◇ 指導者失格!・・我が子びいき

          娘よ、キミには運動神経というものがあるのかい?

平成9年、R剣道スポ少の指導を始めて2年目にわたくしの娘のYUMが入団してきました。目に入れても痛くないほどかわいい我が子ではありますが、こと運動に関しては「どうなっているんだ?!」と思わずにはいられないほどの運動オンチでありました。わたくしも決して運動能力の優れた方ではありませんでしたが、それでもスポーツは好きで、小学校6年生の頃に水泳は1000m泳げましたし、走り高跳びも1m25cm跳べたのを憶えています。また、中学校では下手ながらもバスケ部に所属しておりました。バスケは好きで、社会人になってからも地元のRバスケクラブに10年くらい所属し、2軍の補欠ではありましたが、どうにかそれなりのプレーはできたと思っております。30歳のとき、登録12人目のぎりぎりの選手でしたが、全国大会に出場できたのが自慢でありました。

そんなわけで、娘のYUMが小学校4年生のとき、R女子バスケスポ少に入団させたのは至極当然のことなのでありました。その頃のわたくしは、どうせスポ少の指導を手伝うなら絶対バスケがいいなあ・・と思っていたのもYUMをバスケに半ば強制的に入団させた理由でもありました。知人からバスケットリンクも譲り受け、家の前に置き、バスケットボールもカラーボール2個を購入したりもしました。と、ところがこの娘、パスやドリブル、シュートの仕方を、教えても、教えてもまったく上達する気配がありません。

娘よ、キミの運動神経はどうなっているんだい?と思わず問いかけてみたくなるような気持ちにさえなるそんなこの娘は、なんとわたくしになんの相談もなしでR剣道スポ少にも入団を申し込んでいたのでした。それを知ったときは、さすがのわたくしも驚くどころか苦笑いするしかなかったというのが正直なところでありました。


          バスケ、無理!なぜかひたすら打ち込み台に・・

それでも、YUMは1年半くらいバスケを続けました。4年生の終わり頃でしたか、大会に出たことのない補欠選手の交流大会という気の利いた大会がバスケにはあり、YUMもそれに一度だけ(実際には、後にも先にもバスケのコートにユニフォームを着て立ち、プレーしたのはこれ一度きりとなったわけですが・・・)出たことがありました。わたくしも会場に行きました。うすうすバスケは辞めるんじゃないかな、と思っていたからかもしれません。どういうわけか、今でもあのブルーのユニフォーム姿が忘れられません。気がついたらゲームの行方に関係なくドタバタ走り回るYUMに大声で応援している父親がそこにおりました。

大会が終わり、家にYUMが帰ってきました。わたくし「頑張ったな!」、YUM「来てたの?」、わたくし「ああ、・・気づかなかったのか?」、YUM「うん。疲れた!ねえ、今日は打ち込み台への練習だけして、竹刀振りは休んじゃだめかな?」、わたくし「えっ?」・・。実は、数カ月前に古タイヤと棒切れを使ってYUMに剣道の打ち込み台を作ってあげたところ、毎日学校から帰ってくると竹刀振りをし、メン、コテ、ドウ、コテメンを各20本ずつ打ち込み台に向かって打ち続けていたのですが、それを初めてバスケの大会に出場した今日もやろうとしているのです。わたくし「ムリするなよ!」、YUM「うん!」。そういうと車庫の中から打ち込み台を引きずり出し、竹刀を持って打ち込み台に打ち込みを始めています。

なんで、そんなに剣道は頑張るんだ?!・・そう思いながら独り稽古をする我が娘をよく見ると、ずいぶん上達していることに気がつかないわけにはいきませんでした。・・へえ、けっこうやるじゃないか!


          我が子が気になって・・指導にならず

娘のYUMが5年生になった頃からわたくしの気持ちに変化が起こりました。それはR剣道スポ少の指導中、どうにもYUMが気になるということでした。コテ抜きメン、メン抜きドウ、押さえゴテ・・少し応用技に入るとなかなか上手くできない我が歯がゆくてなりません。運動能力がないのは十分わかっておりましたが少しひどすぎます。しかし、さすがのわたくしもそこでYUMだけに時間をかけて、手取り教えるわけにもいきません。・・わけにもいかないのですが、どうしても気になって他の団員を教えながらチラリ、チラリとYUMの様子をうかがってしまいます。・・あ〜あ、そうじゃないだろう!

