私版・韓のくに紀行
 何はともあれ、出たトコ勝負! 韓国一人旅


プロローグというほどのものではないけど・・・

 9月に突然できた連続休暇。 どこかへ行こうかと計画を立てだしたものの、どうにもまとまらず、 ともかく西へ向かおうと、九州方面を目指すこととした。 そうすると日程にも比較的余裕があるし、フェリーで1往復、 韓国の釜山あたりまで足を伸ばせないかな?  などと欲も出てくる。
 韓国ならば初の自力での国境越えにはお手ごろのような気もするし、 まぁ、行ければ行ってみるか、ということで、 パスポートとガイドブックも念のため持って行くことにする。
 とは言っても、まだまだこの時点での主目的地はあくまでも九州だったのだが・・・。

 


1〜2日目

 盛岡から東北新幹線と寝台特急を乗り継ぎ、 (途中、小郡で寄り道をして)昼前に小倉に到着。 しかし、どうも天気が良くない。朝こそ晴れ間ものぞいていたが、 昼前にはすっかり曇天となり、厚い雲が風に流されている。 それもそのはず、この日、鹿児島の沖には大型台風19号が居坐っていた。 さて、最初の決断。予定通り九州を南下するか、それとも? 
 ひたすら台風に向かっていくのもどうかと思うし、 だからといっていきなり韓国というのもやはり躊躇するものがある。 大体にして台風が来ているのにフェリーは出るのだろうか? ともかく様子を見に関門海峡を連絡船で渡り、下関国際ターミナルへ行ってみる。 人気のないターミナルビルの向こうに関釜フェリーの船体が見える。
 2階に上がり、カウンターで、
「今日はフェリーは出るんですか?」
「はい出ますよ、そこに用紙がありますから記入してください」
う〜ん、しょうがないな、行くか。
 かくして、この時点で韓国行きが決定。 乗船手続きを済ませ、出国手続きの時間まで下関を散策。
 下関には平家物語で有名な壇の浦の合戦跡や平家一門をまつる赤間神宮など見所が多い。 また、数年前に訪れたときには無かった巨大なタワー(ビルかもしれない)が出来ていたが、 下関の街にはあまり似合っていないような気もする。 一廻りしてターミナルに戻ると、無人だったロビーは人と荷物にあふれていた。
 緊張の出国手続きを経て船内へ。 自分のスペースを確保してから、 出国手続きの時に列の前と後ろにいた、 少し怪しい韓国通の日本人佐藤さんと 今は京都に住んでいる韓国人のアガシ(お姉さん)と世間話をしながら情報収集。 その結果、一つの有力な情報が・・・。今、韓国は旧のお盆の真っ最中。 アガシもこれからお墓参りとのこと。 佐藤氏曰く「向こうじゃ、バスも列車もまず乗れないよ」 
 だからさ ちゃんと調べてからにしようよ。と、今頃言っても後の祭り。 船は台風の中、荒波にもまれつつ釜山を目指して進行中。 ついでに船の事務員の一言、 「今? 波は5メートルくらいかな、 大丈夫ですよ、この船で8メートルの中出たことあるし。 でもさ、フェリーって喫水高いでしょ、ホラ去年かな、 フィリピンでフェリーが転覆したじゃない、 正直言ってさ夜寝てる時とか恐いんだよね」って、オイオイ。

 


3日目

 ドドーンという船体が波にぶつかる音を聞きつつも、いつしか眠ってしまった。 目覚めると揺れはいくぶん小さくなっており、甲板に出てみると既に空も白んでいる。 そして船尾の方を見ると、山にへばりつくような釜山の街並みが浮かびあがっていた。 初めて見る韓国の街だが、 感慨に浸る間もなく雨と時折吹く突風とに追い立てられ船内に撤退。 船内のテレビは韓国と日本の両方を放映中、韓国語の“きかんしゃトーマス”も捨て難いが、 とりあえずNHKの二ユースで天気予報をチェック。 台風は依然として九州南部の海上にあり、ゆっくりと熊本方面へ向かっているらしい。
 8時30分、上陸開始。入国審査はほとんどフリーパス。 例の佐藤さんの案内で朝食をとる。 いわゆるクッパだが、いっしょに付いてくるキムチが半端じゃない。 6種類ぐらいがそれぞれ皿に盛られてクッパをとり囲んでいる。 どちらかと言えば辛いものは苦手な方で (辛いものがダメなら韓国に来るな、という意見もあるが・・・)、 申し訳程度にキムチをつついていたら「小食だね」と、店の人に笑われてしまう。 それと実際に食べてみて分かったことが一つ、鉄の箸は重い!!

