平成26年6月号より

 

            選     
 
     桑 岡 孝 全           
  広らなる苑生(そのう)に生(お)うるエノキケヤキなお冬木なす三月下旬   
 ヒトツバタゴの若木札してナンジャモンジャ自ずと思う土屋文明
 口跡(こうせき)のよき青木さんモクレンとコブシの区別(わかち)を言いよどむなし
 サンシュユの黄に照りて咲く木の前に苑の遊びを終えて別れつ
 根気意欲乏しき老いわれにかかわるなく友ら足のばす苑の温室
       高 槻 集
  春名  久子     枚方  
 北の窓閉ざして囲う一鉢のカニサボテンひとつ咲きたる
 柚子の木に残れるままの大き実を採る人のなく今日は立春
 吹く風の冷たき土手に葉はとゆきて雛の祭りの蓬つみにし
 舅姑(ちちはは)のみ墓の前に吾が夫の長くいましき殊に晩年
 癖のある母の筆跡褪せている手紙をわれの大切に持つ
 耳廢いて足腰弱るわれにして父の知らざる齢を生きる
 玄関の鍵ぬく事を忘れいてまた老耄のすすみゆくらし
  森口  文子     大阪   
 灰色と白の模様の天井を見て思考零点滴ながく
 聴力の少し戻りて病院の帰りに春の花を買いたり
 八十六の姉よりくぎ煮届きたりまこと今年が最後と言いて
 一キロの釘煮に添えて送りくる姉が手編みのくつ下ピンク
 ヒール高き靴を廃棄し空っぽの棚いつまでも空っぽのまま
 耳病みてこもり勝ちなる日々にしてアンネの日記再びを読む
 甘藻(あまも)など芽生えているか島近く波立つ海の色は春めく
   
  伊藤 千恵子     茨木 
 わが路地を出でて歩むも稀となりけさポストまでの百米ほど
 遅れくる電車を待てり夕刻をあふるる人らのなかにつかれて
 勤め終え帰る人らにわがまじり優先席につつましくいる
 健やかに老ゆるは難しと思いつつ風邪長引きてこもる幾日
 鉢植えの水仙の花すがれゆき差せる光のいよよ春めく
 月に一度連れ立てるみち今日は独り老いの歩みの心もとなし
 脳手術受けたる友にわが心の晴れゆかぬまま十日すぎたり
        湧 水 原 (48)     伊藤 千恵子 選
  佐藤 千恵子    〈敦賀〉
 降る雪を見たくて敦賀行きに乗る一人の旅は気の向くままに
 わが乗れる電車の窓に霙ふり近江塩津は雪にうもれる
 誰か行ける足跡のこる雪道をなぞりて歩く敦賀の町を
 雲間より魞(えり)挿す湖(うみ)を照らす陽は窓を透かしてわが席に射す
 山の上の煙突高々煙あぐ原発の町も火力にたよる
 停車せる電車の窓を蚊が一匹雪積むホームを飛びてゆきたり
 
  春名  重信     〈三・一一記憶〉
 基礎残す屋敷の跡に老いの立つ己が家とぞ言いて動かず
 家跡の立札に見る移転先離ればなれの親子もあるべし
 人らより溝の汚泥を計りつつ放射線量減らぬを嘆く
 振り向きて又振り向きて何処えゆくカメラを避ける牛の一群
 電力の消費を控えこの冬も靴下を履き寝るときめたり
  森本  順子     〈大山道の川床道〉     
 朝刊の配達人と行き合える始発への道木犀におう
 香川より鳥取の地に入植し酪農の村に香取の地名
 古の川床道は矢筈ケ山登山の道となりて残れり
 雑木の下落葉積むなか供花なき木地師の墓か二三基残る
 花も見ず鳥の声なく落葉踏む我が靴音と熊よけの鈴
 登山路の十字路となる峠には避難小屋ありリュックを下ろす
 原始林の橅の間を来て轟音のひびく大山滝を見下す
 道崩れ急ななだりに設けたる四百段の階段登る
 朝まだき村の主婦らがイベントに出すとあまたの栃餅をつく
  奥嶋  和子      〈冬の旅〉    
 夕暮れを霧かと紛うみぞれ降る暗き中折々白きが見えて
 二人きりの夜の露天湯薄明かりに木々の揺らめき岩に身を寄す
 明け方の部屋より望む槍の穂に僅かに今日の日の当たる見ゆ
 天辺の山の上には雪煙見えてそこには風の吹くらし
 登りゆくほどに雪の峰現れて遥かに白山連峰の見ゆ
 山頂の売店の窓に見る氷柱身の丈以上を幾本残す
 平日のスキー場には空っぽのリフトからから動いていたり
   
              ■  推奨問題作   (4月号から)     編集部選
                       現実主義短歌の可能性拡大をめざして
  十五軒から五軒までやせ細り回覧まわす限界町会 
  形部   賢         
 わが頭上スマホが並ぶ車内にてユリウス・カエサル読める人あり  
  佐藤 千恵子          
 朝早く乗った地下鉄黒っぽい服をまといて皆眠ってる  
  沢田  睦子   
 初曾孫の採用内定を九十八の母は子細に聞き納得す 
  鶴亀 佐知子
 一級の障害者になることなど予想もできていなくて一級   
  鶴野 佳子    
 特攻に出でて果てにし映画みて電飾ひかる町を帰り来  
  春名 久子           
 ダウンきてロングブーツに身をつつむ女性戦士の車両は満員 
  坂東 芳美
 高速を夜通し走り帰省する息子の家族落ち着かず待つ  
  森本 順子
 我が願い煎じつめれば残る子ら先立つなくて健やかにあれ  
  安井 忠子  
 信号は青に変わりて免許証返上に行く夫の手を振る  
  吉田 美智子   
 幼らの残しゆきたる飛び縄を括りてひとりコーヒを飲む   
  脇本 ちよみ  
 縁ありてか吾が発見の媼の死年越しの支度おきて係る  
  岩谷 眞理子   

 

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