◇ 部活の選手を倒してみせる!

          女子が小学校を卒業、舞台は中学校へ

娘のYUMとSIKIさんが小学校を卒業しました。その前の年にはHIROさんが卒業しており、R剣道スポ少を引っ張ってきた3人の女子剣士が中学生になったわけです。平成12年のことであります。これまでのRスポ少団員はといえば、中学校入学とともに他の部に入部し、剣道から離れてしまうのが常でありましたが、この3人は違っていました。1年先に卒業していたHIROさんは毎回の練習には来れなかったものの、週に1回くらいは剣道を続けていましたし、あとの2人も剣道を続けることになったのです。ただ、R中学校は生徒全員が学校の部活動に参加しなければならないことから、YUMとSIKIさんは先輩であるHIROさんのいる茶道部に入部したのであります。かくしてここに、伝説の?茶道部女子剣士3人が誕生したのでありました。

R剣道スポ少の活躍??の場は、なんと中学校にまでもその舞台を広げてゆき、またもやさまざまな場面をわたくしに提供してくれたのであります。


          ええっ、大会に出れる!?・・TAKA教頭先生登場

・・とはいえ、中学生がスポ少で剣道を続けるといっても特に参加できる大会があるわけでもなく、強いて言えば11月に昇段審査会がある−そんな程度でありました。ウチに帰ると、娘のYUMも部活の茶道に必要な道具などを揃えて、母親と何か楽しそうに茶道の真似事などしています。その様子を見て、本来ならば娘の中学校入学を喜ぶのがわたくし、そう父親の自然な態度であるのでしょうが・・どうも心の底から手放しで喜べない自分がいます。そう、それはやっぱり娘には真剣に剣道の稽古に励んでほしいという気持ちをぬぐいきれないでいるためであったことを白状しなければいけません。しかし、中学校の3年間、一つの試合もなくただ稽古のみ・・というのが可能かどうか?・・それにも自信が持てません。なにより、YUMの気持ちはどうなのかが一番の問題でありました。

そんな5月の初旬頃です。わたくしの職場に中学校から電話が入りました。「あー、私、R中学校の教頭のTAKAと申します」、わたくし「えっ、あっ、こんにちは!ああー!娘が何かしましたかあ!?」、教頭先生「ハハ・・、いやそうじゃあありません。実はR剣道スポ少の団員で今度の郡総体の個人戦に出る子はいないかと思いまして・・」、わたくし「ええーっ、た、大会に出れるんですかあ??」。・・何かが動き始めたことをまだ飲み込めずにいたわたくしでありました。


          開いた門戸・・中体連の郡市総体の出場が決まる

それは本当に画期的なことのように思えました。教頭先生の話しだと、つまり・・やっぱりスポ少からの出場はムリなのですが、R中学校の選手としてだったら良いということのようです。しかし、それは部活というわけではなく、中体連の剣道部会に所属している他校の先生に学校長が「代理監督」を依頼するようなかたちがとれれば、スポ少の指導者が引率してきても出場は可能・・そんな内容のようでした。正直、あんまりよくはわからなかったのですが、教頭先生が「もし、出場できる団員がいれば、諸手続きはわたしがやりますから、連絡してください。では、失礼!ツーツー・・」。

その日、家に帰ってYUMにその話しをすると、「ウソー!!」、しかし続けて「そういえば、あの教頭先生、剣道やるって言ってたっけ。なんか、小学校のときの大会で審判の先生で来てなかった、お父さん?」。そんなこと言ったって、わたくしはその教頭先生の顔知らないから、わかんないよ!とにかく、明日にでも時間を見つけてR中学校に行って教頭先生からもう一度話しを聞いてみなくっちゃ。そして翌日の昼休み、昼食もそこそこにR中学校へ。「職員室の一番奥の先生が教頭先生です」と若い先生に案内され、教頭先生に面会。丸顔のニコニコした、わたくしより4、5歳ほど年上に見える恰幅のよい先生でありました。「あ、あの教頭先生、わたくしR剣道スポ少の・・」、教頭先生「ああ、どうも!YUMさんのお父さんですね」、わたくし「はっ?はい!」・・まるで中学生のような返事であります。教頭先生「昨日電話でお話ししたとおりですから、ぜひ出場した方がいいですよ。なかなか勝つのは難しいと思いますが、手続きはわたくしがやりますから!」・・。

