月刊・私の見た中国 目次


 月刊・私の見た中国 目次

エラー!

『乱途乱画ルゥァン・トゥ・ルゥァン・ファ』
落書きは止めましよう
  落書きについての話題です、悪戯書きとも言われたりもします。
世界中あるようです。多分。文字のない世界だって“絵”があります
から、古代古墳で発掘された貴重な“絵”も結局あれって、落書き
だったのかも知れませんよ。

  「乱塗写画ルァン・トゥ・シェ・ホァ」
「乱ルァン」は、字の通り、みだりに、でたらめに、の意味で
「塗トゥ」は、でたらめに、きままに、書くの意味ですし、
「写シェ」が、中国語では書くの意味です。更に中国の写の字は
   この与にかかる横棒が突き抜けることはないのですが。
「画ファ」は、同じかくでも、描くほうのかくを担当。
   で、全体が勝手妄りに絵や字を書いちゃう、と。
 この、みだりに、というところが大事なんですね、本来は書いちゃ
 いけない、書くべきところでないところに人間は何故か書いちゃう。
   それも、普段ならそうしなであろう、つまり書くべき内容もない、
それなのに、書きたくなる場所があるらしい。

  私にはそうした要求がない。何故自分の名前を書き残したく
なるのか、ちょっと不明。訳が分からん。でも人間そうした要求
はあるらしい。でも自分だけならまだしも、相合傘マークで書く
のは相手の許可を貰ってのことではないでしょう。
 (中国は世界遺産も多い。そんなとこにも・・・)
 でも、落書きを書く方だって、ただ無闇に書けばいい、という
ものではない。「落書き」条件というのが三つある。
 「落書き」必須三条件。

  一、折角?書くからには誰かに見てもらいたい。
褒められはしないだろうが、誰も見ないところへは誰も書かない。
でしょう。それにそんなところなら一生気づかれずに終わる。

  二、書く時間も必要。書いてる間に誰かに「おいおい!」
と咎められるのも困りますから、それなりに一人または仲間内
だけになれる時間が必要。

 三、書くからには、毎日来てるような場所はつまらん。たまに来て
その証明として、こんなとこまできましたよ〜、というんで書きたい。

  これらの条件を満たすのが、観光地でlす。それも出来れば世界
的も有名な、沢山の人がくるような、そんな所ほど狙われる。
 
  となれば、ご存知「万里の長城」
  日本の落書きのトップ?は以前は公衆トイレだったと思います。
必ずといっていいほど公衆トイレは落書きがあった。まぁあれって、
手持ち無沙汰なのと、上二つの条件は満たしてるので、ついつい
筆記用が胸ポケットにあったりすると書いちゃうんでしょうね。
 たまには明らかに書く気で書いてる芸術的なのもありますが。

  あれ、中国にないですね。公衆トイレの落書き。皆無で
ありませんよ。なかにはあります、ありますが、日本ほど確実?には
ない。なんですかね・・。人が多いから?トイレそのものが汚れて
いて書けそうな場所がないから?ですかね。

  反対に、中国にあって、日本にない落書きは、ちょっと種類が
違いますが、勝手に書くという意味で、中国の人はよく近くに紙が
なかったり、最初からサッサト自分の手の甲に何か書いちゃいます
よね、手の甲に数字があったり、暗号とおぼしき記号があったり。
 あれなんですかね、紙不足?手が便利?

 話を戻しましょう。一般的な落書きといえば観光地。
  観光名所と、落書きの関係ですと、中国もありますね、あちこち。
代表、万里の長城ですが、ありますあります。中国人自ら?の中国語
落書きも多数みられますが、日本語、日本人の書いた英語?とか
ハングルもありましたね、ヨーロッパ勢が少ないのは数の問題ですか。
 ロシア語の落書きを見つけたときは感動、・・・かな。
 特殊な文字は目立っちゃいますね。
 それで、何処に書くかの問題もありますが、これらは書くというより
刻む行為ですね、切り刻んで残す。
  これはある意味、書くよりたちが悪い。深いし。

  古鎮グゥ・ヂェンと言って、中国の古い歴史ある村
 なんかに行ってそこのも「落書き」があるとガッカリ。
 古いいい感じの街のレンガ壁に刻まれた名前。見たくないなぁ。
 中国各地では、古い仏閣なんかも被害にあってますが、
それらは寺院の塔の上の方だったり、欄干だったりですが、
これで私が発見したのは、落書者たちと高さの関係ですね、どうも
高いところと、これまで来たこともない遠いところへくるとこの手の
人は落書きがしたくなるらしい。
 「高さと、遠さに関する、落書きとの関係」ってなのを研究テーマ
にされてる方はおられないですかね。いませんよね。

 その結果、「警告看板」がど〜んと。
 これまた、世界に冠たる観光地でこれを見せられたのでは如何にも
無粋です。いけませんね。

  そこで提案ですが、どうでしょう、思いっきり「落書き」できるそんな
場所を、こちらから率先して用意してあげる、というのは。
  世界中の皆さん!どうぞ落書きは此処へ!!ってな壁をですね
こうド〜ンと用意しちゃうわけですよ。
  これ逆転の発想ですね。いいでしょ。落書きは減るし、その落書き
の壁がまた有名になって、観光客が来るかも・・・。

  これ、上の一・三の条件は満たしてるのですが、ちょっと二の条件、
書いたのは見せたいくせに、書いてるところを見られるのはイヤ、
というところに触れるのが難点ですが・・・・。 
エラー!

『帥哥送貨スゥァィ・グゥ・ソン・フォ』
 イケメンがお届け、
 「イケメン」はもう辞書に載ってますかね。
私的には・・って、この私的に・・の言い方も若い人に
習って真似てますが、私的にはつい最近のことでして、
古くは正統的に、「美男子」と言ってましたし、少し前ですと
「カッコイイ」と言ってましたが、そういえば最近言わないな
「カッコイイ」って。
 更にその少し前に「ハンサム」って言ってましたが、こちら
はもっと聞かなくなりましたね。
 「イケメン」は何となく分かるんですが、「いけてる」はあの
「この料理いけるね」とか、「酒もいけるほうです」の使い方
〜みたいな。この〜みたいな・・の言い方も真似してみました。
 「メン」は、「面相」でしょ、それとも「メンズ(男)」ですか。
要するに、様子の好い男子の意味ですが、ご存知ですよね。
  こんな感じ?んん〜・・好みもあるからなぁ・・。

 中国語でも正統的には「美男子メィ・ナン・ズ」と言います。
それとは別に、「カッコイイ〜」の方は「帥スヮィ」と言ってます。
この字、「老師」の「師」と、上の横棒一画のちがいですが、
片や「帥スィ」と読まれ、一方は「師シ」と読まれています。
  同じく中国語でも、片や「帥スヮィ」であり、「師シ」と音が
違っています。上の横棒がないだけなんですけどね。
  「帥」は、日本語では率いるの意味のみですが、中国語
にはその意味もあった他に、こちらの「カッコイイ」「粋」「綺麗」
「りっぱ」などの意味がもう一方にあります。
  こちらの意味に、男性を代表して兄を示す「哥グゥ」を足し、
「帥兄スヮィ・グゥ」が「イケメン」にあたります。

  もともとが男性が美女を求めるように、女性が美男子を求め
る潜在需要はあったのでしょうが、男性の女性探求は早くから
公然と認められていたのに、その逆の女性の美男子追及熱が
表立って現われなかったのは、女性側の遠慮と男性側の牽制
によるものだったと思います。
  それが近年になって、その両方、女性の遠慮も男性の牽制
も外れて、女性が声高に美男子を求めていいことになりました。

  それらは、最初は銀幕(古いなぁーこの言い方)のスター、
だったり、芸能の中の人たちであったものが、だんだんに身近に
求めるようになり、「ホストクラブ」なんてなのも出てきた。
 もっとも「ホストクラブ」の男性が必ずしも「イケメン」かどうかは
怪しいが・・・。

