選者の歌
桑岡 孝全 大阪 | |
星ふたつ岩波文庫の赤帯をとおきはふりにたずさえてゆく | |
又一日老ゆる命を生きんかなイトミミズ程の意志ふりおこし | |
動き回る間はいいが立ち止まると居場所がないというに頷く | |
祖母は土なりき以降は火に葬る習わしなればよきにはからえ | |
雨季明けん空のあおきにそびえたる欅のうれの三日月こよい | |
井戸 四郎 大阪 | |
胡蝶蘭小さきくれない淡き花窓の光に咲きそろいたり | |
咲きならぶ淡くれないの胡蝶蘭落ちたる花をコップに浮かす | |
雨の夜のおぼろに見ゆるくちなしの花の香りの地を伝いくる | |
朝早き雨の歩道にくちなしの茶いろく萎るる花の匂いぬ | |
花過ぎて新芽伸びたるくちなしの黄緑の葉の日にかがやきぬ | |
なお暫く居れよと言われスツールに坐り直して傍近く寄る | |
ただ一人家のベッドに素知らぬ顔していたまうをまた哀しみぬ | |
土本 綾子 西宮 | |
鳴子百合に押されて育ち遅るるかことしの茗荷いたく痩せたり | |
みずからの洩らせる言葉に支配され来たる吾かと思うことあり | |
井の中の蛙さながらのわが一生かえりみて悔ゆるほどにもあらず | |
誤解かも知れずと思い聞きおりて庇い得ざりしこと今に悔ゆ | |
身に叶う仕事を心掛くること大切と沁みて思うこのごろ | |
湧水原 (25) | |
奥嶋 和子 (ヨーロッパ五カ国) | |
道を行く半ばは白人にあらずして英国すでに人種の坩堝 | |
ライン河の広き流れに橋を見ず大型貨物船数多行き来す | |
暮れ泥む空にくっきり浮かび立ちエッフェル塔に灯り入りたる | |
小泉 和子 (移る雲) | |
テニスせる音の響かう雲雀ヶ丘子は七年をここに住みたり | |
夫亡きあとひたすら心委ねいし娘夫婦は赴任地へ発つ | |
賑わしき桜のとき過ぎ山峡の緑に映ゆる古き芝居小屋 | |
佐藤 健治 (塩化ビニール樹脂との出会い) | |
塩ビ樹脂当初はビニール風呂敷となりて知られし記憶遥けし | |
塩ビ樹脂を水道パイプに加工する発想を誰のものと知るなし | |
アセチレン塩化ビニールモノマーの化学記号を思い出し書く | |
白杉 みすき (心房細動) | |
寝ることを恐るるまでに真夜中の脈の乱れの度重なりぬ | |
一夜さに繰り返し起くる不整脈夫には告ぐるなくして耐えぬ | |
ペースメーカー恃みて三年存えし兄を思えりその齢越ゆ | |
名和 みよ子 (よい一日(ドブリーデン)を) | |
人知れずバッグに収むる亡き夫の写真をおもう機上の席に | |
プラハ城を守る衛兵三人して号令高く行進をせり | |
今日を旅の終りとゆけばにわか雨過ぎて葡萄畑に立つ二重虹 | |
長谷川 令子 (志賀島) | |
丘の上に海人詠む碑あり木群透き玄界灘の白く光れり | |
志賀の海人の塩焼く煙棚引きし世は遠くして海ぎしをゆく | |
潮引かば徒にて渡る沖津島森かげに小さき鳥居の赤し | |
山口 克昭 (能 登) | |
白山また立山鹿島槍白馬珠洲の海辺に一連の眺め | |
鄙のこころの一途さに秋草を筋描なせる珠洲焼きの壷 | |
土に化し色ばかりなる人骨を縄文青年と検証す | |
10月号作品より 順序不同 | |
山内 郁子 池田 | |
あさあけの戸の隙間よりひかるもの庭にころがるビー玉ひとつ | |
夜半覚めてアウスレーゼを一人酌むラインの波を思い出でつつ | |
吉富 あき子 山口 | |
帰りきて我が家はよろし風通り木々の香りも入りてくるなり | |
衰えのいよいよ厳しある時は何もわからぬ瞬間があり | |
池上 房子 河内長野 | |
シャッターの目立つ商店街のひと所明るし学生服を窓に飾りて | |
雲雀の声届く窓辺にミシン踏む残れる布を使い切るべく | |
池田 和枝 北九州 | |
海を背に立ちます地蔵尊の足もとに野罌粟の花の咲き明るめり | |
小沢 あや子 大阪 | |
くちなしの甘き香りが風に乗り暮れなずむ空に三日月の出づ | |
上野 道子 堺 | |
糠床に漬けゆく茄子の手にやさしわれの主婦業今日より再開 | |
坂本 登希夫 高知 | |
蚊に刺され朝の畠にとるトマトナスピーマン一人の食のもの | |
野崎 啓一 堺 | |
今先のことも忘れ去る妻なれど長き絆ぞ我を忘れず | |
春名 一馬 美作 | |
行きゆきて紫陽花尽くるなき一ところ古りし祠に地蔵尊在す | |
堀 康子 網走 | |
おののき見るシベリア抑留関係展死亡名簿にホリセイハチ噫 | |
池田 富士子 尼崎 | |
字を覚え始むるおさな曽祖父の遺せる紙縒に短冊つるす | |
蛭子 充代 高知 | |
始めての競りにて表情を固くせる嫁は木札に値を書き入れる | |
奥野 昭広 神戸 | |
色あする籐の枕を取り出だすくぼみ具合になじみの増して | |
戸田 栄子 岸和田 | |
亡き父が足病む吾に歩を合せ歩みし道に向日葵の咲く | |
森本 順子 西宮 | |
孫娘のトランペットに吹き鳴らす六甲おろしに棺いでたつ | |
山田 勇信 兵庫 | |
つゆ最中小雨降りつぐ日々なれど手術前夜の空に月あり | |
安井 忠子 四条畷 | |
撫でさする足より冷たさしのびより魂離れゆくを吾の目守りぬ | |
藤田 操 堺 | |
数年間耕されざる水田に数多の蒲の穂生い茂りたり | |
安西 廣子 大阪 | |
半日の空の旅なりカプセルの如き機内に生かされている | |
大杉 愛子 美作 | |
かくあれば認知症予備というテレビ吾も幾つか圏内にあり | |
沢田 睦子 大阪 | |
それぞれに赤きバラ持ち投げ入れる地深く沈む君のひつぎに | |
津萩 千鶴子 神戸 | |
幼き日に薬の紙もて鶴折りき白き錠剤飲みつつ思う | |