月刊・私の見た中国 目次


 月刊・私の見た中国 目次

エラー!

『拉拉手 ラ・ラ・ショウ』 お手て繋いで
 「拉」の字は、日本でも読みは「ラ」ですね。しかも、意味で
引っ張る、の意味がありますよね。この字が日本で使われるのは、
「拉致」です。これ、やっぱり引っ張って行くの意味。
 中国語でも「拉」は同じく「引く」の意味、って中国の方が先なんで
別に不思議はない。中国のドアには「拉 pull」、「推トゥィ push」なんて
書いてます。この「推」の方もまた、日本語でも「押す」の意味がある。
「推進」とか「推薦」と言ってるのでも判る。
 話を「拉」に戻す。これ引くわけですね。ですから、「拉面ラーミィェン」
は、後ろの「面」が元々は「麺」でして、これ小麦を表してますから、
手延べの麺ですよね、ラーメンは。或いは、中国語で「拉客ラークゥ」
と言えば、客引ですよね、中国民族楽器に二胡アール・フゥってのが
ありますが、ああした弦楽器は弦を弾きますから、拉二胡と言います。
小提琴シャォ・ティ・チン(バイオリン)なんてなのも、拉ですよね。
 ということで、拉手ラーショゥは、手をひいて歩いてるそんな様子を
言います。最初の拉が二つ続いてるのは、音を重ねることで調子が
いいのでそうなってるだけで、一個でも全く同じで問題ありません。

  手と手を繋ぐ機会は、一番多いのは、子どもの手を引く時ですね。
或いは、子供同士で、お手てつないで、ってのか、大きくなってからは
恋人同士が、夫婦で、もっと先になると足元が危なくなって手を添える
ってな具合に、人間の一生は、その時々で手を繋ぐ相手を選び、歩い
ていると言っていいでしょう。

 その事に何の不思議もないでしょう。そして、手のつなぎ方に中国式
手のつなぎ方があるわけでもない。
 なのに、ここに取り上げたのは、やっぱり中国的なそれがある。
どう違うか、先ず、その年代が、大学生だったり、社会人一年生だったり
大体そんな若いころに、
 手を繋ぐ相手は、同性、それも圧倒的に女性同士。
 流石に男性同士ってのはあんまり見ない。これが男女での拉手なら、
世界中普遍的な恋人同士の様子と言える。
  一番目にしたのは、大学の構内かな。女学生同士が手を繋いで
歩いてる。駄目じゃないですよ、あぁ仲良しなんだろうな、とは思う。
そうは思うが、あっちにもこっちにもそんなのが居ると、あれ・・・何か
違うと思えてくる。
? 手を繋ぐ、仲良しだ。その事に異存はない。
この人と仲良しよ、ってことを周りに知らせる。その事にも異存はない。
手を繋ぎながら、手に手を取って、歩く。その事にも。
別にマナー違反でもないし、やっちゃいけないことでもない。
 でも、なんかなぁ〜。どっか変だ。
大人だよ。学生。同性。女性同士。校内。
二人が仲良しだってのは判るが、では一緒に歩いてる他の人たちは
どう思ってるんだろう。あるグループが、みな二人づつの組になって
手を繋いでるわけではない。その特定の二人は何なんだろう。
誰もがあの二人は、と認めた、公認なんだろうか。だったら、それは
何時から、誰が、どんな具合に、公認になるんだろう。
 思えば不思議なことばかりだ。
そう思って、今一度、そんな手を繋いで前を歩いている女性二人が
手を繋いで楽しそうに歩いてる人を、暫くボーッと見てたりしたら、
 何そんなに見てんですか?と、
こっちが怪しいやつのように言われた。
エラー!

『公交車ゴン・ジャォ・チゥ』路線バスの
 多分、中国語学習者の大概は、バスを香港では巴士バァ・シィ、
大陸では公共汽車ゴン・ゴン・チィ・チュゥと習った・・・はず。
 それで間違いはない。だが、普段中国の人たちがよく使ってるのは
こちらの「公交車 ゴン・ジャォ・チゥ」の方。
 主にその路線バスの方を指してます。

 旅先で実によく利用しますね、わたしは。
旅先なのによく路線バスに乗れますね、と言われることがあるが、
大概は初めての町ですから、そんな路線バスの路線など判っている
わけがない。早い話が、いいかげん、適当に乗っている。とは言っても
一応ですね、その町の地図なんかは求めまして、先にちょっと調べたりも
してるんですよ、これで。この地図の見方が他の方より少しは慣れてる。
これで要領がわかれば、そこそこ、自分の行きたいところへの路線は何とか
なる。何とかならないのは意外にその乗り場。
 これがそこそこ大変で、まぁ、わたしの場合歩きながら探ってる。
ひどい時などは来たバスに乗って、適当に遊んでるとこもある。なにせ、
路線バスだから、そうそう遠くへは行かんし、あんまり離れたようなら、降りて
道路を渡って今来た方角へいくバスを探せばよい。

  路線バスの旅が結構好き。
一つは、町の景色が間近に見える。車窓と街の景色が近い。
スピードがそれほど速くない。ゆったり周囲の景色を見ることができる。
乗って来る人たちを見てても面白い。その人たち会話も参考になる。
料金が安い。路線バスですから、思いっきり安い。遠くても知れてる。
バスは大型ですので、何か事故があってもまずまず守られている。
運転手さんが面白い。面白いとは限らんが、大概個性的。
何路線か乗ればもう大体その町の規模が判る。
時間によって乗って来る人たちが違うんで、それを見てても楽しい。
間違えて乗ってもすぐに引き返せる。最悪タクシーで戻ればいい。
観光地へは大概路線があって、その名所近くにバス停がある。

  これは利用しない手はない。
というより、わざわざバスに乗りたいが為に、出かけてことも度々ある。
車窓から眺める風景はとっても勉強になる。
 ・・・ってことで、お勧めですよ、中国での路線バスの旅。
エラー!

