2022年3月31日(木)
 入院記、八十一首で完了…
 昨日の雨模様の天気が嘘のように、今日は朝から雲は見られるものの、青空が広がる好天で、気持ちの良い弥生・三月の晦日となった。ただ、残念なのは、昨日の雑記で記した日本ハムファイターズが、初勝利を挙げることなく敗れたこと…。「今日こそは…」との思いで、期待をしているところである。▼さて、先月2月23日から掲載してきた「三十一文字の入院記」も、今日の八十一首目をもって終了となった。意識したわけではないが、メモした手帳から日付順に抜き出して並べてみた結果、小生の年齢と同数の81首となったことに、我ながら驚いているところである。記憶を辿りやすくする記録の一助として綴った結果であるが、歌に造詣の深い人から見れば「何だ、これは・・・?!」と思うのではないか、との恥ずかしさを感じながらの掲載となり、申し訳なく思う次第でもあります。 

  三十一文字(みそひともじ)」の入院記 

(78) 大寒の白み始めし空眺め 明日の退院に 思いぞ馳せる
 退院の前日、20日の早朝に目が覚めて白み始めた空を眺めながら、翌日に迫った退院や入院中の様々な出来事を思い浮かべていた。また、昨日、担当看護師から今日午前に病室を移動してもらうことになりますが…」との話を聞いていたので、その準備もしなければと頭の中での整理もしていた。「明日、退院するのに…!!」と思ったりもしたが、病院側の諸事情があるに違いない、と納得したことであった。

(79)      退院の前日移りし病室で 出会いし仲間ぞ 「藤沼爺ちゃん」
 朝食後の9時過ぎ、一日だけの棲家となる218号室へ…。ここは、これまでの部屋とは逆方向にあり、病室からは光陽中学校の方向が望まれる位置にあった。その部屋に看護師さんと共に身の回り品を運んで行ったが、病室入り口の患者名に「藤沼利男」という名前を確認して驚いた。光陽中学校から異動した新設校「東明中学校」で、「藤沼の爺ちゃん」としてお世話いただいた用務員さんの名前だったからである。一緒に勤務した仲間が東明を離れてからも、様々な苦楽を共有し合った人たちで「東明会」という集いを年に一回は開き、退職時には「お祝いの会」なども開いてきたのであった。最近は、高齢化やコロナ禍、鬼籍に入る人などもあって、集まることもなく過ごしてきていたのである。そんな「藤沼爺ちゃん」に、一日だけとは言いながら会うことができたのは「病室移動のお陰だった」と、一日だけの転室に不満顔をした自分を恥じ、病院の対応に感謝したことであった。

(80)      入院の 最後の晩餐完食せり 心安けく明日を目指さん

 午後6時過ぎ、入院での最後の晩餐も、完食で終えることができた。食事後は、カミさんと翌日の最終確認をして、就寝時間が来るまでの間を待った。心身ともに、すっきりした気持ちで翌日を迎えられることに得も言われぬ喜び嬉しさを感じたことであった。

(81)      ひと月余 我を支えし勤医協 感謝捧げて我退院せり
 8時過ぎ、勤医協一条病院での「最後の食事」を転院直後に自分に課した「完食」で締めくくることができたことは、病院に関わっている様々な人たちの「心身へのリハビリのお陰だ…」という感謝の思いを強く感じた。10時過ぎ、カミさんと娘が迎えに来てくれて一階受付での退院手続きの際、来院した「東明会」の一員である中田先生ご夫妻に出会うこととなった。昨日から今日にかけて、東明中学校で共に過ごした仲間に出会った偶然に驚きを感じると同時に、病院への「最後の感謝」を捧げたことであった。
2022年3月30日(水)
 頑張れ、ファイターズ・・・
 日差しが眩しく感じられた昨日とは異なり、今日は、正午近くから雨が降ったり止んだりの天気となった。▼さて、18日から始まった春の選抜高校野球は、今日、準決勝二試合が行われ、近江高校(滋賀)と大阪桐蔭(大阪)の二校の決勝進出が決まった。また、先週から開幕したプロ野球では日本ハム・ファイターズが、新庄新監督の下でこれまでの常識を覆すような采配での展開で四試合を消化した。昨日からの本拠地・札幌ドームでの開幕戦では、試合前のサプライズでの「空中浮遊セレモニー」登場で、またまた話題提供をしてくれたが、結果は日本ハム史上四度目の開幕四連敗となってしまった。▼かつては北海道の一ファンとして、年に何度か娘(娘は何故かソフトバンクファン)と札幌ドームに足を運んでいた小生だが、ここ5~6年は足が何故か遠のいている。そんな中でのビッグボスの登場でもあったので、「一体、どんな野球をするのか?」との興味・関心が、久し振りに頭をもたげてきているシーズンである。▼「開幕四連敗」という逆境を、今後、ビックボスがどう乗り切り、多くの野球ファンに驚きや感動、夢や希望を与えてくれるかを楽しみながらテレビ観戦をしよう…と、考えている次第である。

