反戦・反核運動とそこにおける地方自治体の役割
 
 
目次
 
I. はじめに
II.地方から突き付けられた国家へのNO
III.市民や自治体は平和のために何ができるのか
a.非核自治体運動
b.姉妹都市運動
c.文化財の保護
d.無防備地域宣言
 
IV. 国家や国連が主体になっての平和への取り組み
a.世界規模の多国間条約による核軍縮の試み
b.世界の非核地帯
c.一国が独自に定めたもの
 
V.結び〜草の根の連帯と世界市民〜
 
 (註)
 その他の参考文献
 図表(紛失)
 
 
 
I. はじめに
 
 二度にわたる世界大戦を経験した人類は、米ソの冷戦という危機的状況もなんとか乗り切り、もはや大国間による全面戦争はあり得ないかと思えるかのような状況に至っている。
ソ連は帝国主義が存在する限り戦争の危険は回避されないとの認識の下に、軍事力の増強を国策の最優先課題としてきた。そしてその結果、80年代には核戦力及び通常戦力いずれの分野においてもアメリカに十分対抗しうる戦力を築き上げるに至った。しかし、経済成長の低迷、石油供給力の伸び悩み、あるいは労働力の逼迫等の構造的な経済的困難にもかかわらず無理に軍事力の増強を推し進めた結果、その国家経済はついに破綻しソ連邦の崩壊を見るに至った。冷戦の一方の当事者であったアメリカも財政赤字と貿易赤字という双子の赤字を抱え、大規模な軍事費を賄いきれない状況になりつつある。
 20世紀は戦争の世紀であったと、後世の歴史家はいうだろう。しかもそれは兵士だけでなく一般の市民をも巻き込んだ皆殺しの戦争の世紀であったと。ここにそれを裏付ける数字がある。以下のデータは20世紀の主な戦争における軍人と市民の死亡者の割合である。
戦争       軍人   市民
第一次世界大戦   95%  5%
第二次世界大戦   52% 48%
朝鮮戦争      16% 84%
ベトナム戦争     5% 95%(1)
 軍人ではない後方の非戦闘員である市民が数多く死ぬ。これが現代の戦争の姿である。そして核戦争ともなれば100%市民が死ぬことになるだろう。であるから、我々は非戦闘員、地域住民の生命と暮らしの安全を守るために何を準備しなければならないか考えるべきなのである。しかし、日本においてはそのことと、国家を守るために自衛隊がなにを行うかということとは別の論理で、海上自衛隊幹部学校長筑土龍男海将によると自衛隊が防衛対象として重点を置いているのは「国土」であって「国民個人個人の生命財産」ではないと明言されているのである。地域住民の生命と暮らしを守るのは「警察、消防、医療機関」の仕事なのだそうだ。(2) このように自衛隊自身が認めている以上、非戦闘員の生命財産は自治体自らが守るしかない。
 よって非戦闘員の論理で平和活動をしていく必要があるわけであるが、地方自治体が自らそのような活動を行うは法的根拠がないわけではない。地方自治法第2条Bにおいて、その目的を「地方公共の秩序を維持し住民及び滞在者の安全、健康及び福祉を保持すること」
と明記されているのである。さらにいえば、憲法第25条の国民の生存権を法源とすることも可能であろう。
 また、1984年に開催されたマンチェスターにおける国際会議の挨拶でマンチェスターの市会議員ビル・リスビー氏が「地方自治体が平和運動に力を入れることは不思議なことであろうか?電気、水道、清掃等のサービスを提供するだけが仕事だろうか。核戦争が勃発すればそれらの仕事は一切不可能になってしまうのである。我々自治体が真にできるサービスは、なにより国際平和運動を支持し、教育を通じて子供たちにいかに隣人と仲良く暮らしていけるか、核兵器の恐ろしさをどのように伝えるかということである。」(3)と主張しているが、まさにその通りである。そのようなわけで、本論文では反戦・反核運動における地方自治体の役割について主に論じつつ、地域エゴと国民国家原理との相克についても言及していきたい。
 経済活動のグローバル化はかつての帝国主義的世界分割とは異なった形で展開し、新植民地主義という批判や、南北問題を抱えながらも世界のあらゆる場所に市場を求め、核大国であるロシアも中国も先進諸国からの資本援助なしに経済が立ちゆかないような状況にある。それゆえもはや大国間の戦争はないのではないかと考えるのは楽観的すぎるのではないだろうか。しかし、湾岸戦争により、武力による侵略行為が現代において如何に割に合わないものであるかは実証された。確かに中国や北朝鮮といった不安定要素はあるし、局地的な民族紛争や、内戦は起こるかもしれない。そうではあるがやはり戦争の世紀は終わろうとしている。だが人類には核が残されたのである。あの災厄の炎が。核兵器は「存在」する以上いつ自衛的で限定的な核攻撃が、地球の文明、生命進化にも甚大な影響を与える恐れのある全面核戦争に拡大するか分からない代物なのである。またソ連崩壊に伴う混乱は核管理と言う点で非常に危うい側面を持っている。裏ルートでテロリストの手に核兵器がわたる事態もあり得ないとは言えないのである。
 
