平成28年1月号より
    関西アララギ創刊70周年記念年
    
  選者の歌
  桑岡 孝全  大阪
 
 こんなにも長命をせずこんなにも服薬をせず経し御祖(みおや)たち
 男性用礼服セール三体を据うるマネキン顔のひとしき
 鴎外より二十年漱石よりは三十年長命をしてぼんくらである
 空気充填したるあしたの昂揚感たかだか自転車の事なりながら
 担任せる生徒の母親と出奔せしが永らえてあらば八十六歳
   
   続 関西アララギ作品回顧  550号記念合同歌集より 
  
  木 善胤  大阪
 かえりみて幾たび病みし病むものの心いくらか医師われの知る
 午前三時定まりて吾の目覚むるは隣の黄泉(よみ)にアラーム鳴るや
 偶然の生(せい)に必然の終りありたまゆらの虹をよろこびとして
  70周年記念30首競泳
   
   戦後ありき     竹中青吉
 復員兵吾祖国復興にと藷畑に長き畝たていも苗を挿す
 田作りにいそしむ時に人の来て漁業組合長に立候補せよと
 占領軍の思い通りの漁業組合長三十歳前後ばかりとなれり
 占領軍の生鮮食品流通統制違反者多く留置場に溢る
 生産組合長が警察検察庁に拘留さる致し方なき悪政にして
 反抗は組合員組合のためならず力合わせて統制に協力
 統制下正しき出荷に励みたれば出荷割当の八百%県下一となる
 和歌山方面軍司令ライオンズ中佐より優勝旗たまわる
 統制違反事件検察にゆるされて不起訴となりて一件終る
 鮮魚運搬船十九頓船長一名不足組合長われ船長つとむ
 機関は神戸赤の焼玉にて大阪通いも楽しくなれり
 大阪の停泊は木津川岸壁にて大正区三軒家人浜とよぶ
 戦後の大阪湾の汚さは悪臭ともない乗組員やめるといえり
 皇后さま御綱柏(みつながしわ)を投ぜしは何処と見つつ面舵を切る
 大阪湾の汚れ悪臭うすれゆかん生駒葛城金剛山みれば
 秀吉が毀ちし寺の鐘木津川より海に出で紀ノ川遡り榮山寺に
 大阪湾航行しながら口ずさむ短歌のおさらい楽しかりけり
 ともし火の明石大門の夕照りの長きに往き来して一日を終る
 生駒葛城あわいに見ゆる二上山見えぬ日寂し大阪湾下る
 和泉河内よく晴れ紀淡海峡暗し何にたゆたう船長われは  
 淡路島西日にかげなし東には十三夜の月白きがのぼる
 仲麻呂の庇護うくる若き天皇の悲しみは今に人の心打つ
 夕暮れ前波の来る知らせ折角の真鯛臭出荷出港と決む
 夕波も紀伊水道半ばに来たれば西疾風(にしはやて)いのちからがら和歌浦に入る
 和歌山港よもやこの天気に入荷とは寝ぼけながら大歓迎受く
 経験不足何も知るなき船長の名を徒にひろめて足れり
 昭和二十七年焼玉がジーゼルになる折に船長組合長を降りたり
 関西空港まことよき場所風向きの思えり元船長は
 ここに空港来るなど夢にも思うなかりき岸和田の沖をすぎつつ
 一網にて寒八(かんぱち)八十一頓の漁獲高大阪中央市場はじめてといえり
     推奨問題作 (11月号から)  編集部選
       現実主義短歌の可能性拡大をめざして
 
 県推計百歳以上は六百三十人百一われ戦場の生き残り
  坂本 登希夫
 着弾の一瞬前の静寂の直後大地のわれを持ち上ぐ
  高間 宏治
 介護タクシーの運転手さん押し給う車椅子にてスーパー巡り
   鶴野 佳子 
                       
 戦より戻りし父が身代わりになってくれたと足痛む吾を抱きし
  戸田 栄子
 耳遠き母はぼんやりして見えるだけど何かを考えている
  中原 澄子
 断片の残る右足さすりつつ夫の言いにし雨の近きを
  春名 久子
 その祖母に優しくせざりし思春期の我儘悔やむわが末の子は
  松内 喜代子
 ほな行くは簡単メール送りきて子はアメリカの勤めに発ちぬ
  安井 忠子
 ながらえて九十二歳を迎えたり夏雲ひとつ高きに光る
  山内 郁子
 教練に劣等評価の生徒にて敗戦を悲しみし憶えなし
  山口 克昭
 賑やかな茶房に開くメモ帳は何をも書かずそのままに置く
  芦北 紀子
 ひな段と我との写真一枚が父の遺品の中にありにき
   奥村 広子

 

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