だめだぁ、このままじゃあいかんのじゃあ・・・
郡市大会が終わりました。結果的に6年生の二人の女子が個人戦で1回戦を勝ち抜いたとはいえ、相手は3年生くらいの、しかも竹刀を持って間もないような選手だったことで、わたくしとしてはとても満足できる結果(もちろんその二人は精一杯がんばってくれたのですが・・)ではありませんでした。それどころか、すっきりしないというか、モヤモヤした気持ちで一杯の状態が数日間続いたのでした。そして熟考の上に思ったことが「だめだぁ、このままじゃあ!なんんとか、なんとかしなくっちゃ!なんか原因があるはずだ!」ということでした。
しかし、なんとかしなくっちゃ・・とはいうものの、どうしたらいいのか見当もつきません。6年生の女子3人と5年生の男子1人はそれから練習に来ることが極端に少なくなりました。たま〜に出てきても気のせいかどこか無気力な感じがします。少年剣道の指導について書かれた本を読んでもなんかしっくりきません。確かに練習日が週二日しかないこのR剣道スポ少が他の道場や学校に勝てる可能性が極めて低いことはわかります。しかし、あんなにも技量に差があるというのは練習日数だけのせいではなく、ましてや子どもたちの能力のせいでは決してないと思えるのでありました。
わたくしも運動能力が優れている方ではありませんでしたがスポーツが好きで、高校3年間弱は剣道、それ以外は中学3年間(ずいぶん古い話しで恐縮です・・)と大学を卒業し郷里に帰って約10年間は地元のクラブでバスケットボールを下手ながらに続けておりました。ですから、自分自身のプレイヤーとしての経験から考えて、なんか練習方法が違っているように思えて仕方なかったのです。・・おかしいヨナ〜?
よしゃ!・・・決意の道場、スポ少めぐり
そのころ、職場でも気がつけば「どうやって教えたらいいんだろうか・・」と考えているわたくしでありました。で、思いついたのが近くの道場やスポ少での練習を見せてもらうことであります。「何かがウチと違っているはずだ」、「ウチの練習内容にはかなりのことが欠けているはずだ」といった気持ちからなのでしょうか。他チームの練習内容を見せてもらえば絶対に解決できるような、そんな確信めいたものがわたくしにはありました。当時(まあ、今もですが・・)、郡市内にはウチを除いて八つの道場やスポ少がありました。そのうち、仕事が終わってからでも見学できそうなところは四つです。ただ、いつが練習日なのかがわからなかったため、昼休みにそれぞれの市町村の教育委員会に連絡してだいたいの日程を聞きました。みなさん、とても親切に教えてくださいました。感謝!感謝! その日から、この四つの道場、スポ少めぐりが始まりました。
RENSE道場(S村)−ここはKUROSA先生が主宰している道場です。ほかにTAGU先生も指導にあたっています。突然の訪問にもかかわらず、KUROSA先生は快く見学を承諾してくださいました。子どもたち12、3人が稽古をしており、毎週土曜日と第2、第4水曜日の稽古日です。な、なんとウチより少ない練習日。練習内容は"かかり稽古"中心で何度も、何度もかかり稽古を続けていきながら基本動作を教えていきます。う〜ん、なるほど!(この日の縁で今もRENSE道場とは交流を続けさせていただいており、貴重な指導をいただいています)。
O市剣道スポ少(O市)−市立の立派な武道館が道場です。週に4日程度の練習日でONO先生、NAKAZI先生が主に指導を担当しています。ここでの特徴は防具を着ける前の稽古時間の多さと"足さばき"を重視した内容です。送り足、歩み足のすり足に相当の時間をかけています。う〜ん、そうかあ!(こちらの道場とも今では年1回、合同稽古をさせていただいています)。
