平成19年5月号より

            
桑岡     孝全            大阪
逝かしめし年あらたまりひたぶるに空しきかたへおもむく心
(おお)し育てし男子は四人それぞれの変声期など目守(まも)りし母か
国民学校同期よわいは七十三四こよい聞きおよぶ投身一件
紀伊山地の寒湿を脱走し果(おお)せたり一生の願いはたすがごとく
B29梯団北上を三人してあおぎしはらからいまわれひとり
世にのこす品々すでに人に分ちて居住まい美しくする媼あり
ふるびたるきずひとつならずうずく冬季を桑岡孝全性能劣化
井戸     四郎            大阪
原稿を手渡し帰るひる前の商店街に人の少なし
高架道路高架線路の交差する下の池には人の釣りする
日の当たる枇杷の木の花枝高く双眼鏡を取り出して見る
雨の日に気付かぬ淡き枇杷の花高き梢を門に出てみる
外の音聞こえぬ夜半に起き出でて昼の続きをキーボードに打つ
北の風朝より強しの予報にて寒さを恐れすぐに帰宅す
温かき処置室のベッドに気の緩びまどろめる間に点滴おわる
土本     綾子            西宮
近鉄の教室に共に学びたる岸本康子さん享年九十二歳
世に高きみ子の名は言にしますなくつつましやかにいましし姿
髪型も装いも常つつましく教室の隅に坐りいましき
震災のあといち早くねもごろに見舞い賜りしことも忘れず
遠き旅かなわずなりて今に恋う野辺山高原の清き星空
夏毎の旅をみちびき下されし日も遠くいま君も在さず
黒姫の裾野を埋めてコスモスの咲き満つる頃か人もまぼろし
                   
  坂本   登希夫         高知             
核のゴミ持ちこみ反対のわが投書新聞はトップに載せくれつ
二百キロのケイカルを稲田にまきたりき九十三の足は歯痒し
九十三にチョコレート人くれき元気でなおなお頑張れとぞ
六十六年前中国で教育せし兵海苔多くを送りきたれる
井辺     恵美子         岡山
車中より吾に手を振るを見送りて間なく危篤の電話かかりぬ
親しきに取り囲まれて身罷りぬ七十五年を生き抜きし夫よ
温かき朝餉食みつつ亡き夫を思いて涙いづることあり
まどかなる月の光に淋しさの紛れて居りてカーテンを引く
蛭子     充代           高知
昏睡の夫の看取りを孫りえに委ぬるしばし吾は仮眠す
亡き夫の写真を膝に吾の乗る車はひととき枯野を走る
わが夫の煙は高く流れゆく雲を追いかけ天に向かいて
愛用の夫の時計はわが腕に今もコツコツ動いています
                      5月号  作品より                50音順      
高間     宏治          小金井
戦中戦後永く住みいし池田の街それと見ぬ間に猪名川渡る
猪名川に沿う工場に働きし動員の日々が青春なりき
寄宿舎に居残るわれらを避難せしめし命の恩人の先生も亡し
竹中     青吉          白浜
かじき鮪スピード恣にいわしを追い岩礁に激突くちばしを折る
春一番竜巻が夜のうちに過ぎ朝明の明星みずみずしきばかり
着ぶくれて鼻水のとぶ磯原に吹かれて漁るものは何々
中谷  喜久子         高槻
話すだけはなして帰る娘を送る聞くより他にすべなき吾の
福寿草の花咲きいでぬ妹の十八回の忌のめぐりきて
日毎みる新築の家たちすすみ朝より庭木を運びいれるところ
長崎   紀久子        八尾
鈍色の雲籠むるかなた一瞬に穂高と覚しき雪山見えつ
外国に初めてメールせんとするパソコンのキー打つ指こわばる
日を置かずエジプトからのメールありて老いの楽しみ一つ増えたり
西川     和子           広島
北極の永久凍土解け初むと聞けば愈々終末遠からじ
術もなく南太平洋に沈みゆく海抜二メートルの島国ツバル
護る事も抗うことも出来ぬ民なべて移住の覚悟をすると
野崎     啓一           
日々にきて歩むリハビリの三百歩今日は鶺鴒の声に慰む
水減りて川底粗く芥積む其処超然と白鷺立てり
喜びも嘆きも過ぎ行きし思い出ぞ今幾春秋語る明るさ
長谷川    令子         西宮
歳晩を清めまいらすそれぞれの位牌に纏う思いのありぬ
打敷を替えて仏具を磨くなりここに鎮まる日を思いつつ
六甲の峰に白きを見るなきまま沈丁花香る今年の二月
浜崎    美喜子         白浜
花の島とききて渡りし礼文島にエゾカンゾウは枯れし音立つ
手をとめてしばし黙祷君の葬儀はじまる時か大阪遠し
病む夫に獅子舞見せんと手を引きし去年の心のよみ返りきて
春名     一馬            美作
われの身に肺炎侵すを知らずして食の進まぬ十日を耐えいつ
息子娘妹らの情に助けられ退院後二月夢の間にすぐ
食欲は徐々に戻るかこの日頃しきりにぼたん鍋にあくがる
鈴木     和子            赤穂
福寿草二月の光に咲きつぐを誰に告ぐるということもなし
わが町の宮居の杜に梟のしきりに鳴ける暖冬二月
竹川     玲子           大阪
携帯を頼りに孫は京都よりひとり三島に乗り継ぎて来ぬ
点と見ゆる出口頼みて石積みの暗き天城の隧道歩む
        宏子            大阪
老二人働く広き畑なりき機械管理の駐車場となる
冬ざれのきわみを夫の眠る山傾りの尾花白くかがやく
鶴亀  佐知子       赤穂
亡き父に面差しの似る叔母老いずわが茫々の記憶を正す
わが家より移しし桃の木尼寺に健やかに白き蕾ふくらむ
戸田     栄子           岸和田
自らの体の蝶番乱れるか今夜も腕の痛みに耐える
幼児は犬と並びて床に入る愛するもののあるは幸せ
中川     春郎           兵庫
下働き多き大学病院は研修医には敬遠されぬ
聞き及ぶ立ち去り型にサボタージュ病院を去る医師の分類
名手     知代           大阪
携帯を持つ若者の口にする明日の日程うしろよりきく
人なかの歩みにいたく疲労して用のいくつか忘れて帰る
並河   千津子         
雀らは我におどろき飛び立ちて花のごとくに冬木にとまる
わが埒の外なることと諦むる心のままに眠れずにいる
南部     敏子           
琴爪を入れると聞きて縫う袋のちりめん小切選るさえたのし
蕁麻疹腰痛今は休戦中わたしの内の戦争ごっこ
高見   百合子          美作
夫と吾の古希と娘の四たび目の亥の年を祝ぐうから揃いて
朝早く静まる宮にわれの打つ柏手の音ひびきて吸わる
津萩   千鶴子          神戸
文通の稀となりたる世にありて年に一度の賀状いただく
行く先を犬にまかせて冬の日を浴びつつゆるき坂を下りぬ
中原     澄子           泉佐野
玄関を覆うごとくに咲くミモザ朝の光に黄の色の映ゆ
暖冬に咲き出すミモザの枝切りて訪ねる友に花束作る
中川     昌子           奈良
春の七草みじかに見つかる秋篠の里をよろこび我の住み古る
デパートの野菜売場の品種増え何度も行き来すカート押しつつ
名和   みよ子          神戸        
春となる今日は白髪を染めにゆく赤いひも靴をきれいにみがいて
若者は破れズボンのルックにて春立つ今日の日ざしに連れゆく

 

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