阿房と云うのは、人の思わくに調子を合わせてそう云うだけの話で、
自分で勿論阿房だなどと考えてはいない。
用事がなければどこへも行ってはいけないと云うわけはない。
なんにも用事はないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思う。
(特別阿房列車/内田 百)
プロローグというほどのものではないけど・・・
タイ国へ行くこととなった。行くとなれば、彼の地の鉄道に乗りたいと思う。
なぜ、そうなるのかと聞かれても困るのだが、「そういう習性だから」としか説明のしようがない。
ただ、乗りたいといっても、問題が二点ほどある。
第一に、タイの鉄道事情ならびにタイそのものについてほとんど知識がないこと。
第二に、実はこちらの方が難問なのだが、今回のタイ行きはあくまでも
組合の執行委員としての研修旅行であること(実態はともかくとして…)。
当然のことながら団体行動が求められる。もちろん単独行動はご法度である。
と、言って素直にあきらめる性格ではないし、う〜ん、困りましたね〜。
とりあえず、スケジュール表を見ると、
鉄道に乗れそうなのは、2日目のアユタヤからバンコクへの移動のとき。
本隊がバスでホテルへ戻るところを、何とか列車で・・・というところか。
結局、多少の下調べはしたけれど、
不確定要素ばかりが多くて、やっぱりいつもどおりの出たとこ勝負。
何はともあれ、やってきました、タイ王国。
あ、暑い! バンコクの表玄関、ドンムアン空港のターミナルビルを出ると、
気温は36度、湿度が高くて空気が体にまとわりつく感じ。
梅雨空の日本から来た身には堪えるものがある。
全身から汗が噴き出す。しかも気のせいか、周辺の空気から何やらタイ米と同じ臭いが漂ってくるし、
そこら辺にある文字は形の判別もつかないタイ文字。外国に来た、そんな実感が湧いてくる。
ホテルに落ち着いたら早速、周辺の探索。治安はそんなに悪くなさそうだけど・・・。
とりあえず、セブンイレブンで飲み物、屋台で「ドラゴンボール」のコミックスを仕入れて
15分ぐらい歩き回り探索は終了。
部屋に戻り、タイ語をしゃべっている本の中の“悟空”を眺めつつ、
駅からホテルまでの移動手段の検討。
日本から持ってきたバンコクの市街地図で確認したところ、駅とホテルの間の距離は約5qぐらい。
歩けない距離ではないが、歩きたい距離でもない。初めての街で外国でしかも夜ならば、なおのことである。
バンコクには地下鉄はない。他の交通機関としてはバスかタクシーしかないが、
系統図なしにバスに乗る自信はない(何しろ行先表示はタイ語で訳が分からん)。
残るはタクシーだが、さっき街で見たときは流しが結構いたし、こっちはまぁ何とかなるでしょ!!
そして決行当日。今日の予定はバンコクの中心部からチャオプラヤ川を船で遡り、
かつてのシャム王国の首都、アユタヤでバンパイン宮殿や遺跡群の見学となっている。
船乗り場までの移動中、地図を片手にルートと目印を確認
(船乗り場のオリエンタルホテルと駅は途中で道は別れるが割と近所なので参考にはなるだろう)。
それにしてもバンコクの渋滞は噂どおりである。ホテルを朝6時に出て、この有り様、全く動かない。
もともと交通インフラが整備されていないところに、
最近とみに増えてきたお金持ちが、車で子供の送り迎えをするのでますますひどくなったとか。
急ぐときはバイクのタクシー?に限るらしい。
とりあえず、何とかなるような気がしてきた。
最後に残った問題は、許可をもらうだけ。アユタヤへの船上で恐る恐る団長に
「すいません、実は・・・」
