2012年5月24日(木)
 遠い昔の思い出・・・
 去る20日の世紀の天体ショー「金環日食」は、日本列島各地の人たちに大いなる感動を残して幕を閉じた。次の金環日食は2030年に北海道で観測できるとのこと…。現世では見れそうもないが、来世にどこからか眺めてみたいと思う。▼そして、22日には日本の新名所に躍り出た感のある「東京スカイツリー」の一般営業が開始された。「日食」や「タワー」など見上げることが続いて首が痛くなりそうだが、いずれも我々日本人を明るくさせてくれる話題で、少々の首の痛さなど忘れさせてくれる素晴らしいイベントであった。「スカイツリー」開業初日は、強風で第二展望台の営業時間を2時間以上早めに禁止するなどのアクシデントもあったようだが、この日だけで展望台への入場者9000人余、足元に広がる商業施設などを含めると21万人余の動きがあったと報じられていた。当分は自由に眺望を楽しむのは難しいようなので、我々にチャンスが訪れるかわからないが、上京の折に機会があれば是非とも体験してみたいものである。▼東京での見学体験と言えば、昭和48年、三鷹の妹の結婚式で家族で上京した時、前年に上野動物園にやってきたパンダのカンカン・ランランを見に行った。檻の前でゆっくり見ることはできず、娘を抱っこして移動しながら見るという状態であったが、遠い昔の情景の一つとして懐かしく思い出したのであった。
2012年5月20日(日)
 一大天体ショーの観測…
 今朝は、正に「五月晴れ」というに相応しい気持ちのよい陽光が窓を通して差し込むスタートであった。7時頃から寝床から出ずに、新聞に目を通した。一面の見出しから順次目で追い、興味関心を引いた記事があれば深読みするという手順である。必ず目を通す一面下にある「卓上四季」に、小生としては関心のある内容が記されていた。それは、明日繰り広げられる「金環日食」を内容とするものであったが、小生の興味を引いたのは、1948年(昭和23年)5月9日礼文島で、日本で唯一「金環日食」が観測された…という記載部分であった。▼この記事を読んで、「そうか…、あの時の日食は、この時だったんだ…!!」と、これまで自分の中では不確かであったものが解決されたのであった。小生と日食との最初の出会いは、余市町立黒川小学校の二階の教室から見た「部分日食」が最初であった。しかし、それが何年生の時であったのか、はっきりとした記憶がなかったのである。自分としては5年生くらいの時では…と思っていたのだが、昭和23年ということは、小学2年生の時だったことになる。今では当時の場所には黒川小学校はないが、木造の校舎二階の教室の窓側に並んで、ローソクの煤で黒くしたガラス破片を通して、太陽が欠けていく様を見たことが鮮明に記憶されているのだある。小生、特別「天体ショー」に興味があるわけではないが、「日食」「月食」という言葉を聞くと、この小学校での「部分日食」の観測の出来事が本当に懐かしく思い出される。▼今回の「金環日食」については、一大天体ショーとして様々なメディアを通じて、観測のルートやベストスポット、更には観測の仕方に至るまで詳細に報道されている。しかし、鼻の頭を煤で黒くしながら見た64年前の観測も、多くの情報下での現代の観測も、壮大なショーに対するワクワク感は変わらないであろう。明日、7時から8時くらいまでの一時間…。本州の金環日食観測ルート地域の天気が気掛かりだが、何とか素晴らしい感動を多くの人が得られることを期待したい。北海道の我々は、「部分日食」を通して一大ショーの感動を共有したいと思う次第である。
2012年5月17日(木)
 次回は、「特番ランチ会」…
 7日に、現在、航海訓練所のタービン船「大成丸」に乗務している息子が、室蘭港に11日まで仮停泊するのを機に、旭川に帰省した。10日の19時の電車で室蘭に戻って行ったが、11日の午後に出港後、太平洋を南下してに次の寄港地・名古屋に向かっている。慌ただしい4日間の帰省であったが、仕事からのストレス解消の一助にはなったかな…と思ったりしている。自分の子供は、いつまで経っても幼かった頃の印象が強くて、成長した現在の姿が薄れてしまうことが多い。親からすれば、親に頼りきりで可愛さいっぱいだった我が子の過去の日々が、忘れられず、いつまでも記憶に留めてきたいとの思いの表れであるかもしれないが…。小生の息子も、気が付いてみれば今年は48歳になる。昭和31年(1956年)の石川達三の小説「四十八歳の抵抗」という作品があったのを思い出す。小生の48歳時は・・・と思い起こしてみると、丁度、東明中学校に勤務していた時代に当てはまる。昭和から平成に時代も大きく変化する頃でもあった。また、教師としても大きな転換期であったことを、振り返ってみると思わずにはいられない。そんな年齢に息子がなっているのを、何故か不思議な思いで受け止めている自分を見出すこの頃でもある。▼9日、風呂好きの息子を伴って、上富良野の十勝岳麓の「カミホロ荘」に出向いた。東明中学校時代にお世話になった仲間四人で、月一回の割合で行っているが、前々回の時に、たまには場所を移してやり前回の「ランチ会」でのデジカメ…たいね…との話が出て、教え子がいる「カミホロ荘」でやろうか…ということになっていた。しかし、日程の調整が未だできていない時であった。そこで、ついでと言っては申し訳ないが、教え子に頼んで日程を詰めてこようとも思ったのであった。ところが、教え子はいなくて、その理由が怪我をして平日は自宅のある札幌でリハビリをし、土・日にならないと出勤しない…とカウンターの女性から聞かされた。止む無く、教え子へのメモを託して帰って来たのであった。▼台風一過のように束の間の休日を過ごして息子が職場に戻ってから一週間…。先月27日の花彩都での「ランチ会」で確認した各人の都合の悪い日を除いて、5月30日〜31日にかけて計画すべく仲間に連絡をしてOKの返事を受けたのをもとに、教え子へ携帯を入れた。細かいことは教え子に任せて、次回の「ランチ会」は、一泊による十勝岳の麓「カミホロ荘」の温泉に浸かりながら、標高千メートル余からの眺望を楽しみながらの集いとなる予定である。
