月刊・私の見た中国 目次


 月刊・私の見た中国 目次

エラー!

『団圓飯 トゥァン・ユァン・ファン』
 一家団欒での食事
 2月、中国では“春節ツゥン・ジェ”(正月)を迎える季節。
それにふさわしい話題を、と言うことで「団圓飯」の話題を。
 御存じ、“春節”に間に合うように故郷へ帰る為の大移送作戦
“春運ツゥン・ユン”のことは前に書いた。
 “春運”で運ばれた人たちは三々五々実家に集まる。
この点では日本も同じだし、韓国もそうなんだそうだ。
だが、欧米の人たちから見れば、年越しだからといって何でその
休みに大変な思いまでして必ず実家に帰らなければならないかが
理解できないらしい。
 分かんないだろうなぁ、そのへん。
 正月になったら帰るんですよ、自分の生まれたとこへ。必死に
帰る。大変なんですよ、この“春運”は、でも、帰る。
 老家ラォ・ジャァ(中国語で生家)までの切符を手に入れ、乗車率
180%以上?の乗り物で這う這うの体で辿り着く。
 このお話はこっから始まる。三々五々集まって来た親戚・兄弟。
中国はもともとが大家族主義だったので、数が多いことが良しと
されていた。
 大学へ、仕事で、結婚して、それぞれ他の都市へ離れて住んで
いる人たちが一度に戻ってくる機会はそうはない。加えてお目出度い
お正月だ。これはもう集まって美味し物でも食べよう! はごくごく
自然の流れ・・・・、でしょ。
 これを「団圓飯トゥァン・ユァン・ファン」と呼ぶ。

 顔を揃えた家族での乾杯が幸せのひと時!!
久方ぶりに会った一家、一族揃ってのお食事ともなればそりゃぁ
もう楽しいに違いない。楽しいかどうかはそれぞれでしょうが、賑やか
なことはもうこれは絶対。

 以前はこうした「団圓飯」は家族が揃って年越しをするその夜に
やられていた。その代表が、年越し前の除夕ツゥ・シィ(大晦日の夜)
一緒に作る餃子と、年越しの料理だった。
 日本のお節ち料理の類と思っていただいて構わないが、中国料理は
基本、熱々を食べるので、日本のお節ちのように作り置きはできない。
その場で作ってその場で食べる。
 世の流れとして、それなりにこれらは面倒だ。自分で作りのがだんだん
に面倒くさがられるようになった。
 となれば、面倒なんで外で食べよう、となる。
ということで、レストランへ。大概同じ様なことをみんな同じように考える。
当然、レストランは普段より込み合うことになる。

 この頃のレストランはどこも大混雑。
 一方レストランの従業員、コックさんだって老家へ帰りたい。
でも客は引きも切らずにやってくるし、予約が山のように入ってくる。
 ここは需要と供給の均衡を図るため、この年末・年始の期間はレストラン
はどこも割増料金を、となる。
割増料金なにするものぞ、年に一回の「団圓飯」だ。
それに来年はどうなるかは分からない。となれば、誰もが割増料金を
払ってもまだレストラン予約に走る。
 なんせ中国は人が多い。ここでも競争率が凄まじい。人気レストランとも
なればかなり前からの予約が必要だ。
 賢明な皆さんにはもうお分かりと思いますが、そんなそんな前から今年の
年末の予約をしたって、子供たちが兄弟たちがその年の年末に帰ってくる
かどうかは不確か。これはかなり悩ましい。
 戻ってくるなら是非あのお店で、と思うが誰も帰ってこなければムダ。
取消費チュゥ・シャォ・フェィ(キャンセル料)もかかる。自分の面目も潰れる。
 更に賢明な皆さんはお気づきでしょうが、中国の人は一たび年越しとも
なれば、ここまで帰省の切符を取得から始まり、先を争っての場所取り合戦
が果てしなくつづくこととなる。
 時期とのなれば、レストランの方だって宣伝合戦。

みんなと違う動きをすればいいのに、と思うがそんなことは言えない雰囲気。

 一度だけ、某知人から「団圓飯」に誘われご相伴に預かったことがある。
知人は一人中国で淋しそうにしている私への同情から誘ってくれたものと思う。
その時も大人数だったが何せ私が知っているのはその知人とその奥さんだけ。
一杯いたがあとは皆その日に初めて会った人たち。次々に紹介されるが、
覚えきれたもんじゃない。
 中国の人は総じて客好きで、一人外国人も加わって尚のこと盛り上がった。
料理もコレでもかぁ!ってなくらい豪華な料理が次から次と出てくる。
乾杯!干杯 ガン・べィ!!の嵐だ。もう勘弁して下さい!というくらい食べて、
さて、ようやくお開きとなった。
 そしたら、店の前でお一人が、わたしは明日帰ります、と言う。
少し先に休みを貰って、明日には職場に戻らなくてはいけない、と。
この後だと、戻る切符も手に入りにくくなるのだ、そうだ。
話の接ぎ穂として、何時間かかるんですか?と訊いてみた。
18時間、と事もなげに答えた。ほぼ一日じゃないですか・・・。
彼の方も気を使ったのか、日本までは何時間・・・?と訊いてきた。
んん・・・3時間とは言いづらい。

エラー!

『三八婦女節サン・バ・フゥ・ニュゥ・ジェ』
 女性は天の半分を支える
「婦女能頂半辺天」フゥ・ニュゥ・ノン・ディン・バン・ティェン、
と読む。この話から始めよう。
 これは、あの有名で偉い、毛沢東・モゥ主席の言葉です。
偉い人の言葉はありがたく聞いておかなくてはなりません。
このコトバ、今でも語り継がれているくらいですから、それはもう、
ありがたいコトバです。
 意味は、「婦人は天(世の中の)半分を支えている」というもの。
 真理でしょ。世の中には、男性と女性しかいなのですから、その
率はともかく、半分は男性が、半分は女性が支えている。
 そんな真理をわざわざ偉い人がコトバにして言うということは、
逆に言えば世の中そうなっていない、ということの証明でもあります。
 その真理と世の中の差は様々なことに見られますが、ここでは、
“真理”は数の問題ですが、問題は数ではなく、社会ではその位置と
役割について言っているわけでして、偉い毛主席はそこを看破して
こうのたまわったわけであります。
 それを記念して、こ〜んな記念切手まであるのです。

  そうです、これは、女性の社会進出の問題です。

 聡明な女性が増えてきた。もともと聡明だったのかも知れない。
それを男性社会は認めたがらなかった。日本でもやっと最近になって
女性の活躍が目立つようにはなってきたし、そうした話題をよく目にする
ようにもなった。
 だがどんな事でもそうだが、話題になっている内はまだ本物と言えない。
まだ、それが珍しいから話題にもなり、取り上げられられる、でしょ。
珍しくもなく普通なら何も話題にされることもない。実は取り立てて話題に
上らなくなってこそ社会に定着し、認知されたことになる。こうなって本物。
偽物の日本の女性の社会進出は本質と関係ない所で騒がれたりする。
 「女社長」「女性市長」「女性知事」「女ナントカ」「なでしこ××」
とお決まりように「女」と言う字がカンムリに付いてるようではまだまだ。

 この点は中国は見習うべきものがある。偉い毛主席が言ったことを実践。
女性はあらゆる分野に進出。どんな職場に、どんな地位に女性がいようと、
驚くには当たらないし、実際に居る。
 街では二輌連結のトロリーバスの運転手さんが女性。当時、バスには
もちろん、パワーステァリングなんてな便利なものはなかったから、あの
ハンドルは男でも大変なくらい重いし、力仕事だったとおもうのだが。
 手元には、科長は勿論、処長、市長の名刺のなかの半分は女性。
 町で、役所で、市場で、病院で、工場で、学校で、乗り物で、農村で、溌剌
として聡明そうな女性を眼にすると、なるほど毛沢東が言った通りだ。

 そんな毛主席の手柄を披露したくて書いているのではない。3月8日が、
そういう日だということを書きたかった。3・8なので、サン・バァと読む。
 この日は女性にとって特別な日。サン・バァとくれば、「婦女節」。
 この日は、国際婦人デー。中国語の「節ジェ」は、祝祭日を指す。
ですので、この日は婦人(女性)の祝日。男性の祝日は無い。

 この日はわたしが知ってるのは、大学では、女性の先生は午前中で
仕事は終わり。午後は学校が用意した祝賀会のようなのに参加。
 紀念の品物や、映画の優待券などが女性の職員だけに配給される。
とりたてて派出はないが、何らかの行事はあるようだ。