教頭先生の迫力に圧倒され、詳しい事情はやっぱり聞くことはできませんでしたが、とにかくこのとき6月の中体連の郡市総体個人戦にYUMとSIKIさんの2人が出場することに決まったのでありました。そう、平成12年春のことであります。


          新品の防具で初の公式試合・・相手は強豪校の大将

いよいよ大会の日が近づいてきました。娘のYUM、そしてSIKIさんの練習にも熱が入ります。SIKIさんは通常のスポ少の日程の中での練習、YUMはわたくしとの個人練習に加え、隣町のSENS道場へもときどき出稽古に出かけました。本人以上に気合が入っているのはどう見ても指導者かつ父親のわたくしです。この頃のことを思い出して、話す機会があると決まって「お父さんの言われるままだったナー」とYUMは恨めしそうにこう言います。・・まあ、今でもあんまり変わっていないせいでちょくちょくYUMに苦言を呈せられているのですが・・。

小学校の卒業式を終えた春休み、注文していたYUMの新しい防具が届きました。金額は割引してもらって10万円ほど。YUMの身体に合わせてもらった記念すべき新品の防具です。「わぁー、窮屈だよー!!」と言いながらもどことなく嬉しそうなYUMの様子に思わず頬が緩みます。(この、防具も今ではずいぶん傷み始め、つい先だって2代目の防具を注文したわけでありまして・・。)

大会のある6月がやってきました。24日が大会日で、会場はO中学校の体育館です。そんなある日、SENS道場から帰ってきたYUMが、「ワタシの対戦相手もう決まったらしいよ」、わたくし「ええっ?ほんと?だれ??」、YUM「KAK中学校のTAKAMさんていう3年生で、大将らしい」。・・そうかあ、KAK中学校の大将かあ、そっかあ・・。「まあ、相手はだれでも同じ。みんな部活で毎日、毎日練習している剣士ばかりだろうけど、だれが相手でも頑張るしかないサ!」。YUMもこんなありきたりのわたくしの言葉でありましたがコクリとうなずいてくれました。よーし、頑張るぞー!・・あっ、わたくしじゃあなかった、YUMとSIKIさんだった!


          完敗の1本負け・・・雪辱を誓う

いよいよ大会の当日、O中学校の体育館です。勝手がわからず少し戸惑いながらもYUMとSIKIさんが一礼して試合場に入りました。試合場ではすでに各校が試合前の気迫あふれる練習を続けています。そっと2人の様子を見ると・・大丈夫です。小学校の頃の経験が生きているせいか、会場の雰囲気にさほど圧されることなく防具を置き、正座し、礼・・面を着け始めました。そこに「あらっ、YUMちゃんのお父さん!」、振り向くとそこにはKAK中学校剣道部員の顔見知りの父兄がいます。その方はYUMが小学6年生のときに北海道で行われた剣道スポ少の大会で一緒だったATUくんのお母さんです。ATUくんのお母さん「プログラム見ました。YUMちゃんたち出れるんですねえ、よかったですねえ。相手は・・ああウチのTAKAMさん・・。でも頑張って!」。

最後の「・・ああTAKAMさん・・」という語感が少し気になりましたが、こんな場所に知っている人が声をかけてくれるのは本当に心強く嬉しいものです。・・と、そこにYUMがやってきて「練習はだいたい終わったけど、どうしよう?」、わたくし「じゃあ、切り返しで上がって」、2人「うん!」。「まもなく開会式を行います。選手は学校ごとに整列してください」というアナウンスが聞こえました。わたくし「おいYUM、お前たちも並んで!」。開会式では、大会委員長が「今回の大会には新しくR中学校の選手も出場しています」と紹介してくれました。なんか、すごく熱いものが込み上げてきました。い、いや、こんなところで感傷に浸っている場合じゃあない。試合だ!

