第二タ イ 国 阿 房 列 車



 阿房と云ふのは、人の思はくに調子を合はせてさう云ふだけの話で、 自分で勿論阿房だなどと考へてはゐない。 用事がなければどこへも行つてはいけないと云ふわけはない。 なんにも用事はないけれど、汽車に乗つて大阪へ行つて来ようと思ふ。 (特別阿房列車/内田 百)
プロローグというほどのものではないけど・・・

 『タイ国へ行くこととなった。行くとなれば、彼の地の鉄道に乗りたいと思う。 なぜ、そうなるのかと聞かれても困るのだが、「そういう習性だから」としか説明のしようがない。』
 と、ここまでは前回(タイ国阿房列車)の書き出しであるが、そのタイにもう一度行くことになった。 今回は盛岡に勤務していた頃、同じ担当にいた人たちとのグループ旅行である。
 このメンバーとは盛岡での最後の年に一緒に函館へ旅行したのが始まりで、 その後、なぜか韓国、香港と海外へと転じ、その都度、声を掛けてもらってはいたのだが、 諸般の事情と言うヤツでなかなか参加することが出来なかった。 今回も実はちょっと危なかったのだが、幸いにもなんとかクリア。 晴れて参加の運びとなったが、それはそれとして行くとなればやっぱり鉄道には乗りたい。 我ながら困ったもんだ、とは思うが…

 と言う訳で、今回は最初から鉄道での移動を含むツアーを選んでもらった。 とりあえず無理はしなくても列車に乗れる事は乗れるわけで、ありがたい事である。
 もう一つ、鉄道がらみで気になることがある。 1997年の末にJR西日本からタイ国鉄に無償譲渡されたディーゼルカーが見たい。 欲を言えば乗りたいが、現地での運用がどうなっているのか全く判らないので 観光旅行の片手間ではちょっと無理だろうとは思う。 とりあえず、かつて日本で走っていた車両が異国でどのように使われているのか、 それなりに興味のあるところではある。
 とは言っても観光主体のグループ旅行、お気楽に行って来ようと思う。

1日目

 バスが停まった感覚で目を覚ます。 と、ドアが開きガードマンが物々しく乗りこんでくる。
「パスポート、または身分証明書を拝見します」
そう言えば
「間もなく成田空港第二ターミナルへ到着します」
という車内放送を夢うつつに聞いた気がする。 う〜、もう着いちゃったか、と思う。 まだ眠いなぁ〜 
 チェックが済むと夜行バス「ポーラスター号」は再び発車。 数分で成田空港第二ターミナルの出発ロビーに到着する。 荷物を受け取った乗客が人気の無いロビーにばらけていく。 一人残されて、時計を見上げれば午前5時30分。 確か到着時刻は6時30分だったはず… なんで1時間も早く着くんだろう? 
 盛岡からの本隊は昨日の昼に出発して空港近くのホテルに泊まり、 午前8時に合流する予定である。あと2時間半。荷物を担いで当面の落ち着き先を探す。 周辺のイスには飛行機の出発時刻を待つ人たちがところどころに固まっている。 NHKニュースが流れるモニター前のイスに腰掛ける。 前の方にはインド人風の家族が一組、やはり固まって眠っている。 ホテルではなくここに泊まったのだろうか? 身だしなみは結構キチンとした感じだが… 

 本を読んだり散歩したり朝マックしたりして時間を潰して 7時50分、集合場所へ行ってみると既に本隊は到着済み。 IKUさん。KUNIさん。TAKUくん。E子さん。MI子さん。 これに自分を入れて都合6名が今回のメンバーとなる。
 一番上から下までの年齢差は約20歳。 何となく見た目不思議なラインナップではあるが、 MI子さん以外は同じ担当にいた事があり気心は知れている。 実際に会うのは1年半振りだが、何のブランクも感じないのがありがたい。
 全員揃ったところで、MI子さんの指示で搭乗手続きと出国手続きを済ませる。 どうやらMI子さんが今回の仕切役らしい。
 過去の旅行では、セキュリティチェックで何かと引っ掛かる事の多かった(らしい) IKUさんも、「成田のチェックって甘いんじゃないの?」 などとひやかされながらも無事通過。

