選者の歌
桑岡 孝全 大阪 | |
秋立ちて六日経にけりひとしきり夜の苑生の木々を揉む風 | |
このあした大和川より吹く風の絶えて青田のゆるがぬ暑さ | |
朝床にからだのたゆしおわる夏の所為は七十年の疲労か | |
暑き日のあした夕べを来たり見る小公園アンリ・ルソーの茂み | |
長椅子に長まる吾を知らぬ妻か苑をめぐりてウオーキングせる | |
井戸 四郎 大阪 | |
人の姿見ぬ昼の下水処理場の高き建屋より吹く風臭う | |
構内の舗装白々と夏日照り下水処理場を行きて陰なし | |
近道に通りぬけゆく下水処理場機械のうなり底ごもりする | |
夏の日の窓に陰するジネンジョの枯れかかりたる蔓を除きぬ | |
蔓に付く零余子の落ちて側溝に溜まるを拾う手に余るほど | |
夫妻にて階を上下に臥し給う淋しき日々とわが哀しみぬ | |
住まいよりいささか遠く離れたる老病院を探しあぐねつ | |
土本 綾子 西宮 | |
忘れたる人の名前にこだわりて又五十音を辿りてみたり | |
日に幾度上りくだるわが生活ようやく足の重たくなりつ | |
赤血球ヘモグロビンの数値足らぬわが血は蚊さえ好まぬらしき | |
脈絡もなく物縫いてみたくなるときありすぐに忘れ過ぎゆく | |
とりどりの布買い集め子らのもの縫いて足らいき日毎夜毎に | |
高槻集 | |
安藤 治子 堺 | |
箱一つ引出し一つ整理せん明日は明日はと思い秋づく | |
夏の靴はや仕舞うべく履かざりし白きパンプスも艶拭きをして | |
肉薄き顔は酷薄の相と言うその顔に罵倒せられいる夢 | |
松浦 篤男 高松 | |
顔面蒼白何とかならぬか明るかりし妻に笑顔の失せて八年 | |
ハンセン病完治すれど後遺症の疼痛に薬なく妻の苦しむ | |
看護厚き療園ゆえに無事過ぐか顔面痛にて衰弱の妻 | |
山田 勇信 兵庫 | |
生き延びし思いさらなり温かき重湯の咽喉を下りゆくなり | |
すれすれに来ては目の先をひるがえる窓の燕に心ゆく夕べ | |
梅雨の間の夕日を乱す燕らの帰りて所在なき一日過ぐ | |
12月号 作品より 順序不同 | |
伊藤 千恵子 茨木 | |
首相変わり美しき国日本となるや格差の拡ごれる世に | |
往き来する駅前通りわが住める三年にいたくさまかわりたり | |
モーツアルト聴きて穏やかにわがひとり窓の光の秋づく朝を | |
池上 房子 河内長野 | |
鶏型の埴輪のとさか丸く小さし飼われおりけん漢人の邑に | |
闊達な声ひびく大王を想像す居たかも知れぬ葛城襲津彦 | |
池田 和枝 北九州 | |
如来像の衣の深き襞間に縋るがにおり蝸牛一つ | |
何願う少年なりや道角の薬師如来の祠に額ずく | |
大濱 日出子 池田 | |
遂に一人住むべくなれる悲しみに眠るかなわぬ一夜あけゆく | |
夫生きて汚せるものを洗いてはとどけるがただ一つ私のしごと | |
岡部 友泰 大阪 | |
子より妻に花束届きて知る誕生日連れ添う幾十年の果てに | |
ケイタイの広まりゆきて赤電話の用なきさまに吾が医院に古ぶ | |
後藤 蘭子 堺 | |
「行列の出来る店」の取材に子の応ういわずもがなカレーのかくし味 | |
無愛想なる自を補う明るき女雇える店に来る客多し | |
坂本 登希夫 高知 | |
新チェンソーで四十年生の雑木伐る傾斜の山に足をふんばり | |
九十二歳も雑木の伐採は人並み歩かずともよし足をふんばる | |
