月刊・私の見た中国 目次


 月刊・私の見た中国 目次

エラー!

『校服シャォ・フゥ』 学生服って・・・
 いきなりですが、日本の学生服、それも女学生のあの制服は
各国の憧れの的となってるらしい。あれを着たい!と。
 世界中の人が、「KAWAi・I!」と言ってるし、言われている。
 この「カ・ワ・イ・イ」というコトバが、地球語になりそうな勢い。
ネット社会ですので、画像でそれを見、それを知ってる。
とりわけ、日本女子高生たちの制服、それもミニスカートは、
世界中の男性から見られている。それも、かなり熱心に。
 それに比べれば、日本男子生徒の方の制服は可愛そうなくらい
話題にすらならない。
 でもホラッ、あの女子高生の制服がああなったのはつい最近の
ことでして、わたしらの頃はあんではなかったし、驚いたことに、近年、
学校の制服は有名デザイナーの手になるものがあるらしい。
その制服が着たいがために、その為だけにその学校を選んじゃう
なんてなこともあるらしい。
 その辺の日本の事情はわたしなどよりずっとみなさんの方がお詳しい
でしょうから、ここはいつも通りはしょって、中国のそれについてに移る。
 中国の学校って以前は制服なんてなかったんですよね。
 中国・大学は制服って勿論ないでしょ、高中だってなかった、
小学校で制服って・・それは日本でもおぼっちゃん、お嬢ちゃん学校
でしょうから、ここでの話はややこしいので主に、中学高校のお話という
事でお話を進めさせていただきましょう。
 さて、その学校の制服、中国では以前はなかった、ではその以前って
いつ頃まで、ということになると、これがまたややこしいので、中国は只今
建国65年です。
 で、この65年を半分にして、前半と後半30年位に分けます。前半は
なかった。後半ですね、これ確定。それも割と頻繁に見られるようになった
のは、その後半(30年)を更に二つに分けての後半、つまり後半の後半
になって漸く中国にも学生服が登場。
 それを、学校の服ですから、校服シャォ・フゥ、と呼んでる。
 どんなのかというと、百聞は一見に如かず、
 ← ジャジャ〜ン!これです、これ。
 なんだよ!ジャージじゃん!!とおっしゃるアナタ!!
アナタの目は正しい。そうね、ジャージですよね。
 その日本語で言っても、中国語で言っても、運動服ユン・ドン・フです。
このジャージを、制服と言ってるんですが、言ってるだけでしてね、
これを制服と言っていいかどうかちょっと迷うんですが、他にないので
これが制服だろう、と。
 このジャージは体育の授業の時はこれはこれで、本来の体育の時間は
当然これで過ごすわけです。
 通学の時も、これ。
 ということで、単に体操着を学生服として使い回ししてる、それが校服。
 中国もあるんですよ、ちゃんとって表現が正しいのかどうか、学校で定め
通学の時に着る学生服は、でもそれってそこそこお金持ちの子供たちが
通ってる学校ですよ、たぶん。
 ですが、そんな例外的学校は別にして、一般的に中国で学生の制服、
と言えばこうしたジャージを思い浮かべていただいて結構です。
 色は幾らか種類はあるんですが、わたしが見た中ではこの青色のが
多かったなぁ。だからこんな感じですね。
 学校で色が違ったり、学年で色を違えたりもしてるんでしょうが、
なんせ種類がそんな多くないらしく、どれも同じ。ジャージだし。
 それで、これを毎日着て、登校もすれば、体育の授業もする、と。
これを着て、街も歩けば、授業も受けると。
 機能性にも優れてますから、まぁ問題はないでしょ。問題は、
その〜、特に女生徒にとってはお年頃でもあるますし、これは流石に
ダサイ!と、不評。
 生徒に不評なものは、得てして大人社会では好評なんですね。
その校服、基本三年間着るわけです。毎日着るわけです。
汚れますね。子供ですから、そりゃ汚しますよ。食べこぼしたりも、
何処でも座ったりも、友達とふざけあったりもしますから。
 この点では日本のその可愛いと言われる制服だった同じ条件だと
思うんですが、どうなってるんですかね。言えるのはジャージは
汚れが目立ちますね。それにヘタリ具合も。
 そんな欠点はありますが、体育に必要な体操着を校服とすれば、
改めて制服を買う必要もなく、経済的にも、体育の時間着替える
必要もなく時間的にもエコだというのが一般的評価。

 ある年の冬。厳冬の北京。旅も終わり、今日で帰国という日。
中国からの帰国便は何故か朝早い。夜が明けきらない朝。
息が白い。車窓から眺める北京の街。こんな早い時間なのに、
もう通学なのか女生徒が歩いている。校服、背にはリュック、
胸に赤いネッカチーフ。こんな寒い朝なのに彼女は上に何
羽織らず、あのペラペラのジャージ姿。
 何か上に着ればいいのに、と思った。
 帰国。成田から国内線に移動中の車窓。昼時なのに、
女子高生が歩いてる。制服、薄っぺらなカバン、ミニスカート、
白いソックス。東京だって外は寒い、なのに彼女はミニスカート。
 何か着ればいいのに・・・と思った。
エラー!

『校花シャォ・ファ』 我が校のマドンナ
 先月号が「校服」で、今月号は「校花」。
どちらも学校に関係してることは「校」の字でお判りいただける。
 日中どちらも漢字を使ってますので、この“字”に追うところが大きい。
何にどう漢字を充てるかが、どうしてなかなかにセンスが問われる。
 その意味で、この「校花」は上手い。
学「校」で、一番綺麗な「花」(女生徒)を指す。ミス〇〇校ってやつ。
それを漢字二文字で的確に表しちゃうから、漢字を使わせたら、
中国は、やっぱり一日の長がある。
 でも、日本にだって、飛行場を「空港」なんてな上手い訳があるから
お互い様。因みに、中国語の飛行場は、「機場ジィ・チャン」と、まるで
味気ない。一方、「空」の「港」は、その情感までも表せている。
 互いに切磋琢磨して、上手い“字”を充てて欲しいと願っている。
 話を戻す。「校花」はもともとは、大学での話だったんだろうが、
最近ではどうやら高校、いやいや、中学、なんと、小学校でも「校花」
と呼ばれる子がいるらしい。
 こちらもどんどん低年齢化している。
 もともとが、何ぞキチンとした規定があって、選挙で選ばれるものでは
なく、みんながなんとなくあの子がうちの学校の「校花」、という事で納得し
「校花」は造られるので、別段一人だけとも限らない。
 ミス〇〇校は、更にミス〇〇学部がいて、ミスわがクラスがいて、
一向に構わない。
ということはですよ、各校にですね、数名の「校花」がおられて、自薦他薦
含めて、我こそは、彼女こそが我が校の「校花」が数名いる。
 で、中国の各地の大学にそうした「校花」がいて、それだけで、沢山いる。
且つですね、学生ってやつはある一定期間、4年なら4年いたら卒業して
いきますよね、ですから、その年ごとの「校花」が。
 ということはですよ、相当の数、「校花」と言われている、言わせている
人がいるということであります。
 それはまぁ、日本だって同じでしょ。大学の数だけ、わたしの訳は
「マドンナ」となってるが、この「マドンナ」という語自体がちと古い。
 中国が違うのはですね、その数です。一大学の在校生の数が違う。
中国の大学は油断すると一校で一学年5000人、ということは四年
までだと2万人!などと聞いても、アッそう、と驚きもせず納得して
しまうくらい学生数が多い。ですので、この中から選ばれる「校花」は
それだけ選りすぐり、と言えないかぁ??
 ということで、中国の「校花」、ミスキャンパス、マドンナ、は質が高い!
かなぁ・・・。
 もとより、こんなに回りくどく紹介しなくとも、「校花」は判っていただけて
いると思うし、わたしより詳しい人が多いかも。
 残念ながら、そんな「校花」との浮いた話しなどわたしには皆無。
いや、待てよ。一つだけあった。いま思い出した。
 ある日、暫く会ってない中国にいる友人に電話した。
明日から旅行でたまたま彼のいる地方へ向かうので、久々に会えた
ら会いたいと。二つ返事で彼も会いたいと、快諾してくれた。
彼はある大学で日本語を教えている。日本語科の生徒たちとの話題を
時々手紙で知らされていた。楽しそうな話題が多かったと思う。
その電話の最後の方で彼は「明日いらしたら我が校のャォファが見れ
ますよ、楽しみに・・・」と言われた。彼もまたわたしと同様かなりの硬派。
 そんな彼が、何で、「校花」??と思ったが、そこで電話が切れた。
 さて、翌日。
 会っても全く彼は「校花」の約束など忘れたが如く、違う話をずっとして
いる。昼時をかなり過ぎて、校内を抜け外の食堂へと向かう途中。
突然、彼がそうだ「校花!校花!!」と言い出した。えぇ〜これから連絡
でもして、彼の教え子にでも呼び出すのかと思っていたら、
 ぐいぐいと、校内の奥の方へ歩いて行ったら、
  これです!!と言ったその指し示す先には・・・・。
        あぁ・・・校花・・・ね。
エラー!