 搭乗までの時間は約1時間半。それぞれ免税店や待合室の喫煙コーナーなどで過ごすが、 ただ待っているのもつまらないので、TAKUくんを誘って散策。 成田空港を利用された方はご承知だろうが、 第二ターミナルにはサテライトと呼ばれる別棟があり、 本館との間をシャトルと言う乗り物で連絡している。 今日の搭乗口は第二ターミナルの本館側で乗る必要はないのだが気になる存在ではある。
 以前利用したときに、「シャトルでサテライトへ一度行くと本館には戻れません」という 張り紙を見たような気がしたのだが、見当たらない。思い違いだったかなぁ? 
「行ってみようか」と言ったのがどちらだったか今となっては定かではない。
 シャトルは黄色い車体にゴムタイヤをはき、扉は左右両側に両開きの扉で、 一見すると一両編成で走る新交通システムという感じだが、 車体に動力は無く、電車というよりは水平に動くエレベータ、といった構造らしい。 そのロープに引かれるシャトルでサテライトへ、 といっても渡ってしまえば本館と何が違うわけでもなく、 結局、免税店をちょこっと冷やかして再びシャトルで本館へ戻る。

 ということで、既に気付かれた方もあろうかとは思うが、当人たちはまだ気付いていない。 再び本館の長い通路を通って搭乗口の待合室へと向かう (今日の搭乗口は本館の一番端っこである)。 で、搭乗口の待合室の前まで来たのだが、待合室との間にはガラスの壁。 そのむこうにはIKUさんやらE子さんやらの姿は見えるがその中へ入る術がない。 扉があるにはあるのだがそこには係員の姿が… 
 ここまで来て、ようやく自分たちがいるのが到着ロビー側であることに気付いた。 この流れで行くと、日本へ再入国してしまう? 
ともかく来た道を戻る。建物の中央部に戻ると不審気な面持ちで係員が寄ってくる。
「どちらから来られました?」
「いや〜 実は…」
説明すると、係員はちょっと笑ってから
「えっと、そうするともう一度チェックをやり直していただくようになりますね」
と言って乗り換え用のセキュリティーチェックへ案内される。 かくして今日2回目のX線を浴びて無事?出発ロビーへ生還する。 恥ずかしい思いをしてしまったが、どうも係員の対応を見ていると、 この手のおバカは時々いる…ようではある(いないカナ?)。

 10:10 成田空港発バンコク行きの全日空NH915便は、 10:25ターミナルビルを離れる。 と、言っても第二ターミナルからぐるっと廻って滑走路に出て離陸するまでは 約20分かかるんだけど…  今日の座席はほとんど一番後ろの真中の席。 何も見えなくて何の面白みもない席である。それでも遠くの窓越しに見える主翼の先端が、 離陸と同時にググッと上がっていくのが見えて、これが揚力というものだね、と納得する。
 間もなくシートベルトのランプが消えたので、 最後部の非常ドアのところまで行って下界を覗き見る。 どこまで来たかと思えば、まだ東京湾の上空。 アクアラインの海ほたるや羽田空港、横浜ベイブリッジ等が次々と視界に入ってくる。 飛行機に乗って天気がいいのは久しぶりだなぁ。 富士山も見えるかもしれない、と期待してしまう。 厚木上空を過ぎ、山間に湖が見える。う〜ん、ここはどこだ?  左手に伊豆半島が見えてきた。ということは富士山はどこ? もしかしたら真下? 真下じゃ見れないなぁ〜などと思っていたら、 反対側の窓から下を見ていた女の子二人組が「富士山ですよ」と教えてくれる。 覗き込むとほとんど真下のやや後方、飛行機の小さな窓から見えるギリギリのところに 富士山の火口が見える。雪のない夏の山頂は妙に赤黒い感じではあるが、 富士山が見えると妙にうれしいのはなぜだろう? 