 中国は基本、夫婦両方が仕事を持っている。その意味では、女性の
社会進出度は世界的に見ても先進的な方だと思う。

 ×十年前の、3月8日。いつものように私は大学の傍の市場で果物を
物色していた。Z先生を見かけた。文法の先生で堅苦しい授業で有名な
先生で学生には余り評判がよろしくない。怖い先生として恐れられてる。
Z先生は豚肉の固まりに挑戦していた。今晩のおかずだろう。中国では
男性が料理をするの極一般的なことなんで驚くには当たらない。老師の
方で私を見かけ、「ドン・ツゥ!今晩閑か?どうだ、うちに来ないか?」と
のお誘いを受けた。実は大分以前にも老師の家に御呼ばれで伺った事
がある。「でも、老師・・今日は婦女節ですし・・」と言葉を濁すと、「没関係
構わん!」という。ちょと遣り取りがあって結局それ以上断るのは悪いし、
機嫌を損ねそうなので、伺うことに。
 その日のZ老師と奥さんで同じく学校で事務の仕事をしているY夫人は、
暖かく迎えてくれて。前回同様、Z先生が腕を振るい、まめまめしく動き、
料理を作り、並べ、最後は洗いものまでしていた。料理も美味しかった。
Y婦人は私を退屈させないように学校内のあれこれ話題を提供してくれ、
楽しい時間を過ごすことができた。
 帰り道に寮まで歩きながら考えた。何で今日私は彼の家に呼ばれたの
だろうか?と。市場で偶然会うことなど珍しくもない。でも、今日は行き成り
何で?「今晩家に来ないか?」のお誘いだったのか?特別な話は何〜にも
なかった。楽しかったからいいかぁ・・・。

  かなり日が経ってから、この日の疑問が解消した。
 何でもZ老師の家だけに限らず、あの日、3・8婦女節の日は、夫婦二人
っきりの家庭だと、その日に限って中国と言えども婦人の社会的置かれてる
様々な問題が食卓の話題に上がり、そっから派生して我が家は・・の話になり
ず〜と奥さんの愚痴を聞くことになるらしい。とりわけ、Z老師はここ数年そう
した3月8日を過ごし、この日は要注意日であったらしい。そこで一策を講じ、
誰か第三者がいれば、それは無くなるだろう・・と。それもおあつらえ向きに、
外国人がいるとなれば話題はそちらへは向かわないはず、と彼は考えた。
 市場で私を見つけたZ老師、“飛蛾投火”飛んで火に入るナントヤラ、だった
のでしょう。どうやら彼の思惑はまんまんと成功。この日を上手く躱した。
 そう言えば、余り礼を言ったりしないZ老師が、招待した側であるのに、翌日
わざわざ私に「昨日はありがとう!」と言っていたもんな。

 最近はその日に狙いを定めた、商戦が激しい。
 もし、8・8折とあれば、正価の8・8掛け。1割2分引きですね。
エラー!

『錦旗ジン・チィ』感謝のしるしです
 「錦旗ジン・チィ」は日本語読みすると、「錦ニシキの旗ハタ」。
その言いたいところは、そんなにはずれちゃいないが、日本語の
「錦の御旗」ようなの意味は中国語にはない。
 ただ、そのものを指した場合、「旗」はそのままハタだし、「錦」の
コトバから、その晴れがましい金糸銀糸や紅色を思い浮かべる
なら、それは殆ど違いがない。
「故郷に錦を飾る」は、そんな派手めの服を着て帰郷することを言い、
「錦鯉」は、確かにそんな紅と白や金の取り合わせの鯉のことだ。

 さて、中国の「錦旗ジン・チィ」はこんな、旗です。
 感謝状、お祝いの時、表彰の時相手にあげる旗です。
←この書かれている文言は色々。「拾金不昧」
小さいのから大きいのまでいろいろだ。形は大体がこんな縦長の下は
斜め切りが多い。将棋の駒を逆さにしたようなものと思って頂きたい。
 基本、地がアカで、それに白抜きの字と金色の字が躍る。
金糸でふさが付いてたりする。上には棒が突き抜けるような構造に
なっているのが多い。旗の中央には漢字がずらっと。中国だからこれは
当たり前か。字は一行書きか、二行書き。三行書きというのは見たことが
ない。どうやら簡潔を旨としてるらしい。一行でピシャッと相手に感謝し
褒め、讃えるのはそれなりに難しいんじゃないの、と思う。
 横書き、というのは一度どっかで見た記憶があるが、どんな文言だった
かは忘れて終った。

 書かれている文言は実に多種多様。何を褒め・讃え・感謝するかによる。
 「冠軍 グァン・ジュン」 は、「優勝!」と言ってるから何かで優勝
したんでしょうな、きっと。
  
 そういえばこの中国の「錦旗ジン・チィ」、日本の高校野球の時のあの
優勝旗に良く似てますよ。いやいや、日本の優勝旗が中国の旗を真似て
作られているものらしい。
 近頃よく何でも中国の日本の真似をした商品やらを取り上げて、パクリ
だとか偽物とか言ってますが、こうして日本も昔は随分中国にお世話に
なってるんで、あんまりそう声を荒げて言わん方が好いとおもいますよ。

 上の、「拾金不昧 シィ・ジン・ブ・メィ」 は、「拾った金をねこばばしない」
もよく見ました。不正を働かない、というんでお褒めをいただける。てっことは
そんだけ、ねこばばしちゃう人が多いということですか。これは一行で
なく必ず対の文言が有ったようです。
 「不正を働かず」なおかつ、「努力を怠らない」とかの。
ですからこれ、「拾金不昧」は真面目とか勤勉ぐらいの意味ですかね。

  で、これらはある機関とか団体から個人に贈られるものです。
個人から個人もあるのかなぁ。日本だって変でしょ、個人が個人を表彰したり、
感謝状を贈ったりするのは。ですので、概ね、機関から機関へ、団体から団体へ、
機関・団体から個人へ贈られることになります。
 となって、これらを授与する栄えある人はこれがたまちゃうんですね。
 日本でもよくその、会社の壁は表彰状だらけ、なんてな会社や
 お宅に伺ったら、壁ぐるりに額入り表彰状がこれでもかぁ〜ってくらいずらっと
並んでることがありますが、それと同じで壁一面が紅色だったのは、私の記憶では
確か病院の事務室で見たように思います。
 こんなにも、感謝され褒められてますよ、との圧迫感がありました。

 これでもかぁ!!ってくらい沢山張り付けてある壁を見たこともある。。
 わたしには他人様から褒められたりすることが、子供の頃から今に至って
なお、これからも予定されてないし、多分無い、きっと無い。
一度だけ、中国で社会人に夜の教室の、お勤めを持った人達の文化教室的
なところで日本語を教えていた時、そろそ帰国を控え、それを生徒に話したら、
生徒たちが帰国前の最後の授業はお別れの会を催し、そこで紀念に「錦旗」を
贈ろうとの相談が持ち上がっていることを、小耳にはさんだ。
 もし、それが実現なら私の人生でたった一度の他人様から褒められてこと
になる。そして、私はそのこと自体より、何て文言になるんだろうとそれに期待
した。
 最後の授業のその日。授業といっても講義はなく、私が挨拶をし、生徒が
一人一人立って、一言ずつ言ってくれた。
 それで終わり。最後は拍手で送られた。
 わたしの小耳は一体何をはさんだ、というのだ・・・。
後で分かったのは、「錦旗」を贈るため、贈る側として文化教室を運営してる
団体がその団体名で贈るべき、との生徒の意見で学校側に掛け合ったらしい。
 ところが、学校側の回答はこれまで一度も学校としてそうした個人の先生、
とりわけ外国籍のずっとはいない、一時期の先生にそうした「錦旗」を贈った
ことが無いというのと、時間が余りに迫り過ぎていて間に合わない、
 ということでオジャンになった、と今度は小耳ではなく、面と向かって言われた。
結局後にも先にもたった一度きりの絶好の機会を逃してしまった。

  別に特別欲しいわけではない。強がりではなく。

  
エラー!