『学校食堂シュェ・シャォ・シィ・タン』 ガクショクだよ
 ここのところ、学校関係の話題が続いているが他意はない。
たまたまだ。今回もそんな、学校の食堂のお話を。
 以前であれば絶対お勧めできなかった所謂、学食、
学生食堂も近年急激に変わって、いまやオシャレな食堂も増え、
以前との余りの変わり様に驚いているし、いまならお勧めできる。
 ここは一つ、以前の様子からここに書いておいて記録として先ずは
残しておこうと思う。
 以前は酷かった、こう言ってはなんだが、食堂とも言いづらい、
暗くて、汚くて、とても食事をするようなところではなかった。
 朝など寒くて、暗くて、食事の種類も少なく、これから始まる一日
にとても相応しくない、暗〜い気持ちにさせられる、そんな場所だった。
 ・・・だった、そう過去形。また、
 昼時ともなれば一斉に湧き出してきた学生がドットくては食事に
ありつく、動物の餌場のような雰囲気だった。
 何せ中国では学生の数も多いので、とてもとても一度に食堂の
中に収容しきれるものではない。でも、食事時間は決められている。
となれば、食堂では食べるのを最初から諦め、それぞれがホーロー
引きの洗面器を小ぶりにした感じの容器を携え、ぞろぞろと食堂に
やってきては、先ずはそのホーロー引き容器にご飯を入れてもらい、
次のその先には肉と野菜を炒めたおかずが待っていて、それをその
ご飯の上にかけてもらう。ぶっかけご飯の出来上がり。
 それをキャンパスの空いてるところや、校舎に寄りかかって食べてたり
近ければ寮に戻って食べたりする学生も大勢いた。
 あれでは、あの年頃の栄養が満たされてるようには思えない。
 私は中国の旅の途中、時折、大学の招待所というところに泊まる。
ここは大学の施設で、その大学で会議が開かれた場合のゲストハウス
的なもので、各大学には殆どこの施設がある。
 大学運営のホテルと言える。しかし一般には宣伝しないし、その存在
自体が余り知られていない。また、採算も考えてないと見えて、会議が
無い時はがら空きだ。
 ここにも、この招待所付の食堂が大概ある。学生食堂よりは幾分
増しだが、それでも冬の食堂など暖房もなく震えながら朝食をとったこと
が何度もある。但し、宿泊代も含めすこぶる安いので、それを承知の上
でのことだから、まぁ痛し痒しだ。

  それがどうだ!ここ数年で大学の学食は大きく変わった。
前が前だけにその変わり様が際立つ。なんせ綺麗。
学生の数は相変わらず多いが、食堂は広くなり、かつ、簡単な食事を
するようなファーストフード的な食堂と、カフェテリアのようなオシャレな
食堂と、普通に昼食を済まそうとする食堂など、幾つかに分かれていて
広さも十分に広い。
 こんな感じ。
 わりとゆったり作られていて、清潔。窓からの明かりがやさしい。
 今だって時間ともなれば、学生が湧き出してここも満杯にはなる。
前のように持ち帰る人だっているんだろうが、流石にあのホーロー引き
の洗面器のような器は目にしなくなった。
 日本の大学の食堂と違う点が幾つかある。
 一つは大学にもよるのだろうが、提供されている料理の種類が多い。
これは、中国の特別な事情もあって、例えば、少数民族の人が集まって
いる民族系大学の食堂はさながら民族料理の展示会のようだし、
どれくらいの割りでいるのかは判らないが、例えばイスラム教徒向けの
所謂、清真チン・ヂェンと言われる一切豚肉を使わない料理も提供され
ている。
  どこかの大学では和食もあった。食堂のコックさんは日本へ料理の
勉強に数年いらしていたとかで、日本人留学生が食べるのかと思ったら
意外にも日本人より中国人の方に人気があるとのことだった。
 もう一つ、近代化はその方式にも新たなものをもたらし、学生たちは食堂
を利用する際、自分の学生カードさえ提示すればそれで、自動的に料金を
自分の口座から引き落とせるようになってるらしい。
  つまり、現金要らず。ここでも中国のカード社会の浸透ぶりを見せつけ
られた。
 どの大学も普通に誰でも利用できる。ただ、わたしのように色んな大学
の食堂を渡り歩く日本人は珍しいかもしれない。
 それに、先に書いたように、招待所には学生食堂とはまた別に食堂が
あったりするし、学生食堂とはいってもチャンと前にも書いた雅座ヤァ・ズォ
という、特別個室席や、先生方専門の食堂兼宴会場のようなものがある
学校だってこれでけっこうある。
 私が一番感心し、笑ったのは、数ある大学でも、
例えば理系の大学へ行くと、流石ここは理系だわい!と思わせる
料理取り口の番号表示が全て、LEDを使った電光表示だったり、
何かとデジタル機器が採用されていて、未来的な感じ。
回転寿司屋さん方式、回る料理の皿のところも見た。
 あれで回る中華料理の皿はちょっと笑えた。
エラー!

『街頭売貨ジェ・トゥ・マィ・フォ』立ち売りの人
 実はこの手のお仕事の人が急激に減って、わたしとして
ちょっと寂しい。以前は、至る所にこうした人たちがいた。
 街頭で立って、或いは座って、たまにはちゃんと腰かけて、
あるものを売ってる人達。
 無店舗販売と言えばちょっとかっこよすぎるか。単に街頭
勝手に物を売っている。
 急激に少なくなったのは、あのような商売では割りに合わなく
なったのか、はたまた、これらは違法なので都市条例的なもので、
取締が厳しくなってやりづらくなったのかの二つ。
恐らく、両方でしょう。具体的話をしましょう。
 では、どんな「街頭売貨」があったか。色んなのがありましたよ。
私が一番お世話になったのは、数でいえば新聞売りですね。
 中国では新聞は配達されるものではなく、街で買うのもです。多くは
それを扱う小さなお店が、新聞や雑誌やその他のものを扱う屋台
があって、そこで求めるのですが、バス停の降りたその先に、立って
新聞を売ってる人がいる、これはわざわざ店まで行く必要がないので
便利。だから、そこで買う。地下鉄なんかだと、アレは明らかに違法
だと思うが、車両を渡り歩きながら、乗客に新聞を売り歩き、数駅
行くと向いのホームの電車に飛び乗って、こんどは向こう車線で売る。
 ちゃんと、夕刊が出るような時間帯や、朝の時間帯を狙って、新聞
を胸に抱え込むようにして乗り込んできては、余り大きな声
売り声は流石に具合が悪いのか、「晩報ワン・バォ!」等と言いながら
周囲の乗客に目配せし、売り歩く。乗ってる方も手持無沙汰もあって、
そこそこ売れている。これのお世話にもなった。
 煎餅ヂェン・ビンという、中国の人達には欠かせない、いやいや
欠かせなかった、中国式クレープのごとき小麦を薄く焼いて中に何かを
入れてクルクルと巻き込んだ食べ物やさんが結構な数あったものだが、
あれも少なくなった。リヤカーにちょっとした台を括り付けて、アレは火は
何で熾していたんでしょうか、一応下に火があるクレープを焼く鉄板と同じ
な丸〜るい鉄板があって、そこで野球のトンボを小さくしたような道具で
小麦を薄く溶いたものをま〜るくしてなま焼いたところで、剥がし、それの
中に好みの具を入れて出来上がり。これを歩きながら食べる。これが、
朝食となった。あれも又全部が全部許可を受けてなかったのか、時折
取締があるのか、そそくさと移動したりもする。
  自転車修理屋さん。こちらも店舗はなくて、道端の街路樹の枝に
自転車のチューブをぶら下げるともうそこがお店。道具を入れた木箱
と空気入れと、オジサンの小さな腰掛があればそれで商売ができた。
 自転車の後ろのわら束を立て、それに刺さったサンザシの飴掛け、
糖葫芦タン・フゥ・ルゥも、あの鮮やかな紅色が目に飛び込んできて、
街を少し歩けば時期になれば見れたものだ。
 まだまだ、ある。有りすぎて困るくらい。兎に角いろんなものが街角で
買えた。売ってる人がいた。
 堂々と売ってる人もいれば、そうでない人もいた。
 こちらから見付けて近づいて行って買うこともあれば、向こうから寄って
来て、声を掛けられることもあった。
 ある時は、ふらふらと寄ってきたご婦人は、胸に犬を抱いてた。それは
見て分かった。彼女は突然、「買う買わない?」と言う。余りに突然すぎて
情況がつかめず、一体何を買えと言ってるのかが、分からなかった。
何せ周りには人が沢山いた。雑踏の中。それも昼日中。ちょっとお年を
めしているご婦人。何だろう・・・と暫しポカンとしてると、彼女は胸に
抱いている子犬を少し持ち上げるようにして、また「買う、買わない?」と
言ったので漸く、あぁ〜〜子犬を売ってたんだ!と分かって、変に
一安心した。

