平成19年7月号より

            
桑岡     孝全            大阪
すれちがうまで顔貌を見定めてわが眼おとろう今年にわかに
白くのみ町はかがやく検査終えてわが瞳孔のひろがるままに
矯めつ眇めつして受け入れる事にするもう朝刊のルビが読めない
いかようの病なりしや戦ののちに隣人失明して縊りにき
右の眼のひかりうしなう象のハナコ人にてあらば九十媼
水底のくらきに棲みてまなこ失する蟹の場合をまた聞き及ぶ
手術なさば帰る明るき視力をおもいその後の須臾の命を思い
井戸     四郎            大阪
乗務員に押されて渡船場の坂を登る重き自転車に呼吸を切らして
乗客は我一人にて渡船吹く風あたたかく海の匂いす
なお遠き海吹く風の温かく直ぐ着く渡船に遊びに乗りぬ
春の海の藻の切れ端が渡船場の杭の間にみどり色に浮く
対岸の待合所には次々と買い物女性の自転車の見ゆ
乗り降りの短き傾斜に見あげては渡船を避けて遠回りしぬ
自動車のルーフにみえて夜の間につもる黄砂を朝は拭いぬ
土本     綾子            西宮
峡ふかく入り来てつづく山また山そのはたてまで黄砂のおよぶ
分水嶺こえてながれの変る川見おろす谿に水の乏しく
山ふかき宿に今宵はわれらのみ喧騒の世を離りてひと夜
瑠璃に透く流れしずかに朝光のきらめくところ鮠の子走る
バケツ提げし兄に従い木曽川の鮠釣りに行きし幼き記憶
          高  槻  集
大森     捷子          神戸
その親はよい憲法に因みしと五月生まれの婿は佳憲
狙われて機銃掃射の白昼夢楠の古葉のざんざと降れば
跳箱の十段かるがる越ゆる児はひいな祭りに初潮をみたり
鈴木     和子          赤穂
亡き夫が仰ぎたりしは去年の花今年の花が四分ほどに咲く
とどまらず花ふぶきするこの夜かしのびやかなる梟の声
十あまりの馬鈴薯の芽は出揃いて今日降る雨に戦ぐ葉もあり
吉田    美智子         堺
どの花も等分に愛で誉めている好みはっきりせる母なりしに
出来ること一つ一つと減りてゆき母の口癖することがない
昼寝する母の肩より足先へ日差しは映る寝息静かに
          7月号作品より          50音順
安藤      治子           堺
母さんと呼ぶに暁を目覚めたり娘の声か自らの声か
お母さんと呼ばるるに足る己が身か八十余年うかうか生きて
伊藤   千恵子          茨木
桜草の鉢一つ置くガラス窓結露にくもるを朝あさ拭う
十年を病める義弟車椅子に写る表情の穏やかになりて
池上      房子         河内長野
バラ園の椅子に憂いを鎮めおり花愛ずる人なき寒の日を
詠みましし梅も芙蓉も根こそぎに君の家跡更地となりぬ
池田     和枝          北九州
降りる人乗る人もなき野の駅に発車時刻のベル鳴りひびく
西の陽に映えてひととき赤金の色になるとぞ裏桜島
上野     道子           堺
さりげなく見守ることと心得て老い多き街にわれらの老いゆく
老い夫婦憩える苑の東屋はいつしか屋根もベンチも除かる
大濱  日出子         池田
南区鰻谷仲之町二十番地より小学校女学校に通いき一人子にして
賜りし酔芙蓉かく伸び立つを告げなん友は早く世に亡き
岡田     公代          下関
山畑を耕しふたりの孫を見し母の思いは今われに満つ
その兄に玩具ゆずりて九月の康汰穏しきまなざしを見す
岡部     友康          大阪
暖冬と言わるる二月ガラス戸に早くも目の赤き猩々蝿とぶ
山の上までつづくあたらしき住宅群相似る型にならぶ墓標とも
遠田       寛            大阪
九十九折下る車窓にみる谷の深き緑に花もつ一木
