ひとこと・・【03/5/4】 | GWに家族でどこかへ行こうと思ったのですが、カミさんはパート、娘は部活のため小学校4年生の息子と釣りに出かけました。 行き先はOGA磯です。息子とは昨年も2人で小あじやサヨリ釣りに3回ほど出かけています。 高速道路を使って約2時間強。息子の学校のことや友だちのこと、ときにはわたくしの職場のことなど 長い道のりの中、けっこう話しがあるものです。退屈せずにOGA磯に到着しました。 今日の狙いは春を告げるサカナ、ウミタナゴです。 結局ウミタナゴは釣れず対象魚を変更、小ぶりのメバルを9尾とアブラメ1尾という釣果でした。 帰り道、近くの自販機でインスタントのソバをすすりながら、 「父さん、明日どうする?」、「そうだな、ヘラに行くか?」などと話す息子と父でありました。
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ひとこと・・【03/5/12】 | 5月3日の朝に起きてみるとのどが痛い。いつもはのどの痛みなどあまり気にならないのですが、今回はやけに痛む。 しかし、この連休は休日出勤の予定もなく、今までのご奉仕分を一気に取り返そうと思っていたこともあって、 息子とのOGA磯への釣行もあわせて3日間連続の釣りを敢行したのであります。 加えて釣りの後は子どもたちと剣道です。案の定、風邪は悪化し医者通いとなりました。 それでも気持ちはずいぶんリフレッシュでき、新鮮な気分で翌週からの仕事に向かったのですが 寄る年波には勝てず、風邪はまたもや悪化、もうろうとした先週一週間を過ごしたのであります。 しかも一昨日、昨日も休んでいればいいものを、二日連続の釣り・・。 おかげでこの風邪・・自業自得とはいえ、いつになったら完治するのでしょうか−といった状態なのであります。
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ひとこと・・【03/5/14】 | ひどい病気が猛威を振るってます。今年もう一度行きたいと思っていた大好きな台湾が病んでいるのが悲しいです。 一昨年、台北の蝦釣場で惨敗した借りを是非とも今年は返したかったですし、 瑞穂郷のテラピア釣りを今度は自分の仕掛けでやりたかった。 テラピアの釣り池の隣にあったピラニアを今年こそはあの太い青竹でGETしたかったー! それに花蓮のあの蒼いきれいな海で、今度こそ手続きを間違えずにタテ釣りをしたかったです。 しかし、何よりも台湾の友達の安否が気になります。みんな、元気かなあ・・・。 きっと、現代の医学の力がこのやっかな病を打ち倒してくれるはずです。 信じられないテロがあったハワイの釣友とも、先ごろ元気に再会できました。 きっと、今度も大丈夫です!ああ、平和で健康な地球で釣りがしたい!!
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ひとこと・・【03/5/18】 | まあ、本調子とまではいかないまでも、やっとなんとか剣道ができる体調になってきました。 咳の方はやや残っていますが、鼻の方はずいぶんいいようです。 さて、小学4年生の息子が朝に「友だちと中央公園に行ってくる」と言って出かけようとしていました。 しかも、母親におにぎりまで握ってもらったようです。 「なにして遊ぶんだ?」と尋ねると、「うん、ちょっと・・」と言い籠もっています。 「悪いことや、危ないことはダメだぞ!」というわたくしの言葉に、心外だと言わんばかりの顔で、 耳元に寄り「父さん言うなよ!オレたちこれから秘密基地を作りに行くんだ」。 わたくし「どこに?」、息子「だから中央公園!じゃあね、行って来る」。 そっかあ、秘密基地かあ・・、そんな遊びまだやってんだあ。ハハハ・・・。
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ひとこと・・【03/6/1】 | 先月26日の地震には大いに驚かされました。ずいぶんと長い時間揺れていましたね。 そのときわたくしは、息子と2人で近くの児童館で剣道の稽古に出かけておりました。 ちょうど準備運動のストレッチをしているときです。 ふと、天井でパキッと音がしたような気がして様子をうかがっていると大きな横揺れ・・ 小学4年生の息子に「地震だな」と声をかけると、息子は黙ってうなずきました。 少しの時間、児童館の中にいたのですが、どんどん揺れは大きくなります。 外へ出よう!と息子の手をとり前庭に避難しました。大きな揺れに立っていられないほどです。 ・・と息子が、「こんなときはしゃがんでいた方がいいって学校で先生が言ってたよ」 思いもかけず冷静な息子の言葉と振る舞いになんとなく頼もしい感じがした父でありました。
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ひとこと・・【03/6/8】 | 高校1年生の娘がおりまして、小、中学校に引き続き剣道をやっております。 「剣の勝負は神頼み」に出てくる"YUM"であります。 今、全県総体の期間中で明日から個人戦、ナント娘も出場するようです。 他の1年生部員と異なり、部活ではなくスポ少出身のためか実力的にはかなり劣るようです。 入部したての頃は体力的についていけず突然発熱したりもしました。 それでもどうにか最近は体力がついてきたみたいだと話してくれ、少し安心しておりました。 しかし、剣道の実力といった点ではまだまだで、試合稽古では勝ったことがないと苦笑しております。 そのため、今回の大舞台で団体戦補欠、個人戦出場には嬉しいよりも戸惑ってさえいるようです。 ともあれ、せっかくの機会であることに違いありません。一生懸命頑張ってほしいものです。
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ひとこと・・【03/6/15】 | 人間ドックで医師に減量の必要を説かれ、ダイエットを始めてから2ヵ月半が経ちました。 検診時に80kgあった体重も今では75kgまで落ちました。 ヨッシャー!と思いきや、スポ少に行っても体が動かない、息切れがする・・なんだこりゃ? 職場でこの話しをすると、ダイエットに詳しい同僚が「そりゃ、当然ですよ」 えっ、そうなの? 同僚「もちろんですよ。体重が減るってことは筋力も落ちるんです、エヘン!」 続けて「それに体力だって一緒に落ちるんです。だから、減量と運動は適度に一緒にやらなきゃダメですよ」 そうかあ、考えてみるともっともだよなあ・・というわけで、積極的に身体を動かすように努めたところ 今では減量後の体重を維持し、剣道を通じてずいぶん体力も戻りました。 ただその分、食欲も旺盛になり、リバウンドが怖いこの頃なのであります。
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ひとこと・・【03/6/17】 | この拙いHPのカウンタが1000を数えました。他の方々に比べると問題にならないレベルなのですが、 やっぱり区切りのいい数字、嬉しいものです。 ことし1月の開設当初は毎日のように更新していたのですが、今では週1回がやっとです。 でも、画面を開き自分以外の方の訪問でカウンタが進んでいると、 やったー、よし、更新するぞ!なんて意気込んでみたりもします。 釣りと剣道・・どちらか一つのテーマの方がいいんじゃないか?という声もあったのですが、 どちらもわたくしの生活には欠かせないものであったことから二部構成にしています。 これからはもう少し、写真の方も更新したいと思っているのですが・・。 ともあれ地味に頑張りますので、これからもご愛顧のほどよろしくお願いいたします。敬具。
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ひとこと・・【03/6/26】 | 仕事の方も何かと忙しいこの時期は、剣道の大会も多くてほんとに忙しい季節です。 さて、この21日と22日の両日は郡市の中学校総体でした。 R剣道スポ少は中学校の部活ではないため、この大会には出場していなかったのですが、 昨年の新人戦からR中学校の協力によって、部活ではないけれども監督の先生を選任してくださり、 出場することができるようになりました。 もちろん毎日厳しい稽古を重ねてきムに勝てるはずもありませんが、 団員にとっては、換え難い励みです。本当に感謝、感謝であります。 さて、このたび急きょ監督になっていただいたHARUKO先生は20代の女先生です。 剣道はまったくの素人ではありますが、ああ、こんな先生、まだいるんだあ・・と思わずにはいられない、 熱血先生なのであります。HARUKO監督、これからもよろしくお願いします!
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ひとこと・・【03/7/15】 | この10日間、仕事で夜間の説明会が続きました。15箇所30回を事務所の8人でこなしました。 仕事柄、あまり地域に出ることが少ないこともあって、けっこうたいへんでした。 それぞれの会場に訪れてくれる人たちは残念ながら予想を上回って?少なかったのですが、 現場の声はどれも切実で、のほほんと机上で仕事している自分の未熟さ、甘さが恥ずかしくなりました。 45歳になっても、社会人としてまだまだ甘いんだよなあ!! さて、我が子どもたち。お父さんが忙しいことをいいことに、この間剣道の練習もそこそこ 夏休みに向けて着々準備を進めています。 夏休みか〜!ああ!うらやましい!!
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ひとこと・・【03/7/22】 | やっぱり年なのでしょうか?最近どうも酒に弱くなったような気がしてなりません。 弱くなったというのは、すぐ酔っぱらう・・という意味ではありません。 どうも酒に負けるというか、正体不明になってしまうのであります。・・やばいッス。 ただ、泥酔し、酩酊した次の日は二日酔いがひどくなく、意外とさっぱりとしているのも不思議です。 よろこぶべきか、悲しむべきか・・。 さて、この土曜日はいとこの長男の結婚式にお呼びがかかっています。 そんなおめでたい席上で飲みすぎたらたいへんです。 酔わないように心がけなければならない酒席・・これもまたキツイなあ!
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ひとこと・・【03/7/30】 | 今日は娘の部活もなく、息子のスポ少もなかったので、町民体育館の片面を借り ひさびさに親子3人で1時間ほど剣道の稽古をやりました。 息子はいつもどおりの「気持ち先行型」剣道でありましたが、 娘は高校での厳しい稽古になんとかついていっている自信からか、立ち振る舞いが堂々として見えました。 試合運びはいまいちでしたが、スピードと体力は中学生の頃とは段違いでした。 また、息子の相手になってくれたときも、先輩らしく厳しくもやさしく指導してくれ なんか成長してくれているのかなあ・・などとたいへん嬉しく思ってしまった父親でありました。 しかし、防具をはずし、家路に着いた車の中では、自分の清涼飲料水を飲んだの、飲まないだの たわいもないことで言い争いをしている姉弟を見て思わず苦笑い。
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ひとこと・・【03/8/3】 | 昨日、息子のTAKとOGA磯は潮瀬崎に小アジを釣りに行ってきました。当日は曇天ではありましたがけっこう蒸し暑かったです。 いつもは手前の小浜磯に行くのですが、素もぐりの人たちがいたためポイントを変更したわけです。 4年生の息子がOGA磯で釣りはじめたのは去年の夏からです。 やっぱり1年間を過ごすと違いますね。磯を歩く体力も、自分で自分のことをしようとする姿勢、竿さばき・・・。 どれをとってもずいぶん成長しており、思わず目を見張ってしまうばかりでした。 結局、息子の釣果は良型の小アジ?23匹という大漁!! さすがに帰りは疲れたらしく、恒例になった自販機のそばをすすった後の車の中で約1時間ほどスヤスヤ・・。 そして夜・・このアジをカミさんにタタキにしてもらい、ビールと清涼飲料水で乾杯したのは言うまでもありません。 そのとき横から「わたしが食べたげる!!」と言ってタタキの半分以上もたいらげた娘のYUMは 今日から生まれて初めての剣道合宿に出かけました。頑張れよ、YUM!!!!
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ひとこと・・【03/8/13】 | 新しい中古車を購入しました。これまでのマイカーは平成元年登録のパルサーでありましたが、これを買い換えたわけです。 車種は同じニッサンのプレーリー7人乗り、平成9年の登録車であります。色は青で値段は66万円。 自慢じゃありませんが、わたくしはこれまで新車に乗ったことがありません。つまりすべて中古車であります。 確かに自分の好きな新車を購入しこれを快適に乗り回すことは快適このうえないものでしょう。 しかし、20数年間にわたり、10台近くの中古車に乗っておりますと、それはそれでなかなか趣があるのです。 40万円を投じてわずか数ヶ月でダメになった車もありましたし、わずか19万円で4、5万キロも走ってくれた車もありました。 ただ、どういうわけか我が家では、赤い色の車だけはダメ!ということになっております。 なぜならこれまで乗った3台の赤い車のうち、2台が事故、1台は突然のトラブルでみごとに廃車となっていたからであります。 今回のこの車との相性は一体どうなのでありましょうか? しかしとにかく、事故だけは勘弁願いたい!と日々安全運転に心がけているこの頃でなのであります。
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ひとこと・・【03/9/28】 | 昨日、今日は郡市中学生新人剣道大会でありました。 R中学校のありがたいご配慮によって、我がR剣道スポ少の中学生たちも昨年の春から 中体連主催のこのような公式大会の団体戦に、R中学校剣道部として出場させていただいています。 これも今は他の中学校に学校長として転任されたMASAHIKO先生のおかげなのであります。 今ではHARUKO先生という20代の熱血女先生が監督として面倒をみてくれています。 団体戦は6戦全敗ではありましたが、みんな本当に頑張りました。 以前までは負けることが当たり前だった選手たちが、今では負けて悔しさを体いっぱいに現しています。 さて、来月、再来月とまだまだ大会は続きます。 みんな、一生懸命戦うぞ!!
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ひとこと・・【03/11/24】 | もうすぐ師走です。40歳も半ばを迎えるとなんか時の流れがはやく感じるようになりました。 過日、R剣道スポ少の中学生たちが全県新人大会に出場し、な、なんと団体戦初勝利を飾ったのです。 それも、勝利者数1対1、1本差の本数勝ちであります。ついにやったーであります! 相手はOG中学校、実力も確かな部活チームであります。 監督のHARUKO先生も、わたくしも試合終了と同時に眼がウルウル・・感動。 試合後、「よく頑張った!みんな、おめでとう!!」と声を掛けるとまた不覚にも涙がじわっ・・。 やっぱり、試合は勝たなきゃダメだよなあ・・とつくづく思いました。 だって、選手たちの顔があんなにも晴れ晴れと、誇らしげに輝くのですから。 みんな、これからも勝利をめざして頑張るゾー!!
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ひとこと・・【03/11/27】 | 出張ではじめて四国の地を訪れました。 場所は香川県。市町村合併により新しく自治体を誕生させた2つの市の視察です。 そこで見たもの・・・ナント最初に訪れたSANK市の本庁舎は、 キラキラした瀬戸内海を背景に、まさに海辺のオフィスとしてすっくと建っているではありませんか! 案内された会議室の窓から見える初めての瀬戸内海、島々、そして漁船・・・。 す、す、すげえー!!!思わず興奮!! 視察後、応対してくださった職員の方にわたくしは思わず「グ、グレ釣れますか!?」。 突然のわたくしの質問に職員の方は少し呆れたように「・・・ええ、釣れますヨ」。 わたくし「そうか、名礁OGA磯には決していない50cmオーバーの巨グレがこの海にいるのかあ・・・」。 よーし、絶対四国にまた来よう!絶対釣りに来よう!そのときまで巨グレよ、待ってておくれ!!
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ひとこと・・【03/11/30】 | 全県総合新人体育大会剣道大会が終わりました。 娘のYUMが所属するJYON高校は、県南の高校で唯一ベスト8入りを手にし、 冬の選抜大会予選大会への出場権を得ることができました。ふ〜、よかった! それでも試合後、監督のARAKA先生にはずいぶん気合を入れられたらしく、思いっきりへこんで帰ってきました。 しかし、それが父としましてはこの上なく嬉しいのでありまして・・・。 もともと運動神経など皆無の娘です。部活の練習についていけるのかどうかもわからない・・・覚悟の入部でした。 でも、入部させて本当によかったと思っています。 なぜなら、なによりも素晴らしい「鬼監督」、かけがいのない「仲間(ライバル)たち」を得たのですから。 たった独りで6年間続けてきた娘の剣道・・・娘は今やっと自分の「チーム」にたどり着いたみたいです。
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ひとこと・・【03/12/5】 | 先週の連休明けから今週にかけて、実にハードな1週間でありました。 仕事の打ち上げでA市で一泊、翌日5時半に起床してホテルを後に空港へ。 国内線2機を経由して高松市に一泊。翌日自宅に着いたのは夜の10時でした。 疲れもとれないまま、土日は課の慰安?旅行で仙台市にワゴン車で出かけ、ここでも一泊。 そして翌日の月曜日、またもやA市に出張で会議の後、上司と同僚で飲み会。帰宅は10時半。 さらに二日後の昨日は事務所の忘年会。 身体はヨレヨレ・・この週末は体力回復に全力を尽くすゾー!!
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ひとこと・・【03/12/7】 | いやあ、昨日と今日の寒気をともなった強風はすごかったですねえ。 深夜3時半ころ、この強風にあおられて洗濯物の干し場に使っている自宅裏の波トタンが、 木枠とともにバターン!と飛ばされてしまったのであります。 その大きな物音に、わたくしとカミサンは跳ね起き、風雨のなか懐中電灯を片手に 飛ばされた波トタンを風裏に運んで重石を置いたり、シートを掛けたり・・の応急措置。 そして、「これ以上外にいると、何が飛んでくるかわからないから明日にしよう!」と家の中へ・・。 朝になり、寝ぼけ眼をこすりこすりしながら釘や鎹を打っての復旧作業。 「ご苦労さん!」とねぎらうカミサン声もそこそこに聞き、わたくしは「じゃあ、ちょっと釣りに行ってくる!」 車に乗り込む遠く後ろの方で、「ウソっ!」というカミサンの呆れた声が風に乗って飛んで行ったような・・。
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ひとこと・・【03/12/10】 | 理由があって、今週いっぱいカミサンが不在であります。 そのため、一切の家事を残された?家族でやることになってのですが・・これが大変なのであります。 高校1年生の娘、小学校4年生の息子、75歳のばあちゃん(わたくしの母)とわたくしの4人、 それぞれ家事を分担して・・となればいいのですが、残念ながらそうもいかない状態です。 まず、病弱なばあちゃんはマイペースで戦力外。最も活躍しなければいけないはずの娘は、 期末試験を目前にしてのにわか勉強と剣道の稽古を口実に家事放棄。 よって、ほとんどのことはわたくしと息子とでやっているわけでありまして、嗚呼・・。 なにより朝早く起きて家中の暖をとることがけっこうきつく、また、毎日の食事の準備も簡単ではありません。 洗い物も次から次へと出てきて閉口してしまいます。 息子の係りは炊飯です。事前にカミサンからレクチャーを受けていたおかげでほぼ完璧にご飯を炊いてくれます。 今更ながら家事の大変さを痛感すると同時に、 手助けしてくれる隣近所、親戚の皆々様に感謝!感謝!の毎日であります。
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ひとこと・・【03/12/16】 | やっとカミサンが帰ってまいりました。実は白内障を患い、一週間ほど入院加療していたのであります。 やっぱり家族が全員そろっていないと、どことなく寂しいものがありますが、これをカミサンに話すと 「やっぱり私がいないとだめでしょう?」てなことを得意げに言われそうなので、これについては口を閉ざしています。 しかしこの間、釣りと剣道だけはしっかりと時間を作ってやりました。 特に釣りは、1時間でも、30分でも・・と根性を入れ、誰もいない釣り場でテントを張り、糸を垂らしておりました。 もちろん釣果は決してよいものではありませんでしたが、なんとなく気持ちがすっきりしました。 まっ、それもカミサンが入院したとはいえ、大病でなかったこともあるわけなのですが・・。 ともあれ、長くもあり、短くも感じた一週間でありました。ふう〜・・。
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ひとこと・・【03/12/30】 | 今年も1年が暮れようとしています。・・とはいえ、あまりにも暖かい冬のためピンと来ないところもありますが・・。 今月は師走らしくわたくしも大忙しの毎日でしたし、細君の入院騒ぎもあって慌しい日々が続きました。 それでも、娘は高校生活にも慣れ、年末はクリスマス等返上で隣県の練成会兼大会に5日間の日程で頑張ってきました。 また、息子の方も、通常の練習に加え、一日350本の竹刀振り週5回を自分に課して稽古しておりました。 子どもたちのこの頑張りが果たして来年、大会などの舞台で報われるかどうかは別として、 元気に育ってくれていることに深く感謝せずにはいられません。 さーて、これから息子と本年最後の稽古です。老骨に鞭打って?わたくしも頑張ってきますかあ!!
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ひとこと・・【04/1/1】 | みなさん、明けましておめでとうございます。 なによりも家族みんなが健康で、元気に暮らせる今年一年であればと思っています。 繰り返しになりますが、家族の健康第一に、仕事は現在取り組んでいることの大願成就、 釣りは季節を感じる楽しい釣りを、 少年剣道とのつながりはこれまでと同様熱い気持ちで頑張っていきたいと思ってます。 では、本年も拙いページではありますがよろしくお願いいたします。
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ひとこと・・【04/1/8】 | えーと昨日、職場の新年会があり、今年初めての二日酔いと相成りました。 まあ、それほど重症ではないにしても、性懲りもなく毎回、毎回よくもまあ深酒をし、 後悔、反省、後悔、反省を繰り返すもんだと、46歳の中年になった今でも、 自分のことを「バカじゃないのかなあ・・」とか思ってしまうわけであります。 それでも、40歳を過ぎた頃から(遅い!)自分の飲み方といったものがわかってきたような気がしています。 要は、飲んだときには仕事の話しを決してせず、人生論も語らず、趣味の話しや火星のことなどを 大声で話題にすることが一番!などと悟っているところなのであります。
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ひとこと・・【04/1/13】 | この稚拙なホームページもおかげさまで2,000件のアクセスをいただきました。ありがとうございます。 うち、およそ600〜700件程度を自分でアクセスしたとしても、残り1,300件は知ってる方、見知らぬ方の マウスクリックによってカウントされたものなんだなあ・・と想像するとなんか嬉しくなります。 ページを開いて「なんだつまんなそうだな・・」とすぐにページを閉じられたことも何度もあったと思いますし、 少しは拙い文章を読んでくれた方もあったのかと思います。 通信技術の発展の為せる業に、世間のご批判も多い中、わたくしはこのような機会を与えてくれたことに 感謝、感謝の気持ちでいっぱいであります。 数十年前の学生の頃に嫌々専攻した電算機実習が何らかのかたちで役にでもたっているのでしょうか。 なんにしても、これからも老心を励ましながら更新していきますので、くれぐれもよろしくお願いいたします。
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ひとこと・・【04/1/18】 | 今日は県南のY市の体育館に立切試合を観戦に行きました。1月恒例の男子3時間、女子2時間という厳しい試合です。 実はこの女子の部に、娘のYUMの高校の監督が出場するため、親子共々その応援なのでした。 さすがに監督先生は、小柄ながらも高校時代は日本一、学生時代も大活躍してきた剣士です。 結果は、19勝無敗3引き分け、取得本数も53本、取られた本数はわずかに1本でした。まさに感服! それにしても初めて観戦した立切試合でしたが、男女とも剣士たちの最後はまさに凄まじいものでありました。 選手たちの身体はおそらくボロボロであったことでしょう。中には今にも倒れんばかりの選手もいました。 そんな基立ちに対して、挑戦者たちもここで手を抜いては失礼とばかりに激しい戦いを挑んでいきました。 ウチの監督先生もさぞかし疲れきっていると思いきや、場外に押し出されたと思ったら、 もとの位置まで走って戻って行っています。スゲー、さすが!!常に強気の監督先生。これにもまた感動!!
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ひとこと・・【04/1/31】 | 先週の木曜日、娘のYUMが突然発熱。一時は40度まで熱が上がり家族を心配させました。 診断の結果はやっぱりインフルエンザです。点滴などの処置をしていただいたものの、熱は3日間続きました。 もちろん、学校へは行けず、部活も休みです。 発熱した次の日、2階の娘の部屋に様子を見に行った細君曰く・・ 「あの娘ったら、40度近くも熱があるのに明日にも部活に行くって言ってるよお。 稽古を休んだら選手を降ろされるからって・・」。・・そっかあ、普段、自分はマグレのレギュラーなんだなんて言ってるのに、 そっかあ、あの運動神経のかけらもないようなあの娘でも、あきらめずに必死になってレギュラーをめざしてたんだ。 今でもせきが出るものの、もう部活に出て来週末の大会に向け練習を続けています。 調子が上がらなくてイライラしているようです。でも、それも貴重な経験!頑張れ、YUM!!
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ひとこと・・【04/2/10】 | 今月は子どもたち2人の誕生月。2日は長女のYUM、1週間後の9日、つまり昨日は長男のTAKの誕生日でした。 娘のYUMは16歳に、YUMと6歳離れた小学校4年生の長男のTAKは、つまり10歳になったわけです。 この姉弟、性格も行動もまったく異なる2人でありますが、なんとか健康に育ってくれています。感謝! 剣道に向かう姿も姉弟それぞれで、娘は神経質で速い剣道をします。息子は速さはないものの先をとる剣道です。 2人とも強くはないですが、一生懸命さはそれなりに伝わってくるのが嬉しいです。 息子の誕生日を祝った昨日の夕食後、TAKが「父さん、腕相撲しよ」、わたくし面倒くさがりながらも「ああ?いいよ」 やってみるとけっこう力が着いています。・・と何を思ったか、最近ではろくな会話もないYUMが「父さん、わたしとやろ」 わたくし「ええ?!ああ」、・・やってみるとこれがなかなかのもの。子どもたちの力いっぱいの手の感触を残しながら、 よしっ、この子たちのためにまだまだ頑張らなきゃなあ!なんて強く思った46歳のオヤジなのでありました。
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ひとこと・・【04/2/29】 | 小学校からの悪友が奥さんとともに我が家を訪れ、楽しい酒を酌み交わし、今しがたお開きとなったところです。 もう35年以上、カミサン同士も20年ほどのつき合いとなっています。 とは言え、我が子は高校1年生と小学4年生の姉弟、悪友氏の兄弟は長男夫妻にかわいい長女が誕生し、 悪友氏はおじいちゃん、おばあちゃんとなっているわけであります。また、下の息子さんも4月から 保育士になるために進学、仙台市の寮生活が始まろうとしているそうでありまして・・。 月日の流れるのはいやはや早いものだと実感するとともに、いろんなことがあったよなあと思い出も尽きません。 今日の半日、雨降る中でいつもどおりに釣りをしていても、季節が変わろうとしている様子がホントによくわかります。 こうして何十回目かの春を迎えてきたんだなあ・・なんてしみじみ思います。 明日も良い一日であるように!子どもたちが元気で育つように!と強く、強く思うこの頃であります。
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ひとこと・・【04/3/ 9】 | 風邪をひいてしまい、隣市の開業医さんに行って診てもらってきました。 原因は先週の土曜日のヘラ釣りであります。風速30mにも及ぼうかという台風並みの暴風雪の中、 一人近くの管理釣り場にテントを立て、ストーブを焚いての釣りが原因にちがいありません。 さすがに自然の力はもの凄く、その日の風が最高の力を誇示した午後3時半頃には テントごと吹き飛ばされそうな体に力を入れ、2度も転がされたストーブを片手で押さえながら・・という最悪の釣況です。 なんとか4時まで釣ってやろうとも思ったのですが、無理しちゃイカンと頃合を見ていっきに車に荷物を投げ込み、 自分も車に飛び乗ったと同時にくしゃみ、くしゃみの連続なのでありました。 長く釣りをしていて思うことは、自然の力を甘く見てはいけないということです。 まだ、「楽魚町の唄」には書いていませんが、風速50mを超す歴史的暴風雨に遭ったこともあります。 あのときはホントにホントに恐ろしかったです。あのときちょっとした瓦片でも、木片でも自分の頭を直撃していたら・・。 この風邪だって、自然を甘く見たせいなんだよなあ〜。毎度のことながら、懲りないなあ〜オレ。
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ひとこと・・【04/4/ 1】 | 娘が先月県立武道館で開催されたKAS旗争奪全国高校剣道大会に参加しました。 少年剣道に関わり、深入り?しはじめた頃に、自分の子がこの大会に補欠でいいから出場してほしいものだと なんとなく夢見ていたことが現実になり、地元紙に掲載された選手一覧を見て本当に感慨深く思いました。 大会は29日からだったのですが、その前の26日から3日間は全国の選手たちと何十試合もの練成試合があります。 娘もその練成試合の初日からの参加しました。思う存分戦ってきてほしい!と思う半面、実は心配事もありました。 娘は1週間ほど前から右足のかかと近くに痛みがあり、特に引き技を出したときに相当の痛みが走るというのです。 父親のわたくしに似てケガには強い子が、施術を受けたいと言うくらいですからかなりのものだったのでしょう。 結局、故障を抱えたままの出発の前日「監督はどう言ってる?」と尋ねると「・・・」。無言で翌日出かけていきました。 大会後、聞いたところ「自分が我慢さえすればいい。選手を外されたくなかったし、気づかれないようにした」。 その良し悪しはわからないのですが、そんな気持ちは自分が若い頃もあったよなあ、当然だよなあ。 ただ昨夜、思い出して状態を聞くと「大会中にどんどん良くなって、今は全然なんともないヨ」という言葉には感心・・・。
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ひとこと・・【04/4/12】 | この連休のハードな釣りのせいか、それとも連日の会議、会議のせいかどうも体調がすぐれません。 飲み会も多く、しかもその酒が(気をつけているにもかかわらず)けっこう次の日まで残るものだから始末が悪いです。 そういった意味では、職場の隣席の同僚は毎日のように二日酔いだといっているのにエネルギッシュですごいと感じます。 剣道の方でも中学生と稽古するときは、吹っ飛ばされないように気合を入れているせいかそれなりに動けるのですが、 その後の疲れはたいへんで、食事の後、ばあちゃん(実母)が購入した健康機器にごろりと寝転ぶこの頃です。 結局ここまで書いてみて、まあ、簡単に言うと年なんだろうなあ・・と感じるわけであります。 運動不足・・とは、どうも若い人たちに言えることばなのかもしれませんねえ。 40歳代も後半を迎えると、運動不足というよりも心身ともに休養不足が問題なのだとつくづく思います。 しかしながら、若いときから勢いのみで生きてきたものですから、心の休養はできても身体の休養の仕方が下手であります。 今後の健康を考えると、まずは身体の健康を最優先に考えなければ!と思うこの頃であります。
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ひとこと・・【04/4/25】 | 明日は出張で福井県のあわら市です。北陸地方を訪れるのは初めてです。 地図を見ると至って近くのように見えますが、時間的にはずいぶん遠いところのようです。 明日も日程ではまず羽田まで飛行機で1時間、ここで乗り換えてまた飛行機で1時間、そこからバスで1時間とのこと。 先方のことをまるっきり知らずに行くのも失礼と、ホームページを見ると、海釣り、湖沼釣り、渓流釣り・・なんでも有りの 仕事でなければ、天国のような(少々オーバー!)ところであります。あ〜あ、いいところだなあ・・。 そういえば冬に出張したさぬき市も本当にいいところでした。オフィスのすぐ裏手が瀬戸内海というのが素晴らしかったです。 どうも最近どういうわけか、国内外を問わず旅がしたいなあなどと思います。もちろん、プライベートで。 そこで気ままに何時間も釣糸を垂れていたらどんなにかくつろげることだろう・・ナンテ。 実は、先週の終わり頃、先輩が「キミ、6月に台湾に行かないか?こっちは仕事だけど、安く上げようと思ってパックにしたら、 一人欠員が出ちゃって。キミ、台湾が好きだったヨねえ」。・・ああ、悪魔の誘いだあ〜!!