 旅先で一番お世話になったは、駅前でその町の地図を売る人達。
この人たちも見かけなくなった。皆もう地図なんか買わないらしい。
 私の旅はこの一枚の地図から始まる。初めて降り立った町で、駅を
出てすぐの広場には大概、地図を手に旅行者相手に声を掛けてる人
がどの駅にもいたものだ。
 一枚もののその町の地図は、地図というよりもかなり絵的で。どんなに
大きな町も、小さな町も、きちんと一枚の地図に上手い事収まっていて、
裏側や余白にはその町の名所旧跡、バス路線、ついでにホテルの宣伝
などが刷られていて私にはありがたかった。先ずはその一枚を手に入れ
ホテルでじっくり明日からの予定をたてるのが私の旅の始まりだ。
 そんな地図売りの人達は、あれで生計を立てるのは難しいからだろう、
少しお年をめした女性、早い話が中年の婦人が多かったように思う。
 ある町で、同じように降り立ってすぐ、多分私の眼はその時もう既に
そうした地図売りの人を探していたので、飛んで火に入るナントやら、
おばさんがやってきて、地図を差し出す。ちょっと辺りも暗かったし時間
も遅かったので差し出されるまま手にして、言われるままお金を払った。
大した額ではない。それに現に地図はすぐに手渡されるので、まぁ
騙す騙されるもないものと、そのままいつもの様にホテルへ。
 さて、ホテルでじっくりその地図で予定を立て、次の日に乗るべきバスや
訪ねるべき名所などをざっとさらっておく。勉強は嫌いだがこうした遊びに
関することは私は極めて熱心で周到だ。
 次の日もその次の日もその町を観光して、どうもあちらこちらで不具合
に会う。可笑しい。かなりじっくり研究したのに。漸く気づいたのはもう
その町を離れる当日で、種明かしは簡単だ。その地図は古かった。
版を重ねて、今は新しい版の地図が出てるはずなのに、私が買った、
買わされたやつは、古い版のもので、売れ残りか或いは古いのを安く
仕入れて売ったのだろうと、判明。
 さて、次の町への移動の日。数日前に降り立ったその駅前。
偶然、居ましたよあの私に古い地図を売りつけたおばさんが。
 もうその町を離れるからどうでも良かったが、今後の犠牲者を減らす為に
も、一言おばさんに言っておこうと近づいて、先日買った地図は古い版
だった、そんなのを売るのは好くない、と単刀直入に言った。
 それを聞いたおばさん、全く動じるふうもなく、
「じゃぁ、こっちを買いなよ」と最新版を私に売ろうとした。
エラー!

『口少架ツァォ・ジャァ』中国式ケンカの仕方
 喧嘩のことを中国語で、「口少架ツァォ・ジャァ」という。
この「口少」(ツァォ)の字が上手く表記できないので、ここで
口+少の2文字で作られているが、これで1字です。
 ケンカもいろいろありますが、この字でお判りのように、これは
クチ・ゲンカを担当してます。一方、手を出す方のケンカは、
「打架ダァ・ジャァ」となります。日本語だと殴り合い、ですか。
 因みに、日本語の「喧嘩」は、中国語ではシュァン・ファと発音
され、ケンカの意味はなく、やかましいという意味になります。
 まぁまぁ、ケンカは元々やかましいものだろうから、そう外れては
いないと思うが、言い争う意味は持たない。ちとややこしい。
 さて、ケンカの話題だが、温厚で他者との衝突を極端に恐れる私は
大人になってからというものケンカらしい?ケンカをしたことがない。
夫婦ゲンカを含めても無い。連れ合いからも「アンタとはケンカに
ならない!」と、太鼓判を押されている。
 ということで、今回の話題はケンカ指南ではなく、もとよりケンカ
に王道があるのかどうかすら私には判っていない。そんな期待は
誰もしてないでしょうが、ケンカの仕方というより私が中国で見聞き
したケンカを紹介しようと思う。これが面白んだ、実に。
 漸くこっから本題に入る。
 中国では実によくケンカを目にした。その数が多い。日本では余り
街角でケンカしてる人なんか見かけないので、日本と比較すること自体
が無意味だ。そうだとしても、中国は多い。人が多いからだろうか?
いやいや、そんな問題でもない。圧倒的に多い。人の数に比例するなら、
中国でだって小都市より中都市が、中都市より大都市が多くなるはず。
でしょ、それが違う。大都市よりも地方都市でよく見かけた。小都市ほど
多い。だから、この理論も成り立たない。
 これが特徴の一つ、中国ではその発生件数が圧倒的に多いこと。
 数もそうならその発生場所もいろいろだが、中国の特徴の二つ目は、
路上でのケンカが多い、という点だ。
 家庭内でのケンカや、会社や建物の中でのケンカは目にすることが
できないので、数には入らない。ですので、私がその数が多いと言ってる
のは私の目に触れるような場でのケンカがしょっちゅうあるということだ。
 中国の街で路上で大通りで乗物でのケンカは、一言でいうならハデ!
劇場型とでも言いましょうか、周りを巻き込んでの大騒ぎとなる。
 原因は問うまい。どうせロクなこっちゃない。だが、ひとたび始まれば、
当事者、一対一、が多いがその二人を中心に輪ができ、幕が切って
落とされる。それは、道を歩いてて突然劇中に引き込まれたような、昔
流行ったアングラ劇場のような感じで気が付けば自分もその劇の一員と
してそこにいることになる。

 主役である当事者の二人は、徐々に声を荒げ、互いに如何に自分
が正しいか、自分に理があるかを相手にというより、取り囲んだの観衆
に訴える。無論、当人同士も売り言葉に買い言葉、丁々発止に遣り合ううち
に興奮してくるが、どうも途中あたりからケンカしてる相手に言ってるという
よりは、グルリ周囲のやじ馬たちに向かって言ってるようだ。
 何故か、多く見方に付けた方が勝ち!式のゲームの様相を呈してる。
興奮してきてすぐにも取っ組み合いのケンカになりそうだが、どうして
なかなか。かなり聞くに堪えない(この汚い言葉は私には聞き取れない)
罵詈雑言を駆使して相手を罵倒しあう。でも、意外に冷静で自分の主張が
終われば相手の言い分を待ってたり、自分に味方する観衆がいるとそちら
に体を入れ替えたりする等等。なかなかに見せてくれる。
 色んな面白「口少架」を見てきた。うち、特別推薦の二つを紹介しよう。
 一つ目は、アベック同士の口少架。ケンカの発端を見逃した。私が駈け
つけた時にはもうかなりの観衆を従えて、既に佳境に入っていた。2対2。
佳境に入ると関係無いと思うが、互いの彼女の容姿をけなす等、ほぼ
場外乱闘ぎみといえる応酬になるが、これがまるでテニスや他のスポーツの
ダブルス線のような遣り取りが見事で聞き惚れた。それはまるで掛け合い
漫才を見ている様でもあった。
 いま一つは、若いお母さんVS中年のおじさん戦。自転車が直ぐ横を通り、
手を引いてた子供に危うくぶつかりそうになった、という。危ないじゃない!
とお母さん。ごもっとも。何言ってやんでぇ〜そっちが無理やり渡ってくるから
じゃねぇか、とおじさん。チ〜ン!とゴングが鳴ったのが聞こえたような気が
する。それからが長い、長い。如何に相手が危険か、無茶を言ってるか、
交通道徳とは何か、まで丁々発止に互いに互いを攻め譲らない。
そろそろ引き分けじゃないこれ、と思って見てると。玉打ち尽くした双方、
このまま棄て台詞を残して解散か、と思ったその瞬間。母親に手を引かれて
いた小さな可愛い女の子が、「このおじさんが悪い!」と言って彼を指さす。
自分が如何に危険な目に合い、怖かったかを滔々と述べる。流石にバツが
悪くなったオジサンは、何やら捨て台詞を残して自転車に跨り去って行った。

 このことは私に二つのことを教えてくれた。多分この女の子、7・8歳だろう。
こんな小さな時からケンカの技術習得に励んでいるから中国の人は口少架に
強いんだということ。そして、こんな小さくとも女性は怖い、ということ。
エラー!