兄と来て交々浄むる父母の二基われらが後のことには触れず
角野     千恵          神戸
其処ここに乾ける土の粒を盛る庭の蚯蚓の春のいとなみ
山ふかき今宵のやどりに目のなれて春の靄透く淡き星あり
葛原     郁子          名張
カプセルと四粒の丸薬掌に並べ今日はトンボか蝶かと思いて服用
灰汁抜きの旬の山菜みな旨し私の灰汁も抜けて行きたり
浅井   小百合        神戸
妻われに美味なる料理食わしむと食文化という講座選ぶらし
改札の流れの中に揉まれいて吾をみつけるまでの夫見つ
池田  富士子         尼崎
届きたる緑と紺のランドセル背負いたるまま双子の遊ぶ
勤めもつ母と別れのタッチして双子は今日より通学路ゆく
石村     節子          高槻
葉桜の静かな池にたちつくし魚をうかがう白鷺一羽
遠く住む若き子留守電のつづきつつ吾の懸念の一つふえたり
井辺  恵美子          岡山
伸び立ちて支柱に絡む莢豌豆野ねずみ出でて根を食い荒らす
佐用川の州を占めて咲く菜の花の水に映りぬ黄にゆらぎつつ
上野   美代子        大阪
髪に肩に桜の花びらつけ帰るあるかなきかの風に散れるを
郵便受け見に行きし夫呼びくれる二年振りなる鉄線咲くと
馬橋     道子          明石
諸木々の若葉となれる谷間を神戸夢風船揺れつつのぼる
姉と弟互みに病みて後先の知れぬ世を言い握手をかわす
蛭子     充代          高知
生前の車椅子の夫と行きし道今病床に吾は見ており
病室が南に移り朝日浴び今朝の目覚めは快調なり
奥野     昭広          神戸
温かき紅茶に数滴ブランデー注ぎぬ一人の留守居に慣れて
鶯は吾が口笛に足を止めあたり見渡す若鳥らしき
奥村     広子           池田
造幣局の通り抜けなど行きたきに山椒の花の摘み頃にして
山椒の蕾のうちに摘み取らん三日過ぎなば価格下落す
奥村      道子          弥富
公孫樹までの朝々のみち犬と吾ともに歩みの遅くなりたり
浸しおく器の中の浅蜊より三河の潮の香りたつなり
安西     広子           大阪
大川を水上バスゆきカヌーゆきジャズを奏でる船の浮く春
母の手を放して歩む幼子は自らの意志持ちはじめたり
井上   満智子          大阪
白木蓮風にゆらぎて夥しき花を散らせるみ墓への道
アイススケート演技極まり宙に浮く少女の足を息つめて見る
岩谷   眞理子          高知
町長候補者の演説聞こゆその中を救急車のサイレン近く止まれり
土にさす幟の形の絵馬並ぶ参道脇は花咲くごとし
上松      菊子           西宮
咲き揃う桜並木に車止め降りてケイタイをかざす人あり
ソリストの旋律流れマエストロの振るタクト糸を紡ぐに似たり
梅井      朝子            堺       
挨拶を先ずは教わり一年生折り目正しく運動場に並ぶ
サイレンを鳴らし夜更けの町に響く暴走音を呼び止むる声
湯川      瑞江           奈良
朝ごとに生姜をすりて紅茶いるる我がためになす事の始めに
夜の雨のしずくふふめる木犀の新芽の色のかがよいて透く
山口      聡子            神戸
心打つエルミタージュの力作はソ連で在りし父母とみしもの
風吹きてピンクの花びら一面に瞬く間に客間を豪華にす
安田      恵美               堺
クレーンのアーム動きて二日目に新築一軒すがたの見えぬ
雨あとの風たつ樟の木下道かすかな音して春の落葉す

 

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