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メリケン・ジルバ

第一章 セルロイドの酒場


 潮風で千切れかかった組合のアジビラを電柱から剥がし、紬かく裂いて風に乗せた。近くのケミカル工場から
川に捨てられたビーチサンダルの抜き型が、夜光虫で青白く光りながら、桟橋の下の暗闇に吸い込まれていった。



 ケンは剥げたビットを軽く足で蹴ると、突堤中央部のモルタルの建屋に向かった。ケンがアパートの鍵を事務
所の机の上に置き忘れていたことに気付いて、沖掛かりの船への通船が発着するこの突堤に戻ってきたのは、通船
の最終便が出る時間だった。



新聞のインクと煙草とアクアビットの臭いが抜けない二階の事務所を降り、建物の角に宿り木の様に隣接したバー
のスィング・ドアの前を通り過ぎようとした時、ふといつもとは違う雰囲気を感じた。それは、毎夜のように
繰り広げられる各国の船員たちの罵声や唄声でもない。また女たちの嬌声や、チップが少ないとわめく声もない。
鼻をさす腋臭や安煙草の臭いが外まで漂ってこない酒場は、セルロイドの肌を思わせる光沢の中、静まりかえって
いた。



腰を屈めて、通船のモヤイをゆっくりと外しながら、通船の船長からの「先に帰っていいぞ」という言葉を期待
して待っている綱取りのキーヤンの姿も見えない。全てが静かであった。岸壁に波の打ち返す音と、街中から時折
伝わってくる車のクラクションが、時たま夜の港の静寂を破った。


 スイングドアが微かに揺れ、酒瓶が整列したバックボードを、人型に切り取った黒い影が見えた。高いスツール
に組まれた膝から下が、そこだけが深海魚のように青白く浮き上がっていた。

人影はいぶかるように振り返った。女の手にカードが見えた。



「ケンじゃないの。今頃どうしたの。」
「朱美さん? 今日は静かですね。キーヤンの姿も見えないけど?」
「例のデンマーク船のキャプテンがこの航海でリタイヤーするんだって、それを聞いて、馴染みの理沙が本国
へ連れていけって大騒ぎしてね。何か勘違いしてるのね、理沙は。そこにキーヤンが巻き込まれたっていうのか、
三人でどっかいっちまったってわけ」’

「キーヤンが?」
「知らなかったの?キーヤンと理沙はね」
と言いかけて、朱美は子供にいっても仕方がないといった風に笑った。カウンターの上に暗いカードが並んでいた。
ケンはキーヤンのことをもっと聞きたかったが、聞いてはいけない雰囲気に呑まれて口を閉じた。

「ボスは早かった?」
「あんたとこの? いつもの通り、口開けにビールとアクアビット。カウンターに寄り掛かかって、ボースンの頃の
思い出話。もうマラッカの話で耳にタコができたわよ。指を飛ばして下船する程の女じゃなかったのにね。」

喋りすぎたかと急にロをつむると、朱美はロックグラスを持ち上げて、カラカラと氷と回した。ケンはグラスの
底で、乾いた音を立てて回る水の角がとれて、急速に光が失われていくにつれ、自分の瞳孔も一緒に閉じていく
ような錯覚に襲われた。






第二章 メリケン・ジル



「男の子、それとも男?」

朱実の挑むような眼に反撥して、乾杯を繰り返しだのを思い出す。床に落ちたのは、トランプだったのか、
それとも朱実の黒いドレスだったのか。


「暑いわね」とかすれた声でつぶやくと、挑むようにケンを睨みながら、肩のストラップをゆっくりと外して
いった朱美。股間を覆うギリギリのパンティの上部に蛭のような傷痕を見たケンは、動揺を隠して何杯目かの
アブサンを口に運んだ.水で割られたアブサンは白濁して、朱美の大きな乳輪から吹き出し、渦巻のように
店内を混沌に落としいれた。


