平成19年2月号より

 

選者の歌
  桑岡     孝全          大阪
   
  意識なくふせりたまうを離れきて人々の歌をおとしむる午後
  老いづける身に人の世のあわただしと思いてこよい御柩の前
  ああ長くこやりいまして燭の前の笑むうつしえの遠世めくなる
  たずさわりかなしきまでに衰うるみ足を知りてよりの日の数
  気力まずくずおれてゆく衰老のためしを詮なきものと眺めし
  タカギバレという結社内方言をおもう秋天にみひつぎたたす
  いますなき世となりたりと明時を覚めて思えば二日経にけり
   
  井戸     四郎          大阪
   
  年ながく二人暮らせるわが母の小さき位牌の蝋の灯に照る
  母と並べ父と水子とはらからの位牌にともす蝋の灯と香を
  夕方のいかずち鳴りて踏むペダル降り出る雨に頭の濡れぬ
  降りきたりタイヤの滑る木歩道雨つぶ見ゆる街路灯点く
  心急く夕暮れ時に降りいでてハンドル返す大橋過ぎて
  ほととぎす花の残りて山茶花の紅さ目に立つ空暖かく
  はかな事夢みてしばし目覚めたる夜更け新しき畳の匂う
   
  土本     綾子          西宮
  快復の遅きは齢のゆえという医師の言葉に笑うほかなし
  衰うる身をば嘆かうことなかれ平均寿命にいまだ三年
  さしあたり脳に梗塞はなしといえこの物忘れいかにかもせん
  検診も血圧を測ることもなく百二歳まで母は生きたり
  亡き友と揃いに買いしペンダント伊勢の海のこの小さき白珠
   
   
                            湧水原        (26)
   
  奥嶋     和子           ( 青いけしとパンダ )
   
  三国志記念の祠堂巡りゆく蒸暑き庭に蝉の声降る
  堆くキャベツを積みてすれ違う高原よりのトラック続く
  白き墓に色布数多靡かせてチベット圏内標高三千六百m.
  スイスには既に絶えたるエーデルワイス四川に生いぬ雑草の如
  テロ未遂の影響なるかアメリカ行きの待合室に人溢れいる
   
  奥村     道子          ( 今に潜める )
   
  脳髄を貫く痛みを声にいでて吾は唱うる南無阿弥陀仏
  おとろうる心支うとバラを買う点滴の長き時終えてきて
  わが目覚めよき朝にしてコーヒーを入れるカップにマーブル模様
  癒え初めて軽き体に鍔広帽かぶりて盆の墓に詣でぬ
   
  小泉     和子          ( 晩夏 )
   
  雨雲の切れたる晩夏の越の国数限りなき星の輝く
  ケセラセラとすんなり芝居果てたれば月の輝く町に出できぬ
  夏日照る人工島の分譲地さえぎるものなく砂乾く見ゆ
  降る雨になお虫のなく山の道携うるランプの淡きを恃む
  われを戒め止めちゃいかんある時の先生のみ声耳に残れる
   
  白杉     みすき          ( 木先生を偲ぶ )
   
  講義中「野口英世の母に」にふれ涙しませる先生なりき
  雨しぶく献詠祭に来たまえり足の火傷を言いたまうなく
  佐田岬潮来紀州路と吟行に従いし日よ君健やかに
  先生のみ歌の碑に添う花梨の木豊かに実る頃かと思う
  見開きに一首認めくだされし「花きささげ」を大切に持つ
   
  田坂     初代          ( 思い出色々 )
   
  たずさわりゆきにし旅の思出をたぐる独り身夜半にめざめて
  特老の仕様に建てし隠居家にヘルパーさんとの暮しに慣れぬ
   
  長谷川    令子          ( みちのく )
   
  雨霧にかすむ白神の山々をま近く仰ぎてブナ林に入る
  雨水を含む落ち葉を踏みてゆく黄に色づきしブナの木下を
  湖の藍を湛えて澄む底に屈葬の如く黒き樹の見ゆ
  幹に残る爪跡見つつ行く山に檻狭くおり月の輪熊の
   
  名和     みよ子          ( 余呉の湖 )
   
  湖岸に続く穭田の畦道にうすむらさきの野菊つゆけし
  休耕田の隅の畑に老女ひとり鍬ふり上げて里芋を掘る
  夕づける余呉湖に少し波立ちて釣り人の影いつしか見えず
   
  増田     照美            ( 長崎 ・五島 )
   
  病む人の心の内を垣間見て戸惑うことの多かりし日々
  そそりたつ切岸近き旧道に子捨川という地名の残る
  島人の石を持ちより作りにし洞に小さきマリア像立つ
  切岸の岬の家に百年を燈台守の家族ら住みき
   
