嗚呼南海にエビが舞う
『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』レビュー
夜天光
『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』
公開:1966年
監督:福田純/円谷英二
脚本:関沢新一
音楽:佐藤勝
出演:宝田明 水野久美 平田昭彦 田崎潤
広大な南太平洋のレッチ島近海。
穏やかだった空を突然黒雲が覆い、海が荒れ狂う。
嵐の中、ヨットの乗組員が彼方を指し恐怖の声を上げる。
「なんだあれは!?」
「は、ハサミだ!ハサミの化け物だ!!」
船乗りたちの視線の先。
そこには海底から伸びる、天を貫かんばかりの巨大なハサミ(with軽快なBGM)がそびえ立っていた――
皆様、唐突だが「ゴジラ映画」というものにどのようなイメージをお持ちだろうか?
『ゴジラ』『シン・ゴジラ』のような恐ろしい怪物と人間との闘い?
『FINAL WARS』『キング・オブ・モンスターズ』のような大迫力の怪獣バトル?
……既にお察しかもしれないが、以上のような展開を期待しているのなら、この作品はあんまりお薦めできない。
だって、タイトルの怪獣からして「エビラ」である。
エビラ。名前を聞いても日本人の多くは「強そう」とか「怖そう」より「おいしそう」が浮かぶだろう。
おまけにポスターや映画のスチルには
非常に精巧な出来の、真っ赤に茹で上がった巨大なエビ。それを嬉しそうに持ち上げるゴジラ……。
「南海の大決闘」よりもどう考えても「南海の食べ放題」のほうが合っている。
そう、この作品には恐るべき放射能怪獣も重厚な人間ドラマも存在しない。
ゆるい若者がゆるい悪人とゆるく戦い、ゆるいゴジラがゆるいエビラとゆるくたわむれる……
そんなゆるい映画こそ『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』なのである!
……誤解のないように言うと、筆者はこの映画は結構好きな作品である。
そして、断言するがこの作品は間違いなく「ゴジラ映画」なのである。
だから少しでも、このレビューでこのエビの良さが伝われば、筆者としては非常に喜ばしいと思う……本気で。
ゆるい若者
タイトルの後、舞台は早速南太平洋……ではなく、日本へと移る。
南洋で行方不明になった漁船、それに乗った兄が生存していることを恐山のイタコに告げられた青年、良太。
しかし、上京して警察や新聞社に救助を訴えても取り合ってもらえない。
そこで彼は自力で海を渡るために、優勝賞品のヨット目当てに”耐久ラリーダンス大会”の会場に乗り込む。
ダンス大会の様子をニュース番組はこう語る。
『現代の若者の限界に挑戦する耐久ラリーダンスは”三日前”に開始され、
当初300人に上る参加者も三日前になりますと僅か15人の若者たちを残すのみとなりました』
――三日前!?
どうやら、参加者たちは大会開始から三日間、不眠不休でひたすら踊り続けているらしいのだ。
なのに、会場の若者たちはすっごい元気。白目をむいて倒れるものが出ても踊り続け、倒れたほうも暫くしたら仲間たちと笑顔でビールを一杯。
……なんでそんなに頑丈なんだろう?そもそも何が彼らをダンスに駆り立てているのだろう? 平成生まれにはさっぱりである。
良太はこの大会で知り合った二人の若者、そして港で出会った自称ヨットオーナー(実は金庫破り)を引き連れて、勝手に(他人のヨットで)南洋に出発してしまう。
問答無用で漂流する羽目になった良太以外は勿論怒るのだが
「まあ、出ちまったもんはしょうがないか!」
と納得。 その後は強力して航海を続け、さらに漂着したレッチ島で悪のテロ組織にインファント島から連れ去られた島民やたまたまいたゴジラと立ち向かうのだった……。
これだけドタバタ騒ぎに巻き込まれ、死にそうな目にあっても「まあいっか」なノリで済ますのだから、昭和の若者はものすごくエネルギッシュでものすごくゆるいのだとしか思えない。やっぱり平成うまれにはさっぱりである。
ゆるいえびとゆるいごじらとゆるいもすら
今作の新怪獣であるエビラはテロ組織に操られている巨大蝦怪獣である。
テロ組織の兵士から逃れ、海に漕ぎ出す島民たち。すると海中から巨大なハサミを持つ怪獣が現れる。
それを見た島民たちは叫ぶ。
「エ、エビラ!!」
え、君たちもエビラって呼ぶの?
