平成18年12月号より

 

               選者の歌

 

  桑岡     孝全          大阪
  秋立ちて六日経にけりひとしきり夜の苑生の木々を揉む風
  このあした大和川より吹く風の絶えて青田のゆるがぬ暑さ
  朝床にからだのたゆしおわる夏の所為は七十年の疲労か
  暑き日のあした夕べを来たり見る小公園アンリ・ルソーの茂み
  長椅子に長まる吾を知らぬ妻か苑をめぐりてウオーキングせる
   
  井戸     四郎          大阪
  人の姿見ぬ昼の下水処理場の高き建屋より吹く風臭う
  構内の舗装白々と夏日照り下水処理場を行きて陰なし
  近道に通りぬけゆく下水処理場機械のうなり底ごもりする
  夏の日の窓に陰するジネンジョの枯れかかりたる蔓を除きぬ
  蔓に付く零余子の落ちて側溝に溜まるを拾う手に余るほど
  夫妻にて階を上下に臥し給う淋しき日々とわが哀しみぬ
  住まいよりいささか遠く離れたる老病院を探しあぐねつ
   
  土本     綾子          西宮
  忘れたる人の名前にこだわりて又五十音を辿りてみたり
  日に幾度上りくだるわが生活ようやく足の重たくなりつ
  赤血球ヘモグロビンの数値足らぬわが血は蚊さえ好まぬらしき
  脈絡もなく物縫いてみたくなるときありすぐに忘れ過ぎゆく
  とりどりの布買い集め子らのもの縫いて足らいき日毎夜毎に
   
               高槻集
   
  安藤     治子         
  箱一つ引出し一つ整理せん明日は明日はと思い秋づく
  夏の靴はや仕舞うべく履かざりし白きパンプスも艶拭きをして
  肉薄き顔は酷薄の相と言うその顔に罵倒せられいる夢
   
  松浦     篤男          高松
  顔面蒼白何とかならぬか明るかりし妻に笑顔の失せて八年
  ハンセン病完治すれど後遺症の疼痛に薬なく妻の苦しむ
  看護厚き療園ゆえに無事過ぐか顔面痛にて衰弱の妻
   
  山田     勇信          兵庫
  生き延びし思いさらなり温かき重湯の咽喉を下りゆくなり
  すれすれに来ては目の先をひるがえる窓の燕に心ゆく夕べ
  梅雨の間の夕日を乱す燕らの帰りて所在なき一日過ぐ
   
           12月号  作品より        順序不同
   
  伊藤    千恵子          茨木
  首相変わり美しき国日本となるや格差の拡ごれる世に
  往き来する駅前通りわが住める三年にいたくさまかわりたり
  モーツアルト聴きて穏やかにわがひとり窓の光の秋づく朝を
  池上     房子          河内長野
  鶏型の埴輪のとさか丸く小さし飼われおりけん漢人の邑に
  闊達な声ひびく大王を想像す居たかも知れぬ葛城襲津彦
  池田     和枝          北九州
  如来像の衣の深き襞間に縋るがにおり蝸牛一つ
  何願う少年なりや道角の薬師如来の祠に額ずく
  大濱    日出子        池田
  遂に一人住むべくなれる悲しみに眠るかなわぬ一夜あけゆく
  夫生きて汚せるものを洗いてはとどけるがただ一つ私のしごと
  岡部     友泰          大阪
  子より妻に花束届きて知る誕生日連れ添う幾十年の果てに
  ケイタイの広まりゆきて赤電話の用なきさまに吾が医院に古ぶ
  後藤     蘭子          
  「行列の出来る店」の取材に子の応ういわずもがなカレーのかくし味
  無愛想なる自を補う明るき女雇える店に来る客多し
  坂本    登希夫        高知
  新チェンソーで四十年生の雑木伐る傾斜の山に足をふんばり
  九十二歳も雑木の伐採は人並み歩かずともよし足をふんばる
  白杉    みすき        大阪
  植え替えて根を傷めたる浜木綿に大き花芽の立ち上がりきぬ
  生き物を飼うを止めよという声すこの夏目高を死なしめてより
  菅原     美代          高石
  忽ちに読みて返しに来る人の視力羨しむわれは切なく
  幾冊も読みかけのままおくぶざま目の衰えを身にしみて思う
  竹中     青吉           白浜
  震災に家財の下より助け出され冥加を喜びしは昨日のごとく
  熊野古道悪四郎越えに共なりき黒文字の枝手にせしあの寺井さん
       一馬          美作
  意識なき生命何時までのびるのか延命機器が時間を刻む
  うから五人目守れる中に潮の引くごとも安らに妻の終れり
  丸山     梅吉          大阪
  洗濯機に忘れいしもの朝干して乾きさやかに午後三時なり
  区長さんマンション会長の案内にて百歳祝うと花束下さる
  吉富    あき子         山口
  ただ一つ残れる趣味の料理さえ出来ずなりゆく器のみえず
  見えずなり日々書き留めし日記帳家計簿つけし日を恋うるなり
  浅井    小百合          神戸
  大声で子ら呼び寄する華やぎはもう過去夫に夕餉を告げぬ
  いらだちは老いに根差すと思いつつ夫と言葉を交わさぬ一日
  池田   富士子          尼崎        
  水注ぐ青紫蘇の葉に潜みいし孵化して間なき飛蝗とび立つ
  分かたれし鈴蘭咲きぬ北国に老いづく伯母はホームにありて
  蛭子     充代            高知
  秋漁の兆しと漁船より鰹数多声をあげつつ水揚げをする
  係わりのありし漁夫またパートの女性大方は逝き吾らも老いぬ
  大森     捷子            神戸
  みのり田は光を返し白々と蕎麦の花咲く信濃の盆地
  霧雨はいつしか上り窓外に稔り田照りて春の野のごと
  笠井     千枝          三重
  莢をたたき豆を取り出す村の子にまじりて幼きわれの遊びき
  母在りし日を懐かしむ縁台に肩寄せ見にしオリオン星座
  川中     徳昭          宮崎
  放棄せし栗園にたわわに実の着けば困惑喜び交ごもにして
  拾い損ねし栗一つ夕暮れを拾ってくれよと遠くに光る
  中谷    喜久子         高槻
  トラックの荷台にTシャツ並べ干し工事の若きら昼を眠れる
  朝々をウオーキングすといでてゆく夫は梅干と麦茶をもちて
  春名     久子          枚方
  家まもり農にはげみし兄にして三歩のあゆみ今かなわざり
  点滴は今日で終ると留守電に兄言いのこす逝く二十日まえ
安田     恵美         
ピラカンサの棘をしのぎて絡みたる青葉のかげに苦瓜ふたつ
介護施設のありて整う街並にからくり時計が時告げて鳴る
樋口     孝栄         京都
兄弟も従弟も見送りただ独り墓磨く母小さくなりぬ
亡き父の墓に語れる母の背に近づきがたくわれの見守る
上松     菊子          西宮
聞きなれぬ表示確かめカーソルを動かすにマウス聴きわけ悪し
九時十時秋の日和は晴れていても当てにならぬと母よく言いし
川口     郁子         
チョコレートの味を知らないその子等のカカオの実を採る長き一日
棒切れで弟に文字を教えいる二人の働く農園の日暮れ
杉野     久子          高知
三枚ずつ揃えて縫いたる涎掛け無縁地蔵に掛けまいらせる
二日二夜戸を叩く台風の音を聞きひたすら山の蜜柑を案ず

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