 一旦席に戻るが、下界が気になる。 せっかく窓側に座っていながら眠りこけてる人を見ると、 もったいないなぁ〜、と思う。下見ろよ、下、 見ないんだったら席を替わってよ、等と思っているうちに何やら理不尽な怒りがこみ上げてくる。 我ながらどうにも肝っ玉の小さなことではある。
 結局、我慢できずに席を立って例の窓のところへ行く。 ちょうど海岸に出たところで、窓枠ギリギリのところに 陸から海へ向かって直角に伸びている橋が見える。 一瞬、瀬戸大橋かと思ったが、正解は関西空港への連絡橋。 そのまま穏やかな紀淡海峡から淡路島をかすめて、大鳴門橋。 海に突き出した滑走路は徳島空港。そこへ1機の飛行機が降りていく。 吉野川沿いに四国に分け入ると一気に地勢が険しくなる。 あの深い渓谷は大歩危峡か祖谷渓か、山に刻まれたいくつもの谷を見たのち、再び海の上へ出る。 太平洋である。浦戸湾の向こうに高知の街並みが霞んで見える。 浦戸湾口左側の海岸が坂本竜馬の像で有名な桂浜であろう。 わずか20分程度でこれだけの景色が楽しめるのだから、 やっぱりこれを見ないのはもったいないよなぁ〜、と思う。
 もう少し見ていたいところだが、そろそろ食事の時間らしく キャビンアテンダント(って馴染まないね、やっぱスチュワーデスでしょ)が、 準備を始めている。ここで下界ウォッチングを打ち切り席に戻る。

 食事を済ませ、先ほどから流れている映画「ダイナソー」をしばらく見ていたが、 途中から見だしたこともあってあまり面白くない。 寝てしまおうかとも思うが、乗り物ではなかなか眠れない性質で(特に昼間は)、 機内に持ち込んだディパックから文庫本を取り出し時間潰しをするが、 それを読んでしまうといよいよする事がない。
 それでも時計を見れば、バンコク到着まで2時間をきった。 そろそろ海から大陸へかかる頃ではないかと、 今や指定席と化した非常ドアの窓へといってみる。 まだ海上ではあるが、海の色が今までとは違って見える。 海面には小船が数隻。陸地が近いことを教えてくれる。

 ふと横を見ると、一緒に見ていたはずのKUNIさんが見知らぬ人と話をしている。
「どちらまで行かれるんですか?」
「バンコクです」
KUNIさんが答えると、
「ああ、いいですね。食事がおいしいですよ。 ボクはミャンマーへ行くんです。ミャンマーの山奥です。 象に乗って、兵士が護衛で付きます」
Tシャツ、短パンにサンダル履きで不精ヒゲという、 国際線の飛行機ではあまり見かけない出で立ちのオッちゃんは、外を指して
「これは宇宙です、今宇宙を見ているんです。 宇宙があって、雲があって、大地があって、人がいる。これが哲学です」
う〜ん、独特な世界観を持っている人のようではある。
「ミャンマーへは仕事で行かれるんですか?」
と聞いてみると
「映像の仕事です。芸術です。人が行く前に行って事前の調査をします」
「治安は悪くないです。でもいつ命を落とすかわからない。死んでも新聞には載りません」

 そうこうしているうちに陸地が視界に入ってきた。 ベトナムのどの辺だろう。小さな島とそれとセットのような小さな岬。 島の外周には道が付けられ、島のサイズとは不釣り合いに大きな港がある。 一方の岬は尾根の部分に道が走り、南側には美しい弧を描いた砂浜が広がっている。 岬の付け根には集落もあるが、 瞬く間に下界は山深いジャングルへと変っていく。
「海から山に入ると雰囲気が一変するでしょう。海が女で山が男なんです」
オッちゃんが言う。
 KUNIさん助けを求めようとしたら、アレ? いない。 ん〜 ・・・オッちゃんの話を一人で聞くはめとなってしまった。
「アジアはすばらしいです。ヨーロッパとは全然違います。地球の力を感じるんです」
山脈を越え高原地帯へと変わり、次第に耕作地が増えてきた。 露出した地面が不思議なくらい赤い。 その赤が深緑のジャングルと溶け合い、 その上にポツポツと浮かぶ白い雲が組み合わさって 赤・緑・白のモザイク模様を作っている。
 その中を赤土をたっぷり含んだ川が、幾筋も右へ左へと方向を変え 合流を繰り返しながら流れていく様はあたかも血管のようである。
「あの赤い川、雨季だからです。黄金のようです。力があるんです」
確かに、蛇行を繰り返しいくつもの三日月湖を作りながら荒々しく流れる姿は、 野生の川だけが持つ力を感じさせるに充分な迫力がある。 緑と赤の大地から湧き立つ白い雲、そして見上げればそこに宇宙が…  う〜ん、何かそんな気分になってきた。

