一番に彼女のことを書くのはどうかとずいぶん迷ったのですが・・思い切って最初にしました。FUMサンという少女剣士のことであります。 わたくしが本格的?にR剣道スポ少の指導を始めたのは平成8年からですが、その前、昭和57年頃にも2、3年間ほど剣道の指導をしていたときがありました。その頃のR剣道スポ少は対外試合や昇級審査会にも臨まないスポ少でありまして、練習日も月2、3回しかなく、それも日曜日の早朝6時頃から1時間程度の練習時間でした。剣道着、袴の子は一人もおらず、トレパン、トレシャツで来ていればよい方で、ジーパンにTシャツに防具をつけて竹刀を持つという子も珍しくありませんでした。
それでも、みんな元気で剣道を楽しんでおりました。小学校6年生の男子児童を中心に7、8人もいたでしょうか。けっこう上達した子も出てきた頃、5年生にFUMサンという真ん丸い顔で、やたらと元気のよい少女がおりました。お父さんがわたくしの同じ職場の係長さんで物腰の柔らかい方でありましたが、おかっぱ頭のFUMサンは男勝りというか、力まかせというか・・剣道の方も上手さというよりは勢いで試合稽古などしていたように思います。数年後、驚いたことにFUMサンは近隣市の女子高校に入学、なんと剣道部に入り、3年生のときには主将を務めたという噂を耳にしました。剣道など忘れ、地元のクラブチームでわたくしがバスケットボールに夢中になっていた頃のことであります。
そしてその数年後・・わたくしが地域の会館でそこの住民の方たちから一人ずつお話をうかがう・・みたいな仕事で赴いたときのことであります。お昼も近い頃、わたくしはやや疲れを感じながらも書類に目を通しながら「次の方、お願いします!」と声をかけました。するとよれよれのジーパンのポケットに窮屈そうに両手を入れてわたくしの机の向こう側に座った若者がおりました。「あ、こんにちは!」と声をかけると、「ちわっす!」という明るい声。短い髪に浅黒く健康そうな顔と口元から覗く白い歯・・どうやら若い女性のようです。再び書類に視線を落とし、氏名を確認すると・・んっ?○×□FUM△・・「うわあー、キ、キミ!FUMサンかあ〜?!」仕事も忘れてわたくし「いやあ、久しぶりだなあ〜、すっかり大人になったなあ!元気か?!」、するといたずらっぽく笑いながらFUMサン「IKEセンセ、元気ッスかあ?」、「お、おお!元気だよ!」、「最初わたしのことわからなかったでしょ!?」、「ああ、ホント最初は男性かと思ったよ!」、と、わざと怒ったような顔をしてFUMさん「あっ、ひどいなあ〜。でも、実際、色気ないからネ・・ハハ」と屈託のない笑顔。わたくし「で、キミ今何をやってんだ?まだ学生か?」と尋ねるとFUMさん「3月で卒業ッス。4月からS総合病院の看護婦です」。驚いてわたくし「そ、そうかあ!看護婦かあ〜。すごいな、おめでとう!!・・で、剣道はやってんのかあ?」、「いや、全然やってないス。落ち着いたらやりたいんですけどね」。・・肝心の仕事も忘れて10分以上もスポ少時代の思い出やらなにやら話したでしょうか。「じゃあね、センセ!」と片手を上げて元気に帰っていったFUMサン・・しかし、彼女の顔を見たのはこれが最後でした。
総合病院の看護婦として元気に働いていた彼女は、間もなく不治の病に倒れ、帰らぬ人となってしまいました。その話しを聞いたときの驚き・・なんの言葉も浮かんできませんでした。あの明るい笑顔を思い出してただ涙が溢れました。全身の力が抜けていくようでもありました。
少し経ってからFUMサンの自宅を弔問しました。玄関先でご両親にお会いし、「お葬式にはとても行けませんでした・・すみません。少しの気持ちですがFUMサンのご霊前に・・」、「IKEサン、ありがとう。ぜひアイツの霊前に・・」という憔悴しきった表情のご両親の言葉をさえぎってわたくし「すみません・・と、とてもFUMサンの遺影など見る勇気がありません。ここで失礼します!また落ち着いたらきっと・・」と言い残してわたくしはFUMサンの家を後にしました。今から思うとナント失礼なことをしたのかと反省しています。そして、いつかもう一度弔問にうかがおうと思っています。今度はしっかりとFUMさんの遺影に手を合わせてきたいと思います。
少年剣士のみんな!かつて少年剣士だったみんな!!絶対に、絶対に、絶対に元気で、元気で、元気で頑張らなきゃいけないぞ!!絶対に元気で!!!
