仙台市電車両紹介
仙台市電廃止時に活躍していた車両たちをご紹介します

100型 101〜124 (昭和23年〜51年)

 戦後、急増する乗客に対応するために登場した仙台市電初のボギー車です。単車ばかりだった仙台では目をひく存在でしたが、最初の5両は資材難のなかで作られただけに天井はベニヤ張りでシートもかなり粗末なものだったそうです。それでもその後も居住性等を改善した増備車が作られ最終的には24両と、1型の30両に次ぐ車両数を誇り、戦後の仙台市電の顔となりました。

 当初は80型という形式で登場しましたが昭和29年に100型と変更されています。昭和40年代にはワンマン化改造されドアの位置が前後から前中に変更となり、正面の窓も3枚窓から左右非対称の2枚窓となるなど大きく印象が変わりました(もっとも管理人が知っている顔はこの2枚窓だけですが…)。

 最初に登場した5両を除く19両が、昭和51年の廃止時まで活躍を続けました。廃止後は1両が仙台市により保存され、現在、仙台保存館で展示されています。また5両が長崎軌道に譲渡され、仙台から昭和50年代に来た車両と言うことで1050型という形式を与えられ第二の人生を送ることとなりました。そのうち1両は今(H24.1)も健在で、イベント時の運転が大半とのことですが営業路線を走れる唯一の元仙台市電となっています。
 

200型 201〜211 (昭和29年〜51年)

 軽量化、防音防振化が図られた200型は、丸みを帯びた半流型のデザインで登場しました。正面は左右対称の2枚窓でしたが、100型同様にワンマン化改造されたさいに運転席側の窓が拡大され左右非対称の2枚窓となっています。

 集電装置は第1次車はそれまでの車両と同じビューゲルでしたが、第2次車は通常のパンタグラフ、第3次車はZパンタグラフが装備されました。その後、他の形式も含めZパンタグラフが仙台市電の標準となりますが、2次車の206〜208号は廃線時までパングラフのままの姿で異彩を放っていました。

 廃止後、200型も1両が仙台市により保存されましたが、保存状態が悪くその後解体されてしまい、現存する車両が無くなってしまったのは残念なことでした。
 

400型 401〜415 (昭和34年〜51年)

 仙台市電、最後の新造形式となった400型は軽量化と不燃化とともに低コスト化が図られ、市販されている自動車用部品なども多用されました。

 初期の車両は他形式同様に吊掛駆動でしたが、2次車・3次車はカルダン駆動車として登場。ところが最終増備となった4次車は吊掛駆動に戻っています。同一形式の中で駆動方式が異なるのはかなり珍しいと思われます。また、カルダン駆動車は仙台市電当局が設計した異径車輪の台車を使用していました。

 都電8000型に似た外観で、大柄な印象を受けるデザインでした(但し実際の全長・幅は200型と同じです)。

 仙台市電保存館では最後の新造車両となった415号とともに異径車輪台車を見ることが出来ます。
 

2000型・3000型 2002〜2003・3001〜3007 (昭和43年〜51年)
すみません、画像なしです

 どちらも昭和43年の呉市電廃止に伴い仙台にやって来ました。2000型は昭和36年製の鋼製、3000型は昭和18年製の半鋼製とだいぶ雰囲気の異なる電車でしたが、いずれも仙台ではあまり活躍することは出来ませんでした。

 車両番号は呉時代のものがそのまま使われています(2000型の2001が欠番なのはそのためです)。

 ちなみに同時期に呉市電から松山市の伊予鉄道へ譲渡された1000型は2000型とよく似た外観を持っていました。探してみたら、こちらは写真がありました。
 



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