平成20年5月号より

 

            選     

 

桑岡    孝全          大阪
ポスターの募の字をうかうかと墓と読みぬ白内障手術前々日ぞ
生存率零パーセントなる地のヒトと生まれて老いて眼を手術する
眼球を女医に委ねて時は経るただはなやかなきらめきのした
わが目の手術無事終了を告げ給う若き青衣の女医いつくしき
散らう血のひくまで赤き光差す術後のわれのひだり目の視野
きさらぎの寒きに寝(い)ぬと術後の眼に夜々金属の覆いほどこす
装填して五日経る人工水晶体の所在を感ずあしたの冷えに
井戸     四郎          大阪
独りなる夜の寝る前に電話せり昨夜も一昨夜もその前の夜も
一人居る家になかなか寝つかれず入眠剤を今宵また服む
如月の上弦の月雲に入り暗き空気のしんしんと冷ゆ
亡き人の歌集を座右に置く一首たびたび読みてひそかに喜ぶ
宍道湖のしじみ伊勢の鮎河内の米忝なくして一人の日の過ぐ
取り分けて朝は寒しと伝え言う日に出でて来たり予防注射す
顔貌(かおかたち)の記憶うするる戦死の兄弔慰国債うけとりにゆく
土本     綾子          西宮
エノラゲイの機長も死して戦争の影はいよいよ遠くなりたり
知らされず信じ従いし民にして永らうるさえ罪のごとしも
ひたすらに歩みあゆみて至り得ぬ夢は何なりし覚めて茫々
ポストまで百歩の足の重き日のありて俄に老ふかむ思い
まだ生きていますとばかり尺の梅まばらに白き花五つ六つ
府知事選さもあらばあれ朝青龍敗れて愉快な一日となる
孫ほどの年の府知事が誕生しあらためてわが齢を思う
           高  槻  集
松浦    篤男          香川
膵臓癌にて先に亡しわが足の癌をしきりに案じくれたりし妻
紅冴ゆる庭の山茶花見てたてり妻亡き家に入る足重く
三十八年睦みし妻の印鑑をもはや用なき亡き後も持つ
南部    敏子          堺
庭いじり好みにし子の一年忌に山茱萸つばき桃咲きそろう
幾十たび行き馴れし山の崖下に逝きにし子なり思いみだるる
亡き後に残る日記の七冊をまた取り出でてこもごもに読む
平野    圭子          八尾
何もかも息子の手配に夫を葬る現にわれは役立たぬまま
俄なる心不全なり今も世に在るごとくわが戸惑いの日々
灯明の消ゆるなきよう守りつつわが独り居のいつまでを経ん
              5月号  作品より         (五十音順に順次掲載)
浅井    小百合          神戸
読み返す事もあらぬに書き綴る十年日記七年目なる
表情筋の乏しき若者群れているファーストフードに吾も入り行く
安藤    治子          堺
視力落つる午後の心の遣り処なく気温下れる街に出で来ぬ
自らを慰めん花買い持てりパラフィン紙透く色の楽しく
伊藤    千恵子          茨木
長男の住む東京に移らんかと夫亡きあとを迷えり汝は
夫のあとひとり暮らせる妹の老いてこの庭も負目となるらし
池上    房子          河内長野
指先のひび割れに絆創膏貼り替えて夕光淡きキッチンに立つ
大根の皮剥きくれと横から言う皮すら食えぬ日を知らぬ子が
礒貝    美子          桑名
亡き夫と共に来たりしコーヒー店あの日の席に座りてみたり
昭和三年は母逝きし年一年生吾は待つ人なき家に帰りき
上野    道子          堺
周五郎の小説読みしテープ聞く十年前のわが声に張りあり
テープよりパソコン録音に変わりゆく朗読者われ学ぶこと多し
小沢    あや子          大阪
まんさくの黄の花開く植え込みに猫柳の穂風になびくも
雪深き山間に住む村人はわらをなめして猫の籠編む
大濱    日出子          池田
宝塚の祖母の家より電車にて通いし小学校一年の日々
今にして懐かしむかな鰻谷の家また心斎橋の界隈
岡田    公代          下関
待ちしひと日のはや暮れゆきし君が窓迫れるビルのあかりを仰ぐ
玉川上水の水面は暮れて見えぬ道刻惜しみつつ君と沿いゆく
川口    郁子          堺
デジカメを腕に巻きつけ瞬は走る被写体いっぱいの動物園を
電車内の子供は立てと教うれば空席あれど座らぬ七歳
小深田    和弘          美作
兄とわれ思い思いの歌うたいひたすら広田に麦踏みたりき
夜の更けをパソコン画面に音もなく鼠色の蜘蛛が糸引きて落つ
佐藤    健治          池田
紫木蓮蕾にかすかな和毛持ち寒の我が庭にたくましく立つ
税務署に確定申告の時期迫り衰えし脳の作動し難き
佐藤    千惠子          神戸
しだれ桜花すぎがたの下かげを時ながく兄の車椅子押す
大きなる鍋に二キロのいかなごの数多の黒目がわれを見ている
安田    恵美          堺
冬日さす透明ガラスにかげろうのたつらし床にゆらぐ影して
目覚ましをようやく止めて朝寒き二階に娘の起きる気配す
山口    聰子          神戸
慰めの言葉ありとも晴れやらず父亡き後の心の隙間
襲い来る想いを埋めがたい母とわれ給える供物を分けて配りぬ
湯川    瑞枝          奈良
よべ降りて残れる上にしんしんと昼を音なく久々の雪
朝よりの日ざしうれしく床の間に三月雛の軸をかかげぬ
吉岡    浩子          堺
あるもので夕餉の菜をととのえる寒き一日夫とこもりて
炒豆の庭に残れりきさらぎの半ばを過ぎて鳥の来ぬまま

                    ホームページに戻る