「キ、キミ・・あのTOBRクンか?!ホントか!!お、大きくなったなあ!!いやあ、全然わからなかったよ!そ、そうかあ・・剣道続けてたんだ?!そうかあ!・・キミ、オレのことわかるか?!わからないかもしれないなあ・・」と一気にまくし立てたわたくしに、太い眉毛に大きな二重まぶたのR高校2年生の少年は少しはにかむように「I、IKE先生・・」、わたくしは思わずまた大きな声で「おう、そうだ!そうかあ・・よく憶えていてくれたなあ!!」とかなり興奮気味に、急き込んでその少年に話しかけたのでありました。つい2年ほど前の夏頃、地元R高校剣道部の練習にスポ少の中学生団員が参加させていただけることになり、同校の剣道場を訪れたときのことでありました。かつてR剣道スポ少に入団してくれていたTOBRクンと8年ぶりに再会したのであります。
TOBRクンがスポ少に在席していたのは1年間ほどだったと思います。兄弟で来てくれておりました。兄さんが3年生、弟さんが2年生だったと思います。そして、わたくしがこの日出会ったのはお兄さんの方であります。この兄弟・・こんな言い方をすると親御さんに対して本当に申し訳ないのですが、敢えて言わせてもらいますと、まさに甘えん坊を絵に描いたような子どもたちでありまして・・。お父さんは警察官でありまして、身体も大きく精悍な顔つきで時折やさしい笑顔も見せてくれるのでありますが、やはりどこかに厳しさを感じる方でありました。それがこの2人といえば・・ぷくぷくに太っていて、見た目は可愛い子どもたちなのでありますが、まるっきり言うことを聞いてくれません。竹刀振りをしても横の真剣に頑張ってくれるのはほんの5、6本です。後は隣の団員にちょっかいを出してみたり、急に身体をぐにゃぐにゃさせてふざけてみたり、正座しての見取り稽古も1分間と続かないといった具合でありました。未だ本格的に指導を始めて3年ほどのわたくしは「おい、こら!もっと真面目にがんばって!!」、「ナニやってるんだ!」、「ほら、ちゃんとまっすぐ前を見て!」・・と2人を5人分ぐらいの体力で接していたような気がします。それでもめったに稽古を休むといったことはなく、(残念ながら防具を着ける段階にまでこそ及ばなかったものの)元気に頑張って1年間を過ごそうとしていた頃であります。お父さんの転勤で2人が県都のA市に引っ越していくことになったのであります・・警察官の人事異動というのは一般の官公庁とは少し違った時期にあることをこのとき知りました。
TOBRクン兄弟の引越しがいよいよ近づいた頃の練習日・・その頃はもう2人は練習にはこなくなっていたのですが・・防具などを置かせてもらっている町民体育館のロッカー室をのぞいてみると2本の竹刀が所定の場所以外の壁板に立て掛けています。手にとって柄を見るとTOBRクン兄弟の3尺6寸の竹刀でありました。・・なんだあの2人、竹刀をこんなところに忘れていったのか・・とつぶやきながらも心の中では「あの2人・・剣道続けるのかな・・いや、あの甘えん坊が直らなきゃムリだよな・・」と、正直思ったわけでありまして・・。あまり深く考えたわけではありませんでしたが、わたくしはなんとなくその2本の竹刀を持って、翌日土曜日のお昼頃、町内のTOBORクン宅を尋ねてみました。そこではちょうどお母さんが引越しの準備をしているところでありました。「こんにちは!」と声をかけると、いつもTOBORクン兄弟のお母さんが一瞬ちょっと驚いたような表情を見せながらも、すぐにいつもの笑顔に戻って・・「あらっ、IKEサン!!」、わたくし「あっ、いや・・昨日体育館に行ったら2人の竹刀が置いてあったもんですから・・」と言って2本の竹刀をお母さんに渡すと、「・・ありがとうございます!本当にお世話になりました!!」という丁寧なお礼の言葉・・「いやいや、じゃあ、2人によろしく言ってください!」とお答えしてその場を後にしました。お母さんが2本の竹刀を受け取り、その胸に抱くようにしておじぎをしてくれたのが印象的でした。
そんなTOBR兄弟のお兄さんに8年ぶりに会ったのですからわたくしの冒頭の興奮ぶりといったら、傍目には少しおかしく映ったかもしれません。 兄さんの話を聞くと、2人とも引っ越し先のA市で名門のONOB道場に入門したとのことでありました。そしてその後、中学生になって初段を取得したあとさらに県北に引越し、そこでも兄さんは剣道を続け二段を取得、弟さんは身体が大きくなり、相撲部に入部したとのことでした。そしてまたしてもお父さんの転勤があってまたこの県南に戻り、R高校に入学、剣道部に入部したとのことでした。さらに驚いたことに、弟さんも隣市の工業高校に入学し、これも剣道部に入部しているとのことでありました。「そうかあ・・2人とも剣道を続けてたんだ・・よく続けてたよなあ〜。全然剣道の楽しさなんか味合わせてあげれなかったのに・・でも、嬉しいよなあ。」・・そんなことを思っていると伏目がちにTOBRクン「あ、あの・・時間があったら・・スポ少に行ってみてもいいスカ・・」、わたくし「あ、当たり前だろう!!キ、キミの、キミのスポ少だろう!後輩たちに稽古をつけてやってくれよ、是非!!」。TOBRクン・・ニッコリ。
兄さんはその年の11月に3段に昇段し、今年高校最後の総体を終えて就職試験に全力で取り組んでいます。弟さんは今年同じく3段を取得し、チームの中堅選手として活躍しています。2人とも大会々場で会うとわざわざわたくしのところにやってきてぺこりとおじぎをしてくれます。赤面して恐縮しながらも、心の中でつぶやいています。本当に、本当によく剣道を続けていてくれたな。ありがとう!強くなれ、強くなれよ、2人とも!!
