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1Jan’04 France

元旦。今日の23:15分発のエールフランス航空で成田へ向かう予定。ところが・・・・・パリは雪
ホテル→シャイヨー宮→エッフェル塔→ホテル近く(オペラ座界わい)の小さな路地にある小さな店で買い物(以外と安い)
→ホテル→シャルル・ド・ゴール空港

元旦のパリは,大雪で,エッフェル塔のてっぺんが見えませんでした。

1時間半ほど並んで,やっとエッフェル塔に上れました。でも,大雪なので,一番上の階には行けませんでした。
もしかしたら欠航で帰れない!???
 「旅行業者が同行しているか又は現地にいれば,こんな心配しなくて済んだのに!!」
 それは,フランスから帰る日のことでした。私達夫婦は,元旦の23時15分発のエールフランス航空機でパリ(シャルルドゴール空港)から帰る予定でした。
 その日のパリは,朝から雪でエッフェル塔のてっぺんが見えないほどしんしんと降っていました。「もし,帰る飛行機が欠航になったらどうしよう」お昼頃からちょっとそんな心配もしていました。私達は余裕を持って早めにホテルを出て16時位に空港に着きました。着くやいなや電光掲示板を見ると,9時台から16時台のフライトスケジュール迄がまだ電光掲示板に表示されていました。私は,どうして今より前の時間のフライトスケジュールがまだ表示されているのか分かりませんでした。外国は表示の仕方が違うのかな?とか色々考えましたが,分かりませんでした。そこで,自分たちのフライトまではまだ7時間もあるので,その辺をぶらぶらしていました。17時頃になっても,まだ掲示板には自分たちの飛行機が表示されるどころか,17時台までしか表示していないので,おかしいなと思い,偶然JALのスチュワーデスさん(日本人)がいたので聞いてみました。そしたら,まだ10時台の飛行機も離陸できなくているので掲示板には今より前のフライトスケジュールが表示されていることが分かりました。そして,赤い表示は「欠航便」だと言うことも分かりました。2列に表示されている右側(後の方の出発)の便は,半分以上が欠航でした。JALのスチュワーデスさんも「私達もいつ帰れるか分からないんです」と言っていました。予定は18時05分JAL405便成田行きだそうです。1時間前になってもその便すら電光掲示板には表示されません。テレビの方の掲示板をよく見ると,黄色いバックの色で赤い文字で「Wethere troubule」と表示されていました。
 私は,不安が的中したと思い,焦り始めました。「もし,欠航したら自分で日本行きのチケットを取らねばならない。家にも予定通り帰れないと連絡をしなければならない。レンタルの携帯電話は遅れるという連絡をしなければならない。ホテルも自分で取らねばならない。・・・」言葉が通じない(話せない)ジレンマと孤独感がくるくると自律神経を揺さぶり始めました。う〜ららっぁ。う〜ららっぁ。
 チェックイン予定の14番ブースには,困っている日本人旅行者がたくさんいました。
例えば,
・ロンドン経由で帰るはずだったのにロンドン便が欠航なので帰れない。でも,その方には添乗員が同行しているので,チケットの手配等はすべてやってもらえる。
・他のところに行くはずだったのに,大雪で降りられなくて,無理矢理パリに降ろされたので,この後どうして良いか分からない。
・18:05JALで帰国するのだけれど,何時になるか分からない。でも,チェックインできたし「on time」って添乗員が言ってたから,早かれ遅かれ帰れるだろう。
・ある男の人には空港のスタッフが来て「色々手を尽くしましたがどれも満席で・・・」っと説明をしていました。
これだけの日本人が困っているので,不安は募る一方。
 とにかく,自分が乗る予定の飛行機は出るのかどうかを聞きにインフォメーションに行きました。実はインフォメーションに行くのは2度目なので,隣の前の人とは違うところに並びました。1度目はチケットを見せただけで,「14番ブースだよ」っと英語で教えてくれました。彼女が言ったとおりそのブースに行ったけれど,JALのチェックインしかやっていないし,JALのスチュワーデスさんに聞いてもらったら,電光掲示板に表示されたら並ぶんだと教えてくれました。まだ,18時台のフライトまでしか表示されていないので,インフォメーションに2度目ではあったが聞きに行きました。