『小秘シャォ・ミィ』秘書であって秘書でなし
 誰にも秘密はある。わたしにだってある。少ないが。
ヒミツ・・・というと、それだけで何処か隠避な臭いがする。
こちらを愛読してくれている友人から、「たまにはさぁ、こう
ちょっと色っぽい話も書きなさいよ。ホント色気ないんだから」
と、言われた。甘んじてそうした忠言は受ける。が、彼の忠告は
的を得ていない。何故なら、わたしがそうした話題を書いたから
といって必ず色っぽい話となるとは限らないから。
 さて、今回はそんな少し色っぽい話題ではあるが、だから
言って先の友人の要望に応えることができるかどうかは、
甚だ心もとない。
 秘密の話だ。それも、色っぽい秘密。それが小秘「」。
 秘密は中国でも字は同じ、意味も同じ、読みだけが違っ
いて、「ミィ・ミィ」となる。同じ音が重なっていて覚えやすい。
かつ、音から受ける印象ではあるが、可愛らしい。覚えがいい。
 次に注目は、中国語における“小シャォ”の使い方。
これがどうしてなかなかに便利に使われていて、色んなところで
“小”を前に付けて、時に可愛い、時に若い、小さいはもとより、
“小日本”の様に侮蔑にだって使える。
 例えば、中国人の姓は漢字一文字の人が多い。例えば張さん、
李さん、劉さん。この日本語の〜さん、に当るものとして“小”を
使う。小張、小李、小劉・・・のように。この時の“小”は敬称
あり、年下の者への親しみであり、身内に使う謙遜であったり
の使われ方をしている。
 ここでやっと、表題「小秘シャォ・ミィ」へ戻る。ヤレヤレ。
 それで、秘密はミィ・ミィですが、秘書はミィ・スゥと言う。こ
秘書にわざわざの“小”が付くだけで急に雲行きは怪しくなる。
 「小秘」は、若い秘書と、小さな秘密を兼ね備え、それは若い
女性で、その女性との関係が秘密になってる、そんな秘書を指す。
 ←こちらは映画「非常勿擾」に登場の小秘。
  わたしも一度だけその「小秘」らしき人と遭遇したことがある。
 それは全くの偶然だった。中国で、わたしはその日日本からの
お客様が来るので、ホテルで待ち合わせ、ロビーのソファに居た。
 ロビーには数名の中国人が。ある人達はソファーで、ある人は
ロビーを行ったり来たり、それぞれ待ち合わせの人達が人待ち顔
でお喋りをしたり、所在無げにタバコをふかしていたりしていた。
 わたしの傍のソファーに座った数人はどうやら仲間らしい。
何やら会社の話題を。途中でこの人たちの話題は、ところでよ・・・
と、なった。急に声をひそめ、「ところで老板(社長)の小秘は来る
のか・・・」とか、「あの小秘で、大丈夫か・・・」等と言っている。
直ぐ隣なんで聞くとはなしに聞こえてきて、なに小秘だぁ〜こんな
昼日中に(関係ないか)、どんな社長だろう・・・と急に興味が湧いた。
 少しして、「老板!」と一人が言い立ち上がった。噂の社長登場。
小秘の話題は急に打ち切り。「××さんに電話しろ」と社長。こちらに
降りてきて貰うんだ、と言ってる。どうやら商談相手はこのホテルに
居るらしい。ほどなく、降りてきたのは何とわたしも知っている日本人。
このホテルに事務所を構えている日本企業の方で、日本人が集まる
宴席で何度か席を同じくしたことがあり顔見知りのYさん。
 Yさんと眼があった。彼はつかつかとこっちにやってきてわたしと
握手。実はこの中国人・老板の商談相手がYさんだった。驚き。
 と、老板は急に我々の間に入ってきて、こちら側の通訳が遅れて
くる、何てなことを言ってる。捲くし立ててるが、Yさんには伝わってない。
 しょうがない、わたしが其処のところを通訳。老板は何を勘違いしたか、
そちらの通訳さんがいるんだぁ、と勝手に納得。Yさんは盛んにいや
こちらは当方の通訳ではなくて・・・と説明。結局わたしはそこも通訳。
老板は、名刺を差し出し、今朝早くにこの街に着いて、通訳と一緒に来る
予定だったのが都合で通訳だけが遅れることになったこと、もらった
ファックスは見た、条件に不都合はない、などといったことを捲くし立て、
わたしが通訳するのを待ってる。そりゃ、ないんじゃない。
 これじゃもう実質商談に入ってる。先ほどまでわたしの傍で煩かった
社員なのか取り巻きは、相槌を打って聞いてるだけ。何なの!
 どうやら社員ではなく、下請けの会社の人達らしい。
 わたしの待ち合わせの客がやって来た。わたしの周りに大勢の人が
いるので驚いている。今度はそのお客様にこれまでを説明。
 悪いがわたしたちは彼らと別れホテル内の喫茶室へ。
 直ぐ後にあの取り巻き連中が矢張り喫茶室へやってきた。
あれ?あの後どうなったのかな、と心配になったので訊いたら、
老板の小秘が来たんだよ、と言う。小秘が通訳なんだそうだ。
またまた急に声をひそめたと思ったら、その小秘とくだんの老版がYさん
と一緒に喫茶室にやってきた。
 その彼女、日本語でわたしに、先ほどは自分が遅れてご迷惑をおかけ
しました、お蔭で取引も上手くいきそうです、ここのお茶代はこちらに
持たせて下さい、という。先に勝手にそう決めておいて、後から老板に
ここのお茶代を払ってください、と言ってる。おいおい後先が逆だろう。
自分で勝手に決めていいのかよ。その上、食事でも一緒にどうですか?
等とこれまた老板に相談もなく勝手なことを言ってる。
 先に社長のご意向を伺わなくては駄目でしょ。反対だ。秘書がどんどん
決めて、老板はそれでも契約が上手く行きそうでご機嫌なのか、
何も言わずにニコニコさえしている。怪しい。
 これってやっぱり小秘なのか。
 んん〜、今度はですね、社長が女性で男性の小秘ってのも見てみたい。
 結論、わたしの見た小秘は、まるでその小秘らしさを感じさせない、
化粧もしていなければ、肉感的でもなければ、そんな服装でもなかったし、
そんな話し方でもなかった。
 あれ、ホントに小秘だったのか?どうもあの取り巻き連中言ってたことが
怪しい様に思える。
エラー!