 イケメン+医者という職業・・天は二物を・・・。

  更にこれがネット社会に入り、加えて誰もがカメラあるい
カメラつき携帯を持つ様にもなって、中国に出現したのは、
「帥哥」に関する、「帥哥」を求めるページ。
  帥哥かつ、お医者さんでもある彼もかなりネット上で騒がれ、
わざわざ遠くの町からこの病院に診察を受けに来る人も。
 しかも・・・病人でもなかったりして・・・。

  その後もぞくぞく各地の「帥哥」が話題になった。
 「美女と美男子の人口に関する派生比率」なんてな研究をして
る人がいるとありがたいのですが、どの位、つまり何人に一人
の割で美女や美男子がいるのか分かりませんが、何の問題も
そうですが、ホラ、中国は総人口が多いので、当然と思いますが
美女と美男子の数はその分母に応じて多くなる。でしょ。

  こっからが面白いんですが、中国ただ今、市場経済主義。
早い話が何でも手っ取り早く金にナリャいいや方式。
  これまで「サービス」の概念もなかったのが、此処へ来て急変。
「メイドカフェ」まで出現。男性向けサービスがそうならば、と。
 この度、広州・肯徳基(ケン・ドゥ・ジィ)では、「イケメン宅配員」
サービスを。ケンタッキーフライドチキンを注文する際に、ネット
を使って「天然系」「王子様系」「癒し系」など、配達に来てもらう
配達員を注文?できる、というんですね。
  このサービスまだ(2012年2月に)始まったばかりで、今後
様子を見る必要はあるが、今のところは好調だという。

 「帥哥送貨」は、「帥哥」そのものが送り届くわけではなく、
ですね、「帥哥」が配達して来てくれるわけであります。
 どうよこのサービス。貴女なら求めますか?

 私の予測は、こちらのサービス、難点が幾つかあります。
 その一、需要と供給のバランスから、需要はあるでしょうが、
供給が難しいという点、その二、「帥哥」の「帥」加減が単に、
顔のみの問題なのか、という点、更には、その内配達だけでは
物足りなくなって結局は店に押し寄せて眺めることになる、
と私は見ている。
  さて、さて、どうなるかこれをご覧の女性読者の見解を
お知らせ下さい。

     
エラー!

『五体投地ウ・ティ・トゥ・ディ』これぞ本物が
 「五体投地」、読んで字の如く。なんせ漢字はありがたい。
見ただけで何となく意味が分かっちゃう。ありがたい。
ただ、読まれると中国語では、ウー・ティ・トゥ・ディ、と音が
離れるので聞き分けるのは大変だが、「ごたいとうち」を言って
くれりゃぁ、すぐに分かる。
  目指せ、ラサ、ポタラ宮。
 五体も、我々は「五体満足」なんてな使い方で普段から
使っていて、何となく身体のことだなと分かる。ありがたい。
 投地、は地面に投げるんだ〜と分かる。ありがたい。
 それでこの「五体投地」そのものは説明の必要もないと
思いますが、一応その説明なんかもしときますか。
  その前に、画でも見て起きましょう。
←これがそうですが、ご覧になったことおあり
でしょ。そうそう、チベットなんかが取り上げられると必ず
と言っていいほどこうしたシーンが。
 この方寝ちゃってるわけではありません。この後、
 こんなして、起き上がってはまた「五体投地」を。
 私も始めてこの映像を見たのは多分某国営放送局の
画だと思います。最初見た時は、ナニコレ、って感じ。
これだと百メートル進むのに相当かかりそうだな、とそっち
を心配してたが、これは別段進む為のものではない、という
のを知ったのはかなり経ってからです。
 やり方を説明しますと、両膝、両手を地面に着けます、
これで「四体投地」もう一箇所は額です。この五ヶ所を地面
に着け、ひれ伏すことで最高の敬意を表すことになるわけ
であります。余りの畏れ多さに、立ってなど進めないので、
ひれ伏しながら進みましょ、というわけです。

  ちょっと余談になりますが、中国人は「五」が好き。
世の中を「五」という数字で見ている。これは両側に2と2
があって真ん中に1つ(中庸)をとると、2−1−2の均衡が
とれて「五」になるわけです。安定・安心型ですね。
 ですので、色は五彩(色)、味は五味、身体は五体、
五感に頼り、詩は五律、金属も五金、名山は五山、
穀物は五谷(穀)、国旗まで五星旗(これは付け足し)。
 となっているわけであります。閑話休題。

 それで、その「五体投地」を実際に見たい!と旅の途中
で連れが言い始めた。まさかその足で西蔵まで、という
訳にはイカン。北京だって見れんだろうよ、と考えたら、
そうそう、北海公園を抜けて、地壇をちょっと行った所に
ありましたよ、まぁ場所はこの際どうでもいいが、アレ・・
雍和宮ヨン・フゥ・ゴンだったけ、名前もどうでもいいんだ、
確かあそこはチベット仏教。前に言った時、チベット文字と
ハニ車を廻したのを覚えてる。そうだあそこだ。
 早速連れて行きました。ところがなんとしたことか。
いるのは観光客ばかり。それも圧倒的に台湾からの。
日本人もここはかなり知られて無いとみえていない。

  此処へ来れば実際に、五体投地してる人にお目に
かかれると踏んで来たのに、残念。連れが納得しない。
「いないじゃない!」って、そりゃ見りゃ分かりますよ。でも
いないのは私のせいじゃないし。「此処がそうなの?」って
そんな疑ったってしょうがないでしょ。此処しかありません。
 散々もめて、しょうがない、ここはひとつ、
私がやって見せましょう、こうやってやるんだ・・てところを。
で、真似事で始めたんです。五体投地。
  そしたら、周りを歩いてた人たちが急に感心して、注目
し出した。いやいやニセモノですから・・とも言えず、更に
続けてると、欧米の観光客などはそんな私の五体投地を
写真に撮ってる。いやこりゃまずいなぁ。
 あのですね、これは五体投地はこうやってやるんだ・・・
というのを見せてるだけでして・・・と言いたいですが、
五体投地しながら言い訳するのは難しく、これで止めて
いいものかどうかも分からず、何回か続けてるうちに何人
が写真を撮ったようですけど・・・大丈夫かあの写真、今ご
どっかに出回ってないでしょうね。
エラー!

『帯盒飯ダィ・フゥ・ファン』お弁当を持って・・
 中国語で「盒子フゥ・ズ」は、蓋のある箱ものを指します。
「箱子シャン・ズ」もあるのですが、大きさが違います。
箱子が大きくて、盒子は小さいです。ですので、皆さん
が普通、ハコといってるのは中国語では盒子で、その
盒子を何個も入れる容器が、箱子となります。
 で、盒子に入ったご飯ということで“弁当”になる。

  “弁当”の話です。この“弁当”そのもともとの語源も
中国のようでして、かなり古く、宋の時代にあるようです。
 台湾では今でも“便当ビェン・ダン”と言ってますが、こちら
がその語源に近いようです。日本のこの“弁”の字は、
“辨”の字の簡略で・・・、という話をしていては、話が前に
進みませんので先を急ぎます。

  さて、中国にも弁当はあるか、ということですが、あります。
ありますが、今のところ、日本ほど発達?しておりません。
  原因はいくつかあります。最大の原因は、中国の人は
ご存知のように基本、食事は温かいものを、が大原則。
ですので、日本のように例えば愛妻弁当を職場に持って行
昼になったからといってやおら開けて食べるのではなく、先
はそれを温めなくてはなりません。
 更に中国では外食が極めて安価である為、三食とも外食
の人が大勢いますし、これは夫婦共に職業を持っている
のを助けますし、この事が外食産業を発展させ、一層安価
食事を提供できる環境作りの要因になっており、これらが
相互に影響してますますそちらへ向かいます。
 それにちょっと大きな以前ですと単位ダン・ウェィと呼ばれ
職場には必ず職場で食堂を持っておりますので、そこの食
は日本と同じように街の料理店より更に安い値段だったり、
会社負担があったりで、いつでも温かい食事ができます。
  となれば、弁当は要らない、弁当より外食がより便利。
  結果、弁当の発達は望めない、ということで、その逆が
日本で、日本では弁当が限りなく発達して現在に至る。
  これで、話が一巡しました。
 ですので、このような見て楽し、食べて嬉し
 のお弁当はないわけです。中国には。残念!

