月刊・私の見た中国 目次


 月刊・私の見た中国 目次

エラー!

『圧歳銭ヤァ・スィ・チェン』 お年玉について
 今月号(2月)話題は、お年玉です。
ご存じのように、中国はお正月を旧暦で迎えますので、
概ね、例年ですとこの2月の初めくらいに、年越しをし、
新しい年、つまりお正月を迎えます。今年は実はそれが
ちょっと早くて、1月中に来ちゃいまして、1月25日がそうでした。
 ですがまぁ、だいたいは2月ということで、ご記憶ください。

 それで、その話題の「お年玉」ですが、これ、どのあたりま
このコトバそのものといいますか、言語が違っているにせよ、
「お年玉」そのものがあるのは、おそらく、このアジアの範囲でしょうね。
早い話が、中国文化圏といいますか。欧米では別に年が明けて
子供たちにお金をあげるなんてな、習慣は聞いたことがありませんし。
ということで、中国文化の影響の範囲で、このコトバはあると思います。
でもって、中国語では「圧歳銭ヤァ・スィ・チェン」といいます。
 これと似たのに「紅包ホン・バォ」ってのがありまして、それと
勘違いされている方がいますが、「紅包」の方は、この新年との関係
なくですね、いつでも出せますので、お祝い事のご祝儀とか、おひねり
のくらいの頻度で登場。つまり、「圧歳銭」は年一回ですが、「紅包」は
いつでも、の違いがあります。どちらも、紅いポチ袋に入れて差し出し
ますので、その点は似ています。

 「お年玉」の話題は、大体がその額ですね、年々高騰するその額が
話題になったり、誰に幾らあげるかの相場は、といった話題だったり、
最近の子供たちのその使い道は、的な話題がこれは国を超えて
同じように取り沙汰され、その年その年で話題になったりしてます。
 この点でも双方にそう大きな違いはありません。
 ネット社会ですので、地方のこれまでは話題にもならなかった、小さなすま
地方銀行に小さな女の子が、貰ったお年玉を預金しようと持ち込んだ
その額が、驚くような額で、その積み上げた札束の画像と一緒に話題に
なった。なんてのが数年前にあったし。お年玉でこれを買いました、とか
大人の側から、私はお年玉に今年だけでこれだけ使いました!的な
自慢半分、自虐半分の話題とはどの国にもあるものです。
 更に、ネット社会ですから。微信ウェィ・シン、携帯アプリを使っての、
「お年玉」送金アプリがその操作方と画面の作りがよくできていて、
実に簡単にオシャレにできることになってきて、現金を手渡さなくとも、
ポチ袋を用意しなくともよくなりました。
 便利にはなったが、ありがたみは薄れる、ってやつで、これはその
給料が振り込みになった時代のあの感じと同じ。
 中国は独りっ子政策のおかげで、近代は独りっこと独りっ子が結婚し
そのにまた独りっ子なんで、おじさん、おばさんがいないので、お年玉
貰える先が少ない、ってな点はあるんでしょうが、なに、その点は日本
だった少子化傾向が続きに似たり寄ったりのものです。
 全体に、お年玉の、ワクワク感とか、悩みは減ってきている。

 相当前のことです。中国の友人のまだ小さかった子供に、正月までは
まだ大分日があったのが、そのあとわたしは旅先でもあり帰国する予定
だったので、そこんちの子(燕燕イェン・イェンちゃん、当時8歳)にちょいと
早いが、お年玉を、あげようと思った。こんなこともあろうかと日本の
お年玉袋を用意してもあった。問題は額だ。幾ら包めば妥当なのか。
多ければ多いほど好いって問題でもないだろう。貰う方が好いだろうが。
当時も今も中国の最高額紙幣は百元札。無論、その価値は当時とは
雲泥の差がある。まぁまぁ途中はないので、百元か二百元とふんでいた。
双数(偶数)がいいかぁ、お正月でもあるし。二百元。これ、当時のこの
燕燕のお父さん、つまりわたしの友人の彼の給料の数分の一くらいの
価値だったと思う。今でいえばどれくらいかなぁ。とにかく、ちょっと多め。
 燕燕に「少し早いけど、日本のお正月はもうすんだから、特別だよ」と
言って、日本のお年玉袋を渡す。「ヤッタ!」と燕燕はとても喜んでくれ、
早速、袋を開けようとする燕燕。ニコニコとそれを見守る燕燕パパ。
出てきた、百元札二枚を見て、燕燕パパとママは固まって終い、
燕燕は「このお札何?糖葫芦タン・フゥ・ルゥ(飴かけサンザシ)買えるの」
とお父さんに訊いて、尋ねられたお父さんの困っていたのが、
懐かしい。あの頃の百元は価値があった。
エラー!

『 菜刀 ツァィ・ダォ 』 中華包丁は 
 今回は、料理などに使ういわゆる包丁のお話です。
まずこの、「包丁」というのがそもそも、中国人に名であった、
という話はご存じでしょうから、軽くふれておきますと、中国
戦国時代と言いますから、これまた古い古いお話で、紀元
ですよ、日本でいうと弥生時代ですね、その頃の中国にこ
「包丁バォ・ディン」という名の、端折って言えば料理上手がいた
らしく、その人が使っていたその料理を作るときに使う切り分ける
その道具を「包丁」と言った・・・ってんですがね、まぁ、そのことは
深く突っ込まずに、先に進みますよ。
 現代中国語では、「包丁バォ・ディン」と言っても、書いても誰も
理解してくれませんので、まずその刃物類の総称として、刀ダォ
と言います。手術刀でメスとなるし、刀削麺はご存じですか、あれは
ほら包丁で削るじゃないですか、だから刀削麺ダォ・シァォ・メン、
です。
 でもって、表題の菜刀ツァィ・ダォは料理用のそれを指し、包丁の
ことを指します。前についてる菜ツァィは、これまたご存じでしょうが
料理のことを指します。日本語でも、名百選ってな出版物があります
よね、あの時のあのは、料理の意味で使ってますね。
 ということで、菜刀ツァィ・ダォで包丁のことを言ってます、更に、
話題は当然中国の包丁ですからして、中華包丁のお話です。

