月刊・私の見た中国 目次

エラー!

『下雪了!シィァ・シュエ・ラ』 
 アッ!雪だ!!
 雪 の話題です。この寒い時期に申し訳ない。
大体、雪国の人はそれでなくともこの先の長い冬を
思うと、この話題は、余り好んでしたくないし、できれば
避けたい。というか、何も態々すき好んで、と考える。
 ところが、この電脳の世界、ネット社会では、読み手が
遠くに居られても距離は関係ないので、意外に南の人が
見ていたりして、北国人間にとって雪の話題などは少々
食傷ぎみなのだが、南国の方は知りたいらしく、こちらが
北海道人と分かると、相手が雪の話題をふって来る。

 ということで、北国者には珍しくもない、 の話題です。
」は音だけが変わり、中国では「シュエ」と発音。
空中に舞う雪を、「雪花シュエ・フゥァ」という綺麗な表現も
ありますし、「雪人シュエ・レン」はこれで雪の人ですから、
雪だるまのことです。
 四文字熟語(成語)「雪上加霜シュエ・シャン・ジァ・スゥァン」
は、雪の上に更に霜が降る、と言ってますから、意味は、
雪で寒いうえに霜が降るということは、悪いことが重なる、
日本語では、「泣きっ面に蜂」と言ったところでしょう。
 「降る」は中国では、「下シャァ」と言います。
ですので「雨」も「下」ですから雨が降るは、「下雨シャァ・ユゥ」
「降ジィャン」のこの字もあるのですが、「降雪」は書き言葉
で使われ、普段は「下雪」と言ってます。
 ちなみに「降」の字は、下がる、落ちるの使い方が多く、
水位が「降下」とか、物価が「降落ジィャン・ルゥォ」のように
使われることが多いので、日本語のふる、は「下」が使われ
ます。
 中国語のお勉強終わり。

 あの広い中国ですから、雪の降る地方は勿論あります。
また、内陸性気候の影響もあって、冬の寒さは相当のところが
あります。中国の人も、北海道と聞くと、寒いでしょう、と言うが
私の住む北海道南部よりはずっとずっと冷え込む地方が多数
あります。中国東北地方のロシア国境などは想像を絶する
寒さですし、北京もあれでなかなか、冬の旅では私の住む
函館より寒いかな、と思う日があります。
 南の方は意外に思われるかも知れませんが、寒いところ
存外雪は少ないものでして、雪がのしのしと降る日本の日本海
側にように豪雪の地方は、雪の降らない、内陸部のように
冷え込まないものなのです。
 ですので、雪の降る地方は、雪の降らない地方よりは暖かい、
という可笑しな結論が導き出せますが、分かりますかね。
 水分の多いシンシンと雪が降る夜は、外に居ても案外暖かい、
のでして、雪が降らない冷え込んだ内陸部のピイ〜ンと張
つめた空気は、吸う息で、鼻の頭も真っ赤になり、肺にまで
やってくるその冷たい空気は、痛いくらいです。
 ですから、雪が降る = 一概に寒いとは言えません。

 それから、一口に「」と言いますが、その水分とその日
温度で実に様々で、南の方は画像や写真でご覧になっている
分にはただ白いだけで皆同じでしょうが、これが全く違います。
 中国は、元来が降雪量が多くない地方の冬の雪は、その
低い低い気温とあいまって、私の知ってる中国の雪の多く
水部の少ないサラサラの雪で、握っても手の中で固まらず、
雪だまになれず、パラパラと手から零れ落ちるそんな雪が
多いように思います。
 寒いとそんな雪質の雪が多いく、もともと降水量自体も多
ないので、その量自体もそんなに多くありません。
 山あいの日本なら豪雪地帯にでもなりそうな地形のところ
ですら、日本のような大雪を見ることはまずありません。

 冬の旅行で、わざわざその時期に中国の北へ旅する酔
さは持ち合わせてませんので、偶々私が遭った雪の日の情景
は一部でしょうが、そう大きくはずれてもいないと思います。

 中国東北部・大連という町を例にとると、
この時期、夕方から冷え込みが厳しくなり、夜には又は明け方
には雪が降り出します、ですがその雪は細かくさらさらの風
吹けば、何処かへ皆吹き飛んで行ってしまいそうな、地面
ふゎっと、白い綿をひき詰めたかのようなサラサラの雪です。
まもなく回り一面が真っ白な銀世界とその姿とを変えます。
  そうすると、街を歩く人たちは一様に、さも驚いたように、

下雪了!快回去口巴!雪だ!早く帰りましょ!

 てな、ことを言って蜘蛛の子を散らしたように帰り道を急ぐ。

 次の日の朝。降った雪はその量はそれほどでもなく、
あれはどういう連絡形態になっているのか、町内会をあげ
といった感じで、家々から人が出て、路にあるサラサラの雪
を竹箒で、サァ〜サァ〜と掃く、路面に固まりもしない粉の
様な雪はまるで、春の埃と同じように舞い上がり、道端に
掻き集められる。
 多分、スコップなどは持っていないと思うし、もし有ったとして
もそれは土は掘る物であって、除雪に使うものではないはず。
 北海道には、一度の除雪できるように、スノーダンプとい
スコップの幅を数倍にしたものがあるのだが、知らないだろう。
 見せてあげたいものだ。

  大体はこうした一晩に降る雪は、次の日の朝、箒でサッサッ
と掃けば片付く様な雪が、毎日は降らないし、路肩に寄せれた
雪は、寒さだけは寒いので、なかなか融けもせず、いつまでも
そのままになっている。
 ですから、私が思うには寒さの割には、雪への備えは不十分
で、除雪の道具もなければ、最近怖いのは車社会になったので
雪の日の車の運転は怖い。これは怖い、怖いのを通り越し
旅行中に雪の日に移動しなくてはならない時など、タクシー
駅や飛行場へ向かうその時の怖さと言ったら、命が縮まる。
  そんな思いまでして、冬の旅に行かなければいいのに、
このあと、私はまたこの年末・年始にかけて中国へ。
 できるだけ南の方をウロウロしてようとは思うが、なんせ
いつも予定がない旅なので、はてさて今回もどうなりますやら。

エラー!

『乗坐和諧号チェン・ズォ・フゥ・シェ・ハォ』
 中国版・新幹線の乗り心地
  2011年、元旦を中国・杭州で迎えました。
杭州・西湖の付近には沢山の若者が、出ていて
湖畔で、カウントダウンをしているようでした。
  2011年1月1日、元旦はたまたま土曜でしたので、
今年(11年)は、3日が代替休暇となり、中国は、
3連休となりました。
 天候にも恵まれ、中国各地からの旅行者も含めて、
大変な人出です。ご存知でしょうが中国の過年グォ・ニェン
’年越し)お正月はまだ旧暦で祝う方に重点があります
ので、元旦の「ハッピー・ニューイヤー」は、若者を中心に
以前より多少お祝いの気分も出てきたものの、まだまだ
春節ツゥン・ジェ(旧正月)のそれには遠く及びません。

 帰国便の上海へ向かう前にわざわざ杭州に立ち寄った
のは、何年かぶりで見る西湖もさることながら、上海までの
新幹線に乗るためでもありました。

 そうまでして、「新幹線」に乗るからには相当の鉄道ファン
と思われそうですが、全くそうではなくて、私は自分の旅で
移動が必要な場合、飛行機と鉄道の選択肢があったなら
必ず鉄道での移動を選びます。更に、出来ればその移動
夜行列車に乗って移動し、朝か午前中に目的地に着くとい
のが、これが私の最善の移動方法です。
 何故なら、私のように全くの個人手配の旅行の形態です
次の目的地は大概全く知らない初めての町ですので、出来
だけ日中に着いて、その町の様子を把握したい訳です。