帰りの車中、わたくし「なんであんな動きができないんだあ?簡単だべ」、YUM「仕方ないでしょ!」、わたくし「あれはなあ、基本的に後ろへ体重を・・」、YUM「家、着いたよ」。イライラは募るばかりのわたくしでしたが、YUMも平静を装っているようでいてぶ然としています。お風呂に入り夕食を終えたところで、わたくし「YUM、これを持ってちょっと立ってみろ」と言って新聞紙を細長く丸めた刀を預けました。YUM「なにやんの?」。わたくし「いいかあ、コテ抜きメンていうのは相手がこうコテを打ってきたときに・・こうやって・・」、YUM「こう?」、わたくし「いや、そうじゃなくて、こうだ!こう!」・・。

そして、つぎの稽古日のコテ抜きメンの練習・・な、なんとYUMがコテ抜きメンを上手にこなしているではないですか。う、うそっ!たったあれくらい家で教えるだけで出来るようになるのか。要はコツがわかるまで何回もやらせりゃいいんだ。YUMがコツさえわかってしまえば人並み以上に出来ることがわかったわたくしは思わずニヤリ・・ここに親バカで我が子びいきの失格指導者が誕生した瞬間であります。


          なあ、少し2人で練習してみないか?・・・父からの誘い

ある日の夕食・・。わたくし「なあYUM、明日お父さんと一緒に児童館で稽古してみないか?」、YUM「えー、明日スポ少じゃないよおー」、わたくし「そんなことはわかってる。ただ、ちょっとだけ教えたいことがあるんだ。おまえ、アノ技出来なかったろ?だからちょっと練習しないか?」、YUM「・・何時間?」、わたくし「ナニ言ってんだ?!そんなに何時間もやるわけないべ、30分くらいだ」、YUM「う〜ん、30分くらいなら・・」。わたくしは、思わずこころの中でニヤリ

そして次の日、近くの児童館の遊技場を借りて、初めての2人っきりの稽古を始めたのでした。準備運動も、今までやっていたものをやめてストレッチにし、竹刀振りも片手、正面、左右面、跳躍面で300本にしました。竹刀振りはスポ少の時の3倍の本数です。YUM「手にマメが出来た・・」、わたくし「大丈夫、大丈夫!」。思ったとおりでした。YUMは運動能力はないものの、2、3回やってみせるとけっこう上手にマネすることができる子なのでした。自分でもうすうす気がついたのか、上手く出来ないと、もう一回、もう一回とわたくしに反復練習を求めてきます。稽古時間は、準備運動を合わせて2時間近く経過しています。稽古を終えてYUMに尋ねてみました。「明日も少しやってみるか?合いコテメンもあとちょっとで出来るようになりそうだし・・」、「う〜ん、いいけど・・」。よしっ、やった!

それから、週2回のスポ少と週3回の個人練習が始まりました。加えて週1回のバスケ(これがなかなか体力づくりに効果的でした)にも行かせました。4年生の頃はあまりパッとしませんでしたが、5年生の夏が過ぎると目に見えて上達するのがわかりました。運動会、社会見学(かつての遠足)、学習発表会(かつての学芸会)、少々の風邪・・なにがあっても個人稽古だけは休みませんでした。我が子ながらよく頑張ると感心するくらいの頑張りでした。しかし、それが即大会の好結果に結びついたわけではもちろんありません。しかし、着実に力をつけてきたのがわかり、親バカの失格指導員はもう四六時中我が子の剣道のことを考えるようになったのでありました。


          おだてて、おどして週5日・・・なんか強くなったぞ

個人練習を含め、週5日間の練習を続けていくことは並たいていのことではありませんでした。病気まではいかないまでも体調のすぐれないことももちろんあっただろうし、気分の乗らないことだって何回もあったでしょう。しかし、この親バカの父は娘を必要以上におだてたり、マンガ本を買ってあげたり、ときにはもう剣道なんて辞めてしまえなどとおどしてみたりしながら個人練習をほとんど中断することなく続けたのでありました。しかし、なんといっても30年前の初段しか持ってないわたくしですから、剣道の知識や技量も十分にあるわけではありません。時間を見つけては本屋や町立図書館で剣道の入門書などを参考にしての指導となったのでありました。