 突然、その包丁とは違う話をちょっとしますが、大丈夫後で繋がります。
わたしは以前から、中国文化と日本文化の最大の違いは究極その
違いは、片や押す文化であり、片や引く文化であるところにある、
という説をとってまして、中国人はぐんぐん押してきますね自己主張が
激しいといいますか、黙っていたら押してきますどんどん。片や日本人、
何を考えているかはっきりしない、と言われるように相手に合わせよう
と自分は引いて処理しようとしますよね、ですから、双方はその考え方
の部分で物事の処理の部分でまったく相反する方向性を持って対処
します。
 ですので、押す文化の中国では、カンナも押しカンナといって、体重を
かけてカンナをグッと押すことことで削ります。同様に、ノコギリもまた、
中国のそれは押すときに切れるようになってますので、体重をかけて
前に押す、その時に切れるようにできてます。
 一方、日本のそれらは、カンナも引くときに削るようになってますので、
腰を入れてグッと押して削りますし、ノコギリもまた引くときに切れるように
なってますので、引いて切ります。
 このように、両国の文化といいますか、考え方といいますか、その処置の
仕方は双方、押すか・引くかで分かれていて、わたしはそのまま両国の
文化といいますか、考え方もまたここにあると言っています。
 で、包丁の話にまた戻りますと、
これまた、両国のこの文化の違いから、ご存じ中華包丁は押し切り用に
作られてまして、それはまた、その処理する材料の違いからもまた、かく
あるべし、ってところはあるのですが、肉食文化の中国ではあのぶ厚い、
重い中華包丁の重さを利用して、ガンガンガンと、骨をも砕いて切り分け
るわけで、一方、魚を調理することが多い日本では細い鋭利な刃物で
引いて切り分ける。
 これって、料理に限らずですね、戦の時の太くてごつい龍成刀と細くて
鋭利な日本刀の違いにも見られます。

 あれで使い慣れると中国・菜刀は何かと便利でしてそれなりによく出来て
はいます。押して切る、ここに注意しそれを利用することを覚えれるなら
あれでどうして結構細かな仕事もできたりして、それこそ、刃を横にねせて
材料を押し潰すことが出来たりして、日本の包丁にはできないワザが
たくさんあります。
 もう一つ、あまり知られていない、注視されない点を一つ挙げておくと、
菜刀の取っ手はあれ真ん丸なんですよね。日本の包丁の取っ手ってほら
楕円でしょ。つまり、包丁の握り方からして違えてるってことに触れておき
ますね。

 大分以前のことになりますが、あれは何であんなことになったのか、
多分ですね、当時、日本に来る留学生の間で、日本に行ったら菜刀が
手に入りないとか、買えないとか、そんな話だったんでしょうか、まぁ、
確かにそこらへんのお店は当時は売ってませんでしたが、それに日本製
のそれでは満足できなかったのでしょうか、来る留学生、来る留学生が
マイ菜刀をたずさえてやってきてました。まぁ、使い慣れたのが一番だよね。
さすがに中華鍋までは持ってこず、フライパンで我慢してた子が多い。
さて、これら留学生たち、数年後は帰国。帰国にあたって、身辺の物を
整理。と、その時、中華包丁をどうしよう・・・と。自分の仲間は大概
マィ菜刀を持っている。そこで、「ドンツゥーあんた中華料理するでしょ、
菜刀いる?あげるよ」と言うことになる。
 これが、来る留学生来る留学生、帰国する留学生、帰国する留学生が
そうだったので、
 我が家には一時、6・7本も菜刀があった。

 
エラー!

『 裸退 ルォ・トゥィ 』 引退について
 その・・・この字面からですね、あらぬ方向を想像してはいけません。
なんせ・・・その最初に字がいけません。「裸」ですから、どうしても
そっちにいきそうなのをガマン?してですね、冷静に?考えれば、
日本語にだって、裸眼ってのがありますよね、あれはほらっ!
眼鏡をかけてないときのその視力を測るときなどに、使いますよね、
同じです。まぁ簡単に言えば、余計なもの?はつけずに、そのもの
ズバリ!ってんですかね、そんな状態。
 その点で言えばみなさん?の想像の、裸体はまぁ・・・同じ意味での
使い方であり、正しいわけであります。
 で、ようやく今月号の話題「裸退ルォ・トゥイ」の説明にはいりますよ。
これまた、こちらの愛読者?であれば、すでに「裸婚ルォ・フン」って
のをわたしは2011年7月号で書いてるのをご存じかと思いますが、
あれってホラ、何にもしない、つまり婚礼だとか式典だとか、何にも
しない届け出だけの結婚を言ってたのを思い出してください。
 ですので「裸退」は、引退するに当たり、何にも持たずにその世界から
綺麗に?消え去る、という意味で使われ、中国でこの言葉が流行った、
・・・ちょっと流行ったんですよこの言葉、それは中国の政治世界の話
でして、概ね中国政治世界のトップの人たちが引退するにあたって、
これまでの地位を利用してその影響力をその後も保とうと色々画策?
することなく、綺麗さっぱり、その世界から退くことを表した、新語?
です。辞書にはまだ載ってないかもね。