 広い中国ですから、必ずしもこんなに上手くは行きませんよ。
いかないですが、まぁ理想としてはそうねんですね。
 だったらいっそ飛行機で日中に移動すれば好いようなも
ですが、“移動”もまた“旅”だ、と考えている私は、どうして
先ず先に考えるのが鉄道での“移動”です。
 実は近年は料金的にも中国の飛行機は割引チケットなど
があり、鉄道の寝台車よりは安上がりなんですが・・・。

 で、この「新幹線」での移動というのがまた中途半端ですが、
一応鉄道ですし、速いですので、日中移動も可能で私の主
にも合致してますし、それほど新し物好きではありませんが、
乗ってみました。
 以前に北京→天津、上海→南京にも乗ってますから、
初めての感動はもうなくて、鉄道の技術的なことも関心がなく、
最高速度を誇ってるようですが、それにも関心はないですが、
 今回乗ったのは、杭州→上海を走る「和諧号フゥ・シェ・ハォ」
という中国自慢の高速鉄道。
 ← これです。
 私は勝手に便利なんで、中国「新幹線」と呼んでますが、
「新幹線」は日本の呼称なので、負けず嫌いに中国ではこれを
避けているのでしょう。動力車ドン・リィ・チュゥと呼んで、一般の
在来線と区別し、切符売り場も別になってました。
 こちらの乗り心地やら、性能やらはそれこそ鉄道ファンの方が
あちこちに沢山書いておられて、情報はふんだんにありますので
そちらの方を参考にされる方がずっと為になると思います。
ですので、私はそれらを書きません。どうぞそちらをご覧下さい。

 じゃぁお前は何を書くんだ?という問題ですが、そこはそれ、
私が書きたいのは、鉄道そのものよりもそれを利用するしている
人たちですね。これがまた、以前の中国を知っている人にとっては
驚きの変化です。以前の中国を知らない人にとっては当たり前の
ことなんですが、これが是非書いておきたい。

 車票チュゥ・ピァオ、乗車券を買うのがまず、専用の端末機で
液晶部分を触れることで買えます。並ばなくていいんです。

 タッチパネル式発券機もあります。(すすんでます。)
 待合室でも、基本指定席です(一部自由席券も売ってるようで
それも先の端末で買えます)ので、待合室でも並ばなくてもいいん
です。これって凄いことなんですよ。並ばずに済むこと自体が。
 因みに、杭州駅で普通の上海行き車票を買おうと思ったら、
この日も切符売り場は排隊パィ・ドゥィ(並ぶ)が必要です。
 それも、どの窓口も半端な長さの列じゃない。
 まぁこれが普通ですがね。どの駅もこんなもんです。それでも
以前に比べれば、票ピァォ(チケット)もコンピューター管理になり
ましたので、以前よりはずっと並ぶ時間は少なくなった。
 改札口もこの車票は磁気カードですので、自分で改札口の機械
を通してそのまま入っていけます。

以前は此処からが戦場でした。我先に!の大荷物を抱え
人たちが猛烈ダッシュのスタート地点でした。
 これが速いんですよね、この人たちのどこにそんなパワーが
有ったの、というくらい凄い速さ。
 それがどうです、様変わりして、誰もが落ち着いた態度で、機械に
チケットを通し、連れ合いと歓談しながら余裕のゆったりとした態度で
月台ユェ・タィ(プラット・ホーム)へと降りて行きます。
  で、結論。
 なんだよ、出来るんだ。あんなに並ばない中国人だって、出来るんだ。
やれば出来るんだぁ〜。やらなかっただけで。
 やろうよ、ちゃんと。最初からやろうよ。

 車内の様子も誰も汚さなくなった。
  行儀好いじゃん。出来るんだぁ。

  ということで、アッという間に、シャンハイ到着。
 連れが、
 「もう着いちゃったの、速すぎないコレ!もっとゆっくりがいい!!」
と、言い出しました。
  それじゃぁ、また、意味がないでしょうが。
エラー!

『討飯的 タォ・ファン・ダ』乞食ですか
 明日、2月3日(2011年の中国年越し)が春節だ
というのに、この話題が相応しいかどうかは判らぬが
これをお読みなる人が必ずしもこの時期にお読みに
なるとは限らないので、いい事にしよう。

  乞食は、中国語でもそのままでして、このままでも
通じますが、「乞食チー・シィ」は書き言葉ですので、
話す時は、「乞丐チーガィ」のこちらを使ってます。
 日本語でも古くはこの「乞丐」の用法がありまして、
こちらは、日本語は「キッカィ」と読みますので、もともと
は同じなのでしょう。
 「乞」も「丐」もどちらも、物をこう、の意味です。
 「乞」の字も、「丐」の字も、他に余り使われることが
ありませんので、ほぼこれ専用の文字です。
 それで、その物をもらうわけですが、その対象が
食べ物であった古い時代、「食」をこうわけですから、
「乞食」となったのでありましょう。
 表題の「討飯タォ・ファン」は更に、一般的使い方に
近く、「討」は求めるの意味です。
 後ろに付いてる「的」はそういう人の意味です。
 確かに古くは、食べ物を乞う人たちでしたが、なぁに
今時そんな乞食はいません。食べ物などネダりません。、
 お金ですよ、お金。お金以外は受け付けません。
キャッシュ・オンリー、でしょ?



 中国旅行からお戻りのなられた多くの方から、
旅の印象の序に、中国での「乞食」目撃情報を聞かされ
ることがよくあります。
 お気持ちはよく分かります。意外というか似つかわしくな
というか、中国という国と、というか社会主義中国と乞食の
取り合わせに違和感がある。
 それって誰にもありますね。同感です。
 その意味で、雄大な景色よりも、歴史ある建築物よりも、
街で見た乞食が、近寄ってきた乞食が印象に残るのです。
 つい先日のこの度の旅行でも、数多く目撃しました。
どうなの、多くないですか。多すぎますよ。
 小さな子供を抱きかかえて、ただただ蹲っている母親。
髪ボウボウ、汚れた顔の小学生程の年齢の子供。
痩せこけて、元々そうなのか歩くのさえやっとの老人。
腕や足や目や、そうした障害をもつ身障者の人たち。
 どうなってるんだ、中国。
 地下鉄に乗っていて、何事かと思ったら、物乞いだった。
 駅前では、かなり粘り強い子供に尽き纏わり付かれた。

 どうしてああなんですかね、と私に尋ねるが、私だって
どうしてかは、知らない。まさかその本人に尋ねる訳にも
イカンでしょうし、とてもそんな雰囲気でもありませんし、
こちらの気分も重くのしかかるものがあって、それどころ
ではありません。
 たった一度だけその手の人と話をしたことがあります。
彼も乞食と言っていいのかなぁ。怪しかったけど。
 歩道のアスファルトにですね、自分は学生であること、
家が貧しく、かつある事情(この事情がまた長い)があって、
あと65元の工面がつかず学校を辞めなくてはならなくなる、
幾らでもいいからほどこしを、ってなことをチョークでこう
達者な字で文言もなかなか学のあるところも見せて書いてて、
本人はその傍らに、膝を抱えて蹲ってる。傍には空き缶。
 確かに大学生と思しき年頃の彼。
 私がその文をジーット少し長いこと眺めていたのには訳
ある。そのチョークで書かれた語句の幾つかと、字そのも
とが、意味が分からない、字が読めないからだった。
 彼が顔を上げた。私を見て気がありと見たのか、
何か言ってきたが、方言が酷くて私には聞き取れない。
 話すのは方言でも、書き言葉は普通話プートンファ、は
あり得るので、それはいい。
 これじゃ、訛りが酷くて会話はできない。
 そっちはそうでも私の話すのは聞き取れそうなので、途中
語句を指し、この意味は?と訊いた。何か言ったが分からず。
字なら大丈夫だろう、この字はどう読むの?と言ったら、
これも分からず、どういう字??
 と、彼がチョークをもって何か書いたが、その字はそこに
書かれている字とはまるで違ってた。ということはこれを書いた
のは彼じゃないのか・・・。じゃぁコレ誰が書いたの???
エラー!