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ひとこと・・【04/5/1】 | 大型連休の初日、天気もいいし、絶好の釣り日和・・なのでしたが、今日は釣りはお休みです。 実は自宅の前に30年ほどにもなる亡父が建てたスチール製の車庫があったのですが、これの土台が腐食してしまい、 いつ倒壊しても不思議じゃあないような状態であったものですから、これを先週解体したのであります。 新しい車庫を建てる蓄えもなく、まあ車は2台とも野ざらしで・・と思ったのですが、車庫にはその他雑多のものが、 押し込まれており、結局、隣市のホームセンター○×△で8万円の物置小屋を購入したのであります。 ただ、これをお店に頼んで設置してもらうと更に2万円ほどかかると言うお話し。カアー、10万円かあ〜。 今月初めには娘の防具の支払いも○◇十万円あるし・・この2万円はキツイよなあ。 釣具の購入や釣行にはずいぶん思い切って費やすお金も、釣り以外になると急に財布の紐がきつくなってしまいます。 そんなわけで、ホームセンターには組み立てを依頼せず、大工の義兄に手伝いをもらい、昨日の午後(年次休暇)から、 今の今まで物置の組み立てと、雑多のものの収納に汗を流していたわけであります。そう、釣りにも行かず!! ただ、物置の中の8割はわたくしの釣具、これにはカミサンも思わず苦笑いしておったところでありまして。
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ひとこと・・【04/5/13】 |
4月29日から5月9日までの8日間の休日のうち、5日間を子どもたちの剣道で過ごしました。
娘の段別大会、練成会への遠征、県南総体、R中と息子の招待試合、Rスポ少の通常稽古・・。 かなり身体的に辛いものもありましたが、子どもたちの頑張る姿、結果を出せた時のすがすがしい顔を見たら、 そんな疲れも吹き飛んでしまうのが不思議です。思えば、こんな子どもたちの姿を糧にここまで少年剣道に、 関わってこれたのかもしれません。わたくしがなんとか身体より老けた心を持たずにここまで来れたのも同じです。 娘が県南総体の団体戦で初優勝!本当に頑張ったなあと思います。個人戦でベスト16に入ったのも立派でした。 息子もなかなか思うように勝てないようですが、6月の学年別大会を目標に頑張っています。 そんなわけで、なかなか釣りにも出かれない日々が続きますが、親バカの父親としては充実しているのかもしれません。 さあて、そんな生活の中でわたくしはきっと恵まれているんだと思いながら、明日からまた頑張ろう!!
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ひとこと・・【04/5/29】 |
先日の夕方、息子と剣道の稽古を終えて帰ると高校の同級生からケータイに電話が入りました。 話しはR町内のマグロ料理屋で同級生5人飲んでるから来れないか?というお誘いです。 同級生といっても、5人とも女性・・メンバーを尋ねると、まさに高校を卒業して以来の同級生もいるとのこと。 全員オンナかあ・・と臆する気持ちもないわけではありませんでしたが、もう会えないかもしれないなあという思いも強く、 「じゃあ行ってみるよ」と答え、風呂に入り、いそいそと30年前の女子高生に会いに出かけました。 洒落た店の戸を開け、店内に入ると一番奥の掘りごたつのようなテーブルに賑やかなご婦人たちがいます。 よお、久しぶり!と片手を上げ、ご婦人となった同級生の元に近づいていくと、 「ああー!IKED−!!・・思ったより変わってないじゃない!」、「でも太ったネー、IKED!元気ー!?」 ・・案ずるまでもなく、30年前の女子高生らはわたくしを30年前どおりに苗字を呼び捨てにし、 30年間という長い時間の空白をあっという間に埋めてしまったのでありました。 その後はもちろん自分たちも含めた高校時代の話しが中心で、大いに盛り上がったのは言うまでもありません。 店も看板となり、外に出て、笑いながら帰っていく彼女たちのうしろ姿は、元気いっぱいで、 30年前と何も変わってはいないように見えたのは、酔いだけのせいではないような気がしたのでありました。
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ひとこと・・【04/6/12】 |
まだ完璧とはいえませんが、どうやらやっと体調も元に戻ってきたようであります。 先週の土曜日あたりから喉(のど)の調子が変だなあ・・と思っていたのですが、 月曜日になると明らかに喉が痛み、せきが出て、鼻水が垂れ、悪寒が走るという典型的な風邪の症状。 実は、この風邪の症状が出はじめた先週の土曜日といいますと、娘の高校総体の初日でありました。 娘のYJ高校は、昨年の県南新人総体、今春の県南総体とそれぞれ初優勝を勝ち取り、 この大会も最低でもベスト8、そして対戦が予想される優勝候補のA商高校にもひと泡・・という そんな目標を現実のものとしてしっかりと各選手がとらえ、臨んだはずだったのですが・・よもやの予選リーグ敗退。 これまでの数度の練習試合でも負けたことのないK農高校に不覚をとり、勝敗、勝者数ともに2校同数、 結局取得本数差で決勝トーナメントに進めなかったのです。このときの選手たちはいわば放心状態のように見えました。 我々親たちもやりきれない気持ちでいっぱいです。選手たちをホテルに送り、そして一緒に食事・・盛り上がりません。 結局翌日は試合がないため、他の選手のお父さんやお母さんたちは帰ったのですが、 わたくしは残って独り居酒屋で残念会です。そしてホテルに入るとなんか喉が痛い・・というわけであります。 しかし、今では選手たちも気持ちを切り換え、次の大会に向けて1、2年生が頑張っているようです。 娘も部活から帰ってからも腹筋や背筋、腕立てなどを続けています。その姿に心の中で頑張れ!と応援しながら、 未だあの大会の悔しさをを風邪と一緒に引きずっていたのはわたくし一人だったようです。
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ひとこと・・【04/6/21】 |
R中剣道スポ少の郡市大会が、19日と20日の両日、O中学校の体育館で行われました。 選手が5人しかおらず、うち4人が3年生で残り1人が2年生・・1年生はいません。 ですからこの中体連の大会が、R中剣道スポ少が団体戦で戦える最後の大会なのでした。 絶対に悔いの残る大会にしてはいけない!・・そんなプレッシャーが大きくのしかかっていました。 このような気持ちは、8年の間R剣道スポ少と活動をともにしてきて初めての経験です。 中学生の団員たちも部活の選手と同様、この大会で"3年生は引退"と心に決めているようです。 ・・とはいえ、大会が近づいても週2回の練習日は変更せず、いつもどおりのスタイルで臨みました。 練習の内容も特段変更することもありませんでした。しかし、団員たちの練習に取り組む姿勢は真剣そのもの。 全員が科学部の活動を終えて練習場に集合するのが午後6時半過ぎ、それから午後8時半までの練習でしたが、 自分たちがこれまで一生懸命に積み重ねてきた成果を2日間の大会で全部出そうという姿勢が見てとれました。 そして大会・・初日の個人戦で勝利したのはARATくん1人でしたが、みんなの調子は確実に上がっていました。 そして2日目の団体戦。7チームのリーグ戦の2試合目で中体連郡市大会、ついに嬉しい1勝を挙げることができました。 相手はスポ少チームの大先輩、過去2戦2敗のNISISEN東中でした。 とにかく東中になんとか勝ちたい・・団員、お父さん、お母さんたちの気持ちが一つになっての快挙です。結果は1勝5敗。 最後の試合OBONA中戦を0−4で終えると、観戦していた保護者の皆さんが大きな労いの拍手を送っていたとのことでした。 ありあわせの防具で少々見た目は悪いけど、大会での君たちは本当に格好よかったぞ!
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ひとこと・・【04/7/19】 |
今日、韓国旅行(職場の慰安旅行+釣り旅行)から帰ってきて掲示板を見てビックリ! わたくしのこの拙いHPの「剣の勝負は神頼み」を見てのお便りが3件も入っていました。 実はこれは、お世話になっているNISISEN剣道スポ少のHPに先週リンクしていただいたおかげなのであります。 NISISEN町の新*さん、感謝!感謝であります。大会会場では言葉を交わすことも少ないですが お互いスポ少で剣道に励む子どもの親同士、喜びや悩みにはきっと共通しているところがあるような気がします。 あの中体連の大会の日、KAKU中の保護者の方で親交させていただいているGTOさんに 中学生の団体戦はもちろん、小学生の団体を組むのも難しくなってきたことを暗い顔で打ち明けると、 GTOさんは「でも、もともとR剣道スポ少はそういうところから頑張ってここまで来たんでしょう!」(^_^) この言葉が深く心にしみました・・そうだよなあ。うん、1人でも剣道をする子がいればそれでR剣道スポ少は残る。 もう少し、頑張ってみますか!!
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ひとこと・・【04/7/27】 |
25日の日曜日、久しぶりにOGAの沖磯に一人で渡礁し、上物釣りを楽しみました。釣り場は加茂の小みさご島です。 本当に久々の渡船にもかかわらず、OTAKE丸の船長やおかみさんには笑顔で歓待してもらい、 帰りにはお土産までいただく始末。本当に良き人とのつき合いというものは有難いものだと痛感した次第であります。 そしてその夜、数年前まで毎週のように一緒にOGAに釣行していたSAGAWさんとOYAMDさんにTEL・・ 2人とも異口同音に「おおー、元気だっしか??、生きてらっしか?!」と約6年間の空白を一気に埋めてしまう ・・そんな会話をしていただいたのでありました。いやいや嬉しかったです!! わたくしが10数年間続けた磯釣りを休止してからもう約6年が過ぎようとしています。 休止した理由やきっかけは「楽魚町の唄」にもうそろそろ書いてみようかなどと思っています。 さて、その日の釣果は、アジ20尾超とサヨリ1尾、そして30cm弱のクロダイ1尾があいさつ代わりに釣れてくれました。 よって、ここしばらくのヘラブナ釣りばかりの日々から、またフィールドが広がりそうな予感がしているこの頃であります。 ・・アッ、先週の韓国の釣り体験も一緒にアップしなくちゃいけませんね。ふう〜たいへんだ!!
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ひとこと・・【04/8/6】 |
ずいぶんと迷ったのですが午後から仕事をしようと決め、磯釣りを断念し午前中ヘラ釣りに行きました。 新しい釣り方を試してみたところなかなかの効果があり、少々上機嫌の釣りとなりました。 ・・そして午後4時過ぎ。携帯に電話が入り、職場の若い連中がこれから拙宅に飲みに来るとのこと。 そういえば今日はまちの神輿祭りの日です・・どうもその流れでウチに寄るらしいのであります。 さっそく、カミさんに連絡し、大急ぎで帰るともう若者たちは拙宅の前のイスに腰掛け飲み始めていました。 思わず苦笑しながらも、この突然の来客に歓迎の気持ちで輪に加わったしだいであります。 さて、明日は午前中にR剣道スポ少中学生の部内戦です。 そこで午後からできればサーフキャクティングでキス釣りにでも出かけてみようかなどと思っています。 でもなあ・・今、高校2年生の娘が強化練習・・差し入れでもしようかなあ。それとも・・。 そんなことを考えているうちに、週末の休日もあっという間に過ぎていくのですね。あ〜あ・・。
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ひとこと・・【04/9/18】 |
今日は中体連の郡市新人剣道大会が隣市O中学校体育館で行われました。 この大会は、高校2年生の娘が中学1年生のときにスポ少からも参加できる道が開けた大会です。 出場選手は、MITIくん・・R中学校2年生1人です。この子は、8年ほども前からRスポ少で頑張っている団員です。 8年前というと・・そう、わたくしがてんやわんやでR剣道スポ少の指導を始めたときの団員のひとりであり、 同時に、そのときのR剣道スポ少の最後の団員なのであります。 午前7時半ころに会場に到着し、まずは準備運動・・するとここから思いがけないことが連続して起こりました。 まず、朝一番にO中学校の監督先生がMITIくんに「おはよう、頑張れよ!」声をかけてくれたのです。 続いて、KAKU中学校の監督先生が「ウチのあの選手と練習しなさい!」と選手を連れてきてくれました。 今度は、東中の保護者の方が「あら、ひとり?東中と練習して!」と心配してくれました。 わたくしがSEN中の監督先生に"代理監督"を引き受けてくれたお礼に行くと、笑顔で「いやあ!」。 そして運良く、MITIくんが初戦突破すると、体育館の向こう側で大きな拍手・・東中の保護者の方々でした。 本当に、本当に感謝の気持ちで涙を堪えるのでやっとでした。 この感謝の気持ちを決して忘れず、MITIくんとはもちろん、またいつか選手たちとこの大会で恩返ししたいと思っています。 皆さん、今日はありがとうございました!!
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ひとこと・・【04/9/12】 |
仕事も架橋に入ると同時に娘や息子も多感な時期を迎え、公私ともに忙しい落ち着かない毎日を送っています。 さて、今日は小学5年生の息子とOGA磯は加茂の大桟橋に渡礁し、今年3回目の小アジ釣りでした。 前日の夜に恐る恐る「明日、OGA磯に行ってくるヨ」と家族に宣言したところ、 予想に反してみんな快諾。ヤッター!とばかりに調子に乗り、 息子に「TAKU、お前も行くかい?」と声をかけたところ、「うん、行く!」。・・エッ?! TAKU「うん、オレも行く!このあいだの小浜磯でボウズだったし!」、わたくし「ホ、ホントに行くのか?」 TAKU「なんだ父さん、ウソで聞いたのかぁ、・・じゃあいい」、わたくし「い、いや、ウソじゃない!!」 続けて「・・でもTAKU、明日は稽古日だし、か、帰ってから剣道もあるぞ・・大丈夫か?」 TAKU「でも、月曜日は休みだし、大丈夫だよ。明日行く!」、わたくし「わ、わかった・・よしっ行こう!」 そんな親子のやりとりがあっての釣行。結果、息子は30cm超のイナダを釣り上げたのでありました。
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ひとこと・・【04/11/7】 |
言い訳ではありますが・・仕事が忙しくずいぶん更新するのが遅れてしまいました。 それでもなんとか2年数ヵ月を要した、自分にとっての大仕事もなんとかひと段落しホッとしているところです。 これまでも忙しい仕事はいくつかありました。しかし今回は仕事量もさることながら、精神的に参りました! ・・というわけで、これからはまたまた従来の少年剣道と釣り中心の生活に戻りたいと思ってます。 そのためにはまずなまってしまった身体を早く元に戻すため、ただいま4キロの減量をめざしているところです。 しかし・・体重は元に戻すことができても、この1年間で自分でも驚くくらい薄くなってしまった頭髪はもう戻ってこないかと思うと、 はあーと深いため息が出てしまうのを、どうしても止められないこの頃なのであります。
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ひとこと・・【04/11/10】 |
約1か月半以上遠ざかっていたため、この2日間の息子との剣道はとってもきつかったです。ゼイ、ゼイ・・。 息子の方も、わたくしとの稽古の方がスポ少より若干ハードなため、"少しきついナ"と笑っています。 この小学校5年生の息子は、娘と違って足腰が弱いため、稽古の半分はすり足に費やします。 加えて若干のパワーアップを図ろうと、1カ月前から腕立て伏せと上体起こしの腹筋をさせてみたところ、 今では両腕に小さな力こぶができるまでになり、カミさんと「たいしたもんだ!」と感心しているところです。 しかし、年少の頃の筋力トレーニングはあまりよくないという話しを聞いていることから、今はここまででやめています。 それにひきかえ、50歳を目前に控えたわたくしのたるんだこのお腹・・と思いながらもビールをグイッ!
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ひとこと・・【04/11/27】 |
先週の土曜日と日曜日に娘の県南新人大会があり、団体戦で見事優勝することができました。 去年初優勝で連覇がかかっていたため、ずいぶんプレッシャーがあったようですが、 副将の娘を含め5人の選手がそれぞれの役目を果たし、チームワーク良く戦っていたように思います。 また、個人戦(娘は2回戦で惜敗・・)も主将が優勝!J−NAN高剣道部ここにありといった感じでした。 この翌々日は昇段審査会があり、娘も高校からの申込みで三段を取得したようです。頑張ったなあ! R剣道スポ少からも4人の中学生が受審(二段2人、初段2人)し全員が合格・・ホッとひと息です。 このあと娘は来月4日と5日に全県新人大会、小学5年生の息子も来月12日に全県学年別大会です。 2人とも図抜けた剣士ではないですが、我が子ながら一生懸命なのが嬉しいですネ。
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ひとこと・・【04/12/6】 |
12月4日と5日は県北で全県高校新人剣道大会でした。娘も前日に会場のTAKANOS町へ出かけていきました。 わたくしも一緒に着いていこうと思っていたのですが、急な仕事で職場へ渋々・・。 それでもエイ、ヤーッ!とばかりに仕事をやっつけ、高速道路を走り、2時間半かけて会場町へ。 初日、3回戦敗退ながらも、相手の実力を考えるとなかなかの善戦を見せてくれた娘でしたが、 2日目の団体戦・・中央地区のSYU高校相手に目標のベスト8を拒まれたのでありました。 特に娘は、またしても気合いが空回りする最も悪いクセが出て、勝負どころの副将戦で完敗!! 試合後、悔しさとチームメイトへのすまない気持ちで号泣・・わたくしもただ見つめていることしかできませんでした。 家に帰ってからもふさぎ込んでいる娘・・。午後11時を過ぎた頃から監督との交換日記を書き始めた娘・・。 がんばれ!!そう心の中で声をかけながら、「じゃあ父さんは先に寝るぞ!」・・娘は静かにうなずくだけでありました。
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ひとこと・・【04/12/13】 |
娘の大会がひと段落したのもつかの間、昨日は小学校5年生の息子の全県学年別大会でした。 5、6年生の団員がそれぞれ1人しかいないR剣道スポ少からは、息子と6年生のYUDAくんの2人の参加です。 この大会をめざして精一杯頑張ったのですが、2人とも残念ながら初戦敗退という結果でした。 それぞれ技量は決して劣っていないのですが、なにより実戦での経験が極端に少ないのが欠点のようです。 大会・・ましてや全県規模の大会ともなるとさまざまなタイプの剣士と対戦しなくてはなりません。 その部分で、どうしても勝負に勝てない歯がゆさがあり、見ているこちらも力不足を感じてしまいます。 それでも息子は今日もわたくしと稽古をしましたし、YUDAくんも中学校で剣道を続けようと心に決めているようです。 もっと多くの団員がいればなあ・・と最近思うことがありますが、我慢、我慢と自分に言い聞かせています。 今は、中学生の活動も休止状態。中学生を担当しているわたくしも少々運動不足なのであります。
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ひとこと・・【04/12/19】 |
「楽魚町の唄」にも書きましたが、今日初めてOGA市の某処にハタハタを釣りに行って来ました。 朝の9時頃、ときどき寄る釣具店に電話し、「釣れてるって聞いたけど・・」と尋ねると 昨日も7kgほども釣った人がいるとのこと。・・う〜ん、よしゃ、行ってみるか!てな感じでの釣行となりました。 新聞か何かで"サビキ"仕掛けでの釣りと書いてあったのを思い出して、5.4mのロッドを1本持ち、 いざ、釣具店で教えられたポイントへと出かけたしだいであります。 釣れるかどうかより、釣り場に入れるかどうかが心配だったのですが、思ったより空いており思わずホッ! 1時間半ほどで15尾を釣り上げ納竿しました。もう1時間半もいれば30尾以上も釣れたような気もしましたが、 ハタハタは10年ほども前、乱獲から資源量が激減し、地元の漁業を営む人々の努力で復活した貴重な魚です。 それを思うと、"釣り"という楽しみ以上にハタハタを持って帰る気持ちにはなれなかったというのが正直な気持ちです。 それでも、その釣趣には多いに満足!!息子との稽古の後、家族みんなで夜の食卓に美味しく頂いたのでありました。
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ひとこと・・【04/12/28】 |
先週の木曜日から3日間、娘の遠征の送迎に有給休暇をとってついて行ったのですが・・最悪でありました。 朝4時45分に娘とともに起床・・コンビニで待ち合わせ、部員4人を乗せてYOKOインターチェンジへ直行。 ここで監督の先生と合流し、凍てついた高速道路を70kmの安全速度で目的地へ向かったまではよかったのですが・・。 高速道路を降り、国道に交わる信号の交差点でブレーキ・・エッ、ウソ!!スリップ・・ゴツン! アラーッ!!軽くとはいえ追突です。すぐさま車を降り、運転手の方と連絡先を交換・・わたくしのテンションは急降下! 近くのコンビニで一時停車・・監督の先生に「頼みますよ〜!!生徒が乗っているんですから!!」と厳重注意です。 緊張した運転の後、やっと目的地へ着きました。部員を降ろし、ゲン直しに近くの温泉へ直行・・。 2日間の練成会の後、明日はいよいよ大会という夕食時・・携帯電話がブルブル・・嫌な予感。 案の定、娘が宿舎で38度5分の熱を出したとのこと。急いで隣市の公立病院へ行ったものの熱は下がらず、 結局娘は欠場・・しかもオーダーを見ると娘が大将・・あ〜あ、親子そろってよくない年末を迎えたもんだ・・早く来い来いお正月!
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ひとこと・・【04/12/31】 |
昨日の夕方、小学5年生の息子と稽古納めをしようと車に乗りかけると、高校2年生の娘が「わたしも行くよ!」 親子で稽古納めか・・なんか嬉しくもあり3人で道場代わりに使わせてもらっている(有料デス!)児童館へ。 しかし、ここで思わぬハプニングが・・。地稽古を3人で3分間ずつの交代でやっていると間もなくのこと。 娘が盛んに首をひねったり、天井を仰いだりしています。よく見ると、どうやら調子が上がらずイライラしている様子です。 「よし、今年はこれで終わろう!」とわたくしが言うと、娘は一人でさっさと面をとり、ぞんざいな礼をして防具をはずしています。 わたくし「おい、YUM!思うようにいかないからといって、オレより先に防具をはずすのはどういうことだ・・失礼じゃないか?」 「・・」、しばらくして近づいてきた娘は「お父さん・・わたし、やっぱりここにくると甘えが出てダメだ。もうここには来ない」。 続けて「どうしてもSENSI道場や他の道場に行ったときのような気持ちになれず、キレたり、イライラしたりするんだ」。 わたくし「・・そうか、わかった。父さんも素人だし、お前に十分な稽古をつけてあげれないが・・どんな場所でも平常心で、 稽古ができないのはお前の未熟さだと思う。その未熟さがなくなったらまた来い。」、娘「・・(うなずく)」。 成長したのかな・・そう思いました。一時的には短気になっても、落ち着いて自分を反省する心を持てるようになった。 その成長は生活の全てにではないにしろ、剣道を学ぶ姿勢には着実に現れてきているようです。 その夜、明るさを取り戻した娘が「元旦には届かないようねえ・・」と言いながら、 監督の先生と部活の仲間に一生懸命年賀状を書いている姿が、深夜の居間のコタツの中にありました。
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ひとこと・・【05/1/9】 |
新しい年、2005年となりました。こちら奥羽山脈の麓では、初めは暖冬で過ごしやすい・・などと思っていたところが、 大自然の摂理に安易な例外などあろうはずがありません。つい先ほど寄せたはずの20cmほどの雪が、 2、3時間も経って外を見てみると、なんと今度は30cmも積っているような状態です。「あ〜あ」と思わずため息・・。 さて、昨日は娘の剣道部の今年の武運を祈って、親の会主催の餅つきが学校の道場で開かれました。 この餅つきの1時間ほど前、参加した親たちの稽古の見学がありました。実はわたくしはこれが餅つきよりも楽しみでありました。 道場の外から大きく、鋭い声が聞こえます。少しドキドキしながら道場の扉を開けると熱気あふれる稽古が行われています。 マネージャーのERIKさんが「あっ、こんにちわ!先生も今(防具を)着けました」とニッコリ。 見ると、小さな体格ながらも、寒気を切り裂くような気合で選手と竹刀を交えている監督の先生がいました。 娘は道場の奥で選手同士の基本稽古をしていましたが、前の選手が退くと小走りで監督の先生に稽古をお願いしました。 2、3分後・・娘は監督の先生の厳しい打突で何度も何度も道場の戸板に打ちつけられています。ハアハア、ゼイゼイ・・。 がんばれ!心の中で精一杯の応援・・ギリギリの状態に追い詰められると明らかに他の選手よりも地力で劣っているのがわかります。 そんな運動能力でよくここまで着いてきたよなあ・・最後のかかり稽古では、鉛のように感じるであろう竹刀を必死に振ろうとする娘。 剣道の部活はもう半年もありません。高校生活に悔いが残らないよう最後まで頑張ってほしいものだとしみじみ思いながら、 稽古の後の新年の餅つきを賑やかに終え、美味しいお雑煮をご馳走になったのでありました。
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ひとこと・・【05/1/26】 |
もう先々週になりますが、15日の土曜日に自宅の屋根の雪降ろしをしました。いやあ本当に疲れました!! この2年間は職場から別の事務所に派遣され、精神的にも肉体的にもわりとキツイ仕事であったせいか、 この辛い作業を隣家のお父さんにお願いしていたのですが、派遣期間が終了した今年は雪国の住民としてそうも行きません。 また「今度の土曜日は雪降ろしするぞ!」と家族にも宣言していましたから、朝食を済ませた後張り切って屋根へ。 登ってみると積もった雪は1m弱ほど・・これまではこの程度だと、雪降ろしはもう少し先送りしていたのですが、 最近はいつ大きな地震が訪れないとも限りません。そう、用心に越したことはないのであります。 そして2年ぶりの雪降ろし・・きゃーお、重〜い!!なんと、なんと重い雪なのでしょうか!参りました!! すると、下からカミさんが「わたしも登ろうかあ〜?」・・わたくしは心の中で「ホント?助かった〜!」。 しかし、そこは態度に表さず、わざと平静を装って「ああ?まあ、やってくれると助かるけどムリしなくていいよ」。 カミさん「いいよ、今行く!」と下から嬉しいお答え・・。わたくしは思わず「ホッ!」。そして2人で雪降ろしの再開です。 どれくらいの雪であったかというと、地元の表現(単位表現?)で"ミーシャベル"です。積雪量のわりにとにかく重い! 夫婦でハアハア言いながら午前の部を終了すると、娘が部活から、息子が友達の家から帰ってきました。 昼食をとりながら、期待もせずになんとなく「おい、お前たち午後から雪降ろしを手伝ってくれないか!」と尋ねると、 ナント2人とも「いいよ!」と快諾。しかも実際に屋根に上げてみると、これが頼もしい働きぶり。 家族4人で雪降ろし・・なかなかいいもんだ。子どもたちも大きくなったんだなあ・・と感慨にふけりながらの作業も終わり、 ご褒美に子どもたちには"奮発ステーキ"を夕飯にご馳走。夕食をとるとさすがに疲れたのでしょう、2人とも早々にダウン。 いつもよりも2時間も早くふとんに入り、朝までスヤスヤ・・大きくなったなあ、難儀かけました!
