平成18年8月号より

 

               選者の歌

 

桑岡  孝全 大阪
大阪攻め家康周到の根拠地造成濠水いまに街衢を占めて
たかむらのたけだけしきに侵されて藁屋一軒ついえんとする
慶長元和出兵のありし馬出しと美濃先生春の草をゆびさす
律儀ながらとどこおるなき楷書三字のちの藩侯年歯十三
篠山徒衆居宅残るを見つつおもうは伊予のくに正岡升少年
徒組居宅明治の法廷過ぎし世のつましきを見るひと日の旅に
森田八千代さんが柄杓で注す水の落ちて地中に奏でるひびき
井戸   四郎 大阪
木津川の工場街に迷い入り何処に来たかと訝しがらる
尻無川防潮堤の船上カフェしばらく来ぬ間に跡形の無し
木津川の河口の埠頭に舫いいる船に出前の弁当屋来る
腰直ぐに胸張る積もりを姿見に確かめ廊下の扉ひらきぬ
わが後ろ見ること勿れショルダーバッグに隠している積もりゆえ
枯葉マークつけて運転をする時は足の衰えを思うことなく
受け継がぬ愚かの性はみずからの懶惰の故とつね悔むなり
土本   綾子 西宮
山々をめぐらす中にいにしえの文化を保ち町はいきづく
午の日にさざ波光る水濠に沿いゆく桜のうてなを踏みて
年ながく仕えし老女に藩主より贈られし長屋門城に対いて
わが伊賀と同じ高虎の築と聞く篠山城は維新に潰ゆ
癩の島に働く友をいやまいき半世紀経て今はもまみゆ
戦争のゆえの哀しき成りゆきもさりげなく語りて友のあかるし
相共に亡き先生を語らえばこころは通う五十年経て
               高槻集
植本   和夫           白浜
転居して音信のなき隣り家に金柑一木熟るる実残す
町名を心に住みつく五十年緑の岬柳橋通り
出生の裏藪農家を忘るるなく生誕九十命を保つ
坂本   登希夫        高知
独りの米穫ると気負えど九十二の足しどろなり早苗の補植
杖をつき早苗の補植しておりぬ意地を捨てんかとも思いつつ
青味泥が早苗覆うはいまいまし石灰をまく嚔をしつつ
浅井     小百合      神戸
方丈記夜の灯の下に開きいて星明りという静けさを恋う
幾年か使いて知れる乱丁の辞書交換を夫の掛け合う
足先が温まり来て重力を解かれる如き眠りに入りぬ
             8月号作品より              順序不同
伊藤    千恵子 茨木
美術館の庭の木陰に画帳ひろげひたすら画く幾人かおり
桜若葉のいろ増しひろがる下をきてわが肌寒し今日も曇れり
池上     房子 河内長野
吹きさらしの屋上に領域を見張りいるイソヒヨドリの紅の胸
補聴器をいまだ用いるなき耳に遠き木末のイカルガの声
池田     和枝 北九州
妻庇い診察室にはいる人自らも足を引き摺りながら
母親に逆らうらしき少年の声聞ゆなりかなめ垣のみち
内田     穆子 大阪
何事も堪うることに自信もつ可愛気のなきわが老いかもしれぬ
端布にてサロンエプロン一枚仕上げ他愛なき老いのよろこび
岡田     公代 下関
手術して得しこの視力に教壇に立ちたかりしと今宵は思う
十分の手術に確かな視力得て長く親しむ英和辞書引く
岡部     友泰 大阪
カリフォルニアに飛びて効なかりし風船爆弾偏西風つよき今思い出づ
挨拶なく朝をはじむるこの省略悔いず在りへて妻と老づく
許斐     眞知子 徳島
嫋やかな女が歩いているような二本足歩行のロボット愛おし
ロボットに看取らるる未来の吾が姿夢想してみて少し幸せ
浜崎     美喜子 白浜
五ヶ月を自宅に看取りし限界に施設に預けぬお許し下さい
待つ者のあればいそいそ登る坂帰りは力ぬけ足取りあわれ
春名     一馬 美作
お早うの一言が欲し女子職員居並ぶ合併農協馴染まぬ
銀行マン気取りかスーツに装いてセ−ルスに来る農協職員
藤井     寛 篠山
昼と夕匙に食べさせ若き日に触れもせざりし手をにぎり去る
リハビリの服さがしやる箪笥には手織のもんぺみな紺におう
丸山     梅吉 大阪
ようなきひと自称の吾の晴舞台拍手一斉に会場満たす
横山     季由 奈良
雲抜けてまた雲の中揺るる機中に眼を瞑り南無阿弥陀仏
機窓差す光も千々に雲を抜け雲海の上はさえぎるものなし
吉富     あき子 山口
少しやせたと言われて撫ずるほおこけていかに老いしや九十六歳
朝食を終えれば何も出来る無し書きたき読みたきあふれているに
池田     富士子 尼崎
五百余の常騒がしき生徒らは神妙にして何を祈りし
千年を越ゆる桂の幹太くよじれし枝に触るるしばらく
井辺     恵美子 岡山
鹿網を張巡らせる野菜畑の中に入りきて芋の土寄す
奥村     道子 愛知
祖母の取りてくれしトマトの日の温もり吾の幼き思い出にして
笠井     千枝 三重
カーナビの示さぬ峠のぼりきて遠くにダムの水光る見ゆ
川中     徳昭 宮崎
防災訓練に知事ヘリに乗りご出席全員参加田仕事するな
鶴亀     佐知子 赤穂
果ての無き検査治療の続く夫の願いの一つ屋久島に来つ
中谷     喜久子 高槻
鯉のぼりたてて祝いし日の遠く夕べ二人の菜をととのう
中西     良雅 泉大津
篠山は田舎暮らしの代名詞応召学徒はデカンショ歌いき
名手     知代 大阪
万歩計つけて歩める春の町歩幅の広き夫につきゆく
並河     千津子
ビルに揚ぐる憲法記念日の日の丸を指さし孫は何かと聞きぬ
松本     安子 美作
獣らの栖となりし里山にゆきて山菜摘むこともなし
山口     克昭 奈良
一列車やり過しなおにぎわえる喪服の一団ホームを占めて
名和    みよ子 神戸
手術せる眼にやさしき浅みどり公園一帯若葉となりて
樋口     孝江 京都
竹ペンに吾が子の描きし仁王像大切にして二十年経る
湯川     瑞江 奈良
病室に見下ろす王寺の街の灯よ一つ一つに暮らし息づく
安西     廣子 大阪
移りゆく雲をながめて名を付ける孫と吾との車窓の遊び
岩谷     眞理子 高知
古書店はミスタードーナッツに変りいて吾が好む場のひとつ減りたり
上松     菊子 西宮
木津近く和同開珎鋳造の遺跡に銭司(ぜじ)と地名のこりぬ
梅井     朝子
安全の確保ならざる宵花火郷土まつりの中止相次ぐ
奥嶋     和子 大阪
木造のままに残れる校舎より黄色の帽子の列動き出す
川口    郁子
片カナで使用年月日書いてあるアストリンゼンは母の遺せる
阪下     澄子
半月の休み終りて我が眉を整えくれたる娘帰りぬ
田中     和子
あるじ亡き部屋と思えど日に一度ドア開けてみる慣い変らず
高見     百合子 美作
夫とゆく智頭街道の家々の軒に吊りたる杉玉の揺る
津萩     千鶴子 神戸
絵馬堂に画かれし黒き荒馬の月明き夜に抜け出る勢い

ホームページに戻る

バックナンバーに戻る