 店の外に出ると風はいよいよ強さを増している。 今日のフェリーで日本へ戻るのはあきらめて、やはり北へ向かおうと思うが (北といっても北朝鮮ではない、念の為)、 そうなれば行先を決めなければならない。 3分ほど考えて、昨日、船の中での世間話に出てきた、 かつての新羅の首都「慶州(キョンジュ)」を今日の目的地とする。 慶州は釜山から北へ約60キロで、最初の移動としてはお手軽である。
 駅の案内所で聞いてみると(もちろん、手振り身振りと筆談が頼り)、 慶州行きは釜山からではなく近郊の金田から出る・・・という内容と思われるメモをくれる。 乗換駅には地下鉄で行け、というので今度は地下鉄の駅へ行くが、 切符売場の路線図にはハングル文字と英文字だけで訳が分からない。 ガイドブックの地図を見ても金田なんて駅はない。 結局、釜山駅で買った時刻表と地図を交互に見比べた結果、 乗換駅は金田ではなく釜田であることがわかった。 両替の仕方、切符の買い方、 さらに電車の入ってくる方向(日本と違い地下鉄は右側通行)など、 その都度つまづきながらも、なんとか釜田へ到着。
 思ったよりも小さい釜田駅で慶州までの切符を買う。 韓国国鉄の列車は、ビドゥルギ(ドン行)、トンイル(急行)、ムグンファ(特急)、 セマウル(超特急)の4種類に別れており、 駅の切符売り場も列車の種別毎に別れている。 ビドゥルギで慶州までの運賃は1,600ウォン。 日本円に換算すると約240円、メチャメチャ安い。 韓国の一般的な物価は日本より心持ち安い程度でそれほどとも思わなかったが、 交通機関だけはタクシーや地下鉄も含めてかなり低く押さえられている。
 列車は13時00分、定刻に発車。 乗車率は約8割程度、日本と比べると一回り大きい車両は、 釜山の古い街と新しい街を交互に見ながら次第に郊外へと出て行く。 右手に軍事施設(駐屯地)が見えるが、現地で買った地図では空白になっている。 この国の現状の一端かもしれない。
 海雲台という温泉街を過ぎると、右手に海が広がる。 日本海だが、ここではそうは呼ばない。東海と書いてトンヘと読むこの海は、 海岸沿いの鉄条網と台風の大波とあいまって、 見る日本人を少し憂うつな気分にさせてくれる。 日本と韓国の歴史上の不幸な一時期を、あえてこの場に引っ張り出す気はないけど、 当面の現実的な不安が胸をよぎる。 言葉、食事、宿などほとんど何の見込みもないまま、 ほとんど弾みでここまで来てしまった。 ・・・と、暗くなってもしょうがない、まぁ〜なるようになるしょっ。