「う〜ん(困ったヤツが現れたなぁ〜)、ちょっと待っててね」
そして数時間後・・・
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駅へ・・・
40バーツ高いか安いか
アユタヤの寺院で、本隊の乗ったバスに手を振り見送ると、ここからは一人旅である。
そう思うと、なんだかワクワクしてくる。不安はあまり感じない。
自分でも少しテンションが高すぎるかと思う。
こうゆう時が危ないゾ、と自戒しつつ、目をつけていたトゥクトゥクに近づく。
トゥクトゥクというのは、ダイハツの軽三輪“ミゼット”の荷台に座席と屋根を付けた簡易なタクシーで、
地域の足として活躍している。
木陰で休む運転手に、アユタヤ駅までの運賃を聞いてみると、40バーツという答え。
バンコクのタクシーの基本料金は35バーツだから、少し高い気がする。
値切ろうかと思うが、10バーツ下がっても日本円で40円しか違わないと思ったら、
つい面倒くさくなってOKと言ってしまう。
正しい旅人のすることではないが、
「とりあえず駅までいくのが先決だし」と自分に言い訳してトゥクトゥクに乗り込む。

荷台には簡単な屋根がかけてあり、進行方向に向かって横向きにベンチが配置してある。
ほとんどオープンカー状態で、走り出すと風が心地よい。しばし暑さを忘れさせてくれるが、
何しろ後ろはステップがあるだけなので、加速するたびに振り落とされそうになり、
思わず握り棒をつかむ手に力が入る。
舗装をしていない道だと結構つらいかもしれない。10分弱でアユタヤ駅に到着。
上機嫌で手を振り去っていく運転手を見送りながら、やっぱり40バーツは高かったかナと思う。
駅は急行も停まる駅にしては、こじんまりとした造りで、
駅前広場といえるほどのスペースもない。
小さなトゥクトゥクが数台停まって精一杯というところだ。
もっとも日本でも特急が停まる無人駅なんていうのもあるから、こんなものかもしれないが、
古都アユタヤの玄関口としては少し寂しい気もする。
駅舎に入ると、左手が切符売場になっており、北線、東北線など方面別に窓口が並んでいるが、
発車時間にまだ間があるのか閉まったままだ。
薄暗い待合室に30人ぐらいが切符売場が空くのを待っている。
室内を見回すが、なぜか時刻表がない。
事前に有楽町のタイ政府観光庁で時刻表のコピーを入手したのだが、
15:54にアユタヤに到着するバンコク行きの快速列車があるのはわかるが、
発車時刻がわからないという代物である。とりあえず発車時刻の確認をしなければならない。
状況を把握できないままホームに出てみると(改札口はフリー)、
目の前に高さ3メールトルぐらいの立て看板。
見るとそれが時刻表である。が、タイ文字が並んでいて解読不可。
これは困ったと思って、裏を見るとこちらは英語。
それによると快速バンコク行きは15:55発、続いて16:09発の普通列車があることがわかる。
ただ用意してきたコピーと見比べると若干違いがある。
もしかしたらダイヤ改正があったのかもしれない。

駅の構造は、改札口がないことを除けば日本の地方駅とそう変わりはないが、
ホームの高さが15pぐらいしかない。ついでに言っておくと
タイ国鉄の軌間は1000oのメータゲージを採用しており
JRの在来線1067oと比べると若干狭いが、これはその気で見ないとよくわからない。
ホームにはたくさんの人がいて、予想以上に活気がある。
ちょうど下校時間にも当たっているようで、制服を着た学生の姿も目立つ。
ホームには立ち売りもでていて、ポップコーンを売っている。