ケンは急に男らしさを誇示したくなり、スツールを高々と待ち上げ、カウレターの上に並べ始めた。

「もう、クローズだろ。クローズにしなよ」

ケンのわざとぞんざいな口調に、末美は小さく笑いながら、灯を消して外に走りだした。いつのまにか、
股間を小さく覆っていたバンテイも脱ぎ捨てられ、月光を背景に朱美の乳房が大きく揺れていた。


「いい。これがジルバよ。フロリダにいた頃はね。私とジルバを踊りたくて、皆、チケットを振りかざした
ものさ。シュミさん、シュミさん。こっちは五枚だよ、てね。私か踊りだすと、皆、手拍子をとったり、□笛を
鳴らしたりと大騒ぎさ。相手はソルジャーだし、評判を聞いてオフィナーも来たけれど、相手にしないもの
だから、最後は家其屋まかせでね。


「家其屋まかせ?」
「だって、大喧嘩で使えるテーブルも椅子も粉々だろう」

 大声で笑うと、朱美は右手の軽く前方に突き出し、左手を軽く上げてひねり、顔を月に向けた。きっと
朱美の耳の中てはきらめくようなビックバンドの演奏が始まったのだろう。ツーと前に進んだかと思うと、
タンボポの冠毛のように、軽やかにクルリクルリと回る。


ケンは月光を背景にステップを踏む朱美に、昔、古道具屋で貿ったすオルゴールのビエロの動作を思い出した。
星が散りばめられたドーム型の透明カバーの中で、ハンドルの回転に併せて、ゆっくりと上半身を傾けるピエロ。
たどたどしく流れるテリーのテーマの緩慢な様子に比べ、朱美の前進し回転する動作は、軽やかなものであっ
たが、ケンには青い月のもとで繰り広げられるダンスは、朱美の盛りを過ぎて張りを失った乳房と、だぶつき
かけた下腹は、より老いを強調させる結果となった。近づいてくる朱美の荒い息を感じないように、ビットに
腰を降ろしたケンは、まるで感動したかのように手を叩き、映画で見た粋なポーズ通りに、煙草を中指と親指で
波間に弾きとばした。月光の下で波うつ朱美の乳房をもみしだきながら、ケンはビットに腰掛けたまま男になった。





第三章 SEA ANGEL PRESS



ケンが朦朧とした頭で狭い階段を上り、喇叭を吹いている天使の上に、金文字でアーチ型に「SEA ANGEL PRESS
と書かれたドアを開けると、正面にボスの姿が見えた。


ケンは目を合わせないように、口元でグッモーニングと言うと、机に置かれた「Sea & Port News」を手に取った。
真新しいインクの匂いが甘く鼻を打つ。トップ記事は沖合いに埋立てが行われている人工島の、新しくオープン
した埠頭に船が初着岸したというもので、三日前の大手業界紙の記事を焼きなおしたものだった。リライトした
記者の磐田は、今日も港湾事務所に直行を口実に姿を見せていない。恐らくは、海運集会所で賭け碁でもして
いるのだろう。ボスはケンをちらっとみてサイドデスクの引出しを開きかけたが、まるでここに人生の明暗が
かかっているかのように、顔をしかめて手を引いた。ポスの足元の油引きの床には、タブロイド版の船のスケ
ジュール表が乱雑に積まれ、その間には緑色の酒場が転がっている。


「バンブーとハーバーライトの原稿は出来てるのか」
「バンブーは竹で簡単なのですが、ハーバーライトのイメージがつかめなくて」

ケンは赤い表紙の図案カット集を引き寄せた。

「たかが広告のカットだろうに。灯台に船に出迎えのレデイ達でいこうぜ。バンブーも竹だけじゃだめだぞ。
クライアントが要求しているのは、芸術じゃなくてぐっとパンチの効いたやつだからな」

(何がクライアントだ。たかが路地裏の外人バーじゃないか)とケンはむっとしたが、昨夜の朱美の嬬態に溺れた
自分が恥ずかしいのに、また、あのようなことが起きればいいなと望んでもいる自分に驚いた。