そんなとき、スポ少の本部から指導員の講習を受けるように命令が下されました。実はR剣道スポ少の指導を始めた当初から受講するように言われていたのですが、なんやかんやと理屈をつけながら回避してきたのでありました。しかし、このたびは「受講してもらわないと、R剣道スポ少の存続にもかかわりますよぉ〜」というキツイお言葉で渋々講習会場へと向かったわたくしでありました。ところがやはり人間、人の話しは聴くもんだ、勉強はしてみるもんだとつくづく思ったのは、このような実に新鮮な講義を聴いたからなのです。「みなさん、小学校の4、5年生の頃は体力トレーニングをしてもそんなに効果はありません。たとえば心肺機能ひとつとってみても成人の三分の一程度の器しかないものに無理やり体力をつけさせようとしてどうなります?!しかし、器用さやすばしっこさなんかは、成人とほぼ変わらないところまで能力を伸ばすことができるんです。ピアノなんかの奏者を見てください。小さければ小さいときから始めた方がすぐれた奏者になっているでしょう」。なるほどそうか!小学生くらいのときは左手の素振りなんていう無理な竹刀振りなんかさせないで、少しぐらい高度かな?なんていうくらいの技の稽古をした方がいいってことじゃないのか・・。

実はこの発想・・これがけっこう的を得ていたんじゃないかと今でも思うのです。なぜなら、この技中心の稽古を始めてから娘のYUMがなんとなく強くなってきたような気がしてきたからなのであります。


          当然の批判・・・周りの保護者の気持ちも考えてみず

平成11年の春、YUMも小学校6年生になりました。わたくしの身長が172cm、カミさんも165cmほどあって、親の背丈はそんなに低いわけではないのですが、YUMは145cm程度となかなか大きくなりません。それでも3尺6寸の竹刀をさほど苦もなく振り回せるようになっています。これも、昨秋から冬にかけての竹刀振りのおかげです。加えてすり足もひと冬休まず稽古したのも良かったようです。5年生の夏ごろまで続けていたミニバスは退団し、その頃は剣道一本に絞っての生活でした。

 スポ少の練習でもYUMの動きは(親の欲目を差し引いても)抜きん出ているのがわかります。「YUMちゃん、強くなりましたネエ!」とか、「YUMちゃんの動きだけなんか別ですネエ!」などという他の保護者の声に鼻の下を大いに伸ばしながら「いやあ、そんなことないですよお、キャハハ・・」と軽薄な受け答えをする親バカのわたくしでありました。まぬけにも、このような声をかけてくれている保護者のみなさんのほとんどが、心の中では「なんだ、自分の娘だけに個人練習するなんて・・非常識にもほどがある」という批判の気持ちでいっぱいであったことなど、本当に露ほども気がつかなかったのです。今から冷静に考えるとそう批判されるのも当たり前だよなあ・・と思うのですが。

そして、6月・・昨年から呼んでもらっている「郡市学年別少年剣道大会」の通知が届きました。当然2人だけの稽古にも力が入りました。ある日YUMがわたくしに言いにくそうな口調で「・・大会まで休みない?」と尋ねられるまで、2週間近くも連続して稽古していたなんて気づいていないほどわたくしはYUMとの稽古に熱中していたのです。もちろん、娘の気持ちなどまったく考えもせず・・


          娘が郡市大会でベスト8!・・・至福の親バカ指導者

郡市学年別少年剣道大会の日。会場は去年と同じO小学校の体育館です。R剣道スポ少からは4年生以下の部に2人、5年生の部に2人、6年生の部に娘のYUMとSIKさんの2人がエントリーしました。午前中は4年生以下の部と5年生の部が行われ、それぞれ善戦したのですが今一歩及ばず、無念の1回戦負けです。でも、みんな懸命に頑張った充実感もあって表情は明るく元気です。昼食をとり、いよいよ6年生の部が始まりました。1回戦、SIKさんは残念ながら2本負けです。やっぱり腕力のないことのハンディがまだ解消できてないのです。そして、YUMの出番です。