    三十一文字(みそひともじ)」の入院記 

(72) 転院時 新調メモ帳書き尽くし 今日より新たなメモ帳に対する
 12月24日の日赤からの転院直後にメモ帳を新調したが、18日から新たに三冊目が必要となった。ページ数にして60ぺーじ余の手帳だが、ぴっしりと書き込まれているのを見て、自己評価4.5を与えたことである。

(73)      新調のメモ帳 最初の記録文字 「朝食完食」スタート快調
 三冊目のメモ帳の初めの記録文字が「朝食完食」。転院後に意識的に続けてきた「食事完食」の文字を記すことができて、嬉しく感じたことであった。

(74)      勤医協 入院生活あと三日 晩餐楽しみ 明日に繋がん
 勤医協一条病院での入院も、あと三日に迫った。今日の夕食も楽しみ、完食を果たすことで充実した一日を終え、明日へのバトンを引き継ぐことになるのだ…と、自分を励ましながら消灯時間を…。

(75)     
真夜中の 入院ベッドで目覚めれば 夜勤看護の気配微かに

 入院期間中には何度もあったことだが、深夜過ぎにふと目覚めた時、廊下を音立てずに歩いて各病室を見回っている看護師さんたちの気配を感じたことであった。

(76)      紺碧の睦月の空よ久し振り! 我が退院を見守り給え
 19日の朝7時過ぎ、病室の窓を通して西側の空を見ると、何日振りかでの清々しい青空が広がってた。「ありがとう!」と、叫びたいような衝動にかられたことであった。

(77)      「日の出」から「日の入り」までの終日は 青空三昧 晩餐美味なり
 この日は、終日、太陽の日差しを感じながら過ごした一日で、夕食には特別なメニューはなかったものの、心身の爽快感が口にするもの全てを美味しく感じさせてくれたのであった。
2022年3月28日(月)
 いよいよ春近し・・・
 弥生・三月も、今日を入れて四日間となってしまった。東京では、桜の開花が宣言され、東京・三鷹に住む妹からはマンションから俯瞰できる桜の花(右の画像)がラインで送られてきた。旭川では桜までには程遠いが、幹線道路を中心に路面には雪も見られなくなり、「春近し・・・」を感じられる昨今ではある。最近は、小生、入院時のようにリハビリ等に励んだ、規則正しい生活に欠ける面も出始めてきているので、気を引き締めて来るべき春を全身で謳歌出来るようにしたい・・・と、考えている次第である。

  三十一文字(みそひともじ)」の入院記  

(67) 白雲の大草原に (うみ)の如 紺碧の空ぞ顔覗かせて
 病室の窓越しに見上げると、白雲が空いっぱいに広がっていた。まるで大草原を雪が一面に覆っているように…。と、その一角に亀裂ができ始めて、青空が湖のように広がっていった。

(68)      納豆で 穏やかな朝迎えたり 入院最後の月曜日かな
 この日の朝食には、納豆が出た。納豆を食べる時には、樺太から余市に引き揚げてきた小学生の折、祖母が引き揚げ者住宅の床下を利用して作っていた「納豆」を思い出す。この時も、その時のことを考えながら懐かしさと、ほろ苦さを感じながら、納豆ご飯を頬張ったのだった