 ダイヤは正確、15時37分、古都“慶州”に到着。 外は雨が本降り。この雨の中、 駅前通には野菜や果物を売る露天商が軒をならべている。 何か絵になりそうな気がして写真でも撮ろうかと一瞬思うが、 どうも気持ちに余裕がなくて、宿を求めて先を急ぐ。
 「ホテルは高いヨ、街中にいくと逆さクラゲの温泉マークがあるから、 そこだったら2〜2.5万ウォンぐらいで泊まれるよ」という、 佐藤さんの言葉を思い出し、とりあえず温泉マークを探す。 温泉マークというとなんとなく抵抗があるが、 韓国式のビジネス旅館といった位置づけらしい。 最初はなかなか見つからず不安になるが、 中心部に近づくにつれあっちこっちに温泉マークのついた建物が建っている。 その中で見てくれのきれいな一軒をのぞいて見る。
 やや薄暗い室内にフロントらしきカウンターがあり、おニイさんが一人立っている。 意を決して中に入ると、いきなり韓国語で何か話し掛けられ(当たり前だ!)、 一瞬引きつつも「日本語できますか?」 一応聞いて見ると 「スコシ」。怪しい日本語で答えると、 おニイさんは、紙に“29,000W”と書きこちらに見せる。 一泊29,000ウォンらしいが、「高い」と言って首を振ると今度は“25,000W”。 もうちょっと安くなりそうな気もするが、この辺で手を打って「OK」。 続いて、「部屋はコリアスタイルでいいか?」というので、これもOK。 いわゆるオンドル部屋のことだと思うが、とりあえず興味がある。 部屋に入ると、黄色っぽいリノリューム張りの床に薄い布団がしいてある。 この辺はガイドブックに書いてあったとおりだが、二つ並べられた枕が気になる。 温泉マークはやはりそうゆう意味なのかとも思うが、街中にその手の宿がポコポコあるとも思えないし、 とりあえずこぎれいではあるし、ここはヨシとして街へ出てみる。
 相変わらずの雨の中、近くの古墳公園へ歩いていくが、 年中無休のはずなのになぜか休み。 まさか台風で休み、って訳でもあるまいにどういうことかと憤慨するが、 年代ものの韓国風山門は固く閉ざされたまま。 やむなく歩き出すが、さすがは1,500年の古都、実は古墳は街中のいたるところにある。 高さが約10メートルぐらい。きれいなお椀型の土盛りは芝に覆われ緑色が鮮やかだ。 それが2基、3基と散在しており、大袈裟に言えば、古墳群の中に街があるような印象さえ感じる。
 その他、新羅の遺跡を見ているうちに次第に薄暗くなってきた。 そろそろお腹がすいてきたが、ハングル文字だらけでどれが食堂なのかほとんどわからない。 それらしいのがあって覗いてみると、奥の座敷っぽいところで男たちが車座で酒を飲んでいたりして、 いささか近寄りがたい雰囲気。 ガイドブックに載っていた慶州カルビなる有名(らしい)店を探してみるが結局見つからず、 そうこうしているうちに見覚えのある看板を見つけ、そのまま店の中へ。
 困ったときのマクドナルド、ありがたいな〜と感謝しつつ、 韓国くんだりまで来てマクドナルドとは根性の無いことではある。

 


4日目

 韓国での二日目はやはり雨。宿の窓から外を見ると黒い屋根瓦の家並みが美しいが、 感心もしていられない。 テレビは幸いにもNHKの衛星放送が入るのだが、 それによると台風は依然として鹿児島付近に停滞しているらしい。 さらに韓国側のニュースでは釜山付近でも高波などにより、被害が出ているようだ。 ついでに高速道路の渋滞情報もやっている。さすがにお盆だけのことはある。 なにはともあれ依然として前途多難・・・かな?
 駅でソウル方面への列車の予約をするが、適当な時間帯の列車がなく、 途中までのムグンファの発車時刻と当面の行き先 安東(アンドン)と書いたメモを見せると 窓口の係員が、片言の日本語で「イマ、コノジカン」と一枚の切符を手渡してくれる。 切符は慶州から安東までのムグンファの切符だが、確かに時間が違う。 ダイヤ改正でもあったのかと思ったが、手元の時刻表にも駅に掲示されている時刻表にもそんな列車は無い。 よく見たら切符にかかれた列車番号が9000番台であることに気づいた。 「イマ、コノジカン」のイマに惑わされてしまったが、どうも臨時列車らしい。 するとこの列車はどこ行きなのだろう。 よく分からないまま、朝食のため街へ出る。
 何気に覗いた店は、間口の広く中の様子がよく見える 。 家族連れがテーブルを囲んでいる。ここなら大丈夫そうと店内へ入るが、当然メニューはすべてハングル。 家族連れと同じ物なら頼みやすいかと思いチラッと見ると、何やら真っ赤な鍋をみんなでつついている。 とても朝から食べれるものではない。やむなくガイドブックに載っていた韓国料理一覧から牛肉のスープを 指差し、「こんなのください」と頼んでみるが、意志の疎通は難しい。 隣の家族連れのお父さんにも手伝ってもらい何とかオーダー。 出てきたのはあっさり味のスープ、それに生卵をおとしてなかなか美味。 例によってスープとご飯の廻りを小皿のキムチが囲んでいる。 一般的に韓国の食堂ではご飯とキムチはお代わり自由とのことで、 ご飯を食べ終わるとすぐにお代わりをよそってくれる。