黒板報ヘィ・バン・バォ』粉筆の芸術
黒板はそのままの意味。音だけ変わる。ヘィ・バンと。
その後ろの、報は、音がバォ。日本語の報じる、の意味。
こちらは、日本語の新聞の意味もあって、晩報ワン・バォ
と言えば、夕刊を、周報ゾゥ・バォは週刊誌を指したりする。
 それで、「黒板報ヘィ・バン・バォ」はその黒板に書かれた
報道といいますか、お知らせを指します。

 粉筆はフゥン・ビィと読みます。粉の筆はもうお分かりでしょうが、
黒板と一緒に出てくればそれはもう、アレですよ、アレ・・・。
チョークですね。確かに粉っぽいでしょ。
 あとはもうお分かりでしょうが、これが極めて芸術的なんです。
この「黒板報」もだんだん無くなりそうなんで急いで書いてます。

 先ずは見ていただきましょう。
←  こんなんです。
 主に何かの記念日のお知らせ等に絵入りのもが使われます。。
 もう一枚。
  ドラえもんを書いたりもしてますよ。中国でも大人気。
 前の方に生徒の姿もあります。これが「黒板報」。
たぶん・・・日本にもあると思うというか、日本でも何かの記念の日
或いは器用な先生がおられればこれくらいのサービスはありそう。
 ですが、圧倒的に中国がその数を多く見ることができるし、
その芸術性も抜きんでているように思う。

 まず、絵が美味い。チョークで描く絵ですから普通とは違う。。
それにチョークですから、色の数が限られているのに、これがまた
絶妙に色を合わせたりしてこれがまた上手いんですよ。
 更に、絵だけ上手くとも駄目なんですね。ホラッ、字もこの場合
画のように描かれますから、字も上手じゃないと。その字もあれですね
普通の字じゃなくてデザインされた文字ですよね。
 更に更に、書かれている文もそこそこ気が利いている。
 これだけの事をやっちゃう人は凄い。
  コンピューターのトップ画面XPを忠実に再現。
上手であればあるほど消すのが惜しい。何時かは消すんでしょうけど。
料理のあの余りに綺麗な飾り付けと同じです。
 かなりの頻度で素晴らしい「黒板報」を見ました。
 この習慣?残しておきたいです。世界遺産に認定してもいい。
ところで、世界中の学校は「黒板」使ってるんですか。日本は最近
ホワイトボードだったり、電脳(コンピューター)に移行してます。
 ですので、中国だってこれからはどんどん無くなりそうです。
残しておかなくては。世界遺産として。

  そんな芸術的「黒板報」をいつも通り?ボンヤリ眺めてたら、
後から知り合いがやってきて、それを描いてる先生になにやら指示
し始めた。「新入生歓迎」の内容だったと思う。
 突然何を思ったのか、東出ドン・ツゥ(私のこと)!何か描いて・・・
と言う。いやいや・・・と断ったのだが、黒板の上隅の方を指して、、
「ここに日本語で書いてくださいよ」と綺麗に書いてあった文字を
サッサッと消しちゃった。
 そこまでされては・・・。しょうがない。書きましょ。
ここは外国の雰囲気を出すのにワザとひら仮名にしよ、と考えた。
「おめでとう!ようこそ!!」と書いた。ちょっと太字なんかにして。
 これが中った!!存外に評判が好い。
 その後、この「黒板報」は新入学時期が過ぎ、数か月経っても
そのまま。ちょっと気恥ずかしさもあって、もうそろそろ消して貰い
たい、と切望。
 誰も見てない時に、自分の描いたそこんところだけでも消そうか、
とは思うが、それだと直ぐに犯人がわかっちゃうかな・・と躊躇。
 私の描いた部分以外はそれはもう素晴らしい芸術的「黒板報」。
ところがところが後々聞いた話では。私が描いたあのへたくそな
ひら仮名日本語が新鮮で好かったらしい。
 そう言えばあの後、何回か同じように「ひら仮名書いて!」の
注文が舞い込んだ。勿論逃げ回ってその難は逃れたが。
 今でも残念なのはその自分の描いたそのときの「黒板報」の
写真を写しておかなかったことだ。あれは悔いが残る。
流石にその後消されからその事に思い当たったが、間に合わず。
 あの「黒板報」は実に見事だった。証拠が無いですが。
 その証拠写真は残念ながら見つからない。
エラー!

『山寨文化サン・ザィ・ウェン・ファ』って何よ!
 とりあえず、有名なのはこれです。
 何のことかと言うと、コレ、「山寨手机」と言います。
 「山寨」はサン・ザィという発音になります。
 「手机」ショゥ・ジィはこれで携帯電話でして、
中国「手机」のお話は、2010年5月をご覧ください。
今どきのケイタイは中国も智能手机ジィ・ノン・ショゥ・ジィ
といって、アイホン・スマートホンに移行してます。
  後ろの字の「寨」ザィですがこれとりでの意味。
 砦は、そう山賊なんかが隠れる山間にある要塞。
  それと、「文化ウェン・ファ」がどう結び付くかというと、
 そんな遠く離れた要塞で培われる独特の「文化」かというと、
さにあらず。まったく違います。
 「山寨」という語が違う意味で使われ始めたのはつい最近
でして、もともとの意味、山間の砦、はそれはそれで今でも
使われてはおりますが、最近ではもっぱらこちらの意味で使われる
ことの方が多いようです。

  で、最初のその「山寨手机」に話が戻ります。
このような所謂、コピー商品を最近では「山寨」と言ってまして、
ですので、「山寨電脳」もあれば、「山寨化粧品」「山寨家電」
「山寨酒」「山寨手表」「山寨小説」「山寨××」「山寨○○」とにかく
もう何でもありです。
 余りに何でもあるからか、「山寨文化」と言ってますが、これは
私が言ってるわけではなく、先日使ってた中国語テキストにそうした
課があって、紹介?されてました。
 でも、「文化」といっちゃあいけないでしょ、なんか、「文化」って言うと
好いことのような・・・罪の意識なんてまるでないでしょ、ここには。
 そりゃもちょっとその、何かあっていただきたいものです。
 「文化」って!なんか威張ってません?誇ってるような・・・。
「山寨」の名づけ方は恐らく、その地方の隠れた場所で、それも小さな
工場なんかで、密かに?造ってる感じがこの語には込められている
のではないでしょうか。
 日本語的には「ぱくる」の語感に近いような。どっかに山賊が盗んでる
感を漂わせてはいます。

  その実例は恐らくみなさんも日本でも時折報道されておりますので、
ご存知のことと思います。それくらい、多いということです。
 一応?取り締まりなんかもしちゃったりして、中国もごくまれにですが、
「山寨」モノはいけないんだ、とのポーズは取っていますが、そんなもの
は物ともしない数と量で「山寨文化」は凌駕しています。
 ますますのさばっちゃてるし。「文化」だからだよ。

 ここで、話は急転回しますが、「山寨」といえば、私が思うのは、即

 ここ!ご存知!北京 秀水街シュゥ・スィ・ジェ!!という今はビル。
 ご存知ない方は、此処、北京にあるショッピング街なんですが、
何と此処で売ってるのはその殆どが「山寨」モノ。
 本物は無いと思った方が早い。以前はこの一帯に広がっていた、
屋台が、都市計画と儲かっちゃのか、こんなビルにみんな入って今では
それぞれがブースになって、やってることは同じです。
 「山寨」にしては立派すぎるビル。なんかこれもちょっと・・・ね。
店内は無いものがない。そんなパクリ商品がずら〜と並んでます。
気を付けてください。店員だってひょっとすると「山寨」かもよ。
一大?観光地となっておりまして、各国の観光客が引きも切らず、
やってきます。「山寨」モノを求めて。
 そんな客を相手にする店員さんたちは平気で5・6か国語を操っちゃい
ますよ。凄いです。
 日本人だな、と思えば「社長!!」と声をかけ、ロシア人と思えば、
「шДИε×Й〜&」と声をかけ、韓国人とみれば・・・、の
ように自由自在です。見習うべきだと思ったりします。あの根性。

 ここでの、面白い話はたくさんあります。
ある日、知人と一緒に此処へ。彼も何度も来てるから知ってる。
「山寨」であることもとっくにご存知。時計売り場を覘いていた。
買う気もあったのかなかったのか?彼がある時計を手にしてると、
新商品がある、と勧める。これは先月発売されたばかりの新モデルだ、
という。先月発売になってもう「山寨」が出てるのか・・と感心。
その辺は知人も承知してるので、適当に話を合わせていると、
お二人は中国語もできるようだから、特別に、こことは別のもっと
精巧な品を売ってる所を案内しましょうか?と店員が言う。
ここは観光客相手だからお土産のレベルだが、その上をいく店が
ある、と言う。知人が、それって秀水街の「山寨」街じゃないですか、
等とからないながら、突然話の途中で知人は
何を思ったのか急に、その店員がしている腕時計を指して、ソレ!
いいですねぇ・・・と言い始めた。すると店員は慌てて、イヤイヤこれは
・・・と歯切れが悪い。知人はからかってるのか本気なのか、
その店員が今している腕時計が欲しい!と言い出した。幾らなら売る?
これは欧米茄オゥ・ミィ・ジャァ(オメガ)の××ですね・・・なんてな
ことを言ってる。幾らなら売ります??って、買う気かよ!!
 店員は店員で、押されてもすぐに押し返すはずのいつも様子とは
違い、えらい腰が引けてる。なんだこのやり取りは??

 暫しのやりとりがあったのち、
店員が折れた。勘弁してください。これは売れません。
これは自分のもので、ホンモノなんだ、と言う。
 ホ〜ゥ!儲かってるんですね!!と知人は更に押してる。
こっから、店員が逆転に転じて、若しも本当の欲しいなら譲らない
ことはない・・・、但し、本物なんで幾らもオマケできない、と言う。
ところでお幾ら?と更に一押し。とんでもない高い額が提示された。

  その後、店から出るのを待ちかねて、尋ねた。
アレッて、本当に、ホンモノですかね。
 知人の答えはキッパリ。そんなわけないだろう。
よくできた「山寨手表ショゥ・ビィァォ(時計)」だったよ!と言うが、
なんで偽物と分かるのかは教えてもらえなかった。
 ちなみにこの知人は某時計店の跡取り二世です。
店は継いでませんけどね。
エラー!