 ということで、前振りはここまでで、何で今回はこの話題かというと、
全くのわたくし事ですが、今年・今月わたしも「裸退」したので、それを
お知らせ?しようかな・・・と思って書いております。
 函館日中友好協会・会長を今月、目出度く!裸退!!
どうもその、こんなに長くこの立場にいようとは全く思っていなくて、
勢いと言いますか、成り行きと言いますか、後継者不足といいますか、
そんなんのが全て重なって、長くなりまして、長くなったということは
わたし自身も年をとったということでもあり、そろそろねぇ〜とはずっと
思ってましたし、相談もそれなりにしてたんですが、引き受けて?
くれる人がいなかったんですよね。
 日中友好協会の活動も、この間に大きく変わりました。それは、
時代の変化と相まって、運動というか活動も変わり、一番印象的なのは
わたしが協会に入ったころは、わが町の中国人留学生は片手、つまり
一桁でした。それが今や・・・。ですし、その頃の協会の先輩の多くは、
中国に嘗て住んでいたとか、中国から引き揚げたとか、でしたよ。
その頃、そうした直接?中国と関係ないのに、中国の何らかに惹かれて
入ってくるひとは、そんなに多くはなかった。しかも、当時は政治的な
こともあって中国との窓口を協会が果たしていた部分が多くあった。
今思えば、隔世の感がありますね。
 おっと、話を戻しますよ。裸退ですね。もともと、これは中国のトップ
なんかが、その職を辞したあとその世界とは全く関りを持たない、その
潔さ?というか、全てを投げうって身を退く、そんな姿への協賛と願望
の「裸退」なわけです。まぁ、それくらい、逆に下台シャァ・タィと言いますが
人間辞めてからの後もその影響力を行使しようとしたがるものなんですよ。

  で、わたしの場合は、漸く、後を引き継いでいただける方が見つかり、
目出度く?裸退!!
 裸退を機に、このホームページも・・・となるかどうかは、思案中。

エラー!

『面包店ミェン・バォ・デン』パン屋さんは今
 パンを面包ミェン・バォと言いますが、この面はもともとは
麺という字です。この字で分かるように、麦が横にありますよね、
小麦を使ったものを、麺ミェン=面と言ってまして、ですので、
面粂ミェン・ティァオは、その小麦を細長くしたものを指し、めん類
を表し、スぺゲッティは、意大利(イ・ダ・リィ)面となります。
その意味から拉面(ラー・ミェン)となるわけでして、拉(ラー)は、
引っ張る、引っ張って伸ばしてどんどん細くした麺の意味です。
日本の蕎麦は、このまま、蕎麦(チァォ・マィ)面となります。
 まだまだあるが、まぁこの辺で勘弁してあげましょう。

 それで、中国は大きい国ですので、南と北では大きく食習慣が
違っています。当然です。
 で、大雑把に言って、中国の南の人たちはコメが主食で、北の人
たちは小麦が主食となってまして、本来あの餃子なんかはですから
北の人たちに食べ物で、饅頭(マン・トゥ、肉まんの具のないやつ)
とか、花巻ル(ファ・ジュァール)もあの形を見ていただければ、あぁ
あれね、ってやつですが小麦をくるくる巻いた形にしたのでこの名が
ついてます。これにめん類が加わり、更には小麦を発酵させ焼いた
タイプのやつなど等、要するに年がら年中、毎日毎日、小麦を食す
生活を多くの中国の人は送っています。

 ここまでが前振りです。それ位、中国に人にとっては小麦とは切っても
切り離せない関係にあります。
 それなのに、ですよ、あんなに小麦を日々食し、身近にあるのに、
これまで中国のパンはちょっといただけなかった。
 こんなに小麦と仲良く付き合ってるんだから、おいしいパンがあって
しかるべきだし、パン作りにかけても一家言あって然るべきだ。
 なのに、中国のパン事情はこれまで、ひどかった。何時ぐらいまで
だろう。2000年初頭までだろうか。毎日小麦物を食べてるんんですよ、
ってことはそれを売ってる店だって多いし、作ってるひとだって同じく。
そして、その歴史も昨日今日のことじゃない。何度も言いますが、
なのにですね、先ずその味も、触感も、デザインも、工夫も全てに
いけてない。なんで??といつも思っていたし、不満だった。
 
 それがどうだ。ここえ来て急激にその、技術、お店、種類ともに豊富
にもなり、変わった。良いほうに変わったので大歓迎だ。
 前が余りにひどかったので、ここのところの激変は目を見張るものが
ある。まぁまぁ、中国の変化については、毎回毎回驚かされてるので
これもまた、その一つに数え上げられるだけに過ぎないのかも。
 以前は、ひどいものいなると、紙を食べさせられてるようなひどいの
があった。それなのに、フカフカの饅頭とか肉まんは皮が美味い。
焼いたらダメなのかなと思ってもみたが、焼いた種類のやつでも、
美味しいのがあった、ウィグルの人たちの焼いたものとか、半発酵で
焼きあがったやつに香ばしく美味しいのがある。あのままパンにすりゃぁ
いいじゃない、と思うんだがそれもなかった。
 
 多分ですが、専門的には、小麦そのものの種類と品質の問題と、発酵
処理、バターの使い方に問題があったんだと思う。後に、外国の技術が
入りこれまでを挽回するように色んなパンが店に並び、店そのものも
外国のパン屋を見てきた人たちがやってるのか急にオシャレになった。

 ここ数年の旅先で見るパン屋さんはどうしてなかなかあなどれない。
F市は観光地とは言うものの、外国人が大挙して訪れるような観光名所
ではなく、地味な国内旅行者が知る人ぞ知る的な町。そんな街のしかも
片隅にその店はあった。日本にあっても引けを取らない店内。パンも
種類が多い。ちょっと見たら店内に少し休めて飲み物も頼めるようだ。
買ったばかりパンと、珈琲を注文し、隅の方で店内を眺めながら待つ。
店内の設えも申し分ない。何でこんな田舎町にこんな最先端とも言える
審美眼と設えの店が、と考えていた。店主は海外生活経験者かも。
買い求めた面包と珈琲がやってきた。それをドンと置かれたので、
珈琲がこぼれた。店員は謝るでもなく、手元の面包を見るとわたしの
買い求めたものとは違ってるように思った。それを告げると、不機嫌に
なった店員は物凄い勢いでわたしを非難してる。なんで、なにが?
どうやら店構えと面包の素晴らしさと、なぜ店員さんの服務態度は比例
しないようだ。
エラー!