  松内     喜代子          ( アルプス  氷のトンネル )
   
  ロープウエーより見おろす雪原点々と小さき人かげモンブラン目指す
  フランスへ国境を越えるハイウエー観光バスは検問のなく
  天をさすマッターホルンの頂きを朱色に染めて陽の昇りきぬ  
  氷河の下掘るトンネルを歩みゆくただ青白き光の中を
   
  山口     克昭          ( 関東 )
   
  ブルーシートに雨露を凌げるホームレス上野の森に朝餉終えたり
  去年より減るホームレスの行先や茂る椎葉を透す秋雨
  いにしえの塚を暴きて骨皮を照射したるに早朝の列
  舗装裂きひと夏盛りしオオケタデ墓原みちに色うつろえり
   
   
                 2月号     作品より               五十音順          
   
   
  内田      穆子          大阪
  わが健康なりや食べものに不足なく楽しく今日も生き居りぬ
  百近きはこんなものかと書きづらきペン走らせて手紙認(したた)
  涙は絶えず溜まり突然膝折れぬただし聴覚のみは健全
  大濱   日出子         池田
  夫の個室に私ひとり時ながき手術終るをただ待ちおりき
  夫を入院せしめて心衰えて物を食べねば身のやせたりし
  かずら橋に錦帯橋に伴いし小泉さんなり病院にゆきあう
  岡田     公代          下関
  手を振りてわれは踊るも血をひきて育つ無垢なる瞳の前に
  お互いをまだ意識せぬ双り子か九月のひかりに肩寄せ眠る
  母となる汝を気づかい待つ日々に子の在ることのよろこび知りぬ
  岡部     友泰         大阪
  秋日和に上る二月堂の石の階残る波状紋を久びさに踏む
  回廊の高きに居りて極楽の風とも思いしばしを吹かる
  夏祭りすめば幾棚か薪あがない北国に暮らししかつてを思う
  井辺    恵美子        赤穂
  庭先の槿にかけし蜘蛛の巣の霧にぬれつつ鮮らかに見ゆ
  向こう山の紅葉の中にぬきいでて杉の二本緑豊けし
  亡き姑の好物なりし白菜漬今年の味のまろやかにして
  上野    美代子        大阪      
  小さき家とよもす風の吹き過ぎてテレビは木枯し一号を告ぐ
芥捨てに出でゆき夫の見つけたる国道の空明けの三日月
馬橋     道子          明石
葡萄色に爪を粧う目の前を小さき秋の蚊ふらふらと過ぐ
伐り終えし芙蓉の株の白く見え夕暮せまる庭の寂しき
わが町の夕暗がりに紛れ飛ぶ影を蝙蝠とはじめて知りぬ
蛭子     充代          高知
病床の夫の洗髪ナースに習い少しは上手になりしと思う
昨日とはコースを変えて牟岐川べり車椅子押す心の弾む
久々に揚がる鮪類を落札し今日忙しと嫁より電話
大森     捷子           神戸
いつの時も少し涙ぐみ笑まいつつ土屋文明を語り給いき
洗面所の日差し届かぬバケツの中なにやら蠢く驚くまいぞ
蝙蝠蛇本物偽物そこここに男の孫と猫のいる家
安井     忠子           四條畷
手習いのために写経はせぬものと我が事情鋭く見抜き給いぬ
わが終り長き病となるなかれヨガ体操を日々に努むる
ビルの谷を日の沈みゆく眩しくて目の開けられぬまま見惚れたり
三宅     フミコ          岡山
幾日も通えど芽吹かぬ菠蔆草いらつきながら踵を返す
もう少し優雅に暮らせる筈と言い訪い来る度に子は嘆息す
つましさの身に沁みたる吾を見かねては嘆く二男の言をかみしむ
松田     徳子          生駒
堂奥におわす愛染明王の眼するどくただおろがみぬ
よき紙に美しき文字を品の良く書く古き納経を見めぐる
カマキリはフェンスにじっとしがみつく吹く風のなか腹を陽に向け
戎井                  高知
堤防の上に提灯の長くつづき祭の舟渡御のエンジン響く
御座船に太古と鼓の囃子ひびき大漁ばたの風に靡かう
散歩する吾を追越し電動椅子の女は楝咲く坂を下りゆく
大杉      愛子         美作
霜月の午後菊の花を背に負いて登る墓道風が頬を打つ
畑半分作り下さる友ありて暖かき今日共に苗植う
集いくる人らの面輪浮かべつつ茄子三Kをカラシ漬けせり

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