『××書城×・スゥ・チャン』大型書店で
 日本にいても三日にあげず本屋には行きたいくらい本屋が好き。
早い話が本が好き。本を読むのを愉しみとしている。
 それ位、本屋が好き。本のある場所が好き。図書館とか。
 ということは、中国でも本屋へはよく行く。幸い私の旅行は全くの
個人旅行であることと、とりたてて目的のない、どっかをブラブラして
くるだけの旅なので、本屋に行く時間はある。いや、多分時間が無くとも
行きたがると、思う。
 中国での本屋通いもかなりこれで年季が入ってる。
中国の書店≒「新華書店シン・ファ・スゥ・ディェン」という
頃から通ってる。
 あの頃の、中国の書店は酷かった。何せ中国の出版界そのものが、
未成熟だったのに加え、本そのもの、紙の質も悪かったし、出版点数も
充分とは言えない状態だったから。
 加えて、本屋さんはどうかというと。まず、本屋の書棚に客は直接触れる
ことが出来なかった。昔、日本の図書館も開架式ではなく、先にこれこれ
の本が読みたいと、在庫書籍目録から書名を探し申請し持ってきてもらう
というやり方だったのをご存じだろうか。あれと同じだ。
 目の前に書棚、更にその前には大概ガラスケースがグルリ配置されて
いて、そのケースと書棚の間には通路があり、間に書店員がいる、という
配置だった。つまり、客は勝手にその一線(ケース)を超えて中に進むこと
はならず、自分が読みたい、手に取ってみたい、買いたい本があったなら、
服務員(店員)にそこのあの本を取って!と頼むわけです。
 そうすると、大概その頃の服務員はこれでもかぁ〜ってくらい不愛想に
かつ面倒そうに指定された本を抜き出し、客の前のケースの上にその
取った本を放り投げる。ホントに放る。そっと置いても罰は当たらない
と思うのだが何故か、これ見よがしに「ポン!」と放ってくる。何で??
 もう一冊の方も見てみたいな・・と思ったら、また服務員の手を煩わせ
取ってもらう。この時、今でも覚えているは、私が読みたい本は、作家は
知っているが、たまたま、その作家の本で、作品名が難しい題でたまさか
私の知らない漢字で、要するにその背表紙が私は読めなかった。
 だから私は「二段目の黄色の本」と言いましたよ。それを聞いた服務員。
さてはこいつはこの字も読めないと気づいた。明らかに、題字も読めない
奴がなんでこの本が読めるの!!ってか買うわけないじゃん!!
 との侮蔑の視線と、はっきり迷惑!ってな顔で前より一層遠くからその
本を投げてよこした。
 確かに読めない私も情けないと思い、温厚な私はその読めそうもない
難しい本を、意地になって買ったのを覚えてる。で、その本はまだ手元に。
 そんな悔しい思い出と共にある「新華書店」は変わりました。
 中国全体が変わったので、「新華書店」だけが変わったわけではないが。
 それに、それ以外の個性的は本屋も現れてきています。
出版点数が飛躍的に伸び、紙質も急激に好くなり、その装丁も好くなった。

 そして現れたのが「××書城スゥ・チャン」と呼ばれる超大型書店。
 北京のそれが有名。建物まるごと本屋です。
 そんな超超大型書店が各地に現れました。「××書城」の「××」の処には
それぞれ、その都市名、「北京」「上海」「南京」「成都」などと入れてくれれば
いいだけで、大概どの都市にもあります「書城」。
 これはもう本好きにとってはたまらん。行かないわけにはいかない。
 ということで、訪中の旅に欠かせないのがこの「書城」詣でです。
以前のように服務員の手を煩わせることもなく、勝手に書棚から自分の
見たい本を手に取り、買わないなら戻せばいいだけ・・・って、これが普通。
 基本、本屋ですから、日中双方に大きな違いは今はもうありません。
 それでも、やっぱり、違うところもあるんですね。。

  例えば階段にすっかり座り込んでの、立ち読み??
っていうか、すっかり落ち着いて座って読んじゃってますけど、これに
寛容ですよね。いいの??これでも??ってくらい。一度すっかりその
床に寝そべって本をじっくり?読んでる人も見かけましたけど・・・。
 許されるんだ〜〜とちょっと驚きです。

 懐かしの「新華書店」当時は、本を買っても包装はありませんでした。
暫くは、買った本の背表紙裏側にその本屋のゴム印をポン!と押されて
ましたけど、あれもどうよ?って感じ。こっちの買ったその本に勝手に
ゴム印押しちゃうんですから。
 その後、ビニール袋はいただけるようになりました。
まだ、各書店でブックカバーを用意するなんてなサービスはありません。
書店の会員になって、ポイントサービスなんては始めてます。当然すぐに
会員になりました。何せ、毎回行く度に相当の量を買います。
 それになにより、ビル丸ごと本屋というその圧倒的量に大満足。

 もう一つは玄関のあたりにある本の積み方、
 日本だと店員さんが自分でお奨めの本の宣伝を書いて
平積みの本の脇に、というのが玄関口に多いですが、、中国はそれを
丸ごとよく、本で表現してますよね。本を「Jobs」と積んで遊んでます。
 こんな商品を積み上げて遊んでる陳列にお目にかかれるのもまた
愉しみの一つでもあります。

  ということで、みなさん、旅行に行かれて時間がありましたら、
どうぞ中国の書店にも足を運んでください。
 おもわぬ、面白本の収穫にも出会えるかも知れませんよ。
 
エラー!

『相親シャン・チン』お見合いですよ〜!
  「お見合い」という制度?は恐らくどの国にもある。
もし、こんな制度?が無かったならば、不便。
若い男女がそりゃまぁ自然に知り合えれば、それに越したことはない。
でも、全員がそうなるなんてなことも、考えずらい。ありえない。
 となれば、「お見合い」。ただ、そう呼んでるかどうかは別にして。
恐らく、欧米では、夜な夜なパーティーが開かれていたり、若い男女
の出会いの場となるそうした所が街にある。だから困らない。
 もし、そんな場が無かったなら、当然、誰かが紹介・推薦してくれるか、
制度として、そのような場が無くては、そりゃぁ困る。
 ですので、中国にも「お見合い」はある。「相親シャン・チン」と言います。

 この問題、なかなかに難しい。何が難しいか。「相親」自体はな〜ん
にも難しくはないが、ここに至る背景がどうして複雑。
 何故にそうなるか。「相親」が話題になるのは、大概その男女の出会い
が上手くいかないから。或いは、「相親」が取り沙汰されるということは、
その前段の社会背景のところに問題があるからですね。
  男女の出会いが何故に難しいかというと、それは簡単です。
この当事者が双方とも、人間。生き物です。それも意思を持った。
双方の思惑があります。当然、その親やもっと言えば更にその親に
とっても最大関心事であります。これで、一生が決まっちゃうし。
  加えて、社会情勢がこれに加味されます。
 一つは、中国、端的に今、男女の比率が偏ってる。酷い偏り。
つまり、男性過剰ぎみでして、この比率はかなり深刻。
  更に更に、今どきの若者は、ほぼ一人っ子なわけであります。
当然、本人の人格形成にも何かしらの影をこの問題は落としてるでしょ。
一人っ子と一人っ子の「相親」。また、一人っ子、親の期待もその子が
一身に背負っていることになります。家を挙げての大事です。
  まだある。大分治まってきましたが、結婚にかける費用が異常。
面子もあるでしょうし、一人っ子の要因も、急激に物質社会に移行した
反動もあったり、いろいろ要因はあるんでしょうが、取りあえず異常。
 そんなのがあって、2011年7月号で書いてるように『裸婚ラー・フン』
地味婚でいいじゃないか!の動きが。
  (お時間がありましたら、どうぞついでにそちらもご覧下さい。)
まだあるんですが、とりあえずこんなような背景があって、「相親」。

 剩女セン・ニュゥ、 剩男セン・ナン という言葉がある。
何とも失礼な言葉だが、そのものズバリ、適齢期を迎え結婚しない男女を
中国ではそう呼んでいる。余った・・は失礼じゃないの・・と思うが、これで
定着してるところを見ると、本人たちもそう気にもしてないのかも。
 で、そうした剩女・剩男は、時代に関係なく、国に関係なく、居る。
 その割合は近年増え続けている。これにも時代背景はあるし、それが
大きく影響している。その話を書くとまた長くなるので、飛ばしますよ。
飛ばして、本題の中国の「相親」の話しへ。