『街道樹ジェ・ダォ・スゥ』 中国の街路
 今月のお題目は、「街道樹ジェ・ダォ・スゥ」街路樹です。
そう、街路樹のことです。「林陰樹リン・イン・スゥ」とも、
「道旁樹ダォ・パン・スゥ」等とも呼ばれてますがね。
 まぁ、字が近いのでここでは「街道樹」を採用。街路樹ですが、
どの国にもそりゃぁありますよ、中国にだって。
 基本、街路樹は道路のそれも両側に、一列に植えられた
その樹木を言います。まぁ、片側だけに植えられていたとしても
街路樹でしょうし、二列になっていたとしても構いませんがね。
 できれば、街路樹ってくらいですから、市街地の道路沿い
ありたい。元来がこれ、都市の景観と緑化を目的としてるんで
しょうから、そうした行政の管理下にあるものとの理解。
 おそらく、世界各国で植えられてる街路樹のその種類が多い
ことは想像に難くない。それはもう、その地域の気候に合っ
樹木を植えるんでしょうから当然といえば当然。
 おそらくですが、広葉樹と常緑樹では、広葉樹の方が多いの
ではないかと。何故なら、広葉樹は夏にはその葉を茂らせ木陰を
つくり、冬には葉を落とし日差しを受けることができるから。
 常緑樹とか針葉樹と呼ばれる樹木はその成長が比較して遅いし、
存外環境を選ぶし、病害虫などの栽培管理が難しい。
 以上の理由から、調べたことはないが、広葉樹の方が多いだろうと。
 私の住む町でも、街路樹は数種類に渡っていて、通りが変わる度に
街路樹も変わる。もう少し全市的に統一されていた方が好いような気も
するが、そこはホラッ、お役所なんで、一度の植えてませんから、植えた
年が違えば、先にこの通りを例えば「ナナカマド」と決めた人が、翌年、
違う通りの街路樹を決定する際にはその都市緑地計画ナンタラカンタラ
課ってのはもう移動でいなくなってますからね、新しいその課の課長
なのか街路樹係なんてのがいて、今年はこの通りはイチョウにしましょう!
ってんでそこはイチョウになり、翌々年はやっぱ北国はアカシアでしょ!
なんてな担当官がいてそれが植えられ、結果いまバラバラの街路樹が
植わってますよ。皆さんの町は如何ですか?
 さて、中国。その点中国は、パリのマロニエ、って程統一はされてないし
有名な街路樹があるわけでもありませんが、ある程度、その城市チャンシィ
都市によって統一されてますね。
 中国、多い街路樹はなんだろう?シダレヤナギかなぁ。水辺に植えて春先
の新芽が吹いたころのそれは水に映った姿とよくあっている。
 アカシアの大連、などと呼ばれたりしていますが、あれ発端は日本人のよう
だし、それに街全体がアカシアとはならず、古いそれらはもう既に老木で
かなり数も減ってきてます。
 広い国ですから、南だと日本でもテレビで台風情報などを見てると、ヤシの木
が激しく風に揺れる様子などが映され、あぁ南だなぁ・・・と。
 中国、南はもっと南なんで、ゴムの木の街路樹なんてのもあるにはある。
でも全国的に見て一番多いのはやはりプラタナスかなぁ・・・・。鈴懸の木とも
言われてます。中国を旅していてこの樹の街路樹が印象に残っている。
 それは樹そのものというよりも、
 ←これこれ、この街路樹の剪定の仕方が独特。
分かりますかねぇ、これ。幹のある程度の高さのところで真っすぐの幹を
止めて、脇の枝を大きく伸ばします。それも片側は車道に大きくせり出し、
歩道側にも伸ばし、両側に極端に枝ぶりが好いんです。
 ですので夏などは葉が生い茂り、木漏れ日の中を歩くことになる。
これは心地よい。
 ただ、南では辛うじて冬でも葉が落ちずにそのまま樹に残るが、北は大変で
この大量の葉がある日、本当に冬に入るある日急激に冷え込む日があって、
大概その日に一度にドット葉を落とし、その量たるやそれはそれは大変。
 そんな日、あぁ〜いよいよ冬だぁ〜、とため息を吐くことになる。
 中国の街路樹というと思い出はこの二つ。
 一つは、秋も深まったある日、とりわけ冷え込んだ日の朝。道一面を覆う
枯葉の山。また、その山を気にもせず踏みつけて歩くし、車もその上を
歩くので、なおのこと道路が汚れる。気にしないんだ、というのと、
 二つ目は、少しぐらいの雨ならそれと気づかずに歩けるくらいに歩道にせり出し
ている枝ぶりをみて、これに限らず、同じものは世界中にあるのに、それを
扱う人間が違えば、あぁこんなに違うんだぁ・・・というのが私の感想。
 そうだ!もう一つ、この街路樹の剪定作業をしているところにぶつかった
ことがある。それが、普通の日の昼間の時間だった。
  日本だとこうした作業は日中は交通渋滞などを考慮し夜中とか早朝とか
の作業になるはずだ。案の定というか、当然というか、その作業により
渋滞が起き、後ろの方の車は何で渋滞になってるか分からないので、
クラクション鳴らし放題?だった。これも中国的かな。
 
エラー!

『假幣 ジャァ・ビィ』 コレッ、ニセ札ジャン!
 そもそも中国ではお札の扱いがザツ。ひどいもんだ。
 まぁ、煎じ詰めれば、お札もただの紙切れであり、そんな
紙切れの為に日々額に汗して、あの紙を何枚か手に入れ
為に嫌な奴にも頭を下げてるかと思うと腹立たしくなるのは、
分かる。分かるが、お金には責任はない。お札が可哀そう。
 一方、日本では、子供の頃からお金は単なる紙ではない、
と教わる。お札はただの紙ではなく、人を幸せにもするし、不幸
にもすると。だから扱いにも気を使い、その事もあって札自
の傷みも少ない。中国は逆だ。
 ピン札、という言葉が人を惹き付ける。札に折れ目もなく、
新しい札を手にしただけで何故か得をしたような気になる。
ピン札は手元にとっておきたくなる。何れは使わなくてはならない
のに、だ。
 結婚式のお祝いを包むときは新札を、だったり、習いものをして
ると、月々の月謝袋に必ず新札を入れて寄越す人がいる。
札が新しかろうが古かろうが、その価値は変わらないのに、だ。
 中国では時々、もうこの札、紙の正体がない、というのに出会う。
紙としての本性がないのだ。余りにクタクタでシワクチャで、もう
紙でもないのだが、辛うじて印刷されてる図柄が札のそれなので
札だと分かるが、そこらに落ちていたらゴミだよこれ、ってな札。
 以前は中国の人は財布を持たないので、そのままポケットに
入れるのだがその際、キチンと畳む人は珍しく、大概の人は釣り銭
をギュッと握ってそのままポケットへ。だからクシャクシャになる。
 そんな札だからのなか、お金に特別の意味合いなどいらない、
との考えなのか、札をよく放る。投げて寄越す。釣銭などその辺に
バァ〜と散らばるくらいには、コインも札も一緒に、バァ〜〜と。
あぁ〜、節分の豆まきじゃないんですから、お願いしますよ!と
言いたくなる。扱いが荒い。
 札をメモがわりにしてる。中国のお札はよく字が書かれている。
それも手書きの。電話番号だったり、名前だったり。お札に自分の
名前を書く心境が分からん。一度など、電話番号、氏名、住所と
札の裏側に青のボールペンで書かれたやつを目にした。
 いいのかぁ、こんなに個人情報大公開で。この電話に電話したら
本人が出るんだろうか「ウェ〜イ!・・」なんて言って。

 ここまでは、一般的な中国のお札のお話し。
こっからが本題。一般的じゃないお札の話で、にせ札の話。
中国のお札、ご覧になったことおありですか。デザインはどの額面も
同じように、“毛沢東”の顔。基本の1元から、100元まで、途中5元
とか、20元とか、50元などもあり、数種類がある。
 にせ札も、各種ある。あるが、矢張り効率から言って最高額紙幣
100元札が一番。広い国で、沢山の人がいるから、どれ位のお札が
出回っていて、その内のどれくらいがにせ札なのかは分からない。
分からないが多い。何故そう言えるかというと、わたしがにせ札に
遭遇する回数から押して多い、多すぎる。普通に出会うから。
 にせ札に普通に出会うようじゃダメでしょ。一生に一度位にして
貰いたいものだ。それなのに、いや、それだから、中国でニセ札が
発見、ニセ札が使われた、というニュースは見たことがない。日本だ
と何処かでニセ札が使われたなら、必ずニュースになる。中国で
ニュースになるのは、にせ札工場が発覚された時にそれもその
工場が大きければニュースになる。
 (日本じゃ滅多に見ない、札をかざす姿)
 なので、普段の暮らしの中では、あ!これにせ札です!!と
言われ、えぇ〜大事件だぁ、こりゃぁ大変なことになったぁ〜・・・
と思ってると、違う札で払って、と言われそのにせ札は返される。
そのあと何事もなかったかのように買った品物を渡され、釣銭も。
 逆もある。旅行中、ホテルで日本円を人民元に交換の時。
一緒にいた中国人友人は両替したそのお金を一枚一枚手に取り、
光にかざしてためつがえす見る。笑顔でありませんね、と言う。
それは、にせ札が混じってなくてよかったですね、という意味なのだ
ろうが、あの一枚一枚かざして見る真剣な顔と、よかったですね、
という笑顔とも、もともとは必要のないもののはずだ。にせ札が
こんなになければ、だが。
 もう一つの話題は、にせ札話題の時必ずこの話題も話してるが、
余りに多いにせ札対策として、にせ札発見器がある。学校の黒板
消しを掃除する黒板消し掃除機、位の大きさで、機械を通すと、
機械の発する光線でにせ札を容易に発見できる、という優れもの。
結構普及してるところを見るとみんなにせ札に苦労してるらしい。
 中国の人が凄いなぁ、と思うのはこっからで、にせ札を発見する
この売れ筋にせ札発見器、お幾らするんでしょ。まぁ精密機械でも
ないし、至極仕組みも簡単そうだ。でも、一応機械ですから、そこそこ
の値段はしてるんでしょ。そのにせ札発見機のニセモノが出回っている、
から注意が必要だという、落ちがついている。
 流石中国、凄いなぁ中国、一筋縄ではいかないもんな。 
 にせ札を作ってる人と、にせ札発見器のニセモノを作ってる人が
同じ、なんてな逆転に次ぐ逆転もありそうだ。
 オッと、中国語の説明忘れてた。
 假ジャァと読みます。假は、ニセ、いつわり、の意味。
 紙幣は、ジィ・ビィと読み、意味は同じ。贋イェンと読みます。この字
もあるんです。ですので贋札となりそうなものですが、何故か中国では
こっち贋イェンを使っちゃうと硬貨について言うらしく、画数が少ない
假ジァの字で代用。この辺からもうニセモノ感が匂ってません。
エラー!