 
II.地方から突き付けられた国家へのNO
 
 我々が地方自治体の平和活動、なかでも非核自治体宣言運動や国際的な非核地帯を問題としなければならないのは、そもそも核兵器が国際法上絶対的に違法とされてないからである。しかし本当にそうなのか。核保有国のエゴがまかり通っているだけではないのか。
そのことをまず考察してみたい。
 個人的見解としては、核兵器の使用は陸戦条約(1910年発効)にいう「不必要ノ苦痛ヲ与フヘキ兵器」の使用であり、1948年に採択されたジェノサイド条約にも違反していると思われる。もちろんこのような見解は核保有国の支持するところではない。しかし、1996年、国連の国際司法裁判所(ICJ)が国際司法の初の判断として勧告的意見を示した。
 1996年7月8日にICJが、核兵器使用に関して国連総会と世界保険機構(WHO)に対して示した見解の骨子は次の通りである。
◇国連総会の要請に対し
1、国際慣習法上も条約上も、核兵器の威嚇または使用を認めたり包括的に禁止したりしたものはない。
1、核兵器の威嚇または使用は、一般的には武力紛争に適用される国際法、特に人道法に反する。
1、しかし、国家の存亡にかかわるような極限的な自衛状況での核兵器による威嚇や使用が合法か違法かについて、明確な結論は出せない。
◇WHOの要請に対し
1、WHOは公衆衛生、健康を扱う専門機関であり、要請の内容は、その活動内容に含まれない。(4) 
 このICJによる勧告的意見の中の国家の存亡にかかわるような極限的な自衛状況においての核兵器による威嚇または使用に対する判断回避は反核の立場からは不十分であるという見方も存在するだろう。しかし、これには未来を明るくするような反対解釈が存在する。
 つまり、他国を存亡の淵に追い込むような侵略行為をしなければ、自国への核兵器の使用の違法性を訴える事ができるのである。法の遡及適用はできないが、これを広島・長崎の原爆に当てはめてみれば、存亡の危機にあったのはむしろ日本であって、アメリカは戦後の世界戦略の青写真を描きながら楽勝できる状況で核兵器を使用したこととなり、違法であったということになろう。
 かわって、WHOの要請を門前払いとしたことは遺憾なことであった。それは反核運動に新しい切り口を示すものだったからである。全面核戦争ともなり、かなりの量の核兵器の応酬がなされれば、カール・セーガン博士の指摘するように地球は「核の冬」にみまわれ、人々の健康に多大な影響をもたらすであろうし、限定核戦争の場合でも、関係のない第三国に放射能汚染の影響が及ぶことは必至であろうと思われ、それは十分WHOの管轄することになりうるはずである。
 さて、この ICJの勧告的意見に先立つ、意見陳述において地方から中央に対してNOという意見が示された。日本政府は「核兵器使用は国際法上違反とは言えない」との判断を示す陳述書をICJに提出する準備をしていたが、政治問題化するや急いで「国際法上違反と言えぬ」の部分のみ削除した。これは、唯一の被爆国の政府とも思えぬ対応であっった。これに対し、広島・長崎の両市長は法廷において「核使用違法」の陳述を行い大きな関心を集めた。地方自治体の首長が中央政府と全く異なる主張を展開したのである。両市とも被爆地としての感情や責任もあろうからエゴという言葉は使いづらいが一種の地域エゴの吹き出した局面ということができるだろう。政府としてはアメリカの「核の傘」の下にいる関係上、対応に苦慮したところであろうが、両市町の毅然とした対応を見習って欲しい。
 沖縄の基地問題においても地域エゴの噴出を見ることができる。もちろん「エゴとは何だ。沖縄は全国の75%もの米軍基地を押しつけられて虐げられ続けてきたんだ。」という声もあるだろう。しかし、しかし、住民自治の正当な現れとして、従来否定的な脈絡で論じられてきた地域エゴを敢えて認め再評価する必要があるだろう。沖縄では住民投票条例を可決して直接民主制の手法によって基地へのNOを示した。これは議会を無視するものとの批判はあるが、憲法と同時に施行された地方自治法、従来ほとんど注目されなかったこんな条文がある。
 〔町村総会〕
 第94条 町村は、条例で、第89条の規定にかかわらず、議会を置かず、選挙権を有する者の総会を設けることができる。
 なお、第89条とは議会設置の条文である。
 町村総会とは、スイスに見られるような有権者全員が参加する直接民主主義である。議会にかえて、こうした制度を選択する自由を法律自体が認めているのだ。この精神に照らせば住民投票は憲法で認められるどころか、主権在民の具体化でもあるのである。
 とにかく、沖縄市の太田知事といい、広島・長崎の両市町といい、硬直した国政に対し、
地方自治体がNOを叫び始めたのである。特に沖縄の基地問題については、単に爆音が五月蝿いとかからとか、実弾射撃演習が危険だからという理由や、米兵によって治安が悪化するからという理由だけからだけでなく、沖縄の基地から出撃した部隊による戦闘行為によって沖縄が戦争に加担することに対してもNOを表明しているのである。
 
 
III.市民や自治体は平和のために何ができるのか
 先にも述べたように各地方自治体は、住民の生存、健康、幸福を確保する責任を負うのでありそれこそが最大の行政サービスである。そして、非核・反核政策が中央政府だけの専管事項ではなく、住民にとってもっとも身近な行政機関である自治体にとっても、重要な課題であることを再確認する必要がある。そのために自治体は平和都市宣言や非核都市宣言を決議するのであるが、これらはできる限り実効性を伴うものでなければならない。
 例えば、愛媛県松山市では1958年12月15日に「世界連邦平和都市宣言」なるものを市議会で決議しているが、これなどはたった三行の宣言で、「人類の平和と福祉を希求」し「永久平和の確立」を目指しているが、「世界連邦」なるものがどのようなものであるか全く定義づけされておらず、正しく画餅であった。
 よってここでは、自治体が平和のために具体的にできることを採り上げたい
 