KAKU道場(O市)−郡市内はもとより、全県的にも知られた伝統と実績のある道場で、名剣士も多く輩出しています。KAKU道場はかつての小学校の古い木造校舎を稽古場にしています。こちらの道場へうかがったときは、通常の稽古ではなく翌日の大会(・・大会って、ほかにもたくさんあるんだということを初めて知りました)のための試合稽古ということで後日あらためてうかがうことにし、実際に見学させていただいたのは数週間あとの夜間稽古でした。通常の稽古日は月曜日から金曜日までの5日間とのことです。ここで驚いたことは指導者の数です。なんとも多いこと、多いこと。実際に中心になって指導されている先生は2、3人なのでしょうが、元立ちとして指導する大人は10人を超えています。う〜ん、う〜ん、参った!また、子どもたちの習う技も初段のわたくしでは到底上手くできないような高度なものでした。(こちらの道場の剣士とやってなんとか1本取らせたい・・今でもそう思い続けているわたくしの目標のような道場です)。
SENSI道場(S町)−ここで指導されている方の一人がFUZI先生ということを聞いてまずビックリ。この方は小学校の教諭なのですが、実はわたくしの出身高校の先輩で、当時わたくしが1、2年生のときの剣道部の主将なのであります。アポなしでそろそろと町立の武道館に入って覗くと・・たしかにFUZI先輩、いや先生もいます。ここの主宰者はMUTO先生。指導者も若い現役選手が多くいます。稽古日は通常週2、3日とのこと。思ったより少ないような気がしました。しかも準備運動も合わせて1時間10分という短さです。練習内容を見てもそんなに変わったところもありません。ただ、やはりずいぶん高度な技を指導しているようにも思えます。う〜ん、どこだポイントは!(意を決してFUZI先生に近づき「FUZI先生・・」、FUZI先生「・・」、わたくし「・・わかりませんか?」、FUZI先生「見たときある・・」、わたくし「高校の剣道部で・・」、FUZI先生「(間)おお!・・オメエ、なんつったっけ?」。こちらの道場からも時々大会に招待していただいているほか、ずいぶんお世話になっております)。
さて、これで予定の四つの道場、スポ少を見学し終えました・・。
キミ、個人戦で2回勝てる剣士を育てろ!
さて、2カ月ほどを費やしたものの予定どおりに他の道場やスポ少を回り、見学し終え出した結論は、「クッソー!やっぱりわかんねえや」・・でありました。確かに細かい指導内容ではいろいろと参考になる点が多くありました。が、「なあんだこの練習してなかったよお」・・とか、「あれ?これってこんなふうに教えるんだ・・」などといったことはなかった−というのが正直な感想でありました。いや、もしかしたら初段なんぞのわたくしにはわからない何か深く重みのある指導がそこにはあったのかもしれません・・実は、後日、別の章で書きますが、本当にわたくしには見てとれない深いものがそこにはあったのです。しかし、わたくしの目からは練習内容でこれといって大きな違いはなかったのです・・ホント。
しかし、他チームを見学させてもらってのこの結論はかえってわたくしを混乱させるものでありました。やっぱ、練習量だけ?・・でもRENSE道場やSENSI道場のように練習日が多くなくてもいい剣士は育っているよなあ。(−その頃の我がRスポ少の状況はというと・・着実に?いや稽古日ごとに?団員の数が減っていくのでありました。)
そんなとき、指導者と保護者の方々の懇親会(飲み会)が公民館でありました。保護者の方々からは、それなりに今年のスポ少の活動に理解を示して頂き、団長先生もややご満悦です。「まだ、始めて間もないですから仕方ないですよ」、「夏に比べれば良くなってますよネエ、うん」。わたくしも「そうだよなあ、まあ良くできた方かもしれない・・」と思ったところに声がかかりました。「おいっ、キミ!」、わたくし「あっ、ハイ!先生」。その声の主はTAMA先生・・指導者のメンバーではありませんが、地元R中学校の校長先生で、かつてあのKAKU道場のあるKAKU中学校で剣道部を指導され、数々の実績を残されている・・しかも郡市剣道連盟の副会長でもあらせられるのであり、なぜか当R町の住民で、気が向くとたま〜にスポ少を見学、指導に来てくださっている方。この日は来賓での参加でありました。
「キミ、誰か一人でもいいから大会の個人戦で2回勝てる子を育てなさい」・・ハイッ?