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ひとこと・・【05/1/30】 |
奥羽山脈の麓に住んでいることもあって、自宅の周辺には車でだいたい10〜15分くらいで行けるスキー場が数カ所あります。 そんなわけで小学校5年生の息子が通うR小学校でも、高校2年生の娘のJO高校でも冬にはスキー授業があります。 特に娘の高校は市営スキー場に隣接しているため、スキー授業がある日の部活は辛い!とこぼしています。 息子は姉ちゃんよりもスキーが好きで、その日剣道の稽古があっても、また短時間でもスキー場に行きたがるような子です。 昨日も、町内のスキー場の3kmコースを3本滑り、夕方からスポ少で稽古、さすがに疲れた!を連発していたのですが、 今朝、「父さん、今日も少し滑りに行かないか?」、わたくし「ええっ?!」、息子「釣り?」、わたくし「いや、い、いいけど・・」 ・・てなわけで急きょ連日のスキーとなりました。・・が、今日は強い北西の季節風でふぶきが物凄かったため、 町内にあるスキー場のゴンドラは動いておらず、予定を変更して隣町のスキー場へ向かいました。 しかし、ここは小学校の中学年くらいまでの練習コースとして人気が高いスキー場で、 このところスキーの腕前を上げている息子は「ここ、なんか物足りないんだよな・・」、わたくしも「うん、そうだな」。 ・・と、ところがであります。やはり自然の力を甘く見てはいけません。ふだんなら楽勝のここのスキー場も猛烈なふぶきです。 よくこれでリフトが動いているもんだと思うくらいです。そう、いくら低くてもここもやっぱり奥羽山脈なのであります。 わたくしたち親子は短く比較的平たんなここのコースを4、5回滑ったのでありますが、 最後は(オーバーじゃなく)遭難するんじゃないか?!・・くらいの目に遭い、早々に帰路に着いたのであります。 そのとき、休憩所の前までたどり着いたわたくしと息子が互いに携帯電話で写真を撮り合ったのがこれでありまして・・。
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ひとこと・・【05/2/19】 |
15日は国の重要無形民俗文化財にも指定されている町内の小正月行事が豪雪の中で行われた日でありました。 なんでもウチの行事は、"吉凶占い"、"予祝"、"悪魔祓い"といった小正月特有の要素が多く伝えられていることから、 国の云々・・などという大そうな勲章を頂いているらしいのですが、子どもの頃から目にしてきた土地のものには、 その貴重さ、有難さなどあんまり意識することなく当然のようにその中に溶け込んでいるように思います。 さて、この小正月行事のクライマックスは、少々荒っぽい行事でありまして、互いに互いを思いっきり叩き合うのであります。 長く当たり前のようにこの行事に参加してきて、これまで両足をつったり、大ケガをしたり、歯を欠いたり・・話しに事欠きません。 今年は左目の下を大きく腫らしてしまい、翌日の職場で呆れ笑いされたりしてしまったのでありまして・・。 こんな父親を見て5年生になるわが息子「父さん、あんまりムチャしない方がいいよ」・・うん、わかった。
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ひとこと・・【05/2/26】 |
今年はなんと、な〜んと雪の多いことでしょうか。いわゆる豪雪というヤツであります。こんな冬は15年、いや20年ぶりくらいでは・・。 屋根の雪降ろしも先日今季2度目・・本当に疲れました。雪寄せ好き?のウチのカミさんも今年の冬には閉口のようです。 それでも、まちの内外で雪の重みにより倒壊や破損する家屋の状況を地元紙で見ると、心配で雪を降ろさないわけにはいきません。 まるで学生の頃読んだ安部公房さんの「砂の女」の舞台みたいだなあ・・などと思ったりもします。 それでもあと数日で3月です。雪がどんなに多くても、やっぱり"3月"という音の響きは雪国の住民の心を和ませてくれますよね。 今日カミさんが高校2年生の娘に「明日、雛人形だそうか?」と言っておりました。娘はそっけなく「別にいいよ」。 雛人形といっても五段とか、七段飾りといった豪華なものではありません。お雛様とお内裏様だけの人形であります。 それでも娘が小さい頃は「嫁にはやらん!」などと理不尽なことを言い、ひな祭りの日が過ぎても数日出しっぱなしにしていたのですが、 今では部活から帰ってくると風呂にも入らず「腹減ったー!ご飯ー!!」と言い、あぐらをかいて夕食をとる娘の姿を見て、 こいつ、ホントにちゃんと嫁に行けるんだろうかと、心配になったりしているわけでありまして・・。
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ひとこと・・【05/3/5】 |
関東地方ではずいぶん雪が降ったみたいです。小学校5年生の息子が「お父さん、東京じゃ10cmの積雪で、けが人続出だってさ」。 そうそう少しはこっちばかりじゃなく、平等に降ってもらいたいよなあ・・などとわたくしの意地悪な心がささやきます。 関東以西で降雪があると、こちら奥羽山脈の麓で好天気になるのはよくあること。今日も久々の快晴でありました。 久しぶりに釣りでも・・とも思いましたが、昨日の飲み会の疲れもあって、珍しくカミさんに付き合い買い物に行きました。 「あなたが買い物に付き合うなんて珍しいネエ」というカミさんの皮肉っぽい口調も意に介さず、「まあね」と隣市のデパートへ。 久しぶりだなあ、デパートなんて・・。わたくしと2人の子どもたちは、人があまり多いところを好まない人種?です。 どうも人が多く集まる・・しかも屋内では急激に疲れを感じるというか、いわば"人酔い"するのであります。 反対にカミさんやばあちゃんはこういうデパート(・・今、デパートで言うかな?)みたいなところが大好き人間であります。 上へ行ったり、下へ行ったり、向こうへ行ったかと思うと「こっち、こっち」と手招きします。・・でもって何か買うのかと思うと・・ 「いいのないなあ。あなた何か買った?」、わたくし「この弁当箱・・」、カミさん「いいね。買ったげる」、わたくし「いいの?」、カミさん「うん」。 ・・というわけでカミさんから職場に持っていく弁当箱を買ってもらったあと、カミさんの曰く「お箸は百(円)均(一)ね!」。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ひとこと・・【05/3/13】 |
5年生の息子は、感情をすぐ言動に表す高校2年生の娘と違って、ややぼそぼそっと話しをする子であります。 昨日も2人で剣道の稽古をしているとき、ぼそぼそっと「この間学校でTUTKEN(息子の同級生)がさあ・・」 わたくし「・・ん?うん、どした?」、息子「学校の体育の時間、2人組になってお互いをおんぶして歩くってのをやったわけよ」 わたくし「ふ〜ん」、息子「そんで、オレTUTKENをおんぶしたとき、TUTKENがオレに"何キロあんだ?"って聞くんだ」 わたくし「ふん、ふん・・」、息子「そんでオレが"45キロだ。オマエは?"って言ったら・・」、わたくし「TUTKENクンはどう答えた?」 息子「うん・・、そしたらあいつ、"オレか?オレは55キロ、オマエの10倍だあ!"・・って言うんだよ、ふう〜(苦笑)」 わたくし「(笑い・・)んで、オマエなんて言ったんだ?」、息子「じゃあオレはとっくにオマエにつぶされて、今病院にいるんだな・・って」 わたくし「(大笑い・・)そしたらTUTKENクンは?」、息子「あたまにいっぱい『?』マークが点灯してた・・ふふん」。 若干、5年生にしては冷めたしゃべり方が気になるところでありますが、わたくしの方は大うけでありまして・・。 さて、昨日は雪を溶かす春の雪が降っていましたが、今日は一転また冬の雪が・・。は〜るよ来い!は〜やく来い!! | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ひとこと・・【05/3/27】 |
再度、4月から小学6年生になる息子の話しであります。先日、母親・・つまりカミさんがスパゲッティをこしらえました。 カミさん「パスタ(スパゲッティは今こう言うようです)が出来たよ!今日はキノコのパスタだからね」とのお言葉。 続けてカミさん「TAKRO!今日のパスタはキノコベースで"大人の味"なんだけどいい?食べれる?」 これに応えて息子のTAKUROが面倒くさそうに「ああ?オレ、今まで"大人"なんて食ったこともないからなんでもいいよ・・」 しばし誰も意味がわからず「・・」、そのあとカミさんとわたくしがプーッと吹き出し、娘も大笑いした次第であります。 この息子、ときどき我々大人が思いも寄らないことなどを口にする子どもであるらしく、いつぞやも・・。 カミさんと娘が他愛もないことで口論しておりまして・・こんなときのわたくしや息子、ばあちゃんは傍観するしかありません。 最後に娘が極めつけの「うるさい!このクソババア!!」。さすがに気の強いカミさんも、これにはダメージを受けたらしく、 娘よりも6歳年下の息子に向かって「TAKURO、TOKUROは大きくなってもお母さんに"クソババア"なんて言わないよねえ!」 これに答えてわが息子「・・でもお母さん、オレが大きくなったときはホントにババアになってるだろう?」・・嗚呼。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ひとこと・・【05/4/12】 |
やっと四月になりました・・深い雪に埋もれた冬も終わり、奥羽山脈の麓の小さなまちにもようやく春が訪れたような気がします。 それでも家の中ではコタツ、ファンヒーター、ストーブそしてエアコンが活躍しているのでありまして・・。 タイヤもまだまだ冬タイヤを履いている車の方が多いですし、子どもたちの朝夕も防寒着を羽織っての登下校です。 それでも雪国の人々・・特に子どもたちはそんな寒さなんかに負けるわけがありません。元気一杯であります。 我が家の高校の女流剣士は地元で行われたKAISEK全国剣道大会に参加、練成会で21試合をこなしました。 しかし、大会では強豪の九州勢と対戦、2回戦であえなく敗退・・悔しさに唇をかんでいたのがなんか嬉しくもありました。 息子の方は小学校6年生になり、身体も大きくなりました。今、152cmほどあるとのこと。 この息子もR剣道スポ少で剣道を続けています・・というか、現在のR剣道スポ少で唯一稽古をしている子です。 (今年のR剣道スポ少については、また「剣の勝負は・・」の方で報告しますが)息子は今成長痛というのか、 右足の膝痛に悩まされています。ここでのムリは禁物と上半身強化の稽古を続けていますが・・早くよくなれよ!!! | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ひとこと・・【05/5/14】 |
このゴールデンウィークは、ほとんど全部を娘、息子はじめR剣道スポ少の子どもたちの剣道とともに過ごしました。 6年生の息子は、3人戦ということで捻挫している足を引きずりながらR剣道スポ少とRENS道場との合同チームの初試合に頑張りました。 高校3年生の娘は、全県段別大会や他校との合同稽古の後、本番の高体連県南剣道大会2連覇をめざしての出場となりました。 結果は団体戦が4位、個人戦は2回戦敗退・・。特に団体戦は、一昨年秋の新人大会から3大会連続県南優勝を続けていたのですが、 優勝したOMAG高校と予選リーグの1回目で対戦、1−2で敗れたことから連覇の記録はここで途絶えました。 しかし、気持ちを切り替え来月の全県大会に向け、現在進行形で頑張っている娘にはこんなこと言ったら怒られますが、 チーム一番のレギュラー選手をケガで欠き、代役の先鋒として戦った娘は本当に頑張ったし、正直、強くなったと思いました。 学校の稽古だけでは足りないと言い、部活から帰った後、隣市の道場へも欠かさず通っていた成果がよくわかりました。 我が子たちの成長ぶりも嬉しかったのですが、たった一人で段別大会に出場したR剣道スポ少のNORIM君も善戦しました。 高校の県南剣道大会にはR剣道スポ少のGEN君はじめRENS道場、KARIWAN剣道スポ少といった 中学校に剣道部がなく、スポ少だけで剣道を続けてきた少年たちをたくさん見かけることができました。まだまだ見劣りはするけれど、 頑張ればきっと強くなる!堂々と戦い、たくさんの仲間たちを作ってほしい!と思わずにはいられないわたくしでありました。
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ひとこと・・【05/5/3】 |
このたび町内の各スポーツ少年団が一斉に団員を募集したところ、我がR剣道スポ少には新規に3人の申込みがありました。 ヤッター!と思いきや、それまでいた団員のうち1人が部活での剣道をめざし隣市の名門中学校へ入学。 そのほか5年生の1人は野球一筋で頑張りたいと退団し、もう1人の5年生もKAKU道場へ入門するため退団です。 結局、3人の新規入団があったのですが、選手3人が離れていったために、小学生は初心者3人を含む5人のスタートとなりました。 また、中学生は結局新規入団はなく、R中学校3年生の選手1人のみとなってしまったわけでありまして・・。 中学生の団体戦出場は、当初からとてもムリだなあ・・と思っていたのですが、小学生までも団体戦に出場できない状況とは! そんな折、いつもお世話になっているRENSE道場のKUROS先生から電話・・聞けばRENSE道場も小学生が2人で、 しかも試合に出れそうな団員は1人とのこと。そこでわたくし「先生、今年の団体は合同チームでいきませんか?」と申し出。 KUROS先生「ええ、実はわたしもそのことで電話したんです」とのこと。2つのスポ少を合わせても団体は3人戦・・でもチームが組める! そして合同チームの試合が今日行われました。先鋒の5年生は相手に圧倒され号泣しながらの試合、 中堅の4年生は夢中で前へ、前への試合、 大将の6年生は2勝1分ながら稽古不足で本来の動きからはほど遠い試合でありました。でもみんな一生懸命でした。 町村合併が行われたことから来年はRENSE道場と一緒になる話が進み、若い指導者の方も参加してくれる予定です。 ハハハ・・本当にまた1から出直しだなあ。でも、子どもたちが1本を取れるよう今年も頑張るつもりであります。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ひとこと・・【05/6/23】@ |
6月初めから4日間、KITAKI市で娘のYUMの第51回全県高校総体剣道大会が行われました。 団体戦で3位以内に入らないと、この大会をもって高校での剣道生活は終りとなります。娘もそれを強く意識していたのでしょう。 県南大会が始まる3か月以上前から毎週月曜日と水曜日の2回、通称"二部練"を自分に課しておりました。 "二部練"とは、部活から帰ってきた後の週2回、午後8時から隣市のSENS館道場で成人の方々に 1時間程度の稽古をお願いするというものです。 疲れきっている様子が傍目にもわかりました。・・そして大会当日、JONA高校剣道部は力の限り戦いました。しかし・・ 予選リーグ最終戦でYUR高校に2−3の逆転負け・・夢はついえました。(結局その対戦した高校がベスト4に進出しました) でも、JONA高校は本当によくやったと思います。故障でエースを欠くという不運もありましたが、最後はチームが一つにまとまり、 素晴らしい試合を・・剣道を見せてくれたと思っています。
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ひとこと・・【05/6/23】A |
娘のYUMたちのチーム・・、全県高校総体剣道大会での団体戦では残念ながら目標に達することができませんでした。 しかし、団体試合翌日の選手たちは、3日目からの個人戦に向けて気持ちを集中させているようでした。そして個人戦の当日・・。 出場した選手の4人が2回戦を制しました。娘のYUMも団体戦で東北大会出場を決めている強豪校の レギュラー選手を合い面で下しての3回戦です。 そして3回戦・・ここを勝ち抜くと翌日まで残ることができます。相手は県北のNOSIR北高校の大将です。YUMの最後の試合・・そんな予感。 しかし、結果はYUMの出小手に旗が上がり1本勝ち・・。JONA高校剣道部ではただ1人の勝ち残りとなりました。 翌日の最終日、観戦に行く途中・・カミさん「YUMの練習相手は1年生かな?それとも他校の人かもしれないねえ」。ところが行ってみると・・。 YUMの練習の相手をしてくれているのは3年生・・しかも全員です。3月にアキレス腱を断裂して出場できなかったエース選手まで、 足を引きずりながら3年生最後の練習をしているのです。何か胸が熱くなりました。 4回戦・・結局第1シードで、この個人戦を制したROKG選手に完敗!でも本当にみんな頑張りました。そしてYUMもごくろうさん!!
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ひとこと・・【05/7/2】 |
6月25日の土曜日、息子のTAKUと今年前半の大きな目標と決めてきた郡市学年別小学生剣道大会が隣市で行われました。 姉の影響をもろに受け、小学校に入ってすぐ剣道を始めた息子も今年は最終学年6年生の部に出場です。 息子のほかにもR剣道スポ少から5年生の部に1人、そして今では合同で稽古をしているRENS道場から4年生以下の部に1人の出場です。 大会前、「オレ、今年はまず1勝が目標だ」と言っていた息子ですが、実は心の中ではけっこう上位進出をめざしているようでした。 そう言うわたくしも、(体力はないものの)このところ背も姉を追い抜き、足のサイズも26cmという息子の技量が少しずつ上がっており、 けっこういいところまで行くんじゃないのかな・・などとひそかに思っていたのですが・・やはり立ちはだかったのは名門KAKUMA道場の剣士です。 うまい間合いと優れた技量、そして思わず唸ってしまう試合運びに息子は自分の剣道をさせてもらえず、完敗の1本負けで2回戦敗退です。 試合後、面をはずした息子は「全然歯がたたないって感じじゃなかった。そんなに強いって思わなかったんだけど・・」と悔しそうでした。 しかし、息子には言いませんでしたが、技量は互角でもおそらく今は未だKAKUMA道場の剣士に勝てないように思います。 大きな何かが一つだけ違っているようです。ともあれ息子はじめ他の2人も頑張りました。 特に4年生の選手は敢闘賞をいただいたほどです。 息子はこの翌々日からR小学校の陸上部での練習に再び合流・・今月下旬から秋の大会に向けてまた稽古が始まります。頑張れよ!
ひとこと・・【05/7/15】 |
剣道を続けているR小学校6年生の息子は、姉と違って足腰が弱く足さばきに難がある子です。 | なんとかならないかなあ…などと思っていた5月、息子がR小学校の陸上部のチラシを持って帰ってきました。 「オレ、これに入ろうかと思ってるんだけど…」と息子。わたくしは「ええっ?じゃあ剣道は??」とあたふた。 しかし息子はいたって冷静に「いや、父さんよく読んで!この陸上部、7月までだけだし、時間も5時頃までのようなんだ」、 続けて「それに、特に足が速くなくてもいいようだしさ」。最初は少し慌てましたが、よくよく話しを聞いてみると、 どうもわたくしの話しを聞いて気にしていたらしく「陸上に入るといくらかでも足腰が強くなるんじゃないのかなと思って…」とのこと。 そんなやりとりがあって陸上部に入部・・剣道との両立は本人にとってかなり大変だったらしいのですが、 一昨日、職場にいたわたくしの携帯に息子から電話が入り、「父さん、今日やっと16秒を切った!15秒7だ!」と弾んだ声。そうです。 実は息子は足が遅く、4月の運動会では100M徒競争で16秒9、5年生のときなどは19秒台だったこともあって喜びもひとしおのよう。 これからも、そうやって目標を持って挑戦していって欲しいなあ…などとしみじみ思い、目尻を下げる父親でありました。
ひとこと・・【05/7/24】 |
つい先日、76歳になるわたくしの母親・・いわゆるウチのばあちゃんが、夕食も終えてみんなでテレビを見たりしていると、 | 不意にわたくしに向かって「そこの2番目の引き出しから、白い封筒を取ってちょうだいな」、わたくし「ん?ああ・・これ?・・はい」 ・・とその封筒を手渡すと、中からなんと1万円札を取り出し、まず最初に孫のYUMに「はい、お小遣い!」、YUM「ええー!?」 そして同じく孫のTAKに「はい、これお小遣い!」と1万円、TAK「うわっ、い、いいよぉ・・ホントいいの?」、わたくしとカミさん「おお!」 すると今度はカミさんにも「はい、これお小遣い!」、さらにわたくしにも「ほら、お前にもお小遣いね!」と1万円ずつ配給。 そのときのばあちゃんの顔は3、4年前に患った脳梗塞の後、めったに見せなくなった懐かしいニコニコした表情。 ・・みんなにお小遣いを渡し終わった後は、何事もなかったように再びソファに座って愛用のラジカセを鳴らしてくつろぐばあちゃん。 わたくしたちは顔を見合わせ、キョト〜ンとした間・・そして、みんなで「やったー!ばあちゃん、ホントいいの?!やったー!」。 どうやらばあちゃんは付き合いで1年間の定期積立てをし、これが満期になったことによる大判振る舞いであったようです。 毎月1万円の1年間・・12万円の中から家族全員へのお小遣い・・そしてあとはそ知らぬ顔でうたた寝・・ばあちゃん、やるね!
ひとこと・・【05/8/27】 |
先般、娘が小学校6年生の頃から親しくさせていただいているKARI剣道スポ少の指導者、TAKさんからメールが入りました。 | 内容は、TAKさんの小学校5年生になるMASASくんとウチの息子のTAKUと稽古をさせてもらえないかとの思いがけない依頼であります。 しかも、TAKさんからこちらの方に出向いてくださるとのこと・・恐縮極まりないという気持ちで真意を伺う返信メールをしてみると、 TAKUの力任せで功撃一方の剣道と稽古をすることで、息子さんの眠っている能力を引き出せれば・・といったことのようでした。 目立った成績も残せないでいるTAKUの剣道をそんなふうに見ていてくれる人もいるんだ・・と恐縮しながらも嬉しさが込み上げ、 TAKさんの息子さんの糧になるかどうかわかりませんが・・という前置きをさせていただいたうえで一緒に稽古をしたのであります。 週2回のR剣道スポ少の稽古以外はほとんど独りで稽古しているためか、最初はぎこちない動きが目立つTAKUでありましたが、 終盤はハアハア、ゼイゼイ・・息を切らしながらMASASくんや同行してくれた2人の剣士たちと充実した稽古をさせていただいたのでした。 この日の稽古に付き合ってくれた娘のYUMも家に帰ってから、R剣道スポ少を始めた頃はこんなこと考えられなかったよね・・と、 笑顔で話してくれました。そんな親子の会話をしながらのお酒はこのうえもなく美味しく、TAKさんとMASASクンたちに感謝!!
ひとこと・・【05/8/29】 |
どういうわけか最近、(夢に出てくるというわけではないのですが)死んだ親父のことをときどき思い出すときがあります。 | 親父はわたくしが大学1年生の秋に病死、享年44歳でありました。思えば、わたくしはとうに親父の年を超えているわけであります。 中学校の音楽の教師をしていた親父はウイスキー好きで、いつも120円のトリスのポケットビンを手にしていた姿を今でも憶えています。 結局、この無類の酒好きがたたり、肝臓を病んでの入院・・そして他界するという人生の結末を迎えたのでありました。 かくなるわたくしも、お酒は決して嫌いな方ではない・・というか、むしろ晩酌は欠かさず、好んで杯を傾ける方でありまして・・。 職場や友人との飲み会も多いのですが、どちらかというと飲みたくなったその日に飲みたいといったわがままな酒人であります。 職場の後輩や同僚にも、就業時間の終り間際に「今日、一杯行く?」と誘ってみるのですが、なかなか都合があいません。 ・・ともあれ酒好きの親子が一緒に酒を酌み交わしたことがないのが何より残念ですし、どんな話しをしたんだろうかと思ったりもします。 どうやら、娘も息子も下戸の気配は見られず、十分に飲めそうな素質を持っていそうなのがなんとなく嬉しい気がします。 それまで、なんとか健康でいたいものだと思うのも、最近親父のことを思い出したときに決まって思うことなのであります。
ひとこと・・【05/9/20】 |
この数週間は本当にあわただしく、今でも疲れがたまっているのがわかります。 | 週末のほとんどを仕事や小中学校の剣道大会、町内の子ども会行事などで費やし、休めなかったのがきつかったです。 やっぱり、50歳の大台が近づいているせいなのでしょうね。 40歳くらいまでは、早朝の薄暗いうちから磯や渓流に釣行し、帰ってすぐに子どもたちと剣道をバンバンやっていたのですが・・。 実は、先々週も息子と剣道をしていて相掛かり稽古をやってみたところ、その3回目に左足のふくらはぎにピリッという鋭い痛みが・・。 ヤバイ!すぐに肉離れだと気がつきました。そこからはムリをせず平然を装って 「よ〜し、今日はこれくらいにしておこう!」と早めに練習を切り上げたところであります。 それでも若い頃からケガにだけは強く、1週間ほどで普段どおりに動けるようになったことで、わずかに救われたような気もしたのですが・・。 世の同世代の皆さんは自分の体力や健康保持のために何かしているのでしょうか。 これまでは、週に数回子どもたちと剣道をし、1回は釣りをすることが自分自身の健康の秘訣だと思っていたのですが、 どうも最近では剣道や釣りをした翌日にけっこう疲れているなあ・・と感じるようになりました。 昨夜も布団に横になり、うとうとしていると息子が薄めの肌がけ布団をわたくしにかけてくれたのがわかりました。 嬉しかったのはもちろんですが、「あれっ、もう少ししっかりしなきゃ・・」とも思ったり。
ひとこと・・【05/10/8】 |
実は現在、わたくしの住むまちR町は時勢の流れから去年の11月にお隣の町村と合併し、M町となりました。 | そんなこともきっかけとなって、現在ではかねてからお世話になっていたRENS道場と一緒に活動しているところです。 つまり、R剣道スポ少、RENS道場両方の剣士たちが互いの稽古に参加し、許される大会には合同チームで参加するといった感じです。 最初は、少々ぎこちなかった子どもたちの動きもずいぶん良くなってきた様子が見てとれ、わたくしたちもとても嬉しく思っているところです。 そんな折、稽古にR剣道スポ少出身の2人の高校生剣士が訪問してくれ、防具を着けて団員たちの相手をしてくれました。 あのR剣道スポ少団体チームのメンバーだったGENくんとKOTAくんです。GENくんは現在Y市の伝統校で剣道部に所属しています。 KOTAくんもD市の名門校にいて、家庭の事情から剣道部には所属していないものの、1人で剣道を続けています。 2人とも軽〜くわたくしより体格がよく、剣道も初段のわたくしよりずうっと強いのですが、"IKE先生"と今でも呼んでくます。 そんな2人の先輩たちの訪問がとても嬉しく、わたくしは思わず2人に「よし、GENとKOTA、オレと地゙稽古だ!やるぞ!!」。 すると2人とも顔を見合わせ、笑顔で「ええ〜!?先生、マジ、大丈夫ッスかあ??TAKUとやってこないだ肉離れしたって聞いたッスよ〜!」 わたくしも、真面目にこの2人と稽古をすることがムチャだと十分知っていましたが、それでもとにかくこの子たちと竹刀を合わせたかったのです。 結果は、予想どおり・・というか、早く、強い打ちに圧倒されたことは言うまでもありません。ハアハア、ゼイゼイいうわたくしとは対照的に、 息も切らさずわたくしを気遣ってくれる2人・・ハハッ、もっともっと強くなれ!!もっともっと大きくなれ、2人とも!!