 a.非核自治体運動
 まず採り上げるべきは非核自治体運動であろう。これは「核」を人類の生存への脅威であるとして、地方自治体が反核の意志を議会を通じて表明するものである。1958年6月に愛知県半田市が最初に行ったが、あまり展開せず、しばらく忘れられていた。ところが、1980年、驚くべき事に核保有国であるイギリスのマンチェスターとバーミンガムの両市議会が非核宣言を表明して以来、逆輸入の形でこの運動は急速に広がった。この運動は驚くほどの成功を収め、世界規模での平和運動の主要な部分を担うほどになり、このような平和運動それ自体が平和を作り出す一部となっているのである。
 自治体が非核自治体運動に取り組む端緒としては大まかに言って、次の四つが考えられる。
 (i)首長が首長自身の責任で行政府として宣言を行うか、議会に諮った上で公示するというもの
 (ii)議会あるいは政党レベルで事が運ばれ、その決議を受けて首長が行政府として宣言を行う場合
 (iii)すでにある市民団体や労働組合組織が請願・陳情その他の手段によって首長や議会に働きかけて、それを実現していったもの
  (iv)新たに「超党派の草の根」の原理をたてて、そのための組織を作り、広く請願署名運動を興して目的を達成していこうというもの(6)
  (i)(ii)の場合には、全てというわけではないが、宣言の実現が市民のいわば頭上で、あるいは頭越しに行われるためか、宣言の後に運動が継続されておらず、いくらか誇張していえば、紙切れ一片だけが残されるケースが多い。運動が宣言後も継続し、様々な創意や工夫を重ねているのはなんといっても(iv)の場合である。
 ところで、イギリスにおける非核自治体運動においては、それが反原発運動とも結び付いているのが特徴であるが、日本においてそれは見られない。おそらく反原発まで視野に入れていたならば、自民党議員の大きな反発にあってこの運動は大きな広がりを見せることはできなかったであろう。日本において特徴的なのは、国是である非核三原則の堅持、あるいはその法制化の要請が必ずと言っていいほどその宣言の中に盛り込まれている点である。
 非核三原則は、国権の最高機関である国会が佐藤政権下の1968年、決議採択したのであるが、それを地方自治体が改めて堅持を求めるということの背景には、非核三原則の「核を持たず、作らず、持ち込ませず」のうち、「持ち込ませず」という原則が形骸化しているという懸念があるからである。「事前協議の申し入れがない以上、核兵器は持ち込まれていないと信じる」という見解であるが、アメリカ政府は在日米軍に関して、「核兵器の存在を否定も肯定もしていない」のである。しかし、有事において即応性を発揮するためにわざわざ日本に基地を確保しているのに、核を装備していないということがあるだろうか。百歩譲って日本国内に地上配備してないとしても、しばしば日本に寄港する第七艦隊の水上艦や原子力潜水艦は有事の際そのままの装備で戦地に赴くことが予定されている以上、普通に考えれば核兵器が配備されていると思わざるを得ない。また実際1974年、ラロック前米海軍提督がアメリカ議会で「日本に寄港する艦艇は核兵器を外さない」と証言したことは注目に値する。
 このあたりに非核三原則を国是としながらも、未だ法制化されない理由があるのかもしれない。正式な法律となれば監査を含め、核兵器の不存在の証明を米軍に求めざるを得なくなる。日米安保の絡みから政府もそこまではしたくないのであろうか。
 これに対し、1975年3月18日、神戸市議会本会議は「核兵器積載艦艇の神戸港入港拒否に関する決議」を全会一致で採択した。決議を受けた市当局は外国艦艇が神戸港に入港する際「非核証明書」の提出を求め、提出のないものは入港を許可しないこととした。神戸市港湾局によると、同年4月のカナダのフリゲート艦「クアベル」以降、1985年6月までに神戸港に入港した外国艦艇(7カ国、16隻は)全て「非核証明書」を提出した。一方、1974年まで頻繁に入港していた米艦は一隻も来なくなったというから、それまでの核持ち込みを間接的に証明する事となった。この試みは「非核神戸方式」と呼ばれ地方自治体による非核運動が極めて大きな実効性を発揮した例であり、現在「非核神戸方式」導入を検討している他の都市のモデルとなっている。
しかし非核自治体運動にとっては、非核三原則、中でも「持ち込ませず」を実践するだけでは、十分とは言えない。なぜなら核戦争は核弾頭や、ミサイルなどの運搬手段だけで戦われるわけではないからである。核戦争を遂行するにはそれらに加えて、電波通信システムが必要なのである。これは米軍においては、「指揮(Comand)、管制(Control)、通信(Communication)、諜報(Intelligence)のシステム」と呼ばれ、頭文字をとって「CI(シー3乗アイ)システム」と略称されている。日本の米軍基地もアメリカの核戦略に基づく全世界的なCIシステムに組み込まれ、対馬のオメガ局、そして北海道の十勝太や硫黄島や南鳥島や沖縄の慶佐次のロランCという施設など爆撃機や潜水艦などに核発射命令を伝えたり、敵の交信を傍受したりするための電波基地が各地に多く設置されているのである。これらの施設はいざ核戦争となれば真っ先に標的にされるものである。よって、非核自治体運動においては攻撃目標となりやすいこれらの施設を撤去させると共に、核兵器の他に、化学兵器、生物兵器といったいわゆる「大量破壊兵器」や大陸間弾道弾(ICBM)、長距離爆撃機、航空母艦など明らかに他国に攻撃可能な兵器に対象を絞ってその配備を拒否すべきである。なぜなら万が一戦争が勃発した場合、最初に敵から攻撃される恐れがあるからである。また、非核三原則に加えて、それぞれの自治体の区域から発射命令を出させない「発射させず」という原則を加えて運動すべきである。これは日本国政府についても同じ事で、非核を国是とし憲法に平和主義を掲げる以上専守防衛の範囲を超える極めて攻撃的な核兵器の運用に携わるような施設の存在を認めるべきではない。