『穿鞋ツァン・シュェ』鞋と靴について
 先ず、日本語では靴と書きますが、これが中国語では鞋
書きます。両方ともあの出かける時に履くクツです。ちょっ
ややこしいですが、クツがなかったら出かけれません。
どちらにも、使ってない方の字も存在していますし、その意味も
同じ、履物であるクツそのものです。こっからがまたちょっと
ややこしいのですが、日本では、靴は足首の上まであるような、
いわゆるクツをさし、音読では「カ」ですよね、一方の鞋の方は
主に短いやつを担当し、音読では「アイ」で、短い代表の草
(わらじ)なんてなのはこっちを使います。ところが中国語では、
一般には鞋の方の字を使っています。「シェ」と読みます。
靴こちらの方の字もあることはありまして、「シュェ」と読まれて、
長めのブーツなんかはこちらを使用します。どうよ、ややこしい
でしょ。でもまぁ、どっちにしてもクツですから、問題ないか。
 隔靴掻痒グゥ・シュェ・サォ・ヤンってな四文字熟語(成語)が
ありますが、あれって靴の字を使ってますから、騎馬民族
はいていた長いブーツのようなものを言ってるんでしょうね。
前についてる穿「ツァン」の字は、クツをはく、という意味です。
日本語ですとこの「穿く」は主にズボンなんかの下半身を担当、
クツの方は「履く」と表記しますよね、これ、中国語では「リュ」と
読みまして、これにもクツの意味があるんですね、これが。
例えば、履帯リュ・ダィで帯状のはきものってことで、これで、
トラクターなんかのキャタビラを表す。どうよ、ややこしいでしょ。
 でもまぁ、どっちも革製品であるらしく、篇に革をとってますね。
 これくらいで、中国語の勉強は終わりにして、さて、中国の人と
クツの話です。
 クツに関する一番の思い出は、中国の人達は西洋の人達と
同じで一日中クツを脱がない生活なせいか、非常にクツを重視
というかクツ選びに慎重というか、そのせいで、中国の百貨店の
クツ売り場がそれはもう見事なほど売り場面積が大きかったのを
覚えてます。丸ごとその階全部が女性クツ売り場、その上がまた
丸ごと男性クツ売り場なんてなお店がありましたね。買う方もそれに
加えて熱心でして、かなりジックリ選んでましたね。それはまぁそれ
だけ粗悪品も多かったってことなんでしょうが。クツはですね、必ず
誰もが買いますよね、更には、成長過程なんかだと始終買い替えが
必要、そうでなくともある意味消耗品、ということで、作る方も儲かる。
さしたる設備投資もなくクツ製作会社はできる、ってんでどんだけ
あんの!ってくらいクツの種類があったようですよ。
 クツを脱がない生活に関しては、2013年10月号「洗脚シィ・ジャォ」
でも書きましたが、これで結構大変なんです。
 それで、中国の方が日本へ来て一番まごつくのは、どこでその、
クツを脱ぐのか、という大問題ですね。クツからスリッパへ、さらには
大浴場なんかに行くとそのスリッパも脱ぐ。日本人は床に段差があれば
クツを脱ぎますね。中国の方には「ここで」という表示をどっかにして
あげないと、なかなか分かりずらい。
 日本の暮しは、特にちょっと前までの日本家屋には、玄関に必ず
段差がある。一段上がるんですね。あのような段差は中国にはない。
バリアフリーってんですか、平ら。兎に角、日本の方は普段からそう
なんで、機会あれば脱いでやろう、と思ってるんですが、中国の方は
最初から脱ぎ気がない。
? 友人からこの問題で相談があった。どうやったら中国の方に脱衣所
までスリッパで入らないように気を付けて貰えますかね、というものだ。
わたしは、それって簡単そうで意外に難しいんだ、ってなことを言った。
習慣にないことをするのは難しいものだ。中国のクツ生活を説明し、
日本のホテルのスリッパの半端な位置にも触れた。ローマと習慣は
一日して成らず・・とも言った。彼の反応は、なんだなんの策も持たない
のか、といったような見下げた感じが見えたので、つい、こっちもムキに
なって、先ず脱ぐところ、脱衣所と廊下の完全な色分けをする。
段差があるなら、その位置に、「脱鞋」の表示を。その辺りに替玉の
スリッパをわざと置いとく、或いは絨毯に足形をデザイン、そこで脱いだ
なら何か特典があるってのがいいんですけどねぇ〜とまで冗談めかして
返答した。多分無理だろうなぁ〜と思いながら。
 後日、電話がきた。案の定、色々やってはみたが、多少良くなった
くらいで・・・と暗い声だった。かなりわたしの評価も下がったようだ。
 頼みますよ、中国旅行客のみなさん、スリッパをずっと履きっぱなしに
しないでください。
 こういう場所がないんですよね・・・中国には。
エラー!

『寵物 チョン・ウー』ペットを飼う
ペットを、中国語で「寵物チォン・ウー」という。
これって、寵愛する物、と言ってんでしょ。これねぇ、これで間違はない。
でも、その〜寵愛って・・・、本来その・・・、上下の関係が出ますよね。
出ていいのか、相手は小動物なんだから。上目目線だよね、これ。
 日本語では、愛玩動物だよね。これはまぁ、可愛がって愉しむって
んでしょ、これはまぁ、同じくらいの目線ですよね。そんな、目線何て
気にしたこともないでしょ。ないですよね。いいんですよ、それで。
 でも、意外にもこんなところにですね、物事の核心はあって、じつは
この目線の違いに、そのまま如実に両国のペット事情の違いがある。
?更に言うなら、この養ヤンの使い方がまた絶妙。日本語のこの飼う
の飼スの字もあるんですよ。あるが、こちらは中国語では家畜にのみ
使われ、それとペットは別けましょう、ってんで、養ヤンになっている。
因みに、ニンゲンの子供も・・・ってそれは日本も同じか。

 中国のペット事情は、これまた、その時代を抜きには語れない。
大きな違いは、その住まいにある。取分け都市部ではみなさん、
高層住宅にお住まい。加えてその頃中国の暮らしはそんなゆとりが
なかった。つまりはこれまでは二重にペットを飼う条件が無かった。
 住宅事情と経済事情の双方を満たすペットと言えば、当然小型の
もので、かつ、音の問題も解決できるものに限られていた。
 金魚とか、亀とか、コオロギや、最高に頑張って、小鳥だった。
小鳥のあの大きさ、小鳥のあの鳴き声、が大きさの限界だった。
 そういえば、朝の公園でよく鳥かごをぶら下げてやってくるご老人
なぜか、男性が多かった、とお会いしたものだ。
 あの竹製の鳥籠も懐かしければ、決まって鳥籠に被せてあった、
あれは何というのか鳥籠全体を覆うカバーもまた、今はもう見ない。
ペットが褒められれば今の今まで気難しかった飼い主の顔が綻びる
ってのは今も昔も同じで、それまでは怖いおじさんかなと思ってたら
途端に愛想を崩し自分の飼ってる鳥の鳴き声を褒め、自分が如何に
心血注いでいるかを話し始めたら終わらなかったことがある。
 ペットの要因の一つのとして、連れて歩ける楽しさってのがあるん
どうろうな、ということは想像できる。飼えば実感もできる。