ひとこと・・【05/11/19】 |
先月の半ばから今月の初めまでは公私ともにさまざまなことがあって一喜一憂と言いますか、ほんとうに慌しい日々が続きました。 | 一番の出来事はやっぱり娘の進路騒動(?)でした。高校生活は3年間とはいえ、こと部活となると実質は2年間程度しかありません。 部活の後に来るものは当然卒業後の進路ということになるのはわかっていたのですが・・。大学進学?就職?・・娘も悩んでいたようですが、 ある日「父さん、わたし推薦枠で専門学校に入りたいんだけどさ・・」、わたくし「あ、ああっ?で、何処に入るんだ?」、 娘「まあ、入れるかどうかはわからないんだけど・・県内のA福祉か、仙台のS医療福祉か・・」、わたくし「まだ、あるの・・?」、 娘「AK施術専門学校なんだけど・・」、続けて「でも、推薦枠の条件を満たしているのはA福祉専門学校だけ。ただ倍率が・・」 わたくし「えっ、推薦だったら必ず入れんじゃないの?」、娘「んなわけないでしょ(呆れ)」、わたくし「へえ〜、そうかあ」。 続けて・・このうち最初に合格したところに入学したい、・・全部ダメなら担任の先生が勧めるAOM大学の推薦を考える・・とのこと。 以後、学校では主に面接の練習(先生方は娘の面接での対応の下手さに大いに驚いたということです・・)、家では作文の練習です。 そして合否の発表・・幸運にも娘は最初の受験先である福祉専門学校に合格することができました・・ホッ!! 27人の受験者中18人の合格・・1.5倍の競争率であったようです。勉強はいいから高校では剣道を頑張れ!という父の言葉どおり? 高校入学後はほとんど勉強らしい勉強をしているのを見たことがありませんでしたから、なんと運の良い子だと感心したりもして・・。 剣道は続けるんだろ?とか、剣道は続けるの?とみんなに尋ねられると苦笑している娘、剣道はやるのか・・父が一番知りたい!!
ひとこと・・【05/11/20】 |
少年剣道で、ちょっと嬉しいことがありました。まず、名門YOKOT高校剣道部に入部したGENくんが見事に団体の選手になったこと。 | 県南高校総体新人剣道大会で次鋒としてほんとうに堂々と、攻撃的に戦っている姿がとても頼もしく見えました。 同じ新人大会の女子の部には、今では一緒にスポ少の活動をしているRENS道場のMOMOさんが強豪OMA高校の先鋒として、 落ち着いてキレのある剣道を見せてくれました。また、伝統校のOMA農業高校にKOTAくんが入部したことも嬉しいニュースでした。 やっとご両親が承諾してくれたとのことでした。防具が間に合わず、この新人大会に参加できなかったのですが、まだまだこれからです。 このほかにも、RENS道場出身のHUKUDくんもOMA工業高校の剣道部員として個人戦に出場していました。 かつての中学校剣道の好敵手、NIS東中学校出身のITOくんはOMA農業高校、SATOくんはOMA高校、SINYくんはYOKOT高校で、 それぞれ剣道を続けています。高校の厳しい稽古の成果なのでしょう、みんな驚くくらいに技量が上がっており感心しました。 新人大会には現役から一時引退した3年生の姿も多く見受けられます。現役中は、みんなピリピリした雰囲気で集中しているのですが、 後輩の応援に来ているときの彼らはみんな和やかで、顔見知りの少年たちは眼が合うとニッコリ会釈してくれたり、話しかけてくれたりします。 高校に入ったら部活もスポ少もありません。人一倍稽古をすれば技量も上がり、先生も認めてくれるし仲間もできるのです。 わたくしがスポ少の中学校剣士に「部活選手に負けるな!」というのは、高校、大学そして社会人になってからも剣道を続けてほしい、 剣道部がなくても中学校で挫折しないでほしい、そう願って使っている言葉なのかもしれないと最近になって思います。 わたくし自身、考え方が変わってきているようです。そして、周囲の目もまた以前とは違ってきているような気がします。 6年生になり今ではM剣道スポ少(かつてのR剣道スポ少)の主将をしている息子のTAKが、先般のNIS招待大会で頑張りました。 名門KAKU道場の大将に熱戦の末2本勝ち・・TAKが勝ったこともそうですが、観戦している子どもたちや親御さんたちが、 M剣道スポ少の、TAKのひたむきな戦い方も認めてくれたうえで注目して観戦し、双方に応援してくれたことがなにより嬉しかったです。 頑張ればみんな認めてくれるし応援してくれるんですよね。
ひとこと・・【05/12/14】 |
釣りという悪魔の趣味をもって生活しているせいか、はたまた剣道という究極といってもいい武道の世界の一番隅っこで | 冷や汗をかきながらこれに熱中しているせいか、仕事以外では同年代の人たちよりも喜怒哀楽を明確に感じることが多いように思います。 加えて物好きなところもその影響なのでしょうか。このホームページにしても、表題に誘われてひょいと手にとった1冊の入門本、 "全部無料でできる初めてのホームページ"を見ながら約10日間、四苦八苦の末、5年程前に開設したものであります。 そしてここ数ヵ月は、これも書店で見つけた"BIG FAT CAT"という英語の入門書の影響で洋書を読み始め、今では中学生レベルの、 主にHorrorやMystery物を中心に電子辞書片手に少年の頃のような気持ちで、胸を躍らせながら単語を追いかけているところです。 加えて、このたびはインターネットで旋盤を買い求め、自作円錐ウキ作りにも勤しんでいる次第でありまして・・。 家族もさすがにここまでくると呆れているようで。娘や息子も「父さん、今度はなに?」とカミさんとほぼ同じ反応を示したりしてくれています。 しかし、自分で言うのもなんですが夢中になると洋書にしても、ウキ作りにしてもなぜか三日坊主でないところがわたくしのスゴイ?ところ。 洋書に入り込んでいったときの感覚は、通常の読書では味わうことのできないものですし、旋盤に固定した桐材に彫刻刀をあてがうときの 緊張感やかたち付けられていくその過程を見るにおいては、まさに悟りを開く間際の無の境地とも言えるのではないでしょうか。 ・・そんなわけで最近、プライベートな時間が貴重に思えてならないのですが・・う〜ん、今年は夏期休暇もとれなかったなあ〜。
ひとこと・・【05/12/26】 |
先週の金曜日はほんとうに久しぶりに二日酔い・・起きたのがなんと午前11時半でした。 | 子どもたちが言うには、あんまり起きてこないので、父さん、まさか死んでないか?と見に来たとのこと。 実はその前日は、高校時代の同級生と3人で隣市の居酒屋で飲み会でありました。 まさに悪友といいますか・・・、高校時代はこの3人で大いに青春を謳歌したといいますか・・・、 今思えばやんちゃなことばかりでしたが・・・でも心に残ることばかりの毎日を過ごしたものでした。 そんな彼らとも、高校卒業後はめっきり会う機会が少なくなり、この日会ったのも10年ぶりくらいだったでしょうか。 最初はおとなしく、近況報告や職場の大変さなどを話していたのですが、酔いが回るにしたがって、 「そういえば、オマエあの娘と付き合ってたよな」、「振られたんじゃないって〜」といった話しに大いに盛り上がり、 ついには数十年前にすっかりタイムスリップしてしまった髪の薄い紅顔の高校生たちに大変身!! 3人とも、もちろん女房、子ども持ちなのは当然であります。しかし、そんなことも忘れての思い出話しは、 お酒の力も借りて、まるで銀河鉄道999並みに宇宙を飛びまわり、光の速さまで追い越してしまったのでありました。 ♪♪あああ〜、友と良き酒を〜時を愁いて飲み明かしたい、今も昔もこの酒注げば心地よし〜♪
ひとこと・・【05/12/30】 |
今日は我が家・・IKE家・・の稽古納めの日。結果、左足のふくらはぎのひどい肉離れを起こしてしまいました。 | 実は、毎年12月30日にスポ少とは別に我が家だけの稽古納めをしており、かれこれもう7、8年にもなるのですが、 娘のYUM、息子のTAKとわたくしと親子3人そろって・・つまり、IKE家で稽古納めをするようになったのは一昨年からであります。 今年も我が家で・・と思ったのですが、数週間前にR剣道スポ少から今年高校の剣道部に入部した2人の高校剣士に、 町内の食堂で夕食をおごっていた時、一緒に食事できる嬉しさに任せて「ウチの稽古納めのとき、みんなでリーグ戦やろうか?」と軽口。 「ええー!?、センセも一緒にやるんスかー?」、「マジッすかー!?やめといた方がいいんじゃ・・」と異口同音に、そしてニヤニヤ。 そんなやりとりがあって、本日の納め会リーグ戦が行われたのであります。参加者は、我が家3人に、GENクン、KOTAクンの5人です。 試合時間は3分間(わたくしへの配慮?)、延長は1分ずつを2回です。小学校6年生のTAKがいるため"突き"はなしです。 なんだかんだ言いながら、けっこうみんな真剣に1位を狙っています・・もちろんわたくしも!作戦は、3分間を耐えて、延長で勝負・・せこい? 結局、現役を退いたとはいえ、先輩の意地を見せて娘のYUMが1位となりました。優勝候補筆頭のGENクンは不覚にも4位でした。 わたくしは、2回目の試合でGENクンと竹刀を交え、渾身の小手を打ったところで左足が・・ピキッ・・あら〜、やっちゃったー!! 倒れこんだところに、みんなが「大丈夫ッスかー!?」と駆け寄ってくれました。わたくし足を引きずりながら「痛たたッー!!」、続けて 「ま、負け惜しみじゃないけど・・今日の屋根の雪降ろしで・・(無念)」・・と言いながらも、本当は気分爽快なのでありました!! 何故って・・我が子たちも含めて"ほ〜んと、みんな強え〜や!"・・と心の底から感心させてもらったのですから!!
ひとこと・・【06/1/1】 |
30日は稽古納め、31日は釣り納めをしっかり済まして迎えた新年・・・ | これも恒例により、深夜、息子と初詣に出かけた後、お宮の傍のお寺へ行き除夜の鐘を打たせてもらいました。 お宮でも、お寺でも、いつでも願うことは「子どもたちはじめ家族みんなが健康で、元気に!」ということただ一つです。 歳を重ねるにつれて、こういった家族への気持ちが日々、年々強くなっていくのがわかります。 わたくしの親父は、わたくしが19歳・・・学生になったばかりの秋に44歳で他界しましたが、そんな親父との思い出の一つにも、 買ってもらったばかりのトランジスタラジオを肩に下げて、親父と一緒にお寺で除夜の鐘を打たせてもらったことがあります。 高校入試の年でした。父の意に添う高校ではないことを十分承知していましたが、当時の自分では"ここだって危ない"と思っていました。 ただ不思議なことに、このほかの親父との思い出はほとんどないといっても過言ではありません。親父は車の免許も持っておらず、 どこかへ遊びに連れてってもらったことがほとんどなかったせいかもしれません。こうしてキーボードを打つ手を休め考えてみても・・・ これといったことが思い浮かびません。高校生になって反抗したことなど断片的に憶えていることもありますが・・・不思議なものです。 その高校時代にしても、卒業式の日、家に同級生を集めて徹夜で騒いだあの日・・・親父は一体どこにいたのだろう? わたくしに声の一つもかけなかったのだろうか・・・?大学を卒業するまで、親父を早く亡くしたことを悔やんだことは殆どありませんでしたが、 職場に入ってからは、親父が生きていたらなあ・・・と思うことが何度もありました。「あ〜あ、こんなとき、一体どうしたらいいんだあ?」、 「これって、ホントにオレが間違ってるのか?」、「いやあ失敗した!仕方ないよなあ?!」・・・そんなことを親父に尋ねてみたかったのです。
我が子たちには同じ思いをさせたくないと強く思います。そのためには、わたくしも少年剣士たちとともに日々の剣道の稽古に励み、 釣りに勤しみ、もちろん仕事も頑張り、なんとか健康で子どもたちが一人立ちするまで元気でいたいと思う2006年なのであります。
ひとこと・・【06/1/15】 |
いやあ、今年の雪には閉口してしまいます。古老の話しでは昭和48年から昭和49年にかけての"48豪雪"以来とのこと。 | なにしろ、初雪がそのまま根雪になったのですから驚きです。こんな年はわたくしの記憶にもまったくありません。 年末年始の6日間の休みのうち、まる2日間をかけて自宅屋根の雪降ろしをしたのですが、この雪がまた重い! 深さも1m強ほどあって凄かったのですが、とにかくスコップやスノーダンプにかかるその重量たるや相当のものでした。 この雪の重さというのは、雪国での生活を知らない地域の人たちにはきっと想像もつかないような重さだと思います。 毎日、毎日雪寄せをする生活は、学生の頃読んだ安部公房氏の"砂の女"のごときでもあるような気がします。 しかし、愚痴っていても仕方ありません。これが雪国の宿命なのだ!!と自分に言い聞かせ、白く冷たい塊を、 あっちにやったり、こっちに運んできたり・・。それでも、春になれば融けてなくなってしまうのに・・という女々しさは消えません。 ただ、この雪は、今までになく広い範囲で、しかも大量の積雪をもたらしていることをテレビや新聞で知りました。 さぞかし大変なことだろうと思います。こちら東北の家々では、冬の訪れを感じると雪に対するさまざまな準備をしますが、 そんな備えをしていないところへの降雪、そして積雪は本当にきついかもしれませんが、お互い頑張って春を待ちたいものですね。 先日、たまたま"Day After Tomorrow"をDVDで見ました。考えなければならないところが多くあったような気がします。 なんといっても、地球が氷河期に入ったら、釣りも、少年剣道もあったもんじゃないのですから!! ( となりで息子が、雪の俳句?をコピー紙に書いています。冬休みの個人作品として出すそうです。 "ふと見れば、見上げるほどの雪の山"、"雪寄せも、無情にかき消す豪雪よ"・・手抜きじゃないのか、これ? )
ひとこと・・【06/1/21】 |
この木曜日と金曜日の2日間、隣市の総合病院で1泊2日の人間ドッグに行ってまいりました。 | 父親が44歳で他界したということもあって、5年程前から日帰りの人間ドッグを利用していたのですが、 50歳の大台が間近ということもあり、職場の補助制度を利用しての初挑戦?でありましたが・・正直バテました。 前日の飲食を控えめにし、空腹のまま病院の受付に行くと、ドッグ室に通され着替えを済まして内科処置室。 まずは朝っぱらから血糖値の検査のためサイダーのようなものを一瓶飲むようにとの看護師さんの指示です。 そのあと、初日は採尿や採血を数度繰り返し、着物を脱いだり、下剤を飲んだり、痰を出したり・・。 次の日は起きるとすぐ、前日に下剤を飲んだにもかかわらず、想像していたよりも5倍も大きな浣腸をするといいます。 このあと、超音波検査、大腸と胃の内視鏡検査と移っていたのですが、思い返すとこの浣腸が一番きつかったです! 即日の結果では、昨年やっと数年ぶりに正常値に戻ったはずの中性脂肪が、また上がってしまったのが残念でした。 しかし、脂肪肝が解消され、γ-GTPももうちょっとで正常値になりそうなのが嬉しいことでありました。 帰宅すると、体重が3kgも減っていたのには驚きましたが、ゆっくりと風呂につかり、その後に家族と食事しながら飲んだ 湯割の焼酎がとってもおいしかったです。やっぱ、健康になるために生活習慣を改善することはもちろん大切ですが、 お酒や食事が美味しい〜!と思えるためにこそ気をつけなきゃいけないんだなあとしみじみ思ったしだいであります。
ひとこと・・【06/3/5】 |
昨年12月10日から降り始めた雪は止むことを知らず振り続け、なんと昭和48年以来という豪雪となりました。 | 年が明けても留まることを知らない雪、雪、雪。例年、除雪作業に意欲?を見せるカミさんも今年ばかりは閉口です。 わたくしも、屋根の雪降ろしがわずか3週間ばかりの間に2回というのにはさすがにバテました。 先日、新聞で今冬を"平成18年豪雪"と命名したことを知りましたが、確かに歴史的な豪雪であったと思います。 わたくしの住む奥羽山脈の麓の小さな町、MISAT町(旧R町)でも雪害で亡くなった方が2、3人あったようです。 特にこの冬は、いわゆる雪国と言われる地方だけではなく広く全国的な豪雪であったことから、雪との生活に慣れない 地方の人たちにとっては、ことさら辛い毎日であったに違いありません。自家用車一つとってみても、スノータイヤ やスノーワイパー、スノーヘルパーなどの装備もないのでしょうから想像してみると本当に大変なことです。 それでも、どれだけ降るんだ?と思っていた雪も2月に入ると急に勢いが衰えはじめ、今ではどんどん雪解けが進み、 嬉しい春の訪れを感じさせてくれる陽射しを時折感じることができるようになりましたし、日も長くなりました。 3月3日には娘がお世話になったJON高校を卒業、この16日には息子がR小学校を卒業します。 成績が良いわけでもなく、剣道の腕前も秀でた子どもたちではありませんが、なんとか健康で成長してくれています。 まっ、これがなによりだよなあ〜と目を細めているわたくしとカミさんなのでありますが、娘の専門学校、息子の 中学校進学にかかる費用を目の前にして「ええっー、こんなにかかるのかい!」と今度は目を白黒。 はあ〜、まだまだ先は長いなあ・・頑張らなきゃ!!
ひとこと・・【06/3/9】 |
出張で昨日から久しぶりの東京にいます。これから帰路に着くところなのですが、少し時間があるので | ちょっとこの拙文をしたためているところです。昨夜は、会議が終了した後、学生時代の友人と会い杯を交わしました。 彼は相変わらずの下戸でウーロン茶、わたくしは焼酎であります。新宿のなんとかビルの最上階53階の日本料理屋です。 懐かしい神宮球場や東京タワーが夜景の中に見え、やっぱり都会だよなあ〜。お品書を見てその値段の高さに驚いて躊躇していると 友人が「オレ、適当に注文するね!」、わたくし「お、おおぅ!」。最初に冷たい生ビールを一気に飲み干し、 「久しぶりだよなあ!」の後に出た話題は、"健康"についてでありました。友人「実はさあ〜、オレ、去年の2月に入院してさあ・・」、 わたくし「えっ、そうか!で、何処を患ったんだ?」、友人「心臓・・」、わたくし「ああっ?心臓?!」、友人「職場の健康診断のとき、 心電図検査でひっかかってさあ・・」、わたくし「で、どうした?」、ウーロン茶を一口飲んで友人「心臓の血管が1本閉塞してしまっているから、 すぐに手術して、その血管にバイパスを作ってあげなきゃならないっていう話なんだ、ふう・・」、わたくし「・・(無言)」。その後の友人の話だと、 放っておくと限りなく死に近づくと言われ手術してもらったとのこと。しかも、手術中は年次休暇で対処しなければならないこととなり、 それにも参ったらしいのでありました。いずれにしても、入院直前のころは、坂道や階段を昇っても運動した後の疲れとは違う、 明らかに不健康な疲労を感じたという話には他人事と思えないものがありました。わたくしが「何でオレに連絡しないんだよ?!」、 友人「おう、しようと思ったんだけど、お前のことだからそんなこと連絡したら、東北の奥からすぐにでも見舞いにすっ飛んできそうだからサ。 お袋も確かにそうだねって言ってたよ(苦笑)」、わたくしも頭を掻きながら「・・(苦笑)」。そのあとは、 2人で書いたPOSシステムや稟議制度の論文は、今から思えば先見の眼があったよなあ・・といった学生時代の話がメインになり、 他の友人にも携帯から連絡したりと大いに盛り上がりました。 駅でその友人と別れるとき、「お互い、身体には気をつけような!」と異口同音に同時に口にしたのは言うまでもありません。
ひとこと・・【06/3/16】 |
息子のTAKがR小学校を卒業しました。6年間無遅刻、無欠席でした。健康で成長してくれたことがなにより嬉しく思います。 | 身長もずいぶん伸びました。昨日は、ふたりで小学校最後の剣道の稽古をしました。ふだんどおりの稽古でした。 稽古を終え、息子と向き合って礼をしたとき・・わたくし「6年間よく頑張ったじゃないか!」、息子は黙ってうなずきました。 「でも、父さんはTAKだったらもっと強くなれると思う。中学校での剣道は辛いかもしれないがもっと強くならなきゃな!」。 息子は学校の方針で何らかの部活に入ることになります。娘も中学校では茶道部で、その活動後に稽古でした。息子もそうする予定です。 しかし、中学校の男子で息子が通用する技量を持つためには並大抵の努力ではできないでしょう。息子もうすうす感じているようです。 息子の小学校時代は、運良く4年生のときに学年別郡市大会で個人優勝したものの、それ以降はなかなか勝てない時期が続きました。 でも息子は負けませんでした。6年生初秋の大会からは、不恰好ですが積極果敢な攻撃型の剣道を自分の持ち味にし、 勝っても、負けても観戦しているわたくしたちはじめ、周囲の人たちの心に残る試合ができるようになりました。 "でもなTAK、姉ちゃんはもっと頑張ったし、辛いことも乗り越えてきたんだ。だから、おまえも頑張れ!!!"
ひとこと・・【06/4/2】 |
特に野球ファンというわけではありませんが、先般のWBCでの優勝はとても嬉しかったです。 | イチロー選手はじめ日本を代表する野球選手たちの技術の凄さには本当に感心しました。 学生の頃から王さんが好きで、756号のホームランをなんとか見ようと後楽園球場のライトスタンドに席を取り 巨人×ヤクルト戦を観戦したという思い出もあって、王ジャパンにはことさら熱心に応援したのかもしれません。 いろいろな事情もあったのでしょうが、巨人、巨人と選手たちが入団を熱望するほどの球団で輝かしい記録を残し、 巨人を去ってからは自らの選んだ道を信じて歩んでいく王さんの姿はとても堂々としていて素晴らしいと思います。 いつかテレビに王さんが出演したとき、アナウンサーの「今、巨人の監督になったらどんなチームをつくりますか?」 という質問に、「そんなことはありえないし、考えたこともないので答えれないですね」と話したのも素敵でありました。 また、これもテレビに出たときだったと思いますが、「王さんは後輩の選手に○×□△と言ったことがあるそうですね」 というアナウンサーに「憶えてないですね。人は自分が心から思うことを話した内容っていうのは忘れるんじゃ ないでしょうか」とさらり。現役の頃、714号や756号といった歴史的なホームランを打つ前に、 マスコミはじめ関係者の人たちが画面に映えるような派手なポーズをパフォーマンスが少ない王さんに求めたという 記事を以前スポーツ紙か何かで見たこともありました。そんな王さんがWBCの祝勝会では選手全員に向かって 「諸君は素晴らしい!!今日は思いっきりやろうぜ!!」。・・・世界の王さんのようにとは言いませんが、自分も内に 熱いものを秘め、自分らしい生き方をこの壮年期にしてみたいと思うのですが・・・。 ひとこと・・【06/4/7】 |
出勤前、余命のわずかであると数カ月前、医師に宣告された知人の依頼を受け鉄道駅までその人を車で送って行きました。 | 親しい人の死に出会う機会があるとき、父を早く亡くしたわたくしの父親代わりになってくれていた伯父をよく思い出します。 その伯父が亡くなってから、もう5年以上も経つでしょうか。伯父が病魔に冒され、病床で苦しんでいるとの連絡を受け、 職場から急いで隣市の総合病院に駆けつけました。確かに高齢ではありましたが、人間の死に早いも遅いもありません。 意識はあるものの、呼吸をするのさえ辛そうな伯父。病室に入り、伯父の手をとり「オレだ、SHIGEだ、わかるか!」 苦しみながらもしっかりとわたくしの手を握り返す伯父。もうどうにもならない病状にあることはひと目でわかりました。 しばらくして「じゃあ、今日はこれで帰るから!頑張れよ!!」と伯父の耳元で声をかけ、病室を出ようとしたその時・・ 伯父はわたくしが握っていた手を離さず、息も絶え絶えに「・・SHIGE・・ありがとうな・・来てけでありがとう・・ハアハア・・」 ・・それから6、7時間後に伯父は亡くなりました。最後は薬のせいもあって静かに息をひきとったということでありました。 わたくしが今でも思い出すのは、あのときの伯父の「ありがとうな・・来てけでありがとう・・」という言葉です。 ありがとう・・わたくしは思うんです。あれほどの苦しみのなか、あとわずか・・わずか数時間後に自分の命が絶えるそのとき、 見舞ってくれた人に"ありがとう"と口にすることが自分にできるだろうかと。きっと、きっと無理にちがいありません。 偉大な人を見たような気がしました。偉大とは、地位とか、学歴とか、職業とかにはまったく無縁であることを初めて知りました。 この伯父の最後のことを思い出すと、日常の小事に右往左往する凡人の自分がこっけいにさえ思えます。 せっかくの人生、精一杯生きなきゃバチが当たるってもんですよね!!