 また、使用済み核燃料からプルトニウムなどを取り出す、日本初の商業用再処理工場の建設が進んでいる青森県上北郡六ヶ所村の議会は、核兵器の原料に転用可能なプルトニウムが同村に日本で最も多く備蓄されることに鑑み、「核兵器の製造と所持を永久に禁止することを憲法に明記すること」を国会に促す決議を満場一致で採決しているアジアにおいて日本の軍事大国化や核武装が懸念されているされている昨今これは重大な意味を持つであろう。
 日本において「非核自治体」という考え方が急速に普及するのは、1982年の国連軍縮特別総会の前後からのようである。56ページ以下の図1、2、3を見ていただければお分かりのように市町村どのレベルの自治体においてもその後1985年を中心に一大ムーブメントが巻き起こされている。また、1995年現在における自治体数ベースによる非核自治体の割合は、東京23区を含む市議会においては74.9%、町議会においては46.2%、村議会においては36.7%である。(立命館大学国際平和ミュージアムのデータバンクによる)これにより都市部ほど核兵器の標的とされる恐怖感をうかがい知ることができる。とは言え、第二回非核自治体全国草の根交流大会における報告によると、日本国内の非核自治体、人口比で77%の1986自治体に及んでいる。(7)保守勢力が多数を占める地方議会においても、反核平和を求める市民の声をもはや無視できなくなった形であるといえよう。また、12の県議会が地域の非核化を宣言している。日本においてこの運動は地域において偏りが大きい。政党支持においては地域的偏りの少ない日本としては珍しい事象である。例えば、香川県、長野県、大阪府、鳥取県、岡山県のように府県下の全市町村が非核宣言をしている地域もあれば、青森県のように県下の市町村の12.1%しか非核宣言をしていない地域もあるのである。
 かわって世界に目を転じれば、1984年4月にイギリスはマンチェスターで第1回非核自治体国際会議が開催されている。この会議は1985年3月に第2回目がスペインのコルドバで、1986年10月には第3回目がイタリアはペルジアで、そして1992年にはアジアでは初めて第6回目が開かれており、着実な進展を見せている。また1985年8月に広島で第1回目が催された世界平和連帯都市市長会議も、その趣旨は同じである。
 非核自治体運動において肝要なのは、各自治体の横の連帯によって国家政府を包囲することである。しかしながら外国の事はともかく、日本ではこの運動を全体として見るとき1984年に我が国初の非核宣言自治体の全国規模の恒常的な連絡組織である「非核都市宣言連絡協議会」ができたとはいえ、まだ参加自治体が少なく、バラバラの形で展開されているというのが実情である。是非とも各非核自治体の反核の叫びをこの協議会に結集して欲しいところである。
 次に重要なのは、非核自治体宣言の現実的有効性である。150万人を超える多数の署名を集め、知事提案により成立した「神奈川県非核兵器宣言」は、その後直ちに英語、ロシア語、ドイツ語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語、中国語、アラビア語のに翻訳され、知事が核保有の在日大使館を訪問し、各国大使に会見した上で当時のアメリカのレーガン大統領、ソ連チーホノフ首相、イギリスのサッチャー首相、フランスのミッテラン大統領、中国の趙紫陽首相にそれぞれ宛てた親書と共にこの宣言文を伝達した。またデクエアル国連事務総長へも、国連軍縮委員会、ジュネーブ軍縮会議へも公式に親書を添えて伝達している。これに対しソ連チーホノフ首相、デクエアル国連事務総長はじめ各国から六通の返書が届いているというから、神奈川県が非核県として各国によって国際的に公式に認識された事となり、その意義は大きい。(8)全国各自治体の非核宣言も是非少なくとも世界の核保有国と国連にむけて公式に伝達することがその実効性を担保するために必要であると思われる。
 しかしながら、現在、非核自治体運動は今日的課題を抱えているといわれている。この運動は既に歴史の一部になっているという言い方もできる。確かに日本には都道府県、市町村あわせて約3300の自治体があるからまだまだ運動が拡大する余地はあろう。しかし、今、現実に起こっている事態は、既に非核宣言を行った世界中の数多くの自治体が、それでは次にそれでは次に何をするべきか模索し始めているということである。見方によっては非核運動は、非常に否定的な色彩を持った運動である。なぜなら既に世界に存在する核を否定し根絶しようという運動であって、何か新しいものを社会に付け加えようとする運動ではないからである。
 また、非核運動がなかなかヒロシマ・ナガサキを超えられないというのも問題である。
およそまともな神経を持った人間ならば、誰でも核兵器の使用に反対するのは当然である。したがって世界に向かって如何に核が悲惨なものであるかということを声高に叫び続けるだけでは不十分なのである。感情的には、恐らくは理性においても「人類と核は共存できない」と感じながらも核兵器を廃絶するに至らないというこの不条理を如何に解決するかという、もっと建設的な方策が模索されるべきなのである。だが、反核をいうなら日本の過去の戦争における加害責任ついても明らかにしなければアンフェアとの謗りは免れ得ないであろう。
 
