平成18年3月号より

 

                    選者の歌
桑岡   孝全 大阪
たどきなきよわいやいたる法然も不破哲三も読むにたのしく
『清唱千首』身にちかく置く年月を思えり塚本邦雄みまかる
花の万博歌会運営にたずさわりことばかわしし一日のえにし
手の巧緻なども退化し籠り居の昼をコーヒーくつがえしけり
たずさわるかげとぼしきをおもう日よ田中栄の訃を仄聞し
井戸   四郎 大阪
ストーブを点けたるままに昼を寝て短き夢に亡き人と会う
首さむく朝から強き風吹きて今年のこがらし一号という
列島上空マイナス三十度の寒気団居すわり吾は部屋に居すわる
雪の降る朝の寒さに通院の三百米自動車走らす
日のあたる歩道の際はほんの少し寒さの弛めば寄り沿いすすむ
インフルエンザ予防注射に温かき待合室の二時間気になる
新しき暦に精密検査日程を書き込み今年のわが事始め
土本   綾子 西宮
生れ出でて二十日の曾孫に対面す二○○六年元旦の幸
忘れいしこのやわらかさ温かさ遠き日の感触をよみがえらしむ
わが膝にわずか重みの増さるかと思うかすかな寝息きこえて
怖がらず赤子を抱く大祖母と褒められいるはわたくしなのか
みめかたちそれぞれに似るを言い合いて囲める中に小さき欠伸す
この小さきちさき身ぬちに芽ぐむもの啓けゆく末を思うたまゆら
わが母の齢までもし生きたらばこのみどりごの成人の日も見ん

 

                      高槻集より

 

吉富    あき子
見えざるは齢の故と医師の言う心決りぬ九十六歳
見えぬならその生き方を見つけよう命あるのは道があるのだ
なんとかなる心決りぬ見えぬのは御心のまま生かされている
川田     篤子
車椅子に乗るたび母の呟きぬ一里を歩き通学せしを
老いてゆく母にもの言う弟の口調いつよりか優しくなりぬ
春になれば迎うとかえりゆく弟を角まがるまで母の見送る
山口     克昭
闇の圧小屋を塞ぎてわが息の窯の呼吸に相い合える刻
松脂の煤を溶かさん窯焚きの千二百度に四昼夜なり
朝光の細谷川を白銀になす一瞬を窯場に窺う

                    掲載順序不同

伊藤   千恵子 茨木
み葬りの終わらん頃か遠く偲びわれはひとりの昼のパン焼く
四十年過ぎて来し街わが住みし家は地震に潰ゆときけり
竹中     青吉 白浜
縁側にいねむる爺は数ならずと庭木にさわぎて去る小鳥たち
朝の網のとれたてに賑わう青空市まだ生きているメジナが跳る
植本     和夫 白浜
幾度の死をまぬがれて今日あり一片の肺国にささげて
上野     道子
葛城の山に続ける草の路丁石地蔵面うすれたつ
内田     穆子 大阪
子育ての心ゆるせぬ世となりて少子化すすむはむりからぬかと
岡田     公代 下関
造船所の音絶え間なきこの寺に平家の持仏ひそやかに座す
角野     千恵 神戸
輪切りする大根の面生きいきと中より拡がる組織うつくし
葛原     郁子 名張
講堂にある時は廊下に居並びて足伸ばし造りき藁草履幾足
佐藤     徳郎 生駒
妻とわれ眠らん墓地の修理成る秋暖かき西の丘霊園
高間     宏治 小金井
台風去りてこの公園に浮浪者ら戻りておれど子犬は見えず
西川     和子 広島
眼蓋に黄色金色溢れゆく樹齢千年の公孫樹の残像
長谷川   令子 西宮
機械より噴出す泡の人工雪浴びてあゆめり師走の街上
春名     一馬 美作
針箱が友なる妻の座のありきその座に今日はヘルパーが縫う
藤井       寛 篠山
みんなして野菜選り合いそれぞれが賞えてなごみ村の会果つ
松浦     篤男 香川
強風にて船が停まれば治療停まり献立も変る島の療園
村松     艶子 茨木
百歳を越えて生きたる母の忌に吾ら姉妹は杖たより行く
森田   八千代 篠山
ひろげたる筵の上に豆穀打つ軒あたたかく今日は立冬
山内     郁子 池田
あますなく葉を落したる公孫樹ふとぶと立ちて春まで無言
尼子     勝義 赤穂
防衛庁が防衛省となる動きあり三島由紀夫死して三十五年
池田   富士子 尼崎
時かけてスノータイヤに付け替えし子はかえりたり雪積む甲斐に
井辺   恵美子 岡山
降る雪にいできて白菜七十株取り入るるわが手の冷えきりぬ
川中    徳昭 宮崎
開拓農に一生を励みし太き手と握手をせしが最後となりぬ
戸田     栄子 岸和田
老母が栄子栄子とよぶごとき声にめざめて木枯しをきく
中谷   喜久子 高槻
健やかに有り経るごとき顔をして暮の市場のひとなかに来つ
並河   千津子
吾が家の頼みにならぬ番犬を今年賀状のモチーフとする
春名     久子 枚方
戦いにはてにし人の小さき石ふゆのひかりは斜めにとどく
松本     安子 美作
ダンプカーの積む捨て所なき雪を橋の上より川に落せり
森本     順子 西宮
白神の山地にブナの原生林八千年の営みつづく
井上   満智子 大阪
疎ましき人にもさりげなく近づきて笑まいて話せる歳となりたり
上松     菊子 西宮
医院よりうつむきながら出で来たる友を見かけて声かけざりき
戎井       秀 高知
ポンカンの木々越しに見ゆる生見の浜弧をなし波の緩やかに寄る
大杉     愛子 美作
紀州犬は賢いながら激しき性用心されよと局員帰る
奥嶋     和子 大阪
塾の名を記すワゴン車夜十時に少女ら乗せて走りゆきたり
金田     一夫
釣人に侍れる猫に小春日の遍く照りて浮は動かず
川口     郁子
自販機の鯉の餌代百円を我の財布に群がる孫ら
阪下     澄子
編棒の触れ合う音のみ聞こえいて午後の厨に我一人なり
杉野     久子 高知
手術室の赤きランプが消ゆるまで野良着の吾の落着かず待つ
竹永     寿子
にこやかに検札したる車掌嬢エプロンに替えて弁当を売る
林        春子 神戸
認知症も癌ももちたるわが犬の軽きを抱きて日だまりにおり
樋口     孝栄 京都
夕暮れて詣でる人なき八幡宮供物を運ぶ巫女足早に
藤田       操
兄の形見の大島紬で作りたるジャケット羽織れば軽く温かし
増田     照美 神戸
秋ふかく摘みたるトマトを部屋におく幾日かたちて出づる紅
安田     恵美
不器用にいたわる老に手を引かれ穏しき妻か診察室に入る
湯川     瑞枝 奈良
姪よりの届く蜜柑は故郷の光集めてオレンジ色濃く

 

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