 そんな訳で、愛妻弁当は少ないのですが、
どこでも食堂や料理店があるわけでもなく、店に出かけたり
出来ない人もありますし、“弁当”は売ってはいます。
  その殆どが発泡スチロール入り。上の写真のように、
ご飯とおかずが分かれているものもあれば、一つの容器で
ご飯の上におかずが乗っかった、私がいうブッカケご飯式
“弁当”が多く見られます。これは街では大概は作りたての
温かいのか、その場でアツアツをよそってくれます。
 この弁当の欠点はその種類が少なく、恐らく数日この
弁当が続いたなら直に飽きちゃう点にあります。
こんなんです。もう少しいろどりが・・・欲しい。

 また、“弁当”と言えば、旅先での“弁当”とりわけ
列車内で食べる“弁当”は旅の楽しみの一つでもあります。
 中国ではそうもならず、何せどの列車もほぼ満員状態で
御覧のように、列車での弁当売りも通路を通り抜けるのも大変。
列車には食堂車もついておりますが、やはり“弁当”は安い。
それに余りにも混みすぎて食堂車までの移動すらままならない、
てなこともあっての、しょうがない“弁当”です。
 ですから、この列車“弁当”、日本のように旅の
楽しみを増してくれるようなものではなく、どちらかといえばもう、
空腹をただ満たすだけ、のような楽しみの少ないものです。
 片や、日本へ来た中国の人が、このような
所謂、幕の内弁当に感動し、記念にと写真を撮り、帰国
後それを自慢話にしているくらい、感動的。
 問題は、日本の“弁当”は、「涼リャン」、冷たいのを我慢
なくてはなりませんが。

 以上が、中国“弁当”の実情と、それにに関する感じです。

 さて、私の見た中国人のそのお弁当のお話は、
中国では愛妻弁当は望めないものの、ご夫婦で来日の知人の
ところでは、日本は外食が高くつくことを知った奥さんがご主人
に弁当を持たせている、という話を伺った。
 ある日、好機到来。そのご主人のお昼を見せて貰った。
これは、中国の方があの日本の幕の内に驚くのに劣らないほど
私を驚かした。
 二段重ねの彼の弁当箱は可愛いものだった。包みを開けて、
上の段には何やら野菜と肉を炒めたもの。横にはゆで卵が丸
ごと一個。茶葉蛋チャ・イェ・ダンという。これくらいでは私は
かない。あれは味が付いていてそれなりに美味しい。
 下の段が、私を驚かした。私は上はどうあろうと中華料理
おかずだろうぐらいは想像がついた。下はてっきり・・・。
 それが万頭が2個、四角い容器に押しつぶらされるように、
入ってた。成る程ね、彼は米が主食ではなく、北の地域に住む
小麦主食の人だった。本来は丸いはずのマントウに角がある。
 それを手で伸ばして何事もなかったように彼は食べ始めた。
弁当箱にパンが入ってるようなものだが、どうも違和感が・・・。 
エラー!

『名片ミィン・ピェン』中国式・名刺活用
名刺を中国語で、「名片ミィン・ピェン」という。
 「片」の漢字の意味はかなり近いものがある。
中国語の「片ピェン」には、あまり大きくないきれっぱし
というか、薄すい紙のようなものを指している。
日本語の「片へん」にも、かけら・きれはしの意味はある。
例えば「木片」のような使い方。
 ですから、「名片」にはそう違和感はない。名刺だ。

 中国の名片の歴史については知らない。多分相当の
長い歴史がありそうだが、今のような形になったのも何時
ころかなのかは、知らない。余り興味もない。

  中国の名片と日本の名刺に、そう変わりはない。
いずれにしても、名前と肩書きが書かれた紙切れだ。

 でも、中国の人の名刺はカラフル。
 中国の名片も日本の名刺も、大きさには差がない。
あまりとてつもなく大きなものも無ければ、極端に小さな
名刺というのもない。皆さんが想像する、よく目にするあの
大きさだ。用途も同じ。
 では、何が違うか。

  大きさも同じ、書かれていることも同じようなものだが、
違うのはその紙にある。
  最近でこそかなり一般的になってきたが、以前は中国
人たちの名片は必ず色が使われていた。
つまり、白は避けていた。何故か。それは中国の人にとっての
白は目出度くない色なので、白に黒字印刷は有り難くなかった。
 だから、名刺の紙そのもの、地に色が入っているものが
多かった。
 こんな色遣いは日本では見かけない。
 地模様も色々あって、縞模様なんてのも珍しくもなかった。

  さもなくば、必ず名片の何処かに色を入れる。例えば会
のロゴマークを。名の下にアンダーラインを入れ色も添える。
 何処かに色があればよいというやつで、白と黒の取り合わせ
を避けたかった。

 金箔で名が刻印されてるような豪華なものもあった。
 カラー写真入りも珍しくなかった。とにかく総じて言える事は、
色使いが綺麗。これに比べれば日本の名刺は面白くない。
  更に最近は流行らないようだが、一時期香入り名刺が
流行っていた時期がある。名刺に香水の香が仕掛けてある。
 女性の名片だかかと思うとそうではなく、男性の名片に
だって芳しい香つきのものがあった。
  この名片の難点は、頂いた名片をうっかり背広のポケッ
や、ワイシャツの胸ポケットに入れて忘れていたりすると、
ワイシャツにその移り香が。あらぬ誤解を受ける。
 此処に書いてはいけないが、これを使っての裏技で、そんな
困ったときは、というのは酒場の女性の臭いを上手く誤魔化す
にはこの名片は役立つかも知れない。

  肩書きは日中で相当の違いがある。当たり前だ。だから、
多分、日本の方は中国の「主任」や「副××」の持つ重みを
理解できないし、中国の人には「ナントカカントカマネージャー」
や、この手のカタカナ外来語の役職は理解できないだろう。
 それに会社機構もちょっと違いがあって、会社内の役職
も日中間そのままとはならないのだから注意が必要だ。

  名片で私が一番驚いたのは、ある小学校を訪問した。
代表で挨拶や、こちらの相手をしてくれた小学生が、スッと
名片を差し出した。私の名片です、と言う。私も慌てて自分
名刺を出し、交換した。

 小学生が名片を持ってるなんて、恐らく今日の為に無理して
用意したのだろうと、考えた。少しやり過ぎだろうとも思った。
 ところが、次に会う女の子も、その次の子も私に名片を。
 なんだ、なんだ・・流行か。肩書きは、生徒会委員とか学級委員
といったような可愛らしいものだったからよかったが、とにかく
突然、名片を差し出されてこちらがうろたえた。
 慣れていると見えて、なかなか堂に入った出し方だったから。
 その勢いで、後からきた担任の先生にこちらは出した名刺入れ
の序でに、先生にも名刺を差し出したところ、
  その先生は名片を持っていなかった。作ってない、と言う。
そういえばこの頃の先生たちは安月給だったもんなぁ。
エラー!