 中国のお見合い「相親」の特徴は、その大らかさにある。
「お見合い」ですよ〜と言って憚らない。大声で言える。そこが違う。
日本の様に誰かが相手を紹介し、日を決め、それなりの場で、それが
執り行われる、ということは少ないらしい。
 それともそうしたのは目につかないから、知らないだけなのかも。
 男女がホテルの一室で、卓を挟んで、後ろに琴の演奏が・・・は
余りに古い「お見合い」イメージでしょうが、それはない。中国では。
 また、日本でもそうした傾向があるでしょうが、当のご本人より
この問題に熱心なのは親の方、というのはままある。かなりある。
 とりわけ母親。これが熱心を通り越し、時に行きすぎたりもする。
この話題も時折新聞紙上や雑誌で目にし、笑わせてくれる。
 さて、中国のお見合いは、ではどんなか。
 「相親会」がその代表。
 青空の元、そこに紹介を希望する男女が、その親御さんが集まる。
場所は大概公園のような広い場所。申し込みをし、その時、自分
が、又は自分の息子・娘がどんなかを項目ごとに箇条書きして
書き、相手への取り立てての希望があればそれも添えておく。
 まるで、ハローワークの求人広告を見せらえているような。

 そうして、書かれた紙を張り出す。もう〜ずら〜っと。
参加者はその紙一枚一枚を丁寧に見、こちらのお眼鏡に叶いそうな
相手を探す。もう、大公開!!です。個人情報なにするものぞ!!
ですし、相手への要望を見てると、これはちょっと要求しすぎじゃないの
・・・から、自分紹介は、そんな条件いいわけぇ〜と眉唾もの、
だったりの何でもあり。
 とりあえず、大ぴら。大らか。大胆。

 それで、脈がありそうなら、次は、個人面談となる。
 でもこのやり方、確かに一種のフルイにはなると思いますよ。ある程度
双方の条件の合った人をふるうには役立っても、どうでしょ、このフルイ
余りに目が粗すぎて、実際には本当に役立つんでしょうか?

 ということで、最近はホラッ!ネット社会ですから、そんなお困り男女を
助けるサイトもどんどん立ち上がってます。
 ここでもまた、ネット社会がそうなのか中国社会がそうなのか、胡散臭い
怪しい会社やサイトが後を絶ちません。
 結婚相談所的なそれを扱う会社も同じように雨後筍状態。
これで、時折話題になるのは、男性の年間入会会費が日本円に換算して
も、えぇ〜それが払える男性って・・・というような高額の会は、多分、
そういう会だから話題になるのであって、もっと普通に?地味な会社は
余り話題になりもしない、ということでしょう。
 これを扱った、テレビ番組見ました。番組上で何とかカップルが出来る
ように盛り上げそれ自体が、演出もあって、番組として構成されてます。

  総じて言えば、中国の人たちのこの「相愛」。
明るいですよね。ご本人たちが本当に明るいのか、単にそう振る舞ってる
のかまでは分かりませんが、私の受けて印象は、大らか。
 差し迫ったものを感じないのは私がそれとは関係もない遠い場所にいる
せいだけでしょうか。
 お見合いに行く本人が、何のてらいもなく、
  「お見合いですよ〜!!」と大声で言えそうですけど。
エラー!

『教師節ジャォ・シィ・ジェ』先生に感謝の日
  いろんな国に、いろんな記念日はある。
なるほどなぁ〜、の記念日もあれば、当然だぁ!記念日も
ある。コレなんで?の日だってある。
 更にこれらは、時代によっても変わる。
中国のそうした記念の日は、○○節ジェと呼ばれる。
その最大にして最重要なのが、春節ツゥン・ジェ(旧正月)。
 節ジェにはもう一つ、季節を分けるその節目の意味も
ある。日本語も節分というくらいだから。
 とするなら、夏威夷シャ・ウェィ・イ(ハワイ)はそれを
必要としないことになる。
 「教師節」の「節」は、季節とは別に記念日の意味。
 因みに、児童節もあれば婦人節もある。

 先を急ごう、さて、この「教師節」、字でお分かりのように、
教師の祝日。ある職業の人のための記念日は珍しい。
その世代を代表したり(敬老の日・子供の日のように)
性を分けたり(女の子の節句・母の日)はあるが。
職業別記念日は他の国にもあるのだろうか。
 普段、中国語では学校の先生は、老師ラォ・シィとよばれ
ている。教師ジャォ・シィは書き言葉に近い。
 言い忘れてた、その「教師節」は9月10日。ということで、
今月号の話題は「教師節ジャォ・シィ・ジェ」です。

 そもそもですよ、こうしたわざわざの日があるということは、
それなりの訳がある。賢明なみなさんはもう私が何を言いたいか
お分かりかとおもいますので、くどくど言いませんが、「教師の日」
もそうした必要性があったということなんでしょう。
 この日が設けられたのが1985年というから、
まだ、そんなに経っていない。
 その頃は、特に必要とされていたのでしょう、この日が。
 教師だけに特別に一日そうして記念日が充てられているのは、
電車の「優先座席」と書かれた席と同じで、本来はそんなものが
なくともそうなるべき事がそうならないから、「優先座席」がある。
 「教師節」もそうした歴史的過程があってのこの日となっている。
これに近いものに3月号で書いた「三・八婦人節」がある。
 これまた、婦人の地位向上の為必要だった。
  「教師節」があるなら、「鉄道員節」があったっていいはずだし、
「警察官節」「看護婦節」なんてなのもあってしかるべき。
 こうして並べていくと、毎月なんかの「○○節」の日が来る。

 「教師」というこの職業の人も多い。全国津々浦々にいる。
更に、下は幼稚園から大学まで長〜いことこの職業の人たちと
接触がある。
 個人的偏見だが、「教師節」が一番目立って盛んなのはやはり
大学のそれだ。
  小・中・高にもそれはあるし、その日それなりの感謝が表され
るが、大学のそれと比べるとずっと地味だ。
  大学のそれは、祝う方の学生もそろそろ大人と言うこともあって
その演出に相当気を使うし、自分たちもそれを楽しむ余裕がある。
 そしてその表現方法にも自由がある。
 この日が近くなると、各学校、各クラスでは、どの先生をどんな風
に驚かせてその感謝の意を表し、どう感動的に伝えられるかが
それぞれ密かに工夫される。

  二度この「教師節」を自分でも参加して体験した。
一度目は留学生として。わたしの班バン(クラス)には実に多くの国
からの留学生がいた。誰かの提案で、「各国の言語でそれぞれ
先生に感謝の言葉を寄せ書きしようではないか」ということになった。
 英語・フランス語・韓国語・イタリア語・ドイツ語・アフリカの何とか語
ロシア語・・・・と、誰一人全体に何が書かれているか分からない、
見慣れない文字で埋まった寄せ書きが面白かった。
 わたしは、それに故意に縦書きで、それも平仮名を多用して、
「ありがとう、せんせい!でもこれではみんなが、なにを書いてる
ささっぱりわかりません!!」と書いた。
 後で知ったが、みんなは、もっと無茶苦茶なことを書いてたらしい。
でも、先生はとても感動して喜んでいた。
 あの寄せ書きいまはどうなってるだろうか。

 二度目は、教師として。社会人に日本語を教える班でのこと。
たまたまだろうが、この時はわたしが寄せ書きをいただいた。
全員が習いたての日本語でわたしに感謝のことばを書いている。
明らかにこれは何かの文例集から引いただけ、というのもあれば、
たどたどしいが、自分の言葉で表現されているものもある。
それは、それぞれが、その生徒の個性を表していた。
 驚かされたのは、それぞれの一言が長かったせいか、色紙の
ようなその紙の裏表両面ともがびっしりだったこと。
 もう一つは、わたしが嘗てそうだったように、教師に対してそんな
ふざけたお祝いの言葉を書いたりする生徒はいなかったことだ。
 一人だけ、縦書きの子がいて、隅の方にその子が書いていたのは
「先生は一度も遅刻をしませんでした。凄いです。」と書かれてた。
 この子にとってはわたしの授業内容や日本語の学習よりも、
わたしが遅刻しなかったそのことが一番の印象だったらしい。

 ところで、
 いまその色紙がどこにあるかというと、探せないでいる。
 生徒のことも、そのいただいた色紙の
ことも忘れずに覚えてはいるが、その色紙がいまどこかは
忘れてしまった。
エラー!