第2試合場、「赤、TAKAM選手!白、IKE選手!」・・名前が呼ばれました。始めえ!。コテメーン!YUMが果敢に先をとって攻めて行きます。緊張している様子も見えません。しかし、相手のTAKAM選手も落ち着いています。試合も1分を超えたとき、ドー!。一斉に審判の先生方の赤い旗が上がりました。つばぜり合いからの強い引き胴です。個人戦のときは先取されたらがむしゃらに取り返しに行くというわたくしの指示通りにYUMはその後2段技を中心に攻め続けましたが、ピーッ!という終了の笛がなりました。結果的には1本負けでしたが、相手の選手には十分な余裕が感じられ、まさに完敗でありました。SIKIさんも頑張りましたが、同じくKAK中学校の選手に敗れました。

厚い、厚い部活選手の壁を感じさせられた大会でありましたが、同時に次はきっと!という気持ちを湧かせてくれた大会でもありました。


          全県学年別で初勝利・・でも目標は郡市総体

TAKAMさんを初めとした部活選手との大きな力の差を感じながらも、YUM、SIKIさんに加え、2人の郡市総体での頑張りに勇気づけられたHIROさんも秋の新人戦に向けR中の茶道部と両立させながら一生懸命に稽古に励んだのでありました。しかし、娘のYUMは、またしてもKAK中学校の実力者T・YUKさんに立ち上がりに相い面をとられての1本負け、SIKIさんとHIROさんも延長戦まで持ち込んだのですが力及ばず勝利をものにすることはできませんでした。う〜ん、やっぱり厳しいのかなあ・・思わず弱気になっていくわたくしでありましたが、茶道部女子3剣士が各々の中学校生活を大切にしながらも、生活環境が許す範囲で剣道の稽古を続けている姿を見ていると「こんなことで指導している自分が弱気になってどうするんだ!」と気合を入れ直さないわけにはいかないのでありました。

やがて、奥羽山脈の麓のR町にも雪がちらつきはじめ、例年どおりに1m以上の雪に埋もれる季節となりました。そんな時、R剣道スポ少宛に一通の手紙が届きました。それは年明けの日曜日に開催される「全県中学生学年別剣道大会」の通知でありました。今までこんな知らせを受けたことがなかったのですが、考えてみるとこれはどうやら少ない稽古量ながらも郡市総体に出場しているR中の女子3人の頑張り?のおかげのようにも感じました。 結局、それぞれの事情もあって出場申込みしたのは娘のYUMだけでありました。大会当日です。初めて入る市立体育館。出場選手たちの試合前の練習で熱気が充満しています。YUMも練習を始めましたが、その練習相手はわたくしが持つ予備の竹刀です。打ち返しを3、4回、その後竹刀に打ち込み、そして持っていったわたくしの小手にも数本打ち練習を終えました。中学校1年生女子の部が始まりました。YUMの1回戦の相手はA市内の選手です。YUMの動きに硬さは見られず、開始1分半ほどで引きドウ、引きメンを決め2本勝ちすることができました。部活選手に初勝利です。2回戦も同じくA市内の選手でしたが引きゴテをとられ1本負けでした。

試合後、わたくしが笑顔でYUMに「部活選手にやっと勝てたな!」と声をかけると、意外な答えが返ってきました。「あの選手、きっと中学校から剣道を始めた子だよ(だから勝って当たり前)。それより、2回戦の選手・・(悔しい)」。そうです、YUMにとって部活の選手ならば誰でもいいというわけではなかったのです。むしろ部活にかかわらず自分の眼前にいる強い相手から1本をとることに意味があるようなのです。・・そうか、成長したよなあ。部活選手に初勝利は嬉しいけど、お前の目標は郡市総体で強豪相手の1本なんだな。


          またもや振り出し・・中学校でも女子3人での挑戦!