『高考ガォ・カォ』大学受験の季節が
 「高考ガォ・カォ」は、“全国高等院校生統一考試”の略で、
中国のこの全国一斉の大学入試センター試験のようなものが
この時期行われる。
 悪名高きこの試験は、余りにも受験生の負担も大きく、受験生
を抱えた家族の負担、学校側の負担、みんな大変だ!!
 なのに毎年お祭り騒ぎのような感じでこのテストは行われる。
  試験というやつは悲しいかなどれも、たった一回のその成績で
判断されるというところに問題がある。
 それもほぼ記憶力の差で決まりそうな。
  中国といえば“科挙”の試験を持ち出すまでもなく、営々とこう
した試験が続いている。それも過酷な試験が・・・。

 その時期なると自殺者がでて話題になる。。
この試験が近づくと毎年のようにそれを苦にしての自殺が。
  命と成績のどっちが大切なんだ!と。
 それもこの「高考」はその後の一生が懸かっているからだ。
  それを目指して必死になる。問題はそれに費やす労力が全て
でそれが終わると抜け殻とまではならなくとも、余り努力しない人間
が出来る。それは日本の大学受験を見てればよく判る。
  だから、入れる方をもちょっと緩やかにして、入ったあとそれぞれ
の課題に向かっての学習が大変で、それについてゆく覚悟がなけれ
ば大学生稼業は務まらないようにしたほうがいいと思うんですね。
 それはこの話題とは別の視点なのでここでは省略。
 中国の大学受験のお話です。

  日本のマスコミでもたまに話題になってますからご存知でしょうが、
なにせ受験生の数のピークは済んだもののまだまだそれでも多い。
  多いということは競争が激しい。
 
 まず、この試験当日は最高の緊張度となる。
受験生だけでなく周囲も巻き込んで当日を迎える。
 受験日が近づけば、受験会場付近の工事現場は大きな音を立てない
ようにお休みするか、その手の工事をやり繰りして騒音を立てない。
 受験当日は、近くを通る車は、クラクション禁止。
 普段は何かというとすぐ鳴らすクラックション大好き中国人もこの日は
気を使う。

 試験会場特設標識もある。試験会場付近は厳戒態勢です。
 更に当日は何があっても好い様に万全の体制を受験生の為にとる。
だからこんなおまわりさんを巻き込んでのサービスも登場。
一度受験会場に遅れそうなんてなことにでもなろうものなら、
パトカーでサイレン鳴らし放題で試験会場へ送り届ける。
 幾らこれからの人生を左右するからといって、これはどうも甘やかせ
すぎなんじゃないの、と思う。
 これだからつけあがってますます我儘になるんじゃないかと。

  さて当日、本人はもとよりそれよりも力が入るのはその家族。
一生の大事とばかり会社もやすんじゃうのか、一緒に試験会場入り。
自分が受験するわけでもないのに、矢鱈に緊張しまくりで、それを
我が子に向けるので勢い反感をかう。
会場に入れない家族応援団で入り口は溢れる。
  これの風景も以上だといえば以上だが、それぞれの家族にとっては
一生にこの日一日、ただの一回の重要な日。これくらいは・・・と
思って我が子の為に頑張っちゃうとこうなってしまう。
  今年受験生がいない家庭でもいつかは自分家の息子、娘が
「高考」を受けなくてはならないので、多少のことは我慢する。

  こっからは、試験当日のその受験者の話題。

 受験生の身体検査も超慎重。
特に最近は耳にすっぽり入るイヤホーンを警戒し、
そんな様子を中国TVでも報じられます。
  作弊ズォ・ビィといいますが・・・カンニングですね。
  この話題ときおり日本のマスコミでも取り上げてますが、
かなり有名。ご存知でしょ。それくらい、後を絶たない。
  最近では最初から大学受験そのものよりも、ちょっとこれを
試して見ようだの、大学受験を経験だけして見ようなどというヒヤカシ
組もかなりあるようです。
  それにこの作弊でまぐれで大学入っちゃったらどうします。
それでも大学を卒業できるとするなら、それはそれで問題でしょう。
  作弊が何でそんなに問題になるかは、当然ですが不正だから
ですよ。でも世の中不正で溢れてるわけでしょ、社会にも。
  大学生の不正はその反映だとは思わないんですかね・・・。
  また、この不正、作弊の手段が毎年毎年新手が現われて、
それを紹介するのに追われている、という点もあります。
 左はハイテク、右は・・・
これらがきりが無いくらいあるんです。頭良い・・・というか・・・

  私の見たこの話題「高考」は、
知人Mさん宅の、お嬢さんが「高考」に当ったある年、彼の家を
訪問しようと電話したら、Mさん私の泊まっているホテルまで出向いて
きて近くで食事となった。そのあと、久しぶりにMさん宅に行って
前の様に奥さんも一緒に談笑できるのかと思ったら、誘ってくれない。
 なんかMさんもじもじ。会社から真っ直ぐ来たと言うし、残業が続いて
る、という。珍しい。家庭を大事にし仕事人間でもないMさんが残業?
よっぽど会社の仕事が忙しい時期なんだと思ったら、本人は残業
とは要ってるがどうも・・そうでもない。どういうこと・・・?
 かなり話してからMさんも時々匂わすのでやっと判った。
そういえば、お嬢さんの受験が迫っている時期だった。
 彼女を刺激しない為には、遠来の客もまたありがた迷惑だった。
  ハッキリそう言ってくれれば良かったのにMさん。
「高考」の家庭が大変なのは日本でも同じですよ、と言ってあげたのに。 
エラー!

『奥林匹克オゥ・リン・ピィ・クゥ』
 今年はオリンピックの年です
 ちょうど今、英国イン・グォは倫敦ルゥン・ドゥンで
奥林匹克アォ・リン・ピ・ク が開催されているので、嫌でも?
この話題に触れておきましょう。
 正確には、奥林匹克  運動会ユン・ドンフィって言うんで
がね・・・あんな規模でも運動会というのが何となく可愛い。
 もちろん最初の、奥林匹克はオリンピックの音に漢字を充てた
ものです。外来語に漢字を充てるそのやり方については以前に
そのお話をしました、今此処でまたその話をぶり返すと肝心の
奥林匹克話題に行けなくなりますので、先を急ぎましょう。

 オット!それにしても・・・とちょっとだけ戻ると。
競技名なんかは、それなりに私も勉強?してますので大丈
なんですが、毎日のように中国TVでこの競技の話題などに
付き合っていると、扣球コゥ・チュゥ〜〜(スパイクの意味)など
アナウンサーが興奮気味声を荒げて怒鳴ってるのにも慣れ?
ますが、これで困るのは、欧米の選手の名前までもがみ〜んな
漢字に置き換えられてまして、かつその発音で読まれてます。
 それにこの興奮状態で選手名を連呼、または競技のスピード
に合わせて急いで選手名をドンドン挙げるのでナンだナンだ??
と聞いてるその間にまたまたややこしい競技専門用語が入
わけです。んん・・・結局楽しめんワイ!!

奥林匹克情報が巷に溢れて
います。何が勝ったとか、金メダルがどうだとか、あの選手が・・
の話題ですが、ここではそんな話はしません。
  あの〜、メダル数ですが、いまこの8月8日の段階ではまだまだ
競技が続いてますから、数は動くでしょうが、どの国のメダルにも
私自身は余り関心がありませし、意味も感じません。
 其の点で言うと、一つだけ。
 誰も言い出しませんが、私はこのメダルの数を国で数えるのでは
なく、ですね・・・一度大陸別に括って見ることをおすすめ。。
どうよ、アジアの台頭がここからも見て取れることが分かる
思いますよ。

  二つ目、日本のお家芸??柔道が振るわなかった。それを
もってして日本の危機と叫んでましたが、それはないでしょ。
だったら他の競技で日本がメダルと手にしているそのそれぞれに
お家芸の国があるんですから、お家芸=必ず勝つの数式自体が
可笑しいと思いますよ。

  あぁ〜、駄目だなぁ・・今回のように今いまの話題を取り上げると
ついつい現行報道に引きつられて、話が肝心の方へ行かん。
 と言っても肝心なことなんか何もないんですがね。

  で、この奥林匹克、中国は何をやっているか?というと、
ナンだと思います?私が見たのは実はこの倫敦奥林匹克が始まる
まだ大分前だったのですが、もうその頃から中国は動いてました。
  どの競技の選手だ??って。

  そこが中国はちょっと一味違うんですね。
私が目にしたのは・・・
 コレですこれ。ナンだと思います。
  倫敦奥林匹克公式マスコットですよ。
  これで一儲けしようというわけです。
  これを見たとき、あのサッカーワールドカップでも売れに売れて
一躍有名になった例のブブセラ・・まだ覚えてます??あの賑やかな
音がでるやつ。
 これです。これ。各会場では煩いくらいにこれ
鳴ってましたよ。中国語「鳴鳴祖拉」ウ・ウ・ズゥ・ラ。
 この殆どは中国製。

 さらに、大会マスコットだのお土産物も中国製。
 実はこのマスコットを作ってる会社の社長。
  ブブセラで一儲けして、またまた今回はこのマスコット作りで
儲けようというわけです。
  中国の奥林匹克はここにあったんですね・・・。
金メダルっていうか、ほんものの“金”を手にするんでしょうねきっと。
 
エラー!

