入れ替わり立ち替わり、ある日は一人で、またある日には複数で廃ビルを訪れると、手持ちを何時間も掛けて投入口から中へと注ぎ込んだ。それは静かな征服であり、挑戦であり、一面的には圧倒的な勝利の結果だが、また一方で絶望的な敗北への布石だった。彼らのうちの誰一人とて、なにが手に入るなどとも思ってはいなかった。彼らはもはや、動かないでいることを捨ててしまった運動体だった。無重力の中を、推進力に任せて飛ばされて行くだけだ。全て内容において精製されるものを置き去りにし、なんらかを選択しなんらかは切り捨てる、なんらかは取り込んでなんらかは打ち倒す、振り返ることの許されない、隣に立つ者と顔を見合わせることも叶わない旅だった。ただ向こうに欲しいものがあるというだけで。闇の中に恒星が一つあるだけで。
歳を経るごとに彼らは知識が増え、勘が底を尽き、体は弱り、脳は衰え、しかし眼だけは純粋になっていく欲望――それが無邪気な希求だと言っても信じる者のいない――によって宝石のように輝かせながら――亜光速でその目的を目指した。彼らはお互いの名前を忘れ、一人が倒れ、また一人が廃れ、一人は失われ、一人が消えた。
そして最後にハムサが残る。彼は金から配分と相対比による価値を遍く奪い取るという夢物語のような偉業を、金を金とも思わぬ、時に人も人と思わぬ――例えば彼に抗し得た最後の一人となったとある老人の、血と涙と人間の尊厳で強固に糊付けされた手から最後の一銭をもぎり取った件の経緯などは、読者諸君がようやく現れたこの主人公に対してあくまで親和的な感情移入をしたいのであれば、聞かないでおく方が賢明であるというほどのものだ――精神によって成し遂げた。つまりは貨幣制度を崩壊させ、十一月の街の金という金をすべて手に入れたのだ。
ここに主人公は登場する。しかし断わっておけば、誰が残ったとて同じことだ。
ハムサはある月夜に廃ビルを訪れ、手持ちの、そしてこの街の最後の金を自動販売機に投入し始めた。その髪の色、その肌の艶、それら全ての価値すら既に金と交換済みだった。彼にはたった一つ、今やこの世のどのような宝石より高貴に輝いているだろう瞳だけが残っていたのだが、これはずいぶん早いうちから、等価なだけの金がこの世に存在しなくなってしまっていた。
半分ほどが直方体の中へと消えたころ、ハムサの瞳から涙が流れ始める。その透き通ったこと、月光に共鳴して放つ光の美しいことは、他の何とも較べようがない。ハムサは止め処なく涙を流しながら、話の結末を誰よりも早く了承する。そのまま彼の手は金を入れ続ける。金は少なくなり、数えるほどになり、やがて最後の一枚までがすっかり自動販売機に収まってしまう。
金額表示は、未だ「10000000000000000000000」に満たない。
ハムサは投入金返却レバーを引く。
溢れ出す金の渦に巻き込まれて、ハムサはガラスの割れたビルの窓から飛び出し、空の彼方へと流れて行く。彼がすっかり星の合間へ消えてしまったあと、金の海は煌めき輝く雲となり、空から雨となって、再び人々の間に降り注ぐ。ついにこれを夢への手段としてしか見なかった男の手から解放され、金はここにその価値を、時にそれ自体が人々の夢となる目の眩む光を復活させる。
ハムサは、あるいはハムサ達は、何処かへともかくも辿り着きたかった。進み続けるあいだ、人は人とは交わることしか出来ない。彼は、あるいは彼らは、最後にはまた一同に会して、お互いを見つめていたかったのだ。到底手の届かない、遠い美しい星は今日も輝いているが、既に明日を使い果たした今となっては、それが何の意味を持とうか。
もし何もしたいことが無くなったなら、あなたはダルナウェイ博物館を訪れ、ハムサ達が最初に投入した「100」を見つめると良いだろう。その硬貨の放つ輝きの光源は、その遠さと高さ、そして美しさによって、暗にあなたに一つの諦めをもたらすだろう。そしてその諦めは、密かにあなたを救うだろう。
と、このまま終わらせたいが、一つだけ断っておきたいことがある。自動販売機に最後の金を入れながらハムサが流した、あの美しい涙についてだ。幾らかの読者はこれこそが缶の内容物の正体なのだと合点したかも知れない。しかし涙――血液の水分に、タンパク質とリン酸塩ほか諸々の配合物が溶けたもの――が果たして飲料たり得るかということについては、どうか早まらずに一度、自分の頭で冷静に判断しておいて頂きたい。筆者もこの文において、ハムサの涙をそういうものだと解釈して締めることも可能ではあるのだが、もしか十一月の街にかつてないインフレが進んだとき、あなたがかの飲み物を購入することに成功したとして、いざ飲み干したそれが「正真正銘の美味なジュース」ででもあったとき、ざまみろ、あいつは間違えたのだなどと思い出されることは、ひどく癪に障るのである。