第四章 バース会議



ケンが入社して早や半年近くになる。日々の入出港船の情報と、他の業界紙のニュースをリライトした紙面の、
下四分の一は両替商や土産物商に加え、外人船員を対象としたロマンチックで怪しげな飲食店の広告で埋められ
ている。ケンの仕事はボスが取ってきた広告のデザインと集金だった。もっとも、集金といってもボスの飲み代で
相殺されることも多かったが…。


船の代理店からの届出が揃って、港湾事務所からガリ版刷りの入出港船の一覧表を入手出来るのは正午のことだった。
港湾事務所では午前中に船舶代理店の担当者が集まって、バース会議と称する会議が開かれる。もちろん、各
担当者はカーゴの集められている自社の倉庫や上屋に少しでも近い係船の岸壁を取ろうとする。一覧表を入手して
町の活版印刷屋に持ち込み、本記事に先行して植字をさせるのもケンの役割だった。


三時には磐田記者が書いた記事もボスの目を経て印刷屋に持ち込まれる。そして、夕方には校正が済まされ、
ただちに印刷が行われる。一晩乾かして、翌朝には事務所に届けられる。タブロイド版4頁ものだからこそ出来る
簡易さだった。






第五章 ビュッフェ



「お茶が入りましたよ」

中指に女学生がするような細い指輪をした美波子が、作業台の端に湯気の立っているコーヒーを並べた。

「有難うございます』
西やんは郵送分の新聞を折っていた手を止め、くたびれた皮の鳥打帽に一寸手をかけた。

「知ってますか? センター街の北側の通りに、新しいレストランが出来たの。ビュッフェとかいうらしいん
ですけどね。自分で並んでいるものを取りに行くんですよ。きれいなレストランで、スパゲテイやフルーツなんかが
取り放題で、最後に勘定するんですよ」


「えらいモダンなお店に行かれたんですね」

「娘の買い物に付き合わされましてね。要は西洋版一膳飯屋ですかね。娘は流行の最先端だと言うんですけどね。
自分で取りに行くのが最先端なのですかね。若い人で一杯で、気分が悪くなりそうでしたよ。私ら、やっぱり
でんと座って注文を聞きに来てくれる処がいいですね」


「ケン、今度の日曜日に行ってみない」

ふいに美波子に声を、掛けられ、思わずエエとケンは答えてしまったことに、すぐに後悔した。


美波子にはパトロンがいるとの評判だった。いつも昼休みになると、野太い男の声で電話がある。名前も名乗らず
に、「美波子、おりますか」の電話を数度取ったが、この時間に掛かってくる電話はアレだからと、ボスに耳打ち
されるまで気付かなかった。電話を取ると、美波子は声を潜めて「ウン」とか「アカン」とか手短に応えている。
そして、受話器を戻すと、何事も無かったかのように、再び弁当に向かう。ケンとボスは緊張が溶け、そっと息を
吐く。






第六章 BAR ANCHOR



「ママは?


 三輪車で遊んでいる女の子の、紅い髪飾りを一寸引っ張って、ケンはマーメイドの煮しめたような色をした
緞帳のように重たいカーテンを開けた。鼻を突く煙草の匂いと、酸っぱい体臭が染み込んだ店のカウンターの
端で、スロットマシンがピカピカと光っている.「ママ、居る?」と階段上の暗闇に声を掛けて、ケンは広告
掲載紙と請求書をカゥンターの上に置いた。タバコの焼け焦げの目立つカゥンターの上には、昨夜のままなの
だろう。汚れたグラスや齧りかけのクラッカーが散乱している。



しばらくして降りてきた老婆は、
「あんたの処に広告出しても、ちっとも客が来ないよ」
と厭味をいいながら、領収書を丁寧に折ってがま口にしまった。

「ボス、最近ご無沙汰やけど、馴染みの子でもできたん?

「そんなことは無いと思いますよ。最初が会社の下のイエローバードでしょう。後はその日の気分じゃない
ですか」


「アンカーの朱美、亭主の居ない間に、摘み食いしているって評判じやないか」
「摘み食いって?

