平成18年1月号より

 

                   選者の歌
桑岡   孝全 大阪
まつりあげられてかなしき孝謙をおもうよ女帝復活のこえ
たびまねき飢饉に民のあえぐなか沙門道鏡こつぜんといづ
民草にきわまる飢えと称徳朝の奢侈とおなじき地のうえの景
人の胃の腑に入らん牛犇くを野に追立つるJohn Wayneなる
若き帝はじめて牛を摂らししを明治五年一月二十四日と録す
井戸   四郎 大阪
南無呉道妙玄居士の遍照光葉月ついたち忌の日の夕べ
秋晴の空をゆるゆる移る鳥夕日のながき光に入りぬ
夕つ日のまぶしき光にかくれたる鳥の姿は遠のまぼろし
秋彼岸過ぎて蒸し暑く眠られぬ暁ちかく安定剤服む
リハビリの長く待つ間の気の急かず生き過ぎたりと思う日がある
ホームレスの人らの住まう公園に知らず入り来て犬に追わるる
ペダル踏む足の疲れて千本松渡しに帰りを思案している
土本   綾子 西宮
何にせんあてもなきまま射干の種子を収めぬ光るぬばたま
街路樹の桜の幹に宿り木のごと時じくの花二つ三つ
都心のマンションがシニアに人気というシニアといえど五十六十
修し得ぬ誤解のままに年経たる遠き一人の訃を今日は聞く
「ならぬ堪忍するが堪忍」と教わりし吾らが理解の及ばぬ世となる
かの戦なかりせば今につつましき民族の心保てるかとも

 

 

                      高槻集より

 

浅井   小百合 神戸
洗いたるジャムの空き瓶何かしら待つ気配して透き通りたり
野末まで満月青く照る道をホモ・サピエンスの二足歩行す
バッグより古き買い物リスト出て娘の好きなマンゴーありぬ
春名   久子 枚方
み子の面見ず逝きましし画学生の遺せるを見る暑き日をきて
風景画のこしかえらぬ曽宮さんああわが夫と同じ歳なる
手作りの蒲団屋さんがまた一軒シャッター下す恃みいたるに
松内   喜代子 藤井寺
保育器に育つ命ありわが娘の乳房張りくる時間めぐりて
鼻の管点滴の針外されて保育器のなか大きくあくびす
湯に浮きて眼をつむる嬰児の小さき指を固く結びぬ 

                     湧水原より

 

奥嶋    和子 (歌の旅人・沖縄)
斜めより仰ぐ首里城の屋根の上龍の細ひげ空へと伸びる
泡盛や蜂蜜入れて機嫌とる藍はほんとに生き物という
みかんほどの黄の実は固く名はフクキ浜に屋敷に防風林なす
奥村    道子 (愛・地球博)
長き牙もつユカギルマンモスの数万年へて残る顎鬚
足裏に伝わる感触に巡りゆく板の回廊の三粁あまり
展示終えしフランス館の塩の壁二見ヶ浦の海に溶かれぬ
小泉    和子 (二題)
軒先の触れんばかりに建て込める神島の村の昼しずかなり
払われて木々なき丘のうす曇り風ふくままに蚊柱うごく
住み慣るる家に隣れる雑木山一つ滅ぼし変わり行く町
白杉  みすき (さいはての島)
滑走する小窓をよぎり牧草のロール次々と後ろに飛びぬ
泰然と北に対せる林蔵像樺太探査におもむくいでたち
椴松のみどり豊けき利尻富士裾野は海の際までなだる
長谷川  令子 (瀬戸の海)
赤きバイクの郵便配達と乗りあわす小島を巡る小さき船に
海岸の牡蠣処理場に人影なく止まりしままのコンベア並ぶ」
鯉幟いくつか高く風を受く幼き者を見かけぬ島に
藤井     寛 (征途)
水かけて熱き砲身射ちつづけ弾着たしかめ五中隊掩護
軍事郵便のはがきは短き蝋燭の灯を惜しみ読みき嵩県の壕に
四月三日復員すれば雛出さず暗き一つ灯にうから寄りいき
松内  喜代子 (孫の誕生)
無菌室の保育器に安く眠りたるわが孫の顔ようやく覚ゆ
じいちゃんと孫のはだ着を並べ干す竿の上青き空の広ごる
松野  万佐子 (再び春島へ)
木の影にタクシーを待つ吾が前に大き音して椰子の実落ちぬ
兵たりし亡き夫の見し春島の水溜り多き道をわがゆく
声ありてかえりみすれば渡り来し環礁はすでに潮の浸せり
山口   克昭 (百万石)
ぶつかりて行き交う人込みによそ人を父に違えて縋りつきけり
格に拠り藩士の墓地の定まりぬ赤松の山の傾り険しく
のみど焼き罵りたつる鶴彬碑のかげにまぼろしに立つ

 