YUMは、抽選で1回戦の枠を外れたので2回戦からの試合です。主審の先生のはじめ!!ので試合開始です。熱戦の末、YUMの1本勝ちです。ヤッター!勝ったぞー!、頑張ったぞ、YUM!・・・そして2試合目、3回戦です。娘のYUMは、なんとこの試合もメンの1本勝ち。ベスト8に勝ち上がりました。かつて、R剣道スポ少の顧問のTAMA先生がわたくしたち指導者に求めた「個人戦で2回勝てる子」がついに出たのです。親バカで我が子びいきのわたくしは、すっかり指導者という立場を忘れてしまっています。「YUM、次も頑張れ!このままコテメンでつないでいけ!!いいな!!!」。そして、ベスト4をかけた準々決勝です。相手はKAKN東小学校のKOMくん(この大会は男女混合です)、郡内屈指の好剣士です。ここまでは、全部女子選手、男子にどの程度通用するのかわかりません。なんとか、1本負けぐらいの試合であれば・・・と、ところが、なんと試合は0−0のまま延長戦に突入です。周りから、「誰れ、あの子?」、「R町のI−YUM?」といった声まで聞こえてきます。試合中にKAKN西小学校の監督がわたくしの傍で「先生、あの子男ですか、女ですか?」と尋ねました。わたくしは失礼にもこの先生の方を見向きもせず「女です!」。そして、2、3回目の延長の末、YUMの善戦もむなしく引きゴテをとられ負けてしまいました。

閉会式、YUMは思いがけず敢闘賞の賞状をもらいました。わたくしのこのときの嬉しさといったら、もう何にも変えがたい至福のときでありました。YUMもそうであったのかもしれません。今年、高校に入学したYUMと、小学校、中学校を通じて数枚あった賞状を壁から降ろし整理しようとしたときも、この小学6年生のときのワープロで書かれた「敢闘賞」の賞状だけははずさないでおこうか・・と意見が一致したのでありました。


          な、なんと!大切な試合のビデオはバラエティ番組に・・

YUMはその後もわたくしとの自主練習を欠かすことはありませんでした。竹刀振りも毎日350本を目標にしました。それはわたくしが残業や付き合いの飲み会などで練習に付き合えない日でも続けました。天気のいい日は自宅の前で、天気の都合で外で竹刀を振れない日には、いつもの練習場である児童館に母親から連れてってもらい、そこで竹刀を振りました(振らせました?)。都合で長期間(3、4日)わたくしとの練習ができない日は、母親が竹刀を持って打ち込みさせたり、母親に防具を着けてもらって打ち込みをしたりしたことも何度かありました。初めてYUMのメン打ちを受けた日の母親は、軽いめまいがした!もうやらない!と苦言を呈したほどでありました。

郡市学年別少年剣道大会の準々決勝の様子は、隣家の娘さんがビデオに撮ってくれていました。親バカ指導員のわたくしは、このビデオをダビングしてもらい毎日、毎日・・こっそり独りで見るのが楽しくて楽しくてたまりませんでした。仕事がどんなに忙しくても、飲み会で午前様になったときでも必ずこのビデオを見て布団につくのが日課になっていたのでありました、が・・ある日のことです。接待の飲み会を終え、帰宅したときには子どもたちはもちろん家人は皆寝てしまっておりました。わたくしは、パジャマに着替え、いつも通りにビデオをセットしました。おっと、ビール、ビール、缶ビールとチーズ!。スイッチ、オン!・・あれっ?・・ハハハ、テープを間違えた。あれっ、あれっ、あれえっ!!!「お〜い、YUM!!」、2階から眠そうなYUMの声「なあ〜に?」、わたくし「あ、あの学年別のビデオ、どした?」、YUM「ああ、もういいでしょ!?」、わたくし「ええー?」、YUM「もういいから消した、オヤスミ・・」。唖然・・振り返ってテレビを見ると、そこには明石家さんまさんのバラエティ番組が空しい笑いとともに流れているのでありました。

・・だよなあ・・YUMだけじゃない、子どもたちはいつまでも過去を振り返ってなんかいないんだよなあ。どんどん成長してるんだよなあ。・・でもなあ、あのビデオ、もう一度でいいから見たかった・・


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