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| 選 者 の 歌 |
| 桑岡 孝全 |
| 食パンと醤油のみなる配給に飢えをしのぎし被災の詳報 |
| 面むくみ背くぐまりたるすめろぎを見るべくなりぬ吾と同年 |
| だんどりをたしかむるため独語するならいわびしき七十八歳 |
| 人言えど間々聴き難き耳となりぬ静かに無為に家居せよとか |
| わがよわいかたむく日々に目の化粧(けわい)濃き少女らが巷をあるく |
| 煽動を拒めとヒトラーを引合に説くともヒトラーを知らぬ杯輩(ともがら) |
| 民衆の支持のもたらすわざわいをまた見るべしや旗を掲げて |
| 湧 水 原 (41) 伊藤 千恵子 選 |
| 奥嶋 和子 〈 台湾の街 〉 |
| 風呂掃除花手入れなど完璧にして家を出るこの旅の朝 |
| 台湾の添乗員なる林さんの濁音のなき語りに泥む |
| 外貨準備高世界第四位と胸を張る台湾を支える I T企業 |
| 日本への震災募金世界一と胸そらし言うガイドの林さん |
| 籾殻を焼きて肥料にするらしき自然農法営む多し |
| 交差点の先頭を占め数十台のバイクが並ぶ台湾の街 |
| 九州の広さに二千三百万が住む住宅難は大きな課題 |
| 戦死者を祀る大きな忠烈忌の衛兵門に微動だにせず |
| 何よりも夫に似通う布袋像しっかりカメラに納めておきぬ |
| ホテルには忘れず枕銭を置きてきぬ50元硬貨一枚 |
| 津月 佑子 〈 甲子園 〉 |
| 甲子園の観戦われとゆきたしと孫よりの電話七月の終り |
| 久ぶりに訪う球場は蔦なくて新電光板に椅子はゆったり |
| 浜甲子園に歓声聞こえしことありき幼二人を育てたりし地 |
| 夫逝きて六年目に半壊の被災者となりて厳しきローン終了 |
| 甲子園より移り住まいて四十年夫の二十五回忌目前 |
| 森本 順子 〈 南八ヶ岳 〉 |
| 岩稜の険しき南八ヶ岳子に伴われ縦走をする |
| 沢沿いの道のケルンにつぎつぎと石積む孫の足取り軽し |
| 明治の世の遭難の碑は苔むして名前の下に霊神と彫る |
| 美濃戸より赤岳頂上標高差千百余メートル急登つづく |
| 森林の限界過ぎて赤茶けた岩場のつづきハイマツ茂る |
| 網板の階段つづき岩盤をくさりにすがり地蔵尾根行く |
| 眼下には赤岳鉱泉行者小屋山間にその灯を点す |
| 仰ぎ見る赤岳頂上の小屋の窓灯おぼろに霧ににじみぬ |
| 山小屋に重ね着をする九月末窓の外には霰降り出づ |
| 気圧により袋ふくらむポテトチップ孫は妹へ土産にと言う |
| 明け方にのぞく窓より三日月と北斗七星くきやかに照る |
| 雲海の中に富士山見下ろしに霜柱たつ道なずみゆく |
| 浮き石を一歩一歩と確かめてまた岩つかみはい登りゆく |
| 岩礫のなだり鎖にすがり行く頂上小屋の建つ北峰へ |
| いくつもの峰の岩場は入りくみて鎖と梯子断続をする |
| 鎖場をすぎる度毎孫は言うここから落ちたら絶対死ぬね |
| 花街道とよばれるところ季節すぎし九月末風寒く吹くのみ |
| 草や木のなき硫黄岳道標をかねるケルンをたどりつつ行く |
| 足元の近くを恐れず岩ヒバリ羽根ふくらませ岩礫をあさる |
| シラビソの樹林の中に山小屋の青き屋根見ゆ夏沢峠 |
| たどり着く夏沢鉱泉切株に登山靴ぬぎ足を休めぬ |
| 花のなき山登り来てトリカブト咲き残れるに心をよせる |
| ■ 推奨問題作 (23年12月号) 編集部選 |
| 看護師に点滴中と注意され去りてきにしが別れとなりぬ |
| 大杉 愛子 |
| 逆様に見ていた地図を正されてやっと息子のアパートに着く |
| 奥嶋 和子 |
| 子の夢に幾度も父が顕つという我には一度も遇いに来ぬ夫 |
| 小倉 美沙子 |
| 車椅子にのせたる母を陽にいだす九十三の誕生日今日 |
| 坂本 芳子 |
| 妹は甥がソマリアへ海賊の見張りに行くとメールをよこす |
| 澤田 睦子 |
| 三度目のボランティア終えて夜行バスに帰りし孫のひたすら眠る |
| 土本 綾子 |
| 青年の昔自転車を押しながら登りし八丁谷への壇務 |
| 高島 康貴 |
| 妻亡き後を料理ならいし利一さん惣菜を孫達喜ぶらしき |
| 森田 八千代 |
| 施餓鬼会を営み終えてわが寺の庭濡らす雨一人見ている |
| 山内 郁子 |
| くさめして残暑終ると推し測る我が長年の秋アレルギー |
| 安井 忠子 |