 駅に戻ると、これから乗るムグンファの案内が改札口の上の表示機に出ていた。 それによると臨時のムグンファは清涼里(チョンニャンニ)行き。 清涼里は東京でいうところの上野に相当する駅。 つまりソウルへ行く列車ということで、だったら安東などではなく直接清涼里まで行きたい。 あわてて窓口へ変更を申し込みに行くが、一言「アニョ」。 アニョは日本語の「いいえ」とガイドブックにあるが、 ニュアンスとしては英語のNOに近いかもしれない。
 結局、安東までの切符を持ってムグンファに乗り込む。 車内の作りはおおむね日本の特急クラス。 新幹線と同じ幅の車体に2×2のシートが並ぶため通路がやたら広い。 並走するソウルへ向かう高速道路はまだそれほど混んではいないが、 外を見ていると、時々お墓参りとおぼしき一団が祭事用と思われる道具を持って歩いていたりする。 お墓らしき土盛りもぽつぽつと目に付く。昨日見た古墳のミニサイズのようだ。
 2時間ほどで安東へ着いてしまう。ここから先の列車の予約は予想通りまったく取れない。 韓国の特急には自由席がなく、指定が取れないということは先に進めないことを意味する。 列車がダメならバスという手もあるが、バスもどうせ取れないだろうし、 今朝のニュースで見た大渋滞の中を行く気もしない。 キャンセル待ちに期待をつなぎ、今日はこのまま安東に泊まることとする。

 安東も古い街で、かつては貴族階級の両班の一族を多数輩出したとのことである。 しかし、街並みをみてもあまり古都という感じはしない。 むしろこの町の見所は郊外にあり、その中でも河回村、安東民族村などは必見!  と、今回大活躍のガイドブックにもある。 行ってみたい気もするが、バスで小一時間から数時間ということで、 中途半端な時間に着いて、中途半端な時間に発つ身としてはちょっと時間的に行きづらい。 もともと観光地にはあまり興味が無いので、まぁいいや、と街中をぶらぶらすることにしたが、 帰ってきてから考えると、やっぱりもったいなかったかもしれない。
 宿は、面倒くさくなり駅前の温泉マークにチェックイン。 2度目で少し慣れてきたせいか、宿のおばさんは日本語はまったく通じなかったが、なんとかクリア。 一応ここでも値切ってみるが、 イルボン(日本人)は金持ちだ、という雰囲気で人の肩をぽんぽんたたき、ダンピングはなし。 料金はやはり、25,000ウォン。これが相場なのか、それとも足元を見られているのかはよく分からない。
 夕食のため外に出たついでに駅で翌日の清涼里行きセマウル号の予約を入れてみるとあっさりGET!。 気分よく食事を済ませて宿に戻ると、ありゃ、切符の日付がなんと3日後。あっさり取れる訳である。 駅前の宿をとってて良かったな〜などと思いつつ、急ぎ駅に戻ってリトライ。 当然NG。世の中、そんなに甘くない事を思い知らされつつ異国の夜はふけていく・・・・・ 
 駅前の宿なんかとるんじゃなかった。12時を過ぎても車ががんがん走りまわってうるさくて眠れない・・・・・。