片言の英語で「チケットを指さしながら,This flight ・・on time ?」「Yes, 14 counter. 」「Now? OK?」「Ah・・ 20:15 OK?」と言って私のチケットに20時15分に14カウンターに行けと書いてくれました。それでも飛行機が出るのかどうか不安だったので,もう一度「This flight ・・schdure OK?」と聞いた。そしたら彼女は「Yes」「よっしゃー!(これで帰れる!)」
私は,拳を突き上げてガッツポーズをしました。
 少し安心して,妻と食事をしました。その後,19時頃 14番ブースの方に言ってみると,私と同じ飛行機に乗る団体がいて,添乗員がなにやら説明していました。「もし,欠航したら,1月4日まで満席なので帰れません。ですから,その時は,23時頃になったら日本は朝の7時だから電話をして下さい。」「ありゃ〜」まだ,はっきりしないことが私には分かりました。{最悪の時は,チケットと後最低4日分のホテルを自分で(添乗員なしなので)とらなくてはいけない。始業式に間に合うのか?}また,一時解消された不安は,少し出てきました。電光掲示板にはまだ19時台のフライトまでしか出ていません。う〜ららっぁ。
 仕方なく,ベンチに座っていると,10名くらいの人が14番ブースに並んでいました。日本人も数名いました。その人達に何のフライトで並んでいるのかを聞くことにしました。
一番前に並んでいたフランスのおばあちゃん達に,英語で話しかけました。おばあちゃん達は全く私の英語が分からないようでしたので「Tokyo?」と訪ねると「ノン。・・・・」と返事が返ってきました。どうやら違う飛行機のようでした。今度は日本人2組に聞いてみました。そしたら,私達と同じ飛行機に乗ることが分かりました。ついでに飛ぶのかどうかも聞いたら「予定通りのようです」「ホテルで聞いてもらって大丈夫だと聞いたので・・」とどちらも全く心配もしないでいました。私もようやく安心して,まだ19時30分でしたがその列に並ぶことにしました。でも,まだ電光掲示板には,表示されていません。
20時をすぎたころに,チェックインが始まりました。20時30分頃やっとチェックインができ,電光掲示板にもやっと[23:45 AF278 Tokyo-Narita on time]と表示されました。
やっと肩の荷がおりて,私はホームステイでお世話になったToulouseのダニエルさんへ電話をかけました。「I can go back to Japan!」
 先ほど早く並んでいた日本人に今までのことを話すと「私達遅く来てラッキーだったわね。早く来たらとんでもない心配をするところだった」だってさ。ふぅ〜〜〜〜〜っ。
 チェックを受けて中にはいると,18時05分発のJALがまだ出発できないでいました。
日本人に聞くと22時頃の出発だそうです。
 約4時間遅れて彼らは出発していきました。私達は「on time」厳密に言えば15分だけの遅れでほぼ予定通りに出発し,日本には予定より9分早く着きました。ふぅ〜〜〜〜〜っ。めでたしめでたし。2日の夜,日本に帰ってきたら,次の日のニュースでカイロ発エジプト経由パリ行きの飛行機が行方不明・・・・・・。う〜ららっぁ。

 日本では,茶碗などを倒してお茶がこぼれた時に「あらら・・あらら・・」とか言いますけどフランスでは「う〜ららっぁ。う〜ららっぁ。」と言ってました。山本リンダのあの曲はフランス語だったのかな?なんて夫婦共々同じことを考えてしまいました。

赤い文字の所は欠航便。18時30分になっても,まだ18:55発の飛行機までしか掲示されていない。

20時を過ぎてやっと一番下に,AF278便が掲示されました。赤い文字じゃなくて良かった。

やっと帰れる!

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