(69) 薄墨の雲を突き抜け  太陽の光眩しく 北都照らせり
  空を見上げると、薄墨色の雲が空一面に広がっている。そんな中、昇り始めた太陽の光が張り詰めている雲を突き破るように北都の街・旭川を照らしていた。

(70) 病室の窓から 激しき雪眺め 除雪姿の 我を思えり
  病室の窓越しに、激しい雪が降っているのが眺められた。間もなく退院する自分が、「こんな朝には、どうしているかな・・・?」と、戸惑いながら除雪している姿を想像していたことである。

(71) 窓際で自転車ペダル踏みながら 若輩時代の光陽中ぞ偲ぶ
 午後からのリハビリの仕上げでの自転車ペダル踏み…。いつものように光陽中学校の方角を見ながら、30代の自分の姿を思い浮かべていたことであった。

2022年3月23日(水)
 みんなで、明るい春を・・・
 昨日は、「まん延防止等重点措置」が解除後の初日…。この時期は、例年は職場での歓送迎会などの人流が多くなることもあり、これまでの様々な自粛生活での取り組みを、今後の生活にどのように生かすか…が、注目されるところである。各種学校での卒業式も終わり、今日の道新では公立高校の人事異動の発表が報道されていた。続いて、小・中学校の人事の発表もあるのであろうが、4月の入学式や始業式で、児童・生徒や父母、そして教師が、明るく元気に充実感のある春を迎えることができることを願う次第である。

   「三十一文字(みそひともじ)」の入院記

(62) 退院を迎える日まで一週間 感謝の思い 忘れず過ごさん
 あと一週間…と退院の日が迫った中で、改めて、支えてくれた様々な人たちへの感謝の思いを強く感じたことである。
(63)      7-6-6(7日-6日-6日) 退院間近の三食数(朝昼夕) 引き算しながら 食ぞ楽しむ
 21日の退院では、朝食を済ませてからカミさんと娘に迎えに来てもらった。この日、退院一週間前の朝食を食べながら、ここで、これから食べる朝・昼・夕の食事の回数を思わず数えてしまった。
(64)      リハビリの 自転車ペダル踏みながら 視線の先に光陽(光陽中学校)探せり
 自転車のリハビリでは決め事のように、必ず光陽中学校の方角を見ながら8年間の様々な出来事を思い出しながら足に力を込めていた。
(65)      朝・昼・晩 三食調理に励む人の 優しさ食べて命ぞ繋げる
 完食を意識した頃からだったろうか、配膳板に食事と一緒に添えられてくるメニュー表に、調理してくれる人たちへの感謝を込めての言葉や一首を添えるのが習慣となっていた。
(66) 配膳の 食器の蓋を開けながら 笑顔の亡き母 何故か思へり

 小生にとって、食事は母の思い出に繋がる。貧しい母子家庭の生活の中でも、様々な工夫をしながら、美味しく食べさせてくれた母の姿が、幼いころにタイムスリップして蘇ってくる瞬間でもあった。
2022年3月20日(日)
 「季節の移ろい」を感じながら・・・
 今日は、三連休の中日に当たる。そして、明日は「春分の日」・「お彼岸の中日」である。▼加えて、明日は、今月7日から再延長となっていた、コロナ禍での「まんえん防止等重点措置」の最終日となる日でもある。連休明けの22日から、どんな新たな時が刻まれていくのか、全国の感染者数や病床数の逼迫度などに注目したい。そして、沈静化を願う中で、安らかな気持ちで日本人が愛でてきた「季節の移ろい」を、心行くまで実感したい…と願う次第である。

  「三十一文字(みそひともじ)」の入院記

(56)術後経過 医師より説明受ける朝 緊張・喜び相半ばせり
 「4日に実施した転院後のレントゲン撮影の結果説明をする・・・」旨のメモを、担当の看護師から渡されていた11日の朝を迎えた。結果は、リハビリも良好なので来週に退院を・・・との嬉しい言葉をいただいた。そして、昼食後に看護師から208号~207号室への移動を伝えられた。

(57)病室を移動し初の夕食は 心嬉しき 美味なる晩餐
 慌ただしい部屋の移動であったが、退院の目途が立ったこともあり、夕食は特別なメニューではなかったが、食べるもの全てが美味しく胃袋に落ちていくように感じられた。