 


5日目

 ついに晴れました。抜けるような青空。ただし気持ちは・・・。 ここまで来たら何とかソウルまでは行きたいと思う。 今日の夜のソウルから釜山までの寝台車の予約は昨日すでに取ってしまった。 可能なら昼過ぎぐらいまでにはソウルに着きたい。 しかし、朝から数回、駅の窓口に通ったのだが、 昼どころか今日中にソウルに着く列車はすべて完売。
 いよいよ最後の手段。 トンイル、ムグンファ、セマウルの予約がだめなら、全席自由のビドュルギ(ドン行)しかない。 ここからソウル(清涼里)へ行くビドュルギは一日一本。所用時間は約8時間。 ソウルに着くのは夜の7時近くなるが、このさい意地である (そういうつまらないところだけに意地を張るんじゃない)。
 時間まで、街の南側を流れる洛東江(ナクトンガン)の河畔を散歩。 この洛東江は韓国三大河川の一つということだが、 大きな堰には、たくさんの白鷺が舞っていたり、 頭の上を数機の戦闘機がアクロバットまがいの飛行をしたり(演習空域ではないと思うが・・・)、 長い鉄橋を轟音を立てて貨物列車が通過したりして、 それなりに時間潰しにはなる。
 発車時間が迫ると駅の改札口には約30人ほどが並ぶ。 思ったよりも少ないので一安心するが、どうもきれいに並ばない。 前にいたおじさんが、その前の女の子が横入りしたと大声で怒鳴り散らしているが、 当のおじさんが俺の前に横入りしたのはホンの数分前の事である。
 ホームに入っても人数はたいしたことなかったが、入ってきた列車を見て絶句。 機関車、荷物車、それに客車4両という編成だが、客室内もデッキも人であふれている。 荷物抱えて無理無理車内へ入るが先に進めない。しかし、後ろからもどんどん人が入ってきて背中を押す。 振り向くと、大きな荷物3つぐらいを抱えたおばあさんが韓国語でベラベラとと何か言う。 とっとと奥へ行け、と言っているのだろうと思い、 思わず日本語で「すいませ〜ん、混んでてだめですよ」と言い返すと、
「あんた、日本から来たか」「はい」
「あんた、在日か、日本人か」「日本人です」
「そうか、それじゃ奥へ行け、その方が楽だ」 なにが、それじゃ、なんだかよく分からないが、 ともかく行けるところまで行き、なんとか人間一人分のスペースを確保。 今度はバックをどうしようかと考えていたら、座っていたおじさんが、手を伸ばしバックを手に取ると そのまま、自分の座席の下に押し込んで、これで大丈夫だ、という様子でこちらにうなづいて見せる。 いい人なのだと思うが、突然持っていかれるこちらもびっくりする。
 そのうち、別のおじさんが肩に下げた袋からするめを取り出し、ちぎりながら周囲に配り出す。 こちらにもおすそ分けで回ってきたが、すぐ脇にいたおばさんにそれを取り上げられる。 何かと思ったら、今度は他の一切れを手渡される。 どうも最初に渡されたのがいわゆるイカのミミの部分だったので、 それを身の部分に変えてくれたらしい。 韓国の人は親切なのだが、行動パターンが直接的過ぎるような気がする。 それにしても、昨日乗った特急とはあまりにも違う雰囲気に、 つらい体勢にも関わらずだんだんうれしくなってきた。

