「花咲爺」は、おとぎ話で有名だが、これは私の妻の実家に伝わる実話である。妻の家は江戸初期に京都から阿仁鉱山に来た商人で、阿仁の小沢鉱山に住まいし、二ツ井町と能代市常磐に支店をかねた分家を出して手広く商いをしたものと言う。菩提寺である金山善勝寺の過去帳に延宝4年(西暦1676年)8月16日没の先祖名が記載されているので、少なくとも350年を下らない旧家である。(明治期までは羽振りがよかったらしくて、大日本紳士鑑に当時の当主
湊良右エ門の名が掲載されている、また分家は今でも商家。)
当家には昔から屋敷の中に財宝を埋めて隠したと言う言い伝えがあったが、妻の曾祖父の時代に家運が傾き、その後祖父は医師になり、その子つまり妻の父は教員となったので、故地小沢鉱山を離れたが、祖父にとっては先祖が残した財宝が彼の全てであったらしく、その発掘をライフワークとしていたと言う。
その祖父が医師を辞めてからついに財宝の発掘に取り掛かったが、あちらこちらから親戚縁者が集まって、それはもう大変な騒ぎであっったと言う。阿仁町でも大変な騒ぎになったのだが、肝心の当主である妻の父だけは欲がなかったのか、全く興味も示さず、勿論参加もしなかったが、逆に全国に散らばっている子孫達の方が熱心だったと言う。