平成21年4月号より

 

            選     

 

桑岡    孝全          大阪
今上は今日より後期高齢者われにひと月おくれたまいて
ロージンセー痒みが腰に兆せるを知らぬ顔して地下街をゆく
緑児の毛糸のソックス片ほうがまた落ちているそういう季節
弟の干支の丑の年がくる六十九歳にて世を去りしかど
いとおしといたましとのみ思うにもあらずさきだちゆきし弟
高野山熊谷寺裏の百戸集落褻(け)の日に化粧するはなかりき
舌を焼く茶粥が朝餉にてありし山村の冬の記憶とおそく
 
井戸     四郎          大阪
夕まけて十日戎の賑わいのつたわりて来る家居る窓に
悪天候続く予報に家近き今宮戎に早朝を詣ず
朝早く吉兆のつく福笹をささぐる人に混じり詣でぬ
福笹をささげて夕べまかりくる人のさざめく吾がかど前を
福笹に素早く吉兆をつりさぐる商売繁盛のかけ声かけて
色しろき千早のそろう福娘かけ声高く吉兆を囃す
吉兆をかざる福笹を囃す前声に合わせて宮に詣でぬ
土本     綾子      西宮
幼子を伴いて移り来し日より五十年の交わりおろそかならず
またたきの五十余年と思えどもかの頃の幼らは祖父母となれる
さしなみの三たり連れ立ち接骨院に通う折りふしの会話たのしみ
次つぎに記憶あやうくなる人の増ゆるとケアハウスの現場を伝う
彼岸には待つ者多く居るゆえに死を怖れずと友のあかるし
長生きは肩身の狭しと思う世がそこまで来ているごとき予感す
医院を出で冬日あかるき並木みち今日より薬が一つ減りたり
        高  槻  集
小泉     和子            豊中
何の照射浴ぶると知らず横たわり肌着を透きて温もり覚ゆ
胸骨を数うる技師の指とどめわが鳩尾に印つけたり
まっ白な方形の部屋に仰臥して命をのばす治療受けたり
一匙の汁さえのみど通らざる今宵の膳の病食悲し
春名     久子            枚方
心電計直(すぐ)となりたる病室にさむざむとせるしじまのありぬ
子の編みし愛用の帽と戦友の手紙おさめて柩とざさる
茫々と日の経る思い街路樹の槻の大木のなべて散りたる
デパートにお節の見本ならべあり一人のわれの歳晩のくる
松浦     篤男            高松
癩われが存るゆえ苦労極めにし母は五十五歳にてみまかりき
休まる間とてなく逝きぬ十二人子をなし七人を育てたる母
五十年経つつ思ほゆ癩われを残し逝けぬと言い給いし母
罪のごと屠蘇を祝いぬ不具われが母を三十年越えて生きつつ
       4月号   作品より    (50音順に掲載)
菅原     美代            高石
売れもせぬわが茶碗花器いつまでも置きくるる店との長き係わり
親たちの知らざりし時を生きている一日一日をすくうごとくに
田坂     初代            新居浜
氷雨降る寒き朝なり「帰ったぞ」玄関に立つリュックを負いて
戦中の苦しみ言わぬに一度だけ腕すれすれの弾丸の事
高島     高貴            阿波
裏戸より非常開扉の処置の後廊下に昏睡の婦人見出でし
苦痛なき死を幸せと葬送の謝辞述べましし心思えり
高間     宏治            小金井
「介山」の名付けし白骨の湯に浸り遠世の人のごとく寂しき
雪残る山の出で湯の冷え早く湯気は裸木に届くことなし
竹中     青吉            白浜
背丈超す流氷が近年来なくなった北国より遥々暖冬の年賀
悪筆を隠すに都合の機械文字個性なき年賀状もめでたし
中川     春郎            兵庫
西山の冬枯れの木に照らしつつ十五夜の月は沈みゆきたり
寒行の労苦を語る僧ありて注射を打ちて帰りゆきたり
中谷  喜久子           高槻
割烹着はずせば外出かと問える夫との暮し六十年経る
嫁ぎきて六十年を祝ぎくるる中に妹の亡く弟の亡し
並河  千津子            堺
腰痛にも仕事休まず帰り来て疲れはてたる子の白き顔
小豆粥七種粥も子や孫の好まず今年炊かず過ぎたり
西川     和子            広島
私には夢があると繰り返すキング師の声テープより聞こゆ
繰返すYes,we can.言霊となり黒人の大統領を生み出し得たり
野崎     啓一            堺
海の彼方の国はオバマで輝くにこの国寒し冬夕暮れぬ
やすらけく命生きんと恋い願う軒に明るき春呼ぶ雀
中川     昌子            奈良
春蘭の一寸ほどの花茎のふくらむを見る元日の朝
寒の畑に鍬打つ人の傍近く鵙は蚯蚓を狙えるらしき
名手     知代            大阪
友の眼も老いづくと見ゆ届く手紙罫広くして大き文字なり
納豆売り豆腐屋の声に目覚めにし小日向台町二丁目恋おし
中原     澄子            泉佐野
吾が夫は大晦日にも歩数計携えていづリュック背にして
四世代集い餅つきする習い八十七歳の母在りてこそ
林       春子             神戸
水銀のごとく光れる海遠く窓辺を細かき雪の落ちくる
本殿と鳥居を分かち貫ける県道のあり平野八幡宮
樋口     孝栄            京都
レポートの課題に訪ぬる諸兄の墓供花の蝋梅淡き香りす
還暦を迎うる夫は学生の寄せ書きされしシャツもらいきぬ
平岡     敏江            高知
新年の港に繋ぐ漁船には竿竹に餅と短冊を飾る
退職せる夫は魚釣りたのしむと買いたる船を丁寧に磨く
藤田       操             堺
手術後を初めて帰省せる娘また一回り小さくなりて
昨日来て雪を眺めていし孫の両の手の跡ガラス戸につく
安田     恵美            堺
落葉木の多きに気づく一画の枝のまばらに透くる夕焼け
正月二日の工場群の煙突が澄む青空へ蒸気を吐けり
岡       照子             神戸
とりたててあらたに願う事もなくおとそいただき祝膳につく
昭和はじめの暮し描けるカルタ札みつつわれらの話の弾む
川口     郁子            堺
この家のピラカンサの実はもうないよ仲間にしらすように鳴く鵯
土曜日のチラシの多き朝刊を階段に積み一階より配りき
神原     伸子            堺
雪止みて靄晴れたれば真向うに表大山の冠雪迫る
飛騨川の谷の早瀬の逆波を跳ねつつ上る稚魚のひと群れ
阪下     澄子            堺
車椅子に乗りて施設に向う姑の振りかえるなく吾は手を振る
堂々と年を取ったと坐りいます写真を入れて恩師の賀状
佐藤  千恵子            神戸
会いたしという代筆のとどきたる二日ののちに友みまかりぬ
幼子をすっぽり胸に抱く袋を若き母親スリングと告ぐ
沢田     睦子            大阪
雨あがりぬれた墓石をぬぐう時よみがえりくる夫のしぐさが
こごゆる手に布巾をもちて墓石ふく夫がいた時二人でした事

 

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