 しばらくすると林(イム)さんという先ほどのおばあさんが、
「兄さん、兄さん」
と、こちらを呼ぶので人をかき分け近づいてみると、 ボックスを指差し、
「ここの人たち、あと二山超えたところで降りるからここにいなさい」
という。 ありがたい話なのでそのまま居座ると、いろいろ質問される。
「どこから来た」「盛岡です」「盛岡?」
「え〜っと、仙台より北の方なんですが…、仙台わかりますか?」
「ああ、仙台か、仙台からどうやって来た」
「…一度、東京へ出て、下関経由で、釜山、慶州、安東と来ました」
「汽車で来たか」「はい」「そうか」
と言った調子だが、その都度周囲に通訳している。 周囲の人たちも最初は、ふむふむと言った風に聞いていたが、 「汽車で来たか」あたりから、純粋に感心している少年一人を除き、 大人たちは、明らかにあきれだしているような気はする。 結局、二山超えたのは2時間後。ちょっとした席の争奪戦の後、 4人がけのボックスシートに大人6人が座るはめとなったが、 外国人だというので周囲から譲られた気配もある。 先ほどは、すっかりあきれられてしまったが、それがきいているのかもしれない。 いずれにしても通路は依然として人であふれており、贅沢を言える状況ではない。
 その人であふれている通路を車内販売がやってくる。 あまり人相がいいとは言えないそのおじさんは、にらみをきかせつつ、大声を上げて通っていくが、 乗客もだまってよけたりはせず、怒鳴りかえしている。 それでいて険悪な感じにもならず、それなりに通り過ぎていく。
 車内販売で売っているものは日本と大差なく、 ビールやおつまみなど、そして弁当の代わりにのり巻きを売っている。 昼食代わりに買ってみるが、ごま油のきいたのり巻きはちょっとスゴイ味。 もっとものり巻き以外にも、ボックスの中ではさきほどの“するめ”同様、食べ物が飛び交っている。 誰かがごま団子を出すと、他の誰かが梨を出すという風で、 それがすべてこちらも回ってくる。
 中には、お世辞にもきれいとは言えないビニール袋から取り出された干し柿など、 ちょっと口にするのがためらうような物もないではないが、 これも経験、回ってきたものはありがたく頂くこととする。 ちなみに、りんごは美味しかったが、梨はカリカリといった食感で甘みもなくちょっと・・・。
 それにしても、ボックスの人たちは、ほとんど初対面同士のはずなのに旧知のごとく和気あいあい。 かと思うと、 突然激論が始まったりして(どうみても馴れ合いのやり取りとは思えない)、 慣れない日本人の韓国人ウォチングには、緊張感のなかにも最適な環境かもしれない。
 身動き取れない状況のまま、トイレにも行けず、ついには腰の痛みも忘れたころ、 ふと気づくと、ようやく日は傾き、 鉄路はいつしか現れた大河に寄り添い、列車はソウルに向けて最後の力走を続けている。 夕日が漢河(ハンガン)を朱色に染め、車内にけだるい雰囲気が漂う。 感傷に浸ろうとしたのもつかの間、ソウルに近づくにつれ、家に帰る行楽客が次々と乗り込み、 一度は隙間の見えた通路も以前にもまして殺人的な混みようとなってきた。 一度停まるとホームにあふれた人々を収容するまで発車できず、 車掌も感情的なアナウンスを繰り返す。 林おばあさんに通訳してもらったら、 「通路に座り込むんじゃない、 (スペースが確保できないから)立ってろ。いつまでたっても発車できないぞ」。 本当かと思うが、口調は、まさしくこんな感じであった。 乗客もすれているのか、慣れているのか、動ずるふうもなく素知らぬ顔である。 客層もいかにも都会に住んでいます、という人が増えてきた。 ところかまわず大声で話し合い(どなりあい?)をするのは同じだが・・・。