(58)退院に向け ゴーサインの翌朝は 激しき雪にも心穏やか
 12日は朝から激しく雪が降るスタートとなったが、昨日、担当医から聞いた退院勧告? もあって、「退院後の除雪の取り組みをどうするか・・・」などと、まだ退院もしていないのに、従来の日常に気持ちが向けられていた。

(59)昼食は オカズご飯の上に載せ 「海鮮丼」にして食したり
 この日の昼食には、魚貝類を主にした食材も出た。無意識のうちに、それを御飯の上に載せ、「海鮮丼」にして食べた。もちろん美味しくはあったが、何故か頬が緩んで苦笑いを浮かべている自分自身に気付いたことであった。

(60)ベッドから我が家の方角・神楽岡 眺める景色 薄墨の中
 13日も、前日同様に雪で、早朝6時過ぎには除雪作業に当たるブルドーザーが病室から俯瞰の駐車場を動き回っていた。やがて7時近くになると、我が家のある神楽岡方面が、薄らと明るくなってきたのだった。

(61)()わりなき ()しきコロナ禍抜け()さん ()()()日に()待し
 新卒・風連中学校で出会った教え子、野球部員でもあった「おくだまさあき」君の誕生祝「折句」を、再会できる日が一日も早く来ることを願いながら、フェイスブックを通じて贈らせてもらった。
2022年3月17日(木)
 また「苦しみ」が・・・
 11日の「東日本大震災追悼式」から五日後の昨日、午後11時36分頃、福島県沖を震源地とするマグネチュード7.4と推定される地震が起こった。今日の北海道新聞夕刊には「深夜の揺れ、またか」との見出しの記事が載っていたが、11年前と同じような体験を強いられることになった人たちのことを考えると、言葉を失ってしまう感じである。気象庁による津波注意報は5時間後に解除はされたものの、今後当分は再発への危惧を抱きながら過ごさねばならないのだと思う。被害に遭われた人たちをお悔やみしながらも、今後の地震情報等に注目していきたい…と考える次第である。

   三十一文字(みそひともじ)」の入院記

(49)目覚めれば 寅年・睦月も二週目へ 「一年の計」を胸に進まん
 新年も二週目に入った8日早朝、目覚めたベッド上で2日の誕生日に詠んだ一首を目指すためにも、リハビリの成果を上げて早く退院できるよう頑張ろう…と、思ったことであった。

(50) リハビリの窓越しに舞う牡丹雪 微風に揺れて 蝶の如くに
 午前のリハビリの最後は、この日も自転車漕ぎ…。窓越しに大粒の雪が舞う様子を眺めることができた。

(51)「今日も終わりか…!?」 同室の人呟きて向かうトイレに 我が姿重ねる
 夕食が終わって9時の消灯時間が近づいた頃、トイレに向かう同室の患者の呟きが聞こえてきた。その呟きを、自分ごとのように感じた小生に気付かされたことであった。

(52) 朝光を浴びて背伸びのルーティーン 食事の前も心身(からだ)満たせり
  前日の〆は、少々ネガティブな終わり方だったので、この日の朝は、いつもより気合を入れて大きな背伸びをして、一日のスタートをすべく心掛けた。

(53)
大人への階段 節目の「ハッピーマンデー」 前を見据えて歩み進めや
 今日10日は、第二月曜「成人の日」・・・。しっかりと前を見ながら自らの人生を切り拓いてほしい…との願いを込めた。

(54)()が人生 辿()り偲()ば教え子を 凌ぎて(まさ)る (たか)物なし
 新卒で赴任した風連中学校での教え子「わたべまさたか」君の誕生日・・・。彼の名前入りの「折句」を通して、38年間の教職人生への思いの一端をを詠わせてもらった。

