湊家の財宝伝説

ここほれワンワン

 1998,10,1 掲載
 

子犬のカット

 
     
 

 「花咲爺」は、おとぎ話で有名だが、これは私の妻の実家に伝わる実話である。妻の家は江戸初期に京都から阿仁鉱山に来た商人で、阿仁の小沢鉱山に住まいし、二ツ井町と能代市常磐に支店をかねた分家を出して手広く商いをしたものと言う。菩提寺である金山善勝寺の過去帳に延宝4年(西暦1676年)8月16日没の先祖名が記載されているので、少なくとも350年を下らない旧家である。(明治期までは羽振りがよかったらしくて、大日本紳士鑑に当時の当主 湊良右エ門の名が掲載されている、また分家は今でも商家。)

 当家には昔から屋敷の中に財宝を埋めて隠したと言う言い伝えがあったが、妻の曾祖父の時代に家運が傾き、その後祖父は医師になり、その子つまり妻の父は教員となったので、故地小沢鉱山を離れたが、祖父にとっては先祖が残した財宝が彼の全てであったらしく、その発掘をライフワークとしていたと言う。

 その祖父が医師を辞めてからついに財宝の発掘に取り掛かったが、あちらこちらから親戚縁者が集まって、それはもう大変な騒ぎであっったと言う。阿仁町でも大変な騒ぎになったのだが、肝心の当主である妻の父だけは欲がなかったのか、全く興味も示さず、勿論参加もしなかったが、逆に全国に散らばっている子孫達の方が熱心だったと言う。


さて、結果は如何に?

 親戚縁者が鍬やスコップを持って何日もかかって、元屋敷をそれこそ掘り返した結果、ついに出たのだ!本当に言い伝えのとおり、出てきたのだ。それは、まさしく財宝の在処を示す文言と、翁が鍬を担ぎ犬が翁に向かってワンワンと吠えている様を書き記した「大きな割石(金鉱石との説もある)であった。まさにそれこそ「ここほれ!ワンワン!」そのものである。

 その後その文言の解読を行い、再度挑戦することにして、その発掘は一応終えたが、祖父の意気やますます盛んで、再挑戦の夢を捨てきれず、その夢を果たそうとして何と93歳の長命を得た。おそらくあの世に行ってから、「何だこんな所にあったのか!」とぼやいているのかも知れません。

 妻の父は言う。「火災に遭って再建しているので、その時掘り返して使ったのか?」或いは「夢を宝物に、先祖が戒めのプレゼントをしてくれたのか?」「少なくとも爺様の長生きにはなったので、それが宝物かも…」と述懐してます。

        

そして、今は?

 さてその石はと言うと、妻の家の宝物として、座敷の床の間に鎮座しており、湊家の宝物として、訪れる人達の語りぐさになっております。(全国の財宝伝説集にも掲載されています)

本当の話です…

         

 


 
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