平成231月号より

 

            選     
   桑岡     孝全
休日のひと日をかけて保育所の庭占めてゆく黄葉の嵩
ながらえて倦むうつしみや未明時の気温低下を感じつつ居し
安らかになど老ゆるなと開(はだか)りてやまざるものよ夜の夢にたち
砲声下沙上の徒死もおもえどもたまきわるわがうちの流血
生駒嶺に日いずるまえを冬ぞらの藍ふかくしてしら雲のとぶ
せりふおぼえずなりしが病の端緒という七十六歳女優の一期
おもながにくちひげ父に似通える土岐善麿をうとましとする
              湧  水  原             (38)
          伊藤  千恵子    選
奥嶋     和子             〈  鐃 鉢  〉 
緑濃き楓枝交わす蛇腹道大杉の道抜けたる先に
先生の旧き友なる法印さま作務衣姿に挨拶賜う
 鐃 鉢 (にょうはち)の大いなる音響かえり朝の御堂に数えて二十五
黄の袈裟を纏える修行の僧たちの列なして行く御山の朝を
奥山の杉の木立の位置画に先生一族の石並び立つ
探幽の襖絵よりも線描の唐絵すがしむ総本山に
佐藤     千惠子              〈  足を病みては  〉 
野菜佃煮即席麺を詰めあわせ足病むわれに届け給いぬ
深紅のバラ抱えて友の訪ねくる足病む吾に気鬱払えと
湯をさしてフリーズドライの蜆汁横着せよと友の賜る
昼食はタタミイワシと握り飯病みて籠れば質素がよろし
足をひき発車まぎわを急ぐ吾にゆっくりでいいと車掌の声す
ぶつかるように走りてきたる若者を咄嗟に躱す余裕があった
白杉    みさき             〈 榎春秋 〉
不動さんの石像ひとつ添いて立つ榎一もと佳き蔭をなす
嫁ぎ来し頃はこの木に気づくなく家事に育児に只管なりき
日と共に榎のこずえ透けきたりかたちやさしき白き雲見ゆ
いつ知らず高枝に鵯の巣くうらし優しく鳴きて実をふり零す
通るたび榎を見上げ立つわれにこの木が好きかと管理人問う
裸木となれる榎のいただきに宵の三日月寒々とあり
長谷川     令子           〈 暑き日 〉
暑き日のもと帰りきて息づきぬ応えのあらぬ只今言いて
母の残しし小さき枕にそば殻のきしむ音して昼をまどろむ
切り抜きを探しあぐねて一日過ぐ切り抜かれたる新聞を手に
三味線の爪弾ききこえくる夜は祖母の部屋には近かづかざりき
百歳の叔母は息子を気遣えり既に世に亡きを知らさるるなく
森本     順子               〈 芦屋の山B 〉
陽明水再び涸れて寂れたり憩う人なきベンチの朽ちて
しばらくを来ぬ間に小屋のオオルリが巣を掛けたりと翁の語る
高座谷に大いなる岩落下せし跡のなだりに草木の生えず
弥生人の住居跡ある会下山(えげのやま)日あたりによく海を見下ろす4
草原の再生めざし汗あえて山の仲間と根笹を刈りぬ
山口      克昭               〈 界隈 〉
広告に釣られて下見の西の京塔に引かれて住まい定めき
持ち合わす紙幣一枚を予約金業者わらいて励ましくれき
東西の塔を一重に見る高処ひそかに知りて時に見放ける
この寺の千年のちを思いやりし再建大工西岡棟梁
浪速より生駒に湧く雲平まりて伊勢路に向かい消え去りにけり
太柱並みて支うる天平の大屋根の端に陽炎たてり
      ■    推 奨 問 題 作   (22年12号)       編集部選
                    現実主義短歌の可能性拡大をめざして
安西       廣子
快き緊張感もてもてなさる作務衣の若き修行の僧に
岡部       友泰
親しかりし友の認知症知るなくて訪ねて思わぬ悔いとなりたり
遠田       寛
公園の朝ストレッチに励むあり団塊というを負える一人か
神原       伸子
耳鳴りの昼夜を癒ゆる事のなし老いの終りはかくあるものか
坂本       登喜夫
氏神の注連も九十六で最後ならんかさかさの手でてこずり綯う
竹中       青吉
今に尚海軍の手信号役立ちて妻が食事を知らせて来る
土本      綾子
杉木立囲う宿坊はサッシ窓に鍵して山の気を入らしめず
春名      久子
男性はなべて戦場へ夫なく子なく一人と媼の言えり
安井      忠子
炎天下我が皮膚爛れず衣の燃えず今日原爆の投下されし日
山内      郁子
八十七の誕生日なり一枚起請文写すのみにて静かに過ごす

 

 

 

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