『做作業ヅゥォ・ヅォ・イェ』宿題やらなくちゃ!
中国の子供たちは、宿題が多いらしい。それも少し位ではなく、
相当多いらしい。それはちょっと可愛そう。
 何故にそんなに宿題が多いのか?学校の授業時間で間に合っ
ていないのだろうか。
 出す方はどうかしらんが、宿題というやつ、出される方は嬉しく
ない。嬉しくないどころか、出来れば勘弁して欲しいものだ。

 「宿題」は残念ながら中国語では通じない。書いても通じない。
どだい「宿スゥ」は日本語も中国語も、泊まる宿泊するの意味。
「題ティ」はこれだけでは、表題・問題・題目などと捉えることが
できる。だとするなら、「宿題」では何のことやら分からない。
日本語的にも「宿題」はちょっとヘン。家に持ち帰り片付けるので
問題が家に一泊するので、「宿題」なんだろうか。
 一方の中国語、こちらも何かヘン。「作業ズゥォ・イェ」という。
ではでは、日本語の作業の意味は中国では何と言うかというと、
「工作ゴン・ズォ」という。工作だよ!
 じゃぁ、日本語の図画工作の方の工作は何ていうの、というと、
こちらは「手工ショゥ・ゴン」という。ではでは、日本語の手工業は
何ていうかというと、これが同じでそのまま「手工業」という。
  しつこいので止めるが、このように日中ではその漢字の使い方
が少しずつずれることがままある。
 最初の、做ズゥォは、ひろく何かをやるとかするの意味で使われ
たり、作るなんてな意味もあります。做この字、日本語にもあって
普段、作の字を使ってますが、作るの意味は双方同じです。

  さらにご存知、中国の簡体字は省略化に努めておりまして、
作業のこの業の方の字は、下が全くなくって上だけが残ってます。

  やっと本題へ。
 この子はまだ学校上がってませんが、今から練習です。
なんでも余りに宿題が多くて小学生のカバンの重さが子供たちの肩
にかかりその生育を妨げるくらい重いのはどうよ!ということで、
新聞で論調がはられていたのを見るに付け、そんなに多いのか!
と感心すると共に、そういえば中国では実によく中国の子供たちが
宿題をしているその場を目にすることが多くあった。
日本の子供は外で宿題なんかしないもんなぁ・・
 それが中国ではえぇ〜こんな所で!といったようなところでも
ノートを広げちびた鉛筆で何か書いてるのを目にしました。。
  実によくあちこちで宿題少女・少年を見かけた。 バス停
宿題を広げている子、おじいちゃんの自転車に乗って宿題してる子、
暗記ものだろうか、大きな声で繰り返し叫んでる子、食堂の片隅、
待合室、どこにでもいた宿題する子供達。日本じゃ見かけない。
 それくらい宿題が多いんだよ、きっと。
 何がそんなに宿題になるかというと、漢字ですね、字。
表意の文字漢字は、アルファベットのように字としては幾つか覚え
ればそれでもうお終い、というわけにはゆかず、覚えなくてはいけない
字の数が山のようにあるし、それを覚えないと授業そのものが成り
立たない。他の教科にあっても言語がその基本となりますから、
先ずは言語、その為の字を一気に覚えなくてはいけません。
 これは学校の授業だけでは間に合わない。となれば宿題だ。
 明日までにこれこれの書き取りをしてきなさい、が多い。
 都市部の小学校などでは担任がいて、各教科はそれぞれの教科
の先生がいる、日本の中学校からのような教科別教員の授業と
なっている。そうなってるとどうなるかと言うと、各教科の先生が
こぞってそれぞれが授業の不足部分を宿題とする。と、どうなるか。
一つ一つは宿題が大したことないと思っていても全体では相当の
量になるということが。加えて中国の先生達はその辺のところ
手加減しそうにないもんなぁ。増える増える。
  となれば、寸暇を惜しんでの文字通り、「作業」を。
 というわけで、今日も中国全土で子供たちは
  宿題に追われているわけであります。
 ガンバレ〜みんな!宿題を忘れようものならこれまた厳しい処置
が待ってるし、宿題をやっていかないと更にその倍宿題が出そうだし、
体罰なんかも問題にはなっている。これまた問題ですけどねぇ・・
人間必ず行き過ぎちゃう人がいるんだよね、教師にだって。
 行き着くところまで行っちゃって自殺者まで出たなんてな話や、
宿題を片付けてくれる、宿題代行業で金儲けをしてる、とか色んな
話が聞えてきますが。
  帰り道、父親のバイクに乗ってる間にも・・・その後ろで・・とか。
  こんなにいつでも何処でも宿題をやってる子供たちを目にする、
ということは授業時間での教育で間に合ってない、ということですよね。
 でも中国は学校の授業が始まる前に登校して勉強したり、居残ったり
の勉強が一杯あるんですね、これに更に宿題ですよ!どうなってんの。

 ある学校で職員を集めての会議のあと、重要課題が決まらずに、
席上、この件は宿題、ということになった。
 その「宿題」という言葉を聴いた先生達からは一斉に不満の喚声が
上がったと言う。ですよね。やっぱ、自分たちはイヤなんだよ!!
エラー!

『包装バォ・ヅァン』過剰包装でしょ・・
漢字はありがたい。字も意味も同じで、発音だけが変わる。
中国語では、バォ・ズァンという。
 いわゆる、お店などで買った品物を包んでくれるあの包装や、
店に並んでいる商品の箱などのお話である。

 以前、中国の包装は酷いものだった。包装そのものが無い!
何か買い物をしても包装などしてくれず、そのまま手渡される。
 例えば、私がよく出かけるのは、本屋。買う本が決まり、会計が
すめば、そのままその本が手渡される。アレッ、包装は・・と思うが、
相手のその眼は持って行って好いよと、語っている。
 本のカバーなどない。袋にも入れてくれない。
 何冊か一度に買えば、紐で縛ってくれるくらいで、大概は
「ハイヨッ!」ってな具合に、本が渡される。では、買った本とそれ
以外をどう見分けるか?
 本の後ろ表紙裏側にゴム印を押す。多くは店名を記したゴム印
だったように記憶してるが、偶には「支払い済み」などというやけに
直截的なものもあった。お金も払って自分のものになっているのに
何時までもそんな印が押されているはヘン。
 大体がこんなだった。
 市場で果物を買う。こちらが事前に袋を用意していればいいが、
量り売りのこうした果物も、「どうぞ!」と言われて目の前の持ちきれ
ない量の果物を前に、「ハテどうしたものか」と思案し結局は手に持って
いる鞄の中身の教科書などを取り出し、片方の手に持ち、その鞄の
中に果物を持って帰って来たことは一度ならずある。

 最近のエコバックは、エコ・・と言えども中後でもオシャレなものも出現。
 エコだねエコ。誰もが自分のエコバックを持って買い物に来ていた。
今なら最先端を行っていたことになる。あのままで好かったのかも。