どんな子であろうとも、入団してきたときにはみんな緊張していますし、やる気も満々です。稽古を始め、なかなか上達できず元気がなくなっている子を見つけたときは「ここを頑張ればきっと上手になるし、強くなれる!」と必ず声をかけ励ますことにしています。するとその子は小学校の低学年であろうが中学生であろうが「うん!」と力強くうなずいてまた稽古に戻ってくれます。みんな心の中に熱いものを持っているのです。それでもどうしても思いどおりにならず団を去っていく子ももちろんいます。しかし、たとえM剣道スポ少を去っていっても、その子の手のひらには竹刀を握った感触がきっと残っていると思っています。だって、あんなに一生懸命上手になろう、強くなろうと懸命に竹刀を振ったのですし、その結果の決断だったはずなのですから・・。
し、しかし、あのMICHIKさんだけは違ったような気がします。MICHIKさんは娘のYUMと同級生であり、大親友であります。その交友は成人を迎えた今でも続いており、大学が休みで帰省したときなどはわたくしの家に泊まってYUMと缶チューハイを片手に徹夜で思い出話やらなにやらぺちゃくちゃ、ワイワイやっております。
このMICHIKさんが中学1年生のとき、M剣道スポ少、当時のR剣道スポ少に入団してきたことがありました。理由は「ちょっと、運動不足を解消しようかなって思いまして・・」であります。MICHIKさんのご両親、お爺さん、お父さんのご兄弟はみんな学校の先生でありまして、さぞかし真面目な・・と思いきや・・どちらかといえば実にユニークな娘さんでありました。なんといってもマイペースであります。わたくしがいくら熱く語りかけてやる気を出させようとしても「はいっ!」と元気な返事が戻ってくるものの、ど、どうも違うなあ〜という感じなのです。
ある日の練習日、なかなか体育館に来ないのでYUMに「あの子、どうしたんだ?」と尋ねると、「ああ、たぶん遅く来ると思う。書店でちょっとマンガ見てから行くって言ってたから」とYUM。わたくしは「うそー!なんだ、ちょっと注意しなきゃな!」とわたくしが言うと、YUMは「え〜と、たぶん効果ないと思うけど・・」、それを聞いてわたくしが「な、なんだ?注意すると来なくなっちゃうのか?」と再び尋ねると可笑しそうにYUMが「まさかあ!人に怒られたくらいでへこたれる子じゃないよ」とクスクス。そこへMICHIKさんがやってきたので「キミ、遅いぞ!マンガ見てたんだって?!」と少し強い調子で話しかけると、MICHIKさん「あっ、はい!ちょっと気分転換です」とけろり!
その後、やる気を出させようとYUMの白い剣道着と袴をはかせて稽古をさせてみました。たいがいの子はこれでかなりやる気を出すのですが、MICHIKさんに限っては例外でありました。それどころか練習中「あっ、やば!」というMICHIKさんの方を見ると、ナ、ナント袴の紐がほどけて半分ずり落ちそうになっているのを両手に竹刀を持ったままの肘で袴を抑えています。「お、おい!どうなってんだ?」とわたくし。いくらなんでももう中学生です。しかも女子!!
