恩師からのメッセージ 

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藤田昭彦 先生 内田(高沢)成子 先生

   
金尾進弘  先生
 
   大泉高校・第28期会のHPに「恩師からのメッセージ」を、と云うことで…
全くlC技術に不案内な私にとっては、無理矢理にその革命の中に放り込まれてしまった感じで、何となく気が重くなってしまった。でも、幹事さんにお尻を叩かれていると思って、やっと重い腰をあげ、何とか作文してみることにしました。

   さて、メッセージとして、一体から何を書けばよいのかと考えあぐねたのですが、結局、今の私には手っ取り早く近況をお伝えするより仕方がないようだ。 それにしても、この何年来、あちこちから近況をとの依頼があって、同じような事を同じ筆法で書き続けてきたので、この辺で何とか目新しいものをと考えてみるのだが、はて、さて…
 何年も前から、もうではなくて、まだ何歳と、自分では前向きの姿勢と思い、云い続けてきました。しかし、これは全くの虚勢であって、やっばりもう何歳だと素直に考えた方がよい、いや考えざるを得なくなってしまった。

   私にとっては全く思ってもみなかった事件、一咋年秋、栃木のゴルフ・コースで、不覚にも右脚骨折、我が人生で初めて1ヶ月以上に及ぶ入院を余儀なくしてしまいました。それから1年数ヶ月経った今は、勿論、自分の2本脚で何とか歩行している。しかし、脚の中には骨補強用のチタン材が、まるで網の目のように入っている。なんとか歩行は出来ても、あたかも足○を掛けられた感じです。以上のような事態、私はやはりまだではなく、もうなんだと云うことを強く意識させられました。一時は本当に落ち込んでしまい、体調も良くなく、このまま我が人生の終わりかとも深く思い悩みました。これではいけないと考え直し、やっと這い上がりなんとか明るさを取り戻して来た、と自分では感じる今日この頃です。

   後は、上手く行けば春頃にでも、脚よりチタンを取り除くオペを受けるつもりでいるし、またこれに最大の望みを託してもいる。以前は、私の健康方法として、肉体的にはゴルフを、精神的にはTAKARAZUKA観劇を両輪にして、いつまでも若々しく、また元気に頑張って行くということでした。でも、いまのこの身体では、もうゴルフは諦めざるを得ない。では、これに替わる肉体的健康法は、一体これからどうすればよいのだろうか。唯々、今のところ不自由な脚を引きづって歩き廻るのみである。

   ところでTAKARAZUKA。おかげさまで教師時代からの観劇、その関係行事等への参加は一応従来のぺースを保持し続けています。基本的には東京本公演(約1ヶ月半で年問8公演、他に特別公演もあり)、1公演につき3〜4回観ます。観覧券(切符)はなんとか入手出来ています。
   現在、切符は一般的に非常に入手困難です。(時には作品により、またトップ・スターのサヨナラ公演等になると、プラチナ・チケット化することもあるようです。)以前の宝塚劇場は東宝の営業で、そこに幸いにも私の卒業生がおり、なんとか都合をつけてくれました。(この卒業生は、ここのところ帝国劇場に配属されていますので、東宝関係の切符が必要な時は紹介いたします。ご連絡下さい。)2001年、あの夢々しい日比谷のランドマーク的な新東京宝塚劇場になってからは、阪急電鉄直営になり、残念ながら東宝での取扱はなくなりました。ただ私の方、某・元衆議院議長が会長で有名なファンの会(原則的には男性のみで、観劇歴20〜30年以上の者、約100名弱)に入っていましたので、このルートから何とか入手出来ており、このご老人、お蔭さまで機嫌よくルンルンと楽しんでいます。

   調子に乗って、一人よがりの事を書きつらね、脱線してしまつた感じ。でも自分なりの近況を述べる事に努力した積もりです。何となく竜頭蛇尾になってしまいました。いずれその内に、機会があれば気持ちを入れ替えて書き直すことにします。
                                                     以上
                                                   2003年2月

 
 
       
高橋健三 先生 吉野精一 先生
   
   
       同窓会で懐かしい顔ぶれに再会した時ほど嬉しい事はありません。今回HPまで出来たとあって、やったあ、と言う気持で明けて見ました。寄稿しようと思って「恩師の便り」の所を開けてみたらまだ工事中でした。小林君のメールを良く見直したら、投稿場所は別でした。この欄は、自動的にどんどん書き足せるような掲示板を無料借用すると良いのではないでしょうか。
  
   僕のHP(今は、地元の管理組合(550世帯)の理事長を押し付けられてしまって、更新がストップしております)二つ(一つは個人記録的なもの、もう一つは、嘱託時代の同僚や雪谷高校の教え子達の投稿を加えて作っていたもの)は、文系の僕が四苦八苦して作り上げたものです。宜しかったらリンクして結構です。現在「たそがれ」日誌以外は、内容の更新が止まっております。

    皆さん、お元気でご活躍ください。健。

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  高橋 健三

E-mail:  fwje****@mb.infoweb.ne.jp
      UGJ****@nifty.com
Home Page: http://homepage3.nifty.com/tasogareken/index.html (たそがれの記)
  http://fusenmushi.hoops.livedoor.com/index.htm (風船蟲)

入間市上藤沢***−*−***
TEL:  042-962-****
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   みなさんお元気ですか?

   1年6組、2年8組、3年2組を担任した吉野です。
第28期は私が初めて担任した想いで深い学年です。20代の独身で、青春真っ只中の3年間でした。安藤先生には黒板の使い方やプリント作成仕方など一から教わりながらの新米教師。高橋先生からは居酒屋での教育談義でいろいろなことを教わりました、
   私にとって、大泉での一1番の思い出は夏の臨海学校です。85キロの体型を気にもせず、その後も毎年引率したので、11回行ったことになります。1年生が本当の大泉生になる意義ある行事でしたが、今はなくなったようです。黒い帽子をかぶせられて参カした浜辺のレク、最終日に.海に向かって歌った『校友の歌』の光景、まさに青春の大泉でしたね。昔の「都立らしい郁立jでした。今、この「都立らしさ」が年々失われているのでとても残念です。

   30年以上の教師生活になりますが、あの時の修学旅行廃止は納得しないまま決定してしまった残念な決議でした。職員会議で長時間の議論のすえ、この学年から廃止となったのですが、経験の浅い若輩が意見など言えず、ただ先輩の意見を聞いているだけでした。もちろん君たちは猛反発し、驚くべきことに2年春休みに自主的に旅行を行ったじゃないですか。2年8組は大島旅行で、夜、竹芝桟橋に見送りに行ったのですが、私は暗い気持ちでした。
  さて、まだ公にしたくない淡い脊春の思い出もあるのですが、今回はここまで。

   大泉で11年、武蔵高校で12年、今は上井草にある農芸高校で8年目になりました。54歳です。妻と娘2人+犬1匹。今回ホームページを立ら上げたということでさっそく「お気に入り」に入れました、このホームページが.第28期生の交流の場であると共に、みなさんの青春の輝きの証であり、今を生きる惰熱の源であることを願い、このペ一ジの闘設を喜んでいます。それにしてもこのホームぺ一ジをいち早く開設する力をみなさんが持っていることに、この時期の大泉生の力に感服し、きっと今でもそれぞれの場で、活躍していることと思っています。
 
 
   
  (事務局より)金尾先生、吉野先生の寄稿文はスキャナで読み取れませんでしたので事務局が打ち直しました。
        高橋先生はメールでいただきました