平成23年12月号より

 

            選     
 
   桑岡   孝全
  腸の不調一日口唇疱疹二日ほどまずつつがなく七十七の夏
  たらちねのてのひらなしてうつしみをつつまん秋気漸く到る
  街なかにのこさるる田に穂を垂るる一枚いまだすぐなる一枚
  またひとつあきらむべしや噴門の老けて珈琲飲めなくなって
  砂糖湯とよぶべきうすき珈琲をすするよ老躯の未練ともなく
  明時にラジオを点けて切りにけり早口を聴くは疲るるよわい
  逝ける数廃(しい)となる数六十年を歌にまじわりきたる帰結に
                  高   槻   集
  安藤    治子               堺
  今年また御陵堤の彼岸花わが卓にあり友のたまもの
  田の畔に一列に赤き彼岸花足弱るわれ恋うるのみにて
  あかときの想いに遊ぶ智恵子抄の阿多多羅の空今日も青いか
  みちのくの旅に恋おしむ北上川阿武隈川を津波上りしや
  みちのくは遠野の村里宮沢賢治の童話は今も老の慰め
  九十の媼の想い許されよわれは遥けき大正の生まれ
  新藷の掘りあげて未だ湿れるを持ちくだされぬ今日九月尽
  小倉   美沙子               堺
  しっかりと来春の花芽育める辛夷の見えて夫は逝きたり
  曳きつれて受診したなら救えたと思える時期の写真が残る
  気を張りて看取りし日々の恋しかり充足というは夫ありてこそ
  世に夫の在らば語りて過ごさんに独り居の家秋の夜長し
  子の夢に幾度も父が顕つという我には一度も逢いに来ぬ夫
  なすべきを難なく終えて帰る道不思議に夫の加護かと思う
  心臓の手術を終えての字の乱れ押して義兄の励ましの文
  土本    綾子               西宮
  三度目のボランティア終えて夜行バスに帰りし孫のひたすら眠る
  現実は映像のごときものならずと石巻より帰りたる孫の言う
  三十人かかりて僅か一軒の泥を掻き出し得たるのみとぞ
  台風の兆しの風に吹かれ飛ぶ蜻蛉は蔓に止まらんとする
  てっせんの蔓にとまりて羽たたむ秋あかねここに夜を過ごすらし
  車椅子の夫の米寿を祝わんと孫子ら十人一夜を集う
  禍ごとの相次ぐ年ぞ夫の病み大震災あり宮地先生を喪う
                  推 奨 問 題 作     編集部選
                現実主義短歌の可能性の拡大をめざして
平坦の道を歩くは無意識にて少し傾斜あれば脚緊張す
  石村    節子
真夏にはバケツの水に足を漬け図面描きしは五十年前
  奥野    昭広
モルヒネの半量ほどにて眠りに入り事きれましぬ微笑うかべて
  小倉  美沙子
気の張りの隙間の緩みに忍び来るああ本当に夫は逝きたり
         〃
ベッドメーク薄きに真夜を目覚めたりセーター重ね再び眠る
  佐藤  千惠子
私が先に逝ったら困るでしょうなんとかなるさ或る日の会話
  白杉   みすき
病名も受くる手術も告げ得ずに明日から留守とメール打つのみ
  長谷川  令子
ブナの芽を食みたる熊か青み帯ぶる糞のあたらし古道の上に
  森本    順子
満月の夜は蝉の羽化多しとかわが自転車のハンドルに殻
  安井    忠子
降る雪の谿より尾根に吹き上ぐる能登越中の境の生まれ
  山口    克昭
 

 

 

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