『放鞭炮ファン・ビェン・パォ』爆竹は派手

  
  中国のお正月、年越し、過年グォ・ネェン。
それに欠かせないのが、この鞭炮ビェン・パォ。
日本では爆竹、と言われてます。もともとは確かに
竹の筒に火薬を詰めて、竹が破裂する音も相まっての
あの賑やかさであの字だとは思うのですが、それにも
益して、中国のその大晦日、除夕ツゥ・シィーの年が明ける
その時間は一斉に放たれるこの鞭炮の音で寝れません。
 寝せてくれません。
 日本のあのお寺さんの除夜の鐘の「ボォ〜ン・・・」という
余韻の音と対照的です。それはもう
 「バリバリバリ!バンバンバン!!バッキューン!!!」
と凄いのであります。凄いのを通り越してます。怖わッ。
 それで、鞭炮は、花火です。火薬です。危険です。
ですので、大概この日、この夜、鞭炮による怪我人が出ます。
  多くは、鞭炮を手に持って近くを通る女の子をホラホラ・・
と脅して楽しんでる悪がきや、手に持ったり近くに寄って、
どうよオレッて肝っ玉あるじゃん、というアホガキだったり
ですが、自分ではやらない、近くを通っただけの被害者も
犠牲になったりしますから、これは気の毒です。
 怪我人が出ますので、救急車も出動します。
 人に当れば怪我ですが、花火ですので、火です。ですの
建物の運悪く燃えそうなところに当れば、火事になります。
  火事ですから、消防車が出動します。
  ですので、この年明けカウントダウンを挟んで、12時近
なると、待ちきれない気の早いのが、「パン・パン」と打ち上げ
間隔を開けて打ち上げ始めます。でもこれはフライングです。
 いよいよ12時。5・4・3・2・1!こっからが、物凄いです
「バリバリバリ」「バンバン」「バッキュウ〜ン」#$д・・
 その後、救急車が「プポ〜、パァポォ、プゥゥ〜ン」と、
更に、消防車が、「プゥォ〜ン、パァ〜ォン」
これまた大音量で・・・市内を走り回る。寝れやしない。

 これが毎年です。危ないしょ。有名なのは08年あのオリンピック
の年には、テレビ局をこの花火でビルごと焼いちゃったんですよ。 
因みに今年も東北S都市では、ビルが火災になったりとか・・。
 火傷は、毎年相当の人がなるし、何より多いのはこの事故で
失明する人が多い。特に小さな子供の失明事故。
 なんでそんな事までして、遣りたいかねこの「バリバリ!」
こんなにまでして遣らなくていいんじゃない、と思うのですが。
 日本だってホラ、あの何とかご神木っていうんですか、アレに
跨って山を駆け下りるその為に死人が出たりしてますし、怪我人
は相当毎年出てるようですしね。
 参道の下から社までを誰が一番乗りするかで猛スピードで駆け、
これまた先を争って怪我人も毎年のように出ててもやめられない、
とまらない。人間ってそんなものなんですかね。
 一年に一度のソレにそれぞれが命さえ賭けてる。
だからこそ燃える。燃えるからこそ待ち遠しい。そんなもんですかね。
 青年の頃から、沈着冷静、燃えることない私には理解できない。

 私が理解しようがしまいが、そんなこととは関係なく、習慣
そうそう改まりませんし、そうした怪しげな習慣があってこそ、その
らしさを形作ってますので、これがないと寂しい。
 ここんところがちょいと難しくて、そうした旧態依然とした習慣を
み〜んな辞めちゃえ、と私は言っているのではありません。
 一方でこうした古くからの習慣を大切にはしたいな、とは考え
てるので、今でもセッセと年賀状は書いてる。もっとも差出
中国からで、なんかヘン!と友人からは言われてますが、これ、
私なりに習慣を大切にしてる。オセチ料理なんかはしない。何せ
我が家は二人なんで、これをやると無駄ばかり出る。ですので、
こうしたものは省略。お年玉は逃げ回ってるが、それでも最
義理は欠かさないようにはしている。風習は大切だ。
 でもこれ、個人が判断して何とかなるのと、危険性が伴わない
ことが前提だと思うんですね。
  先に挙げた中日双方のそうした危険な例は、どうなの。
少なくとも中国のその鞭炮は他人に迷惑掛けないようにして貰い
たいし、そうすべきでしょ。
 でも人間って、徐々に過激になって、鞭炮も昔のとはもう違い
ただ音が鳴るだけのものより、「ヒュ〜ン・・・」何て飛んでいくのが
人気が出て、それも益々派手になってく。分かるでしょ、その加減。

  私の危険経験。
 某年、東北地方の某市。友人の家にオヨバレ。それも大晦日。
「春節聯歓晩会」の年越し番組を一緒に見て、そこん家の娘、
燕燕イェンイェンが、「おじちゃん外へ花火を見に行こう」と誘う。
 女性からのお誘いを断っては失礼と思い、「好口阿ハォ・ア」
何て気の無い返事をしながら、外へ。
  「おじちゃんは危ないから、コレに座ってて」と燕燕が
何と言えばいいのかな、多分食用油を詰めていた缶らしきもの
が伏せてあった。少し錆びがあがっていて、それが気にはなった
ものの腰掛けるには丁度好いカンジ。気の利く娘だ。
 燕燕は始まった「ビリビリ」「バンバン」にも全く動ぜず、
キャァ^キャァー叫びならも楽しんでる。楽しめるんだ・・・・。
 まぁお母さんのお腹の中にいる時から聴いてるんだから、
慣れっこだろうな、と思いながら駆け回る彼女を見ていると、
 突然、私の尻のあたりが大音響と共に、
 「ビリビリ」「バリバリバリ★Э$ж・・・」と鳴って、
 尻が浮くくらい腰掛けている缶の中で爆竹がはぜた。
 それが爆竹だと分かったのは、ちょっとしてからで、その時は
何が何だか分からず、もう動転して、心臓が悪い人ならそのまま
あの世行き!か?冗談じゃないよ、寿命が縮まる思いがした。
  その日、どうやって帰ってきたかの記憶が曖昧。
  それくらい、ショックだった。
   今思い返しても怖い。危ないでしょ!!
と、今私が考えてるのは、アレって燕燕は最初から知ってたのかナァ
ということだ。だとすると、やっぱり女性は怖い。
エラー!

『虚擬掃墓シュゥ・ニィ・サォ・ムゥ』
バーチャルって・・・なんで?!