 固まりきった腰を伸ばして降りる準備。終着駅「清涼里」到着は、 途中すったもんだした割には定刻よりわずかに8分遅れ。 清涼里駅のホームはナトリウム灯のオレンジ色に照らされ、結構雰囲気を出している。 バックからカメラを出そうとしたら、 林おばあさんに「ソウル駅まで連れていってあげるから早く来なさい」と、怒られる。 ソウルへの地下鉄に乗ってからも 「ソウルに来て、そのまま帰るなんて。最低でも2日はとらなきゃダメだよ」 やっぱり怒られるが、それについては全く同意見である。 同意ではあるが、ソウルからの夜行列車、釜山からのジェットフォイル、福岡からの飛行機と、 ここからは全て予約済みで、これらの変更はいささか難しい。 林おばあさんは、なおも「何だろうね〜、何だったら今日うちに泊まっていけば、 明日、わたしがあっちこっち講釈してあげるのにね〜」などとのたまう。 感謝しつつも、講釈されてもかなわないので、事情を説明して固く辞退する (これがお姉さんなら話は別だが・・・)。
 ソウル駅で林おばあさんと別れ、荷物をコインロッカーへ押し込んでから 地下鉄で南大門へいってみる。 歩いても10分程度の場所なのだが、地下鉄で遠回りしたり、 乗り間違えたりしているうちにすっかり遅くなり、南大門市場はすでに店じまい。 肝心の南大門は、修復工事中で周りにかけられたカバーだけがライトアップされている。  今回ソウルで訪れた唯一の名所は、まったくさびしい結果となってしまった。
 ソウル到着から5時間後、釜山行きのムグンファは定刻23時55分にソウル駅を発車。 漢河を長い鉄橋で渡ると、右手にソウルのシンボル、62階建ての高層ビルが輝いていた。

 


6日目

 ほとんど瞬間熟睡状態から目覚めたのは、釜山到着の5分前。 朝の5時着はきつい。できれば1時間ぐらい遅れないかなぁと思うが、ちゃんと定時到着。 外はまだ真っ暗。行くところもなく地下鉄を1往復して時間調整。 ところが、釜山駅方面へ戻る電車で、朝の通勤通学ラッシュに巻き込まれてしまう。 昨日までのお盆休みが終わり、韓国の人々も通常の生活に戻ったらしい。 こちらも休日は明日まで、 日常の生活が帰ってくるまでのつかの間の時を結局ぶらぶらと使うこととする。 福岡行きジェットフォイルの出港は昼過ぎ、時間まで釜山タワーを見物。 釜山の街並み、港を一望できるこのタワーの客は、韓国人と日本人と半々。 すでに日本語が周囲にあふれている。
 ジェットフォイルの運行はJR九州。船内は日本である。 財布の中の2万ウォン弱の現金はもう使えない。 バックの奥から引っ張りだした円で昼食の弁当を買う。 中身は、「稲荷寿司」「金平ゴボウ」「鳥のから揚げ」「芋の煮っ転がし」「魚の照焼き」・・・  これでもかと言わんばかりに純日本的メニューが並ぶ。 3泊4日の韓国旅行の感想としてはいかにもお粗末ではあるが、やっぱり食べ物は日本が一番。 日本食が恋しくなるにはあまりにも早すぎるが、この弁当を食べつつそう思う。
 釜山港を離れて、3時間弱。ジェットフォイル「ビートルU」は、 予定通り博多港へ入港。簡単な手続きを終え、日本の土を踏んだ瞬間、後ろを振り返り
「もう一度、行きたいな」
ふと、そんな気がした。
 それはそれとして、この日の晩、北九州の田舎町の なんてことのない食堂で食べた鉄火丼は絶品!!だった。 やっぱり食べ物は・・・。

 


エピローグというほどのものではないけど・・・

 初めての韓国旅行を終え、無事に盛岡に帰ってきた。海外旅行自体は、これが4度目になるが、 全くの一人旅で、しかもこれほど無計画なのは初めて。 これからどうなるのかと思った場面も再三だったが、思い起こせばよい旅だったように思う。
 顔つきは同じなのに、どこか行動パターンの異なる人々の住む半島。 韓国人はきつい。なんとなくそんなイメージがあったのだが、 実際に触れ合った人々は皆とても親切な人たちだった。 日本語を勉強しているという、若い韓国人にも何人か出会うことができた。 「もう一度、行きたいな」 今、やっぱりそう思う。・・・その前に韓国語をもう少し勉強してから・・・。
 ところで、あの林おばあさんに礼状のひとつも出したいのだが、 韓国語の手紙の書き方がわからない。どなたか教えていただけないだろうか?

 何はともあれ、途中で挫折することなくここまで読んで下さったあなたに感謝。

 

 
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