『 香港 シャン・ガン 』 HongKong ホンコン
 ホンコン、は説明がいらない。誰もが誰もの香港を知っている。
ホンコンを知らない人はいない。行ったことがあろうが、なかろうが。
ホンコンが話題にならない年はない。
ホンコンは日本人もホンコンと呼んでいる。北京語では、シャン・ガン
という読みになる。HongKongは、広東語読みだが誰もが知っている。

この時期に香港を話題にとなると、さては、あの問題か?と勘繰る
方や、期待する?方もいらっしゃるでしょうが、ここでの話題はそこには
触れない。いや、やっぱり触れとくか。わたし個人としては、香港の
置かれた位置というか、香港の立場を思うと、一緒にはできないのだが
わたしはいつも、沖縄の関係・位置が頭をよぎる。抱えてる問題は違う、
置かれている立場も違う、だが、何故か沖縄をすぐにわたしは思う。
沖縄は日本と同じに、香港はできるだけ中国と違っていたい。その
点も違う。でも、やっぱり、わたしには香港は、中国の沖縄だ。
と、言っといて、ホンコンの話題に入る。

 さて、いったい何回香港に行ったんだろう。5・6回かなぁ。
最初の頃、中国大陸に入るためにはビザの取りやすい香港へ一度入って
香港で手続き、列車で入境、ってのを確か2・3回やってる。
その頃の思い出は何といってもあの啓徳空港。この空港に降り立つには
高層ビルの間を縫うように飛行機は着陸する。ビルが近い。近すぎ。
当時は着陸するとタラップが機に横付けされ、ぞろぞろ降りるのだが、
その時点で、ホンコン独特の臭いが鼻をつき、ホンコンに来たぞぉ〜、
と思わせられる、そして、空港ビルのあの雑多な感じ、声高な広東語、
ぎっしりの人・人・人。聴覚・視覚・嗅覚が香港へ来たことを教えてくれる。
 
 例の1997年、ホンコン返還まえに行った香港の旅が一番印象に残ってる。
まず、機内に手帳を忘れた。座席前のあの雑誌を入れるような網のところに
置き忘れた。入境審査へ向かう前に気づいて、近くの無線機を持っている
保安係女性に申し出たら、もの凄い勢いで広東語で問われ、こちらに通じない
と分かると今度は英語に、英語もダメで、こちらが北京語で話しかけると、
北京語が出来る職員を連れてきてはくれたが、結局、手帳は見つからず。
タクシーに乗れば宿を間違えられ、似た名前の別のホテルに運ばれ、
やっと入ったホテルは親切だったが、やけに壁が薄く隣の物音が聞こえ、
翌日、香港ドルに両替の為に銀行に行くと、銀行前にいる屈強のガードマン
何故かインド人でターバンなど頭にあしらっていて、何かこちらに言ってる
るんだが、何を言われてるか分からず、彼を不機嫌にさせた。怖かった。
 悪いことばかりではない。街を歩いていて、たまたま街角のパン屋さんに
昼を調達しようと入ったら、ここのフランスパンの美味いことといったら、
なんであんな薄汚れた短パンを穿き、お腹の出たおじさんが作ったパン。
それを持って近くのスタンドで頼んだ珈琲も美味しかった。果物も。更に
夜店の人たちも北海道から来たと分かると人が集まってきた。そんな、
どうということもない、細かな一つ一つが思い出となって、わたしのホンコン
の思い出は、あの伸びきったランニングシャツにお腹の突き出た短パンを
穿いているあのおじさん。
 雑多なものが混じりあっていて、それでいて、どこかにどうやって
身につけたのか分からない最新のものを持っていたりするそんなチグハグさ
を併せ持つそんな街。
エラー!

『婚沙撮影フンサァスイン』凝りに凝ってます
 婚沙フン・サァは、ウェディング・ドレスのことですが、
婚フン、の方はまぁ、婚姻のことで、沙サァ、の方はきっと
あの衣装がサラサラしてる、ファファしてるからでしょうか。
この字は日本では、石に少で、砂になってますが、中国に
この字”砂”はあるし、使われてもいるが、沙こちらの方は、
砂よりさらに粒の小さなものを指すらしい。
 まぁ、そんなサラサラの形態を表したかったのでしょう、
婚沙でウェディングを表します。
 後ろの、撮影は全くそのまま説明要らず、ですよね。

 これが、というか、これに、というか中国の人はというか、
これから結婚しようという人たちのその力の入りようが半端ない。
無論、日本人の比ではない。日本だと、結婚式の前についでとまでは
言わないが、まぁまぁ、この際、その衣装のこともあるし、記念に・・
ってな程度でしょ。ところが、中国の人たちは違う。
 その力の入りよう、お金のかけよう、時間の取りよう、事前の準備含め
まるで違う。違いすぎる。比べものにならない。

 写真を撮る、というこの行為は同じです。婚礼写真ですので、新郎・新婦
お二人の写真、これも同じ。服などを替え、何種類か撮る、これも同じ。
プロに撮ってもらう、これも同じ。中国は婚礼日前撮りが多いがこれとて
日本だって同じくある。