  ってんで、数年前から中国のペット事情も大きく変わりました。
急激に犬や猫がその対象となり始めた。実は以前は全く別
観点からの問題、狂犬病とか伝染病などの問題もあるにはあった
ろうが、ペット側の事情というかそちら側からの変革もこれあって
中国ペット事情は急激に犬が増えた。それって、家の中でも飼える
小型犬やペットフードと同時に何より大切なのは人々の暮らしに
余裕が生まれたことだ。それなくしては成り立たない。
 つまり、中国のペットは余裕の象徴だと言える。
 もっと言うなら、このペット事情からペット産業が芽生え、今や日本
のそれを凌駕する、ペット専用美容ってな分野まだ出現。
 この点でも中国の変化、変革は目覚ましい。

 となれば、自分に余裕があるところを見せたいばかりに、大して
飼いたくもないんだが、見栄の為に飼っちゃう、って人達まで出現。
これ見よがしによく街を闊歩したりしてます。それにこれって各国
共通だと思いますが、ペットを飼ってる人は自分のペットに甘い。
甘いとどうなるか、遣りたい放題ってんですか、身勝手。多分相当
あちらこちらで問題にもなってると思いますよ。

 ペットで思い出すのは二つ。
一つは、某大きな町の駅前広場、何時でも沢山の人が行き来してる。
今は取り締まりも厳しいだろうが、その頃は、段ボールに入れた子犬
を連れてしゃがみこんでいる人が。周りには人だかり。どうやら、あの
犬は売られてるらしい、と気づく。近づいてみて見ると、確かに。売値は
交渉次第らしく、盛んに若いお嬢さんが欲しそうに黒い可愛らしいのを
手にしている。交渉は難航してるらしく、お嬢さんは何度も何度もその
子を抱きしめて・・・と、彼女の手に黒い色が。んん・・・どうやらこの犬
染められて黒になってるらしい。いいのかぁ、それでも。まだ値段交渉
してますけど。遠い昔のお祭りの日のヒヨコを思い出した。
 いま一つは、某地方都市、ほぼ田舎。その田舎の味わいが最近に
なって見直され、一部人気になっていてわたしもこれに魅かれてやって
きた。鄙びた好い感じの佇まい。宿も民家を改築したような小さなもの。
周囲さほどない一画が観光として辛うじて栄えている。朝、散歩に出た。
まだ早い時間。向こうから誰かやってきたな、と思った。路は狭く両側は
古い町並みが続いてる。近づくまで全く気にもしてなかった。遠い頃合い
の時はペットを連れての散歩だろうと見当をつけていた。徐々に近づき、
犬だろう思っていたペットが予想以上に大きいので、んん!と思ってると
どんどん近づいてきた。大きい!それも少しぐらいでない。大きい。
でも犬だ。いや、ん!やっぱ犬だ。しかも二匹。何て種類だろうなんてな
ことはどうでもよかった。あれとすれ違うのか、と思うと急に怖くなってきた。
大きいんだ。路は一本。しかも狭い。今更戻ることも出来ない。どんどん
向こうは近づいて来る。女性が一人、犬二匹。女性が扱えるような大きさ
ではない。大丈夫かぁ。犬の荒い息が近づいてきた。わたしはと言えば、
路の脇にある家の壁に貼りついたようにして息を潜めてやりすごそう、と
していた。一応手綱はつけているものの、何せこの路は狭い。狭すぎ。
こんなに朝の散歩に出たことを後悔したことはない。恐怖だった。
ウ〜と唸り声をあげる二頭の犬。ナントか!と飼い主が言うが、こっちは
早く行ってくれ〜と祈るばかりだった。
 後日、この日の夢を二度見てうなされた。三度もあの犬たちと会ってる。 
エラー!

『按喇叭アン・ラ・バ』鳴りやまぬクラクション
以前に、友人と、自分たちの周りにある外来語≒カタカナ語を
片っ端から、カタカナ表記を止め、日本語若しくは≒中国風単語に
返還する遊びが流行っていて、ごくごく二人だけの楽しみだったが、
これが存外楽しめた。そうした中の一つに、車のそれぞれ部位の
名称をカタカナを止めたらどうなるか、って分野があった。
 ウインカーは、方向指示灯でいい。バンパーは安全横竿でどうよ、
雨削器とし、サイドブレーキを手引き停車装置、などなど、色んな
と言っても二人だから知れてるが、これはどうだあれはどうだ、それって
中国語に近づきすぎだ、なと言って遊んでいた。
 この話はその内、外来語をどうするか、という括りで書いてみたい。
今月号は、クラクションの話だ。
 アレって、喇叭ラッパだよね、車のラッパ。それでいいんじゃない、と
二人の中ではなった。その前の、「按アン」というのは、日本語の按摩
で分かるように、「按」は押すの意味。日本語ではクラクションは鳴らす、
と言ってるようだが、中国語ではその結果よりも、その行為の方を
とって、「按アン」(押す)と言ってる。そのお話をこれからするが、
中国の人達のそれは「押す」というより「叩く」って感じですけどね。
 近年、その様相も大分一変してまいりましたが、中国旅行に行って、
「あぁ〜また、中国に来たなぁ〜」と感じさせるのは、一つは飛行機を
降りたって、或いは機内でのその匂い。そして、もう一つがこの、
「按喇叭(警笛の鳴らしあい)」そして、人の多さだ。
 あとの二つは後ほどにして、さて、そのクルマのクラクション。
中国だからと言ってどっか違うわけもないし、乗ってる車だって豊田
だったり、日産だったりなんだから、変わりようがない。あとはその
使い方。
 先ずはその使用頻度。自慢じゃないがわたしはこれで結構運転歴は
長いが、それを鳴らしたのは数回、一年に一回もない、数年に一回、
しかも遠慮しがちに、前の車が突然バックしたりしてきたので、注意喚起
の為に短くならす程度の使い方で、なんならアレ無くとも大丈夫?かなぁ。
 それに比して、中国の方たちの其れの使い方は激しい。一度乗っただけ
のその一日でわたしの一生分の回数を軽く上回る。つまり、全員が、
そんな使用状態。ってことは、もう街そのもののあちらこちらで、あっちでも
「プァア〜ン」「パパァ〜ン」「ビィビィ」「ブーブー」「ボォァ〜」「ビィ〜」
とウルサイ。これがまた、余りにあちらこちらで鳴らすもんで、共鳴して
ウルサイ・ウルサイ。道端のビルにも音が跳ね返って、んん〜ウルサイ。
一体どの車が何の目的に鳴らしてるかなど、誰に対する注意喚起なのか
など判りようがない。ただ、鳴らしてるだけ。鳴らしたいときに鳴らしてる。
まさに鳴らし放題。いつでもどこでもどんだけでも。だから〜放題だよ。
それって、その目的を達してないでしょ。
 クラクションってそういう風に使うもんじゃないんだよね、ってのはクルマの
使用説明書にも書いてないしね。
 あるんだから使いましょ、ってのが中国の人の考えだと思いますが、
以前は、そうでした。ここ数年で変わってきましたよ、中国。先ず、我が町
では市内で勝手にクラクションを鳴らすべからず、っては地域毎法令で
縛る地域まで出てきて、それに流石にこんなにクルマが増えてもあのまま
やってたんでは、ウルサイのを通り越して、違う事故が起きそうだった。
 道路沿いの家なんか、家の中にいてもうるさいし。