 シートベルト着用のサインがついて哲学の時間も終わると、 程なくNH915便はバンコクのドンムアン国際空港に着陸。 着地の衝撃がほとんどない。思わず、「おっ、上手上手」と言うと、 隣にいたE子さんが
「へっ、何言ってんだか…」
と笑う。 もっとも上手に降りたわりにはえらく辺鄙なところに停まり、 ターミナルビルにはバスでの移動となる。 地面はやや濡れているものの雨は降っていない。 気温は意外と高くなく30度ぐらいかな? 
35度は当たり前と覚悟していただけにちょっと肩透かしの感もある。  時計は16:30、日本との時差は2時間なのでその分だけ時計の針を戻す。 現地時間で14:30。まだ、昼過ぎというところだ。

 入国手続きを終えて、ツアーの他のメンバーと現地ガイドと合流。 他のメンバーといっても、若い夫婦一組とOL二人組だけで、 我々を加えて都合10人のグループとなった。 一方のガイドさんは、黄さんという華僑だが、 浅黒いごつい顔に立派な口髭を蓄え、華僑というよりはアラブ人という風体である。 な〜んか怪しげな雰囲気で大丈夫かなと思う。
 タイのアラブ風華僑の黄さんに率いられバス乗り場へと移動するが、 全く飾り気のない場所で何だかデパート裏手の搬入口のような雰囲気である。 来てから前回もここでバスに乗った事を思い出す。
 無機質な搬入口に色とりどりの新型バスが並ぶ。 どれかと思うと、黄さんが近づいたのはその中でひときわ目立つ年代モノのベンツのバス。 う〜ん、10年前なら新車かもしれないが…  とは言っても40人近く乗れるバスに、ガイドを含めても乗客はわずかに11人。
 前から2番目の席(一番前の席には既にガイドのバックが置いてあったので…)、 二人分を一人で占領して、出発進行! と景気良くはいかない。 ただでさえ狭いバス乗り場の中を、乗客を乗せたバスが一斉に動き出したため、 たちまち大混乱。運転手同士の怒号と罵声が飛び交う中、 右へ左へと切り返し、やっとこさっとこ脱出。 ガードマンでも出してちゃんと誘導すればもっとスムーズに行くだろうに、と思う。

 何とかターミナルを出たバスは、左折し国道をバンコク方面に向かう。 今日の目的地アユタヤとは反対方向である。 アレッと思ったら、4・5分走ったところで左側に分岐するUターン専用の 高架道路で向きを変え、頭上の高速道路に合流、アユタヤに向けて走り出す。
 車内では、ガイドの黄さんの自己紹介から始まり、 これからのスケジュール・通貨等に関する説明がある。 タイの通貨はバーツで、1バーツが約3円弱。3倍すれば良いので計算は楽である。 車内で円からバーツへの両替をするが、先に空港で両替した人の方が率は良かった。
 説明も一段落かと思ったら、今度はアユタヤ王朝についての説明が始まる。 ところが、黄さんの日本語がわかりにくい。 何か妙に持って回った表現で、マイクを通すと半分ぐらいしか聞き取れない。 しかも一方的にドンドンしゃべるので、聞いてる身としては結構つらいものがある。 昔、こんな授業をする古文の先生がいたのを思い出す。 後ろの方の席の人は早々に寝てしまっているが、 一番前の生徒としては聞かない訳にもいかない。が、疲れる。
 要約すると、アユタヤ王朝と言うのは、 現在のチャクリー(バンコク)王朝の前のトンブリ王朝の更に前に、 アユタヤを中心に栄えた王朝である。 初代ウートン王が1350年に建国、 水運をいかして中国、ペルシャ、遠くヨーロッパ諸国との交易で繁栄を築いたが、 周辺諸国との武力衝突が絶えず、ついに1767年にビルマ軍の侵略によって 35代417年に及ぶ歴史に終止符を打った。 17世紀には山田長政が活躍したことでも、日本人には馴染みがある、 とまぁこんなところである。
 説明を聞くのはなかなか大変だが、おんぼろバスは快調そのもの。 高速道路をびゅんびゅんとばす。エアコンの効きも申し分なし。 古いバスで少しガッカリだったが、これなら別にイイかな、と思う。 10数分ほど高速道路を走った後、一般国道に下りるが勢いは全く衰えない。 相変わらずのスピードでびゅんびゅん行く。 いったいどのくらい出ているのかと運転席をのぞき込むと… 
「スピードメーターが動いていない…!」 
う〜ん、まぁいいか。元気に走っているし… 