(55)昼食は ハッピーマンデー(祝成人の日)の「ちらし寿司」八十爺さんお相伴に(あずか)
 この日の昼食には、小生にとっては亡き母への思いにつながる「ちらし寿司」・・・・。八十歳の爺さんだが、「成人の日」に相乗りさせてもらって、美味しくいただきました。
2022年3月15日(火)
 無上の喜び・・・
 13日(日)、文化会館でのコンサートに行ってきた。教え子の豊嶋祐壹君が永嶺高校吹奏楽部の定期演奏会で、スペシャルステージ出演をするというので、久し振りに多くの人たちに交じっての音楽鑑賞となった。12日には道新の旭川版でも紹介されていたこともあり、コロナ禍という状況の中にあっても、多くの人たちを楽しませてくれていた。小生も、そんな中の一人ではあったが、沢山の人たちや奏でられる演奏に囲まれた我が身が、別世界にいるような不思議な感覚であった。▼ステージ上の豊嶋君に加えて、もう一つ嬉しかったことは、同じステージで豊嶋君の一回り上の教え子の素晴らしい姿に接することができたことである。スペシャルステージは、旭川ライオンズクラブとの特別共催であったが、その教え子が会長としてステージ上で挨拶したからである。会長に就任した・・・との話は聞いてはいたが、大ホールの最後部に座っていた小生にも、端的ではリハビリルームから眺めた光陽中学校方面あったが、要点をしっかりと抑えてユーモアをも盛り込んだ堂々たる話しぶりは、会長としての器の確かさを実感させてもらうに十分過ぎるものがあった。▼二か月前に、勤医協一条病院のリハビリルームの窓越しに、建物は変わってしまったが、八年間勤務した光陽中学校での思い出に浸っていた小生…。その時の思い出の中に、何度も登場した教え子の二人が、同じステージ上で、それぞれの持ち味を多くの人たちの前で発揮してくれたことに、無上の喜びを感じさせてもらった次第であった。    リ                リハビリルームから眺めた光陽中学校方面

      「三十一文字(みそひともじ)」の入院記

(43) 刻々と 朝焼けの雲広がりて 一月六日の一日ぞ始まる
  1月6日の早朝6時過ぎ、目覚めてから日の出が見たい…と思い、東側に位置する廊下の端まで出掛けて行った。日の出が見れたのは、結局は30分ほど経った7時過ぎであった。

(44)   病室のベッドで賀状眺めつつ 書き手の幸ぞ切に願える
  昼食後、ベッドの上でカミさんが持ってきてくれてあった年賀状を改めて見直してみた。賀状を出せなかった無念さを感じながらも、例年にも増して、相手のことを考え「幸多かれ」との思いを強く願ったことであった。

(45) 陽を浴びて 院外歩行・リハビリの 
   直後に湯船に浸る幸せ 
 
  午後1時半過ぎからのリハビリは、最後のメニューに、過日、
大感激だった院外歩行が組み込まれていた。加えて、直後に「入浴」の時間があり、「超気持ち良い!!」至福の時間を過ごさせてもらった。

(46)一年の「無病息災」祈る今日 
   我も祈らん 思いを込めて   

  「七草」は、「無病息災」を祈って食する行事。小生も、今年は思いを込めて「由来」を確かめたことであった。

(47)      「セリ、ナズナ…」 
昔我が子と唱え合い 食べた「お粥」ぞ今も懐かし   
「春の七草」を迎えた7日…。子供たちが幼かったころ、家族四人で声を揃えて「七草」を唱えながら、食卓を囲んだのが懐かしく思い出されたことであった。