 では、何処がどう違うのか。
簡単に言えば力の入り具合が違う。ってことは、お金も時間も労力もそれ
に注ぐ力量が中国は日本のそれの十数倍、或いは数十倍。
 中国が豊かになったあたりからその傾向が顕著となり、どんどん派手に。
近年になって少し落ち着きは見せているものの、まだまだ力の入りようが
尋常じゃない。
 大分以前、文革世代のお二人の記念写真といったらもう、セピア色の
二人が並んで撮った手札版の写真が一枚。しかも二人は人民服姿。
仲良く並んだお二人が、微笑んでいるその写真を大事そうに見せられた
とき、物事は何でも豪華ならいいってもんじゃないよな、と思った。で、今は
先ず、婚礼日が決まったなら、どの写真館に申し込むかから始まります。
これを選ぶのだって、予算からお二人の意見やら事前に合わせるのが大変。
 多くは婚礼のその前の適当な時期の、一日を撮影にあて撮ります。
 先ず、何種類か撮る訳ですが、その種類が多い、日本より圧倒的に。
種類が多いのは、日本ではあまりない、外撮りが必ず入り、その分多くなる。
衣装を替えての撮影も多いし、二人の姿勢もあれやこれや何種類も撮る。
 これがなかなか面白い、と言っては失礼か。何でこんなとこで?や何故
こんな格好で、のお二人の写真も少なくない。日本じゃないよなこれは、
と思ってしまう。
 もう一つのわたしの衝撃は、お二人の超接近の熱々写真を、あの版は
何版と言うんですか、わたしは相撲国技館のお相撲さんの一枚写真と
言ってますが、ポスター大或いは更にその上の大きさに引き伸ばしたものを
お部屋に飾ってた世代があった。今は大分見なくなったが、それでも
そんな大きくなくとも引き伸ばした写真を新婚家庭の寝室にド〜ン!!と
飾ってあったりして、何故かこちらが目のやり場に困るというか、これ
引き伸ばしすぎでしょ!とツッコミたくなるが、ご本人にを前にしてはね・・・。
 あれって、というのはその寝室の大型お写真ですが、いつ頃飾るのを
止めるんですかね。
 撮影風景にも色々話題があって、そりゃまぁ、お二人で事前にあそこで
撮りたいな、とか、プロが用意した場所も。よく外で撮ってますよ。
 ただ、外ですから天候のかげんとか、季節の移ろいとか、風があったり
何度かえぇ〜こんな日に!って撮影風景を見ました。冬の浜辺で肩を
出し凍えそうな新婦を優しく肩抱く新郎。
 でも、この写真の出来上がりは、全くそんな風には見えないように仕上げる
んでしょうね、そこがプロですよね、プロの撮影者。
 今度、中国のご夫妻に、もし許されるなら、結婚記念写真を見せてください、
と言ってみてください。自慢げに見せてくれるでしょうか、それとも・・・。
エラー!

『書店内的布置プゥ・ヂィ』本屋さんの店内が・・
 もともと、本屋さん好き、というか本が好きなんでしょうが、
何処にいても本屋へは行く。旅先でも同じ。その旅先が国
であろうが、たまたま中国であろうが、それは変わらない。
 本屋というやつは、別段、国が変わろうとそう大きく変わ
ことはない。当然だ。本が並んでる。雑誌が並んでいる。
 その点でも変わらないし、誰だったか、「本屋に入るとトイレに
行きたくなる」と言ってたが、それも同じだろう。恐らく。

 店内には幾つかの棚があって、通路ができ、時に大きな書店では
それが分野別に整理されていて、小さな書店では壁一面の棚。

 本屋さんは、中国語でも同じ、書店。但し、書店の書の字が簡略化
されていて、一般日本人には読み取れないかも知れない。
でも、字が解れば、あれは書店と書いている。スゥ・ディェンと発音
される。

 中国の書店は古くは・・・ってまた、古い話を持ち出して恐縮だが、
「新華書店」といわれ、この書店は国営。
 なにせ、当時は紙の流通と印刷技術と出版点数が限られていたので
その当時の書店は、いや、書店に限らず店内は薄暗く、国営ですので
店員さんに愛想もなく、多くの出版物は社会主義に乗っ取っていて、
硬い本が多かった。新刊と言っても、これがそうなの、といった
ものばかりだった。当時、雑誌は定期購読が基本で本屋さんよりも
郵便局での扱いだった。
 ということで、当時の新華書店は、一歩足を踏み入れると、店内は
薄暗く、書棚に並ぶ本たちも色彩豊かとはいえない暗い色の背表紙が
ならんでいて、書店員さんたちも国営=公務員だったのでぶっきらぼう。
ちょっと怖かった。何かを尋ねようと思っても気後れした。客に気後れ
させる位には威圧感があった。購入してもカバーをかけてもくれないし、
それどころか、今買ったばかりの本の背表紙に「バ〜ン!」と書店名の
ゴム印を押されたりして、何だよ、他人の買ったものに勝手にゴム印
なんかを押すなよ、・・・と心では思うが、口には出せなかった。
怖かったから。

 それが、どうだ・・・。どうだ、と言われても皆さんには何のことやら、
でしょうが、わたしにとっては、「どうだ!」なんですね、あの変わりようは。
 いつの頃からかなぁ・・80年代終わりか、いやいや、もうちょっと後か。
無論都市部の書店が、大都市の書店から、それは変わった。
 明るい。出版点数増えた。本そのものの装飾が奇麗になった。
 更に、こちらが今月の本題ですが、店内に置かれたその本たち。
ただ単に積み重ねるのではなく、これが面白い。完全に遊んでる。
グルグルタワー型だったり、積み木型だったり、実に面白い。
更には本そのもののデザインを利用したり、カバーの色を利用したり、
面白い。それを見たさに本屋へ行く。
 日本でもこれやって欲しいなぁ。
エラー!

『新冠肺炎病毒シン・グァン・ビン・ドゥ』コロナ流行
 今年、2020年は何といってもこの話題を避けては通れない。
それは、今まだ収まらない新型コロナウィルスの流行感染の問題。
これは、今年の話題として書いておく価値はあるでしょう、ここにも。
丁度、年が明けて日本でも騒がれだしたこの問題、一年の三分の二
を過ぎてなお、世界を牛耳っているし、この先も見えていない。
 思い起こせば、2020年年が明けてすぐ、この問題は徐々に知れる
ところとなり、その勢いは日を追う毎に拡大、国を超え、グローバル化
国境などなんなく超えたし、超えて増々強くなった。世界を凌駕。
 中国発のこれは、当初は情報も中国発。わたしは少しは中国からの
直接の情報に触れることが出来たはいたが、多くの人は、それを日本
の媒体を通して知る。先ず、ここに問題があった。
 実はこのかたち、今尚そうなんで、この感染症に関する情報・対処の
問題の一端はここにあったし、そのまま現在に到っている。

 前振りはその位にしといて、中国語のお勉強から。「新冠シン・グァン」
コロナは冠のことですからね、新型の型は「冠」ということになり、あれって
肺炎を起こす、ウィルスは「病毒」わけですから、「新冠肺炎病毒」。
因みに感染はそのまま読みの問題で、ガン・ランという音になります。