『空中小姐』は、今日も飛んでます。
 中国語はご存知のようにあらゆる森羅万象を、漢字で表記します。
漢字しかないから。全てを漢字に。これ、意外と不便。意外でもないか。
何が不便って、外来語が困る。そして今、我々の身の回りは外来語で
溢れている。中国ではそうした外来語も当然、全て漢字を使って表記
しなくてはならない。これ、困る。困ると言っても漢字しかない。日本の
ようにカタカナがない。不便。相当不便。
 ただ、日本では逆にカタカナが有るおかげで、巷にカタカナが溢れ
かえっていて困る。まるで洪水のように。これもまた、困る。
 近年の外来語の氾濫は、中国も日本も同じ条件下にいると思うが、
日本ではこと英語に限らず、その音をそのままカタカナで表記すれば
作業的にはそれで済んでいるので、後はそれを言われた相手がその
言葉が判っていようが判ってなかろうが、どんどん使う。これも困る。
意味が分からん。時に、使ってる方だって分かってないなんてなことも
あって悲惨だ。それでも使う。何語か分からん。
 小学校低学年の子の学校帰り。ランドセルを背負いふざけ会いながら
道を駆ける。、一人が「やった〜!ゲット!!」と、叫ぶ。それに答えて
もう片方が「リベンジだぁ〜」って、何処の国なんだここは・・・?と思う。

  そんなことより、表題の「空中小姐」だ。これも漢字しかない中国で、
その外来語の意味を漢字に置き換えたものの一つ。
 「小姐シャォ・ジェ」は、若い女性に対する総称。お嬢さん!的な。
「空中コン・ヂォン」は、読んで字の如く、ってやつで、まさに「空中」。
二つ合わさって、「空飛ぶお嬢さん」となる。最も実際はドラえもんじゃ
あるまいし、自分じゃ空は自由には飛べないので、飛行機に乗っている
あのお嬢さんたちを言う。そう、スチュワーデス。
 でも、今はもうその言い方古いですよ、と言われた。でも私の年代では
もういつもスチュワーデス言ってましたから。スチュワーデス、という語の
響きと、今風キャビンアテンダントって語の響きにはえらい差がありますし。
ここはやっぱスチュワーデスってことで通しましょう。
 中国のスチュワーデスの話をこれからするわけだが、以下全くの個人的
感想と思っていただきたい。悪気はない、私の個人的印象だ。
 何せホラ、私の周りにはスチュワーデスと言えば制服だ、という制服に
滅法弱いというか、寛容な人たちがおって、彼らはスチュワーデスという
語だけで心躍るものがあるという。何が?と思うと同時に、羨ましい。
 私の場合、中国××航空の制服ってどんなでしたっけ?とか、中国では
どの飛行機会社の制服がカッコいいですか?の質問にはまるで答えれ
ない。かなり乗ってる。路線も急激に増た。会社も各地区、多数あるので
一つ位は印象に残ってる制服があってもよさそうなもんだが、これが無い、
見事に無い。そのくせ、どっかの路線でたまたま出されたサービスのお菓子
や、機内食で印象に残ってるものはある。
 でも私は自分で言うのも何だが、飛行機に限らず乗客としてはとっても
好い客だ。無理難題を言わないのは無論のこと、機内では静か、いたって
静か。用事も言いつけないし、機内で交わす私の会話は機内食を選ぶ時、
飲み物を選ぶ時、それもややこしいのは頼まない。文句も言わない。言い
たかった時はあるが。

 中国のずっと南。小さな飛行場。搭乗するその機まで自分で歩いてくような
そんなのどかな雰囲気。搭乗手続きが始まりタラップ下まで歩いていき、
登り始めた。ところが機内に入ろうかというところで動かなくった。待たされる。
私より下で待ってる客は焦れて、「小姐!何をしてる早くしろ!」と叫んでる。
叫んだからと言って物事が解決するわけではない。機内を覗くと、入ってすぐ
の所で、空中小姐と乗客の一人が激しく言い合っている。要するに子連れの
乗客が自分の子供に外を見せたいと勝手に席を窓側に変えて座らせていて、
それを注意してるらしいが、注意してるその空中小姐が通路を塞いでる。
それで後ろが痞えてるだけだ。小姐が通路を避けて座席の間にでも一旦
入ってくれれば解決するだけのことだ。通路を確保してからゆっくりその
お母さんと遣り合えばいいじゃないか。
 小姐曰く、搭乗の際窓側か通路側か訊かれてるはずだ、と言う。正しい。
子連れ母親だって黙っちゃいない。自分は早くから来て順番も守ってる、
この子が外を見たいと言い出したからこの席の人と変わって貰えば好い
だけの事じゃないか、と周囲に声高に訴える。少し年配の小姐が後輩を
とりなし、漸く小姐を邪魔じゃないところへ移動させ、通路が確保された。
後ろに続く乗客たちはやれやれ・・と動き出してホット一息。
 機内に入り、自分の席を確認してると、あろうことか私の席は正にその
親子連れの座ってる席だった。んん〜困った。
 小姐に「どうすればいい?」と訊いた。自分で勝手に判断せず、乗務係の
指示に従おうとする私は褒められてもいいはず、でしょ。席を変わることは
一向に構わんが、私の席にはもう、子供が座ってる。しかし、果たしてあの
親子の本来の席は何処かはまだ分かってない。それを確かめる必要だって
あるはずだ。ところが私の問いに対し、小姐は「勝手にして」と言う。それも
私を怒ってるように。「そりゃぁないんじゃないの」とこっちだって言いたい。
私は被害者であって・・・。更に譲って冷静に対処してるのに・・・。
私にまで悪態をつくこたぁないでしょ。乗務員勤務指南書(マニュアル)に
にはそう書いてないでしょ、と言いたい。小姐は、「全く・・もう・・・」ってな
ことを私に言う。え〜、何で?何で私??お門違い、って中国語で何て
言うんだったけなぁ〜、と考えてる私を置き去りにして行っちゃった。
 小姐は私を中国人と思ってるようだ。結局私は通路側の席に。
それは別に好い。が、後に小姐が食事と飲料の注文を取りに私の席にも
やってきた。その時、小姐は初めて私が日本人であることに気づいた。
ほんの一瞬だが、何とも言われぬ間があった。
 彼女は何か言うのかな、と思った。が、何もない。
何事もなかったかのように食事を渡された。くだんの子供はもう窓の外など
見ておらず、御菓子に夢中のようだ。
 そして、空中小姐は私たちの列を越し、先のお客さんに満面の笑顔で
接していた。
エラー!