確かにポップコーンの臭いがするのだが、何やら別の臭いも混じっている。
手を出しかねて少し先へ歩いてみると、今度は駅弁と鶏のもも肉を焼いたものを売っている。
駅弁の内容はわからないが、鶏の方は黄色くてなんとなく味の予想がつく。
しかもよく見ると足の指がそのまま残っている。
タイの食文化に慣れるのは並大抵ではない・・・ような気が、すごくする。
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バンコク行き快速32列車
発車まで少し時間があるので、周辺を少し散策。
駅前には、かつてアユタヤの街を囲んでいた堀の一部だった小さい川が流れており、
川向こうの商店とは粗末な橋で結ばれている。
また、この辺には火炎樹の木が多い。その名のとおり炎を思わせるオレンジ色の花が鮮やかだ。
写真を撮ろうとカメラを構えていたら、上半身裸の老人が顔を出した。
小柄ながら締まった体に鋭い眼光で妙に迫力がある。

駅に戻ると、切符売場は開いていた。
日本を出るときから「列車に乗るときは、出来るだけ普通の人が乗るものにしよう」と決めていたのだが、
ついつい魔が差してしまい窓口で「バンコク、セカンドクラス」と言ってしまう。
しかし、そこはうまくしたもので、「ニトウ、ウリキレ」と日本語で答えが返ってきた。
とりあえず、自分がちゃんと日本人に見えていることと、この辺は日本人が珍しくないことはわかった。
窓口から出てきた切符はタイ文字で書かれており、3と15の数字以外は読めないが、
3等の切符で15バーツであることはわかる。
それにしても15バーツとは安い。ここからバンコクまでは約70qあるが、日本円で約60円である。
JRなら1000円以上はする。日本の鉄道もこれくらい安ければ、どんなに旅行しやすいだろう、と思うが
これは無理な注文である。
タイ国鉄の運賃形態は、車両の設備にあわせて1等・2等・3等に別れており、2等は3等の概ね2倍、
1等も2等の概ね2倍となっている。
これに列車のランク、急行・特急さらにエアコンの有無で料金を加算することになる。
ホームには既に列車が入線している。
上半分がクリーム色、下半分が薄い群青色の落ち着いた色合いに塗り分けられた客車8両を、
黄色とオレンジ色とこちらは派手な塗装のディーゼル機関車が牽引している。
ホームが低いので、乗客たちは客車のステップを使い、ホームからもそうでないところからも
好き勝手に乗り込んでいく。
その後を追い車内に入ると既に満席に近い乗車率。通路をウロウロしていたら、
3人で座っているボックスのお婆さんが窓際の席を空けてくれた。
車内の雰囲気は日本の古い客車とあまり変わらない。昭和40年代に作られた車両に近いようだ。
ただし、シートはモケット張りではなくビニールレザー張りなのは南国では当然だろう。
布張りではすぐに臭くなりそうだ。
バンコク行き快速32列車はアユタヤを約15分遅れて発車。
遅れを取り戻すつもりなのか、思ったよりもスピードを出す。
お婆さんが窓際の席を譲ってくれたのは、
こちらが外国人の観光客だから、と思ったのだが、
もしかしたら窓から直接吹き付ける風が嫌だったのかもしれない。
いずれにしても窓際の方がありがたいが。
しばらくすると氷水に缶ジュースやコーラを入れた車内販売がやってくる。
乗る前に駅の売店でジュースを買ったので見送るが、
重そうな箱を抱えているのを見るとこちらで買えば良かったと思う。
そうこうしていると、今度は弁当を売りに来る。
隣のお婆さんが買って食べだしたので中身を覗いて見ると、ご飯に肉と野菜のカレー煮付け?