  やれやれ、以前に比べれば静かになりましたよ。
あの喧騒がなくなった。
  アレ?と思った。中国へ来た感が、薄まった。
エラー!

『午睡ウー・スィ』お昼寝の時間
日本語でも古くは、昼寝を「午睡ごすい」と言っていたそうで、
中国語でもそのまま「午睡ウー・スゥィ」、音が変わるが。
日本語の「昼寝」の「昼」の字は中国語読みはゾォゥ。滅多
使われず、書き言葉に近いかも。ですので「昼夜」の使い
はあって、「昼夜不停」「昼夜をたがわず」の使い方があるのみ。
 ということで、今回の話題は、「お昼寝」についてです。
先に結論を言っておくとこれって、習慣の問題でして、中国では
この習慣がず〜っとあって、大人になってもする。習慣だから。
 習慣はそうそう変えられない。何故なら、それは毎日毎日繰り
返されて身に沁みついているものだから。
 日本だとこの習慣はせいぜいが幼稚園くらいまでのもので、
小学校に入る頃にはこの習慣から脱却する。が、中国ではこの後も、
小学校でも、その上の学校でも、更には、会社勤めになっても、これ
を続けるので、ますますそれは身に着いたものになる。だから、
習慣と呼ばれ、ご本人にも気づないうちにそれをする。
 わたしが思うには、好いも悪いもない。そんな習慣の人達だという
だけで、これに限らずこうしたことに良し悪しを求めるのはわたしの
任にない。書きたいのはその習慣の可笑しさだ。
 中国は広いので一筋縄ではいかないが、「午睡」に関して言えば、
南はこの習慣が色濃い。これは判るでしょ、何せホラ、熱い夏など
昼間は仕事にならん、休んだ方が効率的。しかも日が長い。ってんで
昼寝をした子供たちが、夜もかなり遅くなってから夜店に繰り出して、
屋台で何か買っては歩きながら食べ、それを傍で見てる母親も何も
心配してないし注意もしないという姿を度々目にした。最初は何で
こんな小さな子がこんな夜中にウロウロしてるの、明日は学校休み
なの、とか思ったが後々この「午睡」の習慣を知り、なるほどちゃんと
昼寝てるんだぁ、だからかぁ、と納得。
 中国を旅していて、あちらこちらで実に良く「午睡」してる人たちを
目にした。例えば、学校。中国の人達は机に突っ伏して寝ることに
長けている。上手い。昼休みともなれば、「午睡」の時間で、だから
中国では昼休みの時間にグランドで飛び回っている子供の姿を見る
ことはなく、時間はお昼過ぎなのに逆にひっそりしていて、とっても
静か。あぁまだ授業中なんだ、と思ってたら大間違い。授業中より
静かな、仲良く「午睡」の時間だった。
 学校を出てからも同じ。ある日、某会社を訪ねて行ったら、細かく
仕切られてたオシャレな事務室。ここもやけに静かだと思ってたら、
それぞれの机にそれぞれが工夫をして「午睡」の最中。シッカリ「午睡」
専用用具なども持ち込んで、しかも、会社側も気を使ってか全体の照明
まで気を使ってか落としていた。どうやら、この時間には客は来ないこと
になってるらしい。それを知らなかったのはわたしだけ。外で働く人たちは
実に器用に自分の「午睡」の場所を見つけ、更に器用に何処でもどんな
態勢でも寝れる。流石、毎日鍛えているだけある。
ということで、子供も大人も実に良く「午睡」が身についている。
 「午睡」の習慣がない日本人にも直ぐに慣れる人も中にはいる。「午睡」
名人のMさんを驚かそうとなって、「午睡」の間に周りの机や色んな物の
配置を変えて、起きた時の驚く様子を楽しもう、となった。「午睡」の間に
そっとそっと家具を移動し、本人がつっぷ寝をしている椅子と机だけが
もとのまま。時計も3時間位進めたりして。「午睡」から覚めて。どれ位
だろう、かなり暫く固まっていた。それを皆で物陰に隠れて見ていたが、
これって、面白いのは、こっちより、意外に本人ではないのか、とわたし
は何故かぼんやり考えていた。
エラー!