『素菜スゥ・ツァィ』本場精進料理のお味は?
 概ね、人間界では他者を騙してはいけない!という
不文律がある。世界中にある。それでも、騙す人が後を絶たない為か、
不文律では足りず、近代国家ではそれだけでは心配だし守り
切れないので明文化し、それを法律と言ってる。
 そんな法律が無いとこんな簡単なことも守れない近代国家は、
法律などなくともやっていける未開国より劣ってるということになる。
 騙されるのは一般には勘弁して貰いたいものだが、時にこれを
逆手にとって、騙し騙される楽しみもある。
 その一つが、精進料理だ。
 中国の素菜は形もそのものに近づける。
 ご存知、精進料理とは、動物性の食品を用いずに植物性食品を
材料として料理のことを指す。中国語では「素菜スゥ・ツァィ」と言う。
 この料理、騙す騙されるというよりも、この植物性素材を使って、
いかに動物性の食品を食べたかのように錯覚させる技を往々にして
自慢にしているところがある。ということで、食べてる側は、素材が
判らないまま、肉らしきものを食べさせられたりして、食べさせる側は、
そこに腕の腕の見せ所もあるらしく、騙したり騙されたりを愉しむのも
この料理の一つの“味”となっている。

 中国では、レストランは基本的にどこの料理を提供しているかを
看板なり、メニューなりにどこ風のというか、どこの地域の料理なのか
を表示している必要がある。
 あの広い国土ですから、各地で味に開きがあることは容易に想像
できる。広い国土ではその使っている素材からしてからがまるで違う。
味付けも違う。そして、こうした味は子供の頃から育成され、大人に
なってはますます頑固になる。だから、概ね多くの人は自分の育った
地域の料理に愛着をもつし、何より食べなれている。
 有名なのは、中国四大菜と呼ばれる、魯菜ルゥ・ツァィ(山東料理)
川菜ツァン・ツァィ(四川料理)、粤菜ユェ・ツァィ(広東料理)、蘇菜
スゥ・ツァィ(江蘇・浙江料理)がある。これとても、あの広い国をたった
四か所を代表してあとは無し、というのは全ての人を血液型だけで
占うというくらいの乱暴さはあるし、県庁所在地のみの天気予報って
のよりも荒い、土台無理だ。
 更には、何で我が地方が中国料理の代表に入らないんだ、との抗議
を受けて、倍の八大料理となったり、十大料理となったり、切りがない。
 そんな地域区分とは離れて、この素菜がある。

  友人のZ君は、結婚相手は湖南の人と決めている。何よりも先ずはこれ
が第一の条件だそうだ。これは譲れない、と言っていた。他のことは、という
のは容姿だとか仕事だとか気性よりも、同郷が先。
 それは、北方の料理は自分には合わない、と彼は言う。味が濃すぎるし、
脂っぽいし、味が単調とかなりの酷評。
 実は彼の北京暮らしは大学時代も含めてそこそこ長くなっている。
それでも、もし結婚したなら故郷で過ごしたい、と言う。ご存知のように
中国では男性もよく料理をする。彼も例外ではない。だから自分は湖南
料理を作るが、一緒に食べてくれる人もこの味が判ってくれなくては、と
も言っていた。四川料理など彼曰く、辛くて食べられてもんじゃない、と
言うし、滅多に食べないともいう。
 北京には湖南料理の看板の店は多数ある。しかし、彼に言わせれば
あれも少し違うと言う。
 一方わたしは、わたしの事なんかどうだって好いんだが、一応比べる
対象として、わたしは。子供の頃から、出された食べ物は食べ物である
限り何でも食べなさい、と厳しく躾けられた。ましてや、他人様からご馳走に
与るような場合は、どんなに不味くても、美味しいです、と言いなさいと教え
込まれている。素直で良い子だったわたしはその教えを守り、何でも
食べる。中国ではよくゲテモノもご馳走になった。決してわたしがそうした
嗜好を持っているわけではない。
 そんな彼からある日、とても美味しいお店を見つけた、是非ご馳走したい
と、言われた。彼がそうまで言うなら、是非ご相伴に。
 待ち合わせた店は、ちょっと変わった雰囲気の店だった。
メニューは、何でもコース料理になっているらしく、幾つかのコースがあり
彼にはもう目当てのコースがあるらしく、メニューもろくに見もせずに、途中
の一品を替えることはできるか、などと訊いていた。後学の為にメニュー
を見せていただいたが、さっぱり判らん。
 料理を運んでくる小姐は、一品運ぶたびに、こちらは・・・ってな能書き的
は話をする。××風というのが多い。この〜風というのだから、実際には
それでない、という事ぐらいはわたしにも判った。
 よくよく聞くと、素菜の店だという。ここの店の料理は湖南料理の味付けに
近くて美味しいと彼が言う。
 ひょいと箸で料理を摘まんで、ところでこれは何か分かりますか?と尋ねる。
要するに材料だ、見た目は○○なんだし、味も○○に近いが、材料は違う。
それの当ってこに二人とも夢中になった。
 食べ終わって、彼は日本にもあるか?と聞かれたので、ありますよ、と。
これも中国から伝わり、日本では「精進料理」と呼ばれ、お坊さんが・・・
てな話をし、一般の人も特別な日の特別な料理として、つまり喪中の時の
って複雑な話をしてて、多分上手く伝わってないと思うが、
 彼は意外にもアッサリ納得。
 料理はどれも美味しかった。あっさりしていて、それでいて濃厚な味も楽しめ
なかなかに手も込んでいて。美味しい。
 素直にそう言った。彼もそう思ってると思う。めでたし、めでたし。
 暫くして彼が、今度は日本の素菜を食べてみたい、と言った。
これって、今度はこちらがご馳走しなくちゃならん、ってことでしょ。
んん〜、これにはちょっと困った。果たして中国にあるのかなぁ、日本料理で
かつ、精進料理を出してる店。彼に少し時間を下さい、ってなことを言った。
 と彼は、日本に行こうかなぁ、と思ってると突然話し始めた。
え〜!旅行??と思ったら、今の職場と日本に関係ある会社があるらしく、
研修というか出張というか、来年行けそうなんだ・・・てな話をし出した。
 それって・・・次に日本で会ったら、精進料理を奢れってことですよね・・・。
 そんなこちらの不安をよそに、彼は、日本の坊さんが判らん・・・と
言ってる。結婚もできる、酒も飲める、なのに何で素菜なの・・・と。
エラー!

『方便面』 インスタントラーメンかよ。
 インスタント食品が世に出てから、こんな便利なものがあるなら
別に、何も本物を求めずともこんだけ便利ならいいんじゃないの、
とインスタント食品が洪水のように暮らしの中に押し寄せてきた。
 そんな中でもこの、インスタントラーメンとインスタントコーヒーの
出現は画期的だったとわたしは思う。
 今でこそ色んな食品が、というより、何でもインスタントのものが
ある。だが、わたしにとってのインスタントの始まりはやはりこの、
インスタントラーメンにあるように思う。
 お湯をかければそれでもう食べれる食品の出現は衝撃的と言っても
いいだろう。更にこれが、カップヌードルとなって、器も準備しなくてよく
なって、その便利感が一層増した。
 だが、考えてみれば、この頃から何だか、ニンゲンそのものもどうも
インスタント的に創られてる感があるのはわたしだけ・・・か。
 さて、話題はインスタントラーメン。当然中国の。
中国語でインスタントラーメンは、方便面ファン・ビェン・ミィェンとなる。
漢字的は即席だから、即席ラーメンで良さそうなもんだが、中国語の
即席ジィ・シィは書き言葉であり、日本語と同じように、その場で・・・の
意味は持つが、その場が強調され、余り直ぐにの意味を持たないのと、
何といっても書き言葉ですから硬い。これは拉麺には適さない。
インスタント食品を即食ジィ・シィと言い、その麺だから即食面は言える、
言えることは言えるが何とも硬い。誰も言わん。そこで方便面。
 方便は便利の意味。但し、インスタントコーヒーを、方便珈琲とは
言わない。この辺は相性の問題だろうと思う。
 更にこのあと話題に上るのは多くはカップヌードル的なあのカップ入りの
方便面のことになる。こちらは敢えて言うなら、杯装ベェィ・ズァン方便面
となるが、そこはそうまで厳格に言わずとも、方便面は方便面だしいいん
じゃないの、ってことで方便面です。
 凄い種類の 超級市場スーパーのカップ麺売り場。