『洗脚シィ・ジャォ』足湯は如何ですか。
 中国ドラマを見ているしばしば
 こうしたシーンに出くわす。
  それは、こうした親子だったり、勤めから帰って
 就寝前の愛人アィ・レン(連れ合い)にしてあげる
 それだったりだ。

  これは、足を或いは脚を、小さなそれ専用の桶を持ってきて
 季節にもよるんでしょうが、特に寒くなってからは、まず魔法瓶
 のお湯と水を適当に温度になるように混ぜて、自分ですることも
 あるんですが、誰か他の人に揉んでもらいながら洗う行為を
 洗脚シィ・ジャォと言います。
   ついでですので、日本語ではほとんどが足の方の字で処理
 します。一方の脚の方の字ではよく、机の脚とか、人間以外の
 ものに使われたりしますが、本来はこうした字の違いはその人間
 の体の部位の違いに由来しています。
   ですので、中国では、足は書き言葉としてはありますが、普段
 話すときは、我々が足といっているくるぶしから下にあたる部分、
 靴を履くのは、脚ジャォです。
   一方、腰からしたの付け根からくるぶしまでの部分を、
 腿トゥィと言っています。これは膝小僧のところで曲がりますので、
 上の部位を、大腿ダァ・トゥィ、下は小腿シャォ・トゥィと明確に
 部位によって分けて呼びます。
   ということで、日本語の足湯は、足は使わず、脚の方で対応。

  その洗脚専門桶もあります。その宣伝を時々見ます。
 勿論、最近では材質がみなプラスチックにとって換われています。

  この洗脚がドラマに度々登場するには、それだけ一般家庭でも
 頻繁にやられているということでもありますが、
  その大きな理由は実に簡単です。洗脚は気持ちがいいからです。
  
 幾つか中国独特の事情があります。それも紹介しておきましょう。

  一つには、家にあっても靴を脱がない四六時中靴を履いてる
 生活ですので、就寝前に或いはくつろいだ時に、靴を脱ぎ棄て
 足を開放してやり、ついでに温め洗うという行為が心身ともに
 くつろぎを与えてくれる効果があるからでしょう。
   割と簡単に気持ちよくなれます。
  更に、ご存じ中国漢方医学では、足のツボに関する研究は歴史
 もあり、伝統もある。脚裏マッサージと、足湯を一緒にしようという
 のだから悪いわけがない。気持ち良さも裏打ちされている。
   更に更に、あまり浴槽につかりゆったり風呂に入る習慣がない
 水の事情、住宅事情、設備的な要件もあって、この洗脚は非常に
 簡便にそれらの条件を乗り越えることができる。
   だからこそ、普及した。

   日本だと、最近特に温泉地などでよくお目にかかる、足湯。
 あれを中国では昔昔から各家庭でやっていた、ということです。

  早速自分でもそれをしてみようと、中国の某大学の寮住まい時、
 桶を買って戻った。すぐにそれを目ざとく見つけた、当時各階にいる
 服務員フゥ・ウ・ユァンのお嬢ちゃん、呉小姐ウー・シャォ・ジェが、
  「東出ドン・ツゥ〜!何でもまた洗盆シィ・パン(洗面盥)
  買ってきたの・・・あるじゃない・・・」と非難がましく言う。
 今日買ってきたのは脚用で、前のは顔用だから、一緒にしないように
 というと、「ふ〜〜ん」と納得したような、しないような返事だった。
  わたしの部屋は、部屋の中は土足禁止にして、カーペットを敷き、
 スリッパ履きで過ごすことにしていた。
   これが思わぬ障害になって、何せどんなに注意していてもこの
 洗脚をすると、下を濡らすことになる。絨毯を濡らすとあとあと厄介。
  それには、シャワー室まで行って、洗脚をすればいいのだが、
 それだとまた、せっかくのくつろぎ気分が得られない。
   ほどなくして、わたしの洗脚計画は当初の熱意も遠ざかり、
 あまりこの脚用盥を使う機会が少なった。
   そのことはすっかり自分で忘れていた。
   そんなある日、
  部屋に突如として、広告がドアの隙間から
  差し込まれているのを発見。
   その時はじめて、こんな家電があることを知った。
  へぇ〜すごいなこれ・・・と思って眺めていると、
   部屋とノックする音が。呉小姐だ。やっぱり!!
  「ドン・ツゥ〜!これ買いなよ!!」と勧める。
  「××デパートのこの売り場に知り合いがいる」と言う。
  つまり、いくらか便宜が図ってもらえるということだろう。
  或いは彼女に幾らか見返りが有るのかも知れない。

   それから更に数日、あとで知った彼女の企みは、なんと!
  わたしにあれを買わせ、わたしが使わない時は、服務員仲間
  全員でそれを交代で使おうとしてたらしい。
 
エラー!

『大熊猫ダァ・ション・マォ』パンダ・ぱんだ・Panda!
 パンダは中国語で、 大熊猫ダァ・ション・マォ と書く。
これは大分有名になった。ご存知の方も多い。
 何よりあの、白黒模様と熊のようでいてクマよりは愛らし
あの動きが受け入れられて、大熊猫はどこの国でも人気だ。

 わたしは取り立ててあの動物が好きとか、関心があるわ
ではない。オッカケなんてのでは決してない。
 因みに、上野動物園のパンダは一度も見に行ったことがない。
それなのに、多分わたしはほかの方よりパンダを見てると思う。
勿論ホンモノだが。これは自慢してもいいかも。
 中国各地の動物園で対面してる。わたしの旅はブラブラ時間が
多いので、名だたる都市で数日いると余り賑やかな近代的場所
が苦手なせいか、北京でも上海でも成都でも広州でも動物園に
行ってはパンダを見てる。そうそう、香港でも行った。
 ということで、わたしの見たパンダの頭数はみなさんのそれより
多いはず。まぁ実はパンダに関してそんなに詳しくもないのだが、
回数が多いということで、書く資格はあるだろうと、思っている。

 そこで、今回は「大熊猫」話題。
 「パンダとわたし」って、なんか小学生の作文の題のようですが、
これで一番に思い浮かぶのは、何と言っても
わたしの住む町、函館、にパンダが来たことがあるという事です。
これ、意外に函館の人も語らないし、宣伝しませんけど強調したい。
 凄いでしょこれ。25年も前の事ですけどね。ナニ?そんなに前
だからもっと凄い。パンダ人気がこんなに盛り上がる前ですよ。
「青函博」といのが1988年にありまして、これは青森と函館の
津軽海峡を挟んだ両都市の青と函をとって、共同開催の博覧会を
やったんですよ。まだまだ“官”にも余力があった。あの頃は。
 青函トンネル開通で湧いていた。その年にやってきた。
 この二頭がそうです。
 函館にいろんな有名人が来てるとは思いますが、そん中でも
これは超ビックスターだと思うんですが、これが知られてない。
その当時もあんまり力が入ってるようでもない。とすると、
パンダ人気ってそのあと辺りからなんですかね。
 余りに冷遇されてるので、ここでも触れておきます。
パンダは函館にやってきていた、と。
 いま、パンダをお呼びしようと思うと大変ですよ。呼ぶ前にまた
内輪でなんだかんだありますしね。
 ここまでが、地元函館宣伝。

 こっから漸く中国のパンダの話に入ります。
中国のあちらこちらの動物園でパンダを見てます。どこも日本の
上野動物園のように冷暖房完備何てなところは無くて割とほったら
かし、というかその辺に普通に「お〜、おるおる・・」って感じで、
他の動物より特に優遇されてる様には見受けられません。
 でも、中国でも子供には大人気のようで、どの動物園も考えたの
でしょう、目玉限定商品は店の一番奥のコーナーに、というあの
スーパーマーケットの売上促進法則にのっとって、どの動物園も
園内の一番遠い位置にパンダ館はあったりするのがにくい。
 中国の動物園はどこも広いから、子供が「お母さん!早く!!」
と言って、パンダ館に急ごうとしてるのに、「順番に見て・・・」何て
お母さんは言ってるがそれだと、何時になったら辿りつけるやら、
である。だからわたしの印象は、動物園へパンダを見に行く、
は即ち、いっぱい歩くということになってる。

 因みにわたしはパンダの聖地、
 「成都大熊猫繁育研究基地」にだって、ちゃんと行ってる。
暇なんだ・・・。大熊猫と言えば此処ですよ。ここを外しては
語れない。ということで、行きましたよ、パンダ聖地。
  ところが、此処の入場料、ちょっと高め。
パンダしかいないんですよ。パンダのみ。なのに普通の動物園より
高い。普通の動物園は色んな動物が見れる。ここはしつこいですが、
パンダのみ。なのに・・・。と言ったら、そういう風に考えが可笑しい、
と一喝された。
 この入口の所で目ざとく見つけたのが、相変わらず中国はその
入場料の区分けを身長でやってる。子供料金か大人料金かは身長
で区切ってる。これ乗り物なんかでも採用されてて中国ではごくごく
一般的な区分法なんですが、なんですが、場所が場所だけに・・・
同じ動物でも大熊猫のように急激に大きくなるような動物園でも
もしこの区分けだと大変だろうな、等と全く現実味のないことを
考えて一人ニヤニヤしてたら、怪しまれた。
 入場料を払って、ガイドを頼もうとなった。折角だからちゃんと
説明を聞きながら園内を歩きましょう、という。ところがこのガイド、
中国語と日本語のガイドにはその料金に倍以上の差がある。
それって、話す内容が違うわけじゃないのに、可笑しい!
とわたしが言ったら、それは賛同を得て、
モチロン安い方の中国語でガイドをお願いした。
 更に園内の売店は、それこそパンダグッズがいっぱい。
ある意味パンダしかない。当然といえば当然だが、選択肢がパンダ
しかない。面白みがない。と言って他のものを置いたからと言って
売れるかと言うと、そりゃぁここでは大熊猫でしょ、とは思う。
 思うが、天邪鬼なのと、ケチな性格のわたしは、ここの売店は高い。
それに当たり前だが此処でのお土産品は子供向けの可愛い系が
主流だ。可愛い土産が似合う人とそうでない人がいる。
 わたしにいい考えがあるから、ここでは買わなくていい、
と見栄をきった。
大人用のパンダ土産。なんだと思います。
正解は、「大熊猫」タバコでした。これならカートンで買って
小分けにして、一個一個差し上げれば効率的にもいい。
 これにも反対意見がでた。
タバコの吸わない人はどうしますか・・・って、そんな・・・・
そこまでは知りませんよわたしだって。
でもそれって、人形だってパンダキーホルダーだって同じでしょ?
使わない人は使わないんだから・・・と言ったら。
 イヤ!それとは違う!!とキッパリ言われた。
 
エラー!

