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選 者 の 歌 |
桑岡 孝全 |
地に腹を接して涼を得るらしき犬ありにけり七月なかば |
わが挙措に向くる小言の増え来り老いづく妻に母のまぼろし |
地震列島に新幹線網を敷設するような危うさこの世のことは |
みずからの硬きするどき靴音を歩むおみなはどのように聞く |
人の見向かぬわが歌を称え下されし君の亡き世に儚くぞ居る |
冷房してテレビをつけて半裸にて夕餉する兄八十七歳 |
洗いたる手を電力で乾かしているばかありて音のかしまし |
湧 水 原 (37) 伊藤千恵子 選 |
奥嶋 和子 〈 オランダ・ ベルギー 〉 |
夫の持つ部厚き「海猿」一冊を読みて時経る長きフライト |
明日行く町の気温を確かめるベルギー語なるテレビをつけて |
ユーロ圏なれば国境は道端の青き看板に知るのみとなる |
丈低く咲くチューリップの側に桜の咲けり花色の濃く |
橋いくつ潜りて運河を巡りゆく船形住居に住む人もいて |
ヘルシンキの空よ見ゆる湖の氷上に白々と道筋のつく |
白杉 みすき 〈 斑鳩から伊賀へ 〉 |
夏霧の湧く山間を抜け来たり風光る斑鳩の里に出でたり |
はつ夏の風吹きわたる法隆寺五重の塔の水煙光る |
蕉門の遺墨短冊板壁にあまた掲げて土間の小暗し |
六畳に文机一つ据えるのみ帰省の芭蕉の起居せし庵 |
照葉樹昼暗きまで繁る道登る頭上に鳴くホトトギス |
津月 祐子 〈 川下り 〉 |
道標に京都市右京区と書かれたる道を隔てて古里に入る |
公務員になりたき一念和文タイプを夜学に習いて叶いし思う |
夜遅く蜷川知事の答弁資料ようやく届きタイプにて打ちし |
長谷川 令子 〈八十路 〉 |
黄ばみたる奉書に黒々とわが名ありその由来あり父の筆あと |
もう八十まだ八十と思いつつ一日片付け三日を休む |
笊の如く記憶留まらぬ齢なり日々探し物に時を過ごして |
何時までも存えたしと思わぬままワクチンを打ち服薬つづく |
葉の散りし枝に角ぐみ光るありかかる日は我に来らざるべし |
咲き照れる桜の下に思うかな父の齢を超えて見る花 |
花びらの重なる影も柔らかく百歳遊亀の描く山茶花 |
春名 重信 〈平城宮跡 〉 |
盛土のこの芝はらに聳えけん朝堂院の今はまぼろし |
一段と高き玉座に近寄れる古老の胸にケータイの揺る |
幟立つ大極殿の前庭にリュックを背負う異国の人ら |
森本 順子 〈芦屋の山A 〉 |
地震により七右衛門ー閉ざされて新しくなる岩穴くぐる |
荒地山より落下せし鯰石右岸の道せばめ鎮座す |
池涸れてあらわれし岩大阪の築城の際の鑿跡残る |
大地震おこりし年に米つつじ満開なりき再びを見ず |
山口 克昭 〈泉川 〉 |
信楽をすてて聖武の帰り来し渓は新茶の盛りにありき |
さまよいて父の帝が行き交いし道を見放けて和束の御墓 |
陽の上る前に茶摘の一仕事終えし村人みな老いにけり |
バス停に看板あらたに括られて「家族葬をも取り扱います」 |
大極殿の跡に寂びれる小学校森のみどりに沈みてありぬ |
瓶原に上人拓きし用水路七百年経て村を潤す |
横山 季由 〈大和し麗し 〉 |
落葉踏み孤りごころに下りゆく人麿の歌碑立つかぎろいの丘を |
西日受け甍の光る宇陀の家並ここに伊勢街道の道しるべ立つ |
富本銭作りし炉跡のたまり水に飛沫(しぶき)をあげて遊ぶ鶺鴒 |
明日香村高家(たいえ)に野火の煙立ちボランティアガイドの任終え帰る |
大極殿の復元なりし平城京址夕暮るるまで少年ら野球す |
達陀(だったん)の松明の炎収まりて闇にひと声鳴く鹿のこえ |
推奨問題作 (22年8月号) 編集部選 |
現実主義短歌の可能性拡大をめざして |
横たわりベッドに検査受くる母過ぎし年わが受けにし検査 |
岩谷 眞理子 |
午睡せる吾を訪ねてヘルパーは倒れていると見紛いたりき |
大杉 愛子 |
ビルの間に眺めて居りし観覧車に伴われきぬ母の日今日を |
奥村 広子 |
我が売りし仔牛は今は繁殖中恙のがれてうまごを産めよ |
小深田 和弘 |
めずらしくからりと晴れた日曜日カップ酒買い夫の墓へと |
沢田 睦子 |
幾度も鋏は空を切るばかり視力落ちたる夫を危ぶむ |
鶴亀 佐知子 |
食べたるを忘れ始むる長兄をいよいよ来たかと夫の嘆かう |
藤田 操 |
若者の最期を看取る当直を終えきて汝の一日つつしむ |
松内 喜代子 |
尊属の逝き給うなかただ一人世にある叔母の記憶に吾無し |
安井 忠子 |