 この5日、4月5日を中国では「清明節チン・ミィン・ジェと」
と言って、みなで揃ってお墓参りにいきます。
 先祖を偲ぶこの日は、祝日となっております。お休みです。
今年2011年ですと、3日が日曜で、3・4・5日と三連休。
 台湾では更にこの日が建国の父、蒋介石の命日と重なっ
おります。

 それで、この国の人が揃って何かやるとですね、いつも
言ってますように、その数が数ですから大変なことになります。
 この三連休は、例えば北京だとどれくれいの人出になる
でしょうか、ちょっと怖くて聞けませんね。恐らく数百万人、
その数百万の最初の数字も一とか二ではなくて後半の数
ですよね、きっと。最低でも五とか六とか。五百万だって
ちょっとね、凄いですよこれは。
 ということで、これだけの人の数が動くとなればこれまた
当然、それに伴う大混乱が予想されます。
 以前ですと、各墓地方面へ向うバスが臨時に大増発され、
小公(シャオ・ゴン)と呼ばれる、乗り合いのワゴンカーが
普段の路線を変更して、ピストン輸送をしますが、それでも
足らず、職場の送迎用バスまでどう割り振ってるのでしょう
借り出され、バスの横腹に△△公司(ゴン・スゥ)と書かれ
バスを見かけました。輸送体制だけでも大変な騒ぎです。
 近年はこれにマイカーが加わり、一家揃っての乗り合わ
マイカーが朝早くから列をなし、大渋滞。

 で、墓地で何をするのかというと、墓参りですから、基本、
同じです。墓参りですから。掃墓(サォ・ムゥ)と言います。
墓の字は同じなんですが、掃の字は、旁の下を省略した字
となっております。手偏に、ヨの字を組み合わせた字です。
掃除の掃に墓ですから、早い話が、墓の掃除です。
 
 中国の墓は、ちょっと小さくて墓標の右肩上に多くは故人
顔写真が入ったりしてるんですが・・・。
 墓の形は、日本のように柱状ではなく、板状ですね。
お墓を清め、お花やお供え物を墓前に並べます。お供え物
日本のように食べ物ではなく、タバコやお酒といった嗜好品
多かったように思います。墓地でお坊さんが、読経を念ず
ということは無いので、各々墓前で手を合わせ祈れば終わ
です。
 紙銭(ヂィ・チェン)と言って、死者が冥土でお金に困らな
ように、という極めて中国的発想から、ニセのお金を墓前で
燃やしたりします。これもだんだん火の始末が危ないことも
あってか、墓地によっては紙銭専門焼香台が備えられてい
ところも出始めました。これってサービスなのかなぁ。

 近年、中国の人も仕事で忙しい。そりゃぁ、先祖の供養は
したいものの、何せ書いたような大変な人出だ。掃墓に、
一日かかっちゃう。こうした忙しい人たちは金持ちに多い。
 と、どうなるかというと、金で片付かないか、と考える。
 一方で金儲けの上手な中国人は、これはこの忙しい人た
を相手にビジネスが成り立つのではないかと考えた。
 かくして、掃墓(お墓参り)代行業が。
 セット料金です。一番簡単なのは、掃除して拝むAセット。
Bセットは、墓を掃除、花と供物をあげる、拝む。
Cセットは更に果物や酒を供え、献花もしそれをDVDで撮る。
いずれも実際にそれをした証拠としてデジカメ写真でその
様子を撮り、依頼者へその写真を送るというやり方です。
 あたまいいなぁ、何でも金儲けにしちゃうよね、と感心

 この時点で、墓参りを代行するなど如何なものか、
という論調の新聞記事を見たし、そう話す人もいた。
それに対して某大学教授は、
 「こんなのは宋の時代からあったようですよ、」
との意にも介さない回答は、さすが中国の歴史は凄いと
私を唸らせた。

  それが今度は更に進化して、
 虚擬(シュゥ・ニィ掃墓、バーチャル墓参りだとさ。
あんたら、ホントどんだけやりぁ気がすむのさ。
 インターネット上の墓参り。墓参りと言えるか?
 ホラッ!上の画像の人が見入ってる画面がそうです。
結構な数のサイトがあるしょうじゃないです。
いろんなサービスも充実してるそうですよ。
 故人の情報を様々打ち込んでおくと、命日はもとより、
誕生日にも知らせが来たり、虚擬のお墓には献花は無論
故人の好きだった歌などもクリックすれば聴くことができ、
遺影も定期的に交換できたりの至れり尽くせり??
 携帯電話からもアクセスできるらしい。
 某虚擬サイトには、有名人のお墓もあって、他所の人も
自由にお参りができるようで、訪れた人の数が表示する事
が出来て、その人気の度合いが分かるんだという。
 でもこれって私は嫌だな。死んで尚、人気の有りなし
を気にしていなくてはならないなんて、落ち着かない。

 こんなことをやっていそうな友人から電話が来たので
これは絶好の機会とばかり、尋ねてみた。案の定彼は。
 「利用してるよ、便利なんだ!!費用も安いし!!!
それにどんなに遠くにいてもお参りできるんだぜ!!!!
ところで今日電話したのは、オレは今中国にいないんだ
去年からカナダに来て仕事してる。だから墓参りはとても
行けなしね。・・・・」

え〜ええ〜!カナダだぁ!!何で!!
 ソッチの方が驚きダァ
エラー!

『超過装載量!』積みすぎでしょ!
 中国の町で見かける様々な光景の中で
時に驚くような光景にお目にかかることがある。
 何がどうなって、そうなってるのかが理解できず
目を疑う。危なく声に出しそうになる。
 えぇ〜!なにコレ!!ナンデェ〜!!!
 どうなってんのぉ??というヤツだ。
 経験ないですか?中国で。
 日本じゃ体験できません。他の国もあまり知らない
ので、私に限って言えば、中国で

 食事をしている店の窓越しに、道端で休んでいて、
街を歩いていて、バスに乗ってて、タクシーで、
中国はジィーと見ているだけで楽しい。飽きない。
  ある意味私にとっては、お伽の国だ。

 それらの多くは、別に中国だけにある、中国が独占
というものでも必ずしもない。元はそうなんだ。行為
そのものは、そうなんだ。
 どこの国にだってあるし、なくてはならない。
 何故ならそれは人が暮らす処ならどこにでもあって、
暮らしに欠くべからざるものだから。本来は見慣れた
風景の筈なのだ。
 勿論、日本にだってある。時代がちょいとずれてるが、
日本でも同じ光景があった筈だ。
 でもそんな普通のことが目を見張るような衝撃を
もって見られるのは、それがとっても中国的だからだ。