『旅遊車導游リュゥ・ヨゥ・チュゥ・ダォ・ヨゥ』バスガイドさん
 あまたあるガイドさんの中でも、バスガイドさんの話。それ
旅行用のバスガイドさん。ということで、最初の「旅遊車」が
ついてます。これが観光バスを担当、後ろの「導游」は、こ
あらゆる職種を指します。ガイドさんは全て、「導游」です。
 ですので、「ガイドブック」は「導游書ダォ・ヨゥ・スゥ」です。

  この職業、日本だと先ず真っ先に、バスガイドさん=制服姿
を思い浮かべる方が多いでしょうが、中国ではこの“制服姿”は
期待しないで下さい。見たことがありません。
 もう一点、バスガイドさん=若い女性の期待にも応えることが
できません、中国では。かなりの割で男性導游がおります。また、
必ずしも若い小姐の導游かどうかは保証の限りではありません。
  割合的には、若い小姐の方が少なかったように思う。
ご期待のそえないところもありますが、バスガイドさんのお話を。
 先ず、お断りしておかなくてはいけないのは、
 私は、日本の所謂、団体旅行に入っての中国観光旅行をこれまで
したことがないので、
今回の旅は、「日本語がとてもお上手なガイドさんでしたよ」とか、
「ガイドさんが親切にしてくれましので、助かりました」などの、経験は
ない。無いが、知り合いにそうした仕事をしてる人はいるので、逆に
「日本の××県からのツァーで、方言が分からず大変でした・・」と
いった、中国のガイドさんからのお話は時に伺ってはいる。
 本筋からちょっと外れるが、ここで気づいていただきたいのは、
例えば、台湾観光団が来て、日本人ガイドツァーが付いた何てな
話はついぞ聞かない。台湾からの添乗員兼ガイドさんがそれを
一人何役かの活躍で片づけてますよね。
 一方、日本人が台湾や大陸でツァーに申し込むと、現地でのガイド
さんは大概、当たり前のように現地の方がする。この点、旅行の形態が
違うのはお気づきでした??

  話を戻す。
此処で私の言う、バスガイドさんは、私がよく中国旅行の旅先で、時に
ホテルのフロントで、時に駅前の観光案内書のようなところで申し込む、
日本で言うなら鳩バス観光のような、地元のバス旅行に乗り込んでくる
ガイドさん限定のお話となっている。その点をまずはお断りして、
  さて、本題に。
ガイドさんそのお仕事そのもののは、国を違えても、やることは同じ。

 名所旧跡を巡り、案内し、説明をする。
具体的はどうなってるか分かりませんが、この方たち、外国人を相手
にするガイドさんは無論のこと、何か資格のようなものをお持ちらしい。
会社に雇われている社員なはずだが、そんな大きな会社はないのか、
会社もそこまでは構わないのか、服装はいたって自由。
 地方都市のホテルで、一日観光Aコースなんてなのを申し込むと、
宿泊先のホテルまで迎えに来てくれて、その玄関口にバスが横付けに
なったりする。これは日本でもある。驚かないが、その辺がまたかなり
ゆるくて、都市にもよるが、のんびりさ加減がこの辺から遺憾なく発揮され
こちらはとうに準備して待ってるのに、待てど暮らせど・・・のこともある。
  それはいい、そんなのは慣れっこ。
  ホテル前、駅前に迎えに来たバスに乗り込むと、座席指定などはない。
それも好い。そう混んでもいないし。先客がいるが、先方もそれぞれに
カップルだったり、小さな団体だったり、乗り込んだ私たちを値踏みする。
  その値踏みとお迎えを数回繰り返し、いよいよコースへ。
  車中、ガイドさんがバスの車窓を指して「右手に見えますのが・・・」
何てなガイドを受けてことは少ない。これもガイドさんによるのでしょうが、
一応の向かう先の説明なんかをしてくれるガイドは、説明をしながらきっと
今日の客を把握するのに熱心なんでしょう、何度も確認するようにこちらを
見て、記憶しようとしてるんでしょう。大変だ、この職業も。
 ツァーに申し込んだ時点で、ホテルフロントからの連絡か何かでこちらが
日本人だとバレてる時もあるし、ガイドさんが知らずにいることもある。
 私の希望は知らずにいてくれた方がいい。
 駅前案内書で申し込んだりするときは、誰もそんなとこに日本人がフラッ
とやってくるなどとは予想してないのか、割と簡単にしかもバレずに乗れる。
 何故日本人とバレると嫌か。それは日本人と分かって反日の攻撃に合う
とかではない。逆。途中まで中国人だと思ってたのが何かの拍子に日本人
だと分かって、バスガイドさんはじめ、乗客のみんなの素振りが急にこちら
を気遣ってか変わるのを好まないからで、取り立てて隠しもしないが、
問われない限り、こちらから名乗ることもしないだけだ。

  一日観光だと、想い出は、存外そのどんな有名な遺跡をみたことより、
そのツァーのお昼の時間の想い出が印象に残ってるのは、私の食い意地
がはってるからだけではないと思う。
 面白いのは、お昼。この時、我々ツァーご一行と、バスガイドさん運転手
さんは食事を一緒にしない。一緒にはいないが、大概田舎なんで、お店は
そこらにしかなく、同じ店で食事する。つまり、ガイドさんと運転手さんたちは
お店の違う部屋で、私の睨んだところ私たちよりランクが上の食事をしてる
らしい。それはツァー客を連れてきてくれたお店側のお礼なんでしょきっと。
  その部屋から楽しそうな話し声や、時にお酒を飲んでるらしき様子が
伝わってくる。大丈夫かぁ?午後の観光??と不安がよぎる。

  各地でそうした観光をしてきた。一番の思い出は。古い古い話だが、
首都北京。悠久の歴史の都。その前にも北京は何度か行ってるが、
さて、正式に名所・旧跡をグルリと回ったことがなかった。そこで、
当時天安門広場の傍にあった、一日観光申込所でツァー参加を
申し込んだ。先払いで、身分証明書を求められることもなく、あっさりと
明日の予約券と領収書が渡された。翌日、朝まだ早くにこの場に集合。
皆さんここから乗るようで、かなりの人数がもう並んでいた。乗ってみたら
空き席はもう2席位。で、バスは出発。パンフレットでは6か所を巡ることに
なっている。車内は後ろの方に、広東省の一団とおぼしき、9人の小団体。
私はホンコン組と呼んでた。南の方からきたらしい夫婦。子連れ2組。
新婚旅行らしきカップル。出張組とおぼしき、6人、・・・といったところ。
 後ろのホンコン組は仲間で盛り上がり、最初からハイテンション。
この9人には通訳がついてる。何せ彼らは広東語。当時、北京語が余り
通じなく、各地その地の言語でやってた頃だ。上海は上海語だったし。
他のカップルは大人しいもので、それぞれの世界をつくっている。
順調に先のお昼の食事もすんだ。
 なんで私らが中国人でないとバスガイドさんが判断したかは分からない。
乗り込んですぐに前の座席背中によくついている取っ手のところに車内
で出るゴミを入れるようにビニールの袋をさげていた。
 この時点で、ガイドさんは、アレッ!と思ったらしい。車中二人は殆ど
喋らない。声高に話することもないし、携帯電話を取り出すでもない。
 でも、何時に戻ってください、とか、車中の説明も分かってるようだ。
 で、いよいよその日の観光も最後というその時、ホンコン組一行が
約束の時間になっても戻ってこない。ガイドさんは探しに建物の中へ。
かなり余裕のあった時間が設定されてたのに、まだ戻らない。
 どうやら、近くの違う建物まで行ったらしい。
 暫くして戻ったホンコン組ご一行はさんざこちらを待たせたのに、
申し訳なさそうな雰囲気もなく、盛り上がったまま乗車。ガイドさんが、
通訳にこんなに遅れては困る・・ってなことを言った。それを広東語で
伝える、ちょっとバスが険悪な雰囲気。そんな“場”を読めないその
内の一人が、バスから何か物を捨てた。
  ここで、バスガイドさんがキレた。完全にキレた。
 もの凄い早口と迫力で「ホニャララ・・・〜××・・・〜」のあと、
「ここにいる日本人を見習いなさい!!ホラ!こうしたゴミ袋も用意し、
何時に集合!って言うと、ちゃ〜んと時間前に来て座って大人しく
待ってるじゃない、それに比べアンタたちは大体・・・」と、ちょっと
言い淀んだ・・・・ちょっと溜めたそのあとに、
 「日本人が私の言ってる中国語が分かるのに、何で中国人のアンタ
たちが中国語が分かんないのよ!!モゥ〜」・・・・と。
  それをくだんの通訳が同時通訳。
  それを聞いたホンコン組ご一行。
何を言ってるかは広東語なんで私には皆目わからない。
通訳さんもそれは北京語にしてはくれない。
でも、でも明らかにわかったことは、この人たち全く反省なんかして
してないな、くらいのことは感じで分かった。
 ガイドさんの怒りおさまらず。あの時のガイドさんが忘れらない。
 更にツァーを終え、バスを降りるとき、
 運転手さんにも一応、ありがとう、の挨拶をしたら、運転手さんは
ボソッと一言、「日本人だったんだ・・・」とつぶやいた。
 あのつぶやきが気にかかる。
 あの運転手さん、賭けでもしてたのかなぁ・・わたしたちがどっから
来たか、とか。そんな感じのささやきでしたよ。
エラー!