・・結局、それからまもなくMICHIKさんはスポ少をやめていきました。どんな子でもなんとか剣道を好きになってもらえるように努めることを信条としているわたくしでありますが、MICHIKさんに限っては・・まあ、ひと言えば「ダメだこりゃ!!」とでも言いましょうか。MICHIKさんの方も街で出会ったときなど「ちわーッス!」と実に明るいものでありまして・・。
いつかYUMに尋ねたことがありました。「MICHIKさん、やめて残念だっただろ?」、答えてYUM「ハハ・・全然!でも、あの子、ある意味サムライだよね!」ま、まあな・・(汗)。
この3月、息子のTAKが中学校卒業した話はもうしましたが、そのとき、M剣道スポ少中学部を一緒に巣立っていった少年剣士にYUYクンという団員がおりました。YUYクンは小学校6年生のときにH南小学校から入団してきた子です。真面目に週2回、スポ少での稽古を続け、見事剣道2段を取得して卒業していきました。
中学校3年生のときにはもう170cmを超え、立派な体格だったのですが、戦績の方は気持ちの優しさと体力の無さがが災いしたのかあまりパッとしませんでした。「キミ、もっと気持ちを強く持って、ランニングや腕立て伏せ、腹筋も頑張ればきっといい選手になるぞ!」と声をかけても、なかなか乗ってこない彼に歯がゆさすら感じたものです。
そして3月中旬、彼は隣市のOM農業高校に進学することになりました。そしてその報告を兼ねてスポ少に顔を出してくれたYUYクンに「キミ、剣道部に入るのかい?」と尋ねてみると、笑いながら「いやあ〜、野菜部とかに入ろうかと・・」、わたくし「ええ?それって野菜を育てたりするの?」という再度の問いに「はい!」という答え。わたくし的には「運動部に入ればいいのに・・」という気持ちがあったのですが、こればっかりは本人の気持ちですから仕方ありません。「わかった、頑張れよ!」と激励して別れたのですが・・。
ところが4月に入ったある日、息子が帰宅すると手洗いやうがいもそこそこに「父さん!今日、道でYUYに会った!」、わたくし「へえ〜」、息子「あいつ、自転車競技部に入ったって!!」、わたくし、口に含んだビールを吹き出しそうにしながら「な、なに〜!!自転車競技部って、あの自転車競技部か?しかもOM農業高校のおぉ!?」、続けて「オマエなあ、OM農業高校の自転車競技部って言ったら全国大会で何回も上位入賞している学校だぞお!!」、わたくしの興奮ぶりに少々呆れ顔の息子「ああ、わかってるって!その自転車競技部にあいつ入部して、もう練習してるってよ!」、わたくし「・・・(絶句)」。
そして先月31日の日曜日です。わたくしは県内唯一のR自転車競技場で行われている全県高校総体自転車競技大会に行ってみました。もちろんYUYクンの応援にです。午前9時30分、ロードレーサーの部の3km個人追抜き競走が始まりました。「ただいま出走しました選手は、ホーム○○○クン、□□□高校、バックN.YUYクン!」という場内アナウンス。目を疑いました。あのややひ弱にさえ見えたYUYクンが真っ黒に日焼けし、特に太もものあたりは「たった1ヵ月半くらいであんなになるの?」と思うくらい鍛えられている様子が観客席からもわかりました。記録もそんなに悪いとは思えませんでした。会場にいたYUYクンのお母さんの話によると、自転車競技部への入部については何の相談もなかったようです。「ナニを考えているんだか・・」とため息をついて見せながらも、お母さんの顔には優しい笑みが浮かびました。聞くと、明日はロードレースで90kmを走るそうです。
なんか、すっごく凄く嬉しくなりました。剣道じゃなかったけど、高校生活を通じて333mのバンクで栄光のゴールをめざす道を選んだYUYクン。ホントにカッコよかったです。絶対に、絶対に頑張れよ!!心の中でそう叫ばずにはいられないほどのひたむきさを感じました。(YUYクンの後に出走したのがYAMGクンというDI農OTA高の選手。この選手も去年までKAK中剣道部の少年剣士でした。小雨の中、YUYクンと同じくらい熱い走りを見せてくれました。)
なあ〜んか50歳を過ぎて、最近、ますます涙もろくなったような気がします。でも、こんな気持ちを経験できるのも少年剣道に関わったからかもしれないなあ〜と思います。さあて、ウチの子たちも自分自身で決めたゴールをめざして頑張れよお〜!!
・・どういうわけかM剣道スポ少にはさまざまな道を経て入団してくる少年や少女たちがいます。R中学校のバスケ部の活動中にケガをして退部、それでも運動を続けたくて中学校1年生の終り頃に剣道を始めた少女は、高校でもスポ少に通い、このたび見事に三段を取得しました。また、O農業高校の同じくバスケ部を退部して高校1年生の冬に入団してきた身長180cm近い少年も二段を取得して卒業、現在は県外の大学で理学療法士をめざして勉学に励むかたわら、下宿近くの道場にときどき通いながら剣道を続けているとのことです。
この高校からM剣道スポ少で剣道を始めた男子はDAITクンといい、運動能力に優れた爽やかな少年でした。週にたった2日間の稽古にもかかわらず、めきめき上達していきました。「DAITクン、キミ、Mスポ少でオレみたいな素人から剣道を習うより、高校の剣道部で本格的にやってみちゃどうだ?キミんとこの剣道部の監督先生だったらオレも知っているから話してあげるよ!」と事あるごとに誘ってみても「いや、いいス!ここでやります!」といって一向に首をタテに振りません。「この子、なんでバスケ辞めたんだろう?身体に故障を抱えているようでもないし・・」といつも思っていたのですが、彼の口からその理由を聞くことは遂にありませんでした。もちろん、わたくしの方からも尋ねることはなかったのでありまして・・。
彼が高校2年生のとき・・冬でした。スポ少の後「来年はもう高校3年生かあ〜。11月にまた昇段審査会がある。受験も近いだろうけどぜひ二段をとって卒業した方がいい」とわたくしが話しかけるとDAITクン「うん!」と素直に頷きました。わたくしは続けて「それとサ・・」、わたくしの方にDAITクンが顔を向けました。次の言葉を待っています。わたくし「それと・・キミ、春になってから・・そう4月の上旬なんだけど試合に出てみないか?!」、DAITクン「ええっ?」、わたくし「うん、出れる大会があるんだよ」、DAITクン「なんていう大会スカ?」、「全県段別剣道大会!キミ、初段だろ?だから出れるんだよ。まあ、相手はたぶん中学校3年生だろうけど・・どうだ!」と返事を促すわたくしにDAITクンは無言「・・・」。わたくし「返事は後でいいよ!まだ大会の知らせも来てないしな。これが道場連盟にでも加盟していたらもっと機会があるんだろうけど・・。だから、これが高校時代最後のチャンスだと思うぞ!」。そして次の稽古日。DAITクンは出場するという意志をわたくしに伝えてくれたのでありました。
剣道二段を取得する。しかし、その前に高校時代最初で最後の大会に出場する・・それがDAITクンはもちろん、指導するわたくしにとっても大きな刺激となりました。なんとか1勝、なんとか1本・・全県段別大会出場を決意したからにはめざすところはコレしかありません。それはDAITクンも十分承知しています。あと3カ月・・。
・・もしもし、M剣道スポ少のIKEです。どうも先生、お世話になっています!お忙しいところすみません。実は4月の全県段別大会なんスけど、まだ県の連盟から通知はきませんか?
