「盛吉」姓は、沖縄県が16戸、宮崎県が3戸、兵庫・神奈川県が各2戸、東京都2戸で、全国25戸と極めて珍しい苗字。
沖縄県は全国第1位の戸数を誇るが、中でも島尻郡具志川村(平成14年4月から久米島町)に10戸。その他には宜野湾市に4戸、那覇市に2戸の計16戸である。
最も多い久米島に本家があり、8世盛吉筑登之「智永」の代に功績により琉球王朝から戴いた苗字と云い、沖縄県の文化財的な苗字。同県内の「盛吉」姓は全部同族だと言い、また神奈川県内の「盛吉家」2戸は11世「智性」の子息。八王子市の「盛吉家」1戸は10世「智安」の子息。
また宜野湾市に別ルートの「盛吉家」があるが、その子孫の現在については不明というものの、久米島の喜如嘉(チズカ)「盛吉家」の子孫に違いないと言う。
宮崎市高岡町に「盛吉」姓が3戸あるが、いずれも同族(兄弟とその子)で、東京都に弟が住まいしていると言う。詳しいルーツは今となっては不明だが、久米島の盛吉家では昔、他家に「盛吉」姓をあげたという歴史があり、宮崎市の「盛吉家」はその子孫と思われる。
ただし広島県の「盛吉」姓についての詳細は不明とのことだが、以上のような経緯と同氏のルーツから推測すると、関連性が強いものと思われる。
また盛吉家「屋号」喜如嘉(チズカ)は、久米島で最も古い開発地と云われ、西銘周辺では「新垣のマキョ」という血縁集落であると云われている。 マニク
盛吉家の元祖の年代は不明だが、美済氏本家の4世「智隆」(1580〜1659)の室「真舟久」(1582〜1637)は、喜如嘉の一人娘と記録されているので、1500年代前半と云う。
以上、「西銘誌」編集事務局長・盛吉秀雄氏より
◆美済氏支流 「喜如嘉(チズカ)」(現在の盛吉氏)系図◆(西銘誌より)
元祖・垣花里主 → 2世・□□ → 3世・首里大屋子 → 4世・山里親雲上 → 5世・田頭掟親雲上 →
1500年代前半 1718年没 1741年没 1773年没
田頭筑登之 大田親雲上 盛吉筑登之
6世・蒲戸 → 7世・松 → 8世・智永 → 9世・智勝 → 10世・智安 → 11世・智性 → 12世・邦尚
1839年没 1867年没 1906年没 1925年没 1964年没 現当主
◆琉球時代の位階・役職(盛吉秀雄氏より)
役職名 |
読 み |
説 明 |
按司掟 |
アジウッチ |
中央集権役、その地区間切へ政治の監督へ行く者 |
親方 |
ウェーカタ |
脇地頭家(ワキヂトゥケ)以上の最高の位の名 |
親雲上 |
ペーチン |
各職場の頭、主任級 |
里之子 |
サトゥヌシ |
脇地頭以上の方が王府の職についての役 |
筑登之 |
チクドゥン |
王府の書記 |
地頭代 |
ヂトゥーデー |
百姓の間切(村)を掌握する今の村長 |
夫地頭 |
フヂトゥ |
地頭代を補佐する者 |
大屋久 |
ウフヤクー |
仕事の現場を指導する者 |
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