 水田の中を貫く立派な国道を小1時間行った所で左に進路を変えると、 タイに来て最初の見学地、ワット・ヤイ・チャイ・モンコンに到着。 ワットとは寺院のことで、タイの観光地にはワットがやたらと出てくる。 さすがは仏教国タイ!といったところであるが、 さて、このワット・ヤイ・チャイ・モンコンだが前回も来たかもしれない。 黄色の布を巻いた微妙に傾いた仏塔が記憶のどこかに引っ掛かるが、 同じようなものがあちらこちらにあるのでもう一つ自信がない。 なにしろ前回はどこを歩いたのかほとんど覚えていない (と言うか、あのワット何とかという言葉自体が覚えられない…)。
 黄さんの話では塔の高さは72m、巻いてある黄色の布は、 本来は金を塗るのだがその代わりとの事。 敷地の中に入るとごろっと全長10mほどの寝釈迦像がいる。
「やっぱり、ここ来た事ある」
と確信。この寝釈迦像の扁平足には見覚えがある。 ちなみに寝釈迦像は必ず右手を枕にして横になっているそうだ。 理由は聞き逃してしまったが… 
 寝釈迦像と6年ぶりのご対面の後は、仏塔に登ってみる。 四方をやはり黄色い布をまとった座仏像に囲まれた仏塔は、 1592年に19代目の王様が、 ビルマの王子と一騎討ちを演じて勝利した際に建てられた記念の塔だというが、 まるで川中島合戦のタイ・ビルマ版というところだ。 ちなみに川中島で上杉謙信と武田信玄が刃を交えたと伝えられるのは1561年、 19代ナレスアン王がビルマ王子を倒す31年前の事である。

 ワット・ヤイ・チャイ・モンコンを後に、 次の見学地はワット・ロカヤ・スタである。 バスはアユタヤの郊外から見覚えのある道路を中心部へと入っていく。 前方に陸橋が見える。
「橋の上から右側にアユタヤの駅が見えるよ」
と知ったかぶりして後ろの席のTAKUくんに教える。 果たして遠くの方にチラッと駅の構内が見える。 6年前に列車に乗ってバンコクまでの一人旅(5時間だけの…)を楽しんだ 懐かしのアユタヤ駅である。 が、何かが違う? 以前は複線だったはずだが、1本増えて3本になっている。 輸送力増強なのかなぁ… そんな必要があるのだろうか? 

 陸橋で線路を渡るのと一緒に小さな川も渡り中心部へと入る。 アユタヤの中心部は四方を川に囲まれた珍しい地形で、今渡った川もそのうちの1本である。 ここがシャム王国の首都だったころは天然の要害となっていたのだろう。
 中心部に入る、といってもビルが立ち並んでいる訳ではない。 1767年のアユタヤ陥落時の荒れ果てた廃墟のたたずまいを残す巨大な遺跡群の中で、 人々が細々と暮らしているように感じる。今一つ生活感が感じられない街である。 それでいながら観光地としてそれほど俗化されている風でもない。 その歴史がそうさせるのか、何か空虚なものを感じる不思議な街だと思う。
 さて、5分ほどでワット・ロカヤ・スタに到着。 ここにも寝釈迦像がいる。先ほどのワット・ヤイ・チャイ・モンコンのものよりも 一回り大きな感じである。が、状態はあまり良くない。 ワット・ヤイ・チャイ・モンコンもそうなのだが、本来は屋内にあったものが、 ビルマ軍の侵攻によって建物が壊されから、野ざらしとなってしまっている。 ただワット・ヤイ・チャイ・モンコンが寺院としてちゃんと機能しているのに対し、 ワット・ロカヤ・スタの方は全くの廃墟である。仏様も何か黒ずんでいて顔色?も悪い。
 バスから降りると絵葉書を手にした6〜7歳ぐらいの少女が近寄ってくる。 先ほど「俗化されている風でもない」と書いたばかりだがそうでもないらしい。 片言の日本語で
「40バーツ、40バーツ、ワタシカワイソー、ワタシカワイソー」
40バーツは概ね相場で特別にボッていると言う訳ではない、とのことだが、 何かこういうのはイヤだな〜、と思う。 年端もいかない子が日本語教えこまれて…、と考えると痛々しい気がする。 それでも、手を振って
「いらないから」
と言うと、
「ワタシカワイソー、アナタ優シイ、ワタシカワイソー」
と繰り返す。日本円でたかだか120円だとも思うが、もう一つ割りきれない。 心を鬼にして?バスへ退散する。
 バスに乗っても何だか自分がすごく悪い奴のような気分になってくる。 こんな事が続くと辛いなぁ〜。