 つまり、日本人はそうしなよね、というようなやり方が
目を引くし、それが十分に驚かしてくれる。
 例えば、
 高速道路を走る長距離バスの乗っていて、
窓外に広がる田舎の風景を眺めるともなくぼんやりと
長いこと眺めていた。風景はいたってのどか。なごむ。
 何処までも続く茶色い土と、点在する家家と畑。
陽光の下にあるこの風景は一体いつからこうして
あるのだろう、何百年も何千年も変ってないような。
 バスは時折、颯爽とした乗用車に追い抜かれ、時に
並行して走る車があると思えば、前の車を追い抜いていく
こともある。高速道路には相応しくない、黒い排気ガスを
モクモクと吐き出して、喘ぎながら漸う漸う走るトラックを
追い抜いた。高速道路を走らない方がいいんじゃない、
と思うし、あんなスピードを高速道路で一体何処へ向おう
というのだろう??
 ここまでは、どこにでもある風景だ。ここからですよ!
 追い越した時にチラッとトラックの積荷が見えた。
ナンだ〜!!と目を疑う。
 追い越したトラックに積まれていたのは、ブタさん。
それも半端な数じゃない、荷台はブタ・ぶた・豚でいっぱい。
詰め込めるだけ積み込んだブタさんたちは、ギュウギュウ
詰め、東京のラッシュアワー時状態、ブーの根も出ないくらい。
余りにビッシリ積まれているので、最初何かピンク色の物
が積み荷となってると思って、追い抜き間際には、生肉か?
と思って、追い抜きざまに、ナマもナマ。生きてるよ!!
というのに気づき、追い抜きざま、首を捻って後ろを振り返
ながら更に見て、確認。確認してる自分の目を疑う。
 本当の今見たんはブタさんだったのか?と。
荷台から溢れんばかりのブタさんの迫力に圧倒される。
人口密度ならぬ、ブタさん密度は恐ろしい過密さだった。
予期せぬブタさん移動トラックの出現に我が目を疑う。
 カメラを向ける余裕などありようもない。でも確かに見た。
その後は目に力を入れて、再び現れないかと窓に額を
つけて凝視したまま目的地へ。そのせいで、この旅は、
到着時には予想以上に疲れてしまった。ヘトヘト。

 物を運ぶ、あちらの物をこちらへ。
運ぶ物も様々、運ぶ手段も様々。でもどの国だってやって
いるし、その運ぶことを生業としている人がいる。
 中国といえば自転車。最近でこそ、そうでもなくなって
きているが、以前は圧倒的に自転車。自転車天国。
 人が移動するのも自転車なら、物を運ぶのも自転車。
 リヤカー(両輪挽車リャン・ルントゥォ・チュゥ)が大活躍。
 驚くに当たらない。一度に運べるし、人力だから無公害、
エコですよエコ。誉めてやろうじゃないの。

 ここからですよ、驚くのは。
 一体何が故に、そんな・・そんな量を積んじゃったの?
私はその漕ぎ手にお尋ねしたい。あのですね、多分ですが
リヤカーに積載基準というのはないと思います。
リヤカー等特殊車輌運転免許書もないと思います。
リヤカー等運送監督協会なんてな機関もないと思います。
 思います。思います。
 よしんばそんなのが有ってもいいんです。
 そんなものが有ろうが無かろうが、なんで、何が故に
こんな積んじゃったんですかね?効率ですか〜?
 でも悪いですけど普段の貴方達から効率化を考えて
いるのは伺えませんけど・・・。
 違いますよね、効率ではない。見せたいわけ?誰に??
 そうぉかぁ〜、驚かせたいのか!
 それでしたら、私は最適です。もう十分に驚いてます。
その証拠にどうです、多分、今私の口は開いたまま。
 あなたを凝視しています。
 できれば、貴方にお声をかけて、伺い事などコレあり、
お話しもしてみたいのですが、その人はアッという間に
私の目の前を通り過ぎていってしまいました。
  それは、こんな人です。↓ ↓ ↓
 皆さんにも驚いてもらいましょうよ。
   驚きませんか?そうですか、ではこんなのは?
 お母さん、危ないですよ、子供乗せちゃって!!

エラー!

『光膀子グァン・バン・ズ』
 これぞ中国式クールビズ
 6月に入っても北海道はまだ寒い?日などもあり、小さい
と言われる日本ですが、沖縄の28度なんてのを見てると、
同じ日、私の住む北海道の南端、函館は19度。
 これを見ると、日本もそれなりに広いな、と思える。
 今日、6月6日の19度、という温度は、私がこの冬に中
へ旅に出て、年の瀬も押し迫ったそんな真冬、福建省廈門
と同じだ、というのに愕然としています。

 そんな北海道にだって夏はやってくる。それが遅いだけだ。
夏は遅くにやってきて、油断しているとあっという間にその
は秋へと変わり、秋もまた短く、永い永い冬がやってくる。
 そんな短い夏と、ずっと南の人たちの思う夏とでは大きな
違いがあるのだろうな、と思う。
 きっと今ごろは先にあげた中国・福建省ではもう北国の
より更に暑い日がつづいているのではなかろうか。
 この時期、6月の初めにして私には耐えきれない暑さが
く地方もあれば、まだまだ南国の冬にも等しい場所もある、
ということです。
 人は生まれ、育った場所に馴染み、その環境に順応して
暮らす。南の人と、北国人では汗腺の数に違いがあるのだ、
という話を聞いたことがある。余りに暑くなると北国の人は、
そうした身体能力そのもののが暑さに追いつかない。逆に、
南の人には北国寒さに耐えられない。

 そんな夏がやってくる。今年の夏は例年にまして大変だ。
あの東北大震災後、原発事故があり、とりわけ関東圏で電
不足が予測され、どう今年の夏を省エネで乗り切るか、の
あの手この手が今から騒がれている。
 サマータイムだ、クールビズだと、かまびすしい。
 誰も同じだが、人間、一度ラクをしちゃうとそうそう元へ
戻れない。クーラーなどなかった時代だって夏はやってきた。
 クーラーの室外機からでる熱が都会の夜を更に暑くしている
ように思えるが、そのクーラーの温度設定を取りあえず、2
上げましょうなんてなことを言ってる。
 この2度が悩ましいらしい。北海道へ来ていただければ、2度
どころか一気に10度くらいも涼しくなりますけど・・・。
 みなさん、夏は涼しい北海道へどうぞ!!

 中国は、南が暑いのは当然だが、あれで北の地方も意
に暑いのであります。緯度で北海道で同じような地域でも暑い。
それは、中国の地図を思い浮かべていただければ判りますが
海に面している地方はごく限られています。日本は逆にほ
海に面していますし、両側を海に挟まれている地域も少なく
ありません。でしょ。
 海に面していない、内陸の地では、気温が一度上がり始
るとドンドンドンと、一気に上がっていきます。
 北京なんかもそうです。かなり強烈に暑くなります。

 そんな中国で夏になるとよく見うける究極のクールビズが
これです、コレコレ!

 オジサンたちのヘソ出しルック。
 オジサンたちは何故かお腹の辺りを捲り上げて、その
魅力的に出っ張ったお腹をこれでもかぁ〜とさらけ出す。
 ランニングシャツはたくし上げられ、ほぼブラジャー状態。
何故か下着を着ていない人も多く、シャツをたくし上げれば
そのまま魅力的お腹が・・・。
 袖をこうドンドン巻き上げて方を出す人もいますね。
この「光膀子」グァン・バン・ズはもともとはその方捲り上げ
言ったのですが、そうして捲り上げて肌露出のオジサンた
を「膀爺」バン・イェと言います。
 そんな「光膀子」オジサンが夏ともなれば出現。これは別
北京に限らないと思うのですが、北京で見た印象が強いの
きっと、そこが首都だからでしょう。

 そのお腹を直接空気に晒し、更にシャツで扇いだり、フラフラと
街中を歩きます。まったく堂々としています。見ているこちら
時に目を背けたくなる。きっとあれで涼しいんでしょう。お腹
冷やすといいのかなぁ。あれはクルマでいうと水冷式エンジンと、
空冷式があるように、空冷ですかね。

 夏ともなればこれら「光膀子」オジサンたちは、ごく普通に目に
することができます。例えアナタが見たくない!と思ってもです。

 このままのスタイルでお仕事をしている人だっています。
究極のクールビズです。一人紹介しましょう。
 北京の初夏。暑いさなかの昼日中、路上でリヤカーにスイカ
を山のように積んで売っているオジサンが、こんなクールビ
スタイルでした。スイカに負けずとも劣らない、立派なお腹をし
たオジサンは、時折ピシャッ!と思いっきり自分のお腹を敲き、
時折は売り物のスイカをパシパシ敲きお仕事されてました。
 「涼しそうですね」とちょっとカラカイ気味にお腹を指差したら、
「そりゃぁ、涼しいさ、これ以上は涼しくならん、あんたもやるか?」
 と言われ、「イヤ、遠慮しておきます・・・・」と心細げに応え
私は、「グァファファ」と思いっきり笑われてしまった。
「涼しいぞぉ〜」というオジサンのお腹が思いっきり波打つほど
オジサンは笑い転げ、「人間、一度ラクすると戻れんのさぁ!」
と言ってた。名言だ。
エラー!

