2022年01月26日(水)
 退院を迎えて…

前回のHP更新から三週間余が経過してしまった。昨年の126日に日赤に入院し、13日に手術を実施し24日の午前中までリハビリを兼ての入院を続けていた。そして、24日の午後からリハビリ中心の病院として日赤から勤医協一条病院への転院をして、新しいとを迎えた121日の午前に無事、退院をすることができた。丑年から寅年へと年を越しての一か月半余に及ぶ、二つの病院での入院生活であった。▼ここまで記すと、どうしてそんなことになったのか?と、原因を知りたくなるものである。当初は隣に住む神楽中学校勤務時代の先輩(今は亡くなられたが)の奥さん、そして小生の兄妹たちだけにしか伝えていなかった状況を、恥ずかしながら次に記したいと思う。▼我が家と隣の家の境目に当たる所には、家を建てた直後、亡き母が住んでいた夕張から松の木の苗木をもらってきて植えてあった。それが、三十年余もたった最近では隣家の二階の屋根よりも高く成長し、風が強い折などには枝が隣家の壁面を擦る程になってきていた。そこで、自分なりに倒木の計画を立てて、126日の午前10時位から作業を開始した。知人宅から小型のチエンソーを借りてきて、三脚梯子を伸ばして松の枝を利用して固定させ、梯子の上端の少し上の部分に切り目を入れて引き倒すことにした。また、倒木が一定の方向に倒れるようにロープを張り、倒すときには梯子を下りて、我が家と隣家の中間に倒れるようロープを引くことにした。最初の一本は、計画通りに障害物等のない方向に思い通りに倒すことができた。そして、二本目…。一本目と同じやり方で切れ目を入れていったが、一本目よりは太めの松であった。そのため、切れ目を入れながら「もう少し、もう少し…」と進めているうちに降りるタイミングが一瞬遅れ、梯子を降りる前に倒れてしまったのである。予定していた方向に木は倒れたが、その反動で、木に立て掛けていた梯子が弾き返され、枝を摑む間もなく地面に落下してしまった。ただ、瞬間的に頭からの落下を避け、前のめりになりながら左手を地面に着く状態で叩き付けられていた。落ちた瞬間は、痛みよりもボーッとしていたが、直ぐに状況が把握できたので、家にいたカミさんの手を借りて地面を這うようにして家の中に入り、ソファーの上で痛みに堪えていた。しかし、痛みは治まるどころか強まる一方なので、近くの整形外科医院にハイヤーで出向き診てもらうと、緊急搬送の手配をしてくれ、救急車で日赤病院へ運ばれることとなったのであった。結果、入院(126)~手術(1213)~リハビリ(1224日午前)~勤医協一条病院へリハビリ転院(1224日午後)~退院(121)という年末から年を挟んでの、一連の入院生活を送ることとなったのであった。▼以上が、多くの人にご心配やご迷惑を掛けた、年甲斐もない小生の行状記であるが、昨日(25)、退院した勤医協の担当医からの書状を届け方々、日赤で手術をしてもらった担当医への挨拶・報告を兼ねての再診予約をしていたので、午前10時の予約時間に合わせてカミさんと日赤へ向かった。担当医の再診を受ける前に、レントゲン室で診療対象であった胸部・腰椎・左手人差し指のレントゲン撮影を行い、10時半過ぎからの再診に臨んだ。結果は、レントゲンの結果に問題になることはなく、無理なく日常の生活に慣れるように…との言葉をいただき、222日に再度の再診予約をして帰宅することができた。▼入院期間中に感じたのは、これまでの日常生活が如何に多くの人たちの支えによって成り立っていたのか!!・・・ということであった。入院期間中に出会った人や物や出来事から考えさせられたこと、そんな中で振り返ることができた過去の出来事や、残り少なくなった未来のこと・・・。ベッドの中で、食事やリハビリを通して感じたことなどを、残り少ない人生で「牛歩の如く」実践できたら・・・との思いを深くしている、退院して間もない小生である。