平成22年6月号より

 

            選     

 

桑岡     孝全

ふるさとの春日に歩む外套をくしゃくしゃにして鞄に入れて
小学同期のタジマくんこたび高野山第五百十一世法印猊下
ああむやみに道をひろげて鳥の声とぼしくなれる故里をゆく
近江石田に出でし藤原朝臣三成の名乗りを奥山の経蔵に残す
七十年版をかさねておもむき蒼枯活字大いなる般若心経
杉落葉赤く散り敷く奥津城をきよむるいとまなく今日は去る
かばんからこぼるる小物二度までを教示さる老の一日の旅に
                湧   水   原       (36)
 
桑岡     孝全        〈   ZOO   〉      
動物園でも見て帰らんか日展に予想のごとく退屈をせり
猛獣のたぐいだらりとながまれる弥生の園の昼さがりなる
かこわれて園に死すべき禽獣を見ているヒトを吾は見ている
物を食いおさなきものをいつくしむ人のあふるる春の獣園
甲高くワライカワセミ鳴きたててその名うべなう少年のこえ
いささかのドグマをいわば日本産雉はまさしく日本のいろ
性質遅鈍とりわきて視力覚束なき犀と聞きおよび眺めている
ペンギン目を一括の目安飛翔不能が肝どころぞと檻に注記す
流麗ともいわん拳措して水にありアシカはまこと悪声ながら
近辺の道にしばしば耳にせるアシカの声をじかに聴く今日
フラミンゴ群れて立ちたり無機物めく長く直なる脚一つにて
砂の上の飢渇をもはらしのぐべき身とつくられしこの四足獣
                  以下   伊藤  千恵子  選
長谷川   令子         〈   紅葉の頃   〉      
聳え立つ石塔の基壇に刻まるる如来の像にコスモスの影
夕光に映ゆる紅葉の下蔭の冷えくる中に地蔵のおわす
木々覆う中の小さき石仏は枯葉に埋められゆくところ
筆あとに力強さと優しさをわが見る藤三娘楽毅論
トルコ石西アジアの琥珀ちりばめて唐の鏡の今に鮮やか
茜色褪せて残れる裳に思う細かき襞をゆらしし歩み
胡人らの宴や狩を生き生きと描く紫檀の琵琶艶やかに
興じにし人らの声を聞くごとし象嵌細かき桑の木の碁盤
春名     重信          〈   追懐   〉      
陸軍にてありにし父の軍服を夏の日当たる軒先に干す
残さるる飛白のもんぺ日に干して母の名を付し土蔵に仕舞う
軍帽を頭へのせて挙手の礼父の遺品に次兄のあそび
敗戦を伏して聞き入る大人らの間末席に居きおぼろに覚ゆ
七歳のわが背負いにしこの鞄縦に罅割る木肌の如し
森本     順子           〈   芦屋の山    〉      
何百回登りし山か我がいまだ知らぬ小径の数多くあり
市街地を海をみおろし登りゆく山ももの実の少なき言いて
物音に仰ぐなだりの木々の間を猪は思わぬ早さでかける
西宮と芦屋を境う尾根下る夙川源流七曲り谷へ
地震より水脈変わり宝泉水陽明水の枯れてしまいぬ
山口     克昭            〈   秘儀   〉      
霜枯野谷田にそいてぬかる途猪(しし)の足跡窯場に近し
手本なく自ら作る土の猫狙う形が意志を持ちあり
湯沸しと畳一枚設えて窯場の夜は全世界たり
十年を経る松薪になお脂の吹きつつありて闇に匂えり
青黒く窯場に迫る山の端にオリオン星座巡り来にけり
温度計(メーター)をたよりに薪投げながら人の知超ゆる変化(へんげ)を念ず
明け方の谷静まりて窯と吾ひととき呼吸相重なりぬ
窯出しの伏目勝ちなる小仏にのこる温みをもろ手に包む
       推奨問題作   (22年4月号)      編集部選
                現実主義短歌の可能性拡大をめざして 
川田     篤子   
同窓会終わり泊まれるビジネスホテル我ら幾人実家の絶えて
坂本   登希夫
千二百の英軍囲むに夜の沼沢を首まで浸りひそかに歩く
満月の光をかくす雨季の雲沼沢歩き敵中を脱けつ
坂本     芳子
地下足袋のまま空襲下岡山へ我を引取ると来にしおおはは
永野     正子
乗り合わす終日女性専用車ブラインド下がりて護送さながら
南部     敏子
爺さまがネットに守る枇杷の木をクレーン事もなく抜き倒す
原田     清美
十五年続けて通う百二十粁医師信じ夫の支えに保つ両眼
林        春子 
遠くからうねりのごとく吹く風に攫われそうな高層の夜
松内   喜代子
大家族の雑煮に入るる里芋の皮むきくれし舅を思う
松浦     篤男
国費なる療園ありて不具の身の八十三歳無事年を越す

 

 

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