(48)      病室の 窓より射し込む陽光に 無病息災 祈り手合わす
  午後4時、病室からは我が家のある西方の山の端に、日が沈もうとしている。家族の「無病息災」「健康長寿」を祈りながらそっと手を合わせていた。
2022年3月11日(金)
 命の喜びを・・・
 昨日11日は、「東日本大震災」から11年目を迎えた日であった。地震発生の午後2時46分には、各被災地から追悼式での黙とうの映像が流されていた。「十年一昔」という言葉があるが、11年前の未曽有の大災害を「昔語り」とするのではなく、後世に伝える努力を惜しまない多くの人たちがいることを改めて知ることができた。当時、小生はテレビでの国会中継を見ていたが、突然、緊急地震情報の警報音が鳴り、画面が東北太平洋岸各地に設置されているカメラの画像に変わった。その後は、まるで地獄絵のような世界を見せられることとなったのを記憶している。▼11年前の震災直後(6日後)の本雑記には、次のように記されている。明日で一週間を迎える時間経過の中で、当初は未曾有の「天災」に如何にして対処するかが問題とされたが、今後は人災を如何に防ぐかが問われる時間帯に入ってきたようにも思う。今日のテレビでは、三重苦から辛うじて逃れて避難所に入ったにも拘らず亡くなる人が出始めている。ライフライン寸断で食料・衣料、暖房、そして医療等に関わる供給面での問題だが、今後は政府や関係行政機関の対応の遅れや誤りが「人災」として問題視されることにもなりかねない。九死に一生を得た被災地の人たちが、「命の喜び」を心から実感できる対応を、祈るような思いで願っている次第である。▼一昨年から、我々人類は「コロナ禍」という未曽有の疫病との「戦い」を繰り広げ、生命の危険に晒されている。加えて、年が改まってからはロシアによるウクライナ侵略が他国をも巻き込んでの戦争へと拡大するかもしれない・・・との二重の大災害を抱え込むこととなってしまっている。幼かったとはいえ、「引き揚げ者」として戦争の一端を、空襲や逃避行で体験した小生としては、テレビ画面を通しての空爆や戦闘による犠牲者の生々しい画面に接する折には、七十年余前にフラッシュバックしてしまう自分を抑えることができない昨今である。

  「三十一文字(みそひともじ)」の入院記

(38) 三が日明けて寅年 日常の暮らしに向けて 歩を踏み出せり

 新年の三が日も過ぎ今日は4日・・・。正月気分から抜け出し日常の生活に・・・との思いはあっても、身体が言うことを聞いてくれない。せめて、頭の中でだけでも整理しなければと・・・
(39)      昼食後 リハビリメニューに追加して 
        屋外歩行のプレゼントあり

 昼食後の午後のリハビリに、ピンチヒッターで来てくれた女性の介護師が、序盤のメニューが終わった後、外歩きの訓練もメニューにあるので、天気が良いので外に出てみましょう…と、言ってくれた。転院後、10日振りに外気を味わえるプレゼントに、大いに感激したことであった。
(40) 朝六時 廊下点灯 
  院内にテーマ曲流れ    さぁースタートだ!!

 5日の朝6時、「朝ですよ、さあ、今日も元気にリハビル頑張りましょう…!!」というように、廊下の電気が点灯し、テーマ曲が流される。最初は「何で・・・!?」と不思議に思ったりしたが、日が経つにつれ一日の始まりとして大切な「けじめ」と考えるようになった。
(41)      午後からは 期待度高いレントゲン 
           術後経過に  光明あるやと

 5日午後、日赤からの転院後のリハビリの経過を確認するためのレントゲン撮影があった。いい結果が確認されるか、何故か落ち着かない午後であった。
(42)      術後経過 知るため撮影・レントゲン 吉報期待し今夜も完食

 腰・指・胸の順にレントゲン撮影をして、15時頃に病室へ。どんな結果が出るのか心配であったが、いい話を医師から聞けることに期待をして、夕食での完食を更新したのであった。

2022年3月8日(火)
 弥生・3月も二週目に・・・
 本道のコロナの「まんえん防止措置」延長が、昨日から21日まで実施されることになった。一時のような感染拡大の勢いはなくなったとはいえ、依然として高止まりの状況は続いており、人的物的のいずれにおいても医療の逼迫状態は改善されていないようでもある。この息苦しさから、一日も早く抜け出す日が来ることを願う次第である。

    「三十一文字(みそひともじ)」の入院記


(33)「おめでとう」声交わし合いて
       「寅年」の元旦静かに時を刻めり

 新新しい年を迎えた朝、4人部屋の患者同士は、ベッドの上から、新年の挨拶を交わし合った。
(34) 傘寿坂 辿り始めて未だ二年 
            「牛歩の如く」 卒寿ぞ目指さん
   2日、誕生日の朝を迎えた。リハビリルームで「書初め」が書ける場所が設けられていたので、午前のリハビリの後に書かせてもらった一首である。
(35) 亡き母の作りし「ちらし」思い起こし
         胸詰まらせて箸ぞ運べる