 b.姉妹都市運動
 次に注目すべきは自治体による姉妹都市運動である。国内の自治体同士でそのような活動をしているところも見受けられるが、そのほとんどが海外の自治体との姉妹都市提携を行っているのだから、この運動には自治体の国際化という契機が含まれることとなる。
 他の国に姉妹都市をつくり市町村間の縁組を進めるこの運動は、戦後盛んになった。それは、悲惨な戦争で深い傷を負ってしまった枢軸国と連合国の間に友好関係を結ぶという使命があった。そのためには政府間で友好平和条約を締結することも方法の一つではあるが、もう一つには、数え切れないほどの人々が国境を越えてともに集い、出会い愛し合うことが事が大切なのである。こういう草の根の交流には自治体レベルが適しているであろう。初めのうちは都市部の自治体で盛んであったが、この傾向は現在では変わりつつあるようである。
 国際親善都市連盟によれば少し古い数字ではあるが、1989年4月1日現在、日本の都市と外国都市との姉妹縁組総数は628にのぼり、提携自治体は282市(東京の8特別区を含む)122町13村で、相手国は42ヶ国・地域に及んでいる。その他に34都道府県も自治体間の姉妹縁組を行っている。
 姉妹自治体運動において肝心なことは、自分の住む町内の顔なじみと争いごとを犯さないように、お互いが世界という町内に住む隣人であるという意識を涵養することである。
 そのためには、単に市長が相互に訪問して親善を祝ったり、例えば「市の鍵」のようなシンボルを交換したりするセレモニーだけに留まらず、相互主義に基づく良識的で具体的なビジネスの関係を結ぶことも非常に重要な要因である。公平で健全なビジネスの関係を結び、経済と貿易を振興する事無しには、平和を築くことは出来ないのである。経済的な依存度を相互に高めていけば、相手と戦争をしようなどという考えは起こらないであろう。武力によらず相手を無害化することは大切なことであり、経済は平和に対して致命的な重要性を持っているのである。
 それゆえ、国家間あるいは企業間だけでの通商関係だけでなく、直接自治体間の通商関係を築くべきであろう。また、このような運動は、単に戦争が無いだけの「消極的平和」を求めるばかりではならない。現在の国際関係、より正確にいうなら国家間関係は、大国に中小国が、また先進国が発展途上国が従属するような「支配−従属」という縦のつながりを基本として成り立っている。そして、支配的な立場にある人々に比べて従属的立場に置かれている人々が著しい不利益を被っている状況が「構造的暴力」の存在と呼ばれている。このような国家と国家が上下の関係で繋がっているという傾向の強い現在の国際関係の中で、「国家」という枠組みに捕らわれず、もっと平等な立場で人々が交流する手段として姉妹都市運動があるのである。それは単に儀礼的、象徴的なものに留まったり相互にちょっと変わった文化を紹介しあうだけにだけに終わらず、自治体が主体、もしくは仲介者となって、「対等、平等、公正」な経済関係を築くべきなのである。これによってこそ「構造的暴力」のない「積極的平和」を達成することが出来るのである。
 そして、先に述べた非核自治体宣言を要件として姉妹都市縁組みを結ぶことも有効であろう。国家政府に出来ないことは、自治体による草の根の民際外交でと縁組というわけである。
 実際、姉妹都市による自治体外交が重要な働きをした例がある。フランスの核実験再開に対してオーストラリアのブリスベーン市は、フランスの姉妹都市に対する姉妹都市協定の破棄で実験反対を意思表示したのである。
 また国家間の問題が姉妹都市縁組に影を落とす場合がある。1996年5月に広島市と姉妹都市提携する準備を進めていた韓国・大邱市が、「竹島の領有権をめぐって対日関係が悪化していることが原因」で、広島市に提携延期を申し入れたのである。(9)そのような時期であるからこそ、自治体レベルでお互いの理解を深めるべきであったのに、大変残念なことであった。そのような中で敢えて自治体レベルでの友好を深めることができたならば地域エゴの良いほうへの発現となり得ただろう。
  しかし、そのように自治体が独自に自治体外交を進めることを中央政府は嫌がるかもしれない。だが、国として統一した見解があるということは、そんなにすばらしいことなのであろうか。今まさにEUでは「我々はどのようにしてEUとして意見を統一してゆけるだろうか」という問題が持ち上がっている。またアメリカ合衆国においても同様に「我々はどのようにしてアメリカとして意見を統一してゆけるだろうか」という問題が存在している。一体いつから「一つの意見の存在しか許されない」ということが、民主主義の規範となったのであろうか。反対意見の存在が許されないということは独裁制の規範ではないだろうか。
 