白杉 みすき 大阪 | |
植え替えて根を傷めたる浜木綿に大き花芽の立ち上がりきぬ | |
生き物を飼うを止めよという声すこの夏目高を死なしめてより | |
菅原 美代 高石 | |
忽ちに読みて返しに来る人の視力羨しむわれは切なく | |
幾冊も読みかけのままおくぶざま目の衰えを身にしみて思う | |
竹中 青吉 白浜 | |
震災に家財の下より助け出され冥加を喜びしは昨日のごとく | |
熊野古道悪四郎越えに共なりき黒文字の枝手にせしあの寺井さん | |
春名 一馬 美作 | |
意識なき生命何時までのびるのか延命機器が時間を刻む | |
うから五人目守れる中に潮の引くごとも安らに妻の終れり | |
丸山 梅吉 大阪 | |
洗濯機に忘れいしもの朝干して乾きさやかに午後三時なり | |
区長さんマンション会長の案内にて百歳祝うと花束下さる | |
吉富 あき子 山口 | |
ただ一つ残れる趣味の料理さえ出来ずなりゆく器のみえず | |
見えずなり日々書き留めし日記帳家計簿つけし日を恋うるなり | |
浅井 小百合 神戸 | |
大声で子ら呼び寄する華やぎはもう過去夫に夕餉を告げぬ | |
いらだちは老いに根差すと思いつつ夫と言葉を交わさぬ一日 | |
池田 富士子 尼崎 | |
水注ぐ青紫蘇の葉に潜みいし孵化して間なき飛蝗とび立つ | |
分かたれし鈴蘭咲きぬ北国に老いづく伯母はホームにありて | |
蛭子 充代 高知 | |
秋漁の兆しと漁船より鰹数多声をあげつつ水揚げをする | |
係わりのありし漁夫またパートの女性大方は逝き吾らも老いぬ | |
大森 捷子 神戸 | |
みのり田は光を返し白々と蕎麦の花咲く信濃の盆地 | |
霧雨はいつしか上り窓外に稔り田照りて春の野のごと | |
笠井 千枝 三重 | |
莢をたたき豆を取り出す村の子にまじりて幼きわれの遊びき | |
母在りし日を懐かしむ縁台に肩寄せ見にしオリオン星座 | |
川中 徳昭 宮崎 | |
放棄せし栗園にたわわに実の着けば困惑喜び交ごもにして | |
拾い損ねし栗一つ夕暮れを拾ってくれよと遠くに光る | |
中谷 喜久子 高槻 | |
トラックの荷台にTシャツ並べ干し工事の若きら昼を眠れる | |
朝々をウオーキングすといでてゆく夫は梅干と麦茶をもちて | |
春名 久子 枚方 | |
家まもり農にはげみし兄にして三歩のあゆみ今かなわざり | |
点滴は今日で終ると留守電に兄言いのこす逝く二十日まえ | |
安田 恵美 堺 | |
ピラカンサの棘をしのぎて絡みたる青葉のかげに苦瓜ふたつ | |
介護施設のありて整う街並にからくり時計が時告げて鳴る | |
樋口 孝栄 京都 | |
兄弟も従弟も見送りただ独り墓磨く母小さくなりぬ | |
亡き父の墓に語れる母の背に近づきがたくわれの見守る | |
上松 菊子 西宮 | |
聞きなれぬ表示確かめカーソルを動かすにマウス聴きわけ悪し | |
九時十時秋の日和は晴れていても当てにならぬと母よく言いし | |
川口 郁子 堺 | |
チョコレートの味を知らないその子等のカカオの実を採る長き一日 | |
棒切れで弟に文字を教えいる二人の働く農園の日暮れ | |
杉野 久子 高知 | |
三枚ずつ揃えて縫いたる涎掛け無縁地蔵に掛けまいらせる | |
二日二夜戸を叩く台風の音を聞きひたすら山の蜜柑を案ず | |