どうしても乗り越えることができない厚い厚い部活選手の壁をなんとか打ち破ることができないか・・それはいつしかわたくしの夢でもあり、大きな目標ともなっていました。そしてR剣道スポ少の団員で部活選手からの勝利に最も近いのは娘のYUMであり、その部活選手からの勝利を最も強く意識していたのも娘のYUMでありました。確かに我が子びいきであったかもしれません。それでもなんとかその勝利を手にしたい・・手にすることがR剣道スポ少の貴重な糧になるという思いが日に日に増していくのでありました。

厳しい冬が過ぎ、春も盛りを迎えようとしている4月・・YUMはじめSIKIさんは中学2年生に、HIROさんも中学3年生になりました。あの無鉄砲な腕白剣士たちも中学校1年生になりました。しかし、このかつての腕白剣士たちも、すっかり大人になりました。SOUくんはYUMたちと同じく茶道部に入部しましたが、その類い稀なる運動能力でサッカーと陸上のスポ少を続けることとなりました(しかし、彼はその後思いっきりサッカーをしたい・・という理由から隣村の中学校に転校していきました)。NORくんは、一時茶道部に籍を置きましたが、科学部に転部・・少しの間剣道を続けましたがその両立が無理になりR剣道スポ少を去っていきました。・・R剣道スポ少の中学生は、またしても女子組3人のみとなりました。

そんな頃です。もうこれ以上わたくしの技量ではどうにもならないと思い切ったわたくしは、SATOさんというO市KAKU町・・そうです、あの名門KAKU剣道スポ少のある町・・で剣道を愛好する方に中学女子3人の指導をお願いに行ったのであります。SATOさんは、YUMがまだ小学校に上がる前に高校時代の剣友を通じて知り合った自営業の方です。わたくし「お久しぶりです!実は・・なわけで、良かったらウチの女子中学生3人・・特にYUMを指導してもらえないッスか!?」、すると久しぶりに会ったSATOさんは「オレでよかったら・・いいよ!」。・・よし、やったー!

自宅に帰り、さっそくYUMに「YUM、今度からときどきKAKU町のSATOさんからお前たちの練習を見てもらうから!」、YUM「ええっ!?」。


          渾身の合い小手面・・納得の2本負け

・・そんなわけで、女子中学生3剣士の新たな挑戦が始まりました。それでも3年生のHIROさんと2年生のSIKIさんの稽古日は毎週木曜日と土曜日の二日です。特にHIROさんは受験の年ですから勉強の方もたいへんです。そして4月も終わりの稽古日に、約束どおりO市KAKU町からSATOさんが指導に来てくれました。YUMの稽古は以前にも何度か見てもらったことがあったのですが、あとの2人は初対面です。そのSATOさん、HIROさんとSIKIさんの稽古を見て「・・・・」。数十秒後、2人を呼んで「HIROさん、キミはもう少し気持ちをしっかり持つこと。それといい面を打てるから、まず真っ直ぐ面の中央を打つように心がけたほうがいいね。わかった?」。HIROさん「はいっ!」。続いて「SIKIさん、あなたは蹴りと腕力が少し足りない。でも試合はもうすぐだから、少し間に合わせになっちゃうけど・・こういう感じの出がしらの面を練習しよう!」。SIKIさんも「はいっ!」。そして「YUMちゃん、キミは抜き胴と合い小手面、これで行こう!」。さすがだなあ・・と思いました。本当にわずかな時間で3人の良いところ、悪いところを見越しての適切な指示に思わず感心。でも、本当の剣道の指導者ってこれが当たり前なのかな・・とも思い少し落ち込んだりもしたりしたわたくしでありました。そして、それから約2か月間・・YUMは週6回の稽古、HIROさんとSIKIさんは週2回の稽古で大会をめざしたのでありました。