・・そうですか。もう1カ月くらいしかないですよねえ〜。例年より遅いんじゃないでしょうか?
・・ああ、ハイ!それじゃあヨロシクお願いします!!4月に高校3年生になる初段の男子なんスけど。そいつをなんとか段別に出したくて。
・・ええ、高校1年生の冬からウチのスポ少だけで稽古してるんです。もちろん未熟で強くはないんですが・・これが高校生活最初で最後の試合になるもんですから。
・・はい、催促のような電話をしてしまってすみません!ただ、これを逃したらもう機会がないもんですから。すみませんでした!!
年も明けて春の訪れが感じられる3月初旬・・有段者が少なく、段別大会には出場できたり、できなかったりするM剣道スポ少に今年の通知が来なかったらたいへんだ!という不安がよぎるようになり、わたくしは失礼を承知で郡市剣道連盟の事務局を担当されている先生にこんな電話をしてしまったのでありました。それでも心配なわたくしは懇意にしているスポ少や道場の先生方にも連絡があったら教えてくれるようお願いしたりもしたのでありまして・・。
それから数日後、やきもきするわたくしのもとに段別大会の通知が届きました。大会は4月15日です。M剣道スポ少からの出場はDAITクンだけの出場になります。遅れたらたいへん!とすぐに申込書を送りました。あとは練習あるのみです。DAITクンが大会への出場を決意してからの練習相手はもっぱらわたくしと中学生になった息子のTAKです。OBON中のAWAD先生にお願いして伝統あるSISE道場の夜稽古にもおじゃましました。「竹刀を握ってから1年ちょっととは思えないナ」というおほめの言葉もかけていただき、思わずDAITクンの顔に笑みが浮かびます。もともと運動能力が優れているうえに、バスケットボールのセンターとして鍛えた180cm近くある体格を活かしての面にはとても威力があり、わたくしなどはちょっと油断していると打たれないまでも、吹っ飛ばされそうになるほどでありました。成長期に入ったTAKにとっても思いっきり打ち込める相手ができ、こちらもDAITクンに引っ張られるように力強さが感じられるようになったのも嬉しい誤算だったように思います。
そして試合当日です。早朝、町民体育館で待ち合わせ、武道館に向かいました。未だ段位を持たないTAKはDAITクンの練習相手としての同行です。2人が練習している間に受付を済ませ、観客席から見ると緊張と張り切りすぎのせいか、DAITクンの一番の癖であるムダな動きが多いように見えます。でも、仕方ありません。なんといっても高校1年生の冬から剣道を始めて3年生になった今日が最初で最後の公式試合なのですから・・。
独りじゃ心細いだろ!?と、渋るTAKを促してDAITクンと一緒に大会の開会式に出し、いよいよ試合開始です。
−いいか、相手はA市内にある強豪中学校の3年生のようだ。試合の駆け引きや技術では劣るかもしれないが、速さや力強さではキミが上だ。二段技・・そう、得意なコテメン中心でいこう!
−相手はキミの手元を上げさせようといろんなことをしてくると思うけど、いつも言っているとおり、竹刀を真ん中からはずさないようにな!
−たぶん、近間じゃ相手が上だと思うから、あくまでも自分の間合いで勝負だからね。キミの間合いだと遠すぎて、相手がよほど大きくないかぎり先手をとれる。とにかく丁寧に、我慢して1本だ!