 寝釈迦像よりも、 絵葉書売りの少女だけが印象に残ってしまったワット・ロカヤ・スタを後にして、 バスは更に遺跡めぐりを続ける。 ただし、ここからはバスの車窓越しに見るだけ。 トウモロコシ状の塔堂が印象的なワット・プラ・ラーム、 セイロン型の仏塔が3基並ぶワット・プラ・スィー・サンペットなどが次々と現れる。 そのどれもが廃墟と化しており、破壊された石像の残骸などが散らばっているが、 前回に見たときと比較すると心持整然としてきたような気がする。
 聞けば近年、復元作業が行われているそうで、 戦災にあった当時の赤黒いレンガと新たに作られた赤いレンガと、 それらを適当に混ぜて使用し、新しさを感じさせない独特の雰囲気を作り出している。
 遺跡の中を右に左にまわり、何でバスで通れるんだというような路地を通ったりしているうちに 方向感覚がわからなくなってきた。ここはどこで何を見ているのかさっぱりわからない。 同じような遺跡が次々と現れては消えていく。 レンタサイクルでゆっくり廻りたい、と思う。でも暑いだろうな… 

 次第に日も傾き、食事の前にホテルにチェックインする事となる。 あのアユタヤの駅を遠望した陸橋を戻り郊外にあるホテルへ。 今夜の宿は、アユタヤ王朝の初代王の名を冠したウートン・インという ちょっと古風な、と言うかちょっと古いホテルである。 ここで一休みしてから再びバスで移動する。
 入り口に信州そばが飾ってある妙な中国料理店で夕食をとりながら、 初めて10人で一つのテーブルを囲む。 お約束の「どこから来たの?」から始まってそれなりに盛り上がるが、 テーブルの位置が何となく気になる。 入り口近くのその席からは、 ステージで歌手?が何か歌っているのに柱が邪魔で全然見えない。 現地の人らしい客のグループの席からは良く見えているのに・・・  何か差別されてない? しかも見るとこのテーブルだけクロスの色が違う。 ・・・まぁ、些細な事ではあるが(食事そのものはおいしかった)。

 店を出てそのまま歩いて近くのマーケットを見物に行く。 外は既に真っ暗である。 黄さんから
「果物買ってもいい思います。でもお店で切ったものは危ない。 自分で皮むいて食べる。これは安全」
との注意がある。
 白熱灯に照らされた店内は二昔前の果物屋さんを彷彿とさせる雰囲気で、 マンゴスチン、ランブータン、マンゴー、パパイヤ、それにパイナップルにスイカに至るまで さまざまな果物が並ぶ。もちろん果物の王様ドリアンもある。 MI子さんが竜眼という果物を一抱え買う。黄土色の何だか地味な果物である。 ひとつもらって食べたが、皮をむいたら真っ白な果実が現れる。 味はライチと同じであった。