 超ごく薄たよりな〜いビニール袋。これでもあればいい方。
 偶にちょっと高い買い物をすると手提げビニール袋の入れてくれるが、
この袋がまた余りにペラペラに薄い。どうなるか。ちょっと重いものでも
簡単に手提げ部分の手のところが切れてしまう。結果、買ったばかりの
梨がそこらじゅうに散らばりゴロゴロ転がることとなる。それを追いかけ、
一個一個拾っては左のポケット、右のポケット、ズボンのポケットと全ての
ポケットは全て梨で塞がれることとなる。こんなことなら、鼻っからこうすれ
ば良かった、と思うが遅い。こうしたコロコロ転がって梨が行く先には、
ドラマなどでは妙齢のお嬢さんなんかがいて拾ってくれて、それを手渡し
戻してくれる際にはちょっとその彼女に手に思わず触れたりなんかして
ドラマは展開するものだが、現実は厳しい。怖いおばさんに拾われ、
「これが転がってきて私の足に当たり怪我をするかと思ったわ」と絶対
折れそうもない太い足を示されたりするのおちだった。

 自分の物の買いものならまだよい。困るのは贈り物だ。
他の方への贈り物で、気のはる相手にはお金も張って、買ったものが、
余りに簡単な包装で、まるで高級感がない。これはちょっと困る。
中身はそこそこ高いモノなのに、まるでその感じを匂わせない包装は
安物を選んだかのように誤解される。出来れば、包装で中身を実際より
以上に立派に見せたいのに。
 大きなお店には贈り物専門櫃台グィ・タィ(カウンター)がありそこへ
持ち込めば、有料だが専門の包装やリボン掛けなどもして貰える。
それくらい、包装そのものが特殊なことだった。
 期待するほどの包装ではなかったが、一応贈り物だ、という
見分けにはなる程度の包装だった。可愛いもんだ。

 それがどうだ。急激に中国の包装が変わってきた。
まず、彩りが。売り場に色が。何を買っても取り敢えず袋が。
ちょっと高価な、或いは贈り物にするようなものには凝った包装が。
  ところが、最近になると、どうもそれも行き過ぎたようだ。
取り分け、外国の人がお土産に買うようなものはその包装が恰も
中国らしい図案の高級感を漂わせたものになった。
 (豪華!豪華!!の商品が目白押し。)
 つまり、中身より包装が立派ならそれだけでお金になることを
知ってしまった。
今や我々の買う中国茶は中身の茶葉などは
二の次、三の次で包装さえ立派で、美味しそうで、手頃なら売れる。
次の段階では、中身なんかもうどうでもよくって、外側だけ立派ならもう
それでよい、という丸で現代の人間を見る目と同じ見方になった。
 それらは更に時を経てよりその傾向を強め、今やちょっと行き過ぎ
というところへ来た。
 過剰包装。これはこれで問題だ。何故に人間は極端から極端へ
行きたがるのだろうか。
  過剰包装というと何故かすぐにあの月餅ユェ・ビィン
の包装を思い出してします。どんだけ立派にすれば気がすむの、ってくらい
包装が立派になった。途中が無い。まるで包装もしてくれない時代から一気
にこのロシアの人形じゃあるまいし剥いても剥いてもまだ中身に届かない
包装は変でしょ。
  お土産売り場はカラフルな包装が増えた。

  姪っ子の誕生日プレゼントに電池で動くパンダの人形を買った。
さて、包装だ。店員さんに恐る恐る、実はこれはプレゼントで・・・と切り出す。
以外にもアッサリ、分かりましたリボンもつけますか?と言われた。
国際便で郵送するのでリボンはどうせペチャンコになっちゅだろうから
要りません、と言った。箱に入れ、丁寧に包んでくれた。
 後日談。
 あとで贈られた本人から聞いた話では。
 先ず私が国際便で差し出す際の中国製段ボールにそれは入れられ。
人形の箱との間に緩和材のプチプチなどというものは無かったので、
私は隙間ができたそこの新聞紙を丸めて詰めておいた。
 それを取り除いてやっとプレゼントの箱とのご対面となり、更に。
 その人形の箱は何と、男性の髭剃り機の箱に入ってたらしい。
そして、箱を開けるとまたすっぽりそれが布製の靴袋みたいのに入っていて、
それからとり出したら、パンダそのものがグルグル紙に包まれてたらしい。
 何重にも包まれたそのパンダは直ぐに壊れたといっていた。
 それは包装のせいじゃないでしょうが。 
エラー!

『討價還價タォ・ジャァ・ホヮン・ジャァ』
 中国買い物指南
 値段交渉をすることを、「打價還價タォ・ジィァ・ホアン・ジィァ」という。
二度出てくる「價」は、価の旧体字であり、価格のことを指す。
「討」は、検討するの「討」だと思っていただいて、
「還」は、返却する戻すの意味。価格を再度戻す。
 つまりは、価格を検討・討論するその過程を指す。
ということで、「討價還價」で値切り合い、の意味ととなる。  
 毎日の買い物でもそれは必要。
 中国での買い物はこれが必要。
必ず値切る、値切って買う。売る方も値切られることを前提に値段を
設定しておりますので、互いにこれが前提となっての買い物となる。
 中国での買い物は難しい。とりわけ外国人である我々には。
 ヒトは買い物をする。毎日する。ヒトは物心ついた頃から買い物を
始め、必要な物を買い、必要でない物も買い、役に立つ物を買い、
役に立たないものも買う。
 日本での買い物は、売っている場所に行き、或いは売っているのを見て、
それが欲しければ、そして持ち合わせがあれば買う。
 中国では違う。売っている場所が分かりずらい、何処で何が売られてるか、
の情報を事前に仕入れる。これは口コミで。
 更に売っているのを見かけてもすぐに買ってはいけない。
 あるものは値段が表記されているが、多くは値段が表記されていない。
先ずは値段を尋ねる。値が表記されていてもその値が決定ではない。
 中国語で買い物は、「買東西」マィ・ドン・シィ、という。
 「買東西」は中国の人にとっても難しいらしい。
 但し、必ずしもそれを嫌がってはいない。時に楽しそう。
そう、買い物は本来楽しいもののはずだ。自分の欲しいものが手に入る。
気に入った物が自分の元に、自由に使えるようになる。だから愉しい。
 それで、中国の人の買い物はこの目的の物を手に入れるそのことより
実は手に入れる過程のやりとり、「討價還價」も含めての楽しみらしい。