『裸婚ルゥォ・フン』婚姻届だけの結婚

 
 “裸婚”ルゥォ・フン
 この詞も、極新しいもので、新造語の類です。
ですので、恐らく皆さんがお持ちの、中国語辞典に
この“語”は載っていないと思います。
 先ず、その説明から始めましょう。
 上の画を見て、更にこの“裸婚”の詞ですぐにそれと
分かる方はかなりの中国通です。
 この詞自体は、ベストセラー小説が元となっております。
この小説は昨年爆発的に中国で売れました。
 これほど売れると、映像化の話が持ち上がり、
テレビドラマ化が決定、ドラマは「裸婚時代」。
 このところ中国では「××時代」と題のテレビドラマ
流行ってまして、どれもそこそこの中りを取っております。
 この「××時代」の多くは、これまた結婚を取り扱っ
ものが立て続けに放映され、それぞれに人気を博し
おります。柳の下に意外にも何匹もの泥鰌がいた、
というやつです。
 
 「××時代」と名づけてドラマがこれほどまでに社会
受け入れられるにはそれだけの要因があります。
 つまり、中国ではいまそれだけ「時代」が動いている
という証明に他なりません。
 誰もがそうした「時代」の大きな動きに不安を持ち、また
これからの「時代」はどうなるのか、どうあるべきか、
知りたいし、探し当てようとしている時だという証明です。

 さて、話を戻しましょう。これから書く話は残念ながら、
テレビドラマ「裸婚時代」の話ではありません。
 それにこれを書いてる時点ではテレビドラマは始まった
ばかりです。そちらをご覧下さい。

 “裸婚”の意味もまだ言ってませんでした。これから片付け
ましょう。こちらは、結婚式というか披露宴を含めてその後の
新婚旅行などもしない、婚姻届を担当の窓口に届けるだけ
の結婚を指しています。
 日本では各地の役所に行きその窓口で「婚姻届」を出し、
後は何もやらないそんな二人の結婚観が今話題になって
います。
 中国では、婚姻登記場がありまして、そこへ行きまして、
「結婚証ジェ・フン・ヂェン」を出して貰うんですが、この費用
は9元(一元≒13円、日本円120円だけ)。
 この対極として、最近のとみに派手になっている中国の
派手派手、見栄見栄、結婚式があるわけですね。
 結婚前から始まる二人のスィートホームやら、結婚式前に
撮る派手派手結婚写真。更に見栄張った披露宴。
それが終われば面子にかけての見栄っ張りの新婚旅行。
 それらが、どうも行き過ぎてる感は、中国の人にもあった
のでしょう。日本人から見ても中国の最近の結婚事情は
行き過ぎてると思ってました。
 当然それには相当の経済的負担が伴います。
 それって大概は親の負担になってます。とんでもない額で
して、まぁ日本でも掛かりますよ、その比じゃないですね、
賃金格差があるにしても、それでも年収の数倍というのには
驚きます。年収ですよ、年収!
 つまり、経済発展共に様々な価値観が揺らぎ始めています。
そしてそれが経済(お金)に関わってきます。
 行き過ぎたそれらは、流石にこのままで良いのか?
今中国の人は思い始めてわけです。
 これらは実は中国に限らずどの国もしてることなんです。
日本にだってそんな時はありました。行き過ぎたものは必ず
見直されます。そうあって欲しいです。
 その意味では中国も正常になりつつあるそんな時代だと
いう証明です。好いんじゃないですか“裸婚”。
 結婚の本質はそんなところにないのですし。ただ、これに
限らず、これを進めるとそれに関わる部分の経済活動に
影響がありまして、経済とはそした大して必要もないものを
売りつけることで成り立っているようなところがあるのは、
ご存知の通りですから、経済発展には”裸婚”は貢献でき
ません。
 これから“裸婚”が流行るのかどうかはわかりませんが、
とりあえず、エスカレートし続けた派手派手見栄見栄結婚
に歯止めがかかるのでしょうか。
 私なんかそっちに期待してますけど。
エラー!

可笑的恤 クーシャォダティシュ』
 笑える?ティーシャツ
  夏です。暑い夏がやってきた。暑い夏の服装といえば
ティーシャツです。世界中何処へ行っても見かけます。
 そのティーシャツ、デザインもいろいろですが、何か
画か字が書かれていますよね、ここではその“字”に
注目です。
 どうやら、どの国の人もたまには変わった、他人とは
違った、のを着たいのか、日本人は英文字を欧米の人
が漢字を胸だったり背中だったりに背負ってます。
この坊やは何が気に入ったのか“痔”
という“字”を胸を張ってます。シャレカ!“ジ”って。
 判ってないんじゃの“痔”の意味が。この他にも
胸に堂々“巨根”の文字を着たデカイ外人。大丈夫か!
“食事処”は何でそんなの選んじゃったの?と不思議。
 同様に日本人の着ているティーシャツに書かれている
英文はかなり怪しいものもあるんだろうなきっと。
 中国の人たちは流石に意味が違ったり字体が違ってる
るにせよ、互いに漢字を使用してますのこれほど酷いないと、
お思いでしょ、ですよね、漢字の意味は読み取れますしね。
 ところが、あるんですコレが。もっと悲惨なのが。笑えます。
笑ってください。なんでそうなるかの前に。
 中国語でティーシャツは、外来語をこのようにカタカナ表
で済ませれるような訳にはゆかず、かと言って上手い漢字
充ても出来ないときはこのようにアルファベットを最近では
使うようにもなって、そのままアルファベットの字で、
T恤ティ・シュと音を採ってます。
 以前は、汗衫ハン・サン、と言ってたのに。

 ティーシャツのデザインはほぼ同じですので、個性は
そのシャツにどんな模様を書き込むかにあります。
 何も描かない無地、という手もありますが、無地は無地で
何も描かないことが主張となります。多くは画やデザイン画
であったり“字”を添えます。で、今回は“字”のお話。
 技術的には昨今ますます印刷が手軽になり個人でも恐ら
シャツに印刷出来て、世界で一枚のシャツも可能です。
ですが、やはりここでは普通に売られているティーシャツで、
何でアンタはわざわざこのシャツを買ったの?という話です。

私を北京で迎えたH君はこのティーシャツで
現われた。確かに私が彼にプレゼントしたものだし、空港で
出迎えロビーでも充分目立っていた。このシャツを着て大き
私に向かっていつまでも手を振っている彼に周りは注目してた。
 これなんかはまだシャレになる。「熊出没注意」の漢字もその
意味も読み取れる。ただ、場所が場所なだけだ。
 この辺から怪しくなってくる。「ドエム」って!!
着てる本人が意味も判っていて、それでなおシャレで着てるなら
いいのだが、危ない。どうも怪しい。判ってないでしょ、きっと。