そして、6月の大会当日。会場はいつものとおりO中学校の体育館です。いずれも今年の春頃から防具を着けたような選手であったせいでもあり、3人とも初戦を突破しました。実力的に差があったとはいえ、3人はとてもいい雰囲気で次の2回戦を迎えました。しかし・・そう簡単に部活の選手が勝たせてくれるはずもありません。HIROさん、SIKIさんともに完敗。最後にYUMの試合です。相手はまさに名門O市立南中の大将、3年生のKAT選手です。驚いたことに、この選手との対戦を4月の段階でSATOさんは予測しており、そのための稽古が抜き胴と合い小手面なのでありました。SATOさんの作戦はこうでした。「YUMちゃん、キミは幸い無名の選手だ。だから相手は絶対に最初に面を打つ。そこに抜き胴だ。でもそれで胴を取らせてくれるほど甘くはない。次に相手は切り替えて小手を打つ。そこにキミが得意の合い小手面を打つんだ。わかったな!」。

展開はまさにそのとおりになりました。立ち上がりまず抜き胴・・そして相手が小手面を打ちました。YUMも同時に渾身の力を込めて小手面を打ちました。小手面と小手面の合い打ちです。旗はどちらにも上がりません。そしてまたしてもYUMは強く早い小手面・・と相手も小手面!またしても旗は上がりません。・・結局YUMはその後、出がしらの小手を2本取られ勝負はつきました。会場に来てくれていたSATOさん「仕方ない!次は新人戦だ、YUMちゃん!」。YUM「はい」。2本負けは悔しかったろうけど、YUMにとっては納得の2本負け、全力を出し切っての2本負けであったように思います。なぜならKATO選手との試合後、その日初戦で勝ったときよりも、ずうっといい顔をYUMがしていたのでしたから。


          中体連郡市総体で準決勝へ進出・・夢?

中体連の本大会を終え、R剣道スポ少女子中学生の活動が新たに始まりました。3年生のHIROさんは6月の本大会でいわゆる"現役"を引退し、高校入試に向けた勉強です。残った選手は2年生のSIKIさんと、YUMです。特にYUMは気持ちも充実し、茶道部の活動と剣道を両立させながら秋の新人戦に向け、ときどきKAKU町のSATOさんから練習を見てもらいながら稽古に励みました。そして9月・・中体連の郡市総体新人大会がO中学校体育館で開かれました。

この大会の個人戦、YUMは気持ちも充実して技の切れもよく勝ち進み、なんと夢の準決勝に進出したのでありました。特に個人戦3位を目指した準々決勝ではO市立南中のSAOR選手(不思議な縁で、YUMとこのSAOR選手は現在JONAN高校剣道部のチームメイトとして一緒に頑張っているのでありまして・・)と戦い、面1本を先取されたものの終盤に同じく面で追いつき、延長戦で相い面を取り勝利した試合は、技術も未熟でありましたが今でもわたくしの記憶に残っている試合なのであります。しかし肝心の準決勝は、これも名門OBONA中学校のHATAK選手でしたが、YUM本人も認めるとおり地力では勝っていたのですが延長戦で面を取られ悔しい敗戦となりました。

ここまでがわたくしが自分の目で見た大会でのYUMであります。その後は残念ながら仕事が忙しく、翌日の表彰式や閉会式を見ることができませんでした。しかし、YUMの表彰式に同行したカミさん曰く「閉会式のときの大会の会長さんのあいさつで、"団体戦は3人で戦い抜いた○○中、そして個人戦では女子で3位に入賞したR中学校のYUM選手の試合が最も印象に残った"って紹介してくれたの(目にいっぱいの涙でうるうる)」。・・そっかあ、大会の会長先生がそう言ってくれたかあ。そのときの様子を自分勝手に想像し、わたくしも思わずうるうるしてしまったのでありました。

しかし、部活選手がそんなに簡単に道を開けてくれるわけがありません。翌年の中体連本大会でのYUMは見事に完敗!決勝リーグにも進めなかったのでありました。「高校で剣道をやる。部活で剣道をやる。」・・そのときYUMはそう思ったのかもしれません。そして今、すばらしい監督先生の指導を受け、すばらしい仲間たちとともに高校で剣道を続けているところであります。しかし、わたくしの気持ちはそうではありませんでした。そのときのわたくしの気持ちは、R小学校の3年生になったYUMの弟、つまり私の息子のTAKUとともに今度は男子の部で部活の選手に挑もうと勝手に考えていたのであります。


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