平成24年2月号より

 

            選     
 
   桑岡   孝全
 食パンと醤油のみなる配給に飢えをしのぎし被災の詳報
 面むくみ背くぐまりたるすめろぎを見るべくなりぬ吾と同年
 だんどりをたしかむるため独語するならいわびしき七十八歳
 人言えど間々聴き難き耳となりぬ静かに無為に家居せよとか
 わがよわいかたむく日々に目の化粧(けわい)濃き少女らが巷をあるく
 煽動を拒めとヒトラーを引合に説くともヒトラーを知らぬ杯輩(ともがら)
 民衆の支持のもたらすわざわいをまた見るべしや旗を掲げて
                湧  水  原     (41)           伊藤  千恵子  選
   奥嶋     和子        〈 台湾の街  〉
 風呂掃除花手入れなど完璧にして家を出るこの旅の朝
 台湾の添乗員なる林さんの濁音のなき語りに泥む
 外貨準備高世界第四位と胸を張る台湾を支える I T企業
 日本への震災募金世界一と胸そらし言うガイドの林さん
 籾殻を焼きて肥料にするらしき自然農法営む多し
 交差点の先頭を占め数十台のバイクが並ぶ台湾の街
 九州の広さに二千三百万が住む住宅難は大きな課題
 戦死者を祀る大きな忠烈忌の衛兵門に微動だにせず
 何よりも夫に似通う布袋像しっかりカメラに納めておきぬ
 ホテルには忘れず枕銭を置きてきぬ50元硬貨一枚
   津月     佑子        〈 甲子園 〉
 甲子園の観戦われとゆきたしと孫よりの電話七月の終り
 久ぶりに訪う球場は蔦なくて新電光板に椅子はゆったり
 浜甲子園に歓声聞こえしことありき幼二人を育てたりし地
 夫逝きて六年目に半壊の被災者となりて厳しきローン終了
 甲子園より移り住まいて四十年夫の二十五回忌目前
   森本     順子       〈 南八ヶ岳 〉
 岩稜の険しき南八ヶ岳子に伴われ縦走をする
 沢沿いの道のケルンにつぎつぎと石積む孫の足取り軽し
 明治の世の遭難の碑は苔むして名前の下に霊神と彫る
 美濃戸より赤岳頂上標高差千百余メートル急登つづく
 森林の限界過ぎて赤茶けた岩場のつづきハイマツ茂る
 網板の階段つづき岩盤をくさりにすがり地蔵尾根行く
 眼下には赤岳鉱泉行者小屋山間にその灯を点す
 仰ぎ見る赤岳頂上の小屋の窓灯おぼろに霧ににじみぬ
 山小屋に重ね着をする九月末窓の外には霰降り出づ
 気圧により袋ふくらむポテトチップ孫は妹へ土産にと言う
 明け方にのぞく窓より三日月と北斗七星くきやかに照る
 雲海の中に富士山見下ろしに霜柱たつ道なずみゆく
 浮き石を一歩一歩と確かめてまた岩つかみはい登りゆく
 岩礫のなだり鎖にすがり行く頂上小屋の建つ北峰へ
 いくつもの峰の岩場は入りくみて鎖と梯子断続をする 
 鎖場をすぎる度毎孫は言うここから落ちたら絶対死ぬね
 花街道とよばれるところ季節すぎし九月末風寒く吹くのみ
 草や木のなき硫黄岳道標をかねるケルンをたどりつつ行く
 足元の近くを恐れず岩ヒバリ羽根ふくらませ岩礫をあさる
 シラビソの樹林の中に山小屋の青き屋根見ゆ夏沢峠
 たどり着く夏沢鉱泉切株に登山靴ぬぎ足を休めぬ
 花のなき山登り来てトリカブト咲き残れるに心をよせる
        ■  推奨問題作   (23年12月号)     編集部選
  看護師に点滴中と注意され去りてきにしが別れとなりぬ
   大杉  愛子
  逆様に見ていた地図を正されてやっと息子のアパートに着く
   奥嶋   和子
  子の夢に幾度も父が顕つという我には一度も遇いに来ぬ夫
   小倉   美沙子
  車椅子にのせたる母を陽にいだす九十三の誕生日今日
   坂本   芳子
  妹は甥がソマリアへ海賊の見張りに行くとメールをよこす
   澤田   睦子
  三度目のボランティア終えて夜行バスに帰りし孫のひたすら眠る
   土本   綾子
  青年の昔自転車を押しながら登りし八丁谷への壇務
   高島   康貴
  妻亡き後を料理ならいし利一さん惣菜を孫達喜ぶらしき
   森田   八千代
  施餓鬼会を営み終えてわが寺の庭濡らす雨一人見ている
   山内   郁子
  くさめして残暑終ると推し測る我が長年の秋アレルギー
   安井   忠子

 

 

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