 もうお分かりでしょうが、何故にそうなるかというと、中国には
ない“字”、“カタカナ”や“平仮名”がその要因です。
 ですが、人間厄介なことに、この判らないというのが逆にいい
らしい。判らないから着てみたい。自慢できる。他人と違うモノ。
 そこで、何処で作ってるんでしょう、怪しいティーシャツが。
台湾で結構目撃できます。シャツに限らず看板なんかも。
 ストレートなやつを羅列してみますね。
 ティーシャツの背中に大きく、「さぬきうどん」とありました。
ソレが!何か!!って感じで、「しめさば」「へべれけ」があり
「いたし かゆし」ってのも二行書きでありましたが・・・。

 これらはまだ意味不明というか、何でこの語を選んじゃったの、
分類ですが、次はちょっと考えさせられる、直ぐには判らなくとも
ちょっと考えてから判明し、グッと笑いがこみ上げてくるタイプ。
 「ヒッキー・マウス」と背中にはあり、前にはミッキーマウスの画。
 「一休ポウズ」は、アニメで流行った一休さんのことでしょ。
 「いたっしゃいませ」は、お店関係か?
 「達いがわかる」はかなり考えてから、違いと達いの、違いに
気づいて、違いが判ってないじゃん、と笑えた。
 「ニッポソ」のデカイ文字に笑えた。「ソ」と「ン」の区別が出来て
ないんだ。どう考えても考えられない字もお目にかかる。
カタカナ「オ」のはねが、逆側についてる字も見たことがある。
 「なりのとととろ」はトトロにはとても見えない下手糞な絵とともに
合わせ技で笑えた。

 そんな中で私のお気に入りは、というと結構単純なやつが好き。
こちらは文言間違いは無いのですが、大阪は普通に
縦書きで読めるのに横は「京東」となってますけど・・。それとも
これ時計回りと反対に追って字を読むのかなぁ。

 私が一番ウケタのは、シャツの胸のところに「ブラウス」と書いて
たヤツ。ブラウスって・・・。
 第二位は、日本でも買えると思うんです。ですから普通?のシャツ
ですが、胸のところ  とでっかく書いてました。
 上海ですれ違った時は、何度も振り返って見てしましました。
 第三位は、「隊員」というのを背中にしょってる人見ました。
  「隊員」は一人で黙々と歩いてました。
 こちらは漢字ですので恐らく意味も知っていて着ていると思われ
 それがなんかかなりくたびれたティーシャツだったので、
 何かのイベントかなにかで使われた感が漂っていて、
 実際に「隊員」として役立ったそんなシャツだと思われ、
 何の「隊員」だったんだろう・・・と暫くその後ろ姿を追ってしまい
 ました。
  先に書いた「しめさば」もかなり突然目にしたときは衝撃的
 でしたよ。
  買ったのかなぁ、この「しめさば」ティーシャツ。
   買ったんだよなぁ、きっと。どこで売ってんだ。
    どんな人がデザインしてるんだろう。興味あるなぁ。
エラー!

『地書 ディ・スゥ』消えゆく書の芸術
 九月九日、これが旧暦であればこの日は重陽節、
チョン・ヤン・ジェと呼ぶ。中国語で九は、ジョウと発音。
更に偶数を中国語では陰数イン・スゥ、奇数を陽数
ヤン・スゥといい、陰陽イン・ヤンで分ける。
 その陽数の10までの最大数9が二つ重なる日で
重陽節となるわけだ。“ちょうよう”の節句は、古い方
(失礼)ならご存知のはず。
 この季節盛りの菊の花を観賞し、“登高ドン・ガォ”
といって厄よけの為、に山や高いところに登る日。
 因みに、旧暦九月九日は、太陽暦では今年は
十月五日。秋晴れの好い天気がつづく頃だ。

 暑かった夏を漸くやり過ごし、秋の空気を感ずる頃。
「北京的秋天ベェィ・ジン・ダ・チュゥ・ティェン」は好い
天候も続き、気持ちよい。
 日本では見かけないが、こうした気持ちよい天候の
日に中国で公園をブラブラしていると、見かけるのが
この「地書ディ・スゥ」。
 「地ディ」は地面、「書スゥ」は書道(書法スゥ・ファ)。
百聞不如一見バィ・ウェン・ブ・ル・イ・ジェン
 ホラ!見てください。書いてるでしょ。地面に直接。
 朝の公園なんかでよく目にします、冬だって見かけます。
私の感じではどうも北の地方ではよく見かけた。
南の街では余り見かけなかったのは何故でしょう。
 偏見かなぁ。上海では見てないが北京では度々見かけた
ように思える。もっと南じゃなお見なかった。
 北京のあの乾燥する空気が、地面、この場合は石だった
舗装されたアスファルトの上に、書かれた字が乾燥と共に
書く先から、ホァ〜ンと消えてゆく様がまたその景色とよく
合っていた。その消えゆく様が儚くていい。
 書き手は特別な人たちではないのでしょう。
 書道の先生たちというわけではないのでしょうが、これが
また私の見た限りでは、字が上手い。地面に書かれた字
墨よりもなお墨痕鮮やかに見えて、その字にうっとりさせら
ることしばしばで、ついつい見入ってしまう。
 多分上手いからこそ書くんでしょうが・・・。
 朝の公園が多かったように思うが、日中の日盛りの中で
見かけたし、冬の寒い時も見た。冬は書かれた字がそのま
凍ってしまいそうで、それはそれで芸術品に見えた。

 男性のお年寄りの方が多かったように思う。女性書家?
いたと思うのだがまるで記憶の中にはない。
 これまた何故だろう。女性は人前で字を書いたりしない、
という約束事でもあるのだろうか。

字が上手いのは一目見て分かる。惚れ惚
 するくらいだ。だが、書いてある内容が分からない。
私にだってこれは何かの“詩”だろうことは判る。それくらい
推察できるが、何せ“学”のないこちらには、何の“詩”かは
分からないし、その出典どころか、作者もまた分からない。
 恐らく、「あの〜・・恐れ入りますがこちらの“詩”は誰の何
作でしょうか?」とお伺いを立てれば、教えてはくれるだろう。
 それもかなり過度に教えて貰えそうで、こちらが何気なく
軽い気持ちで訊いたのは無視され、相当熱弁を振るって、
その出典が何処にあり、作者の如何に偉大か、その“詩”
示す意味までも教えてくれるだろうし、それを楽しみにして
いるふしもある。
 迂闊には訊かれない。訊いたが最後長くなりそうだ。
横で黙って見ているのでさえ、暗に「お前分かるのか、どれ
分かって見てるんだ?」とその背中が語りかけてきている。
  おぉ怖〜!そんなところは恐れ入りますが・・・は、飛ん
火に入るナンとやら、だ。

 もう一つ、これが好きなのは書いた先から消えてゆく
 その儚さがいい。それも一度には消えず、ある“字”のそれも
端の方からジワジワと消えてやがては何と言う“字”か読み取れ
なくなってゆくその過程がまたせつない。
 紙に書くのとは違いどんなに大きな字も書ける。これもいい。
水の含ませ具合によって墨の濃淡をちゃんと加減して書いてる
らしいのだが、これがまたなかなかニクイ。
 
 一度だけだが書いてる人に話しかけたことがあります。
 
 それは、書かれた文字、文言についてではなく、その筆に興味
があった。地面に書く筆はそれ専用の筆が売られているわけではなく
それぞれご自分で工夫されてお作りになるらしい。
 箒のお化けのようなのもあれば、モップのようなのもあり、
その人の筆はなかなか良く出来ていた。それでついつい、
「これはどうやってお作りになりますか?」と・・・尋ねた。
 その後は想像通り長い長い講釈があり、こちらが日本人と分かり、
暫し無駄話をしたあと、やおら「何か書いてみるか?」と筆を渡され
てしまった。
 だから話しかけるのは止した方がいいと・・・反省。
 渡された筆を手に、さて、何を書こう。字も上手くはないし。
事此処に到ってはしょうがない。書きましたよ。必死で。
 何て書いたかって?それは秘密ですが、どうやっても漢字では
敵いませんので、わざと ひらがな で書いてみました。
  ひらがな、を見たことがない彼は、暫しう〜んと腕組みし
眺めたあと、一応「不錯ブ・ツォ」(素晴らしい!)と言ってくれました。
 めでたし、めでたし。
エラー!

