平成21年7月号より

 

            選     

 

桑岡     孝全               大阪
七十(ななそじ)にして知るひとつたびまねく霜をこうむる菠薐草の美味
ひそやかに誌面より去る名のいくつよわいの事は致し方なく
いたずらに伸びて眼を刺す眉ばかり土屋文明の域にあるらし
スリッパのまま帰ろうとしておりぬ内視の麻酔醒め難くして
花終えて立つコブシありユトリロに似るみずいろの独身寮に
井戸     四郎               大阪
沈丁花の小さき一鉢なかなかに蕾開かず春一番吹く
救急車に運ばれ齢相応の脳萎縮の診断思い出だしぬ
脳萎縮宣告されてより幾年か物忘れ多きは関係ありや
庭先に増えて咲きたる貝母の花家出ぬ吾に持ち来たまいぬ
庭に咲くXマスローズ菜の花と水仙貝花束にし賜る
細き枝に土にするまで垂れて咲く八重の椿をみ仏に切る
耳疎くなりたる吾は花の下連歌会記事の写真羨しむ
土本     綾子          西宮
まだ吾に出来ることあるよろこびにミシン踏み孫のズボン繕う
久びさにミシンを踏めば手に足によみがえりくる感覚のあり
少女われに父母の買いくれしこのミシン狂うなく七十年を保てり
大八に運ぶ嫁入りの荷の中の一つ宝なりきシンガーミシン
防空壕に入れて保ちし日もありてわれと共なる七十余年
電動に惹かれ求めしは一度ならずされどこの足踏みに及ばず
ジーパンの修理上々とりなでて孫はいく度も声によろこぶ
                   
南部     敏子         
集いを避け独り居好む子でありし家族のみ寄り三回忌なす
足癒えて階を昇れば汝が部屋に元気出せよと遺影が笑う
はじめての足には邪魔とばっかりに小さな靴は脱ぎとばされぬ
昼すぎの春日の路地にみどり児の主張笑ましくむきむきの靴
増田     照美          神戸
若き日のわが父母をよく知りて語りくれにし人のみまかる
久々に語り合いしは三月前またの出会いは果たさず逝けり
法要の帰りを携え語りにき酸素ボンベはわが手に引きて
波の音聴きつつ思う年長く住む者のなきふるさとの家
松浦     篤男          高松
わが癩ゆえ失意の果ては若く亡き母の五十回忌に遇うは罪かも
交通事故の妹口惜し七人のはらから法要に揃いしものを
六人の弟妹人並の幸得たりわが癩ゆえの疎外に耐えて
木材不況いつまで続くか過疎進み故里の山荒れゆくを見る
                7月号  作品より    (50音順)
山内     郁子         池田
飲む水のなき国びとへ百円の寄付をしたりぬ水の日の今日
満開のままに伐られぬ建て直すみ堂の敷地にかかる三椏
山口     克昭          奈良
難手術かホスピスかとの告知あり後を選びて四月在りたり
見送りの視線背にあり振り向かず角曲がりたり振り向き得ざり
山田     勇信          兵庫
春雷の去りてゆきたる暮れどきを置きやる餌に鵯のめざとし
昼に見し瑠璃鳥夢に現れて先立つがごとわが前を飛ぶ
横山     季由          奈良
残る一年になし得ることも限られしと佇む花蔭昼ひとときを
あこがれて待ちし定年も近づけばそこはかとなくこころうち寂し
吉田   美智子         
花仰ぐ人にまじらい花の下美容院へ髪切りに行く
卓の上のあやめの花びら震わせて自衛隊ヘリの編隊が飛ぶ
吉年   知佐子          河内長野
朝の窓明くる彼方の山の端に黄砂にかすむ太陽のぼる
古きノートに遺れる夫の筆跡をしみじみと読む戸棚の前に
      宏子           大阪
何時までも健やかにあるはずのなき海馬を思い机に向う
机椅子共に亡き夫の贈物古びゆくのを子は買い替えず
津萩   千鶴子          神戸
住民の運動ありて残りたる楠に幼き鶯の鳴く
新しき街灯つきて我が庭の柿の若葉を夜通し照らす
鶴亀   佐知子          赤穂
曾祖母に捧ぐとバイオリン習いたる小さき指に弾く音の慥か
病む床よりわれに指示して育みし夫のシンビジウムの花咲く
戸田     栄子          岸和田
窓のレースに映る緑に眼をすこし休めて吾の今日がはじまる
リフォームして二年で逝きし妹の家の畳は未だ青々
中川     昌子          奈良
肥後菫の白花に寄る心憂きニュース伝うるテレビ見てきて
人影の無き田の畦に芹を摘む時折雉の声のみのして
中原     澄子          泉佐野
週明けて出勤の夫出でゆけば窓開け放ち吾が時を持つ
輪に坐して子等の事など語り合う桜の下に顔の明るき
       春子          神戸
タッチの差にエレベーターは昇りゆき下りてくれば夫の出でくる
あじさいの枝の緑の繁りきて三とせののちという花待たる
       昭子          神戸
棕櫚の枝をもちてキリスト迎えしとう聖書にならい吾等行列す
小学校のかたわらをゆく散歩道給食調理室の匂えり
川口     郁子         
壊れかけの娘夫婦の鎹の幼き兄妹の心を思いぬ
夫作る野菜は何故に硬いのか内緒にて買う特売大根
神原     伸子         
救急車の置きてゆきたる老婆にてどこが悪いと問えども言わず
点てくれる元明時代の茶碗とて頂く手許ややにふるえて
久保     和子          西宮
けやき若葉萌えたつ園に媼三人清掃をせり朝光のなか
春のコート風に靡かせ街ゆけば銀杏並木の芽吹きととのう
窓のかなた入江に二艘の白い舟日差しあかるき五月となりて
阪下     澄子         
中空に月ある夜の池を巡る満開近き桜仰ぎて
春休み少し残して帰りゆく子の車今瀬戸内の上

 

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