 この時点で夜の8時。 もうホテルに戻って休みたいと思う。なにしろ日本時間なら午後の10時である。 しかも朝の5時半から起きているのだから結構しんどい。 しかしスケジュールがそれを許さない。 これから中心部に戻り、輪タクに乗って遺跡のライトアップを見る事になっている。 これは楽しみにしていたので
「もうホテルに帰って寝る」
などと駄々をこねる訳にも行かない。 おとなしくバスに乗って移動。
 そこで思わぬ看板を見る。ビデオレンタルのTSUTAYA?  ロゴも日本で見るものと全く同じ。こんな所まで進出していたとは・・・  仙台の自宅の近くの店はようやくつい最近になって出来たばかりだと言うのに・・・  TSUTAYA恐るべし。
 などと馬鹿言っている間に輪タク乗り場に到着する。 そこには、ぼあっとライトアップされた仏塔を背に派手派手しく光る集団。 輪タク自体は自転車の後ろ半分に人力車のカゴをくっつけたような形態だが、 そのカゴの部分に色とりどりの電飾が施され、チカチカと瞬いている。 そうでなくても原色をふんだんに使った彩色なのに電飾までついてしまうと、 とても落ち着いて遺跡めぐり、という出で立ちではない。 それで自転車の漕ぎ手は、と言えば、派手な車の前に黒いシルエットが立っている。 ・・・う〜ん、結構お年を召していらっしゃるような。 50代か、もしかしたらそれ以上、と思われる方々ばかりである。 中には女性の姿も見える。
 この人たちに漕がせるのか、なんか趣味悪いなぁと思う。 できるだけ罪の意識を感じなくてすむよう、 比較的元気そうな人の車にささっと乗り込む(それでも50は過ぎていそうだが・・・)。 全員乗ったところで、光り輝く輪タク軍団は一列になって遺跡の街を走り出す。 走ってみればさすがに鍛えているらしくスムーズなものである。 300バーツは伊達じゃない(この輪タクはOPで別料金を取られたのだが、 日本円で約900円。平均的な物価を考えれば決して安くはない。 もっとも、マージン分は含まれているのだろうが…)。
 全行程は約30分。途中のワット・プラ・ラーム、 とワット・プラ・スィー・サンペットの2ヶ所で停まるが、 道路からの見学となるので遺跡が遠い。 真っ暗な闇の中に浮かび上がる遺跡というのはそれなりに絵にはなるが、 直接遺跡群の中に入れると思っていただけにちょっと物足りなく感じる。 写真を撮るにもちょっと辛い。
 ストロボを焚いて撮っている人もいるが、ストロボの光は肝心な遺跡までは届かないし、 仮に届いてもライトアップしている意味がなくなる。 こういう時には長時間露光で撮るのが定石だが、荷物になる三脚は持ってきていない。 代わりに比較的手振れに強い広角レンズをつけているが、 遠くの遺跡がますます遠くなる。 ふと横を見ればTAKUくんがデジカメに三脚をつけて撮っている。う〜ん、あんたはエライ! 
 それにつけても、遺跡の中に足を踏み入れたい、と思う。 近付けば広角レンズの威力を発揮できるし、 雰囲気も多分ここから見るよりははるかに良いと思うのだが、 フェンス越しではどうにもならない。蚊も飛んでくる。 慌ててディパックから虫除けスプレーを出して腕やら首筋に吹き付ける。

 遺跡見物を終えると次はタイ式マッサージである。 黄さんは 「マッサージで今日の疲れを取ってください」 と言う。そんなのはいいから早く宿に帰してくれ〜、 というのが本音であるが、バスは遺跡群から近い路上に駐車。
 飲食店のような建物の脇を抜け、白熱灯に照らされた木造二階建ての一軒家へ入る。 らせん状の階段を二階に上がると、男5人がまとめて一つの部屋に入れさせられ、 そこで薄手のパジャマのようなものに着替える。 待つほどもなく女性が5人入ってくると、 おもむろに洗面器を持ち出し、踝から下を丁寧に洗われる。 一体何が始まるんだろう、期待と不安?がよぎる。 横になると、洗ったばかりの足の指を一本ずつポキポキとならされて、 足の裏を指圧。続いて太もものマッサージ。 体重をかけて押したり伸ばしたりする。
「イタクナイデスカ?」
と時々言いながら手が少しづつ上の方に上がってくる。 足の付け根に手の平を当ててグッと押さえ込む。 時間にして数十秒というところだが、場所が場所だけにちょっと緊張。  なんでもタイ式マッサージとは「セン」という考え方の上に成り立っていて、 生命維持に必要なエネルギーが流れている「セン」に障害や不調和が生じると、 心身に悪影響を及ぼしてしまう。 その滞った「セン」の流れをスムーズにして身体のバランスをとる、のだそうだ。 そこで、押さえつけていた手を離すと動脈の血液が一気に流れ、血流をよくするらしい。
 足を組んだり、うつぶせになったりしながらストレッチを繰り返す。 隣を見ると何ともお間抜けな格好のTAKUくんがいるが、こちらも同じ格好なので…笑えない。 そんなこんなで1時間は思ったよりも早く過ぎ、お姉さん(「先生」と黄さんは言う)に チップの100バーツを手渡し、本日のイベントは無事に全て終了。
 う〜、長い1日であった。って、えっ? これからIKUさん達の部屋で今日の反省会?
 う〜、長い夜の始まりだぁ〜 

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