『握手ウォ・ショゥ』あぁ・・・ここで、あくしゅ?
 また、新しい年がやってきました。今年もどうぞ、よろしく!
ということで、今年最初の話題は、「握手 ウォ・ショゥ」です。

世界中誰でも知ってる。世界中どこでもやってる、挨拶の一つ。
世界中に一体どれくらいの挨拶の仕方があるんだろう。
日本もいつから今のあの「頭ペコペコ」挨拶に落ち着いたんだ?
足玉ズゥ・チュゥ(サッカー)のN選手がサッカー・グランデでする
あの「頭ペコペコ」挨拶は、日本の挨拶を広めた。
 僧侶の拝むような挨拶もあれば、されたことはないが鼻をこすり
合う挨拶もどこかの国にはあるらしい。
 そん中でもこの「握手ウォ・ショゥ」は割と広く知られている。
 中国でも対面交渉の際の最初と終わりは「握手」で始まり、終わる。
中国だって日本がそうなように、この挨拶の仕方、近代になってから
のものだと思う。そうでしょ。ちょん髷を結ったお侍さんが、あんなに
会ってから「頭ペコペコ」する様子は、かなり奇妙だ。
 日本人なんて、握手しながら、頭をペコペコさげちゃうんだから。
 どうやらこの、手を握り合う、という挨拶の仕方は、近代のそれも
西欧のものだというのは漠然と分かる。
 誰にどういう場で挨拶するかによってもそれは分かれるが、
中国の古い時代を扱った映画では、額を地につけて礼拝する
叩頭コォゥ・トゥという、日本語の「ぬかづく」に近いものや、
拱手ゴン・ショゥと呼ばれる、両手を胸のところで合わせて敬意を
表す、よくカンフー映画なんかが見られる挨拶がある。
 これらは握手のような気軽な挨拶じゃないし、一般の人達
あんな挨拶をしていたとは思えない。

 アメリカ文化が世界を席巻している現代、「握手」がますます
広まりつつある。中国でも。
 日本人には、いや、私には、どうもこの「握手」という挨拶
馴染まん。どだい、日本人は挨拶に限らず、所謂スキン・シップ
が苦手。取分け人前でそうしたことをするのを好しとしない。
見せるのも避けた。人前でキスをするなど映画の世界だっ
のが、行くところに行けば普通に見れる。そんな場合でも、私は
一方では見たいくせに、素直には凝視できずにいる。
 「握手」もスキン・シップ。さて、話を先に進めよう。
「握手」は毎日会うような人とはしません。多くは初対面。
で、互いに歩み寄り「ニィ・ハォ、ニィ・ハォ!」なんて言いながら
手を差し出す。その手を受けてこっちも、手を出す。簡単だ。
「握手」にだって色々作法はある。上の者から先に手を出す、
とか、婦人の方からは先に手を出さないとか、基本右手でするとか。
 そんなことより何より、こっちは慣れてないので、その状況に直面
しただけで、それだけでもう緊張している。
 こうしたものは、あ・うんの呼吸が必要。時間にすればゼロコンマ
何秒かのその一瞬で判断しなくてはいけない。ここをちょっとでも
迷うとその戸惑いが相手にも伝わり、双方ぎこちないものとなる。
 手を差し出せばいいだけなので、技術的には難しくはない。
何を戸惑うかといえば、慣れないからで。慣れの問題だ。
 そんなんで、私のそれは、何時も何処かどぎまぎしたぎこちない
スマートさとは程遠い「握手」となる。イカン!
 特に、お相手が女性。それもうら若き女の人となると一層いけない。
相手を目の前にして、一瞬の戸惑いが相手にも伝わる、この一瞬
を逃すと、相手だって手を差し出す時機を失う。
 何人か一度に紹介を受け、次々に順に握手をしてくなら、簡単。
右習えでしょ。これ、日本人がみな上手、得意。
 こちらが、○○さん、と紹介してくれる人がいる場合も大丈夫。
問題なしとは言えないが。
 こんなことがあった。
 某氏の紹介で、大学を出たばかりのY女史会った。
「こちらが東出ドン・ツゥで、・・東出は・・・」と紹介が続き一区切り、
今だな!と思って、手を出そうとしたその瞬間、
「Y小姐は・・・」と相手の紹介に入った、そうかそうか焦ってはいけない。
何をそうせかせかしてるんだ、と相手に思われるではないか。だから
日本人は・・・と、思われそうだ。
 ・・・相手の紹介もそろそろ終わりそうだ。ここだな!!と思い
手を差し出す準備をしたその時、「わたしは・・・」と紹介者本人の
両者との関係を説明、そうかそうか、まだそれがあったか、これが
終わったらいよいよ・・・と、機会を伺っていた。終わった、いまだ!
と思って右手を上げようとした。ここでしょ、ココ、と思って。
「ところで、今日行くレストランは・・・」エッ、まだ説明あったの。
 実は彼女もその時、少しだけ手を上げかけていた。
だから二人ともアレッ!と思う一瞬があった。気まずい。
 着地失敗。この後はどこですればいいかわからず、結局彼女とは
握手なし。後日、彼女は聡明な女性で、私に会う度に、あの時の握手
失敗を私のせいにして、他の人に私を紹介する時必ずその話題を
持ち出し、ウケていた。。なので、誰とでも上手く握手できた。
 彼女の特訓のおかげで私の握手は大分上達した。
 もう一つ、
 訪中してある東北の大きな都市で、依然こちらでお会いした人に
再会する機会に恵まれた。数年前こちらでお会いした時も、今回も私は
通訳としてお会いする。向こうは要職にある方で、要職にある位だから
若くはないが有能な女性らしく、前回お会いした時よりその職位が更に
今回は上になっていた。
 日本からの団は早くから連絡を取り、訪問の日も知らせてあった。
列車で到着することになってたので、駅まで迎えには来てるだろう、との
予測は事前についていた。私としては勝手に、駅の改札を通り、駅舎に
入ったあたりか、ご本人は忙しい人だから、庁舎でお待ちになっている
のかも知れないと思っていた。列車がプラット・ホームに滑り込むと、
鳴り物入りで歓迎の一団が待っていた。その中に彼女もいた。
失礼だが、数年ぶりに見る彼女はそれなりにまた年を重ね、堂々とした
体格をしてた。あき竹城のようだ。
 並んで次々に紹介を。最後は私だ。彼女が、
「東出ドン・ツゥ・・!」と言って「好久不見了!ハォ・ジュゥ・ブ・ジェン・ラ」
と言って近寄ってきた。おぉ〜私のこと覚えていてくれたんだぁ・・・、
そうだ!あぁ・・・あくしゅね・・と思って、手を上げようとした。
その時、彼女は更に近づき、私の手を無視して、ガバッ!と私に
覆いかぶさってきた。余りに突然で、驚いた私が少し後ずさりして、
ホームの端の方まで、まるで相撲のガブリ寄りのように、後ずさり。
「小心シャォ・シン!」(気を付けて!)と彼女。エ〜!危ないって・・・!
そっちが押すから・・ハグってやつ。彼女はグイグイ体を寄せてくる。
 その時私は、あぁ、今回もまた握手が上手くいかなかったかぁ・・・と、
考えていた。
 


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