2005年9月27日
村上 宣道 師
あなたに与えるしるしはこれである。すなわち、ことしは落ち穂から生えた物を食べ、二年目には、またその落ち穂から生えた物を食べ、三年目には種をまき、刈り入れ、ぶどう畑を作ってその実を食べる。ユダの家の、のがれて残る者は再び下に根を張り、上に実を結ぶ。すなわち残る者はエルサレムから出、のがれる物はシオンの山から出る。万軍の主の熱心がこれをなし遂げられる。
イザヤ書37章30〜32節
出石キリスト教会の献堂おめでとうございます。
晴れやかな献堂式にて、くすしい主の御業を目の当たりにさせていただく機会をいただけたことに感謝いたします。こうした新しい会堂が与えられたことに、御名を崇めずにはいられません。新しい教会は、神様によって豊かに実を結ぶことを期待させられます。
聖書にはよい木はよい実を結ぶとあります。良い実を付けている木は、良い木だとわかります。教会はキリストを信じる人が集まっている証であり、この新しい会堂は、この地にて神様の福音が外側に見える証となります。ここでたくさんの方が救われることによって、主が生きておられる良き証となります。悩んだり苦しんだりする人々に、あそこに教会があるということが救いとなりますように。
また、実というの中身があるというあらわれです。大事なのは、しっかりと御言葉を蓄えているという中身です。会堂ができたらおしまいではありません。教会は1人1人の実りある人生、実のある信仰生活を送る場として与えられました。1人1人の中に神様による御言葉が、平和、温かさが心に詰まるようになってこそ、実りがはっきりと見えてきます。
また、花は見るものですが、実は食べるためのものであり、与えるためのものです。実は栄養になり、力になります。信仰生活は自分のため、自分の幸せのためだけではなく、この教会を通して他の人達が幸せになる事が大切です。教会ができたことにより、この出石という町が、幸せになり、祝福されるという存在になりますように。いわゆる布教に熱心ということで、用心されるのではなく、地域のためにどういう役に立てるかを考えましょう。この教会のあることが、地域に貢献し、多くの人々に好意を持たれますように。多くの救われる人々を仲間にすることができますように。出石の町で、希望のシンボル、光となりますように。
実は種となります。すなわち、実は次の命を生み出します。あなたがたが次のクリスチャンの世代を生み出すスタートとなるのです。
実を結ぶには、地に根ざした根が必要です。実を決めるのは、目に見えない根です。目に見える部分を豊かにするためには、目に見えない根の部分をいかに大切にするかがカギとなります。
目に見えない部分とは、皆さんの心の内にある信仰です。まず、この教会はどうして始まったのか、どうして与えられたのか。それは、神様の計画であり、神様から与えられたもの、主の熱心がこれを成し遂げてくださったということです。神様が、志と夢を与えてくださいました。皆さんの内に働いて、願いを起こさせてくださり、実現させてくださったのは神様です。新しい教会は神様の約束の上に根ざしたものという確信、これが大切です。
そして、根は養分を吸い上げます。荒野の中の木は、水脈を捜して掘り進む長大な根を持ちます。根を張るのに時間はかかるものです。根を張って、養分を吸収して、そして幹が成長して、時が来るとしっかりとした実を結びます。私たちはしっかり聖書を読み、デボーションをし、こんな楽しい交わりはないという教会を造ることがまず大切です。神様に養われることなしに成長は望めません。
イエス様は、「地に落ちて死ななければ、多くの実を結ぶことはない」と言われました。
私たちはキリストが死んでくださったことによる集まりです。そして私たちは、キリストと共に死んでゆく者たちの群れです。根は自らに死んで、没することによって新しい命が生み出されるのです。
イエス様は、「もし死ねば、多くの実を結ぶ」と言われました。その意味で、出石キリスト教会が、この地にしっかりと根付き、多くの実を結ぶ祝福された教会となりますように。
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