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選 者 の 歌 |
桑岡 孝全 大阪 |
術後の眼に百円均一の老眼鏡を求めてかけてまたキーを打つ |
何のためと訊くこともなく術後の夜々をさす一滴の散瞳作用 |
陛下のお役に立たぬひ弱と軽侮さるる学童なりしより六十年 |
思わざる七十年をながらえて耳朶冷えながら夜をさめている |
発行所主遠田寛氏のいざなうは街なかの霊園さかりのさくら |
山口克昭「ふたり」の像を表紙とす陰影のごとうつむく一人 |
学校にはたらきしは四百八十四ケ月社会保険庁通知しきたる |
井戸 四郎 大阪 |
眠られぬ夜のつづきてキッチンに昨夜食べ残したる物が臭えり |
明け近く眠りに落ちたる二時間に雪降りつもり空気静まる |
沈丁花開きはじめの香りする夜を更けてより戸を締めに立つ |
雨の日の夕べの早くしらじらと咲く沈丁花の香りひろがる |
わが妻の留守のしばらく訪ね来る人の少なく所在なく居る |
たまに来る郵便配達戸締まりの呼び鈴押して居住確かむ |
雨の降る今朝暖かくミニ水仙の倒るるままに花をひらきぬ |
土本 綾子 西宮 |
休眠の虫も木草も寒に耐えて強き命を養うという |
暖冬の続けばやがて虫たちは機能おとろえ滅ぶかも知れず |
暑さ寒さかこつまじ虫も人間も四季ある国を幸せとして |
額の絵を取り替うることも怠りて時は過ぎまた春を迎うる |
きょうだいの諍いを知らず育ちにき兄も弟も齢はなれて |
二つ三つわれと同じき病もち兄はふるさとに卒寿を迎う |
夢のなかの吾は幼に還りいて兄の操る田舟に坐る |
湧 水 原 (30) |
奥嶋 和子 (カテーテル手術) |
十年目に気軽にうけし検査にて見いづる夫の血管狭窄 |
ステントの手術に運ばれゆきし夫二時間を経てICUへ |
千分の一の確率の死亡例を読みつつ再び捺印をする |
退院の夫を迎えて晴るる庭にこころゆくまで灌水をする |
桑岡 孝全 (覊旅歌抄) |
入水(じゅすい)の幼帝なにに招福の神となるのか知らず宮居の赤く新し |
教職のながきをしのばする案内受く配布資料も周到にして |
武家の簡素を思う毛利邸明治天皇御寝(ぎょしん)の一室ひろくはあらず |
毛利邸に今に用うる古き世の板硝子は病子規の家思わしむ |
板硝子は贅にありしか毛利邸の竣工は子規居士死去の翌年 |
岡田公代をいやしし眼科医院あり鴨と鯉の棲む水に面して |
小泉 和子 (折々に) |
われになき苦を一つもつ妹が補聴器の電池取り替えている |
母逝きて十三年に車椅子のタイヤすっかり空気抜けたり |
勤めより冷えて帰れるわれ待ちて父は足湯をすすめくれにき |
夕づきて玄関に近づく靴音を幻聴として九年過ぎたり |
車窓遠く二つの川の相あいて雪解け水の飛沫あげゆく |
西川 和子 (ピカソの女) |
切除前に試さるるRFAに同意してわれ八人目の被験者となる |
準備終え夜を迎うる病室に見舞いくださる医師団の言葉 |
わが意識の扉を叩く夫の声無事に終えぬと耳元に迫る |
切除されし吾が腫瘍の標本に黒く見ゆるは焼灼の痕 |
無機質な壁を見つめて四十秒また四十秒照射のブザー |
片乳のデフォルメされし半身を鏡に映せばピカソの女 |
長谷川 令子 ( 古(いにしえ) ) |
彫らるるも描かるるも火と水と太陽の神ぞ信仰に生きて |
アンデスの岩壁けずり縄をもて橋かけインカの道作られし |
草生の中の栗原寺の塔の礎石積もる落ち葉を吹く風のあり |
峠越え棚田を通る鯖街道京へ急ぎし人の面影 |
増田 照美 (アドリア海へ) |
カルトスの台地より湧く水のなか木々の間(あわい)を鯉の行き交う |
追憶の戦車二台を置く原に羊の群れて草を食むなり |
攻撃にシベニクは絶えき弾痕を壁に留めて聖堂の立つ |
サラエボの使うことなきスキー場地中に地雷あまた残りて |
山口 克昭 (北前) |
帆印に高田屋嘉兵衛を見たるらん狼煙岬の秋晴れの昼 |
朝靄を圧して流るる最上川静まる岸によしきり頻き啼く |
アカシアのトンネル出でてあおき海窓を占めたり津軽五能線 |
吉年 知佐子 (母待つホームへ) |
携うる昔々の写真数多ホームの母のいたくよろこぶ |