   この日の昼食は、「ちらし寿司」であった。小生にとっては、[誕生日祝い」のように思われた。子供の頃、祝い事があった時等に母が作ってくれた「ちらし寿司」を思い出しながら、美味しくいただいたことであった。
(36)「寅年」も 既に三日目迎へたり 
          退院目指して快食・快便

   新年も3日目・・・。リハビリに励みながら快食・快便に努め、1日も早い退院を目指さなければ・・・と、思ったことである。
(37) 早朝の病室で聞くブルの音 
          昨夜の雪に思い巡らす

   4日の早朝3時過ぎ、窓下からブルドーザーの音が聞こえてきた。昨日から降っていた雪の始末をしているのだ。どのくらい降ったのだろう・・・?! 我が家の除雪が頭を過り、辛い時間であった。 















 患者の「書初め」作品


誕生日に書いた一首
2022年3月3日(木)
 雛人形、飾れた!! ・・・
  半世紀前 娘へ義父母のプレゼント 今は我等の「雛人形」なり 
 今日は、「雛祭り」である。昨年は、一週間前の2月25日に飾り付けをしたが、今年は小生の年甲斐もないアクシデントなどもあり、どうしようか…?と考えながら一昨日まで過ごしていたが、昨日「人形たちが可哀想だ!」との思いが、何故か突然胸にこみあげてきた。50年余前に、義父母が娘に贈ってくれて以来、娘が家を離れてからも飾り続けてきたものを、自分のせいで途切れさせてしまうことを良しとしないとの思いが、「人形が…」にすり替わったに違いない。▼ということで、午前零時までに飾り付けを完了することを目指して、午後7時過ぎから二階に収納してある必要なもの一式を居間まで下して作業開始・・・。忘れかけている作業順序を思い起こしながら、休み休み進めて、11時過ぎに無事終了することができた。そして、飾り付けた雛人形をカミさんと眺めながら、何とも言われぬ安堵感と喜びを覚えた次第であった。

     「三十一文字(みそひともじ)」の入院記

(27)「傘寿」坂 登り始めて未だ一年 「卒寿」は遥か霞の中に
 八十代を迎えて年明けには2年目を迎えるが、今回の入院などのことを考えると、目指そうとしている九十代は、実現するには遠い存在のような気持ちが、頭をもたげたりする1230日でもあった。
(28)      年越しの準備もなし・・・の我が家にも 福来るや・・・と思う寅年
 これから新年の準備に入ろう…としていた矢先の入院であった。例年は曲りなりにも行ってきた準備は何もしていない。ベッドの上で、「そんな家に福など来ないかも…?」と思うことも度々であった。
(29) 大晦日 激しく降る雪眺めつつ 丑年最後のリハビリに励む
 16時過ぎからの、今年最後のリハビリ…。自転車を漕ぎながら窓の外を眺めると、激しく雪が降っていた。
(30)      例年は テレビ視聴の「紅白」を 入院ベッドのスマホラジオで
 テレビが見れるようになってからの大晦日のNHKの紅白は、毎年欠かさず視聴してきたが、今回は、スマホのラジオ番組を通して、イヤホンで聞くこととなった。
(31)      「丑年」と「寅年」結ぶ 除夜の鐘 北都の街に静かに流れて
 紅白が終了して午前零時が近づいた頃、近くのお寺からでも除夜の鐘が聞こえてこないか…と耳を澄ましていると、どこからかはわからないが、それと思しき鐘の音が聞こえてきたのであった。
(32)      丑から寅へ バトンを繋ぐ「干支リレー」 

                  「コロナリレー」の無き年ぞ目指さん
 2021年最後の「一首」…。世界中の人たちが思い願ったコロナ禍からの脱却であったが、3月を迎えた現在もオミクロンの変異株などの対策に追われている。一日も早い収束により、平穏な日常を取り戻すことを願うばかりである。