  とはいうものの、わたしのようなこの値段の駆け引きに慣れていない
者にとっては、この「討價還價」はなかなかに厄介だ。
  こうした観光土産のお店は必ず「討價還價」を。
 ではどうするか、中国・「買東西」指南を。
 貴方・貴女が中国旅行をしていて何か欲しいものがあったとする。
この時点から、貴方・貴女の「買東西」が始まっている。
 すぐにそのモノに近づいてはならない。それをジーッ見てもいけない。
おもむろにその欲しいモノの周辺にある品をそれとなく手に取ったりして、
先ず買いたいそのモノ以外の物の値を尋ねる。目的のモノが今尋ねた
物より高そうなものか少しは安いかぐらいは見当をつけておく。
 次に値を尋ねる。その目的のモノではない品で、何気なく訊いてみる。
少し間をおいてさもついでに、の面持ちで、目的のモノの値を尋ねる。
別に欲しくなどないがちょっと訊いてみただけ、といった様子で。
 安かったら買おうかなぁ・・・ぐらいの雰囲気で。
 向こうの提示値が貴方・貴女が安いな、と思ってもそれおをおくびにも
出さずに、「太貴了!」タィ・グィ・ラ!高すぎるんじゃない!と言わなくては
いけない。すかさず「便宜一点ル口巴!」ピェン・イィ・イーディアール・バ、
ちょっと安くしなさいよ、とつけたす。
 こっからですよ、買い物は。こっからが勝負。やっとこれでスタート地点に。
敵もさるもの、多分売り手は最初の提示値の端数を切り捨てた位の値を。
 ここで貴方・貴女が目指すは、相手の最初の提示値での半分くらいを。
ですからここは思い切って、どう思われようとも、相手の値の思いっきりの
安い値をぶっつてけてみます。相手に笑われます。そんな値で売る店は
ありまえんよ、と。あったら私がそこで買いますよ、とも。そう言いながらも
相手は先ほどより多少値引いた額を提示するはず。それに惑わされず
貴方・貴女は先ほどの値を無理と知りながらもう一度言ってみます。
 相手はあきれて、ちょっと怒ったように、その値では絶対買えないと
言ってきますから、それなら買わない、ぐらいの雰囲気で
その場を離れようとします。それを見た相手は、歩み寄りの姿勢を見せ
一番最初に提示した額からかなり思い切った値引きの額を提示する
はずです。恐らく貴方・貴女のサイフの中身からして、十分に安い値段
だと思いますし、日本の物価から判断したならこんなモノがこんなに安く
買えるならそれで十分とお考えでしょう。多分それで満足されるでしょうが、
ここでもうひと押ししてみると、何とまた少し安くなるではありませんか。
それで喜んではいけません。自分の提示した額にはまだほど遠いが
今回はまぁアナタの顔もたてて、てな感じでそれに応じます。
 それで油断せずに、大して買いたくもないものにも気があるようなふり
をして、好いもの置いてますねなどと言いながら品物を待ちます。
 品を手渡しながら相手は、これではこちらに利がありませんよ、てな
ことを言いますが、な〜に向こうは向こうで儲かった、と思ってますから
おあいこです。
  どっちが得してるかって?そりゃあ商売人かないませんよ。
加えて中国の人に駆け引きでかなう訳がありません。
 でもここは思いっきり見栄を張って、アンタに譲ってやるからね・・・
ってな感じで店をでます。未練を残してはいけません。
  ゴ〜ル! 
  ここまでが中国での「買東西」です。
この「討價還價」が楽しめなくてはいけません。
 どうです大変でしょ。勿論「討價還價」の対象外商品もありますし、
対象外店もあります。でも基本はこれです
  ものを買うのにかぎりませんよね。
 経済的行動、お金を払う、そうした全ての場面で交渉能力が
試される中国。
 払う側はできる限りその額を抑えて、
 売る側は一円でも高く買わせる。
 このせめぎあいです。
 こちらとしては、そんな戦いなどしたくもないのですが、
売る側が事前準備として掛け値をして待ってる。
いかんともし難い、わたしなどはその防衛手段として、お付き合い。
そしてオマケして、いやマカリマセンのやり取り。
 これこそが中国では「買東西」の醍醐味であるわけであります。
 それを楽しみたい方はどうぞ中国へ。

エラー!

『白衣悪魔 バァィ・イー・ウ・モォ』
 白衣の悪魔・・って何よ
「白衣」ときたら、「天使」じゃないですか・・・普通。
 
普通はそうなんです。そうなんですが、今回は・・・。
これはわたしが言ってるのではありません。中国の人たち
ですね、そう言ってるのを聞いた、というか、漏れ聞いた。
 さらにですね、此処で言う「白衣」は残念ながら、何が残
なのかもよく分からないですが、残念ながら所謂、看護婦さんでは
ありません。看護婦さんって言葉も今、使っちゃだめなの??
 余談ですが、看護婦さんのあの「戴帽式」は
完全に中国語ですけど・・。戴帽の「戴」はかぶるの意味です。

 話を戻すと、「白衣悪魔」はですから、「白衣の天使」の真逆、
と思っていただいて構いませんし、字そのままの意味で白衣を着た
悪魔、と理解していただいて構いません。
 因みにここまで説明したら、「白衣の天使」は、間の「の」がない
だけで、「白衣天使」バァィ・イー・ティェン・シィ。
 ということで、中国でもこの「白衣」は医療関係者を代表してます。
ここまではいいんですが。それが何故に「悪魔」となるかというと、
そういう人がいる、ということですね。で、この「悪魔」は医療従事者
というか中国でいま言われているのは、お医者さんを指します。
 重ねて申し上げますが、わたしが言ってるのではないのです。
お医者さんをつかまえて、「白衣の悪魔」なんてわたしは言ってません。
また、最初に彼らの名誉にかけてお断りしておきますが、中国の
全ての医療関係者・お医者さんがそうだ!!というではない訳でして、
そんなお医者さんが・・・というかいま中国の医療制度は大いに問題
ありなんですね。そんなことを書きます。
 今回は格調高く?中国の医療制度にメスを入れる、となりますか
どうか、要するに中国の今の病院が抱えている問題を見てみましょう。

  多少、有名になってますが、世界でも日本のような国民総健康保険
の国は稀でして、誰でも何処でも保険を持ってれば安心、というそんな
制度そのものがありません。
  次に問題なのが、治療費その他すべてが基本、現金前払い、という
ことになってます。ということはどうなるか?入院となったら即、現金が
要りようです。手術ともなれば、手術費とまさか日帰りともならないので
プラス入院費を、事前に用意しておかなくてはならない。基本ですよ基本。
分かりやすく言ってますが、取り敢えずあなたが病院に掛かろうと思った
なら、先ずはこのお金の心配。いやでしょ。これだけでもう〜イヤ。
 なのに行った先のお医者さんが、「医は仁術」どころか、「医は金術」、
だってんですからたまりませんよね。弱り目になんとか。

  とりわけ、病院で使う薬のところが怪しい!!何を言ってるかというと、
その現金先払いシステムなんですが、その際に、この「白衣悪魔」たちは、
これこれの薬を病院の薬局で買ってきなさい、というんですね、で患者や
その家族は助かりたい一心ですから、そりゃ買ってきますよ。それもどの
薬が本当に必要でどの薬がどう使われてるかなんてのはそこはシロート、
言われるがまま。
 新聞やテレビのその手の報道を見てますと、この時、
まず、本当は安い安い薬なのにパッケージと名前を変えて高いクスリに変身。
或いは油断すると?使ってもいないのに、そのクスリを買わされた。
医者の言うクスリよりちょっと高価なクスリを金持ちなんで、金で健康が買える
ならと、高いクスリ買って治療していたはずが、そのクスリは全く違う患者に
使われていた・・・、などなどナニコレ!!事実が暴露されているのを見る。
 酷い話ならいくらでもある。本当は手術が必要な患者だが、身寄りというか
本人確認ができない事故の患者を無理やり退院させちゃったり、先月は
ちょっと都市名は忘れたが、救急隊員が交通事故で搬送中の患者さんの
身に着けていた高額の宝石を盗んで、病院では治療費を誰が払う誰だ・・・
のテンヤワンヤの時間が長引いて、患者さんを死なせちゃったり、とかとか。
 ひどい、むごい、かなしい、の三つも〜“い”がついちゃう。
 奔馳(ベン・チィ)の救急車があるんですよ・・・、乗ってみたい?

 白衣のこのポケットには何が入るんですかね。
 そんなんで、かねがねわたしは中国は先ずは医療制度と教育制度に手を
つけるべき、と叫んではいるがわたしの声などど〜こにも届かない。

