平成21年1月号より

 

            選     

 

桑岡    孝全          大阪
金属の玉疾駆する音たかき店頭はビニールのもみじのさかり
なにごとぞ老いて読み返す「地獄変」に拙く厚き化粧を感ず
涕泣の数分間は熟睡の一夜がほどにこころ癒すという
箸つかずの魚捨てるのを美徳とする驕慢のゆくすえを思うよ
半世紀まえは山住み摩尼(まに)村へも花坂村へも徒歩(かち)にてゆきて
鉄砲の殺生起因の夜盲症とうわさをされし大叔父ありき
くたぶれて心萎えたる老いぼれと知れるか女性に席を譲らる
井戸     四郎          大阪
去年より弱ると思う金木犀今年の花が清しき香りす
弱りたる金木犀が花付けて夜はかすかな香を放つ
降る雨に長く伸びたるほととぎす散りゆく花の側溝に流る
遠く来し関門海峡トンネルの今日は歩行者通行止めなり
門司港駅に車椅子借り我が妻に押されて海峡遊覧船に乗る
何年も思い来し関門海峡大橋近づき見あぐ遊覧船より
海峡の潮に揺るる遊覧船大橋を見上げ舳先を反す
土本     綾子            西宮
草引けば草に埋もれて咲きおりし匂いすみれの花ふるい立つ
あらためて誓えることもなきままにはや一とせの過ぎなんとする
人づてに聞きてかなしむわだかまり解けざるままに世を隔てたり
忘れたる人の名今日は案外に早く甦りそれのみに楽し
疑うを知らずおろかに従いし悔いよみがえる敗戦忌また
終戦というは体裁をかまう呼称まぎれもあらぬ敗戦なりき
            高  槻  集
竹中     青吉               白浜
米豊作山の木の実もゆたかならん椋の実に騒ぐむく鳥の声
椋の木に椋鳥ホルト樹には鵯それぞれの領分を侵すことなし
つやつやし栗の実椎の実を前によろめく我は縄文人か
長谷川     令子            西宮
聖火消え次はロンドンと声高し覚束なきや我の四年後
亡き母の面影を見る思いありし伯母百二歳のみ命終わる
小さきに南無阿弥陀仏と彫るのみの伯母のみ墓に蜩の声
岩谷     眞理子            高知
名を記すリストバンドをつけられて今日より患者の一人となりぬ
紫のペンにて主治医のわがために画く手術部位右胸にあり
痛みなく抜糸終えきて病室より夫に弟にメールを送る
 
                     1 月号  作品より         (五十音順に順次掲載)
安藤     治子             堺
生まれたる大正の記憶は僅かなり恋しみて夢二版画展に来つ
吾が内の大正は何ナフタリン入れて保てる四つ身一枚
井辺  恵美子            岡山
竹藪に群がり生うる釣舟草今年も同じところに咲けり
人住まずなりて久しき隣屋の庭に柘榴の赤く熟れたる
 伊藤 千恵子           茨木
夫と共にこのみ仏にあいし日の心に長くありてひとり来つ
み堂出でて休らう池の辺花終えし蓮は茎直く水面より立つ
池上     房子             河内長野
食卓より見ている庭の草むらに猫が雀を殺むるところ
身に宿るものはその身を守るとぞ大腸菌蛔虫真田虫すら
池田   富士子            尼崎
父よりも厳しくありし兄なりき復員のあとさらに無口に
戦場より持ち帰りたるぼろぼろの手帳に兄のみじかうた残る
石村     節子              高槻
すがれたる蓮のかたえにハシビロガモ既にきたりて泳ぎていたり
閲覧室に手にせる本の古き短歌若き日に読みし記憶蘇る
上野  美代子           大阪
姑のせし遠き記憶をたどりつつ頂き帰りし芋茎煮ている
子の帰省に今日は夫と貼りかえる気にかかりいし障子の破れを
高島     康貴             阿波
たたなわる鯖雲に朝の茜差し日帰り旅に妻と出で来つ
高速道より眼下に大塚美術館見えて睡蓮の池は秋寂れおり
高間     宏治            小金井
空爆に瓦礫と化しし工場跡友と呆然と眺めたりしか
軍国少年と言えど銃持ちし行軍に友より早くわれはへばりぬ
中川     春郎            兵庫
難聴の患者の耳へ大いなる声を出して話し掛けおり
不整脈それのみ強く気にかけて日毎に来る患者のありき
中谷   喜久子          高槻
訪ね来る者の一人もなき昼を焼むかごなどつくりて過ごす
落葉のいくらか早き花水木朝々掃くに朱の実まじる
中西     良雅            泉大津
商人の家に育ちし古妻は一日は赤飯の習い今もつづけり
小豆食うは体によしと妻は言い一日の習い五十年続けぬ
並河  千津子           堺
雨あがりの入日に向い歩むときこの荘厳のわが身をつつむ
幼きより親しみ来たる蓮池は蒲生い茂り水面の見えず
南部     敏子            堺
宇治橋に来て見下ろせる水の面に動かざるもの網代木と鵜と
指移しにもたせくれたる蜻蛉の身かなしきまでに赤くか細く
尼子     勝義           赤穂
朝に飲みし薬の数を忘れたる母に付き添う待合室に
診察室に医師と向かいて座る母丸き背中はいよよ小さく
安西     廣子           大阪
母吾の来ぬ運動会をさびしとは聞かざるままに子ら育ちたり
雨残る朝を出でたる勝手口早く今年の木犀匂う
 井上 満智子         大阪
赤飯持ちて介護ホームの姉を訪う九十七歳の今日誕生日
時どきに姉の記憶の確かにて今日は妹我が判りぬ
上松     菊子           西宮
八年を見舞いに通いし道行きぬ今も尚母おわす思いに
黄ばみたるゴーヤが一つ残されて高く伸びたる蔓の先に揺る
馬橋     道子           明石
波板の屋根張り替えし物置に幾十鉢の蘭を納めぬ
ばっさりと枝落したる柊の小さき白花数多こぼれつ
梅井     朝子           堺
集うたびきたらぬ一人また一人十年をすぐる忌の法要に
夜を待たず五分ほど咲ける月下香どこかおかしき一花まじる
戎井       秀            高知
幟はためき波切り進む神輿船祭太鼓を打つ音きこゆ
沖合に神事終えたるみこし船近よる供船に白酒(しろす)を分かつ
大杉     愛子           美作
熊除けのラジオを鳴らし夜の間に食われて残る栗を拾いぬ
年々に花咲きたりし百合の根を一夜に猪の食い尽したり
奥嶋     和子           大阪
リクルートスーツをまとい面接に行く娘四十帰国果して
照れ笑い見せつつ搬送さるる夫手術は無事に終れりと見ゆ
岡        昭子            神戸
秋雨のふる日をこもり久々に絵筆を取りて紙をひろげる
同じもの着用して待つ人間ドック優しき声のして立ち上がる
川口     郁子             堺
再入院を医師に告げられ我が夫は玉葱の種蒔けぬと嘆く
縁側の下と風呂場の焚き口にトーンの違うコオロギが鳴く
神原     伸子             堺
九官鳥の声に覗けば逝く前に遣りたる餌か多めに残る
目の手術より日数経て秋空を美しと見るみどり子の如
阪下     澄子             堺
家にいて吾を呼びしに姑の声耳に残りて払うすべなし
今日も一日姑の訴え聞くと決めヘルスバンドの紐を強くす
佐藤 千惠子            神戸
仏壇に留守にしますと手を合わせ光差し入るカーテンを閉ず
スタンドより左の腕を吊されて術後の姉はICUにあり

 

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