ひとこと・・【06/4/22】 |
日本にとって4月はもう一つの正月とでも言いましょうか。さまざまな意味で人々の出発のときでもあります。 | 我が家のじゃじゃ馬娘も、変わり者のその弟も、それぞれ専門学校、中学校に入学し、新しい出発をしたところです。 二人ともあまり社交的な方ではないため、うまく周囲の人たちと合わせてやっていけるかとカミさんは大いに心配しているようです。 その原因の一つには、やはりわたくしが二人の子どもたちに独りでも剣道を続けるように仕向けてきた?ことが大きいと責めるカミさん。 カミさんが言うとおり、他の子どもたちと同じように同級生の多い部活やスポ少を選んだ方が友だちは多かったかもしれません。 しかし、わたくしはそんなカミさんの言葉を振り切って、娘には「どうだ、剣道部がある高校を選ばないか?」と尋ねましたし、 息子には「ねえちゃんと同じように、なんとか中学校でも剣道を続けられるよう一緒に考えてみないか?!」と誘惑しました。 でも、誤解しないでください。あくまでもその言葉の前には「剣道が好きだったら・・」という条件付きであるのはもちろんであります。 わたくしの亡父は中学校の教諭だったのですが、わたくしの進路や部活選びについては決まって「オマエの好きなようにしろ」でありました。 もちろんそう言われるとわたくしも「う〜ん、どうするかなあ・・」と考え、中学生からの部活はバスケットボールを選びましたし、 高校生からは剣道部に入部届けを出しました。高校、大学も自分の考えだけで願書を書き、父親には報告だけでありました。 しかし、進路にしても、部活にしてもその選ぶ理由の中に「友だちもそこに入るから・・」ということはまったくありませんでした。 自分の父親のような子どもの意志最優先の放任型は確かにかっこういいような気がしますが、親として「父さんはこう思う!」と 子どもたちに言ってもいいんじゃないかと思うのです。ただ、これってずいぶん勇気?が必要なことは確かなのであります。 いくら我が子に対してとはいえ、また父親とはいえ、人が進もうとする方向に本人以外の立場から考えを表明するのには、 たいへんなプレッシャーがあるし責任を痛感します。でも、娘の持つ剣道三段の免状こそがわたくしからの嫁入り道具だと思っています。 もちろん息子にもなんとか高校まで剣道を続けてもらい、ねえちゃんと同じ段位を取得してほしいものだと思っています。 そして、進学や就職のとき、その履歴書に剣道三段と書いてほしいと思うのです。親父に取らされたんだよなあ・・とぼやきながらでも。
ひとこと・・【06/4/30】 |
最近、カミさんと一緒にぼやいているのは「遠くの親戚よりも近くの他人」とはよく言ったもんだねえーということです。 | この言い伝え?の意味は地域の人たちにこそ自分たちは助けてもらって生活しているんだという意味なのでしょうが、 我々夫婦の間では、相手への気遣いがない分だけ親戚の人たちの方が我がままだよねえーということです。 そんな出来事が最近続いていることから、ふたりで意気込んで自分がこうむった迷惑や無礼?を報告しあっています。 報告会は決まって子どもたちが夕食を済ませた後の時間帯であります。わたくしも晩酌でほろ酔い気分、 カミさんも気持ちが熱くなってきますとわたくしの缶ビールをひったくり、ぐいと飲み込んでの訴えであります。 まあ、どうといった内容ではないのでありますが、それぞれ職場でのストレスに加え、親戚筋でもこれでは参ります。 交通ルールだってそうですよねえ。そこに信号機があるから、横断歩道があるから、一時停止だから、一方通行だから、 ・・だから交通事故がないんじゃなくて、そのルール、その約束をみんなが守るから悲惨な事故が防げているんですよねえ。 最近は特に周囲の人たちに助けられているものですから、なおさらこんなことを感じるのかもしれません。 それでもこんなちょっとした不愉快が続いていたせいで、カミさんとの意見や気持ちが合うっていうのも皮肉です。 「ホントにそうだよねー」、「うん、わかる、わかる!」、「なんでそうなんだろうねー」、「まったく信じられないよー」 「いやあー、自分たちだけは人の気持ちを大切にしたいよなあ。あっ、もう一杯!」、「ダメ!飲みすぎ!!」
ひとこと・・【06/5/5】 |
今日はこどもの日ということで、隣市のレストランで本当に久しぶりに親子4人で夕食をとりました。 | 本来であれば、ばあちゃん(わたくしの母)も一緒に・・というところでしたが、実は10日ほど前に腎盂炎で入院。 かなり体調も回復してきたことから、カミさんの労もねぎらう意味も込めてちょっと贅沢な食事でありました。 席についてカミさんと二人で生ビールをゴクリ!ふう〜、美味い!!・・と娘が「あ〜っ、ホントに飲んでるう〜」。 「ハハ・・、帰りは頼むよ!」とのん気なわたくしとカミさん。「オマエが車の免許を取るのにいくらかかったと思ってんだよ!」。 ・・そうです。4月に福祉関係の専門学校に入学した娘が運転免許を取得したので、それを当てにしてのビールです。 娘は口をとがらせながらも2,000円ほどのステーキをがぶり!R中学校に入学した息子はといえば同じステーキを前に、 「ホ、ホントに大丈夫なのか、父さん・・お金、足りるのか?・・オレ、6,000円ならあるぞ」と相変わらずの貧乏性。 「オマエ、お父さんを信用してないべ?」と尋ねる父。息子「あっ、い、いや・・」。カミさん「TAK、大丈夫だよ(笑い)」。 剣道漬けだった娘はおしゃれに目覚め、今その状況にある息子は、制服とジャージと剣道着しか持ってないというありさま。 やっぱり、もう少しこんな時間を持たなきゃナア・・と思いながら娘の運転で帰る途中、「あっ、コンビニに寄ろう」とカミさん。 小走りに戻ってきた手にはコンビニの特選肉まん・・今、ステーキ食べたじゃん!!と思いながらも、 これも美味いや・・と帰ってからそれぞれ1個ずつをたいらげた我が家族なのでありました。
ひとこと・・【06/5/21】 |
もうじき6月にもなろうかというこの時期。知人にまだ今年になって2回しか釣行していないのを指摘されました。 | 知人の曰く「剣道の方は相変わらずのようだが、あれだけ夢中に20年以上もやってきた釣りへの意欲はどうした?」 続けて「さては、50歳の大台もまもなくだし、老け込んだな!」、「いや、そんなことないけど・・」と焦るわたくし。 まあ、理由がないこともないのです。なんといっても寒中の時期には数十年ぶりの豪雪に釣りどころではなく、 やっと落ち着いた3月以降は、娘と息子の進学や我が家の大プロジェクト(これは後日ご報告します)の準備で これも釣りに行ける状況になかったのです。そうこうしているうちにな〜んとなく子どもたちとぼう〜っとする週末を 過ごすようになってしまったとでも言いましょうか。・・あら、これが老け込んでしまったということなのでしょうか? さて、今日も外は穏やかな陽の光が降り注いでいます。ただ今の時刻・・午前9時10分過ぎ・・剣道も休みです。 デジカメなど持って、久々に釣りに出かけようかなあ・・。「TAK、釣りにいかないか〜?」、「・・行こうかなあ」・・えっ!? 磯釣り以外あまり興味を示さない息子が・・珍しい。よ〜し、行くかあ!!「ばあちゃん、釣りに行ってくるわ!」 ・・では、この釣行の結果は、"楽魚町の唄"でご紹介することとして・・行ってきまあ〜す!!
ひとこと・・【06/5/25】 |
昨夜、息子の剣道の練習を終えて自宅に帰るといきなりカミさんが「ちょっと、ちょっと!!」、恐る恐るわたくし「な、なんだよ・・」 | 「さっきスーパーで、○×クンのお母さんと会ってね・・」、わたくし「ああ、R剣道スポ少出身で◇△高校の剣道部に入った・・」 カミさん「そうっ!その子のお母さんが私をつかまえて、"ねえ、ちょっと聞いてよ!"っていうわけよ!」、わたくし「・・そ、それで?」 ちょっと興奮気味にカミさん「こないだ、◇△高校の剣道部の・・」、・・急き込んで話すカミさんの話しをまとめてみると・・。 R剣道スポ少出身で◇△高校の剣道部に入部した○×くんのお母さん、先日その剣道部の親の会で飲み会がありまして、 どうやらそこで監督の先生にお酒を注ぎにいったところ、その監督先生に「お母さん、スポ少でやってきた剣道なんて、 剣道をやってきたとは言えないです。今、○×クンを出場させているのは人材不足だからなんです!」と言われらしいのです。 ○×クンのお母さんは続けて・・中学校に剣道部がないんだから練習不足はわかっている。それは○×クンも十分わかっている。 でもそんなふうに言わなくてもいいし、とても○×くんには言えないので黙っている・・と話していたそうです。 カミさん「ねえ、どう思う?!ほんとあの監督先生がそんな人だとは思わなかった!ねえ、YUM!?」と娘にも同意を求めます。 酒席でその監督先生がどんな口調で、どんな趣旨で言ったのかどうかわからないのですが、少なくとも○×クンは自分自身の 技量の低さを十分わかっています。ですから学校がテスト期間に入り部活が休みになっても、わたくしの携帯電話にメールで R剣道スポ少や我が家の隠れ稽古?に行っていいか?と尋ねてきます。そのときは、もちろん大歓迎と返信します。 ・・見返してほしいと思います。○×クンに焦らず、でもきっと周囲を見返してほしいと思います。スポ少も部活も関係ありません。 ○×クンは剣道が好きで、好きでたまらないから頑張っているし、頑張ってきたのです。それが一番素晴らしいと思うのです。 だからこれからも頑張ってください。手助けできることは、いつでも稽古に来ていいぞ!と言って受け入れてあげることだけです。 あとはキミが強くなれば誰も何も言わないし、言えないはずです。 そしてわたくしは、剣道が好きな限りキミは絶対に強くなるって信じています。今は未熟でも、いつかきっと強くなるはずだと。 剣士の誇りを持って、一生懸命に頑張ってください。応援しています。
ひとこと・・【06/6/1】 |
| 春から初夏を迎えようとするこの時期は、剣道大会が数多く開催されるときでもあります。そのため、M剣道スポ少(旧R剣道スポ少)の小学生から中学生の団員たちも、少ない稽古日のなかで一生懸命に竹刀を振りながら頑張っているところです。
特に中学3年生の女子剣士は6月の中体連の総合体育大会が最後の試合になることから、美術部の部活と両立しながら、なんとか1勝を!なんとか1本を!と努力しています。また、中学1年生の男子2人も小学校時代とは比較にならない技量とスピードが求められるとあって、自分たちの力の無さを痛感しているところです。
それでも、今年は郡市内の中学校の強化練習会や夜間練習に来ないかと声をかけていただき、未熟ながらも中学生団員が他校の厳しく激しい稽古に参加することができました。引率していったわたくしもその打ちの強さや竹刀の早さに"やっぱり違うもんだなあ!"と痛感させられたしだいであります。特に男子のパワーは素晴らしく、改めて「中学生の男子をスポ少の限られた時間で、しかも初段の自己流で指導してもこの差はいかんともし難いよなあ・・・」と思わずため息が出ました。
帰りの車中、「明日もこの強化練習あるんだけど、スポ少の稽古日と重なっているよな。お前たちどっちで稽古する?どっちでもいいよ!」と尋ねると3人とも間髪を入れず「強化練習に来たいです!」。そうだ、それが当たり前なんだ!その気持ちがあれば、キミたちはきっと強くなれる! ひとこと・・【06/6/25】 |
| 先日行われた中体連の郡市剣道大会には1年生男子2人、3年生女子1人の3人が出場しました。3年生女子のAYAさんは、ちょうど1年前に入団してきた団員で娘のYUM以来の女子剣士です。R中学校では美術部に所属しているのですが、その前には1年間バスケ部で活躍していたとのこと。聞けばどうやら足のケガが原因でバスケを離れてしまったとことでした。しかし、練習を始めてみるとこれまでのR剣道スポ少ではSOUクン以来の素晴らしい運動能力を持っていてめきめき頭角を現し、あっという間に初段を取得してしまったほどの子でありました。
ところがこのAYAさん、出る試合、出る試合すべてベスト4以内に進出するほどの強豪選手と一回戦で対戦するという運のなさ・・。今回の大会も個人戦の一回戦で延長戦までもつれ込んだもののメンをとられ初戦敗退。しかも対戦相手はそのまま個人優勝したわけでありまして・・。「私、結局なんか運がなかったなあ〜」というAYAさんに「まだまだ、これから高校の剣道が待っているよ!まだ始まったばかりだ!!」とわたくし。本当に高校でも剣道を続けてくれたら嬉しいのですが・・。
一方、この大会が中学校の公式戦デビューに等しい息子のTAKは、初日の個人戦が3回戦敗退、翌日の団体戦では他校の選手との合同チームに入れてもらってのオープン参加。5試合を戦って2勝2敗1引き分けという結果でした。いつもは強気のTAKもさすがに中学生の早く、力強い、巧妙な剣道に力不足を痛感した様子でありました。特に5試合目のSEN中学校の選手にいとも簡単にひねられたことがいい勉強になったようです。一緒に参加し全敗だった1年生のYUYクンもため息することしきりです。
でも、みんなこれからです。キミたちの先輩たちはもっともっと悔しい体験をしてきたし、それを乗り越えてきたのです。ガンバ、ガンバです!! ひとこと・・【06/7/16】 |
| わたくしの仕事の性格上、あまり県外への出張っていうのはないのですが、先々週は静岡県磐田市と神奈川県小田原市、先週は東京都内に視察研修ということで行ってきました。どちらも1泊2日で帰りは最終間際の新幹線というわたくしにとってはキツイ日程でありました。どちらの地域も長い歴に培われた"まち"であるとともに、時代の最先端とでも言うのでしょうか、成長と発展が強く感じられる"まち"でありました。
「あれが国道1号ですヨ」という説明に「へえ〜、そうですかあ!」と感心したり、小休憩のときには「天竜川のどの辺りで鮎が釣れるんですか?」と尋ねてみたり、「ここがテレビや新聞でよく聞く"永田町なんだあ!?"」ときょろきょろ。仕事を終えてホテルの自室に入り、ベッドに大の字になるとまったくの自分独りの空間です。「いやあ、たまにはこういうのもいいなあ〜」。"まち"に出て巨大な百貨店の書店に入り本を求める時や夕食がてらに居酒屋に入ってビールと焼き魚を注文する時、25年以上も前の学生の頃に覚えた?標準語?を使っての会話もドキドキしましたが心地よい緊張感がありました。
ただ一つだけ、"まちの空気"にだけはどうしても馴染むことができないなあ〜と思いました。いやいやよく言う"田舎の空気は美味しい"とか"都会の空気は汚れている"というのでは決してありません。ただ、サカナで言えば(何故"サカナ"なのかは自分でもよくわかりませんが・・)・・つまり、仮にそこで生活するとすれば"どうも水が合わない"という感じです。
出張から最終電車で帰ってくると、暗闇の彼方に姿は見えないものの奥羽山脈の少しひんやりとした空気を感じます。「やっぱり自分の居場所は此処かな」・・そう思いながら、カミさんの運転する車の助手席に座っている自分がいるのでありました。 ひとこと・・【06/8/14】 |
| 実は先月の終わり頃、ひょんなことから息子のTAKが日本武道館大会に出場いたしました。声を掛けてもらったのは嬉しいものの実力が・・と懸念したのでありますが、めったにある機会じゃないなと思い参加させていただきました。関西地方の道場と対戦し、歴然とした実力差に如何ともし難いものがあったものの、TAKの渾身の引きメンに旗が上がり1本を取れた(結果は1−1の引分け)のが嬉しかったです。
ハードなスケジュールをこなし、帰宅後食事をとりながらわたくしはカミさんに「これでキミがなんかの全国レベルの大会に出れれば凄いんだけどな・・」。この言葉に敏感に反応したカミさん「なによ!?」、わたくし少したじろいで「あっ、いや別にどうってことじゃあないんだけど・・」、カミさん「だからナニ?」、わたくし「ああ、いや、いい!(冷や汗)」。
このときわたくしがふと考えたのは、今の大会にTAKが出場したことによって、親子4人のうち3人が全国大会を経験したことになるし、これでカミさんも何か全国大会に参加できれば面白いよなあ〜ということでありました。実は、娘のYUMは小学6年生のときに全国スポーツ少年団剣道交流会に次鋒出場させていただいた経験がありますし、こう見えてわたくしも29歳のときにバスケットボールの選手(二軍の補欠みたいなものでしたが・・)として全国青年体育大会というものに出場していることを思い出し、ついカミさんに余計なことを言ってしまったというわけです。
ウチのカミさんは驚異的な運動オンチであり、本人もこれをかなり気にしていることから、我が家ではこの手の話題はタブーとなっているのであります。でもカミさんは中学校から高校時代を通じて家庭科クラブの部長をしていたはずであります。なんか、そっち方面の全国大会とかないかなあ〜。 ひとこと・・【06/8/31】 |
| それは7月頃と少し前の話になります。ずうっと以前からなんとか町内にある県立R高校の剣道部の練習に体験的に参加させてもらえないものかと思っていたのですが、やっとその願いが実現しました。きっかけは、中体連の郡市総体剣道大会でした。審判員として来られていたR高校剣道部のITI監督先生が一人で試合場の外に立っているのを見かけ、思い切って「なんとかウチの中学生を体験入部させていただけないでしょうか?!」。するとITI先生はすぐに「いいですよ、連絡してください!」と快諾してくださいました。
早速、郡市大会が終わって初めてのスポ少の練習日に、R中学校3年生のAYAさんと1年生TAK(息子)に話をしてみると、こちらも異口同音に「行ってみたい!!」という返事であります。「高校生は打ちの強さといい、体力といい、スピードといい、中学生とは格段にレベルが上だからな!いいか?!」と尋ねると元気に「はいっ!」…おおっ、なかなか頼もしい。
そして先般、R高校に連絡し同校の武道場へ行き2人とも元気いっぱいに「お願いしま〜す!!」…そして2時間。全県大会も終わり、次の新人戦をめざしてR高校剣道部は基本稽古中心で2時間弱の間ずう〜と道場を往復しながらの打ち返し、基本打ち、追い込み…などが休むまもなく続けられます。しかも、打ちもしっかりと強く打つことが求められ、最後にITI先生から稽古をつけてもらう頃にはAYAさんも、TAKもヘロヘロでした。それでも練習の後、ITI先生から丁寧な指導があり、とても充実した稽古をすることができました。
生徒たちへの指導を済ませ、道場を出て行こうとするITI先生を追いかけ、わたくし「先生!邪魔かもしれませんが、また来てもいいですか?」という申し出にITI先生は真顔で「いいですよ!」。やったー、なんかまたつながりが広がった!! ひとこと・・【06/9/5】 |
| 特別な心境の変化というわけでもないのですが・・・強いて言えば、50歳の大台を意識しはじめたからなのでしょうか。少年剣士たちの姿を見ていて「う〜ん、自分も頑張れば上達するかなあ〜」などとここ2ヵ月ほど前から思うようになりまして・・・。娘や息子の自主稽古の相手をしたときに「ちょっ、ちょっと父さんが打つから受けてもらえないか?」と頼んでみたところ、娘「んっ?うん、まあいいけど・・・」。
稽古を終えて外そうとしていた籠手をまた着け直し、竹刀を手に娘が稽古場の中央で構えました。わたくし「おおぅ、ワルイな」と言いながら、少しアキレス腱などを伸ばす振りをして娘の待つ稽古場の中央へ。・・・大きく振りかぶってのメン、飛び込んでのメン、振りかぶってのコテからメン、鋭い打ちのコテからメンをそれぞれ3、4本ずつ打ってみました。メーン!あれっ??、コテーメーン!!ありゃりゃ??う〜ん、なんとも上手くいきません。わたくし心の中で「(ウソー!これって完全に右手打ちだし、軸足もついてこないやー!−焦燥−)」。ゼイゼイ言いながらわたくし「すごい右手打ちだろ?」と娘に尋ねてみたところ、娘「・・・わかんないヨ」、不満そうにわたくし「いや、正直に言ってみてくれよお〜」、すると娘「そうだなあ〜、ちょっとスピードがないって言うか・・・」、ええっー!?スピード??ショックだなあ。・・・全力だったのになあ。
そして昨日のことです。今度は中学1年生の息子と稽古を終えたとき、先日の娘と同じように稽古相手になってもらいました。娘と稽古してからけっこう竹刀振りをしたりしていたので、けっこういい打ちが出来たような気がしたので・・・「どうだった?ス、スピードとか・・・。やっぱり遅い??」、息子「んんっ?う〜ん、まあ、父さんと同じスピードくらいだったらオレも出せていると思うって言うか・・・」と気の毒そうな表情。そっかあー、ガックリ!! ひとこと・・【06/12/13】 |
| 皆さん、たいへんご無沙汰しておりました。よく見ると9月頃から更新していなかったのですね。ただでさえ少なかった訪問者の方々にももう忘れられたかもしれませんが、また、頑張って手をかけていきたいな…ということでキーボードをたたいております。言い訳になりますが、この期間、本当にたいへんでありました。
なんといっても大きかったのは自宅の新築でしょうか。昨年の晩夏に築35年ほどの旧宅を出て、奥羽山脈が近くに見えるほかの土地に小さな家を建てようと決意、これがこのほど実現したわけですが、山あり、谷あり、有難い人々の情けあり…と、はっきり言ってたいへんでありました。
そのほか剣道の方では(佐倉のおじさんに倣って?)40代最後の挑戦で昇段審査に挑戦、何度も肉離れを起こしそうになりながらもスポ少の団員に交じって稽古をし、なんとか合格したもののこれもたいへんでありました。ただ、昇段審査会で多くの先生や顔見知りの中学生、高校生たちからひやかされたり、励まされたりしたのが気恥ずかしくもあり、とても嬉しかったです。
また、年度初めに町内会の会計を仰せつかったがための諸事もボディブローのように効きました。加えて、先月の下旬(昇段審査会の前々日)、剣道の稽古を終えて面をはずすと右の耳が聞こえない、しかも強い耳鳴り…慌てて隣市の総合病院の耳鼻科に行くと、病名は"突発性難聴"、検査の結果次第では16日間の入院とのこと…しかし、点滴や薬が効いたのかなんとか聴力が戻り、入院には至らなかったものの、つくづく歳を実感したわけであります。
それぞれについて、詳しく状況を話すと書ききれないほどの量になるためここまでとします。ただ、これらと忙しさを増していった仕事との両立は、本当に、本当にきつかったのでありました!! ひとこと・・【06/12/20】 |
| このほど小さな家を新築しました。35年ほど前、親父が40歳を少し過ぎた頃に建ててくれたその家も、冬場に"シガムリ(雪国の、しかもわたくしが暮らすこの辺の言葉で分からない方も多いかもしれません)"が生じるほど老朽化が激しいのに加え、娘と息子の部屋も与えてあげれない状態だったため、カミさんと話し合いの末、去年の晩秋に自宅の新築を決めたのでありますが、どうせ建てるのなら周囲の眺めがいいところに住みたいという思いが強く、現在の場所に土地を求めたわけであります。
もともと奥羽山脈の麓の小さな町に住んでいたのでありますが、今度の場所は東に田園と奥羽山脈、南西に出羽富士を望むことができることから、マッチ箱のような家ですが、わたくしとしましてはけっこう気に入っているわけでありまして・・。しかし、家を建てるっていうことに要する体力は並大抵なことじゃあありませんよねえ。特にわたくしの場合、費用をできるだけ安く抑えようと、できそうな登記申請はインターネットをにらめながら極力自分でやってみました。また、施工は大工である義兄に頼み、作業賃金をうかすために土日に義兄と一緒に木材を運んだり、木工用ドリルで穴を空けたり(・・これはあまりにヘタクソだと、途中で義兄に失格の烙印!)、金具にボルトを通したりしました。時々人手が足りないと無理やり動員させられた娘のYUMや息子のTAKは大いに迷惑そうでありました。(苦笑)
そうこうしてやっと出来上がったわけでありますが、出来てみるとご多分に漏れずああすればよかった、こうすればよかったといった点も多かったです。でもまあ、家を建てることを通じてカミさんとの会話も多くなりましたし、子どもたちも自分の部屋を思いっきり散らかしてゴロゴロしています。なにより最後まで移転に反対していたばあちゃん(わたくしの母)が、奥羽山脈から昇る朝日に手を合わせて「あやあ〜、きれいだこと!」と言ってくれておりますし・・。こちらの地方では、自宅を新築した年から2、3年は厄があって健康に気をつけなければならないと言われることから、今日、人間ドッグに行きゲエゲエ言いながら胃カメラを飲んできたのであります。 ひとこと・・【06/12/24】 |
| 最近、ラジオを買いました。仕事で県内のコミュニティーFM放送の現場を見学させていただくことになり、局の人たちと話したり、実際に放送している様子を見て無性にラジオが欲しくなった訳でありまして・・・。でも、いわゆるラジオってあんまり売ってないんですね。隣市の量販店に行ってみても、ラジオだけ・・・しかも少し大きめの・・・なんていうモノを店頭に見ることはできませんでした。ラジオといえば携帯用の小さなヤツがあるだけで、あとはカセットやCDと一緒だったり・・・結局あきらめて町内の家電屋さんからカタログを見せてもらい、イメージに近いものを注文し手にしたところであります。
思えば、ラジオに最も親しんだのは高校の頃でした。セイヤング、オールナイトニッポン、パックインミュージック・・・本当に懐かしいです。セイヤングでは谷村新司さんとバンバン、オールナイトニッポンでは吉田拓郎さん、パックインミュージックでは山本コータローさんがパーソナリティの番組が印象に残っています。谷村さんのセイヤングでは、"天才、秀才、バカシリーズ"だったでしょうか?夜中に大笑いしたような気がします。大笑いといえば、コータロー・パックでは"恥のうわぬりコーナー"が大傑作でしたよね。拓郎のオールナイトニッポンに寄せられた青春の悩みのハガキに、拓郎が"そんなもん、知りません。自分ひとりで解決してください・・・といった感じなのでありますが・・・"というひと言がとても印象深かったのも今思い出しました。
30数年前、バスケを一時中断し、剣道、剣道に明け暮れ、強くなりたい、強くなりたいと思っていたあの頃・・・そして3年生の現役を終え、大学受験に向けて勉強を始めたあの頃・・・ラジオがいつも傍にあったような気がします。 ひとこと・・【07/1/5】 |
| 昨年末に受診した日帰り人間ドックの結果が来ました。実はわたくし、かなり健康に対して神経質な方であることから、少しドキドキ感を抱きながら青い封筒から見慣れた結果表を取り出し開いてみました。いつものことですが、わたくしがまず目で探すのは肝機能と中性脂肪、続いて血糖値の具合を確かめてから表の最初に戻って順番に数値を見ていくのが常となっています。今年の肝機能…う〜んっと、よしっ!9月に職場で受診した健康診断で基準を超えていたGOTが正常値になっています。そのうえいつも気にしているγ−GTPも基準値にあとわずかです。フフ…ヨシ、ヨシ、いいぞ。で、中性脂肪は…おおぅ、これもいいねえ!体質なのかちょっと油断してコッテリ系のラーメンを続けて食べたりするとすぐに高い数値を示す中性脂肪も基準値にかなり迫っています。また、一昨年3桁の数値となり指摘された血糖値の方もちゃんと2桁の正常値になっています。よ〜し、これで一安心だ。人間ドッグ当日の胃カメラ検査でも大丈夫って言われたし…ホッ!
どれどれ、ほかの項目はどうだろう…BMIが相変わらず高いな、もう3sほど絞れればかなりいい線いくんだろうけどなあ。あれ、最近クレアチニンと尿酸が少し高いよなあ…尿酸が高いのはよくないなあ…確か職場でも尿酸値が高くなって通風を患っている人がけっこういるって聞いたし…気をつけなきゃ…でも何に気をつけりゃあいいんだ?