本番まであと数試合というせっぱつまった時間に、まくし立てるわたくしの言葉をひとつ、ひとつ飲み込むように頷いたDAITクン。そして、いよいよ面と小手を着け、竹刀を片手に試合場へ向かっていきました。背中には白のタスキです。
主審の先生の「はじめ!!」の声で試合が始まりました。相手は比較的小柄ながらも、あまりちょこちょこと足を使った小技の選手ではないぶんDAITクンにも勝機は十分あるように思えます。DAITクンもあまり慌てることなく、しっかりとした気勢でわたくしの指示どおり二段技を中心に攻めていきます。試合も中盤にさしかかった頃・・相手の選手がスッと間合いに入ったところでDAITクンの手元が上がり、そこに鋭く相手の小手が入りました・・コテあり!!一斉に3本の赤い旗が上がりました。・・しまった、コレがあった!
そして2本目です。個人戦は1本負けも、2本負けも同じ。ある程度の時間が経過したところで1本を先に取られたら、少々危険を冒しても取り返しにいくんだ!・・団員たちにはいつもそう言い聞かせてきました。しかし、試合に出場する機会がなかったDAITクンにはその意識が少なかったのかもしれません。相手とつば競合いする時間が目立ちます。「DAIT、離れて!」「時間ないよ!相手と離れて勝負だ!!」耐え切れずわたくしは試合場の近くから大声を上げてしまいました。「DAIT兄(にい)、ガンバ!勝負、勝負!!」傍らで息子のTAKも声をかけます。その声が聞こえたのか、DAITクンは自分の左肩を押し付けるように半身になり、今度は瞬間的に右肩の方へ半回転させ相手の体を瞬間的に押して大きく右後方に飛び跳ね、相手と距離をとりました。その動きは剣道というより、バスケのセンタープレイヤーがポストでディフェンスを振り切るステップワークにそっくりでした。そして再び間合いを詰めながら鋭く攻めるDAITクン・・。必死なんだ・・DAITクン、1本を取り返したくて必死なんだ!
しかし、時間はもうほとんどありません。そう思ったときDAITクンが遠間からメンに飛び込みました。剣道の試合では見たこともない遠い距離からのメンでした。これもまるでバスケのプレイヤーがフリースローレーンの外側から踏み切ったダンクシュートのようなメンでした。そのメンが相手の防御する竹刀を打ち、DAITクンが着地したところで主審の止め!の声がかかりました。
息を切らしてわたくしのところに戻ってきたDAITクンに「惜しかったな!でも頑張った!!」と声をかけると、DAITクン「やられた〜!」続けて「でも、面白かったあ〜、もっとやりたかったなあ!!」と爽やかな笑顔で高い声を上げました。「DAIT兄(にい)、あの相いコテメン惜しかった!1人の審判の先生、上げかけたよ!」とTAK、「ホントに!?(笑)」とDAITクン。「ごくろうさん!でも、あのすぐ手元を上げてしまうところは、これからの稽古で直していかなきゃな」というわたくしに、「はい!」としっかり返事をしてくれたDAITクンなのでありました。 剣士としてはじめての試合に臨み、高校生として最後の試合はDAITクンらしい元気いっぱいの戦いでありました。おそらく彼にとっても、もちろんわたくしにとっても忘れられない思い出であり、忘れられない団員であります。
多くの少年たちと出会ってきましたが、この少年ほど剣道を通じて成長していった子はいないかもしれません。それがM剣道スポーツ少年団小学生チームの何代か前の大将、TOMONくんです。TOMONくんは先に完結した「超個性派チビッコ強気軍団」に登場する当時小学校6年生の子です。
彼が入団してきたのは小学校2年生のときで、とても2年生とは思えないくらい小さな、小さな子でした。3尺2寸か3尺ちょうどの竹刀を持たせても重そうにしているくらいでしたし、お世辞にも運動能力に秀でているとは言えませんでした。それにちょっと厳しく指導するとすぐに泣くのですからずいぶん手を焼きました。「こりゃあ、2、3か月もてばいい方かもしれないなあ〜」というのがわたくしたち指導者の意地悪な予想でありました。でも、それはまったくTOMONくんには失礼極まりない見誤った評価であったことを、わたくしは彼の数年間にわたる剣道への情熱と努力を通じた成長を目の当たりにすることによって知ることになりました。それに加えて防具、竹刀を本当に感心するくらい大切に扱う少年であることも。
R小学校からR中学校に入学したTOMONくんは、目標とする?息子のTAKと同様に中学校の部活には入らず、M剣道スポ少で剣道を続ける道を選びました。試合等での強さという点ではかなり厳しかったものの真面目に剣道を続け、3年生の秋には見事二段に昇段しました。そんな頃です。「IKE先生、オレ高校でも剣道部に入ります。だから、ときどき練習にきてもいいですか?」と問われました。もちろんわたくしに異論があるわけじゃあありません。ただ・・「ああ、いいよ!ただ高校で剣道部に入部するのはいいが、志望校に入れるように勉強の方は頑張っているのかい?」。これは軽口でもなんでもありません。なにしろこの種の冗談はTOMONくんには通じないのですから。するとTOMONくん、ちょっと表情を曇らせながら「はい、それが一番心配で・・」、わたくし「ええっ、大丈夫なのか。勉強がはかどっていない状態でスポ少に来るのはダメだぞ」とここは厳しく言うしかありません。「は、はい!」とTOMONくん。