 と、その前に。一言だけ。中国にはラーメンがなくて、日本のラーメンが
今中国で大人気、って話を。これ、一般の方には知られておらず、拉麺は
中国が本場とお思いの方が多いが、それは文化伝承的には正解ですが、
その後のラーメンの歴史は日本が抜きんでて素晴らしいラーメンを育て、
早い話が、日本のようなあの丼の中に色んな具材を入れ更には
出汁の取り方から、味の工夫は中国の拉麺にはない。わたしは日本の
ラーメンは丼の中に宇宙があると言ってる。それに比べ中国の拉麺は
単なる素うどん的な、麺にも基本鹹水を入れないのでほぼ白いままの
小麦粉を練っただけのウドン麺を少し細くしたような麺で、この点からして
もうラーメンらしさがない。加えて上のような出汁、味、具の過度なまでの
工夫は日本にのみあり、だから中国にはラーメンがないと言える。
 ですので、中国のカップヌードルは具では勝負しない。じゃぁ、中国の
カップヌードル市場は争っているかというと、先ずは価格。これはどの国
も同じ。次が量。少量は中国ではウケない。その後が味。
 中国での方便面も日本のカップヌードルと基本変わらない。当たり前か。
人口が多いので恐らく、方便面消費量は断トツの世界一。大体が麺食
の人たちが多い。小麦文化。テレビ等ではその宣伝も多い。
食べている人もよく目にする。日本でも売ってるのはよく目にするし、
買ってる人も見る。だが、こんなに実際に食べてる人を目にする機会はない。
中国の人は公共の場でも実によく方便面を食す。取り分け移動の途中。旅中。
駅で、列車の中で。これが違う。
 テレビドラマでもよく目にした。警察物など見てると彼らは頻繁に方便面を
食べながら事件について語っていた。日本のドラマでこれほどまでに登場
するだろうか。
 味は辛いのが好まれるのか辛みが多い。更には、日本にはない香辛料
を使う。山椒はまだしも、大好きな八角だったり、肉桂、ウイキョウ、何てな
慣れない香辛料が使われ、周囲に独特の匂いを放つ。
 それが、中国の人の食欲をそそるらしい。
 価格で言うと、日本のような安さはない。意外に割高。特に最近人気の
日本製は。日清のカップヌードルなど店で食べる麺より高い。

 もう一つ、方便面で忘れられない思い出がある。
 かなり前のことだ。仲間との楽しい中国旅行。一人が食事も済ませたのに、
いたずらで中国の方便面を買った。ホテルへ帰って部屋で皆で風呂上りに
でも夜食に食べよう、という趣向。幸い中国、何時でも何処でもお湯はある。
さて、いざお湯を注いで食べてみようとなって、気づいた。お店で箸を貰って
くるのを忘れた。同室の二人は慌てた。さて、どうしたものか。
箸に代わるものは無いかと考えた。歯ブラシが二本ある。持ちづらい。
ボールペンはどうだ。ちょっと衛生的にも問題あり。やっぱり箸が欲しい。
そうだ、ホテルの1階にお土産屋があった。あそこの小姐は片言の日本語
が通じる。確か怪しい象牙か何かの工芸品の箸を今朝見た。あれを買って
使ったあとは記念品にしてもいい。だが、この時間ではもう閉まっているかも。
 電話で訊いてみよう。この二人中国語はできないのでわたしの部屋に電話
をし、わたしが確認することになった。案の定彼女は下班だし店は営業時間
が済んでいる、とフロントの娘は言う。ならば、このホテル食堂があったはず。
餐庁ももう営業時間が終わっていて、鍵がない、と言う。
 次なる手は、貴女達服務員で箸はどうしてると尋ねると、自分たちはみな
食堂の賄い料理を食べて食器は個人では持ってこない、と言う。
 何か箸に代わるものは無いか、と尋ねたら色々あたってくれる。親切だ。
電話では埒が明かず、下のフロントまで降りて行って、交渉。何なら、団体客
の添乗員に電話して機内食用の餐具を持ってないか聞いてあげましょうか?
とも言う。ただもう時間も遅いので明日早く発つ団なら気の毒だ。
 親切にあの手この手を考えてくれる。中国も変わった。
 近くに遅くまでやってる食堂があるという。歩いて10分くらいの処らしい。
そこへ行けば箸は調達できるだろうが、そうまでして必要か、と訊かれた。
 乗り掛かった舟だ、わたしがその食堂へ行ってもいいと思った。が、一方で
たかだかカップヌードルだ、何も今日食べなくとも、と思い、紛争中のお二人
の部屋へ先にこれらの経緯を説明に上がっていった。
 部屋のドアをノック。ドアが開いた。独特の匂い。何これ、この匂い。
と、部屋の中央の丸テーブルには湯気が上がったカップヌードルが。
 何、どうしたの?とわたし。中国のカップヌードルは箸ではなく、フォーク。
それもプラスチックの頼りない小さめのやつ。それで食べる。しかもその
フォークは麺と一緒に中に予め入れられていて、蓋を開ければそれが
判ったのに、彼らは蓋を開けずして騒ぎ出し、わたしは途中からロビーに
降りて行って交渉してたので、何度わたしの部屋に電話しても通じず、
フォークもあったことだし、早速食べようとなっていま出来上がったとこ、
と悪びれる風でもない。まぁいいかぁ、一件落着だし。自分の部屋へ。
 もう可成り遅い時間になっていた。お箸騒動で寝そびれたかも。
更にそれから暫くして、電話が鳴った。フロントからだった。
先生シェン・シャン探到了ザォ・ダォ・ラ!見つけましたよ!!
という嬉しそうな声だった。結局この夜は寝そびれた。
エラー!

『抱嬰ル バォ・イン・アール』おんぶにだっこ
 表題、日本語の「おんぶにだっこ」は、ご存知のように別の意味がある。
甘え放題、の意味だ。
 それとは、今月号の話題は違う。単純に、赤ん坊は、おんぶが好いの、
抱っこがいいの、という疑問から発している。
 わたしはてっきり、欧米では抱っこが主流で、アジアはおんぶだ、
と思っていた。つまり、抱っこの文化とおんぶの文化があるのだと。
 そう思って、中国での赤ん坊はどうだったろう・・・と考えたなら、意外や
意外、抱っこの方が多かったようにも思える。
 無論、南の方の少数民族の人たちの、背負いかごの中にまるで荷物
のように放り込まれてる赤ちゃんたちも見るには見ているが。
 中国語では、「抱嬰ル バォ・イン・アール」。「嬰ルイン・アール」は、
日本語にも嬰児(えいじ)と読んだり、(みどりご)と読んだりしますが、
赤ちゃんですね、今だと、乳児ってんですか、小さな子供を、「抱バォ」
抱いている、という意味でして、赤ちゃんを抱っこしている、の意味。

 日本では赤ちゃんや子どもは基本おぶる。以前は、と条件を付して
おきますか。最近でこそ、前っ側に抱っこしてる若いお母さんを見るが、
以前は殆どがおぶる。おんぶする。わたしもそうして育った。
 一方、中国での赤ん坊はというと、おんぶも抱っこも目にした。
両方見られるというのは、時代もあるし、地域もあるのだろう。どっちが
好いのかはわたしにも分からない。
 もっとグルグル巻きの赤ちゃんを見た。

 忘れられない「抱嬰ル」の思い出がある。
初冬だった。東北地方。寒い。そうはいっても子供は連れ歩かなくは
ならないし、中国のお母さんたちは大事に大事に連れ歩く。で、その時の
「抱嬰ル」の様子が異様だった。でも一人ではない、何度か見た。
 抱っこは、抱っこなんですが、わたしがよく目にしたのは、
まず、子どもをっていうか、赤ちゃんを、グルグル巻きに包んで、それはもう
これじゃ赤ちゃんまるで身動きできんでしょ、ってくらいに。
 多分、寒い地方なんかだと、二重三重に、それはそれは厳重に包んで
いる。いや、四重かもね。
 これって、中国のあの纏足の子供版じゃないの、ってくらい縛ってる。
 そんな手も足も出ない、息子だか、娘だか、それをまるで何か荷物かの
ように抱っこして、街を闊歩しているのを見た。何度か。
 手も足も出ていないで、それはまるで、何か運送中の荷物を運んでる
かのようだ。本当に最初は子供だとは気づかなかったくらいに。
 そんな赤ちゃんは、目だけをクリンクリンに丸くして、こっちを見ていたり
する。まるで、ロシアの人形のマトりョーショカのよう。
 中国の若きお父さんもお母さんも、赤ちゃんを抱くための補助的用具は
使わない、両手でただ抱き上げるだけ。
 いいのか、これで。危なくないか、とも思った。
 日曜の市場、雑踏の中。前のおかあさんが抱っこしてる赤ちゃんと眼が
あった。ちょうどおかあさんの肩越しに、じっと見つめる赤ちゃん。可愛い。
日本式に、べぇ〜とかして笑わせようとする。何度目かの時、気配を察し
た母親が振り向いた。丁度わしはべぇ〜の最中でどうすることもできず、
固まっていた。その時の母親の怖い顔が忘れられない。
 
 話は戻る。一体この抱っこ文化とおんぶ文化は、どっからどう別れ、
どの時代から日本は抱っこ文化に移行したんだろうと、考えている。
そして、抱っこの文化が浸透し始めたのは何故だろうと。
おんぶに使ってたあの懐かしのあのおんぶ紐、あのお尻にあたる
ところに座がついてたあれは何て名だったかな、などと考えている。
 今現在、どの疑問もまるで解決していない。誰か助けて下さい。
 


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