まあ、あとはこんなもんだろう…あれっ?この印は何だ??ええっ、レントゲン写真に異常?…ありゃあ、右の中肺に陰があるってこと…これ?!うそっ、でも医師の指示事項には何にも書いてない。…不安だあ(冷や汗…)、判定は?…「B」?…Bってナニ?「わずかに異常が見受けられますが、日常生活に支障はありません」。ええっ?!これって気にするなってこと?気にするなって言ったって…気になる!!ま、まずはビールでも飲んで落ち着こう…グビッ、ゴクゴク…プファー旨い!う、旨いけど…(暗) ひとこと・・【07/1/6】 |
| 音楽のことを書いてみます(笑)。音楽・・・これは明らかに自分の守備範囲ではないのですが、嫌いなわけではないですし、わたくしが19歳のときに他界した父も実は音楽の教師でありました。高校から大学時代にかけてはバイオリンの奏者として県内でもそこそこ有名であったと自慢していたのを憶えています。なんでも県内で初めてチゴイネルワイゼンを弾いたのは自分だ!という話しは何度も聞かされました。
そんな父でありましたが、わたくしにはバイオリンはもちろんのこと、オルガンを習ってみないかと言われたことすらありません。それどころか「音楽はオンナに任せておけ。オマエはバスケットを頑張ればいい」みたいなことを中学校時代に言われたこともありました。それでいて、剣道に熱中していた高校時代、その頃流行りのフォークソングの影響でフォークギターをねだったところ、すぐに買ってくれ、そこそこ弾けるようになったとき、その頃赴任していた中学校の授業で生徒に歌わせるとかなんとかいう理由で、夜に2人で小椋圭さんの曲(僕は〜呼びかけはしな〜い・・・というあの曲です)をハモりながら歌ったことがありました。
さきほどひょんなことから知った馬場俊英さんという方のCDを買い求め、そして聞き終え、こんなメッセージを乗せた歌を作るシンガーソングライター(この言い方って今も通用するのかな?)がいるのかあ・・・と、とても感銘を受け、この拙文をしたためてみたわけでありまして・・・。 ひとこと・・【07/1/11】 |
| 先般、テレビを観ていると"忘れられない家族の会話"とかなんとかというのを番組中で紹介しておりました。さもありなん…などと笑いながら観ていたのですが、こんなことならウチでも頻繁にあるような気がします。
ケース@いつぞや、相も変わらずカミさんと娘のYUMが口げんかをしています。ついぞ堪らずカミさんが「あんた!何様だと思っているの!!」という口撃に対して娘はさらりと「YUM姫様!」。
ケースAついこの間の日曜日の遅い朝、息子のTAKが眠そうにして起きてきて「あさって、オレなに食べればいいの?」、わたくし「なに寝ぼけてんだよ、ところで…あさってオマエ何かあるのか?」、息子「…じゃなくて、朝ってオレなに食べればいいの?」。
ケースB再びYUM…福祉関係の専門学校に通っているYUMにカミさんが「YUM、明日はみんな用事があっていないから、おばあちゃんにお昼ご飯を出してあげて。わかった?」、週刊誌を読みながらカミさんの方を見もせずにYUM「ばあちゃんサ、ほっておいたって、お腹が空けば一人でなんか食べてるよ」。
ケースC先日のYUM、TAK姉弟の会話。TAK「姉ちゃん、学校卒業したら老人ホームとかに勤めるの?」、YUM即答「勤めない」、TAK「じゃあ、何の仕事するんだ?」、YUM「わからない…なんかあるでしょう、他人に気を遣わなくていい単純な仕事」、続けてYUM「あっ、それからTAK、言っとくけどサ、わたし、あんたが就職するまでの間しか働かないから!後は食わせてネ!」 ひとこと・・【07/2/19】 |
| 最近、週末に決まってすることは自宅の掃除です。やはり、新築して未だ3ヵ月にも満たないことからか、廊下にほこりや髪の毛が落ちていたり、洗面所の鏡が汚れていたり、トイレットペーパーがだら〜んと垂れ下がっていたりすると、なんとも気になって仕方ありません。ですから、カミさんがパートに出かけた後、土曜日の少し遅い朝食を済ませると、"よしっ!"と気合を入れ、まずはほうきを取り出しザザッと掃き掃除をします。続いて掃除機をもって再度ほこりを吸い取ります。それから1階と2階のトイレの便器をトイレクイックルで拭き、各部屋のゴミ箱のゴミを回収します。このへんまで来ると額に汗が浮かんできますが未だ終わりではありません。次に風呂場を洗い、玄関と洗面所の鏡をガラスマイペットで磨いたところでほぼ終了ということになるわけです。
この頃の時間になると、子どもたちが2階にある自分の部屋から降りてきます。「腹へった〜。オレ、なにを食えばいいんだ」と息子、それから10数分して「ふわー、ねむ〜い…。わたしの朝ごはんは〜?」と髪の毛をぐしゃぐしゃとかき混ぜながらけだるさを隠さずに娘。「おまえたち、一体何時まで寝てるんだよお。もう10時だぞお」と声をかけると、「なんだお父さん、また掃除〜?そんな人だっけ〜?」と娘が生意気な口をききながらまた髪の毛をかき上げると髪の毛がひらりと足元に…。「おい、髪の毛落とすなよ!」と思わず娘が腰掛けているイスの下にもぐりこんでその髪の毛を拾おうとすると「きゃあ、何すんの!おっさん!!」、その声に驚き立ち上がろうとした瞬間、頭をテーブルにゴツン!痛っ!!傍らで様子を見ていた息子は腕組みに呆れ顔で苦笑い。
(国の重要無形民俗文化財にも指定されている小正月行事も無事終えてホッとひと息。パソコンに向かう元気も少しずつ出てきたような気がします。) ひとこと・・【07/2/26】 |
| わたくし、こう見えてもダイエットに成功しているなかなかエライ中年のおじさんなのであります。最近ではさまざまなダイエットの方法があって、ネットを開き、数えてみても相当の数に上るようですね。それではここでわたくしのダイエット法を紹介します。名付けて"炭水化物摂取抑制ダイエット"とでも申し上げましょうか、要はできるだけ炭水化物を中心とした食べ物を多くとらないのです。この方法を同僚に紹介し、実際に挑戦してもらったところ、やはり数sの減量に成功したのでありまして・・・。
では、内容ですが、まず朝ご飯は茶わんでさらりと一杯。このときのおかずにはあまり神経質にならず、この一杯を食べられるくらいの量とすることが大切です。つまりおかずも多く食べないことです。で、昼食。昼食はなんといっても弁当を作ってもらいます。これもごはんはさらりです。目安としてはお箸でひと口分つまむと容器の底が出てくるくらいにします。そして夕食です。夕食での晩酌ですが、できればビールはコップ1杯程度にしておき、焼酎にします。量は好きなだけ飲んでもいいです。ただこのときのおかずには注意が必要です。内容は豆腐、野菜、魚を中心とします。お腹一杯食べても平気です。しかしどうしてもお腹が落ち着かないときですが、理想的にはここでご飯を食べてはいけません。わたくしの場合、どうしてもご飯を食べたいときはお箸で小さく二つまみ程度、そうめんならこれもズズズ〜ッで終わるくらいの量を食べて落ち着かせます。これを守れるかどうかがこのダイエット法の"鍵"となります。・・・あっ、それからこれはあくまでも事務職などの軽労作の職業に就いている人の場合なのであしからず。
ちなみにわたくしの実績ですが、3ヵ月間くらいで79.5sから74sほどまで落ちました。ただ、わたくしの場合冬はどうしても食べ過ぎてしまうものですから、現在の体重は75sであります。…ご参考までに ひとこと・・【07/3/10】 |
| 昨日、息子の剣道着を購入するため、子どもたち2人と隣接するY市を通り抜け、その南のYZ市のS武道具店に行きました。剣道着に刺繍をしてもらっている間、甲手を修理していた親方さんが、「IKEさん、このYZ市でも剣道人口が激減だよ!寂しいねえ…」、振り向いてわたくし「そうですかあ…どこも同じような状態みたいですねえ。少子化のせいだけじゃないですよねえ」といったちょっとため息が出そうな話をしながら帰路に…。
すると娘が「ちょっと父さん、家電屋サンに寄って〜」、「あっ?ああ、いいよ」とハンドルを左に切り、有名な量販店に到着。どうやら娘は初めから欲しいものがあったようで、まっすぐ音響関係の一角に。購入したのは今流行のMP3搭載のiPod。わたくしにはちょっと手が出ない値段だったので所在無くあたりを見回していると、陳列棚の横の方に他社の製品も…。こちらはどうやら旧モデルのためにかなり値下げしています。心が揺らいぎ考えた末に「これ、ください!」。娘が驚いたような顔をして「父さん、なに聴くの?」、わたくしは娘の耳元に少し顔を近づけ「GLAYとB'zだ」と小声で言ってやると、娘は短くハハ…と声を上げて笑いました。
自宅に帰り、子どもたちを降ろすと、わたくし1人、今度は西隣のDAIS市のレンタルショップへ。ここで、先ほど買い求めた機械にダビングするためのCDを物色…結局借りたのは、ボブディラン、ザ・ベンチャース、エアロ・スミス…オリビア・ニュートン・ジョンも手に持ったのですが、これは次回に。う〜ん、やっぱり「風に吹かれて(Blowin' In The Wind)」が懐かしい〜!
(なお、後日再びレンタルしたのは、エルトン・ジョン、ザ・ローリングストーンズ、ガース・ブルックス、シャナイア・トゥウェイン…PP&Mが無かったのが残念!) ひとこと・・【07/3/10】 |
| 昨夜、ベッドに横になっていると、中学校1年生の息子が珍しく傍に来て学校生活のことなどを教えてくれました。勉強が難しくなってきたこと、先生のプレッシャーに負けて入らされた生徒会活動に閉口していること、クラスですぐキレる変わった生徒がいることなど苦笑いなどを交えてとつとつと話す様子は表情豊かな?娘とはまったく違ったものを感じます。
それから30分ほど話をして自分の部屋に帰っていきました。そこでふと息子が座っていたベッドの端を見るとなにやら学校から配布になったと思われる印刷物が数枚置いてありました。何気なく手にとって目を通してみるとそれは学年報や学校報などでした。わたくしはあまりこういった学校からの"手紙"を見ることが少なく、カミさんにまかせっきり…、しかし、そのくせ夕食のときに子どもたちのことなどについて無責任なことばかりしゃべるので家族のみんなからブーイングを浴びせられることも度々であります。
さて、その手にとった印刷物の中にPTA会報というものがありました。明日がR中学校の卒業式とあってその特集記事が組まれています。卒業生の中にはR剣道スポ少の女子団員も1人いるはずです。息子の報告では志望校に推薦合格しているとのことでありました。高校に行っても剣道をやってくれるかな…などと考えながら見ていくと学校の先生方から卒業生に贈る言葉が載っていました。それをなんとなく目で追っていくと…1人の先生の言葉に思わず目が留まりました。その言葉を何度も何度も読み返し、最後に目を閉じて小さく声に出して復唱してみました。思わず目頭が熱くなりました。そうだよなあ、そのとおりだ。卒業生だけじゃなく、ウチの子どもたちも合わせてみんな頑張れ!!そしてわたくしたち大人たちも…子どもたちよりも残された時間は少ないけれど…いや、少ないからこそ頑張らなきゃ!!
それは、簡単な14の英単語で書かれてあり、R中学校のALTの先生の言葉でありました。
Do your best in the future! Reach for your dreams and NEVER GIVE UP ひとこと・・【07/5/6】 |
| 奥羽山脈の麓にもやはり春は訪れ、太陽の光と大地の熱が雪を溶かし、芽を出させ、花を咲かせ、生き物たちを目覚めさせます・・・なんていう少しキザな言い回しをしてみたくなる季節になりました。自宅の新築と引越しを終えたことによる燃え尽き症候群から抜けきれないまま、仕事では思いがけない他団体への出向を命ぜられ、それでもめげずに少年剣道とのかかわりにどっぷりと浸かっている生活の中で、全く手つかずの状態にあるのが"釣り"です。
2007年を迎えてもう5月、未だに竿を手にしていないなどということは、この20年間で初めてのことのような気がします。なんか、自分らしさを見失ってしまっているような焦りを感じたりもしますが、まっ、いいか!マイペース、マイペース、こんなときもあるさ・・・と自分自身と話し合い、はやる気持ちを抑え、大あくびをしながら両手をいっぱいに広げてみたりしているこの頃であります。
娘の怒声が聞こえます。たぶんまた、なんで阪神タイガースが今日も劣勢なのか!!とか、どうして名古屋グランパスのGKに楢崎選手を出さないのかといった類のことに相違ありません。息子は剣道の練習がない久しぶりの完全休日を満喫するようにゲームに夢中のようです。そんな子どもたちの様子が心地よくさえ思えます。・・・釣りは、もうちょっと先になるかもしれません。
う〜ん、それにしてもこれほど散漫な文章も珍しい・・・。 ひとこと・・【07/6/28】 |
|
ずいぶん更新が滞ってしまいました。思えば一昨年末から始まった自宅の新築と引越し騒ぎ…加えて職場では突如畑違い?の他団体へ出向という辞令をいただき四苦八苦の年度始めを迎えたために、帰宅後はもちろん、休日も新しい仕事の専門書(…いや、入門書?)を片手にインターネットで調べ物をしたりといったことはあったものの、それ以外ではパソコンの前に向かう気持ちが起こらずに今日まで来てしまったのでありまして…。
それでも少年剣道とのかかわりは中断することなく老骨?にムチ打って頑張っていたのですが…5月の半ば頃のことです。明日が小中学生の大会という土曜日の夕方です。オーダー表を作成するのをすっかり忘れていたわたくしは、慌てて町内の文房具屋さんから模造紙を買い求め、「あ〜危なかった、やばい、やばい!」と汗をかきながら所定の大きさに裁断、床にその模造紙を置き、慣れない筆を持って背中をまるめながら選手たちの名前を書き終えました。「ふう〜出来た!」と大きく息を吐きながら丸めていた背中を伸ばすと…ピキッ!えっ、なに?うぅっ!痛えっ!!何がどうなったのか腰に激痛が走り、立つのもやっとです。
それでも、明日は小中学生がともに大会です。こんなことしてる場合じゃないとそろり、そろりと剣道着に着替え、息子に防具と竹刀を持ってもらって体育館へ。さすがに防具を着けることは出来なかったのですが、練習が終わる頃には自宅にいるときよりもずっと良くなったような気がしました。「この分なら大丈夫だな」と思いながら息子を乗せて車で帰宅、車を止めて運転席から降りようと右足を車外に出した瞬間…ぎゃあー!!体がぴくりとも動きません。いえ、ぴくりとでも動かそうものならこれまで経験したこともないような痛みでどうしようもありません。さすがに家人もただごとではないと思ったらしく、結局、カミさんの運転する車に四つん這いになって乗り込み、娘のYUMに付き添ってもらって隣市の総合病院に急患として搬送してもらいました。
病名は何だったのかはっきりしませんが、周囲の声はもっぱら"歳だ、歳だ!"ということでありました。
今ではもうすっかり回復し、痛みもないのですが念のためにスポーツ用品店から買い求めた腰のサポーターは必需品となっています。加えて中学生や高校生と竹刀を交えるときには心なしかおよび腰になっているような…。だって、本当に、本当に痛かったんですよ!! ひとこと・・【07/6/30】 |
|
今日、わたくしが剣道スポ少の指導を始めた頃からお世話になっているGTO先生のご好意により、隣市の名門剣道部、KAK中学校の練習にTAKが参加させていただきました。以前から"機会があったら来てください"と言っていただいていたのですが、TAKが先日の中体連の郡市大会で運よく全県大会の個人戦の出場権を得たことから、大会終了後、思い切って「先生、ホントに行っていいですか?」と申し出たところ、GTO先生「IKEさん・・ああ見えてウチの生徒たち・・」、わたくし「は、はい・・(汗)」、GTO先生は続けて「ウチの生徒たち、結構いいヤツばかりなんですよ。きっと喜びますから来てください。あとで電話とかで連絡をとりあいましょう」とニッコリ。わたくし、思わず直立して「ありがとうございます!」。
こんな短いやりとりがあって、この日を迎えたわけでありまして・・。
朝9時からの練習ということで、その30分前をめざして車を走らせていたところ、TAKが「オレ、練習についていけるかなあ・・しかもKAK中だし・・」とぽつり。それはわたくしもGTO先生から了解を得た直後から心配していたことなのですが、ここまで来たらとばかりに「TAK、それが挑戦だろ。大丈夫!とは言えないけど、頑張れるところまで頑張れ!」と言うと、TAKも後部座席で小さく「うん」。バックミラーを覗いてみるとけっこうしっかりした目をしています。よしっ!自宅から30分ほどでKAK中学校に着いて時計を見ると9時に20分ほど前・・少し早足で道場に行ってみると選手たちは全員そろっていて、竹刀振りを始めようとしています。ヤバッ!TAK、早く準備だ!!
・・そして3時間強、普段は長くても1時間30分弱しか面を着けての稽古をしていないTAKはへろへろになりながらもなんとか完走?!・・黙想からこの日の納めの礼を終え、選手たちとTAKが帰りの準備を始めました。見ると、いつもは静かなTAKが初めて言葉を交わすKAK中の選手と声を上げて笑って話をしています。・・と、わたくしのそばで3年生のKMA選手が麦茶を飲みながら他の選手に「オレさあ、TAKがせっかく来たからさあ、先生から稽古をつけてもらう順番を譲ったんだよ。そしたらTAKのところで今日の稽古終わったじゃん!」、続けてKMAクン「・・それはいいんだけど、そのあと先生"今日オレのところに来なかったヤツは掛かり稽古!!"・・だべ。参ったよ!カッコつけるもんじゃねえよなあ・・」。わたくしは思わず吹きだしてしまいましたが、同時にスポ少のTAKを快く受け入れてくれたKAK中剣道部のみんなに心からの感謝!!・・教官室から出てきたGTO先生にお礼を言った後、「やっぱり、ウチ(スポ少)の子たちにもこんなふうに明るく元気に部活でやらせたいですよね・・」、すると先生「IKEさん、私思うんですよ。昔はどうか知りませんが、今は部活もスポ少もなくみんなで力を合わせてこの剣道をつないでいかなければいけないって。・・だからまた来てください」。 ひとこと・・【07/7/9】 |
|
・・今年の東北の梅雨っていつからなんでしょう?3〜4日ごとくらいに短期間の雨は降るものの、長くは続かず、その後は梅雨明けさえも思わせる晴天・・。ただいま自宅の南側に車庫を新築しているわたくしとしては作業の進捗もよろしく、「あと10日ほどで目途がつくから・・」という言葉に思わず表情も緩むところなのですが、あまりに不思議な?天候に「日本は・・、地球は大丈夫?」などと本気で思ってしまうわけでありまして・・。
息子の県大会もあと数日に迫り、日々の練習にもこれまでにない緊張感が走ります。6歳年上の姉ちゃんと同じく、練習のほとんどを「わたくし」という動く打ち込み台にただひたすら打ち込む・・というあまりに効果の疑わしい?毎日の薄い成果の積み重ねの中でつかんだ中体連の予選会突破という嬉しさもつかの間、その後はスポ少からの出場という戸惑い(いつ会場地に出発して、どうやって試合前の練習をしたらいいのか・・など)と感じなくてもいいはずのプレッシャーまでもが何故か選手の息子にではなく、わたくしに・・。50歳を目前に、たかが?中学生の息子の大会になにをジタバタしてるんだろう・・と思うのですがどうしようもありません。
昨日はOMA・YUB館道場とKARIW剣道スポ少との合同稽古がM町(合併前の我がR町)でありました。残念ながらわたくしは親戚の法事で最初の準備作業だけの参加。それぞれのスポ少の指導者の先生たちにあいさつをして帰ろうとすると、お世話になっているKARIW剣道スポ少のSATO先生と保護者会のDAIK母さんが「TAKクン、スポ少の代表だから・・頑張って!!」という嬉しい激励。思わず「は、はい!ありがとうございます!!」・・まるで自分が大会に出場するような大げさなお礼を申し上げたしだいでありまして・・。 ひとこと・・【07/8/3】 |
|
本当に久々にOGA磯に釣りに行ってきました。しかも、先週の土曜日と昨日の木曜日という中4日間しか空けないほぼ連荘での釣行でありました。2日間とも中学校2年生の息子と一緒に釣り糸を垂らしてのんびりと…と言いたいところでしたが、土曜日は強い南西の風と時折降る大粒の雨に打たれながら釣りとなり、木曜日は打って変わって梅雨明け初日の35度を超す炎天下のなかでの厳しい「小アジ釣り」となりました。
先月の中旬過ぎまで、運良く出場権を得た全県中学生剣道大会の練習と大会後すぐに行われた学力テストの勉強に追われ、少々イライラしていた息子の様子を見ていたものですから、ある夕食時に「釣りにでも行ってみるか!?」と誘ってみたところ二つ返事で「うん、行く」という小さな会話があっての今回の釣行なのであったのですが、いざ釣り場に着いてみると、気分転換の主役は息子よりもどちらかといえばわたくしの方になってしまったような気がします。「父さん、もうけっこう釣ったんじゃあないか。それにこの天気だしさ、もう帰るべえ!」という息子の声に「おおっ、そうだな。じゃあ、もう3尾ほど釣ったら、なっ!!」、「あっ、わりい、わりい!もう片付けよう。よしっ、あと1尾で終わりだ!」と時間の引き延ばしにかかるわたくしに息子もあきれ顔です。
帰りの車中、「やっぱり海はいいよなあ〜」と声をかけるとにっこり笑ってコクリとうなづく息子。中学校の2年生になり、めっきり口数が少なくなった息子ですが、海好きは変わっていないようです。早生まれの息子は中学校2年生とはいえまだ13歳。剣道はもちろん、人並みの勉強、あまり本意ではない生徒会、絶対全クリしなければ気がおさまらないゲーム…時間が足りねえとぼやく息子。「あんまり焦らないで、ゆっくりやれよ!」と声をかけたその口で「あっ、でも時間があったら少しでも竹刀を振るんだぞ!」というわたくしにこけるマネをする息子のうしろ姿がありました。 ひとこと・・【07/8/22】 |
|
夏期休暇も後半の昨日、午前中カミさんと一緒に買い物やら銀行での用足しやらで広く隣市を渡り歩いた帰り、「昼メシでも食っていくかい?」と誘ってみたところ、「う〜ん、ウチで祖母ちゃんとか待ってるからね・・」とカミさん。「なら、肉好きの祖母ちゃんにそこの吉野家で牛丼を買っていこう。ほんで作ってもらっている間に俺ら食ってりゃいいべ」と珍しく再度お誘い申し上げたところ「そうね・・」。学生時代に慣れ親しんだ吉野家のそれは30年も前の味をしっかり思い出させてくれるに十分なお手前であり、わたくしも懐かしさにどんぶりに口をつけてかき込んでみたわけでありまして・・。
わたくしの学生時代は昭和50年前半・・吉野家や養老乃滝の牛丼はなんとも言えず安く、美味しく、空かした腹を十分に満たしてくれるご馳走でありました。学友の中には「牛丼とライス大盛り」をしょっちゅう食っているものがおりました。これを初めて目撃したときわたくしが思わず「おい、牛皿とライスじゃねえのかよ?」と問いただしてみると、その学友はにやりと笑って「いいんだよ」と平気の平左を装っています。果たして注文の品がいよいよ目の前に置かれ、彼が割り箸を二つにぱちんと割ったところから横目で眺めていると・・まず牛丼の上に乗せられた具をおかずに大盛りライスをすてんと平らげました。続いて具のなくなったどんぶりには具の汁がしみ込んだごはん・・。わたくしもここいらで合点がいきました。彼はその汁がしみ込んだ甘いご飯に紅しょうがを大きく二つまみほど乗せ、たらりとしょう油を垂らして見る見るうちにそのどんぶりを腹の中に納めました。「いやあ、金があれば生卵も欲しかったんだが・・」とその学友。
その話をゼミに持ち帰って聞かせると、後輩がもっとスゴイヤツもいると言います。聞けばボンカレー1袋で3合メシを平らげるとのことでありました。そりゃあ、ボンカレーの他にソースでも大量にかけて食うんだろうと疑ってみると、後輩は身体の前で両手をパーにして振りながら、いやいやそうではないと言います。「実は・・」と後輩・・まずボンカレーをどんぶりに移す。そしてそいつにはまだ手をかけずに、ボンカレーの空き袋を小刀か何かできれいに開き、それについたカレーをもう一つのどんぶりメシにぺたぺたと丁寧に擦りつけながら2杯ほども食う。それから今度は最初にどんぶりに移したカレーを箸ですくいながらまた数杯も食う・・ここでスプーンを使うとカレーをすくい過ぎてダメだとも解説。そして最後にカレーを入れていたどんぶりにメシを入れ、その周辺にくっついているカレーを交ぜながら遂には3合メシを平らげるのだそうでありました。
こんなことを思い出していると、カミさんが「もう帰りましょう!お勘定と持ち帰り分お願いね!」とすたすた店を出て行ってしまいました。30年前の学生時代・・カミさんと出会うのはそれから5年以上も後のことでありました。 ひとこと・・【07/9/23】 |
|
久しぶりに息子とハゼ釣りに行ってきました。2、3年前から、この時期2人でのんびり漁港で糸を垂らすのが恒例となっています。造作のない会話をしながらのハゼ釣りは毎年30尾くらいの釣果を得ていたのですが、今日はまったくの不調。2時間半ほどもいてわずかに8尾。2人とも大いにテンションが下がり、会話も少なくなってしまったのですが、遅い昼食を近くのラーメン屋でとった頃には機嫌もすっかり直り、「まあ、こんな日もあるさ!」と帰路に着いたわけでありまして・・。
自宅に到着すると、いつの間にか周囲の田園地帯には多くのコンバインが入り、稲刈りも真っ盛りです。最近の強い雨で押しつぶされた稲田も多いのですが、幸い作況にはあまり影響がないと話す近くの農家の人の言葉にも笑みがまじります。そんな立ち話をしていると、山菜取りに行った知り合いが通りかかり、わざわざ車を止めて「10kg以上のマイタケに当たった!」という自慢話に一同「おう〜!(驚嘆)」。
日暮れを迎えた秋空の下で移り行く北国の季節を感じていると、「父さん、少し早いけど晩メシだって!」と呼びに来てくれた息子。先日の新人戦では残念ながら入賞を逃したのですが、2日間で9試合を戦って、自分の技量と他校の剣士との実力差を確認・・自分なりの手応えを得てまた独り稽古に戻ったところに隣市のOMAG南中のSIMD先生から「来月の大会に出てみないか?」という嬉しい知らせのあったのがつい昨日。食卓に着くと福祉関係の専門学校に通い、実習期間に入っている娘が国体選手が掲載されている地元新聞を見ながら「あっ、NAKAMR先生(高校時代の恩師です・・)が出る!!父さん、AKちゃんも補員だけど出るんだよね。・・AKちゃんで補員だもんなあ、厳しいなあ・・」、コップ片手に「観戦に行くのか?」と尋ねてみると、「実習なんだよねえ・・レポートあるし・・ふう〜」。
・・子どもたちの季節も少しずつ進んで行っているようです。 ひとこと・・【07/10/14】 |
|
昨日は中学2年生の息子の学校祭でした。PTAの厚生部というところに所属しているわたくしも、たまには一般の?お父さんやお母さん方と同様に模擬店の手伝いをしにいってきたところです。役割は、R中学校の前庭に設置したテント村でフランクフルトを焼いて販売するというものでありましたが、てきぱきとしたベテランPTAのお父さん、お母さんの手際の良さに着いていけず、素晴らしい秋空の下でボヤ〜ッとした半日を過ごさせていただいたわけでありまして・・・。
忙しい仕事はほかの方々にお任せし(失敬!)のんびりと日向ぼっこをしていると、嬉しいことにかつてR剣道スポ少で頑張ってくれたRYOクンはじめ、HIROTクン、YUIKサン、SYUTクンたちがニッコリ笑って軽い会釈をして行ってくれました。また、OBの親御さんやおじいちゃん、おばあちゃんたちも「IKEセンセ、その節はお世話になりました!」、「いやあセンセ、ご無沙汰しています!」と丁寧なお礼までいただき、思わず「こんな場所でセンセは勘弁してください!!」と冷や汗をかきながらも「○○クン、頑張ってますか!?」、「時々顔を出させてください!」と応対することが何かとっても嬉しく感じる半日でもありました。
プログラムを見ながら体育館に行ってみるとちょうど息子の学級の合唱が行われる時間にあたり、「COSMOS」という歌をクラス全員で歌っていました。もちろんそこには剣道場に立つときの厳しい顔の息子ではなく、いがぐり坊主のメガネ少年は「キテレツ大百科」のキテレツくんに似ているような気がします。・・・考えてみると、こんなふうに学校生活を送っている息子を父親として見るのは中学では初めてかもしれません。娘の時などは一度もこんなことはなかったかもしれません。
この学校祭の数日前、息子は幸運にもOMAG南中主催の県南新人剣道大会の個人戦で優勝することができました。激しい試合の後、息を切らしながら面をはずしたときの紅潮した息子の顔も、今こうして一生懸命クラスの合唱に参加している姿のどちらからも成長している様子がじかに伝わってきます。さあて、今日も息子の話しなど聞きながらチュウハイなど晩酌に頂きましょうか。・・えっ、娘?娘は障害を持つスポーツ選手たちの全国大会の運営ボランティアで数日の間開催地に泊まり込みとのことであります。YUM、オマエも頑張れよ!!