 さて、その「新冠肺炎病毒」がこんなになったにはそれなりに訳がある。
 それは、中国は一年で最大最重要の旧正月、春節を前にしていた。
これが不幸の始まり。ある意味、最悪の時であり、逆に病毒「ウィルス」
にとってはこれ程ない絶好の繁殖時期だった。何故なら・・・。まず、
 判断を誤った。春節を控えていた。この問題を先送りしたかった。
春節が終わってから、ゆっくり対応したかった。だから、発表を遅らせて
先延ばしし、それから対処しても間に合うだろうと考えた。
 これが、一つ目の間違い。
 次に、春節を前にご存じ中国の人たちの故郷帰りに備えて丁度
大移動の為の列車を飛行機を予約してあった。もう行くことになってた。
 春節をまじかに、新年を迎える前の年末のさまざまな行事が予定され
正月を前に人々の心は浮き立っていた。誰もが集まり、誰もが一つ事に
こころ奪われていた。そんな武漢のいまいま流行り始めた伝染病なんかに
構っていられなかった。
 更に、春節の大型連休を控え、お役所はそろそろお休み模様に。もうすぐ
連休だ、いまここで事を荒立てては、誰からも顰蹙を買う。皆が一年一度の
この日を楽しみにして暮らしてきたんだ、それを奪う権利は誰にもない、
病気だって吹っ飛ばせ・・・のイケイケだった。
 中国マスコミもみな、春節話題を織り込んで、その準備の最中。お目出たい
情報をかき集めていたのに、そんな時、これかぁ〜と最初は及び腰。
 こうして、お役所、マスコミ、庶民も誰も病毒のことなんを受け付けなかった。
世間は受け付けなかった「病毒ウィルス」も、人には簡単に感染。
人から人へ。あっという間に、見えない敵が直ぐ傍まできて、漸く気づく。
 そっからは、ご存じのように、かの国は政府の命令一本で何でもできる。
一本の通達で病院は出来るし、都市が封鎖される。その様子は皆さん
御覧の通り。
 そこで、今回のこの「新冠肺炎病毒」の教訓。
もっと、中国をちゃ〜んと、観測しましょう!!
 かつて、「竹のカーテン」を言われて中国も今では「レースのカーテン」位
には、見通しが良くなってる。ちゃ〜んと見てれば分かるはずなんです。
 それって、じゃぁ、誰が、どうやって・・・って問題ですが、それはもう、
決まってるじゃないですか。

エラー!

網絡銷售ワン・ルオ・シァォ・ソゥ』  ネット通販
 いまさら?ですが、ネット通販のお話を。
これって、中国に限らずですよね。とりわけ近年は。
この話題も何度かふれてますし、ここでも11月11日の
例の「光棍節」(2014年11月号、11・11狂乱)でも
その日のネット販売狂騒について書いております。
どうぞ、そちらもご覧ください。
 で、またまた中国語のお勉強から、順に「網絡ワン・ルォ」
は字面通り、網ワン・は、あみですから、ネット。絡ルゥォは
連絡の絡ですから、ネットで繋がる、の意味ですよね。次に、
直播ヂィ・ボォは、直か播き、と言ってますから、その、直接
播くは放送するの意味で、日本では実況と言ってますよね。
銷售シャォ・ソゥは、売るの意味ですね。後ろの、售は日本
字にも売るの意味が。ということで、全体には、ネット・実況・
販売となるんですね。

 さて、このネット販売はどこの国だって今や、やってないと
がないし、どこの国もこれに頼ってる人がいる。
 ところでこれを今回取りあがてのは、先月に、コロナ話題
取りあげましたよね、そのコロナがですね、これに拍車をか
まして、それまでのネット販売から更に人々の関心を集めた、
ってのは無理なく理解できるでしょ。
 そんなネット販売で、これまた、ネットで話題になって、ネットで
拡散されて、販売が飛躍的に伸びた会社が続々と。
 某会社などは、直販店を全国展開し、順調に売り上げを伸ばし
ていたところへ、このコロナ。急に客が来なくなってしまった。
従業員は解雇されるは、品物は大量に在庫を抱えるは、全国の
店舗は閑古鳥。そんな、とき淘宝タォ・バォに、製品の販売
移したところが、これが、粉絲フゥン・スゥってんですが、こ
また近年の流行語ですが、まぁ、ファンと訳したりしますが、この
場合はネットですから、フォロワーとでもしておきますか、それに
火がついて、以前よりずっと売り上げが上がったとか、そん
ネット直販話題でまた盛り上がってます。
エラー!

漂亮的字 ピィォ・リャン・ダ・ズゥ』 なんて綺麗な字
 まぁ、別段、毛筆であるか否かに関わらずですね、
“字”の上手い人はいますよね。これからの話は、煎じ詰めると、
中国の人って”字”美味いよね、って話を縷々していくわけですが、
当たり前ですが、中国の人にだって、そりゃまぁ、上手い人もいれば
下手な人だっていますよ、います。いますが、その割合ってか、印象
っていうか、どっちが多いかってことですと、まぁね。
 結論から先言うと、それって、恐らくですね、まぁその伝統と言い
ますか、受け継がれてるものが違うと思うんですね。ですから、
それへの力の入れようもこれまた最初から違ってて、例えば学校
教育なんかでも、違ってるはずです。実際どうなってるかは知りませんが
まだ中国では学校で書道の時間なんてあるんですかね。それって、
同じく、日本でもあるんですかね。わたしの時代はありましたね、小学校
時代に書道の科目もあって、そこで初めて”書”に触れる時間は
ありましたが、そんなんいは多くなかった。中国ではもっとあるんだろう
なぁきっと。わからんが。
 まぁ、その”字”の問題を先に片付けるとですね、”字”が綺麗かどうか
ってのは、結局のところお手本があって、どんだけそれに近づけて
書けるか、ってことだと思うんですね。で、その綺麗さっては現代で
言うと、例えば、この画面でも皆さんがご覧になってるこの”字”の
例えば、明朝体といったような、誰がみても、見やすい整った”字”が
綺麗と言われてます。
 時々思うんですが、あの、例えば、アラビア文字や、タイ語の文字
にも、上手い下手、綺麗はあるのかなぁ〜っては失礼かなぁ。
 ってのは、ですね、どうやらその、漢字の特性にもそれってかなり
影響されてると思うんですよね。漢字の綺麗、拙いは、どうしたって
あの漢字の、象形文字から始まっている、文字そのものの成り立ち
に起因してる面はいなめない。

