平成22年2月号より

 

            選     

 

     桑岡     孝全          大阪
ひつじ田に夜来の雨の降りたまる今日をあやうきわが季節感
立食いの店にゴチソウサマという老人はわれのみにもあらず
にいどしの歌稿遅きを訝しとせしころすでに世に在さざりき
すっかりよくなるのはまだまだのようですと記す葉書が吾に遺さる
その鼓膜と着衣を損うまでは到りしヒトラー暗殺最終の首尾
ウラジミール・イリイチに似る白人と共なる地下の一駅区間
寺院御礼付家族葬二十五万円なる車内広告メモしておこうか
         湧  水  原  (35)           
桑岡       孝全            (陶磁美術館旧事)
淀川のわんどの消えてほろびゆく魚をかぞうる未明のラジオ
川なかの島に立つ陶磁美術館耐震展示の工夫のいくつ
三彩五彩見つつきたりて青と白すずしき碗と盤に立ち止まる
唐代のおとめの俑の豊満を見よと回転する展示台
(へい)ひとついともあたたかき灰色をただ立ちて見て時過しけり
コバルト顔料輸入絶えし洪武帝時代の灰色の盤もよきかな
象牙の材に白き兎を浮き彫りにしたる鼻煙壷富み人のあそび
壷にしまう粉末を鼻に吸いし世に受動喫煙の難はなかりき
唐三彩の獅子のおきもの獰猛と見ゆるは対(つい)のかたわれを欠く
くちばしよりけむりののぼるつくりにて高麗青磁の鴛鴦香炉
かなしみのはてのうつけの面差に青磁の羅漢の首ふたつ据う
筆筒を紙筒を磁器につくりたる李朝文人の書斎しのばゆ
水上バス窓すれすれに青川波つぶさに見れば芥散りぼう
      以下の 湧水源        伊藤  千恵子  選
 奥嶋       和子          (雲南の旅)
カテーテル手術を三度経し夫とまた携うる中国の旅
眼下の闇に閃く稲妻を見つつ飛びゆく先は昆明
文化革命下放に遭いし青年ら来り拓きしゴム林多し
予備となる酸素ボンベを購いて最高地点踏破を試む
尾瀬に似る木道を辿り踏むしばし標高三千八百Mときく
奥野      昭広             (日本最北の地)
風強き宗谷岬の水楢の林はなべて地を這う如し
牧場に上水道の引き込まれ宗谷黒牛飼育されおり
広がれる宗谷岬の牧場に牛に混じりて鹿のたむろす
浜木綿は枯葉の中に朱の実を保ちておりぬサロベツ原野
農作物は船をたのみて五千人が暮すといえりここ礼文島
白杉     みすき             (甲浦にて)
砂の上にこまかき波の跡見えて土佐の浦廻は引き潮のとき
マイマイやトコブシにまたヨメノサラ故里を偲び拾う貝殻
故里の浜に見ざりしさくら貝一つ拾いぬ遠くきたりて
打ち寄せておもむろに引く波の音補聴器忘れた吾に聞こえず
珊瑚礁守らんと土地の少年ら潜れる姿たのもしく見ゆ
津月       佑子            (若狭中山寺)
九十六歳の生涯を終えし伯父なりき僧職にありて歌を詠みにき
馬頭観世音在す若狭中山寺に住して浩宮殿下を迎えし
父よりも十四年長く生きましし伯父の誦経の耳朶に残れり
長谷川    令子             (夏の日々)
ますぐなる富良野への道草叢にまじりて咲けるラベンダー見ゆ
どこまでも白と紫のジャガイモの花続く丘風柔らかし
寺庭の茂みは増しぬ並びたつわがみ祖らの石覆うまで
子の庭のおどろに実る西瓜にて甘きを供う精霊棚に
大阪城の上に半月かかりつつ熱気のよどむ街帰りつく
春名      重信             (交わり)
アカシアの並木戸通りの辻々に露店のありて人の行き交う
公園に老師の二人身構えて舞うは拳法息を荒げて
うす暗ききざはしの上廃れたる学校に覗く黒板ひとつ
増田      照美             (北海道)
枯れ色に折れ臥す草のあわいより新芽勢うサロベツ原野
湖に居残る二羽のコハクチョウ鴨に混じりて餌を啄ばむ
立ち並ぶ発電風車稼動のときサハリンを望む岬に居りぬ
高きより落ちくる滝のいきおいに枝葉奪われ太き幹立つ
嵐にてアザラシ二頭さりしという囲いの中に藻の茂りたる
松野    万佐子            (防風林)
淡きみどり遠くつずきてアスパラの細き葉を打ち霧雨のふる
牧草の畑つづきて防風林途絶えるしばし地平線見ゆ
塀のなき広き畑の中にして出獄近き人の麦刈る
白波の高きかなたにうっすらと雲かとまがう樺太の見ゆ
森本      順子             (震災)
占いによりてその名を改めし友は家屋の倒壊に逝く
家跡に花を手向けし日の遠くあなたの孫は中学生です
かの地震の大き落石いくつかが苔むしすでに谷になじみぬ
山口      克昭             (泥む)
日捲りにて用足る吾に電波時計下さるがあり始動を見守る
月の夜を芋煮て吾らに食わしめし師の若かりき共に乏しく
形どおり警笛ながく発ちゆけり村はじめての献体を載せ
人垣の間(あわい)に入りて近づきぬ殿様宰相作の陶壷
貴種出自如何ともしがたく顕われて古色帛紗に座する手捻り
横山      季由             (諏訪の三日)
木曾谷を流るる川に湧く狭霧山の傾りをふきのぼりゆく
踏切越え坂をのぼりて高木村古き街道を辿る昼過ぎ
花の時終りて実を結ぶ二人静梅雨の晴れ間の柿蔭三房の庭に
吾が背丈を越ゆる馬酔木の影のさすみ墓の文字は百穂が書きし
野の花を集め手向くるみ墓のまえ諏訪の湖(うみ)より吹く風凉し

 

 

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