『火鍋フォ・グォ』お勧め、中国鍋事情
最近では、中国のこの「火鍋フォ・グォ」も
かなり有名になって、ご存知の方は多くいらっしゃると思います。
 それは、テレビなどで紹介されたり、中国のこの「火鍋」を
日本国内でも売り出し、名前もそのまま「火鍋」としてあったり、
時に中国本場仕込みを謳ったりしてるお店もあったりで、広く
知られるようになりました「火鍋」は。
 そろそろ、北国はこの「火鍋」の季節。
温かい鍋を囲んで、大勢の仲間でワイワイ言いながら食べるも
よし、少人数でじっくりと食べるもよし、温かいものをフゥフ
言いながら食べていると、身も心もホッコリとしてきて幸せな気分
になるものです。
 中国の「火鍋」の鍋には煙突があるのだ。
  日の暮れるのが早まり、暗くなる夕暮れ時など、寒い日
家に帰って温まろう、と急ぎ足になりますが、帰った後の夕餉が
鍋だったりすると、それだけで幸せな気分になります。
 それにホラッ、そうして鍋を囲んでいると、「あぁ〜また鍋
季節になったんだなぁ〜」と、この一年も大したことも無く無
過ごせたワイ、と感謝するのか、この一年一体何をして来たん
だろうと、反省するのかはその人の性格によるものでしょう
鍋を突っついていると、フッとそんな越し方を思う機会にもなった
りしていいものです「鍋」は。

 「鍋」ですから、中国の「火鍋」だからといってそう変わるも
ではありません。
 ですが、お薦めは矢張り中国で一度は本場の「火鍋」食べて
みてください。これは是非お勧めします。美味しいんです。
 それにそんなにハズレがないです。まぁ「鍋」ですから不味い
というのはそうありませんで、私の経験では、何処で食べて
ほぼ満足させてくれます。
 それに「鍋」ですから中に入れる食材なんかはその都度自分
で、食べたいのを好きなだけを選べば好いわけですし。
 んん〜、ただ、選ぶにはちょっとコトバの問題はあります。
 コトバが出来なくとも、「鍋」に入っているものを見ながら、或は
摘まんで自分で確認できますし、もし、美味しくなかったなら
からはそれを除けて、違うのに挑戦すれば好いだけですので、
「鍋」はその点でも便利です。

 中国でこの「火鍋」屋さん多いですよ。どの都市にもあります。
相当田舎に行っても、その専門店が大概あります。
 高級なのはそのお店の設えからして違いますし、従業員の応対
も格段に違います。安いのは、道端に竹で出来た背もたれのない
椅子(中国語ではドゥン・ズといいます)があって、その何とも中途
半端な、小学校にある低学年用椅子に座らせられて食事をする
ようなかなり不安定な姿勢で「鍋」を食べたこともあります。
 高級店ともなれば、そこまでしなくともと思わせるくらいに、先ずは
お客さんに使い捨てらしき専用エプロンが着せられ、背広や綺麗な
ドレスを保護した他に、お客様の持ち物、カバンやらバックなどにも
専用カバーをしての臨戦態勢で始まります。

 有名になったのはこの陰陽イン・ヤンの大極を表す
真ん中を仕切られた「鍋」と、真鍮制煙突のようなものが真ん中に
あるタイプのやつかと思います。
 真ん中煙突直立型は、スァン羊肉ヤン・ロゥと呼ばれる、羊肉の
しゃぶしゃぶ鍋で、真ん中分割鍋は、右と左で味が大概は辛いのと
辛くないのの組み合わせ鍋、が多く見られます。

 スープの種類まで客が選ぶお店と、スープはその店のウリでもう
決まっていて、中の具材だけ客が選ぶお店やら、その具材もまた、
客が自ら近くに並んでいるところへ行ってとって来るやり方と、
メニューにそって、客はテーブルを立たずに選ぶお店とがあります。
 ここでもコトバの問題は多少あるにしても、大丈夫!間違えて
頼んだところで、所詮「鍋」の食材ですから、大体そのへんのところ
が並ぶだけですし、菜単(ツァィ・ダン、メニュー)をご覧になれば、
漢字がありますので、××肉とか、豆腐は豆腐ですし、見たこと
あるヤツだけ頼んでも、度胸さえあれば充分に楽しめます。
 ですので、中国行ったらこの時期は、是非「火鍋」を。

 先にも書きました様に、どの店に入っても、高ければ高いなりに、
安ければもっと得した気分にもなれて美味しいです。
 それは、私が思うには、食材の新鮮さ、だと思います。
 日本では肉が多くは冷凍ものだったりですしね。

 私の旅は多くは初めての都市を歩いていることが多いので、
北京や上海ですと、行きつけ?というかこのお店と決めたお目当て
の美味しくて安いお店が数店あって、迷わずそこへ行きます。
 では、知らない町はではどうするかというと、何と言ってもこの手
のお店は繁盛していればそれだけ客を満足させる何かがある、
ということでして、木枯らしの街をブラブラ歩いていて、そろそろ
夕食時ともなったら、周りのお店にも気をつけて歩きます。
 都市ではこの手のお店2階とか、階上にあることも多いので、
そちらも注意します。すぐにソレと分かるのは、ガラス張りのお店
のそのガラスが湯気で曇ってますし、もっと混んでるお店は水滴
まで付いてますので、「火鍋」屋さんはすぐに分かります。

窓を見ると、窓ガラスが曇ってます。

 お店の前に、その店のウリが書いた看板などあればしめたもの、
最近では「鍋」最低のセット料金や、サービス品などが謳ってあって
助かります。
 更に以前ですと、こうした「鍋」料理店は、どのテーブルも最低でも
4人椅子がけ、6人がけ、8人がけ、12人がけ、なんてのが一般的
でしたので、2人ではちょっと気が引けたり、実際に断われたことも
ありましたが、最近では2人でも大丈夫なお店が殆どです。
 これはありがたいですね。但し、最初の大元の「鍋」をというか、
スープ代を二人で負担する形になりますので大勢で「鍋」を囲むよりは
多少高あがりにはなりますが、そこは中国ですから、相当召し上がっ
ても安いものです。

 あぁ〜、これを書いているうちに頭の中は「鍋」のことばかり。
食べたくなってきてしまった。ここは、中国から買って持ってきた特性
 鍋の素、これがあります。
 これさえあれば、本場の味が味わえます。
  ただ辛いんですよねコレ!その辛さも半端じゃないのです。
  でも美味しいんです。
  ということで、この季節、「鍋」のお勧めでした。
  早く帰って、今日は「火鍋」にしょう〜と!! 


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