ケンは顔が赤らむのを感じて、あわてて胸のポケットの煙草をまさぐった。

「うちの客のアレックスを知っているだろう。亭主は今頃マラッカ海峡辺りで油まみれになっているのに、
朱美はべッドでローリングやピッチングしてるって噂だよ」



老婆は自分の冗談に満足したように、咳き込みながら笑って、ケンの顔を見た。ケンは自分の事を指されて
いるのではないと分り、内心ホッとした。しかし、(朱美さんはそんな人じゃない。きっと、あのアレックスの
甘言にたぶらかされているんだ)と、ケンは自分の気持を押さえようとしたが、心の奥底から黒い泡のような
嫉妬が湧き上がってくるのを押さえることは出来なかった。



アレックスは朱美の亭主のキルビーと北欧の同じ船会社に勤める船乗りだったが、この港でハイヤーオフとなり、
失業保険を受け取って安アパートを借りていた。蓬髪の頭に甘い顔立ちで上背もあり、ジョークも達者なことから、
日本人が集うパブに乗り込んで知り合った女子大生とねんごろになり、ジゴロのようなこともやっているよう
だった。そして、あちこちの船員バーにツケも溜めており、老婆が悪し様にいうのも最もなことだった。






第七章 エツコ



「ほんなら、進駐軍がジープで捜っていって?

「進駐軍、言わんといて欲しいわあ。うち、前歯をがたがたにされたんやさかい」

正ちゃんは、手首を鶴のように折り曲げると、半身になって奇妙な品を作った。

「エエやんか。便利で」

課長は指で筒を作り口をすぼめると、あの動作をしてみせた。

「やめてえなあ。感じるやないの!


キヨシの前のカウンターに寄り掛かっていた正ちゃんは身体を捩じると、ドサクサに紛れてキヨシの手に触ろう
とした。キヨシは慌てて後ずさりすると、シミの浮いた骨ばった手から逃れた。正ちゃんは何事も無かったかの
ように、グラスの底でこつんと音を立てると、お代わりを催促した。マスターは新しいグラスにウイスキーを注ぎ
ながら、キヨシにサービスの突き出しの用意を顎で指示をした。



「会社でどんな仕事してはるんですか?

「エッちやんかい。タイプと、船積み貨物の作成と、禿げの支店長の秘書。それと、英語が達者だから本船に
もよく行ってるよ」


「本船行ったら危ないんちゃうんかいな」

「いやあ、逆にあんなバタ臭い顔はあいつらには受けないようだよ。あいつらは小さくて髪が長くて、優しい
日本の女性に憧れているからね」


「腕に錨のマドロスさん、か」

マスターは眩くと、葦簾張りの屋形天井から吊るされたハリケーンランプに目をやる。





第八章 ブルース・ハーモニカ



土曜日の午後だった。イツコは港に近い公園のレストハウスにいた。少女の産毛のような小雨が降っていた。
イツコはビニールの背張りの椅子にもたれかかっていた。白い丸テーブルのうえの、生温かくなったビールの
表に、時折泡が浮かんで消えていった。


木立の下のベンチでハーモニカを吹いている少年がいる。右肩をあげ、背中を丸めて、身悶えるようにマイナーの
和音を重ねていく。イツコは少年を知っている。船のスケジュールの載った英字新聞を、自転車で配っている少年だ。


「“宝石”に出てるのよ」

カウンターに寄りかかり、爪でリズムをとっていたウエイトレスの声がした。

「宝石?」
「国鉄の二階に楽天地があるでしょう。あそこのゴーゴーバー」
「ハーモニカで?」
「ブルースを吹いているのよ。ミオって名前だろうと思うわ」


 少年の前に、くたびれた皮ジャンを着た男が立った。酔っているのか、体がゆっくり揺れている。昨日、
着岸したコットンボート(綿花運搬船)のクルーだ。ANCHORのドアを勢いよく開け、場違いの処に来たと、
ビールをラッパ飲みして、さっさと出て行った男だ。



