最近いじめを苦にした児童・生徒の自殺が相次いでいる。学校の中では、かなり深刻ないじめが蔓延しているのかもしれない。それにしても、児童・生徒が自殺に直行する「現代っ子の気持ち」を私達の年代には、到底、理解できない。命の大切さを教えていないのだろうか?いじめについて考えて見たい。

「いじめられっこ」より「いじめっこ」の数の方が、傍観者を含めて圧倒的に多い。親は自分の 子どもが、「いじめっこ」になった場合と「いじめられっこ」になった場合の両方を検討する必要がある。つまり被害者をどう救うかも大切だが、加害者をどう罰するかの方が重要だと私は思う。なぜなら「いじめ」は道徳や理性だけでは完全に消せない動物の本能だからだ。

「いじめ」 は、タイプ別に分けると、一般にカラス型とニワトリ型に分けられると言う。小中学校の生徒に多い、グル−プの中から弱い者を選び皆でよってたかっていじめる。これがニワトリ型のいじめだ。次にカラス型のいじめは例えば、会社等の職場で見られるように自分の地位を脅かす者だけを集中していじめるやりかたである。いずれにしても両方とも人間という動物は、自己保身や存亡をかけてのいじめや自己快楽の為のいじめを、自然に身につけている行為であり、 それを完全に防ぐ方法はない。

「いじめっこ」の心理のなかは、快楽なのだ。その彼らを防ぐほど道徳は力を持っていない。では実際にいじめ にあったらどうするか。戦うことも場合によって必要だが、危険を伴う場合もあり、私はまず逃げる事を進める。(学校なら職員室や保健室が良い)

いじめられっこに非はない。友人、両親祖父母、教師、学校、教育委員会などの中に逃げ道はないか、徹底的に探す。場合によっては認められている転校でもかまわない自殺されるほど悲しいことはないのだから。

では親、学校、教育委員会、地域、国に出来ることは何か?いじめられっこの対策よりもいじめっこへの対策とペナルティ−を十分に議論し推進すること。いずれにしても今までのものの見方と違う角度での議論と対策が必要になって来ている。