 C.文化財の保護
 文化財の保護が平和のための運動になるということは即座には理解しがたいかもしれない。しかし、アジア・太平洋戦争において、京都市がその歴史的文化財の多さから、空襲による戦禍を免れたのは有名な事実である。そして現在では貴重な文化財を戦禍から守るための文化財保護のマークが定められている。戦時に保護されるべき対象とされている文化財は次のとおりである。
 (1)各国民が、受け継ぐべき文化的資産にとって多大の重要性を有する以下の動産、不動産、建築上、歴史上、芸術上、歴史上記念すべきもの(宗教的であると否とを問わない) @考古学的遺跡 全体として歴史的または芸術的に意義のある建物群
 A美術品 芸術的、歴史上記念すべきもの歴史的または考古学的に意義のある書跡、書籍その他の物件
 B科学的収集、書籍もしくは記録の重要な収集または前掲の財の複製品の重要な収集
 (2)前記文化財を保存・展覧することを主目的とする博物館、図書館、記録保存所その他の建造物、前記の動産文化財を武力紛争のさいに防護するための避難施設
 (3)前記(1)(2)の文化財が多数ある文化財集中地区(10)
 そして、「特別保護文化財国際登録簿」に登録された特別保護文化財は戦時に国際管理下で攻撃を禁止されている。
 よって、自治体が文化財の保護に力を入れることは、その地域の安全を担保することになるのである。
 d.無防備地域宣言
 戦争は人権否定の最大のものと位置づけられ、不幸にして戦争になった場合でも、最低限の人権保障をどう担保するかということで、1949年にジュネーブ四条約がつくられ、さらに70年代に入って大きく改善され、国際的武力紛争、非国際的武力紛争の犠牲者の保護を強化するために、それぞれ「ジュネーブ条約追加第一追加第一議定書」及び「同第二議定書」がつくられた。
 第一議定書の「無防備地域」の規定には、国家利益保護第一主義から一般住民保護最優先主義に変わった第一議定書の精神が典型的に示されているといると言える。
 日本では、無防備地域というと、多くの人から、いわゆる非武装中立の地域版と受け取られてしまうが、ここで言う「無防備地域」は、第一議定書の第5章「特別の保護を受ける地域及び地帯」の一つとして、第59条に規定された無防備地域のことである。
 無防備地域には、以下の四つの条件が満たされていなければならない。
 @すべての戦闘員、移動兵器、移動軍用設備が撤去されていること
 A固定した軍用の施設・営造物が敵対的目的に使用されないこと
 B当局または住民により敵対的行為が行われていないこと
 C軍事行動を支援する活動が行われていないこと(11)
 そして、前記四条件を満たしている限り、「無防備地域」を攻撃するすることは「手段のいかんを問わず禁止」(第59条)されている。そればかりか同地域への攻撃は同議定書第85条によって、「戦争犯罪と見なす」と厳しく規定されているのである。
 第59条によれば、「無防備地域」を設定する方法は二つある
 一つには、紛争当事の国自身が設定する場合である。この場合は四条件を満たされていなくとも、相手国との取り決めで、「無防備地域」を設定できるのである。
 地方自治体に関係あるのは今ひとつの設定方法である。それは、紛争当事国の、国でない「適当な当局」(appropriate authorities)が設定する場合で、「適当な当局」が一方的に無防備地域を宣言して相手国に通告し、相手国はその受領を通報、、四条件が満たされている限り「無防備地域」として取り扱うのである。この、国以外の自治体などが「無防備地域」を設定できるということの意義は大きい。当初、赤十字国際委員会の原案では、宣言、合意のいずれの場合も国のみが設定当事者とされ、「適当な当局」の文言は無かった。だが討議を経て採択された条文では、国以外の「適当な当局」がその主たる設定当事者として加えられたのであり、この「適当な当局」に地方自治体が入ることは明らかである。 このように「適当な当局」、その一つである地方自治体が、国とは別に、「無防備地域」を宣言する主体となっている点に一般住民保護最優先主義の考え方が示されているといえる。ヨーロッパのような、都市国家から始まる自治体概念の薄い日本では軽視され気味だが、地方自治を謳った憲法下、極めて重視すべき規定である。
そして、この規定によって、戦時において集団的な戦争不参加が保証されているのである。自治体管轄下の一般住民の生命、財産を戦禍から守るために、自治体が「無防備地域」を宣言することは、言うならば戦争非協力宣言に他ならない。従来の考え方からすれば、裏切り行為、利敵行為そのものである。それを第一議定書は一般住民保護最優先の立場から、利敵・裏切り行為でも不名誉な行為でもなく、条約上の権利として保障しているのである。もちろん無防備地域を宣言したからといって侵略軍に何らかの便宜を図らねばならないわけではない。「適当な当局」である自治体が指揮を執って集団的な集団的なサボタージュなどを行い、侵略軍に対しても戦争非協力を貫くことは出来るだろう。
 