そりゃどう見てもエビなんだけど、インファント島でもエビはエビなんだろうか。
一方主役のゴジラなのだが、山の中で眠っておりいつまで経っても出てこない。随分と重役出勤だが、テロ組織と戦わせるために主人公たちに目覚めさせられる。
そして遂に二大怪獣が激突。嵐の中で戦いが繰り広げられる――
① ゴジラ、その辺にあった岩を投げつける。
② エビラ、鋏で打ち返す。
③ しばらくラリーが続き、ゴジラが放射熱線で岩を打ち落とす。
④ エビラ、びっくり。
……ゆるい。余りにも、ゆるい。
その後も熱線を直接浴びてもエビラがひょっこり立ち上がったり、鋏で組みつかれてもゴジラがあまり痛そうじゃなかったりと、始終和やかなムードのまま戦いは続き、嵐が収まるとエビラは撤退。一回戦はそのまま終了となる。
続く二回戦。テロリストの制御から離れ、凶暴化したエビラは再度ゴジラと対峙する。
得意な水中に引きずり込んだエビラはゴジラと格闘戦を繰り広げる。そして鋭い鋏でゴジラを突き刺す!
流石に痛かったらしいゴジラは怒りの声をあげると熱線を浴びせ……ず、エビラの鋏に噛みつく。そして、多くの視聴者の予想通り、ぽっきりと鋏をもぎ取ってしまう。
自慢の鋏を取られたエビラは外洋に消えていき、そして映画終了まで二度と現れることは無かった……
――こいつら、実は仲が良いのでは
最後にもう一匹、タイトルにもしっかりいるモスラ。
島で捕まったインファント島の住民たちは歌で島の守護神モスラに助けを求めるのだが
「「嵐でモスラはレッチ島に向かえません……(by小美人)」」
そこは頑張って来いよ!!守護神じゃないのかよ!?
ここまでの解説を読んでも、この映画がひっじょおーーにゆるい映画だということが伝わるだろうと思う。
しかし、筆者は前述したようにこの映画を「ゴジラ映画」だと断言する。その理由は――
善悪逆転と反戦メッセージ
この作品の悪役であるテロ組織「赤イ竹」。
時代と名前からして赤軍系モチーフかな?と思われそうだが、
・幹部が全員軍服
・独特の敬礼ポーズ
・ゴジラを「革命的怪獣(!?)」と呼び敵視
とバリバリのファシスト系である。
そして中心人物の竜大尉という男を演じるのは平田昭彦氏。初代ゴジラでオキシジェンデストロイヤーを開発し、ゴジラと運命を共にしたマッドサイエンティスト芹沢博士を演じ、それ以降も特撮作品で正義の科学者を歴任した名優である(ご丁寧に芹沢博士と同じ眼帯を反対につけてたりする)。
初代ではあれほど戦争と大量殺戮兵器を憎んでいた芹沢博士が軍服キメてとても楽しそうに原住民を虐めながら水爆を開発している絵面は強烈な皮肉と反戦メッセージをこのゆるい映画に与えているのだ。
そして、軍服キメてる平田昭彦氏が面白いのはこの映画がゴジラ映画であるからこそなので、やはり今作はまごうことなきゴジラ映画なのである。
ゆるいからこそのゴジラへの共感
終盤、破れかぶれになったテロ組織は開発していた水爆のスイッチを押してしまう(勿論、自分たちだけ逃げ出そうとするのだが、主人公の機転で逆にエビラの餌になってしまう)。
若者たちは本当にやっと島に到着した(映画終了までもう10分も無いぞ!)モスラにゴンドラを備え付け、島民たちと共に脱出する。
この時、若者たちは島に取り残されたゴジラをみてこう言うのだ。
「ゴジラもかわいそうだよな。好きで暴れてるわけじゃないのに」
「おーい、ゴジラ!早く島から逃げるんだ!」
彼らの声が聞こえたのかどうなのか、ゴジラが崖から海に飛び込むと島は大爆発。崩れる島を背景に飛び去るモスラの姿でこの作品は幕を閉じる――。
……最後まで微妙に緊張感がないが、筆者はこのセリフと場面が本作で一番好きである。
ゴジラは恐ろしい怪獣であり核兵器の象徴であると同時に、戦争の被害者という側面もある。
ゆえにゴジラは戦争を忘れた人間に怒り狂い、町を炎に包むのだ。
でも、この作品には燃やすべき街も逃げ惑う人々も出てこない。
だからゴジラもそこまで怒っていないし、人間側もゴジラに割と寛容なのだ(まあ、テロ組織は容赦なく踏みつぶすんだけど)。
ゴジラ映画として必要なラインをギリギリ維持しつつ「まあ、たまにはこんな日があってもいいんじゃない」とゆるく人間とゴジラが関わりあう。
そんなゆるい空気の漂うラストが筆者は割と好きなのである。
―――え?エビラの魅力?
えーと……先述した平田昭彦氏、たくさんの特撮作品に参加しているが、その中でゴジラだけでなくあのウルトラマンの最終回でゼットンも倒している。
そして、エビラは平田昭彦氏を一方的に殺害、捕食した唯一の怪獣である。
つまり! ゼットンとゴジラを倒した平田昭彦氏を倒したエビラは特撮界最強の怪獣と言えないだろうか!? いえない? うーん……