2022年3月1日(火)
 弥生三月のスタート・・・
 今日から、いよいよ弥生・三月を迎えている。本州からは「花便り」が届き始める時節になってきているが、我々の周りでは、綿雪が舞い散る日々が続いている。▼そんな昨日、元ホテルマンで、小生の現職時代を含め現在も世話になっている神楽中学校時代の教え子から、ラインに連絡が入った。「NHKあさイチ」で同期のSが出ているので見てください…とのこと。ところが、小生がラインを見たのは番組が終わってからであった。急いで、登録してある「NHKプラス」を開いて見ると、イラストレーターの同期・S(妻は、漫画家の赤星たみこさん)が「更年期症状」で、一時家庭崩壊の危機に陥った実体験を番組で取り上げ、更年期を迎えている人たちへの注意喚起を促す内容のものであった。小生としては、もう更年期がどうこう・・・との歳ではないと思うので、過去を振り返って「カミさんに、こんなことしたり、言ったりことがあるかも…」と思ったりしながら、視聴させてもらった。小生としては、番組の内容よりも、2016年の「還暦を祝う同期会」以後会うこともなく、名前を思い出すにも時間が掛った「教え子」の姿や言葉に、テレビの画面越しではあるが接することができ何よりも嬉しかった。▼そして、今日、昼過ぎからTVHの番組で「潮風の診療所〜岬のドクター奮戦記〜」という番組が放映された。これは2007年にフジテレビで放映されたドラマの再放映である。内容は、昭和27年の十勝沖地震の津波で深刻な被害を受けた霧多布村に派遣された一人の医師の40年余にわたる医療人生を振り返るドラマである。そして、その俳優・水谷豊演ずる主人公の医師は、小生の父方の叔母の長男(従兄)なのである。平成に入ってからは、札幌から旭川の病院に非常勤の医師として通ってきていた。そんな折には、小生に連絡をくれて、家族を食事に誘ってくれるなど「俊一兄ちゃん」と呼んでいた頼りがいのある尊敬すべき従兄であった。2004年「霧多布人になった医者~津波の村で命守って」という書籍が北海道新聞社から発行されたが、執筆された原稿が退職後に時間講師をしていた小生の所に送られてきたのをパソコンで打ち込んで清書し、従兄に送り返して僅かばかりのお手伝いをさせてもらったのが、懐かしい思い出として残っている。そんな従兄も、2014年の3月に鬼籍に入ってしまった。▼2007年の放映時には、残念ながら録画することができなかったが、今回は、しっかりと録画することができた。 ビディオを見直しながら、小生の人生に少なからず影響を与えてもらった従兄「俊一兄ちゃん」と関わった時間の重さを噛みしめたい…と、思っている次第である。▼加えて、今日3月1日は、59回目の「結婚記念日」でした。
                                            
     「三十一文字(みそひともじ)」の入院記
          勤医協一条病院
編 (2021.12.242022.1.21)

(22) 四日間 過ごせし部屋に別れる日 朝食味わう 感謝を込めて
 転院して四日目の午後4時過ぎ、看護師長が部屋にやって来て「明日、四人部屋に移動してほしいのですが…!?」とのこと。小生としては、快くOK!! 翌28日の朝食時には、個室を四日間も独り占めさせてもらったことに感謝しながら、いつもより時間を掛けていただきました。

(23)  
雪だるま 病棟テラスに鎮座せり 患者の無事を祈るが如く

 小生が四日間お世話になった病室の窓の外は、リハビリ室から出入りできるテラスになっていた。雪が降った時には職員が除雪をしているが、部屋移動の日には除雪した後に「雪だるま」が可愛らしく座っていた。

(24)      ()去思い ()()見ぬ未来描きつつ 
         
   今日(きょう)を生きなん心()かに

 この日誕生日を迎えた、新卒の風連中学校での最初の「教え子」鎌田協資君への「折句」一首をフェイスブックで贈った。

(25)      リハビリの 難度を上げる喜びを 
               支える人ぞ傍で微笑む

 午前と午後に実施するリハビリ…。少しずつ難度は上がるがクリアできた時の嬉しさは格別である。また、それを見て若いリハビリ師が、微笑みながら見守ってくれているのを感じて、頑張ろう…とのテンションが上がってくるのであった。
(26)      (きん)張を ()きて今日(きょう)(いち)週間 
               リハビリの日(じょう) 楽しさぞ増す

 転院してきてから、勤医協一条病院での一週間が過ぎた。当初の緊張も和らぎ、ある種の余裕も感じられるようになってきた。そんな中、病院名を入れた「折句」を詠んでみた。