W.国家や国連が主体になっての反核への取り組み
 
 これまで、地方自治体による平和運動や非核運動を見てきた訳であるが、特に反核についていえば、国家を主体とする国際社会も手をこまねいていた訳ではない。自治体による平和運動や非核運動と比べるためにも、ここではそれらによってどのような取り組みがなされてきたのか見てみたい。
 
 a.世界規模の多国間条約による核軍縮の試み
 まず、二国間条約ではあるが、米ソ両国が批准し1988年に発効したINF(中距離核兵器)全廃条約について触れておきたい。それまで核軍拡一辺倒であった限定されたものであるとはいえ、初めて全廃に合意したことは、核全廃に向けての大きな一歩ということができるだろう。
 そして、世界的な核軍縮の先駆け核拡散防止条約(NPT)がある訳であるが、これと、同じ大量破壊兵器である化学兵器に対しての化学兵器禁止条約とを考え合わせるとき、この二つの条約に核保有国の核保有国の国家エゴが端的に表れていることを見て取ることができる。NPTは米英中仏ロの5つの核保有国の核兵器の核を合法化し、核非保有国との間の差別を固定化するもので、1995年4月17日から5月11日までニューヨークで開かれたNPT再検討・延長会議でも無期限延長か一定期間延長かをめぐって論争が繰り広げられた。その結果、第三世界の核非保有国の強い反対と厳しい批判にもかかわらず、無条件・無期限延長を投票無しの全会一致で決定した。
 そのようにして核非保有国が核兵器を持つことを封じ込めておいて、貧者の核兵器と呼ばれる化学兵器禁止条約である。化学兵器の是非はともかく自分たちには核があるが、お前たちは何も持つなと言うのではあまりに公平を欠く。アラブ諸国が、イスラエルがNPT未加入であることを重視し、中東地域の安全保障の観点から対抗上、化学兵器廃絶には直ちに同意できないとするのももっともなことである。核保有国がこのような態度である以上、核保有国の国家主導による核廃絶はあまり期待が持てないようである。
 先頃採択された包括的核実験禁止条約(CTBT)については、新たな核実験を制限することができ、核兵器全廃に向けてまた一歩を進めることが出来るであろうが、アメリカやイギリスがコンピュータによる核実験のシミュレーション技術を完成させた後であるので、またもや先行国有利といった状況でありそういう理由で、インドの抵抗などによって採択が危ぶまれた。
 国家主体の核軍縮としては、最低でも国際法の相互主義に基づいて核兵器の使用に対して
核兵器による報復能力の無い国家に対しては、核兵器を使用しない事と核兵器の先制不使用を条約化するべきである。前者について言うならば、核戦争をするならば、どうか核保有国の間だけでやってくれということであり、核を持たない国家に対しては、ありは非核を宣言した自治体に対しては安全を保障して貰いたいと言うことである。またなれば、自国が核兵器を保有するかぎりその国の市民は常に核攻撃の危険に脅かされることになり、そのような政府を市民は支持しなくなるであろう。しかし、核兵器使用の地球環境に対する影響を慮れば、核非保有国も籠の外におらず積極的に核廃絶を目指さなくてはならないだろう。
 
 b.世界の非核地帯
 核兵器を地球上から無くそうという声は世界各地に広まっており、1978年第1回国連軍縮特別総会は、軍縮の重要な一つとして非核地帯を置こうと呼びかけた。これまでに国と国との条約として非核地帯の設置を宣言したものには南極条約(1967年調印)、ラテン・アメリカ地域をカバーするトラテロルコ条約(1967年調印)、オーストラリアとニュージーランドを含む南太平洋地域のラロトンガ条約(1985年調印)、ASEAN各国の合意による、東南アジア非核地帯条約(1995年調印)、アフリカ全域の非核化を謳うペリンダバ条約(1996年調印)があるが、これらの地域内では核兵器の実験、使用、取得、貯蔵、配備などが行われないことが約束されており、締約国に対する核兵器の使用と威嚇を禁止した議定書に米英中仏ロの5核兵器保有国が署名することにより実行力が発生する。この他に1972年に効力が発生した海底非核化条約というものがあるが、これにはフランスが加盟していない。それ故にフランスはムルロア環礁における海底地下核実験の挙に出ることが出来たのである。また、1971年の国連総会決議は、インド洋を平和地帯と宣言し、そこからそこから軍事基地や核兵器その他の大量破壊兵器などを取り除くことを求め、将来国際条約が締結されることを希望したが実現に至ってない。
 ところで、ペリンダバ条約などは、南アフリカ共和国が核開発正式に放棄したからこそ成立したようなもので、こういった広域的な非核地帯は、域内に核保有国や、インドやパキスタンのような核武装疑惑国を抱える場合には、成立は難しいようである。
 北東アジアについていえば、日本の非核三原則と朝鮮半島非核化共同宣言を生かして北東アジア非核地帯条約を結ぶ道もあるだろうが、そのような政策アジェンダは設定されていない。それはなぜか。やはり日米安保が足かせになっているのであろう。日本がアメリカの「核の傘」の下にいる限り、いくら非核三原則を掲げても非核地帯条化することは出来ないのである。しかし、アメリカ国民は日本に対する核攻撃の報復攻撃の、自国に対する再報復を容認する覚悟があるのだろうか。日米安保否定するものではないが、核抑止論とは切り離して議論すべき時期が来ているのではないだろうか。
 
 C.一国が独自に定めたもの
 一国が独自に非核を定めたものとしてはニュージーランドの非核法制を例としてあげることができる。これは、草の根の「非核地帯」作りが盛んであった所に、1984年の総選挙で核艦船の寄港拒否を掲げるロンギ労働党政権が誕生した事により国ぐるみの運動となったもので、非核運動としてはモデル的なものであった。
 また、80年代に世界に先駆けて「非核憲法」を制定した西太平洋の島国ベラウ共和国は世界で唯一非核条項を憲法に持つ国として非核運動家の注目を集めた。しかし、国連による世界最後の米信託統治領であった同国は、米国と「自由連合協定」を結び、同協定下でアメリカから経済援助を受ける見返りとして軍事・防衛権をアメリカにゆだねるが、自治権を獲得するということを決する課程で国民投票により、1993年、憲法の非核条項を凍結してしまった。「非核よりドル」を選んだのである。その結果、西太平洋に軍事的にフリーハンドのきく拠点を欲していたアメリカの思惑通りになったのである。確かに国民投票によってパラオの人々が人々が選び取った結果ではある。しかし、一国の国民が平和への願いを込めて憲法に盛り込んだ非核条項を、経済援助をちらつかせて踏みにじる、それが民主主義の古い伝統をもち、自由主義社会の盟主を自任するアメリカの正義であろうか。
 