いくら東北の雪国に育ち何十年も暮らしているとはいえ、雪が降り始めると身体や心がそれに慣れるまでは1週間・・いや、10日間以上もかかるような気がします。特に今年のように11月からして"記録的な降雪"などといった年はなおさらであります。大急ぎで自家用車のタイヤをスタッドレスタイヤ(冬用タイヤ)に履き替え、ワイパーも冬用にチェンジです。それから家のサッシを中心に冬囲い、同時に家の中では暖房機の蓄熱量を高めにします。・・これでよかったけ?ああっ〜!とスノーダンプや雪かき道具を物置から出してこなくては・・いや、物置にはなかった、古い家の方にしまってあったんだ・・ドタバタ。と、まあこんな感じであります。
そんな11月の中旬過ぎ、隣市の高校の体育館で昇段審査会がありました。4段受審の資格を得た娘は「稽古不足でとても自信がない!」と見送り。中学校2年生の息子は初段を受けました。M剣道スポーツ少年団からは息子のほか、初段でもう1人、2段に1人が挑戦し、無事昇段したところです。各段とも今年は中高年の方々の受審が目立ちました。私はこういうのにすぐ影響される性質ですから、負けてはいられないと翌日から腕立て伏せや腹筋運動を始めたり、スポ少でも子どもたちに混じって基本稽古に打ち込んだりと大ハッスル!その勢いで子どもたちの練習相手に来てくれた高校生をつかまえて試合稽古を挑んだのですが・・玉砕。加えて翌日から筋肉痛でマイッタ!!
この1年間の反省は、自分の人生の象徴(少し誇大表現かな?)でもあるはずの釣りをほとんどしなかったこと。釣りをしたくても忙しくてできなかったというのであればそれなりの言い訳にもなるのですが、釣行できたはずの時間もたくさんあったような気がしたにもかかわらず竿を手にしなかった自分に「ちょっと情けないんじゃないか!?」と叱咤するもう一人の自分がいます。かつて「オレは第二種兼業漁師」だとうそぶいていた自分をもう一度取り戻したいと思います。
2007年9月に50歳になりました。いよいよ人生も後半戦です。少しは盛り上げなくっちゃつまらないですよね。
娘のYUMも2008年2月には二十歳、とうとうわたくしの身長を追い越した息子のTAKは中学校最後の年です。それぞれに成長の跡を感じさせてくれた2007年でありました。
奥羽山脈からは今日も降りしきる雪の合い間に眩しい陽光を見せてくれました。いつもながら元気をもらっているような気がします。・・気がつくと2008年にはカミさんと結婚して25年目を迎えます。面と向っては言えないことですが・・家庭ではカミさんがいなければ半人前・・いつも感謝しているわけでありまして・・では、また来年!
いよいよ2008年が始まりました。新年の朝を迎え、朝食もとらずに一番最初にしたことは自宅前の雪寄せ・・つまり除雪作業であります。いつもの年よりも今の時期にしては雪が少ないとはいえ、それでもやっぱり雪国です。玄関前と車庫前の雪を寄せるのに1時間近くもかかるのは例年どおりです。しかも、1日1回というわけにはいきません。通常でも1日に2、3回は当たり前です。豪雪の時などはスノーダンプで雪を運びながら後ろを振り返ると、もう4、5cmも積っているのですからたまったものではありません。そんなこともあって、雪国に暮らす人々は時折青空が顔を見せ、眩しい陽光がさすと思わず笑みを浮かべてしまいます。そして「早く春が来ないかなあ〜」と誰もが思うのでありまして・・。
さて、窓の外は今もまた大吹雪。これを見ながら地元の醸造酒を義兄と一緒にゴクリ。義兄は早朝2時から町の除雪技術員としてグレーダーのオペレーションです。「あど、これがら風呂さ入って明日さ備えるベ!へばな!!」と言い残して杯を逆さに飯台に置き帰って行きました。
奥羽山脈の冬はこれからが本番です。そして釣りも少年剣道も凍てつくこれからが正念場です。
昨日、この欄を更新していると息子が「あれ、更新しているの?珍しいね」と覗き込んできました。「うん、まあ今年は少しマメに書いていこうかなと思ってナ」と答えたわたくしに息子「そういえばサ、こないだTEN中学校での練成会に入れてもらったじゃん・・」、「ん、ああ・・」、続けて息子「そんとき・・練成が終わったときにどこかの学校の先生か保護者の人かもしれないけど、"もしかしてキミのお父さん、釣りと少年剣道っていうホームページ開いてる?"って尋ねられた」、「ええーっ、ホントかあ!?誰?どこの学校の?どんな人??」とせき込むように問い返すわたくしに少し引き気味の息子は「他の学校の先生とか保護者の人たちをオレ知ってるはずないべ。それに、あのときは早く整列するように言われて急いでたし、"はい、そうです"って答えて・・じゃあ、オレ部屋に戻るから!」、「あっ・・うっ・・」とさらに問いかけようとするわたくしをまるで置いてけぼりにするかのように息子は2階の自分の部屋へ。
・・そっかあ〜県内の自分の知らない人が、この拙いホームページを見に来てくれているんだあ。でもなんで息子のこと分かったんだろう・・?正直、なんか気恥ずかしいような、嬉しいような言葉にできない気分だけど・・よ〜し、今年の目標!カウンターの数字を大台に乗せれるようガンバロー!!
世の中すごい時代になったものであります。昨夜、帰宅するともうすぐ20歳になる娘が居間でテレビに向ってひとり手を上げたり、身体をくねらせたりしながら興奮気味に騒いでおりました。「何やってんだ?」と尋ねると、「エへへへ・・・新しいゲーム買ったんだよ、TAKと共同出資でね!」とこちらに顔も向けずに続けて「えいっ、やあっ!」とかやっています。どうやらテレビの画面と娘の様子を見ていると野球ゲームのようです。「そんなもん、座ってやればいいじゃないか?」と話しかけてみると、それでもテレビの方を向きっぱなしで「こういうゲームなの!今、私バッターボックスにいるからじゃましないでよ!!」、わたくし「・・・」。
そして夜の8時半過ぎ、スポ少から帰って風呂に入り、ビールをぐいっと飲みながら夕食をとっていると、息子も夕食をかっ込むように平らげ、2階の娘に向って「ねっちゃん!ウイーやんねえかあ!!」、「(バタンッ!)おう、メシ食ったあ?」、「食ったア!!」、「あいよっ!!(ドタバタ、ドンッ!)」。思わずわたくし「おい、あの新しいゲームか?」、ふたり「うんっ!」、わたくし「おい、あんまり騒ぐなよ!!」という再度の問いかけに返事なし。・・・んたくっ、ゲーム、ゲームって、もう!!
しかし、さらにそのおよそ40分後・・・息子「ほら、父さん頑張れよ!身体を動かしてかわさなきゃ!」、娘「ガードが下がってるから打たれんのよ!」、わたくし「うるさい!ボクシングは左のジャブが大切なんだって!」、続けてわたくし「いやあ、なんかロッキー・ファイナルに出演してるような気分だなあ〜キャハハハ!」・・・とそこに「ちょっとお〜、お父様はもうご飯済んだんでしょうかあ?!」というカミさんの心底呆れたような声が聞こえたような・・・。
先週金曜日の晩、剣道の稽古から帰ってくると、もうすぐ80歳になるばあちゃんが「おやっ、やっと帰ってきた!ちょっと、ちょっと・・・」とわたくしに声をかけます。「ん、どうした」、するとばあちゃん「7時頃かな、隣市のK総合病院から電話でサ。お父さん、ご在宅ですか?って・・・」、わたくし「ええっ!」とびっくり仰天!!「で、で、なんて?何の用事!?」と急き込んで尋ねるわたくしに、ばあちゃん「ただいま剣道の稽古に行って留守なんですが・・・なにか?と言ったら・・・」、わたくし大いにイライラして「だから、なんて?!」
実はわたくしこの日の前日、K総合病院で1日人間ドックを受診してきたわけでありまして。ばあちゃんが応対したという電話はその結果のことに相違ないのであります。通常、検査の結果というのは書面で郵送されてくるのです。そ、それが電話で、しかもお医者さんらしい男の人からの電話というのですからわたくしの心臓はもうバック!バック!
「だ〜か〜ら〜!!お医者さんはなんて言った!?」というわたくしの焦り声にばあちゃん「いや、お医者さんだとは言わなかったけど・・・」、「わあ〜た、わあ〜たから、で、そのお医者さんかもしれない病院の人はなんて?」、ばあちゃん「あまり心配するほどのことではないのですが・・・ちょっとお話しておきたいことが・・・とかなんとか・・・」、わたくし「・・・(絶句)」。その翌日、朝一番でK病院に問い合わせてみるも健診の担当部処では「ご心配でしょうが、月曜日早々に先生から連絡がいくとはずですから・・・」といういかにも気の毒そうな声での返答・・・。
ゆっくりするはずの週末をまんじりともせず過ごしたわたくしは、今朝、重い身体にムチ打ちながら朝食のテーブルに・・・深く腰をおろしたイスにもたれかかりため息混じりに顔を左に向けると奥羽山脈から清々しい冬の朝陽が・・・。
昨日は中学生の全県学年別剣道大会が県立武道館で行われました。M剣道スポ少の4人(1年生男子1人と2年生男子3人)もこの大会に出場するため未だ薄暗い午前6時20分にR体育館前を出発したのでありました。会場に着きプログラムを見ると、大会には1年生男子がちょうど200人、2年生男子が232人エントリーしています。みんなを集め「いいか、この大会は全県の強豪たちと竹刀を交える絶好の機会だ。ここでの1勝、いやここでの1本はとっても貴重な財産になるはずだから一生懸命に頑張れ!」と激励。これに応えて4人ともしっかりとした口調で「ハイッ!」。1年生のTOMNクンと昨年の春から剣道を始めたばかりの2年生TOSクンにとっては少しばかり荷が重い大会でしたが、他の2年生、YUYAクンとTAKにはしっかりと1勝を狙ってほしい大会でありました。
結局、第1シードで本大会2位となったFULKクンに完敗の1本負けではあったものの、TAKが第1試合場の決勝までなんとか勝ち進みベスト16に残ったのが最高の成績でありました。
この日は心に残ることが2つありました。1つはプログラムに記された選手の所属名です。男女合わせて500人の出場・・他の全員が中学校からの出場であったのですが、M剣道スポ少の団員4人だけがいわゆるスポーツ少年団であったことであります。朝一番「M剣道スポ少・・いや、R中学校とSENHAT中学校ですが・・」と受付の先生に申し出ると、審判着の先生が「ハハ・・、ちゃんとM剣道スポ少で受け付けられていますよ!」。プログラムを開いてみると4人の団員の所属名は確かに「M剣道スポ少」とカッコ内に書かれています。なんとなくスポ少で剣道を学んでいる少年たちが認められたような気がしました。
そしてもう1つは他校の選手たちが団員たちに話しかけてくれていたことです。何人かの選手たちに声をかけられていたTAKに「なにしゃべってたんだ?」と尋ねてみると「ん?まっ、いろいろ・・」という素っ気ない返事。コイツメッ!と苦笑いしながらも、会場であいさつを交わしていたり、対戦後に相手の選手が駆け寄ってきてくれ談笑しているすがたを見ると「スポ少も部活もない。ひたむき頑張っていれば剣道が友だちをつくってくれるんだなあ」と本当に嬉しい気持ちでいっぱいになりました。
制約が多いスポ少活動を通じてはなかなか強くなれないけれど、一生懸命頑張っていればみんな認めてくれるし仲間もできる!!さあ〜て、次の大会に向けてまた稽古だぞ!!
JRのとある駅にポスター掲示を断られたという奇祭、蘇民祭のテレビ放映を何度か見ました。下帯すがたの男衆がなにやら冷水を被り、威勢よく伝統の縁起ものを奪い合う?といったようなものでありました。さて、わたくしの住むこのM町にもある意味「奇祭」と呼べる小正月行事があるのでありまして・・。
その小正月行事が昨夜あり、家族の「あんまり無理しないでね、歳なんだから・・」というカミさんの呆れ気味の声を背中に聞きながら会場の神社へ。「おうIKE!なんだ南から出るのか?!引っ越してもうオメエは北じゃなかったのか?」という同級生の声。振り向いて「ああ、30年以上も南で出てるからなあ!まあ、頼まあ」、「おおう!」。それから番兵をしている竹奉行に断って青竹の使用を許してもらい、一升瓶に口をつけてお神酒をゴクゴク・・。そしていざ合戦!!
さすがに若い頃のように勢いにまかせて戦うには体力が間に合わなかったのでありますが、それでも無病息災、家内安全、武運長久、地福円満を祈願して気勢を上げて三度の戦いに挑みました。甲斐あってか今朝の地元紙には南軍が優勢で、吉凶占いの結果は米の値があがる・・でありました。
都内の大学に通っていた4年間を除いて参加しているこの小正月行事・・相手にいくらぶたれても決して守勢にまわらず、顔を上げて戦い続けるということを教えてくれた祭りであります。奇祭・・とは周りのことば。必死で戦っている町民のわたくしたちはいたって真剣です。さて、来年は息子と一緒に出れないものかなあ〜などと、昨夜思いっきり叩かれ少し内出血している両手首をさすりなが密かにほくそえんでいる父親なのでありまして・・。
このたびカミさんがパート先から解雇通告を受けました。いわゆるリストラであります。パート先は町内の割烹でありまして、配膳や皿洗い、仕出し皿の上げ下げを10年近くも手伝っていたのですが、このたびそこの娘さんが修行先から帰ってきたこともあってのリストラであったようです。
事前に携帯メールで連絡を受けていたのですが、帰宅してみるとメールの文面以上に落ち込ん出いる様子です。「・・まっ、しょうがないべ!」と声をかけるとカミさんはわざと渋い表情をこしらえて「まあね、うすうす言われるかなあ〜っていう雰囲気はあったからね!」と言い、今度はあきらめ顔で笑いを浮かべて「ふう〜っ」と今度は深いため息です。
知り合った頃、カミさんは隣市にあるデパートの店員をしていたのでありますが、出産のため退職し、その後は保健関係の財団法人で健診の補助、プールの監視員、そしてこの割烹での手伝い・・と、いわゆるフリーター生活を続けてきているわけでありますが、今回のパート先は期間が長かったせいもあって愛着があったらしく、珍しく寂しそうな表情をしています。それでも2、3日後には「今日、ハローワークに行ってきたワ!」という報告。「ええっ、早いな」、「まあね!誰かさんのありがた〜いお給料にいくらかでも私の稼ぎを足さないとね。YUMやTAKにけっこうかかるし!」とサバサバ。この切り替えの早さにはいつも感心させられるなあ〜などと思っていると続けてカミさん「でもさ、町内で時間給が○○○円くらいで、仕事が面白くって、好きなときにすぐ休めるようなところってなっかなかないのよねえ〜」、わたくし思わず「そんなところ絶対にね〜べよ!(苦笑)」。
先日、わたくしのこの拙いホームページを見たという横浜市の方からメールをもらいました。「わっ、珍しいなあ、なんだろう?」とあわてて読んでみると、ナ、ナント今度ご夫婦でわたくしの住むこのM町を訪れるので、ついでにウチの剣道スポ少の活動を見学したいという驚くべき内容でありました。なんでも、奥様が剣道家で地元の少年たちに指導していることから、田舎の少年剣士たちの活動を見てみたいということのようでした。
メールを読み終えてわたくしは震える声で「お、お〜い、YUM、TAK見てみろ!!」、…とそこへ「んーっ?」、「な、なに〜?」とパソコンの傍に寄ってきた子どもたちにメールを見せると「へえ〜!」、「なんで?これマジなの?!」と同じような反応。そこへカミさんが覗き込んで「あらまっ!スゴイじゃない。で、見学してもらうの?」とニヤニヤ。わたくし「んん…」と絶句。結局、わざわざスポ少の稽古日に日程を合わせてくださるという思わず恐縮してしまうほどの熱心な申し出を断るのはかえって失礼と腹を決め、スポ少にお招きしたしだいであります。ご夫妻はわたくしと同年代の本当にさわやかな方々で、剣道5段の奥様からは直々に子どもたちの指導をしていただきました。本当に思いがけない出会いだったなあと今更ながらに思います。
実はわたくしのこのホームページも開設から8年目を迎えました。思えば書店にあった「全部無料(タダ)でできる初めてのホームページ」という題名の入門書を気まぐれに購入し、四苦八苦の末に開いた技術も未熟、華も色もまったくないものでありますが、こうして見知らぬ人との思いがけない出会いのきっかけにもなるんだなあ〜としみじみ。最近ではあまり更新もせず、そろそろ潮時かなあ…などと考えていたのですが、毎日3つ、4つくらい増えるカウンターを見つめながら、もう少し続けてみるかと思うこの頃でありまして・・・。
実はわたくし、1日に2回風呂に入ります。当然、職場から帰り、そのまま剣道の稽古に直行するのが日課となっていますから、2時間ほど剣道をやったあとに冷たいビールを楽しみにしながら風呂場で汗を流します。そのとき本当はヒゲ剃りも一緒にすればよいのですが、目先のビールに我慢できず、洗髪して身体を洗うとよしっ!とばかりに風呂から上がります。そんなわけで翌朝の入浴はつまり単にヒゲ剃りのためだけの入浴です。まあ入浴といってもヒゲ剃りのほか、ざっとシャワーを浴びる程度なのですが、1日の始まりを清々しく迎えられるような気がします。こんな生活がもう10年近くも続いているわけでありまして・・・。
いや、しかし今日のひとことは一日2回の入浴の話しではないのでありまして・・・。実は今朝、ふっと思い出したことがありました。わたくしが子どもの頃の話です。
わたくしの家には小学校4年生の頃までお風呂がなかったので、歩いて1kmほど離れた銭湯に通っておりました。週に2回くらいだったでしょうか・・・今ではもう思い出せません。その頃、手おけか何かに石鹸とタオルを入れ、手さげ袋のようなものに着替えの下着と湯上りタオル(今で言うバスタオルです)を入れて家族でその銭湯に歩いて行ったものでした。
今朝思い出したのは、その湯上りタオルのことであります。今でこそバスタオルは家族1人に1枚以上あって、皆自分のタオルで身体を拭くと思うのですが、当時のわたくしの家にはバスタオル、つまり湯上りタオルは1枚しかありませんでした。ですから、風呂から出るときには身体を手ぬぐいタオルでよく拭いてから、家族みんなが使う湯上りタオルをあまり濡らさないようけっこうきつく両親に言われていたのであります。そのせいか、風呂から上がって身体を濡らしたまま、いつかあのふわふわの湯上りタオルで身体を包んでみたいというのがわたくしの憧れのようになっていたのでありまして・・・。
つまり、それを思い出したのであります。なんかずいぶん小さな夢だったなあ〜などと苦笑いしながら乾いた自分専用のバスタオルで身体を拭いていて、もう1つ思い出しました。そうだ!あの頃、魚肉の赤いウインナーソーセージを1本まんま食べるのにも憧れていたんだった!!