 綺麗かどうかは、美的感覚の問題でもありますから、字だけを書いて
その道のプロがいるっては不思議でしょ。

 表題の説明を忘れてた。「漂亮ピィァォ・リャン」ってのが綺麗の意味
でして、まぁ、綺麗ですから、人だろうが、風景だろうが、物だろうが、
或いはある仕草だろうが、使えます。単独でも使えます。無論、女性
に多用する方もおられますが、それはそれで、危険です。
 「字ズゥ」は読みだけの問題ですが、「漢字」はハン・ズゥとなる。
で、動詞としての「書く」は、「写シェ」と言ってましてね、「写字シェ・ズ」で、
字を書くの意味。中国語は前に動詞がきますんで、「写字」となる。
この説明によく、日本人も言ってる「写経」、あれは経を写してるってこと。
昔は複写機なんてないんだから、手で書き写す。この「写」です。
更に、簡単に説明だけしておきますが字の問題。、「写」の字の下横棒
日本字は突き抜けてますが、中国簡体字は突き抜けず、写の下の
与のこの横棒の右側が出ない。間違えてもちょっと気づきませんけどね。
漢字しかない、中国。写字はそのまま漢字を書くことを表し、ほかの字、
例えばローマ字を書くは「写羅馬字」とか、日本の平仮名を書いてもらう
には、「平假名ピン・ジャァ・ミン」で書いて、とお願いしないといけない。
無論、一般の中国の方はひらがなは、書けない。書ける人がいたなら、
その人はそこそこ、日本語がおできになる。中国でよく間違いだらけの
ひらがなで書かれたメニューや製品を目にし、笑えることがある。

 手元に一枚の紙がある。有り体に言えば、まぁ、領収書と言っていい。
しかも、しわくちゃでとこどころ油汚れも。それでも、後生大事にこの一枚、
今だに捨てられずにいる。書かれてるのは「今日、××元(お金)を預かった、
商品が手元に届き次第、改めて修理をし、先にこのお金をお預かりする」
と、いった内容。実はこれ、なんてことはない、中国で自転車修理をお願い
した、街の店舗もないような、路上の自転車修理屋さんのおじさんが書いた
領収書。紙の質があまりよろしくない。筆ではなく、太めのポールペンの
ようなもので、殴り書きされてる。とっくに用済みのこの領収書。
 なぜ、捨てられないか。この字がいい。実にいい。素晴らしい。書道的に
上手いかどうかは、判らない。でも、わたしのお気に入り。捨てがたい。
なんだろなぁ。味がある。好みにぴったり。
 実はその自転車修理のおじさんの領収書というか、書いたものが欲しくて
これ以外にも、パンクの時とか、チェーンが変になったとか、理由をつけては
行って、要りもしない領収書を書いてもらい、何枚かあったはずなのに、今は
この一枚が手元にあるのみ。
 いつも油で汚れた手で、路上にいるあのおじさん。失礼だがあの佇まいと
この字の差がこれまた印象強く、今でも鮮明に覚えている。
 実は、このおじさんに領収書ではなく、普通の?何か、例えば漢詩の様な
ものを書いて貰いたくて、修理を頼んで待つ間に、ワザと漢詩の一節を書き
この後ろは・・・と恐る恐る尋ねたことがある。かなり姑息な手段だとは思った、
失礼かな・・・とも思った。おじさんの答えは「なんだそりゃぁ?」と酷く呆気ない
ものだった。いやいや、失礼しました。
 だからね、いるんですよ、こうした字の上手い人が。


エラー!

『 棒棒軍バン・バン・ヂゥン 』 担ぎ屋さんたち
 中国の地図をちょっと思い浮かべていただいて、そのずっと
左側ですね、日本人が一般に見ている地図ですと西蔵の手前、
四川省ってのがあります。パンダで有名、或いは四川料理
言えばご存じ麻婆豆腐、大きな地震があったのもここ。
 今回はこの四川省の、省都や更には、重慶市という政府直轄地
の大きな町での話題です。
 この町にこの人たちはいます。この人たち、中国の何処にでもいる
わけではありません。主に重慶。
 棒棒軍バン・バン・ヂュンとは呼んでますが、これが正式かどうかは
心もとない。
 「軍ヂゥン」ってから、個人ではなくてですね、相当の人がいるわけ
ですね、「軍」ってくらいですから。で、何かその組織だってるかというと
そんなことはなくて、たまたま、同じ様な人たちを一括りにしての呼び名
というだけで、ボスもいなければ、組織もないと思いますよ。
 「棒棒バン・バン」は彼らがみな、それぞれに棒を持ってるからですね。
棒は本当にただの棒で、長さも多少の差はあるのでしょうが、わたしの
見たところでは2メーター前後。真っすぐなただの棒。各自一本。
 何をされてるかというと、荷物を運びますね。担ぎ屋さんと言っていいかな。
大概のものは運びますね。例えば旅行中の人の荷物なんてのはありふれてて
わたしが最も多く目撃たのは、なんだろなぁ〜あれ。段ボール梱包のものを
こう振り分け荷物にしてですね、重さも相当ありそうでしたよ、あれってどっか
のお店の仕入れのものだったのでは。家具も見ました。家電も見ました。
時には二人がかりで真ん中の棒がしなる位の重さの何だろうなぁあれは、
器械ですよねなんか、とにかく恐らく、頼まれればなんでも運ぶ。
 料金は恐らく交渉でしょうね、事前に、どこどこまでこの荷物を、ってんで
互いに値引き、値上げ交渉をして決まるんじゃないですか。もちろん、
実際にはわたしは利用したことはないです。その機会もなかった。