 
V.結び〜草の根の連帯と世界市民〜
 
 平和運動、解くに核廃絶について地方自治体によるものと国家によるものを見てきた訳であるが、果たしてどちらが主体となるべきであろうか。核非保有国の地域における非核地帯設定においては国家の主導性は大変有効であった。しかし、硬直した核保有国においては国家主導による核廃絶は、遠い道程のようである。だが、非核自治体運動の巨大な波が核保有国であるイギリスから始まったことを銘記して欲しい。首都であるロンドン市までが非核自治体なのだ。また同じく核保有国であるアメリカでも、1990年3月現在で、168自治体、1668万12人の人口を抱える自治体が非核自治体なのである。(12)核廃絶のために現在の政府や国連に、ほとんどそれが期待できない以上、いや現在の政府や国連の姿勢をかえていくためにも、世界の草の根の市民が決起して事を進めていく以外どんな方法も残されていないのである。
 中央では非核三原則以上のものが出てこないという現状で、地方においてより絶対的な非核が宣言されるということはどういうことであろうか。これはつまり地域住民の生命、財産に直接かかわるような問題に対して地域エゴが現れているのである。しかし、しかし、非核自治体宣言は日米安保体制とは矛盾した内容を持っている。非核自治体宣言はなにも革新自治体のみにおいて採択された訳ではないから多くの自民党の地方議員が中央の政策とねじれた決断をしたことになるであろう。個々の個人を国民という形で抽象化し、個々の個人のエゴを公共の福祉のもとに調整するのが国民国家の原理の一つであるが、もはや個人のエゴとはいえない地域のエゴ、即ち地域の公共の福祉と国家の公共の福祉が衝突するときそれはどう調整するのかは、極めて重要な問題である。
 そうであるからこそ、地方自治体は平和運動という普遍性の高い運動を進めるにあたって中央政府に遠慮しないで欲しい。はじめに国家があってそれが細胞分裂して国民になるのではなく主権を持った市民が集まって国家を構成する以上、地方自治体は、市民の主権をまず第一に預託される機関としての誇りと責任を持って欲しいのである。そして我々の側も国民である前に、誇りと尊厳を持った主権者であるという自覚が必要なのである。そして国家意識を超えて草の根の世界の人々が連帯するとき、我々は世界市民として意識革命出来るのではないだろうか。さらに言えば、個人とか市民とか国家というなではなく、”人類”という名においてのみ歴史はとぎれなく存在し、我々は”人類”という名においてのみ未来を語ることができ、”人類”という名においてのみ”我々”という言葉は存在するのである。
 現在「国家」と呼ばれる存在は、比較的新しく形成された。日本で「国民国家」という存在が意識されたのは明治維新以後であった。ヨーロッパでは「都市国家」と呼ばれるものが存在していた。一般的に言って国民国家の出現は、平和にとって大きな災厄であった。この国民国家というものは、人々を動員し、戦争を遂行するのには誠に都合の良い仕組みを持っている。よって国家が統合されて大きくなればなるほど、その国家はより大規模な戦争を遂行できるようになるのである。
 要するに現在「地方」と呼ばれるレベルこそが、人類の歴史においては人類の歴史においては、通常の人々の活動レベルであったのである。もちろん、人々が地方レベルで活動することが、即、平和を保障することには繋がらない。しかし、ここで重要なのことは、「地方」という現在の国家に比べて小さな単位で人々が活動している限り、たとえそこに戦いがあったとしてもそれはごく小規模なものになるであろうということである。もちろん政治・経済のグローバル化の進んだ今日においては、人々を狭い「地方」に閉じこめておくことはできない。しかし、一人一人自由であるべき人間が自らの自由を守る権利を国家の保護の下に行使すれば、必ず国家間の戦争を生むのである。そうであるから、兵権を持たない地方自治体の横の連帯こそが大切になってくるのである。
 地方自治体が平和運動、特に特に非核自治体運動を通じて反核を訴えることは、一つ大きなメリットがある。それは、左翼的思想偏向者と見られることを恐れて、共産党系の原水協や旧社会党系の原水禁に参加できなかった市民の受け皿として機能しうる点である。地方自治体が主体となる以上、その点では市民は安心して運動に参加することができ、さらに多数の市民を動員しうるだろう。
 しかし、平和運動が核軍縮のみを問題にして通常兵力の包括的削減を訴えないのは誠にナンセンスである。核兵器は人道法に反すると言うが、そもそも人道にかなった兵器などあり得ないのである。
非核自治体運動やその他の自治体による平和運動を通じて地域の安全性を高めるためには、まず市民一人一人が自分たちの利益を守るために、はっきりと自分たちの意見を政府や自治体に対して主張するという態度が不可欠である。そして、これが、反戦・反核の運動の進行は民主化の進行であるということの理由に他ならないのである。
 
 
 
(註)
(1)西田勝編「非核自治体運動」の理論と実践」(オリジン出版センター、1985年)78頁
(2)「海幹校評論」71年9月号及び73年5月号。
(3)西田、前掲書、77頁
(4)朝日新聞 96.7.9
(5)朝日新聞 96.11.2
(6)西田、前掲書、20頁
(7)朝日新聞 96.8.5
(8)西田、前掲書、75頁
(9)朝日新聞 96.4.16
(10)林茂夫「戦争不参加宣言 国際人道法が保障する自治体にできる平和保障」
(日本評論社、1989年)、4頁
(11)林、前掲書、23頁
(12)ゴードン・C・ベネット; 西田勝訳(筑摩)書房、1993年、312頁
 
その他の参考文献
 三鷹市・ICU社会科学研究所編
 「市民・自治体は平和のために何ができるのカーヨハンガルトゥング平和を語る」
 (国際書院、1991)、195頁
 
 恒松制治編著「連邦制のすすめ 地方分権から地方主権へ」、
 (学陽書房、1993年)、217頁
 
 編集代表山本草二「国際条約集1994年版」、(有斐閣)、666頁