伊達郡を出自とする森吉氏

 

  全国の森吉氏で古い文献に記載されているのは、福島県伊達郡の森吉氏のみであり、岩代国伊達郡伏黒村水雲大明神ノ社人ニ森吉常陸とある。その由来を述べる…

 『寛延二巳年、伊達郡川俣在春日大明神(遠藤長門守支配)依リ社人森吉大学(*生国紀伊国室郡長嶋村)並ニ妻神子(みこ)伊予(いよ)伏黒村天水雲大明神之為メ派遣。天明年間播磨守京都神祇官裁許。文政年間ニ之ノ文書中ニ播磨之名見エ。以来歴代世襲明治世ニ至ル』とある。 降って森吉大丈人命(森吉堺氏の祖父)明治卅四年一月十五日、六十二歳で帰天となる(堺氏…最後の神楽伝承者;通称「北屋敷」)

 森吉家は神職を勤めながら、代々伏黒神楽を奉じてきた家系で、戦前は伏黒村に一定戸数の森吉家が在り、それぞれ「伏黒神楽」に携わってきた一族で、「森吉一家」と言われていた。また伏黒神楽は寛延年間から終戦まで継続した民族芸能(曲芸がつく)で、また伏黒名物でもあり、伊達郡内は勿論、宮城県や相馬、石川、いわき、会津方面へも回り、戦時中は銃後の慰安を兼ねて岩手県や北海道、樺太までも足を延ばして巡業し、伏黒の名声を挙げた正にプロ級の民俗芸能であった。

 その後、森吉家の残った一族は東京で「かがみ座」なるものを結成して、ふるさとの民芸として興行したと聞いているが、その後どうなったか詳細を知る者は伊達町にもいない。

 現在福島県内には4戸の森吉家があるが、伊達町伏黒には女性が独居する唯一家しか存在しない(参考文献;日本姓氏総覧、伏黒『郷土の研究』第4号)(*現:三重県北牟婁郡紀伊長島町)

伊達町伏黒の森吉家ならびに「かがみ座」について御存知の方は、御連絡下さい。

    ※無断転載お断り

連絡は、こちらへ

平成10年10月23日


  TOP