若き日の写真眺むるホームの母おぼろにその日々蘇るらし |
古き写真をヘルパーさんも喜びて共々に見るホームの一時 |
6月号 作品より (五十音順に順次掲載) |
岡部 友泰 大阪 |
古びたル仏壇におく陶の仔犬 戦災の記憶とどむるひとつ |
妻入院に俄か独身を吾なりに不慣れな家事にひねもす暮す |
遠田 寛 大阪 |
一人居に逝きたる兄の整えて置きし万作の春を待つ枝 |
無意識にかける応答のなき電話葬りおえたる後を幾たび |
角野 千恵 神戸 |
はこべらの根元の土を蟻一つゆっくり過(よ)ぎる今年の出会い |
ひい孫はテレビのスイッチ目指すらしあやうき歩みに寄りてゆく |
川中 徳昭 宮崎 |
吾が峡を奔りし水も混りいんゆくともなしに満つる街川 |
一月は出生一人死亡七人希望の見えぬ町に老い行く |
葛原 郁子 名張 |
県内の短歌部門に携わる功績と読み上げらるる知事の御声 |
吾を支え下さる会員あらばこそつらつら歌会休むなく続く |
許斐 眞知子 徳島 |
沼底に積もる落葉の揺れており微かに水の流るるらしく |
手にするはワインボトルか友集う写メール見つつ思いの揺るる |
佐藤 徳郎 生駒 |
シルバーの二人が荒草抜きし庭土現れて朝の日のさす |
豪雨止みてあじさい濡るる参道は水蒸気立つ暑き日差しに |
坂本 登希夫 高知 |
昼食なく水のみ重材料運ばされき腰椎の軟骨ひしゃげたりき |
ながらえて九十四の命の花あかりま白のこぶし吾を祝ぐがに |
池田 富士子 尼崎 |
柊は柊の形せるままにひと日止むなき雪に覆わる |
曾祖母の編める揃いのベスト着てうさぎの役を双子の演ず |
石村 節子 高槻 |
途中まで吾の描ける画の木々は今悉く若葉となりぬ |
亡き友の形見となりし春蘭はうす緑の花一輪ひらく |
井辺 恵美子 岡山 |
雪解けて霧の立ちたる杉林黒ぐろとして朝光を受く |
春彼岸近く軒端の雀たち羽音立てつつ巣作るらしき |
上野 美代子 大阪 |
壇組み雛武骨なる手に年々を飾りてくれし父思い出づ |
杖の傷ふえつつありて股関節いためし日より五回目の春 |
馬橋 道子 明石 |
木の根頼み二上山の道を辿る日もありたりき三十年まえ |
君子蘭の花芽を眺む雨あがる朝の砌に鉢を並べて |
蛭子 充代 高知 |
暫くを市場はなれて居し吾は体調よき今朝長靴を履く |
吹き上ぐる浜風寒き魚市場老い深む吾が身をしいたげて |
奥野 昭広 神戸 |
改装のなりて明るき理髪店鏡の中の吾の若やぐ |
届きたる満一歳の子の写真少し気取った表情見せて |
中川 昌子 奈良 |
草引きを怠けし庭の片隅のはこべは夕餉の一品となる |
ひねもすを冷たき雨の降る庭に目白の番が来て飛び交いぬ |
林 春子 神戸 |
見はるかすビルのあわいにきれぎれの低き虹立つ雪のあしたを |
向きあいて熱き茶を飲む明日より後期高齢者になるわが夫と |
春名 重信 高槻 |
商いの店をたたみて吾が家に来たる娘の口数少なく |
売り上げのさがるを嘆きつつ汝は材料の菜を背負いて帰る |
樋口 孝栄 京都 |
四百坪の己が庭にて粘菌を究めし熊楠の木々さびれゆく |
竹ペンをとがらせ小さき文字書ける粘菌ノート近々と見る |
平岡 敏江 高知 |
地面より抜き出る大根を力こめ引くに動かず囲りを掘りぬ |
庭に来る尉鶲のため向日葵の種を撒きおく日の暖かく |
阪下 澄子 堺 |
足裏に畳のきしみ感じつつ藺草の匂う部屋内あゆむ |
大腸のカメラ検査の特別食終えて夫はため息をつく |
沢田 睦子 大阪 |
乳のみ子を片手にかかえ妹にママ逝かないでとすがりつく姪 |
四人姉妹われらの自慢は一たびもけんかをしたる記憶なきこと |
杉野 久子 高知 |
老いづきし夫は蜜柑のひと山を後継者無きゆえ捨てると言えり |
春休みに祖母と遍路に来しという小学生は新しき袈裟をかけおり |
高見 百合子 美作 |
庭先に古枝をひろげる紅梅の花芽を濡らしてそばえ降りくる |
馬鈴薯は箱の中にてひょろ長き芽を絡ませたり疾く植えるべし |
津萩 千鶴子 神戸 |
蕾より花のひらくを朝毎に仰ぎし木蓮のはや散りはじむ |
クロッカスは犬に踏まれしままに咲く根元に小さき蕾を持ちて |