『喝口卑酒ピィ・ジュゥ』夏だ!ビールだ!
夏!8月ってことで今月号はビールの話題です。
中国語では口卑これで1字で、これに酒がついて読みを
ビールに合わせてピィ・ジュゥとなる。
 わたしが先ず不思議なのは、この時期(夏季)ともなれば
普段でもやってはいますがテレビや他の広告媒体でもこの時と
ばかりにビールの宣伝が目立つようになりますよね、日本では。
 たぶん飲み手の方の今か今か気分も手伝ってより一層多い
ように思えるんでしょが、多い。ところが、中国にはこれがない。
普段でも日本よりずっとビールの宣伝少ない。どうして。
 ご存知でしょうが世界に冠たるビール消費量を誇る中国。
人口が多いとは言え、その飲みっぷりも町でよく見かけて感心する。
もともとお酒に強い人たちですからね。なのに日本のように頻繁に
ビールの宣伝を見ない、しないのは何故だろう。
 なんぞ、放送倫理規定的なものでもあるのだろうか。お酒の宣伝は
目にするんだから、何故、ビールは宣伝しないの、と思う。
 不思議だ。
 別に好いんですけどね。宣伝やろうがやるまいが、ガンガン飲んで
ますし。やらなくとも売れてるってことですかね。

  中国のビール。ビール好きから言わせるとキレが足りない、と
言ってますね。味に対するご批判は、それぞれ好みもございますし、
その経過もあるでしょうから、一概にはご批判にあたらないと思います。
中国ビールと言えば、以前は常温ビールに対する不満が多かった。
これも近年大分変ってきまして、以前よりは頼めば出てくるんですが、
頼まなければそのまま。まだ冷た過ぎるものを摂ることに頑なな抵抗感
があるようです。これにも一理ある。でも、ゆっくりですが、中国も冷たい
ビールに向かってようです。それでもまだまだ、のご意見はまぁ日本だって
そんな昔からこんな冷たいのを飲んでいたわけではないわけでして、
冷たい口卑酒が飲みたければそうした店を確保しておくことです。

 更に中国のビールは、何の資料も持たず個人的感覚で言いますが、
日本よりまだまだビール瓶で飲んでる割合が多い。日本は今は圧倒的に
缶ですよね。ビンビールはそうしたお店で。家庭では圧倒的に缶。更には
外で飲むときはジョッキ。この割合も中国は日本より少ないなぁ。
 中国のビール、その種類が多い。種類というかビール会社が多い。
ほぼ日本の地ビール。各地に数社のビール会社があり、それぞれの
会社が何種類かのビールを販売している。だから、驚くほどその種類が
ある。自分の飲んだビールの空き缶を部屋に積んで愉しんでた友人は
途中からその種類を集めることに夢中になり始めたがかなり部屋が大変
なことになっていた。旅をしていても必ず各地でその土地土地の地ビール
があって、退屈しない。その種類の多さは日本の比じゃない。

  中国での口卑酒の想い出も幾つかある。某年あの青島口卑酒で有名
な山東省・青島へ旅した時、友人が丁度好い時に来た、と喜んでた。日本
からの友人が来ることを友人はそのまた友人に伝え、丁度その前日から
当時の国家主席K氏が青島を訪問、それを歓迎記念して特製K口卑酒が
製造されてそのおこぼれに与れるという。「行きましょうよドン・ツゥ!」と
頻りにわたしを誘う。彼はわたしが下戸なのを知っている。多分彼が一番
飲みたかったんだろうと思う。彼を失望させるわけにはいかない。じゃぁ、
ってんで出かけたら、一席八名のテーブルで、ジョッキでおごそかに出された
それはそれはありがたいこの日限りのK口卑酒。んん?これどっかなんか
違うか?とわたしにはその違いが判らない。同席の年長の方は「これは
美味い!」と言って絶賛していた。恐らく共産党員だろう、と思った。

 もう一つ、同じく青島。街を歩いていると、ビニール袋を下げた人が前に。
中は黄色の液体。最初は何かの油だろうと思っていた。違うなと気づいた
のはその液体の揺れ方と何となくちょっとしたカンの様なものだ。で、傍らの
友人に訪ねてみると、ナント驚くことにそれはビールだった。友人の話では
ビールの量り売りがあるんだと言う。ビールの量り売り!しかも容器がアレ。
譲って量り売りがあっても好いが、あの容器はダメだろう。ビニール袋。
ぬるそうだし、あれでビール飲んだ気になるのだろうか。

  と、いったところを見ると、どうやら中国の人たちはビールに、
キレだの、のど越しだの、は求めていないらしい。
エラー!

『液晶壁板イェ・ジン・ビィ・バン』液晶だらけ
 表題の説明は必要ないと思う。そのままだから。
ということで、早速その中身に入りますよ。
 エッ、要ります。ですからその、液晶パネルのことでして、
それって別段中国のそれが日本のと違うということではなく、
だって、日本のそれも中国で作ってるじゃないですか。
そのものに変わりはないのですが、その設置場所というか、
量というか、使用法というか、そんなのがとっっても中国的、
ってなお話をこれからしたい。

 液晶パネルのお話をするその前に。先ずその中国、こうした家電や
その他のものでも、いま今そうしたものを手に入れようとしてます。
ですので、突然と言っていいですか、いきなりと言ってもいいですが、
後からやってきていま、そこで、最新式のものを手に入れるわけです。
それってわたしがよく言ってるのは、つい昨日までたらいで手洗いを
してのが、今日からいきなりの全自動洗濯機での洗濯となる。
つまり、途中がない、段階がない中国。
 これは致し方ない、いま買うなら、いま備えるなら、そりゃぁもう
最新式のやつでしょ。だって、古いのは売ってないし。わざわざ古いの
を買うのは何かそれなりの理由がある。ってんで、いまどきブラン運管
テレビは買わないし、売っていない。ですので、液晶テレビ。ってことに
なるんですねこれが。携帯買うならスマホ、お店も最新式のお店へ、
となってる。
 最近、大都市ではタクシーに乗ると、電気自動車だったりしますよ。
すすんでるぅ〜。
  それは、いい。ここまでは。液晶、結構じゃないですか。最近のは
ますます画面が綺麗になってるし。