 男はさりげなく周囲に視線を走らせながら、少年に話しかけるタイミングを窺っている。


 男は少年の唾液に濡れたハーモニカを、無造作に唇に当てた。左手が煽るように小刻みに動いている。少年は
両コブシを
交互に膝に打ちつけた。ハーモニカの唸りは、夜更けに街外を走り抜けていく汽車の音のようだ。
眠れない小鳥が立てる微かな羽ばたきのようだ。エンディングを少年が太鼓の物真似で締めると、二人は顔を
見合わせ大きく笑った。男は屈みこんで、少年に頬ずりするように何かを囁きかけた。少年は顔色を変え、男を
突き放した。イツコは思わず立ち上がった。



「嫌なやつさ」


 皮ジャンの男はまだ未練惜しげに、噴水の向こうからミオとイツコの方を見ている。少年は再度唾を吐く
真似をした。



ミオとイツコは海岸通を歩いていた。イツコは、何か話をすることはないかと探している。とっくに、新聞の
配達の話は終わり、その後、一回り、いや二回りも年が違う少年と交わす言葉は見当たらなかった。また、雨の
土曜日の昼下がりに、口を開くことは億劫でもあった。イツコは「じゃあね」で済みそうな街角を物色しながら、
少年にほとんど腹さえ立てていた。


 突然、少年は「じゃあ」と小さく呟いて、イツコから離れた。イツコは自分の心が見透かされたように驚いて、
思わず立ち止まった。それは少年を見送っているかのようにも見える。 少年は居留地の古いビルの横手にある
石段の階段を降りていく。そこはこのビルの通用門になっているようだった。少年の白い綿シャツが扉に隠れよう
とした時、「さっきは有難う」と少年の声がこだました。イツコは急に心が明るくなって、きびすを返すと、
赤いレインブーツで、わざと水溜りに踏み込んだ。






第九章 ロバート



ミオの父親のロバートは「JAPAN TRADE & SHIPPING NEWS」という、このビルの4階にある英字日刊紙の
通信社の支局長だった。この日刊紙は、共同通信やロイターから配信されてくる日々の世界のニュースとあわせ、
本日のテレビやFENの番組表、入港船舶、貿易の話題を掲載したものだ。また、紙面のセミヌードやジョークに
加えクロスワード・パズルなどで1ページが割かれ、当時としては珍しく娯楽的要素も強く人気があった。
ロバートは時には船舶の代理店に頼まれて、休暇の船員のアパート探しや、水上警察に保護された同国人の
通訳も引き受けた。新聞は朝一番の列車で東京から届く。それを取りに行くのは手伝いの老人の役目だ。
仕分けてミオと老人は早朝に配達に向かう。



ロバートが船を降りたのは、ミチコがミオを置き去りにして、船の建造監督に来ていた男を追って、ギリシャへ
行ってしまったからだ。ロバートは息子のミオを連れてギリシャまで行方を捜しにいったが、分かったのは男は
自分の子供を欲しがり、こっそりと経口避妊薬を使っていたミチコと喧嘩になり、ミチコが出て行ったということ
だった。



「アフリカで黒い棒でもしゃぶっているんだろうよ」


 未練もなくせせら笑う男の口元に、近くにあった酒瓶を思い切り叩きつけ、ロバートはミオを連れて空港へ
急ぎ、一番早い極東行きの便に乗った。その後、通信社での職を得た彼のもとに、(アイボリー・コーストで
似た女が、結婚を迫る男に、二の腕に入れた恋人のイニシャルを剥がしてこい、といったそうだよ)とか
(同じ名前の女が悪い病気を移されて、病院に隔離されたそうな)とか、仲間の船員から風説が伝えられたが、
ロバートは静かな微笑を浮かべるだけだった。それは憑き物が落ちてホッとしているようでもあった。



 17歳から見習い船員として貨物船に乗り組み、一人前に潮気を漂わすようになったロバートがミチコに夢中
になったのは、
初の極東航路という神経の高ぶりもあったのかもしれない。