先日の日曜日は全県段別大会の日でありました。M剣道スポ少からは初段のTAKとYUYAクンの中学校3年生2人が出場しました。2人とも身長が170cmを超え、体格もかなりよくなりました。TAKは昨年10月の県南新人大会で個人優勝、2月の全県学年別大会でもコートの決勝まで進み、ベスト16に入る健闘を見せており「あわよくば!」という思いでの出場でしたし、YUYAくんも合い小手面と出がしら小手が上達し、初戦突破はきっと大丈夫と思っておりました。と、ところが・・・。
なんと、戦ってみればTAKもYUYAクンも初戦敗退という結果に終わってしまいました。特に試合場から帰ってきたTAKはまさに茫然自失といった表情が面金の奥から見てとれました。崩れるように会場の隅にへたり込み、小手をやや乱暴に抜き取った後、面をはずすと悔しさのせいで目は真っ赤、唇は白く乾いています。手ぬぐいをはぎ取り「くわっー!!」と低く言葉にならない声を発して自分の膝をこぶしで強く叩きました。こんなTAKを見るのは初めてかもしれません。
しかし、かわいそうではありましたが、ここでは父親である前にスポ少の指導者です。TAKに防具と竹刀を持たせ廊下に出し、ベンチに座らせました。10分ほども経ったでしょうか、やっと落ち着いた表情になったのを確認したわたくしはTAKに尋ねました。「どうした?」、TAK「・・・」、わたくし「オレ、オマエはすげえ強いと思うよ・・・」、続けて「オレが思っていたよりも何倍も強くなった。マジでそう思う」、TAK「・・・」、わたくし「だけど、オマエひとつ忘れてることがあるかもしれない」さらにわたくし「オマエが強くなり始めた頃、目の前の相手にもっと夢中じゃなかったか?当たって砕けろって感じでいつも挑戦者じゃなかったか?相手に打つヒマも与えないような…。それがいつしか、オマエの方が相手の挑戦を受けるような戦いになってなかったか?・・・ただ、それはオレ自身の反省点でもあるんだけどな。TAK、また頑張ろうや!なっ、YUYAクンも次、また頑張ろう!」、TAK「・・・オレ、試合見てくる」。
2000年1月に開設したホームページのカウンターが1万回を超えました。約7年4ヵ月、2,700日ほどもかかっての大台突破です。このカウンターは同じパソコンから1日に何回アクセスされても1つしか数を刻みません。自宅や外の施設などから自分でアクセスした回数が1日に約1.5回と数えても残りの6,000回、単純に計算すると1日にわたくし以外の2、3人の方がこの拙い殺風景なホームページを訪れてくれたことになります。なんかすごく嬉しいものですね。
・・ということは、今50歳ですから開設した当時のわたくしはなんと43歳!?「ず、ずいぶん若かったんだなあ〜。しかし、よくここまで続いたもんだ」と少々自分に感心したりしてしまいます。初めの頃は、本当に毎日のように更新していたのですが、その後間もなく1週間に1回程度・・それもほどなく続かなくなり、今では1ヵ月以上更新しないことも珍しくなくなってしまいました(苦笑)。原因は仕事でパソコンを使う頻度があまりに多くなり、食傷気味というか、帰宅後もパソコンの前に座るのがおっくうになってしまったせいのように思います。
2、3年ほど前に"ブログ"の開設も考えたのですが、あまり日常の生活感が漂う内容をIネットに載せるのは自分の性分に合わないな・・ということで止めました。さて、せっかく大台に乗ったホームページです。もう少し続けていきたいと思います。まっ、更新の方は今までどおりコツコツと焦らずではありますが・・。
現在、わたくしは他の団体に派遣されており、慣れない仕事の中で毎日を過ごしております。ここにはわたくしと同い年のS主任さんと40歳前半のF上席さんがおりまして・・これにわたくしを加え、そろいもそろって自分の息子や娘が所属する運動部の追っかけ?に並々ならぬ情熱を傾ける、自他共に認めるいわゆる親バカなのであります。
S主任さんの息子さんは現在隣県の国立大で硬式野球部に、娘さんは近くの県立高校でバスケットボール部に所属しています。また、F上席さんの息子さんは過去に甲子園に出場したこともある隣市の県立高校の硬式野球部で2年生ながら主戦ピッチャーです。そして中3の息子の少年剣道にどっぷりと浸かっているわたくしの3人がお昼休みになるとする話しといえば・・。
「いやあ〜この週末は娘の遠征でずう〜っとマイクロバスの運転手で疲れたよ」、「ああ、あの○×市でやった大会だべ?!新聞で見るとけっこう善戦してたねえ」、「それはそうと、今リーグ戦の真っ最中だべ?その日焼けは球場焼けだな」、「まあな〜、いやあもっと楽に勝てる試合だったんス、まったく!冷や汗もんだあ〜」、「で、IKEさん、週末は?」、「いやあ、今週は大会とかなかったしね」、「ほう、じゃあゆっくり休んだんスか?」、「いや、県南の高校総体だったんで、2日とも剣道を見に行ってきた」、ふたり「好きだスねえ〜、呆れるわ〜!」、「ええっ、キミらに言われたくないなあ〜」。そしてそのあと決まって「でも、こうやって子どもの追っかけをしているときが一番いいスよねえ」という誰かさんの"まとめ"に一同「んだから、んだから!そうだよねえ〜」。
ある日のの夕食時、中学校3年生の息子のTAKが「父さん!父さんは中学校の頃、100mを何秒で走った?」という質問。答えてわたくし「う〜ん、短距離はあんまり・・たしか13秒4だったはずだけど・・」、すると息子「13秒4かあ・・」、「まあ、バスケ選手としては遅い方だったけど剣道専門のオマエには出せないタイムだろな(ニヤリ)」、するとムッとしたような表情で息子「う〜ん、じゃあ、オレが13秒4出したら?」、ニヤニヤしながら焼酎を片手に応じてわたくし「10万円やるヨ!」と大口。息子「ええっ、ホント!」、調子に乗ってわたくし「だって、オマエ去年の春、たしか15秒をやっと切ったくらいだったろ?」、そんなわたくしの言葉を無視するように「約束だぞ!」と今度は息子がニヤリ。
数日後、「父さん、オレ今日体育の時間100m走で13秒6出した!」、口に持っていったビールを噴出しそうになりながらわたくし「ほ、ほんとか!?(驚)」、すると傍から娘が「父さん、約束だからね、自分が言い出したんだから!!」と横やり。わたくしが「な、なんでオマエが口出しするんだよ?」とむきになると、「だって、TAKが10万円もらったら、わたしに3万円くれるって!」とちゃっかりなことを言います。窮したわたくしは「約束は1回だけ!今度目標タイムを出したってダメだからな!」、姉弟が声をそろえて「ええーっ!?」という大ブーイング。
そして次の日、またもや息子「父さん、1500mの記録会があるんだけど、何分何秒だったら10万円?」と性懲りもなく持ちかけてきました。わたくしは少々慎重になりながら「バ〜カ!10万円は別として・・去年はたしか5分40秒くらいだっけ?」、「うん、5分37秒だった」、「じゃあ5分10秒を切ったらなんか考えてもいいよ(ニヤッ)・・で、記録会は何時から?」、「午後2時頃かな・・」、「その時間だったら仕事でR中学校の方に行くから、見に行こうかな」と言ってみると意外にも「うん、いいよ!」・・そして次の日。ちょうど午後2時頃に仕事を終え、なんとなくR中学校のグラウンドを覗いてみると、まさにそのとき息子たち3年生がスタートするところなのでありました。なぜか思わず腰をかがめて半身隠れるように携帯電話を取り出しストップウォッチモードで息子のスタートと同時にオン。グラウンドを3周と4分の3周を走りゴールとともに倒れ込む息子・・タイムは5分13秒5・・わたくしは心の中で思わず「う〜ん、おぬし、なかなかやるな!」 釣りはどうなった?と尋ねられるのが一番辛いのでありまして・・。決して釣りに対する情熱が失せたわけではないのですが、腰が重くなってなかなか釣り竿を持つ気力が湧いてこないというのが正直な気持ちでなのであります。それじゃあ、やっぱり釣りから気持ちが離れたんだろう?と皮肉まじりに問われても、いや、そうじゃないんだ!と子どもみたいにいやいやをしながら強く否定させてもらいたいわけであります。
釣りを始めて20数年、小川の小鮒釣りから渓流釣りを経て磯の上物釣り、ヘラブナ釣りにのめり込み、この間、グアムでトローリングに挑戦し2m級の沖サワラを釣り上げたり、ハワイの岸壁ではパンくずと臭いサカナの缶詰を素手で混ぜ合わせたコマセを使い鳥のレバーをエサに見たこともない熱帯の小魚を釣ってみたり、台湾ではテナガエビの釣堀で奮闘したり、40cmクラスのテラピアや80cmはあろうかという大ナマズを養殖場で釣ってみたり、韓国ではタクシーをチャーターし、一日中駆け回って結局ボーズであったり・・。まあ自慢じゃありませんが、年間の釣行日数も盛りの頃は100日にも及ぼうかという年もあり、こと"釣り"に関してはかなりの境地まで達していたつもりなのであります。ところが・・。
原因はいろいろありますが、言い訳はせず、秋口までにはなんとかカムバックしたいなあ〜などと思っております。そんなこと考えながら剣道で疲れた身体に冷たいビールを流し込んでいると、剣道の稽古を終え、風呂から上がってきた息子がスポーツ飲料をごくごく飲みながら「父さん、最近ぜんぜん釣りに行ってないだろう、止めたのか?」・・唖然としてわたくし、深く、深くため息。 先週の土曜日、息子のTAKが全県大会の個人戦に出場しました。結果は初戦敗退。なんとかベスト8に入って東北大会へ!と気持ちを充実させての挑戦でしたが今一歩及ばず・・・でありました。相手はA市の強豪SAKR中の大将KOBAYクン。立ち上がり10秒ほどで引き小手を先取されたものの、終盤残り30秒を切ったあたりでTAKが相手の出がしらに渾身の小手を返しそのまま延長戦へ。しかし数分後、またしても相手の鋭い引き小手・・・TAKの中学生としての公式戦が終わった瞬間でした。
惜しい打突が何本かあったせいからか、試合場から引き上げてきた面金の奥のTAKの眼光は鋭く、また赤く充血していました。しかし、そのあと控え所に戻るまでに何人もの選手や保護者の方々に「惜しかった!」、「頑張ったな!」、「あと少しだった!」と声をかけてもらい、やっと笑みが浮かびました。対戦した剣士がその後勝ち上がり、東北大会への出場権を得たのも嬉しかったようでした。
個人戦が終わり、TAKが代理監督を引き受けてくれたKAK中のGTO先生にあいさつ行くと、先生がTAKを正面に見据え「団体が組めなくても、たったひとりでも頑張ればここ(全県大会)に来れることをキミに教わった。ありがとう!これからも頑張りなさい!」という温かい言葉にTAKは短く「はいっ!」。傍で聞いていたわたくしは思わずうるうる・・・そして不覚にもぽろり。
本当に多くの人にお世話になりました。はじめは「なんとしても部活の選手に勝ってみせる!」などと意地と見栄を張って始めた少年剣道の指導・・・しかし、10年以上が経ち、振り返ってみると娘のYUMもTAKも、そしてM剣道スポ少の団員全員がいろいろな人たちのご厚意や援助、チャンスをたくさん与えてもらっての今日があることを改めて思います。感謝の気持ちでいっぱいです。
でも、これで終わりではありません。もう少し頑張ろうと思っています。もう少し頑張って、できれば今度は個人戦ではなく団体戦で中体連の大会に臨みたい・・・などとひとり勝手に考えているわたくしなのでありまして。 昨夜、町内の中華料理店であのNIS東中学校と熱戦を繰り広げたR剣道スポ少初の中学生男子団体戦チームのメンバー3人と会いました。後から娘のYUMと息子のTAKも合流し、とても賑やかな集まりとなりました。顔ぶれは中堅だったKOTAクン、副将だったARATクン、そして大将だったGENクンです。3人とも高校から大学に進学、夏休みで帰省しスポ少に顔を出してくれたことをきっかけに開いた食事会でありました。
近況報告もそこそこに、話題はもちろんR剣道スポ少の頃の話がほとんどでした。初めて公式戦で勝利したときの話題ではGENクンが「IKE先生、違うッスよお〜!先鋒のARATが負けてさあ」、「あれ、そうだっけ?コテ取られたんだっけ?」というわたくしにARATクンが「いや、メンです」、わたくし「ああ、メンの1本負けか!?」、「いや、2本取られたッス」、わたくし「そうだっけ?」、GENクン「なんだ歳だなあ、IKE先生」、そこでKOTAクン「ARATのあと次鋒のNORがコテの2本勝ち、オレが中堅で引き分けて、副将のKOHEが1本負けでリードされたけど、GENが最後メンの2本勝ちで初勝利ッスよ!」、みんな「そう、そう!」。
「ARATクン、オマエも小学校では勝てなかったよなあ。6年生で初めて1本取ったんだぞ。どこの大会かというと・・・」、「KAKD町招待のときです」、わたくし「おお、よく憶えてるなあ〜。あのコテはよかった!」、「いや、メンでした」とARATクン。
「そうだ、KOTAクン。いつかの郡市総体でSENB中と戦ったとき、副将のキミが・・・」、「いや、中堅ッス」、「えっ、そうだっけ?」、「オレ、小学校から中学校を卒業するまでずうっとIKE先生から中堅やらされてました」、わたくし「だ、だっけ?!そ、そうそれでSENB戦のとき皮製の足袋履いてて抗議を受けてなあ」、「はい、そのとき足袋の代わりに主審の先生からテーピングを巻いてもらいました」、「そう、そうだ。よく憶えてたなあ〜」。
「そうだ、つい1週間前、次鋒やってたKOHEクンがウチを訪ねてくれてさ。もう大学に戻らなきゃいけないって、団員たちにお菓子を置いていってくれたよ」、「あ、そうなんスか。それにしてもアイツ本当に引分けするの上手かったよなあ」・・・。こうなるとまったく話しが絶えません。
YUMとTAKもテスト勉強があると先に帰り、気がつくと店にはわたくしたちしかいなくなっています。「よ〜し、今日はこれで解散しよう!」、みんな「ふぁ〜い!」、GENクン「今度の土曜日スポ少に行きます。KOTAとARATも行くだろう!」、KOTAクン「ああ」、ARATクン「ええっ、オレも?!」GENクン「まあ、見にだけ来りゃいいさ」、わたくし「おお、ぜひ来てくれよ!」ARATクン「は、はあ〜」。
KOTAクンの車にお世話になった帰りの車中で「もう、あれから4年も経つんだなあ〜」と感慨深げに呟くわたくしに、KOTAクン「そうスね〜」と中学生時代の面影を残しながらニッコリと微笑んでくれたのでありました。 今月23日は地区の昇段審査会が行われるのですが・・じ、実はその昇段審査会に51歳を迎えたわたくしも挑戦するわけでありまして・・(冷汗)。一昨年、およそ30年ぶりに二段に挑戦したときもかなり緊張したのでありますが、このたびの受審は二段のときとは比べものにならないくらいの大緊張であります。10日ほど前、日本剣道形の講習会に参加したのですが、三段の部に参加したのは、今が盛りの高校2年生や3年生の岩石のようにたくましい少年たちです。「うわ〜、こ、こんな若者たちと竹刀を交えるのか!?」と知ったとたん、わたくしの中から「ムリだあ〜!」という弱気虫がむくむくと頭を持上げてくるのがわかりました。きっと、そのときのわたくしの顔色は病人のように蒼白であったに違いありません。
一緒に参加したスポ少の団員たちが「よ〜し、がんばるぞ!!」と張り切っているなか、ひとり低テンションで帰宅したわたくし・・。「父さん、かなり頑張らなきゃな・・」とニヤニヤしながら励まし?の声をかけてくれる息子の声も右の耳から左の耳にスウ〜ッと通過。それでも最近は・・この挑戦は自分自身で決めたこと、ここで怖気ずくわけにはいかないじゃないか!と、つい弱気になりそうな自分自身を叱咤、鼓舞しながらの毎日を過ごしているところです。さて、もうそろそろ午後7時半をまわるところです。審査会にむけて、これから隣市のSENS道場で午後8時から9時頃までの約1時間の稽古に行ってまいりまあ〜す!! 剣道の昇段審査会が終わりました。M剣道スポ少から受審した6人は全員昇段を認めていただきました。ふう〜よかった!実はこの6人の中でもっとも危ういと思っていたのが他のだれでもないわたくしの三段挑戦でありまして・・。二段のときとはまた異なる緊張感と不安をなんとか打ち消そうとM剣道スポ少の練習の合い間をぬって隣市の道場に通い、職場でも昼休みに新聞紙を丸めて空いている会議室でこっそり剣道形の稽古をするなど悪あがきする毎日を過ごしていたせいか、合格の発表を聞いたときには嬉しさもさることながら安堵感でいっぱいでありました。特に昇段審査に挑む決心はしたものの実践稽古に自信が持てず、週2日、隣市のSENS道場で毎回懇切丁寧な指導をいただいた高校時代の先輩FUZIS先生(六段)にはホントに感謝の気持ちでいっぱいであります。
審査日は、団員やスポ少を卒業した高校生や大学生を引率も兼ねていましたからこちらの方も目が離せません。しかし、そんな心配もよそにみんな頑張って稽古の成果を発揮してくれました。わたくしも、今が盛りの大学生、高校生と竹刀や木刀を通じて精一杯の剣道をさせてもらったのですが、特に実践稽古や日本剣道形でわたくしの相手になってくれた県南の名門YUZ高校のIWくんの礼儀の正しさや立ち振る舞いの清々しさにはとても感心させられました。無事昇段の発表があったとき、会場ですれ違ったわたくしに「ありがとうございました!」とあいさつまでしてくれました。休憩中に「正選手じゃないんです」と悔しさを隠しきれない表情で笑っていたキミを心から応援しています!!
スポ少の指導者が団員と一緒に昇段審査を受けることが何か気恥ずかしく、臆する気持ちが正直ありました。それでも懇意にさせてもらっている先生方からの励ましをいただいたり、"S館オヤジ剣士"さんからは審査会終了後にお祝いの言葉までいただき、やっぱり挑戦してよかった・・としみじみ思ったしだいでありました。そして今思っていること・・それは、もっと上達したい、もっと自分の剣道も大切にしたいなあ〜ということでありました。 昨日、小学校に上がる前から近所にいた幼なじみからメールが届きました。内容は「自分もブログを開設したので見てみろ!」といった内容でありました。この幼なじみ、小学校の低学年のあたりまで本当に"きょうだい"のように育ったわけでありまして、ウチにある古いアルバムを開いてみると必ずといっていいくらいこの幼なじみと一緒に写真に写っています。その後R小学校から転校して行ったのは何年生の頃だったのか・・今ではよく思い出せません。それでも、たま〜に帰省したときには少し話をしたりするわけでありまして・・。
ギリシャが好きで何度もそこを訪れたり、語学の勉強がしたいとイギリスに長期滞在したり、そのほかにも何カ国か訪れているという話しを聞いています。あまり感情を外に表さないヒトなのでありますが、夢や目標はきっちり時間をかけて実現させる・・みたいな人生を送っているようであります。まあ、これも本人から直接聞いたわけではなく(まあ、聞いても話さないというか・・)想像の域を出ないものであるのですが・・。もしかしたら別にもっと大きな目標があり、今はその下地づくりをしているのかもしれません。
ブログをのぞいてみてもそこにはやっぱり気負いというものを感じることができません。ちょっと気が向いて立ち上げてみたよ−という程度なのでしょう。実にこの幼なじみらしいブログです。わたくしは奥羽山脈の麓の田舎町で上司の顔色などうかがいながらストレスと戦いつつ事務仕事にあくせくしており、幼なじみは"東京"という大都会でゆっくりとした時間の流れの中を生きているような気がします。ハハ・・ちょっと癪ですね!
頑張れよ、幼なじみクン!・・あっ、この「頑張れ!」という言葉もコイツにはあまり似合わないのでありまして・・。 たとえば僕が間違っていても、正直だった悲しさがあるから ・・吉田拓郎 「流星」 から−
Look if you like,but you will have to leap. ・・大江健三郎 「見るまえに跳べ」 から−
「もうひと息のところでくたばったら恥だぞ」 「くたばらない、おれは恥知らずではない」
Do your best in the future! Reach for your dreams and NEVER GIVE UP!
「生きることの意味は?」 「ちょっと待て、今、生きるので忙しい!」 ・・52歳を迎える本音−
町立小学校から中学校までの同級生は当然みんな幼なじみであるわけですが、わたくし、高校は隣市の県立高校、大学は都内の私立高校であります。高校時代も、学生時代も学内で知り合った多くの友人とともに大いに青春時代を謳歌し、いい思い出も、ほろ苦く今でも思わず赤面してしまうような思い出も多く尽きないのでありますが、不思議と"愛校心"というものが湧いてこないというのが正直なところであります。高校も大学も決して勉学に誇れるような学校ではありませんが、自分に合った良い学校だったと思っているのですが"愛校心"となると・・といった感じなのでありました・・が!このお正月の箱根駅伝だけは違いました。
なんといっても67年間をかけての初優勝です。初日、母校が往路優勝を決めたときはヘラブナ釣りをしていたのですがそこに娘から携帯に電話です。「父さん、優勝しちゃったよ、TOYO大学!」、わたくし「なんの話し?サッカー?」と要領を得ないわたくしに娘「なに言ってんの?!駅伝、箱根駅伝!TOYO大優勝しちゃったよ!!」、わたくし狭いテントの中で思わず「ナニーッ?!」続けて「どこが優勝だとオ!!」、呆れたように娘「だから、TOYO大学がだよ!」、わたくし、唖然・・次いで心の中でヤッター!さらに次の日の復路も制して完全優勝という快挙に心から感心すると同時に、この選手たちは自分の学校の後輩たちなんだあ〜としみじみ思ったわけであります。
その後の数日、テレビを通じて選手たちの感動の走りをビデオにとって何度も見させてもらったのですが、一番感動したのは(確かに、確かに5区のKASHIWクンの走りは素晴らしかった!!のですが・・)復路の最終ランナーがゴールする瞬間であります。派手なガッツポーズやバンザイじゃあありません、控え選手も含め選手全員の努力でつないだタスキ、TOYO大学の名が刻まれた胸のタスキを右手で強くしっかりと握り締めてアピールするようにゴールした姿には本当に込み上げるものを感じました。「今、この箱根路を制したのはオレたちTOYO大学だ!!」という誇るすがたに、思わずわたくしも・・そうだ!!
これが、愛校心なんだなあ〜と深く感じ入るとともに、今までよりも少し堂々とTOYO大学のことを話せそうな気がしているわたくしであります 朝食をとりながら地元紙を開いてみると、県内の高校の卒業式が始まったという記事が大きくとりあげられておりました。我が家でも来週娘が福祉系の専門学校を、息子がR中学校を卒業します。娘は近隣の福祉保健施設の内定をいただいてはいるものの、この不況で就職内定者の取り消しが相次いでいるという報道にわたくしも少なからずドキドキ。また長男は高校入試を目前に控えていることから、本人よりも家族の方が緊張している感じの毎日が続いています。特につい最近インフルエンザに罹患したものですから、カミさんは特に息子の咳払い一つにも敏感に反応し、「喉痛いの!?」とか「熱っぽい!?」とすぐに問い質すものですから、心配される息子の方も閉口している様子です。
かくなるわたくしにも受験生の頃がありました。また、焦る心で就職活動に奔走した頃もありました。高校入試の頃は点数が上がらず、入試前ぎりぎりの時分に隣市の中学校教諭をしていた父親がR中学校に呼ばれたことがありました。「自分の生徒の親を呼んだことはあるが、まさか自分が呼ばれるとは思わなかった・・」とか笑いながらぼやいていたのを記憶しています。また、大学入試のときは地方試験で不合格、本試験で合格という際どい入学も経験したしだいでありまして・・(苦笑)。
さらに就職活動のときは希望職場の入社試験3連敗。「こりゃあ駄目だ!」とゼミの教授に頼んで留年しようとしていた2月下旬、全然無理と期待度も限りなくゼロだったはずの今の職場から採用通知が舞い込み大いに安堵したのでありました。ところがその通知には、来る4月1日のナント「午後10時」に職場に来るよう書かれてあり、な、なんで夜の10時に?と不思議に思っていたところに電話のベルが鳴り、午前10時の誤りという連絡。なんのこっちゃ?!と母親と一緒に大笑いしてお祝いの寿司など注文したのでありまして・・。結局、そんなこんなで大学の卒業式や後輩たちが催してくれた「追い出しコンパ」には出席できず、後日、その追いコンの宴会場の空き座席らしいところにわたくしの写真がケースに入って飾られ、周りで大盛り上がりしている写真が送られて来たのでありました。
もう30年近くも前のことであります。 毎年のこととはいえ、慌しい年度末と年度始めでありました。当初2年間の予定であった他団体派遣もさらに1年間更新と書かれた「辞令」という名のA4版の紙をいただき、なれない仕事も3年目に入りました。娘は無事?老人保健施設に雇っていただき、息子も隣市の県立高校に入学、それぞれに新しい生活に入ったところです。
娘のYUMの方はさっそく初任者ということで、他の新採用職員の人たちと研修期間に入り、そのレポートに毎日頭を悩ませながら奮闘しています。高校時代、アルバイトなど一つも経験したことのない子ですから、曰く「利用者さんの介護はまあまあいけそうだけど、先輩たちとの付き合いに気を使わなきゃいけなくで疲れるヨ〜!」とぼやいています。・・娘よ、それが社会というものだ!!
息子のTAKは、高校の入学式でナ、ナント新入生代表の宣誓者に指名されたということで我が家は大騒ぎ!そしてなんとかその大役をこなした翌日からは、剣道部の練習が始まるということで急きょ取り付けた自転車の荷台に防具袋を括り付け、竹刀をわたくしの釣竿ケースに2本差し込んで肩に背負い、8km先の高校をめざして早朝にペダルをこいでいきました。・・息子よ、いよいよ青春時代だな。楽しいことももちろんあるし、悩むことも多いぞ!!
子どもたちがそれぞれの新しい道を歩み始めたのを見つめながらカミさん「なんとか元気に育ってくれたねえ」、わたくし「いや、まだまだこれからが心配だ」、カミさん「う〜ん、でもあの子たちだったら大丈夫だって!!」。・・母は強し。 今日の朝、寝ぼけ眼をこすりながらベッドでぐずぐずしているわたくしにカミさんが「あなた、TAKのベルト知らない?」、わたくしは渋々上体を起こして「なんでそんなもんオレが知って・・」と返答しようとすると「あっ!やっぱりあった!!TAKあったよ!」とわたくしのズボンから黒いベルトをはずして階下におりていきました。
ちょっとの時間、合点がいかないわたくしでありましたが、昨日のことを思い出して「ああっ!!」と慌ててベッドから飛び出して階段を駆け下り、制服のズボンをはこうとしているしている息子のところに行き、「TAKゴメン!お父さん、間違えておまえのベルトを昨日していったらしい!」、と、息子「ああ、別にいいよ。昨日まで大会だったし・・」、とはいうもののわたくしとしてはさらに息子に謝らなければならないことがありました。
頭を掻きながら「そ、それとさあ〜、昨日はてっきり自分のベルトだと思ってズボンに通したら、ゆるゆるだったんだ」、息子「そりゃ、そうだろ」と冷静、「いや、それでさ・・あれ、オレ、けっこう最近剣道頑張ってるから身体がしまったのかな?と思って・・」、ゴクリと唾を飲み込み、続けて「で、2cmくらいハサミで切っちまったんだ!」と告白すると、息子もカミさんも「ええーっ!?」。息子がすかさずベルトを締めてみると「ああ〜、ホントだー!」と言いながら大笑い。カミさんもアハハハ・・と声を上げて笑い出しました。わたくしも釣られて笑いながら「TAK、ゴメン!!」、「別にいいよ」と息子。
このところ、高校に入学し、剣道部に入部した息子は高校剣道という高い水準に悪戦苦闘、大会でもチャンスはもらえるもののそれを活かしきれず、それを見てわたくしもカミさんも心の晴れない日が続いていたので、この日の朝からの大笑いは久々に家の中に明るさが戻ったような気がしました。
これからまだまだいろんなことが起こると思われる高校3年間。入学時に掲げた「文武両道」の有言実行は、思いのほか厳しいことを息子は早くも感じているようですが、その道は自分で切り開いて行くしかありません。そのためにわたくしは息子にTAKと名前をつけました。
それに向かう努力の過程を「苦しみ」ではなく、「目標」としていけるかどうかなのだと思います。
かつて何百メートルも離されたマラソンランナーが35km過ぎから追い上げ、最後にはトップでゴールテープを切ったレースは何度もありました。駅伝ならなおさらです。今、中学生の自分から高校生の自分にたすきが繋がりました。周囲は優れたランナーばかりであっという間に置いてきぼりです。しかし・・しかし、ここで息子が諦めるかどうかです。そこから息子に「山の神」が降り、長い上りのコースで奇跡の走りができるかどうかは息子しだいなのだと思います。伴走車に乗ることはできませんが、沿道で自転車を走らせながら先回りをし、青いメガホンで「ここだー!」とか、「自分に負けるなー!」とか、「前を見ろー!」とか、「諦めるなあー!」とか応援することはできますし、これからもそうしていきたいと思います。
でも、「頑張れ!!」とはなかなか言えないような気がします。だって、息子は間違いなく今、頑張っているのですから・・。 先般、81歳になるばあちゃん(わたくしの母)が食卓についところで寒気を訴えたものですから、ベッドに寝かせ、体温をはかってみると40度という高熱。家族の「大丈夫か、ばあちゃん!」、「病院にいくよ。立てるか?」といった問いかけにも朦朧としていて返事が返ってきません。こりゃあ、ダメだ!と救急車に連絡、搬送してもらったしだいでありまして・・。
最初は、もしかしたら新型インフルエンザ??の心配もあり、家族全員マスクを着用したり、発熱相談センターに連絡したりもしましたが、そちらの方は陰性とでありましたが、しかし、あまりにも熱が高いことから即入院となりました。
熱は2、3日でだいぶおさまり、順調に回復していたことから家族一同ホッとしていたときに容体が急変!今度は左半身が突然けいれんであります。数年前に脳梗塞を患っていることから、主治医の先生も「あれ、梗塞かな・・すぐ検査!!」と対応していただいた結果、脳梗塞ではなく、軽い癲癇(てんかん)かもしれないということでした。また、その症状も10分後くらいにはすっかりおさまったとのことでした。「大丈夫だと思います。ちょっと入院を延ばして、様子を見ながらちゃんと治しましょう!」という先生からのお話しをいただいていると、検査室からばあちゃんが戻ってきました。大事をとってナースステーションの隣にベッドが移されましたが、意識もはっきりしている様子で、左半身もちゃんと動くことを先生が確かめ、病室から出ていきました。
「まったく、心配かけるなあ〜」と呟くわたくしの声を聞きながら、付き添ってくれていたカミさんがばあちゃんの耳元で「おばあちゃん、聞こえる?わかる?」と尋ねると、ばあちゃんは目を閉じたままではありましたが、しっかりと頷きました。続けてカミさんが「今、先生が、検査してみたけど大丈夫だって!よかったね!!」と声をかけると、また目を瞑ったままうん、うんという感じで頷き、次いで先ほどまでけいれんしていた左手をすう〜と持ち上げると、親指と人差し指でマルをつくり、中指から小指までの3本の指を立てました。わたくしが「ナニこれ!?」と声に出すと、カミさん「・・これ、OKっていうことじゃない?」、わたくし「はあ〜?」、カミさん「おばあちゃん、そう!OK、OK!先生がちゃんと治るって!」、するとばあちゃん、OKサインを作ったまま、うん、うんと頷きます。これを見てわたくし、心の中で「このたいへんな騒ぎの中でOKサインとは・・ばあちゃん、ホントにあなたは常にそういう人なのですね・・(苦笑)」
いやいやこのところバイオリズムとでも言うのでしょうか。一日の生活や睡眠に至るまでのリズムが実に低調な日々が続いています。職場で何か強いストレスを抱えているのかといえば、そうではないように思います。まあ、ストレスがないわけではありませんが、他のお父さんたちが感じているストレスのレベルを超えているとは思いません。
では何故?・・まあ、なんとなく思うのは、今春、娘が老人保健施設に就職し、毎日怒られながらも介護の仕事に頑張っており、この間まで毎日一緒に剣道をしていた息子も高校に入学し、剣道と勉学との両立に励んでいるのでありますが、2人とも新しい世界に入り、それぞれ難儀もしているでしょうし、楽しいことや口惜しいこと、失敗や充実など繰り返しているのでしょうが、以前よりもわたくしに口をきいてくれないのが欲求不満となっているのかなあ〜ってことであります。
娘に「どうだ、職場は?」と尋ねても「キツイ!」、あまりしつこく尋ねると「もう、ウチに帰ってきてまで仕事の話しは勘弁してよ!!」と叱られます。息子にも「剣道部の方どうだ、厳しいか?」と声をかけると携帯電話をカチャカチャやりながら「ん〜・・」とうわのそら・・我慢できずに「調子はどうなんだ?」とさらに声をかけると「父さん、毎日同じこと訊かれてもなあ・・、いいときもあれば、悪いときもあるし・・」と呆れられているわけでありまして・・。
まあ、子どもたちと会話ができないことくらいでバイオリズムが狂ってしまうわけがないと苦笑しながら職場の女性職員に話してみると「いや、たぶんそれが原因じゃあないですかあ〜」、わたくし「ええー!まさかあ〜」というわたくしの言葉を受けてその職員「それじゃなきゃ、たぶん更年期障害ですヨ!最近では男性も更年期障害の症状が出るって言いますから!」と真顔。わたくし思わず「ええーっ!?」(驚愕)。 地球は・・世界は・・日本は・・大丈夫?!・・などと真剣に思うこの頃であります。
新型インフルエンザが南米で発生したかと思うと、あっという間に全世界に広がり、先月末にはM剣道スポ少の団員からも「富士山麓のボランティアに行ったところ、その中に新型インフルエンザに感染した参加者が出たので今日は稽古を休みます」といった連絡が入り、うわあ〜!もうすぐそこまで来てるんだあ・・。
加えて、地球を見ても温暖化に代表される自然環境の変化はただごとじゃあないですよね。日本にしても最近では兵庫県の佐用町はじめ各地に甚大な被害をもたらした大雨・・あの惨状は本当にひどい!犠牲者の方々の冥福と今なお安否が不明な人たちの無事を心から祈るだけ・・と思っていた矢先、今度は静岡県を襲った震度6弱の大きな地震です。専門家の先生たちは東海地震との関係を否定されていましたが、地球はその表面に見える温暖化などの地上の変化とともに自身の内なる地中の奥深くでも何らかの異変が始まっているのではないでしょうか。地球内部の異変・・それだけでも今回の地震と心配されている東海地震の関係は皆無ではないような気がしますよね。
ここまで考えてな〜んとなく思いついたのが、かの有名なノストラダムスさんの有名な予言です。1999年の7の月に空から恐怖の大魔王が降りてくる・・もしかしてノストラダムスさん、予言を10年ほど勘違いなさったってことはないですよねえ〜?貴方の見た"恐怖の大王"って新型インフル?地球の温暖化?ムー大陸を沈めたような巨大地震の前兆である不気味な空と雲?
こんな話を家族にすると、すかさず娘が「だから、ミステリー・マガジンとかの見過ぎだって!」、息子「うん、うん」、カミさん「TAKの部屋に勝手に入るのやめてね〜」、息子「うん、うん」。 |