 ようやく、本題突入。液晶壁板ってくらいですから、テレビに限らず
ですねこの液晶画面が急に増えた中国。ちょっとこれ増えすぎじゃない、
と最近は思っている。っていうのも要らぬところにもあるから。
 先ずですね、これはもう日本にだってありますし、世界中同じでしょうが
駅前とか、繁華街交差点のビルの壁面なんかには大型のこれが燦然と
輝いている。まぶしい。中国のそれは周りがそんなに光量がないのに、
ど〜んと物凄いデカいのがあったりして、そこだけ異様に明るい。わたし
の様に以前のあの暗〜い夜の中国を知ってるだけに落ち着かない。
そして、これは誰もが立ち止まり仰ぎ見て直ぐに立ち去るので大概は
宣伝だ。そう言えば、これから語る数々の液晶壁板の多くは宣伝だ。
 どんなのがあるかというと。
タクシーに乗れば、座席後部が液晶壁板で、宣伝を流している。これが
止めたいのだが、音声はなんとか操作できるが、画像そのものは止める
ことができないようだ。
 地下鉄に乗れば、車両の中ほどのところに液晶壁板。ひっきりなしに
宣伝を流している。地下鉄構内にも。
 ビルでエレベーターを待っていると壁に埋め込まれたそれが、同じ様
に宣伝を流している。ぼんやり眺めていたら、やってきたエレベーターの
ドアが閉まりそうになって慌てて乗り込んだ。
 トイレに入って(男性用・小用)便器の上にこれが。なんで。ここまで。
女性はどうなってる、と思った。
 あの手この手の液晶壁板は、バスに詰め込まれたり、広告舟ってのも
あったなぁ。舟が丸ごと液晶壁板になっていて、ゆっくりゆっくり暗くなった
河を遡るのも見た。
 至る所に液晶壁板が。油断してると、エ〜ッここにも、ってなとこにも
となった中国。
これってやっぱり途中がなくて、いきなりの中国だからですかね。
なんか、落ち着かないんですけど。
エラー!

『碗装蕎麦麺式吃飯』
ワン・ズァン・チャァォ・メィン・シィ・チー・ファン・・って?
これねぇ、他の方が書かないので敢えて書きますが、書くだけの値?が
あるかどうかは、判らない。賢明な皆さんのご判断にお任せ致しましょう。
少なくとも、わたしには書いておく価値ありかな、と思わせるそれです。
 それには名前がない。名前がない!なんてなことが実際あるんですね。
世の概ね全てのモノには名があります。そうモノって言いましたよね今、
あらゆるモノには名があるんですよ。普段気にも留めないそこらへんに
普通にある、何がいいですか?例えば・・・例えば、あのカレーを頼むと
一緒に出てくるあのカレーのルーを入れたアラジンのランプみたいなあの
金属製のアレね、アレ!何て言うか知ってます?アレにだって名はある。
でも普段はソレを知らなくたって一向に構わない。何故なら、アレをアレ
だけを注文することなんかないから。あんまり単独でアレが話にのぼる
こともないしね。いよいよ困ったら上のように、ホラホラカレーと一緒に
出てくる・・・と説明すれば用が足りる。
 つまり我々は全ての名を知ってる必要はないわけで、全ての名を使って
生活してる人だっていない。これが、モノそのもではなく、ある現象だったり
形のないものだと名がないものがありますよね、この場合、誰かがその
現象を、これまでに名も無かったそれを名付ける、そこで初めてそれが
人々に認識されるわけです。
 ・・・というような言い訳を先に書いといて、今回の話題がそれ。
名がない。名がないので誰も気にも留めない。名がないのでそれを話題
にすることが難しい。誰も書かない。誰も問い合わせない。だから多くの
人は知らない。知ってるひとも見て見ぬ振り。
 ・・・ってんで、今回やっとそれが話題に。やっと本題に。
 それは、中国の人がやっている慣わしというか、作法というか、そんな
所作でして、食事の際にそれは見れます。
 中国での食事の際ですね、しかもこちらがお客様として、ホテルなど
ではなく、一般家庭の食事に招かれた、と思ってください。
 あなたは、そこん家の食卓に座ります。周りは家族。或いは一対一
でも構わんですが、その食事の際に、食卓にいくつかの料理が並べ
られている。さて、食事。あなたが持っているお茶碗ですね、ご飯が
よそられたそのお茶碗、もう一方の手にはお箸、普通でしょ。普通だ。
中国の人はお話しながらの食事がお好き。これも別段変わったところ
はない。ところが、こっからです。
 例えば、その家のご主人が、或いは奥さんが、とにかく相手側が、
「まぁまぁこれも食べてみて」何てなことを言いながら、そのおかずの一つ
を摘まんで、あなたのお茶碗の上に、どうぞどうぞ遠慮なさらずに、ってな
言いようで乗っけてくれます。ご飯の上にポンと。こっちは突然の事です
がまぁまぁ歓待の意味合いでありかな、と思い受けますよね。これがですね、
一回では終わらない。終わらないどころか、そのあと怒涛のこの「コレ
どうぞ!」攻撃が続く。食卓の上にあるんですから、当方として自分で
ですね、順番にいただこうかな、と思ってるところへ、有無を言わさずの
「これも、どうぞ」「こっちのやつもどうぞ」「遠慮なさらずにどうぞ」の
連続技で、ちょっと油断するとあなたのご飯茶碗の上には数種類の
おかずがこんもりと、ってな状態になる。話が弾み、と一層このおかず
攻撃は加速度的に頻度を増し、食べきれない程の量が盛られる。
次から次へとの「こちらもどうぞ」の繰り返しに追いつかない。
 ・・・・そう、この状態、この歓待、この歓迎の食事の仕方に名がない。
そこで不肖わたくしが名を付けました。「碗装蕎麦麺式食事」ってんですが
意味は、「ワンコそば式食事」ってんですがね。どうかなぁ、もっと良い名
があったらお願いします。
これで、コレにも名前がありますので、話題になってくれるといいですね。
 ところで、その「碗装蕎麦麺式食事」お好きですか、と訊かれる、
どうも・・・・その・・・。もっと落ち着いて食べたいのと、あんなに色々盛ら
れちゃうと味がみんな混じちゃって、それに、こっちにんだって食べたい
順番があるのになぁ、と思ってしまうのはわたしだけかな。
?とっても好くしていただいて、歓待されてることも判りますよ、
けどねぇ・・・。あぁ、どんどん盛られてもね。忙しいんだこれが。
ワンコそばと同じでつぎからつぎと。 
エラー!