                     掲載順序不同

丸山    梅吉 大阪
阿川弘之全集二十巻契約す月に一巻命続くや
わが命百を越ゆるまでながらうや九十八歳七ヶ月なり
坂本   登希夫 高知
ながらえし九十一の命華やぐスクリーンに映る炭を焼く歌
賞を貰い四日の旅ゆ帰りし庭金木犀は花盛りなり
岡田    公代 下関
千八百年ひとつ祭りの続く町土地買いて住む二十八年
灯の下に光れる金魚小さき手に汝の掬いし日は遠くして
春名    一馬 美作
棚に置く錦木は諸木に先がけてくれない染みたり今日彼岸入り
台風に飛びしか屋根のなきホームに汽車まちて立つ人に日の照る
礒貝    美子 三重
吾が青春タンスの中に残りいつ盆踊りせし揃いの浴衣に
上野    道子
口にせんことば咄嗟にいでずして止むこと多し思いて淋し
内田    穆子 大阪
軽き風邪の他は大病知らずわが九十六はいつまでの生
岡部    友泰 大阪
大雪山に残雪見んとゆく車窓に白花映えてそば畑つづく
遠田      寛 大阪
怠りを諭しくれたる母なりき超ゆる齢に在りしままなる
角野    千恵 神戸
星かげの薄るるあかとき草はらに親しみたりしカンタンの声
葛原    郁子 名張
大手術となりし九時間を待つうから直に黙して祈り祈りて
高間    宏治 小金井
鍾乳洞の陽射し届かぬ水に住みじっと動かぬ魚を寂しむ
竹中    青吉 白浜
耄碌運転一人でも減るが世のためとお告げのごとき妻の声かも
寺井    民子 伊丹
月見草除りて清しくせし庭に今朝濃き紅の小菊植えあり
西川    和子 広島
ブルーホープその名に惹かれ求め来し薔薇の芽勢う秋の陽射しに
野崎    啓一
どの顔も仮面の顔と思い見つ総理が放つ女性の刺客
浜崎  美喜子 白浜
八重葎の中に見つけし鉄砲百合ためらわず剪り吾が床の間に
堀      康子 網走
暖かき秋と思うに時たがわず雪虫は舞う夕光のなか
村松    艶子 茨木
わが丈に作りくれたる物干しに藍色淡きハンガー吊るす
森口    文子 大阪
ビル街のつづく向こうに光る海ありておぼろに淡路の島山
森田  八千代 篠山
霧の中借り農園の一画白しそばの花咲く肌寒き朝
赤松    道子
心うちに誦する経あり初霜の夜半の味楽の生姜の飴湯
尼子    勝義 赤穂
播磨灘は正午過ぎても靄深く灯りともせる船影の見ゆ
井上    睦子 大阪
瓶にさし供えし黄菊夜に入りて開きゆくらし仄か香のたつ
井辺  恵美子 岡山
秋茄子の枝に止まりて蟷螂のひとつ産卵を終えたれば去る
上野  美代子 大阪
わが門の槙の根方に埋めやる公園巡りて拾いし木の実
大谷    陽子 高知
吊り終えて点す提灯幾百か色とりどりに海に映えたる
大森    捷子 神戸
木を草を覆いつくせる葛の原に泡立草は抜きて穂を立つ
小倉  美沙子
大半は女性にてあり車椅子に乗りて屯せるホームの風景
鈴木    和子 赤穂
わが体一つの嚢と思うまで水を飲みたり草刈り終えて
中川    春郎 兵庫
台風の中心東を通りゆき唯すずやかに風の吹きくる
並河  千津子
尽くるなき欅落葉を日々に掃くわが身に適う運動として
南部    敏子
尾根伝いに辿る高野道木々の間に赤き瓦のニュータウン見ゆ
平野    圭子 八尾
十月の露おく庭の土に植うる雪の小鈴の小さき球根
松本    安子 岡山
長き穂を垂るる刈萱谷沿いの道に見出でて摘みて帰りぬ
光本  美奈子 高知
柱に背もたせて朝あさはくズボン吾も老いぬとひとり思いて
吉年  知佐子 河内長野
道変える今日の歩みに曼珠沙華大切に育てる庭に行き合う
岩谷  眞理子 高知
止まりたるままに幾年置きありし姑の腕時計吾が腕に嵌む
梅井    朝子
肖像におん身の苦悩滲む彫り唐僧鑑真坐ます大寺
岡        昭子 神戸
友のことば代筆をして折々に知らせ給いし夫君なりき
佐藤    健治 池田
漁火の連なりきらめく様に似て日は水平線より昇り始めぬ
阪下    澄子
トンネルを抜ければ霧の濃くなりて路傍の灯り頼りに下る
杉野    久子 高知
敬老の日に孫娘が電子辞書をバイトで買ったと送りくれたり
竹永    寿子
再びを訪なう日なからんルーブルのミロのヴィーナスを四方より撮る
津萩  千鶴子 神戸
通るたび眺めしものを栗の木の跡かたもなく工事始まる
中川    昌子 奈良
麻痺残る夫の出掛けし東京の雲の流れをテレビに見て居り
平岡    敏江 高知
唐突の母の電話の弾み声西空の大きな虹を見よと言うなり
三宅   フミコ 岡山
整枝して幾重も巻ける冬囲いを取り放つ日よ胸躍らせて
安田    恵美
花嫁のドレスのごとくひらきたる夕顔の白ひんやり重し

 

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