 で、なんでその、こんな内陸の、重慶という地だけにこの人たちがいるか。
それはもう、中国通の皆さんならお分かりでしょうが、重慶は坂の町。
この町の人たちは、中国人であっても自転車に乗れない、とわたしはよく
冗談で言ってますが、坂が多いこの町で自転車を見かけることは少ない。
道も混雑、坂もある、街中は段差も多い、となれば人力ですよ、人力。
頼るはこの人たちでしょ。
 ここまで説明されればお分かりでしょうが、この人たち、半端じゃない体力
仕事ですよね。当然、老人には務まらない。若年か壮年の男性に限られる。
となれば、一生できない仕事ですし、元手はそうかからず、体力勝負、しかも
ある期間のみ・・・ということもあって、早い話が、このお仕事出稼ぎの人たちが
担っています。出稼ぎって分かりますよね。日本だってつい最近まで都市部の
労働を担っていたし、少なくはなったが今でもありますよね。
日本のそれは、季節というか、短期決戦。数か月が多い。棒棒軍は数年。
そのまま重慶にいて稼いで、その金を故郷に持って帰るんだろうなぁ。

 この人たちもそうですが、安徽省・黄山ホァン・サンの階段山道で出会った、
山頂まで荷を届ける背負子の人たちや、それ以外にも各地で見たこうした
体力勝負の人たちを見るにつけ、それに比べたなら自分の暮らしはなんと、
ナント楽なんだろう、贅沢言っちゃいかんイカン!帰国したならもっと・・・と、
必ず思うのだが、そうした決意はすぐに忘れ、極端だと帰国前にはもう
忘れ、帰国してちょっとシンドイことがあるともう不満が口に出る。
だからダメなんだよなぁ、と年の瀬を控え、棒棒軍の人たちを思い出している。
エラー!

『満面笑容マン・ミェン・シャォ・ロン』満面の笑顔で
 また、新しい年を迎えた。『笑門来福』という年賀状を戴いた。
まぁ、これでもいいが、「福臨笑家門フゥ・リン・シャォ・ジャ・メン」て
ことでしょうが、まぁまぁ、いづれにしても、正月そうそうしかめっ面
してるよりは、笑っていたい。
 そう言えば、久しく笑ってないなぁ、と思う。可笑しいことがある、笑う。
軽く笑う。笑ってすぐ冷める。心の底から、笑った、という記憶が久しく
ないし、笑い顔も、頬のあたりをちょいと緩めた笑いで、満面の笑顔、
とはならない。以前は違っていたように思う。以前って、どれくらい以前の
ことだろう。
  自分のことはともかく、中国でいつも思うのは、時折、心からの笑顔に
会う。とりわけ、子供たちの笑顔を見ていると、日本の子供たちのこうした
笑顔はとんと見ないな、と思う。
 日本の子供たちは、何時から笑わなくなったのだろう。そして、大人も。
あの、満面の笑顔。心の底から笑っている、その表情。
 日本では無くなって、何故、中国にはあるのか。生活自体はこう言っては
なんだが、中国の方がずっと大変だと思う。とりわけ、中国の田舎で。
それなのに、あの笑顔。
 日本の子供たちは恵まれている。便利だし、物質的にも。
 なのに、いつも浮かない顔をし、たまに笑っても、薄ら笑いだ。何故?
もともと、日本人の笑い顔は、世界でも有名なくらい、いつでも人と会い
ニコニコしてはいるが、何を考え、何にそんなに笑顔をつくっているかが
理解できないという。そうだろうな、とわたしも思う。愛想笑いってやつ。
自分は不機嫌な時でも相手に対する気遣いとして、不快感を出さないために
軽く笑っている。笑いながら冷めている。
 中国の人はなかなか笑ってくれない。この人、不機嫌なのかな、と思うくらい
話を聞き、何かあれば鋭く突っ込んでくる。ところが、これで、徐々に打ち解け
何度も会い、気心が知れたあたりで、相手が見せる、笑顔が好い。実に好い。

  笑わない子供たち。社会の色んなひずみは、子供たちの上に降りかかり、
子供社会こそが、大人社会の鏡だというから、そうなんだろうな、と思う。
 子供たちが心の底から笑っている姿を日本で再び目にする日は来るのだろうか。

 その点で、わたしには、今なお、忘れられない思い出の情景がある。
198×年。その日、わたしは中国旅行から日本へ戻ってきた。2週間の中国旅行。
当時は成田、出国・入国が多かった。少し遅い時間に成田に。その日はそのまま
都内で一泊の予定。成田から都内へ向かう電車に。途中駅。何という駅だったか、
停車時間。何気なく、ホームを見ていた。10時を少しまわっていたと思う。
蛍光灯に照らされたホーク。一つ向こうのホームに、子供が。一人だけ。あれ。
こんな遅い時間に。小学生だ。半ズボン。ランドセルではないが背負いカバン。
帽子。背丈、格好からして小学4・5年生だろうか。こんな時間に独り。しかも
ちょっと見には学校帰りのような姿。塾の帰りなんだろうか。これからまた電車に
乗って家に帰る途中なんだろうな、と見ていた。ホームの中ほどのキオスク。
彼はそこまでトコトコと歩いて行く。何か買うんだろう。何を買ったか、まではこちら
からは見えない。その彼が、キオスクを離れ。戻ってきて、ホーム中央で仁王立ちに。
やおら、手にしたものを飲み始めた。風呂上がりの人が牛乳を飲むあの片腕腰当
仁王立ちで、彼が飲んでいたのは、某有名な栄養剤。あの小さめの瓶。
 夜遅く、人気の少ないホーム、小学生が独りで、腰に手をあて栄養剤をグビグビと。

 それを、車窓から見ていたわたしは、いまいまの中国帰りということもあって、
暫く呆然とその様子を眺めていた。ちょっとの間、理解できなかった。
 そして、少しして、思ったのは。この国はおかしい。どっか狂ってる、と思った。


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