『確認座位チュェ・レン・ズォ・ウェィ』 リコン・ファームってまだいるんですか?
 これ、国際線での飛行機の搭乗の際、必要な手続き。
但し、皆さんが団体旅行での渡航の場合は無視して構わない。
必要であれば旅行会社がやってくれるはずだし。そんな手続きが
あること自体知らずとも、何の支障もない。・・・・なかったでしょ。
 また、この手続きがややこしいことに必要な航空会社とそれを
省略して構わない航空会社とがある。実はこれまだ必要って会社
は近年どんどん減ってきていて、少数派になるのだが、中国関係
航空会社意外にまだ頑張っていて、頑張らなくともいいのになぁ、
と思うんだが、あるんですよねこれ。

 まず、その「確認座位」って、何?ってところから説明しますか。
わたしの旅の様に個人で航空券のみ買い求め、勝手に旅行計画を
たて、その日数もこっちで勝手にというか計画を決めて帰国する様な
場合、この人の帰りの便を事前に予約はしとくんですが、なんせ勝手
に決めるような人たちなので、本当にその日にきちんと搭乗するか
どうかが航空会社としては不安なんでしょうね。しかもそうした人たち
はかなり先の帰国になるんで、その期間にも次々に旅行者は増える
わけですから、その当日になって予約を受けすぎてて、座席に余裕
がない!なんてなことがありうる。実際にもある。所謂ダブルブッキング
ってんですか、当日搭乗カウンターに来たら、あらあらあんたの座席
ありませんよ、ってなことにもなる。
 それを防ぐためには、確実に予約したその便に乗るんだ、という
意思表示をもう一度その間際になって客にして貰う手続き、これが
その「確認座位チュゥェ・レン・ズォ・ウェィ」という。英語での
リコンファームって方が通りがいいらしい。通りが良くても何でも
いずれにしてもしなくちゃなんない。しかも、搭乗便の前日とか、数時間
前までにという期限がついている。この期限が大体は最初予約した
その日から72時間以内とかそれぞれ決められている。
 その事情は分かる。確かにそうでしょ。でももうこんな電脳時代に
なったんですからして、何とかなんないんですかねこれ。近代科学で。

  それが、まだあるんですよ、大分少なくはなったものの。

  そこで、なんでこれを目の敵にしてるかというと、判ります。面倒。
確かに面倒。それ以上に、例えばわたしの場合、旅行ですから、遊びに
行ってるでして、毎日遊ぶのに忙しい。大体この「確認座位」は各航空
会社の事務所へ電話で、自分の名前、乗る便に変更がないことを
先の時間内に伝えることになってる。問題は、
 遊ぶのに忙しいわけです。朝でたら夜まで遊んで歩いてる。
しかも、たまに出かける前にちょっと連絡しておくか、と思って電話すると
事務所の方に出勤時間前とあって誰もおらず、鳴らせども鳴らせども、
誰も出ない。夜ホテルに帰って来てから電話してもその逆で同じ。
受け付けは電話のみ。最近は中国でも公衆電話が少ない。
  携帯電話があれば簡単だ。ところがわたしは中国携帯を持たない。
更に、まぐれで偶々繋がった電話、何故か向こうは英語で対応しようと
する。判りますよ、外国の方との対応も多いんでしょうから、ところが
わたしは英語はダメ。あれこれあって、漸く中国語での対応に変えて
もらったら、公衆電話での小銭がなくなったことがあった。直ぐに小銭に
両替して貰って電話したのにその後はお話し中で通じない・・・。
ってなことが度々あったなぁ。
わたしだって、数こなせば、学習します。それなりに。足りないでしょうが。

  では、いまどうしてるか、というと。旅先、列車やバス移動の中で
近くの人が携帯を使ったらすかさず、事情を話してその携帯を借りて
連絡してますね。便利だよねケイタイ。
エラー!

『礼多人不怪 リィ・ドゥォ・レン・ブ・グァィ』 
  お礼は何度言えばいいの?
 表題の説明が難しい。何となく判っていただけるだろうか。
直訳だと「礼が多いからと言って、人は怪しまない」ってな具合でしょうか。
つまり、礼というのはいくら重ねて言っても咎める人はいなんだから、礼は
尽くしてちゃんと言っときましょ・・・的な・・・。
 そうかなぁ・・と私のようなへそ曲がりは思う。日本人はこのタイプが多い。
 例えば、たった一度何かをしてあげたとする、或いはちょっとした物を何かの
時に差し上げたとする、それに対して何度も何度も礼を言われることはまま
ある。あるでしょ。身に覚えが。
 まず、差し上げた時、助けてもらった時、深々と頭を下げられ礼を言われた。
翌日お会いしたら、昨日はどうも〜と再び頭を下げられた。こっちはそんな大層
なと思い、いやいや〜そんなぁ〜としきりに照れたり、逆に恐縮したりする。
 それでは終わらない。数日経ってお会いしたら、先日はど〜も〜とわざわざ
遠くから言いよって来る。それから又してもいやに丁寧な礼のひとくさりが続く。
そん時、わたしは、どこか居心地が悪く、どうかもう勘弁してくださいと言いたく
なっている。もういいでしょ、と。
 これが中国の人だとこの辺がいたってアッサリしている。
 例えば、ある留学生が帰国することになった。彼は大学の博士課程まで進んだ
ので在日期間が長かったのと、家族も呼んでいたので家族ぐるみのお付き合いも
多かったらしい。私の住むような地方都市では留学生の数は知れている。彼は
その中では飛びぬけて日本語が上手い。最後の方は立ち居振る舞いも日本人的。
 そんな彼が帰国し暫くして、数人の日本人から、彼から何か便りがありましたか、
と同じような質問を間を置かず訊かれた。最初うかつにも私は何でそんなことを皆
さん一様に私に尋ねるのだろう、といぶかしく思っていた。
 更に少しして我慢できなかったのかある人が、中国人はお礼状を出したりはしない
のか?そういう習慣はないの?と訊いてきた。そこで鈍い私にも漸く皆さんの言わん
としていることが判った。つまり、こちらにいる間にあんなにしてあげたのに何も言って
こんのはケシカラン、ということらしい。
 それぞれの付き合いの程は私には分からない。あんたん所に何にも言って来ない
んじゃぁ、ウチへは来ないか、等と言ってる。よくよく聞けば帰国前の忙しい時に
お世話になったお礼にということでお仲間何人かと彼の手料理で一席あったという
ではないか。彼のことだからその場で礼も言ってるはずだ。それで十分と考える
中国の人は考える。私もそうしたやり方に今では慣れてしまっていてそれが当たり前
になっている。そう思っているから、便りが無くとも何の不思議も感じない。
 だから、そんな時の私の答えは、大概来ないとおもいますよ、習慣が違いますし、
と存外冷たい。
 理由は幾つもある。帰国後は忙しい。日本ではそうでも国に帰れば彼は中国式に
暮らす、中国の郵便事情、習慣、発つ前に礼は言ってある、・・でいいんじゃない。
  もう一つの例。中国でのこと。たまたま日本からの到来物に女性用の装飾品
があった。誰か世話になってる人にでもどうぞ、と添え書きがあった。
  折りよく、あげるべき人が来たので奥さんにどうぞ、と申し添えて渡した。その時
の彼の喜び様を見ているとこちらも嬉しくなった。
 次の日、散歩の途中で当のご本人とばったりお会いした。暫く立ち話をしたが一向
に昨日さしあげた例の装飾品の話が出ない。本当にきちんと渡っているんだろうか。
どうもこっちからは切り出しにくい。これが日本なら必ずまず、この話から入るはず。
昨日の今日なんだし・・・と思う。
  同じような経験は別の時もある。到来物のお菓子を寮の小姐たちに、皆で食べて、
と言って一番先輩格の小姐に渡した。ところが、それから廊下で会っても挨拶は交わす
が、どの小姐ももどの娘も誰もそのことに触れない。一体あのお菓子はちゃんと皆に
渡って食べて貰ったんだろうか。
 彼女たちの理屈も同じ。最初に渡された一人がその時に礼を言ったんだから、
それでいいんじゃないか、と。
 礼を言うのもそれなりにどうして難しいものだ。そして、この礼を言わなくてはなら
ない情況を日本人は実にしょっちゅう何か物をあげるということでつくり出す。
 こんなに贈り物が好きな民族だというのを自覚した方がいい。更にそれが、
贈り物、お礼、お礼状、お返しで成り立っている。これって難しいかも中国の方には。
 おぉ、そういえばお歳暮の時期だなぁ。
エラー!