なに言ってる!?キミたちが育てるんだろう
「基本を習得させて昇級させることはもちろん必要だよ。それはいいとして大会に出るんだったら、まず存在感を示すことが必要だ。そうすれば試合にも招待してくれるかもしれない。そうなれば選手たちの経験も積み重ねられてスポ少全体の力が上がっていくんだ。そのためには誰か一人でいいから個人戦で2回勝てる子が育つといいんだがなあ。そうすればきっと周りが注目してくれる。弱いチームだからこそ、まず1人そういう選手が出ればいいんだ。」というTAMA先生のお言葉でありました。個人戦で2回勝てる子かあ・・う〜ん。
そのときのわたくしには、個人戦で2回勝つなんていうのは夢のようなことに思えました。しかし、今から思えばその後のわたくしにとってそれが少年剣道を指導するうえでの"目印"、"目安"となったのであります。もちろん今でもそうです。今でもなんとか個人戦で2回勝てるようにすることがわたくしの指導上の"基準"となっているのです。ただ、TAMA先生から言われたその懇親会の場、お酒が入り思考力の低下していたそのときは、「ハアー、そんな子が出てきてくれればいいんですが・・」と頭をかきながら答えますと、TAMA先生は突然不機嫌そうな強い口調で「なに言ってる!?出てくるんじゃなく(出てくるのを待っているんじゃなく)、キミたちが育てなきゃダメなんだベ」という厳しいお言葉。わたくし、また頭をかきながら「ハイッ、スンマセン!」。
翌日・・突然、この弱小Rスポ少が強豪道場やスポ少の選手相手に2回も勝ったら気分いいだろうなあ!!相手チームもあっけにとられてサ、ウチは勝った選手を当然のように迎えるんだ。しかも3回戦で戦ったときも延長、延長で惜しくも1本負け−なあんていったら・・んー、最高ダア!といったわけのわからない妄想がわたくしの頭の中のスクリーンに映し出されます。しかし練習日、春に20人ほどもいた団員は1年も経たないうちに中学生女子1人、6年生女子2人、5年生女子1人、4年生女子2人、1年生男子1人のわずか7人ほどに減っていたのでありました。
まずいなあ・・個人戦で2回勝てる子を育てる前に、これじゃあ団員そのものがいなくなってしまうよー!
さらなる追い討ち・・剣道じゃまなんだよナー!
雪国の厳しい冬がやってきたました。昇級審査会や大会のためにと週1回から週2回に増やした稽古日も、通常の練習日としてすっかり定着したようです。わずかに残った数人の団員たちの技量も少しずつ上がってきたような気がします。特に中学生でただ一人残った女子は初段も狙えそうな感じです。残念ながら6年生の女子はほとんど来なくなりました。でも、5年生女子1人、4年生女子2人、1年生男子1人はやる気満々で頑張ってくれています。全員お世辞にも運動能力があるとは言えない子どもたちでしたがみんな一生懸命です。
その頃は、町民体育館の片面かR小学校体育館の片隅(バスケコートの4分の1くらい)の空いている方を使った行ったり来たりの練習でした。保護者の方々もしだいに慣れてきたようで練習場所が変わるたびに防具を運んでくれます。そんなある稽古日、一人の団員がわたくしのところに来て言いました。「先生・・ケンドウ・・ジャマだって言われた・・」、「エッ?ナニ??」、「剣道、じゃまなんだよ!って言われた・・」、「・・だれに?」、「○○スポ少の人たち・・」、「・・」、「・・気にするな、いいから行こう!」。・・。 そして数日後の次の稽古日。迎えに来てくれた保護者の方が「先生、うちの子が剣道が体育館を使っているとじゃまだっていわれたらしくって・・ハハ。かわいそうでちょっと腹が立ちましたよ」、わたくし「申し訳ありません!!」、「ああ、いや先生たちのせいじゃないですよ!ハハ・・」。
・・悔しかったです。その頃の団員で、今中学3年生のある団員は今もそのことを憶えていてわたくしに言います・・「強くなりたいって思った」。
くそったれー! センセイさ、強くしてあげる方法がわからないんだよー!ごめん!!