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| 選者の歌 |
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桑岡 孝全 大阪
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こんなにも長命をせずこんなにも服薬をせず経し御祖(みおや)たち
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| 男性用礼服セール三体を据うるマネキン顔のひとしき |
| 鴎外より二十年漱石よりは三十年長命をしてぼんくらである |
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空気充填したるあしたの昂揚感たかだか自転車の事なりながら
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担任せる生徒の母親と出奔せしが永らえてあらば八十六歳
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| 続 関西アララギ作品回顧 550号記念合同歌集より |
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| 木 善胤 大阪 |
| かえりみて幾たび病みし病むものの心いくらか医師われの知る |
| 午前三時定まりて吾の目覚むるは隣の黄泉(よみ)にアラーム鳴るや |
| 偶然の生(せい)に必然の終りありたまゆらの虹をよろこびとして |
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| 70周年記念30首競泳 |
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| 戦後ありき 竹中青吉 |
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| 復員兵吾祖国復興にと藷畑に長き畝たていも苗を挿す |
| 田作りにいそしむ時に人の来て漁業組合長に立候補せよと |
| 占領軍の思い通りの漁業組合長三十歳前後ばかりとなれり |
| 占領軍の生鮮食品流通統制違反者多く留置場に溢る |
| 生産組合長が警察検察庁に拘留さる致し方なき悪政にして |
| 反抗は組合員組合のためならず力合わせて統制に協力 |
| 統制下正しき出荷に励みたれば出荷割当の八百%県下一となる |
| 和歌山方面軍司令ライオンズ中佐より優勝旗たまわる |
| 統制違反事件検察にゆるされて不起訴となりて一件終る |
| 鮮魚運搬船十九頓船長一名不足組合長われ船長つとむ |
| 機関は神戸赤の焼玉にて大阪通いも楽しくなれり |
| 大阪の停泊は木津川岸壁にて大正区三軒家人浜とよぶ |
| 戦後の大阪湾の汚さは悪臭ともない乗組員やめるといえり |
| 皇后さま御綱柏(みつながしわ)を投ぜしは何処と見つつ面舵を切る |
| 大阪湾の汚れ悪臭うすれゆかん生駒葛城金剛山みれば |
| 秀吉が毀ちし寺の鐘木津川より海に出で紀ノ川遡り榮山寺に |
| 大阪湾航行しながら口ずさむ短歌のおさらい楽しかりけり |
| ともし火の明石大門の夕照りの長きに往き来して一日を終る |
| 生駒葛城あわいに見ゆる二上山見えぬ日寂し大阪湾下る |
| 和泉河内よく晴れ紀淡海峡暗し何にたゆたう船長われは |
| 淡路島西日にかげなし東には十三夜の月白きがのぼる |
| 仲麻呂の庇護うくる若き天皇の悲しみは今に人の心打つ |
| 夕暮れ前波の来る知らせ折角の真鯛臭出荷出港と決む |
| 夕波も紀伊水道半ばに来たれば西疾風(にしはやて)いのちからがら和歌浦に入る |
| 和歌山港よもやこの天気に入荷とは寝ぼけながら大歓迎受く |
| 経験不足何も知るなき船長の名を徒にひろめて足れり |
| 昭和二十七年焼玉がジーゼルになる折に船長組合長を降りたり |
| 関西空港まことよき場所風向きの思えり元船長は |
| ここに空港来るなど夢にも思うなかりき岸和田の沖をすぎつつ |
| 一網にて寒八(かんぱち)八十一頓の漁獲高大阪中央市場はじめてといえり |
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| 推奨問題作 (11月号から) 編集部選 |
| 現実主義短歌の可能性拡大をめざして |
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| 県推計百歳以上は六百三十人百一われ戦場の生き残り |
| 坂本 登希夫 |
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| 着弾の一瞬前の静寂の直後大地のわれを持ち上ぐ |
| 高間 宏治 |
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| 介護タクシーの運転手さん押し給う車椅子にてスーパー巡り |
| 鶴野 佳子 |
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| 戦より戻りし父が身代わりになってくれたと足痛む吾を抱きし |
| 戸田 栄子 |
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| 耳遠き母はぼんやりして見えるだけど何かを考えている |
| 中原 澄子 |
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| 断片の残る右足さすりつつ夫の言いにし雨の近きを |
| 春名 久子 |
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| その祖母に優しくせざりし思春期の我儘悔やむわが末の子は |
| 松内 喜代子 |
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| ほな行くは簡単メール送りきて子はアメリカの勤めに発ちぬ |
| 安井 忠子 |
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| ながらえて九十二歳を迎えたり夏雲ひとつ高きに光る |
| 山内 郁子 |
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| 教練に劣等評価の生徒にて敗戦を悲しみし憶えなし |
| 山口 克昭 |
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| 賑やかな茶房に開くメモ帳は何をも書かずそのままに置く |
| 芦北 紀子 |
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| ひな段と我との写真一枚が父の遺品の中にありにき |
| 奥村 広子 |
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