正直、あまり食べてみたい感じではない。
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タイ式汽車の流儀
ところでこの列車は、今朝の6:55に東北線の東端、ウボンラチャターニを発車、
これまで9時間以上走り続けているのだが、車内にはあまりゴミも落ちてなく
意外ときれいである。一昔前(二昔?もしかしたら三昔)の日本では、車内で出たゴミはいすの下に押し込むという
風習があったのだが、こちらではそんな様子はない。
定期的に車内の清掃をしているのかとも考えたが、件のお婆さんを見てたらあっさり謎が解けた。
婆さん、弁当を食べ終わるとやおら立ち上がり、チョイト御免ヨてな感じで窓際に身を乗り出すと
そのまま空になった弁当箱を窓からポイ。平然と投げ捨てる。
よく見ていると他の窓からもポイポイと空缶やらミネラルウォーターのペットボトルなどを捨ててる。
これがこちらの流儀らしいが、なるほど車内がきれいな訳である。

車窓を見ると、牧草地なのかよくわからないが草地が広がり、
水牛を連れて歩く農夫や水辺で遊ぶ子供たち、オレンジ色の衣をまとったお坊さんが、
のどかなタイの田舎の景色に溶け込んでいる。
ところでタイといえばタイ米だが、意外にも水田らしきものが見当たらない。
このあたりは山ひとつ見えない平原で、見渡す限りの田園風景が見られるのではないかと思っていたのだが、
この辺は米の産地ではないのだろうか?・・・(などと、現地では思っていたのだが、
帰国後よく考えてみたら、あの草原が田んぼだったのではないだろうか・・・、
無意識のうちに日本の細かく仕切られた田んぼを想像していたようだ)
さて、ここまで快調に走ってきた快速32列車だが、アユタヤから小1時間のパンシット駅で
その歩みをピタッと止めてしまった。
側線に入ったきり動かない。
どうしたかと思っていたら、隣の線路を轟音をたてて急行列車が通過していった。
あちらは食堂車も連結した堂々たる編成である。
ただしこの時間帯に急行列車の設定はない。
バンコク15:50着のウドーンタニーからの急行が遅れているのではないかと思うが調べようもない。

いずれにしても急行が行ったのだから、もうそろそろ出てもよいころだが、その気配がない。
前方を見ると信号は全て赤が灯っており、駅の方では何か放送している。
そのアナウンスのイントネーションが日本のそれにそっくりで、つい聞き入ってしまったのだが、
当然タイ語で何を言っているのか皆目わからない。
回りの乗客の表情を見ても、みんな悠然としいて慌てるふうでもない。
結局、列車は20分ぐらい停まってからようやく動き出した。
隣にいたオッさんがこちらを見てニヤッと笑う。
いつの間にか左手の国道が渋滞しだした。渋滞はバンコク名物、どうやら終点が近づいてきたらしい。
ドンムアン空港の脇を過ぎたあたりから沿線の風景が急に変わり、
マクドナルドが入った大きなショッピングセンター姿を見せる。
乗客もこざっぱりした人が増えてきた。
この辺では鉄道の高架化工事が行われている。現場に立てられている看板によると
完成時には複々線となり中央の2線は長距離用で、外側の2線が近郊用の電車が走ることになり、
近郊電車はバンコク駅ではなく、新都心部へ直行するルートになるらしい。
完成すれば多少は道路の渋滞解消に役立つのだろうか?
などと隣の渋滞の心配をしていたら、こっちの足どりも怪しくなってきた。
鉄道もこの先、列車が詰まっているのか、ただでさえ遅れているのに信号待ちがやたら多い。
一度停まると5分ぐらいは動かない。
その間に列車のドアが手動なのを幸いに、かってに降りてしまう人が続出。これもこちらの流儀か?
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スラムの向こうの終着駅
市街地に入ってしばらくすると、全国各地とバンコクを結ぶ鉄道が集まってくる。
まずバンスー駅で南線が、そして次のサームセーン駅の先で東線が相次いで合流してくる。
マレー半島方面へ線路を伸ばしている南線には、
オリエント急行といわれる国際列車が長駆、シンガポールまで運転されており、
一方の東線もかつてはカンボジアのプノンペンまで国際列車が走っていたが、
1961年カンボジア情勢の悪化から運転を取りやめ、今は国境までの運転となっている。
バンコク駅に近づくにつれ線路脇が、次第にスラム化してきた。
なんだかすえた臭いが車内に漂ってくる。水はけの悪そうな場所に粗末な小屋が並んでいる。
どう見ても汚水にしか見えない水で食器を洗う女性の前をニワトリが駆けている。