  わたし個人は、“バカ”が頭につく位の健康体で、中国で病院のお世話に
なったことがない。自分にはないのだが、周りの人たちはある。
 友人が体調が思わしくなく、検査をすることになった。これはチャンスとばかり
その友人の付添いということで、いざいざ病院へ。
 向かった先の病院が遠い。何で?と訊いたら、F老師の紹介だという。F老師
の「愛人アィ・レン(中国ではお互いに連れ合いを指してこう呼ぶ、日本語のその
・・・ほうの意味はない※念のため)」がN病院のお医者さんだと聞かされた。
 なるほど。このなるほどはちょっと深い。先を急ぐ。どんどん急いで、
一応の検査が終わった。先払いだと聞いていたが、病院の受付で友人が名を
なのるやまるで別扱い。多分!F老師から連絡がご主人に入りそこから病院中
に既に連絡が入ってたんだと思う。それにこの友人というのが何あろう典型的
な欧米人で金髪で青い目ときている。病院中に緊張が走ってた。
 それはオマケ効果だろうが、さて、お勘定?となったら、これが安いんだ。
いくら中国とはいえ、あれだけエックス線だの、何だの検査をしたのに、支払いが
極端に安い。絶対コレってお得意様値段?
 支払いの窓口で、友人も私もそれはヘンだろう!!と立場が逆転の、払わせろ!
騒ぎをしていたら、そのF老師愛人が降りてきて、やぁやぁ・・・と言い。
ガンとして受け取らない。終いにはこれってメンツに係わるか、と思わせるちょいと
気まずい雰囲気まで行った。結局それ以上はムリ!!となって、
 帰りのバスの中での友人との二人の会話。
「アレッて絶対変ですよね!」「もちろんだよ!!」「その実際に掛かった分は誰が
払うんですか?」「んん・・・分かんないけど、適当に??どっかにつけちゃうんじゃ
ないの??」「じゃぁ、誰かがその分も払わせられるってこと??」「ありえる!!」
 というように、これは知り合いプラス欧米人優遇例。
こんな優遇がいくらもある。いわく、幹部優遇。親戚優遇。
 その分、優遇されない人がいる。それどころか他への優遇の分をそっから
埋め合わせしようというのだからたまったもんじゃない。

  中国医療制度の改善が急がれる。と言っても誰も急いでいない。 
エラー!

『農貿市場 ノン・マォ・シィ・チィァン』
 中国の市場
農貿市場、このコトバ自体がもう古い。誰ももう使っていない。
多分、せいぜいが自由ズゥ・ヨゥ市場シー・チャンくらいで、これとても
現代中国ではそろそろ危ない。久しく聞かない。
 どう危ないかというと、死語になりそう。
このコトバ、みなさんは覚えなくていもいい。誰も使わないんだから。
 農貿市場はその名が表すように、嘗て、計画経済市場の時代の
中国で使われていたコトバ。中国の若い人には馴染まないコトバだ。
自由市場にしたところで、つまりは自由でない市場があった頃の名残り
と言える。
 
 では、市場はなくなかったのかというと、まだある。

 ヒトは毎日の買い物からは自由になっていない。それをある時代はそう
した市場が担い、徐々にそれがスーパーマーケットと言われる、そんな
青空の下や、台を並べただけの、或いはその台すらなくて地べたに直接
品物を置いて並べて売っている場所(市場)が少なくなりつつある。
 とりわけ大都市では。街が整備され、街の中心地ほど市場がなくなる。
それは日本も同じだ。いや、だった。市場はいつの間にか追いやられ、
その場ではやってゆけなくなり、大型スーパーに取って代わられる。
 無くなるなら、その前に書いておこうと思った。

 以前は旅をして無作為に街をブラブラしていても割と頻繁にこうした市場
を見かけた。旅の途中だし別段買うものなどないのだが、何故かついでに
覗いて歩くのが好き。必ず立ち寄る。「市場物価調査」、と称して。
 大体が売られているものは、野菜だったり、肉だったり、魚だったりの、
日々の食事に欠かせない食料品が多く売られており、こっから派生して、
そうした食料品関連の物や、何に使うのかも分からないような道具なども
売られていて、見ているだけも楽しい。
 楽しさは人によって違う。
 何が楽しいの?と訊かれることがあるが、これが楽しい。
まず、売られている野菜も日本では見かけないものがある。
日本と同じ野菜がであってもその形状が違っていたり、どこか違う。
当然、魚は見たところ××みたいなんだが、どっかちょっと違う魚が。
海の魚が少ないので、あまり見かけない魚も多い。
肉はそのカタマリがド〜ンとこう置いてあって、そっからの切り売りだ。
どの売主も新鮮さを“売り”にしているので、この量も置き方も独特。

 スーパーマーケット、超級市場ツァォ・ジィ・シー・チャンとはどう違うのか。
スーパーは、自分でその品を籠に入れてレジに持っていけばいいだけだ。
自分の買いたいものがある分量だけちゃんと分けられて包装されいる。
売り子さんは基本、要らない。勝手に品物を取り、買いたければ籠へ。
 この点が一番の違いでしょう。農貿市場では基本、攤子タン・ズと言われる
平台が個々にあって、その一つ一つに店主がいて店員いて、店主兼店員の
場合もあるが売り子さんがいる。
更に基本、値段が表示されていない。どうするか、尋ねる、一回一回尋ねる。
欲しかったら先ずは尋ね、必要に応じて値切る。相手の提示した値が不満
なら更に値切る。自分の目標があるならそこまで値切る。品物の良し悪しも
自分で確認する。そして、おおよそのものは全てその重量で買う。
つまり最初からこれどうぞ、と包装などされていなくて、買った後も包装なし。
エコですね、エコ。
 その都度尋ねなくてはいけないので買う側にもそれなりの商品知識が必要
だし、値段交渉もしなくてはいけないので、勢いそのやり取りがおおくなる。
 それは隣の店でも、そのまた隣の店でもやっているので、交渉に熱も入り、
賑やか、好く言えば活気溢れるところで、逆だと煩いと思える場所でもある。

 その品物の置き方も毎日のことですしね、多分その日のうちに売り切って
終うんでしょうから分かるんですが、それにしても雑多な置き方で、もう少し
飾ったらどうよ、とも思うがかなり手荒い感じを受ける。特に肉が。
 綺麗に見せて売ろうなどとは誰も考えていないらしい。
綺麗の基準が違うのかもしれない。確かにそのままの新鮮な野菜にはその
野菜にしかない美しがある。余りに作られた綺麗さに馴染んでしまい、本当の
美しさは何かをこちらの方こそ、忘れているのかも。

 もともとこうした日常の食材はその家族構成やその日に必要な量に合せて
買うのが本来だろうから、その分量は客によって違う。となれば売る方はその
重量で目方で売るのが親切というものだ。だから量り売り。
 量り売り、量り買いは端数が出る。必ず。同じ品物でもその重量は微妙に
違っているから。その秤がまた、天秤ばかりときたらもう手におえない。
天秤ばかりを知らない人の為に写真を用意した。

 ↑ この子が手にしている棒のようなものがこれが天秤ばかりだ。
両端に荷物を掛けて担ぐ、天秤棒をご存じだろうか。あの要領で片側に品を
片側に分銅と呼ばれる金属の重りをつけ、棒が水平を保てばその分銅の重さ
が即ち品物の重さ、ということになる。この分銅の重さはそんなに細かく分れて
ないので、その途中の部分は棒に目盛が刻んであり分銅の位置を調整すること
で加減できる、というかなり複雑にして巧妙な道具である。
 例えば、1斤ジン(1斤=500g)の値段設定をしていて、客が1斤欲しいとして
も品物が丁度1斤でピッタリになることなど少ない。加えて、1斤の値段がまた
キッチリに値でないとするなら、その組み合わせ計算はかなり複雑で、高等数学
の領域に達しているとおもうが、この少年はそれを事もなげにこなすのである。
 天才かもしれない。いや、天才でしょう。素晴らしい。

 こんな小さな可愛い天才にも会えるし、その町の物価も覗けるし、地方の言葉
も聞けるし、お好みなら地元の果物ぐらいは旅の途中でも邪魔にはならない。
勢い、旅先のこうした農貿市場で果物を買うことが多い。
 こうした市場の客はその殆どの地元の毎日のように見かける客。
そんな所にフラッと現れた余所者の客。当然ぼられる。
それでもこちらは精一杯地元人ではないが外国人とまでは分からないようにと
願っているが、案外それも見抜かれているのかも知れない。
 それでも別に構わない。果物を買うだけの話だ。
 最近わたしの楽しみは相手がどれだけどうやってぼってくるかにある。
どんだけ吹っかけるかで相手が少し見えてくる。
 そんな楽しい農貿市場もどんどん少なくなっています。
早く行かないとホラッ!なくなちゃいますよ。
 でも、道路脇で開催の市場はもう絶滅危惧種。


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