結局、TOMONくんは翌春、見事に地元の県立R高校に合格しもちろん剣道部に入部しました。R高校剣道部の部員数が少ないこともあって、TOMONくんは1年生の秋から選手として出場していました。しかし、1回の稽古が正味1時間半、しかもそれが週3、4回のスポ少から行った剣士がすぐさま通用するほど高校剣道は甘くありません。大会で見かけたときのほとんどは2本負けのようでした。
ある日のことです。
TOMONくんより1つ年上でOMAG高校の剣道部に所属していた息子のTAKが夕飯のときにぼそっと話すには「TOMONのヤツ、もしかしたら構えを上段に変えたかもしれない」、我が家族みんな同時に「ええーっ!?うそー!」。続けて息子曰く「今日、この辺りの数校で簡単な練成会が市立体育館であったんだけど・・」、家族「ふん、ふん、それで?」、息子「ちょっと時間があったから向こう側の試合場を見たらちょうどR高校とOMAG工業高校がやってて、TOMONが出てたんだ」、家族一同にじり寄って「それで、それで?」、一瞬たじろぎながらも息子「ちょうど相手がメンを打っていったときだから、ああ、TOMONのやつ竹刀を上げて守ったんだなあと思ったわけよ。ところがつば競り合いを終わって間合いが切れたところで、TOMONのやつ相手がなんにも打ってないのに両手を上げて守り始めたんだ。あれえ?と思ったところでウチの高校が場所移動しなきゃいけない時間だったから見れなかったけど、あれ、きっと守ってるんじゃなく上段の構えだったんじゃないかと・・・」。中でも娘のYUM「あらあ〜!?マジ?こりゃ驚いたわ!!」とすっとんきょうな声。
でも本当だったんです。後で知ったのですが、TOMONくんはもともと左利きで、握力も左手の方が圧倒的に強かったとのこと。ですから、その上段の構えは高校3年生の夏の大会まで貫きました。特に全県大会前の県南大会の個人戦では1回戦、2回戦の延長戦を制し、3回戦まで進んだのでした。そして高校3年生がよく言う"引退後"、TOMONくんが久々にスポ少に顔を出してくれました。背も高くなり筋肉質の身体に今さらながらびっくりしてるわたくしにTOMONくんが爽やかに「IKE先生、おれ、大学に進学して剣道部に入ろうと思ってるんス。」、わたくし今度は驚かず「そうか、頑張れ!!」
小学校4年生から中学校3年生までの6年間、娘のYUMと一緒にR剣道スポ少で剣道を続けてくれた女子剣士にSIK子さんがいます。YUMと同期でしたからもう25歳、もう素敵な女性になっていることでしょう。
入団した当時、YUMは運動神経というものをどこかに落としてきたようなヤツでしたが、SIK子さんの方もまた両方の腕力が極端に弱い。小学校4、5年生の頃はまだしも、6年生にもなってけっこう背丈も伸びてきた時分でも依然として3尺6寸の竹刀を重そうにしながらやっとの思いで振っています。「SIK子さん、どれそんなに重いかあ?」と小学生時代に使っていた竹刀を取り上げてみたところ、これが驚くほど軽い!尋ねると武道具屋さんから選びに選んで軽い竹刀を購入し、家に持ち帰った後、今度はそれを分解してさらに竹を薄くして軽くしているとのこと。
心配そうにSIK子さん「両腕に力をつけたいんですがどうしたら・・?腕立て伏せとかもぜんぜんダメだし・・」、わたくし「もしかして、スポーツ飲料とか1リットルのペットボトルは片手で持てるの?」と少しふざけて尋ねると、SIK子さんはふくれっ面で「それくらいもてますよお〜」、多感な時期、傷つけたら大変とわたくし「いやいやからかってるんじゃない。それだったらそのペットボトルに水を入れてさ、1日20回程度上げ下げして少しずつ力をつけていったらどうだい?」。
その後、ペットボトルを使ったトレーニングをしたかどうかは知りませんが、中学生になり3尺7寸の竹刀に持ち替えてもYUMと一緒にちゃんと稽古をしていたのを憶えています。ただ、あまり勝った試合を見たことがありませんでしたが・・。でも根性はありましたね、本当に。厳しい稽古をしても弱音を吐いたことがありませんでした。