道路側からはなかなか見ることのできない、これもバンコクの一つの顔である。
スラム街を抜けるとそこは終着駅。
ダイヤより遅れること45分、18:10 快速32列車はバンコク駅2番ホームへと滑り込んだ。
バンコク駅は、別名ファラムポーン駅とも呼ばれ、
端頭式といわれる行き止まりの櫛形ホームを大きなカマボコ型ドームが覆っており、
ヨーロッパのターミナル駅のような雰囲気を醸し出している。
ホームには列車を待つ人、降りてきた人、出迎えの人、何をしているか正体不明の人々で賑わい、
寝台車を連結した長距離列車が出入りするさまは、一昔前の上野駅のようでもある。

構内を歩いていたら、片隅に緑色に塗られたSLが据え付けられている。
近づいてみたら、日本のC56型である。
太平洋戦争時に軍事輸送用に運び込まれた後、戦火の中を生き抜き、解体もされず、
歴史の証人としてここに安住の地を得た幸運な機関車なのだろう。
もっとも(水を差すようで悪いが)さらに幸運なヤツもいて、C56型44号機なんかは、
タイから無事復員した上、静岡県の大井川鉄道で今なお現役で働いているが・・・
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ホテルへ・・・
駅を出ると日も暮れており、飯も食わにゃならんが、実のところ、暑さと空腹で既にヘロヘロ状態である。
アユタヤでは、あれほどの高さを誇ったテンションも今は見る影もない。
駅近辺には屋台が多数出ている。何か食べれば多少は復活するだろうが、
香辛料の臭いやその色あいを見ると、遺憾ながら手を出す気力がでない。
今まで生きてきて、これほど切実にソーメンが食べたいと思ったことはない
(あ〜麦とろもいいよね)。しかし無い物ねだりをしていてもしょうがないので、
とりあえずファーストフードでもないかと思い周囲を歩いてみるが、
駅周辺は鉄道の斜陽化とともに近代化から取り残されたらしく、それらしい気配はない。
だんだん無い無いづくしになってきたが、バンコクの市街地図まで無くなっているのに気づいた。
駅を出るときはあったから、小わきにに抱えたつもりで落としたらしい。
下手に歩き回ると現在位置まで見失う可能性も出てきた。こんな所で迷子ではいささか心許ない。
やむなくホテルに引き上げることとする。
ところが・・・、流しのタクシーをつかまえ、ホテルの名前を言ったのだが通じない。
しょうがないのでホテルの名前を書いたカードを見せるが、運転手は知らないと言う。
あきらめて次のタクシーでもう一度聞く。しかしまた「Idon't know」。
結構立派なホテルだと思ったが、もしかしたら全然有名じゃないのだろうか?
次第に緊張感が高まってくる。ヘロヘロしている場合ではない。
もしかしたら5q歩き? でも地図はないゾ。
そして3度目の正直の3台目。もはや祈る気持ちで「You know?」「Yes」、本当だろうな?
再度確認、どうも本当に知っているらしい。
やれやれ助かったと、冷房の効いた車内に乗り込むと一気に生き返った気持ちがする。
でも、まだ半信半疑でコースの確認。地図がないので記憶が頼りである。
一生懸命外を見ていると、見覚えのある銅像や屋台群が見える。
そろそろ左折だから左によってほしいなと思うと左に寄る。どうも間違いなさそうだ。
などと油断していたら、ひょいと路地に入り位置を見失ってしまった。
アララと思っていたら、運転手が前方を指差す。見るとツインの高層ビルに、
これまた見覚えのあるホテルのマーク。かくして5時間の一人旅は終わった。
ちなみにタクシーは99バーツだった。
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エピローグというほどのものではないけど・・・
正直に言うと、タイにいる間はあまり良い印象を持っていなかった。
食事は合わないし、一部を除けば清潔とはお世辞にも言えないし、なにしろ何だか怪しいし危ない気もする。
次の訪問地、シンガポールに着いたときはやれやれといった感じさえしたものだが、
清潔なシンガポールを何の不安もなく歩いていると、それが物足りなくつまらなくさえ思えた。
いつか再び訪れることができるのだろうか? あの雑踏やあの臭いさえ懐かしいバンコクへ。
それにしても、帰国後この一件が露見し、
分会長に団体行動を乱したといって長々と説教をいただいたのは、
因果応報、同情の余地無しとしても、単独行動後、
添乗員のお姉さんにすっかり嫌われてしまったのだけが心残りだった。結構可愛かったのだが・・・。
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