『桂暦 グァ・リィ』 壁にはカレンダー
 また、新しい年を迎えました。おめでとうございます!新年好!
今年も「わたしの見た中国」をどうぞよろしくお願い致します。
 ウェブ版「わたしの見た中国」は、トップパージに2010年1月
からの分が掲載されており、徐々にスクロールするのも長くなって
大変ですが、この先も続きますので、どうぞよろしく。
 さて、年も改まって、きっと皆さんの家でも、今年のカレンダーの
一枚や二枚、多い家では、各部屋に、もっと?各部屋2種類のってな
御宅もあるのでしょう。
大体の家にありますよね、このカレンダー。古くは日めくりだたのが、
今では月別か一年間一枚ものか。あるでしょ、お宅にも。
日本の家にこのカレンダーは欠かせない。ところが、中国、ないなぁ〜
カレンダーがない。掛かってない。ということで、壁の掛暦の話です。
 順を追って説明しましょ。
まず、カレンダー。中国語では、壁に掛けるのこの掛の字が省略され、
右の卜が無くともいいだろうってことで挂となってまして、二画得しよう
ってわけですね。まぁまぁ、挂も掛も、どちらも、かける、ひっかける、
の意味がありますけどね、得したいかなぁこの二画。
 と言う訳で掛の字は無くしまして、挂の字。グァと読みます。
暦は、リィと読みますが、こちらも厂垂れの中に、力、を入れちゃうという
離れ技ですが、これは、元々の暦の読みがリィで、力の読みもリィです
から、画数の少ない力で中を代用、ってなやり方です。
 余計な話ですが、占いの八卦のほうの卦は卜がありまして、これないと
困るもんなぁ。こちらも無論読みはグァですが。
 ということで、壁に掛ける暦で、挂暦グァ・リィなんですね。
さて、そのカレンダー、同じですよ。それはもう同じ。2018年って書いて
ますし、1月〜12月も、当たり前か。でも違うのは、祝日が違う。これは
当然でしょ。中国のカレンダーには中国のお休みの日が。曜日の表記が
ちょっと違いますね。英語なら同じですが、月・火・水とはならず、星期
シン・チィと読みますが、この後ろに順に数字で星期一、星期二、星期三
・・・ってな具合に表記されます。
 一番の違いはですね、どの家庭にもそんなそんなカレンダーは掛かって
ない。ない。多分、これは日本がありすぎ。そんなないと思いますよ、他の国。
しかも各部屋になんて。
 何故にそうなってるかという、一つの理由はですね、中国では企業が
くれるカレンダーってのがない。ですのでほぼ買うんですが、買わないなぁ、
中国の人たち。日本だってあの企業広告付カレンダーなかったなら、こんな
に家の中にカレンダーはないかもね。
 さて、その中国で売っているカレンダー。その絵柄が面白い。
大分以前になるが、年末の頃ともなれば、新華書店にズラ〜っとその、
文字通り掛かってるのを見かけた。見ごたえがある。日本にはないよな、
これカレンダーにする?誰買うんだろう?ってのからどうしたこれ?って
のまで実に様々で見ていて愉しかった。
 その中でわたしが部屋に飾ってもいいかなと思えるのは、例えば中国
風景だったり、その絵だったり、書だったり、の割と芸術性が高いというか
おとなしめだったのでどうやら余り売れないらしい。
 売れ筋は、くるま、水着女性、家のなか、12ヵ月みたいな。
世界遺産があんなにあるんだから、世界遺産12か所とか、
あんなに広い国土なんだから各地の絶景で埋まるでしょ12ヵ月。
伝統芸能だって沢山あるんだから、京劇12場面とかね。
いくらでもあるのになんでだろう、新しもの好きだからなぁ。それにしても、
それを割り引いてもセンス悪い。以前は印刷技術も悪かったしね。
その割に高かったから売れないよね、あれじゃ。
 ってんで、家にカレンダーが掛かってない。
その事を気にしている風もない。いいんだ、なくとも。壁が寂しくないか。
若者は携帯があればよさそうだ。
 それにしても、不便ではないのかなぁ。結構カレンダーに目が行くし、
何かにつけて、カレンダー壁にあると便利ですけど。
 そういえば、当時寮の私の部屋に掛かっていた中国製カレンダーは、
「毛沢東」12ヵ月の毎月毎月彼毛沢東の写真もので、来る人来る人
から、何でこれですか?何ですか?と言われたが、あれはその私が
毛沢東崇拝者と言う訳ではなく、単に彼の毛筆書が気に入って買った
ものだが、どうやらそれを見た中国の人にも誤解を受けてたようで、
かなりその事で得したようだが、どうなんだろう。
 掛暦も選ばなくっちゃね。


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