そんな頑張り屋さんのSIK子さんが個人戦で3位に入り、立派な賞状をもらう日が訪れました。中学校3年生のときの「(剣道部のない中学校に通う生徒のための)郡市中学生剣道大会」です。参加選手があまり多くなかったので2回勝てば準決勝というトーナメントでした。 表彰式の後、優勝したYUMと一緒に賞状とメダルを手にしたSIK子さんにみんな拍手です。ところが本人はニコニコしながらも複雑な表情を浮かべています。「頑張ったな、入賞したんだからもっと堂々として!」と声をかけたわたくしに横からYUMが小さな声で「父さん、見てなかったの。SIKちゃん、1回戦は不戦勝、2回戦は相手の場外反則2回で勝ち上がったの。だから・・」、わたくし「ええっ、そうだっけ!?・・いやでも、日頃の努力がなければそういう運もついてこない。やっぱりSIK子さんの頑張りがあったからだよ」
でも、そんなSIK子さんも中体連の郡市大会では個人戦でちゃんと1本取って初戦を勝ち抜きましたし、初冬には剣道2段に昇段しました。やっぱり、忘れられない剣士のひとりです。
R剣道スポ少の中学生で幸運にもTAKは本人の努力もあって勝ち運に恵まれた子でした。6歳年上の姉、YUMも同じです。
当初、親バカのわたくしはもうそれだけで有頂天になり、職場やご近所などで大ぼらを吹きまくっていたのですが、YUMが専門学校に入学し、TAKが中学校1年生になったばかりの頃だったと思います。カミさんにこう言われてハッとしました。
カミさん「あなたねえ、YUMのときもそうだったけど、TAKも独り剣道の稽古があって遊び友だちがいないってこと知ってんの?」
わたくし「ええっ?と、友だちがいないって・・RYOくんやZENYクンとかいるだろう?」
呆れ声のカミさん「中学校に行ったらみんな学校の部活に入るの!特にR中学校は部活にほぼ全員が入るから大抵そこで友だちが出来るし、放課後や休みの日も部活単位で集まって遊ぶみたい」
わたくし「そ、そうなのか・・。ホントかYUM」
寝っころがってゲームをしていたYUM「まっ、そうだね。私の場合、一緒にSIKちゃんがいたし、MITIKも帰宅部でいたからあんまり気にならなかったけど・・。TAKは友だちほしい派だけど、友だちつくるの下手だからなあ」
わたくし「そ、そんなあ・・」
起き上がってYUM「お父さん、そういうのホント鈍いねえ。ねえお父さん、大会に行ったときさ、TAKが他校の選手とおしゃべりしたり、笑ったりしてるの見たことある?ないでしょ?て、ことは剣道を通じた友だちもいないってことでしょ?」
せっかく上達して好成績を残せても、その剣道を通じて友だちが出来ない・・これでは子どもの・・TAKの成長にいいはずがない!親バカで、我が子にはひいきの引き倒しも辞さないわたくしもこれにはショックを受けました。
それからまもなく郡市中学校総体新人戦大会がありました。初日の個人戦。TAKは辛抱強い剣道で1年生ながら決勝まで残り準優勝です。もちろんTAKも嬉しそうでした。わたくしももちろん大喜びしましたが、先日の「友だち」の話しが頭から離れません。
翌朝の会場。今日は団体戦です。TAKはOBO中学校との合同チームに入り中堅として出場することになっています。YUYくんも一緒です。朝の練習も終わり、TAKはわたくしと一緒に試合場の奥に立っていました。そのときです。背も高く、身体も大きい坊主頭の選手がわたくしたちの前を通り過ぎようとしたところでくるっとTAKの方に向きを変え「あっ、R中学校のTAKだ」と言いながら近づいてきてTAKと向き合い・・。
「R中のTAKは1年生のくせにやたらと強い。よしっ、拝んでいこう。どうか、オレも勝てますように!」
そう言ってその選手は、自分の胸の前で両手を合わせて目をつむり、TAKに深々とお辞儀をしたのでした。
これにはさすがのTAKも吹き出して大笑いです。もちろん私も。すると後ろから大声が・・。
「こらあ〜、KUMA〜!」
「うわっ、GTO先生だ!逃げよう!」
そう言って大慌てで自校の選手の元に走って行きました。大声の主はKAK中学校のGTO先生です。
「いやあ、IKEさん、申し訳ありません!ウチのKUMA、また変なことをやりに来たんでしょう?まったく、もう、すみません!」
わたくし「いえいえ別に!少し話しをしただけです」
GTO先生「ウチの2年生でKUMAっていうんですが、悪いヤツじゃないんですよ」
恐縮してわたくし「わかります、わかります。大丈夫です」
GTO先生が戻った後、TAKはまだニヤニヤしています。
わたくし「参ったな、TAK」
TAK「ウケた!まさか拝まれるとは思わなかった!ハハハ・・、よしっ、今日も頑張るか!」
この日以降、KAK中学校のKUMAくんは他の会場でもTAKに声をかけてくれるようになりました。TAKももちろんあいさつします。
部活の選手に勝つ・・わたくしのこの目標は変わりませんが、ただ、この目標を達成しようと頑張るには、やはり少年剣士同士が互いを認め合い、一緒に剣道を学ぶ友だちとして受け入れ合うことがとても、とても大切なことだと気づきました。
これ以降もKUMAくんとの付き合いは続くのですが、この日に声をかけてくれ、TAKの心をある意味開いてくれたKUMAくんには感謝の言葉もありません。今は地元で介護福祉士として働いていると聞くKUMAくん。間違いなくわたくしにとって忘れられない少年剣士です。