2012年5月7日(月)
 咲き初める桜と共に・・・
 青空の下で泳ぐ鯉幟の「こどもの日」も過ぎ、「八十八夜」「立夏」へと時節は移り、周囲は新緑の樹木と、色鮮やかな花々に彩られる、心が浮き立つ時節を迎えている。▼2日に「開花」「満開」の同時宣言がなされた旭川の桜は、順調に花を開き、冬の寒さや雪から解放された人たちの心を和ませてくれている。そんな中で、昨日のニュースは、本州での竜巻発生による被害や犠牲者が報じられていた。狭い国土・日本の中でさえ、地域が違えば大きな変化を示す自然の営みを思うにつけ、世界や地球規模で捉えた時の計り知れない変化の大きさを思わずにはいられない。▼周囲が夏に向けて一気に加速する日々の中、小生には、己の年をも感じさせる悲しく切ない出来事があった。去る5月1日、隣人であり、先輩であり、元同僚であった人が急死したからである。小生が風連での新卒5年間を経て転勤した神楽中学校で出会い、教員住宅や教員アパートを通しての家族の付き合い、そして、抽選で当たった農協斡旋の土地が現在の隣同士という40数年にわたる知人であった。亡くなる一週間ほど前に、町内会の回覧板と文藝春秋(小生が毎月購読しているのを回し読みしていた)を届けたが、「ピンポーン」の玄関ホーンで出てきた時に手渡しながら、「…やっと過ごしやすくなってきたね…」などの言葉を交わしたばかりであったのだ。前回2日の日記「春の珍事」ではこの訃報には触れていないが、とても触れられる心境ではなかった。「タイヤ交換」も、とにかく何かで体を動かしていれば…との思いの中での作業であった。▼葬儀は、家族だけの極々身内だけでのものとなったが、小生はカミさん・娘と共に特別に参列させてもらった。10名余の葬送であったが、色鮮やかな花々に彩られた、亡き人への思いがいっぱいの別れであった。

亡き隣人・先輩に送った一首
● 四十年余(よとせよ)の知己 旅立てり  花雲る 桜咲き()めし 五月初日(はつひ)

戒名「釈智勇」を入れた折句一首
● 
恵と気 与え続けよ冥途から   憂き現世(うつしよ)に幸多かれと
2012年5月2日(水)
 春の珍事・・・
 今日、旭川でも桜の「開花宣言」が発表された。更に、その後「満開」の発表がされるという全国で最初の記録として記されることになった。寒さで全国区の旭川だが、同じ日に開花と満開が発表されるという珍事?で、気象分野で名を残すことになったようだ。ただ、自分の気持ちとしては、このような状況は好ましいこととしては受け止められなかった。大事な何かを端折っているように思うからである。標準木に5〜6輪の花が開いた「開花宣言」から「満開」に至るまでの時間の中で、我々は様々な思いを抱きながら、はかない美しさを愛でてきたのだと思う。冬の象徴である雪から解き放たれて、春の象徴でもある桜に接する北国に住む者にとっては、短期間でも「今日は何分咲き…、そろそろ満開…」などと言いながら過ごし、眺める「花見」を楽しみたいものだ・・・と、今回の珍しい出来事に驚くと同時に強く感じたことであった。▼昨日、小生も車の「タイヤ交換」をした。お陰で今日は、体のあちこちが痛い。何とも情けない話ではあるが…。ただ、交換にかかった時間は、これまでと同じように30〜40分余とまずまず満足できるものであった。
2012年5月1日(火)
 「桜前線、道内に上陸」・・・
 今日から五月…。とても良い天気で、「五月晴れ」の表現に相応しい五月の幕開けであった。昨日は、全道的にも好天に恵まれ、札幌では25度の夏日で、この時期としては記録的な「暑さ」であったと報じられていた。小生の部屋から見える通りの「交通安全の幟」や向かいの家のナナカマドの樹は風に靡いているが、今日は旭川も暑い一日になるのでは…との予感のする一日のスタートであった。▼が、その後次第に空は曇気味となり、正午過ぎには陽射しも見られない薄曇り状態…。こういう状態のことを「花曇り」というのだ…と思った。13時過ぎ、カミさんを送って「点字図書館」まで行ったが、途中の上川神社周辺の樹木のピンク色が一段と強くなっているのが感じられた。そして、目を通した今日の夕刊・・・。「桜前線、道内に上陸…」との見出しが一面を飾っていた。道南・松前で開花宣言がされたとのことだが、旭川もゴールデンウィーク開けには、開花のニュースが飛び交うに違いない。今日回ってきた町内会の「回覧板」には、13日に「花見」が予定されている旨の文書が綴ってあった。
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